岐路にあるインド太平洋の地域秩序

 本稿では、日本がインド太平洋における地域秩序の構造的転換にこれまで、そして現在どのように対処しており、厳しさを増す安全保障環境において自国の国益と価値観を守るためにどのような政策/戦略を立案・実施してきたのかについて検討する。

 中国、そして次にインドが劇的に台頭する中、インド太平洋地域は今や世界経済の原動力であり、世界の戦略地政学的な十字路であると広く認識されている。しかし、インド太平洋の世紀が引き続き展開する一方で、その経済的な輝きとは裏腹に、地域は安定と安全に対する途方もない課題に直面している。米中間における優位を巡る超大国の競争は、戦略的競争への回帰、場合によっては「第二次冷戦」の到来を告げる一方、南シナ海、東シナ海、朝鮮半島、台湾海峡、様々な歴史的紛争など地域的緊張が継続的にくすぶっている。

 そのような緊迫した環境において、日本を始めとする各国は、同盟国やパートナーと協力して、強靱な現状を維持するべく努めてきており、過去数十年、地域の繁栄、安定と安全はそのような現状に支えられてきた。現状維持を達成するため、これらの国々は地域的・国際的に「ルールに基づく秩序」(Rules-Based Order: RBO)を守る取り組みを新たにしてきた。日本国際問題研究所(JIIA)の佐々江賢一郎理事長によれば、「外交面では、(中略)従来は、不完全ながら機能していた『ルールに基づく国際秩序』が大きく揺らぎつつ」ある[1]。日本では菅義偉首相、米国ではジョー・バイデン大統領による新政権がそれぞれ発足する中、地域秩序という死活的問題について検討し、どのように日本の政策と、同盟国やパートナーとの政策が、インド太平洋における今世紀の課題に立ち向かっていくのかを評価する上で、現在は適切な時期といえる。「令和2年版外交青書」において「様々な変化に対応し、時代の要請に即した新たなルール作りが必要」[2]と述べられているように、これは重要な動きである。

 本稿の構成は以下のとおりである。まず、国際情勢における「秩序」の概念がどのように考えられているのかを紹介し、続いて現在の視点との連続性と乖離を明らかにするために、1945年以降の日本による秩序構築に対する歴史的アプローチについて概観する。次に、現在の視点と日本政府がこれまでに用いてきたインド太平洋のRBOのビジョンに資する外交ツールについて分析する。

「秩序」とは何か

 国際政治、そしてその学問である国際関係論(International Relations: IR)において、「秩序(order)」という用語には必ずしも明確な定義が与えられていなかったり、十分に理解されていなかったりする。「秩序」という語は、熟考されずに用いられることが多く、無数の関連する概念(例:「国際/地域システム」「地域構造」「多国間機関」や「米国の優位」までもある)の曖昧な代用語としての役割を果たすことがある。「国際秩序」「世界秩序」「グローバル秩序」「地域秩序」「安全保障秩序」といった諸用語も、説明や差別化のための用語として頻繁に用いられている。「秩序」という語は、「自由な国際秩序」「ルールに基づく秩序」(RBO)といった名称が引き合いに出されるときは、より規範的(イデオロギー的)領域へと移行する。例えば、前者は主に米国の優位と結び付けられる一方、後者は誰が「ルール」を設定するのかに関する議論を体現している。従って、以下の分析においては、秩序関連用語の具体的な使用とその文脈について注意しなければならない。

 ヘンリー・キッシンジャーによる「国際秩序」(その部分集合である「地域秩序」にも同様に当てはまる)の定義は、定義に関する議論の出発点として有用である。著書『国際秩序(World Order)』において、キッシンジャーは「許容できる行動の限界を示す一般に受け入れられている一連のルールと、ルールが破綻したときに抑制を強制して、ある政治的単位が他の全ての単位を従属させるのを防ぐ勢力の均衡」を強調している[3]。馮恵雲と賀凱は、実際の「秩序」の性質について推測し、グローバルであれ地域的であれ、「秩序」は多面的な概念であり、政治、経済、安全保障など複数の領域にまたがっていると指摘した上で、規範に基づくもの、力に基づくもの、ルールに基づくものなどさまざまな形態の秩序がシステム内で共存することも多いと述べている[4]。最後に、「秩序」とは、システム内における(主要な)アクターが、「建設者」として、自国の国家的選好や「ビジョン」に基づき、あるいは特定の政策を通じて、「構築」「維持」「形成」「改定」するものである。この段階において、主観的なイデオロギー的なもの(価値観)がより実用的なもの(利益)志向のアプローチと共に秩序構築のプロセスに導入されることがある。従って、その結果としての客観的な秩序は、これらの相互に作用し、時に競合するプロセスの産物となる。そのため、「秩序」の概念と状態は動的であり、常に変化する。前述のとおり、そのことはグローバル・地域レベルの双方で明白であるが、本稿で主に取り上げるのは後者である。

日本と国際秩序のこれまで:歴史的背景

 以下の分析の前置きとして、歴史的背景を理解し、従来の日本による理解と現在の文脈を並置する上で、戦後期、冷戦期、ポスト冷戦期を通じた国際/地域秩序の問題に対する現代日本の従来的アプローチを端的に振り返ることは有用である。このプロセスを通じて、日本の地位が、冷戦期における国際的に目立たない消極性と経済第一の貢献(「受動的」段階)からポスト冷戦時代における国際貢献の再評価(「順応」段階)、そして2000年代に始まり、2012年以降の第二次安倍政権下で加速した現在の「積極的」段階に発展していく様子を見て取ることができる。

 日本の「受動的」段階:1945年、日本は大東亜戦争(訳注:太平洋戦争も含む)の惨禍から立ち上がり、連合国軍による占領下で崩壊した経済・社会の再建に取り組みだした。1951年から52年にかけてのサンフランシスコ講和条約による和解と1956年の日本の国連加盟により、日本は再び国際社会への貢献について検討できるようになった。フィリップ・リプシーと玉置敦彦が指摘するように、「1952年、日本は米国[原文ママ]の占領から独立を回復し、激変した新たな国際秩序に改めて適応することを迫られた」[5]。冷戦の状態が定着するにつれて、「自由世界」の陣営がソビエト圏と対峙する中、日本は「自由世界」同盟の「第三の柱」としての重要な役割を担った。当時、地域秩序の大部分は米国の二国間同盟によるハブアンドスポークシステムに基づいており、米国の優位がいわゆる「サンフランシスコ体制」に内在するより広範な「公共財」を支えており、日本はその体制内に完全に統合されていた[6]。「パクス・アメリカーナ」の主要な受益者として、有名な吉田ドクトリンの下、日本は米国による安全保障の傘の下で目立たぬよう努め、ほぼ全面的に国の経済発展に集中してきた。しかし、1960年代以降、日本が経済大国として台頭すると、1970年代には福田ドクトリンの下、地域経済ガバナンスを主導する自信を得て、後に経済成長の「雁行形態」モデルと呼ばれるようになる東南アジアとの経済統合を目指し、莫大な政府開発援助(ODA)支出を行った。

 冷戦後期には、おそらく不当な評価ではあるものの、日本は世界における自国の目的をはっきりと認識していない「受動的な国家」として評価されていた[7]。これに基づき、入江昭は、歴史的に「日本は国際