国連環境計画の報告書は、このままでは、世界の平均気温は産業革命以前と比べ、人類が守るべき限界点とされる1.5度どころか、今世紀末までに2.7度も上昇することを示している[1]。強い警告が表明されるなか、英グラスゴーで開催された国連気候変動枠組条約締約国会議(COP26)において、良くも悪くもスポットライト浴びたのはインド人指導者の言動であった。ナレンドラ・モディ首相がインドの「カーボンニュートラル」を実現する期限目標を掲げて国際社会から一定の評価を受けたかと思えば、土壇場でブペンダー・ヤダフ環境相は成果文書に厳しい注文を付け、先進国や温暖化の危機に瀕する島嶼国では失望や批判の声が上がった。ちなみに、ヤダフ環境相の要求に屈する格好となり声を詰まらせながら謝罪し、参加者や国際世論の同情を集めたアロック・シャルマ議長も、インド生まれの英下院議員である[2]。

2070年温暖化ガス排出実質ゼロ目標の宣言

 まず世界を「驚かせた」のは、モディ首相の世界に向けた発表であった[3]。開会直後の首脳級会合でモディ首相は、インドが2070年に排出量実質ゼロを目指すと宣言したのである。むろん、日米など先進国が2050年、中ロでさえ2060年を目標として設定していることからすれば明らかに見劣りするし、国別では世界第3位の排出量の国の目標としては不十分だという批判もなくはない[4]。とはいえ、これまでインドが頑なに期限設定を拒んできたことを踏まえると大きな前進であることは間違いない。くわえてモディ首相は、2030年までの目標として、国内エネルギーの半分を再生エネルギーで賄うことや、排出量を10億トン削減することなどを表明した[5]。気候変動問題を政権の最重要課題と位置付ける米バイデン政権がクアッドの枠組みで気候作業部会を立ち上げてインドを巻き込んだほか、4月と9月の2度にわたって、ケリー大統領特使を訪印させて説得を試みてきたことなどが、インドの姿勢の「変化」の背景にあると考えられている[6]。

 とはいえ、モディ首相の宣言の実現可能性については疑問の声も少なくない。若年層が多く今後も人口増が予想されるインドが成長を続けるとすれば、電力を含めエネルギーの需要が爆発的に拡大するのは自明だからだ。しかも現状ではきわめて非効率な石炭火力発電・送配電への依存が高いこの国で、多くの投資を必要とする再生・クリーンエネルギーへの転換は可能なのか。じつは、この点についてはモディ首相自身も先進国から途上国に対し、少なくとも1兆ドルの融資が必要だとの「条件」を付けることを忘れなかった[7]。

途上国としての「気候正義」の強調

 モディ首相の付した「条件」は、気候変動問題に関してインドが一貫して主張してきた基本的立場と合致する。それは簡明に言えば、今日までの地球温暖化の主たる責任は先進国にあり、排出ガスの削減を含む温暖化対策の負担はまずもって先進国が負わねばならない。われわれ途上国には開発への権利があるのであって、先進国と同等の負担を強いられるべきではないというものだ。モディ首相はこの旧来の主張をグレタ・トゥーンベリら若い世代の活動家も掲げる「気候正義(climate justice)」という概念で正当化した[8]。

 COP26直前にインドの専門家らが立ち上げたウェブサイト、「気候公正モニター(Climate Equity Monitor)」は先進国のこれまでの排出量がインドのような途上国に比べて圧倒的に多いことなどを視覚的に示した[9]。この分析を強く支持したヤダフ環境相は[10]、気候変動問題に関する新興国グループ、BASIC(ブラジル、南ア、インド、中国)を代表した声明のなかで、パリ協定に基づく「共通だが差異ある責任及び各自能力の原則」の重要性を改めて訴えて、途上国には時間と政策的余地、支援が与えられるべきだと主張した[11]。

 2070年実質ゼロ実現のための支援の必要性とともにモディ首相が強調したのは、温暖化に伴う洪水や農作物への被害は途上国のほうが深刻だとして国際社会はガスの削減だけではなく、気候変動適応策についても焦点を当てるべきだという点である[12]。インドは主要排出国であるのと同時に近年、モンスーン期の異常な降雨量や夏に50度を超える高温といった異常気象による被害も相次いでいる。首相の発言はそうした国内の現実を反映したものであるのと同時に、途上国の仲間からの共感と支持を得ることを狙ったものと考えられよう。

石炭火力「廃止」の文言を葬り去ったインド

 モディ首相が条件付きとはいえ、インドが気候変動問題に前向きな姿勢に転換したかとの期待のなかで始まったCOP26であるが、最後にその期待を裏切ったのも、またインドであった。インドは、「排出削減対策が取られていない石炭火力発電と化石燃料への非効率な補助金の段階的廃止」という最終成果文書の議長案に強く反発したのである。ヤダフ環境相は最後の全体会議で、そもそも国連気候変動枠組条約(United Nations Framework Convention on Climate Change:UNFCCC)は特定のエネルギー源を対象としたものではなく、石炭だけを問題視するのはおかしいと強く異論を述べた。そのうえで途上国には世界の二酸化炭素収支の公正な配分を与えられるべきであり、この点で化石燃料についても「責任ある利用の権利がある」として、たとえばインドでは低所得世帯向けのLPG(液化石油ガス)ボンベについて補助金を支出しているが、それは貧困削減等に不可欠だとまで述べた[13]。

 インドの猛烈な反対に同調したのが中国であった[14]。筆者はこれまで、印中は陸の国境問題やインド洋の覇権争いなど、政治・安全保障領域では厳しい対立関係にあるものの、気候変動問題のようにグローバルな経済秩序のありかたについては、新興国(途上国)として基本的利害を共有すると論じてきた[15]。今回の印中の連携もその文脈のなかでとらえることができる。排出量世界第1位と第3位の大国に「拒否権」を突き付けられてしまっては、世界は応じるほかはなかった。結局、最終採択文書では「段階的廃止」の文言は「段階的削減」へと置き換えられたのである。

 このようにCOP26におけるインドの一連の言動からは、気候変動の危機に対して行動しようとする国際的潮流のなか、大国として責任を果たす用意はあることを示す一方で、途上国である自らの経済成長の妨げとなるようなルールの形成は絶対に容認しないという強い意思がうかがえる。会議最終盤にヤダフ環境相が声高に掲げた「正論」は、かつての南北問題や核不拡散問題をめぐるインドの異議申し立てを彷彿とさせるものであった。多くの参加国の交渉担当者は、「インドは厄介な国」との印象を強くしたかもしれない。

 しかしながら、モディ首相が宣言したように、十分な支援が提供されれば、インドも国際社会の期待に沿って前進するという姿勢を示したことも事実である。インドは2009年のCOP15で合意されたはずの毎年1000億ドルずつの途上国への資金援助の約束が果たされていないことにも不満を表明した[16]。日本の岸田首相は今回、5年間で100億ドルの追加支援を表明したが、今後は先進国側がモディ首相の付けた「条件」に応えられるかどうか、また作業部会を有するクアッドの枠組みでの協力が進展するかどうかが、気候変動問題についてインドを取り込めるかどうかのカギとなろう。

(2021/11/24)

脚注

  1. 1 UNEP DTU Partners, “Emissions Gap Report 2021,” UN Environment Programme: UNEP, October 26, 2021.
  2. 2 “'No Drama Sharma': Meet Alok Sharma, the Indian-born COP26 chief,” The Economic Times, November 12, 2021.
  3. 3 川田俊男、香取啓介,「COP26、各国が削減目標引き上げ表明 世界を驚かせたのはインド」『朝日新聞デジタル』2021年11月13日。 Ciara Nugent, “India Sets a Surprise Net Zero Goal for 2070,” Time, November 1, 2021.
  4. 4 COP26当局者はインドがもっと早い期限を設定するものと期待していたという。「インド、2070年までに排出量ゼロ達成 モディ首相がCOP26で発表」Reuters、November 2, 2021.
  5. 5 “National Statement by Prime Minister Shri Narendra Modi at COP26 Summit in Glasgow,” Ministry of External Affairs, Government of India, November 2, 2021.
  6. 6 Shreya Jai, “COP26: India will reach net zero emissions by 2070, says PM Modi,” Business Standard News, November 2, 2021.
  7. 7 グプタ環境次官は、モディ首相の「宣言」がパリ協定に基づいてインドが2015年に提出した「国が決定する貢献(NDC)」として更新されるかどうかについて、1兆ドルの資金が利用可能であればという「条件付き」だと述べた。Jacob Koshy, “India demands $1 trillion as ‘climate finance’,” The Hindu, November 11, 2021(updated November 12, 2021).
  8. 8 Sanju Verma “Climate justice for climate change: How Narendra Modi stole the march over his peers at COP26,” Firstpost, November 5, 2021.
  9. 9 “Carbon Credit / Debt Map and Historical Emissions,” Climate Equity Monitor, 2021.
  10. 10 “Its focus on equity and climate action from a data and evidence-based perspectivewill encourage a vigorous discussion on this crucial issue and engage experts from all countries: Shri Bhupender Yadav,” Press Information Bureau, Government of India, October 31, 2021.
  11. 11 “Opening Statement by India on Behalf of Basic: Delivered at the Opening Plenary of COP26,” Press Information Bureau, Government of India, October 1, 2021.
  12. 12 “Prime Minister’s address at the event on ‘Action and Solidarity-The Critical Decade’ at COP26 Summit in Glasgow,” Narendra Modi HP, November 1, 2021.
  13. 13 “Countries undertake Glasgow Climate Pact after India, China pressure modification on coal reference,” Report Wire, November 2021.
  14. 14 Paul Rincon, “COP26: New global climate deal struck in Glasgow,” BBC, November 14. 2021.
  15. 15 伊藤融『新興大国インドの行動原理―独自リアリズム外交のゆくえ』慶應義塾大学出版会、2020年、174-186頁。
  16. 16 “Climate finance isn’t charity, says Environment Minister Bhupender Yadav at COP26,” The Hindu, November 11, 2021.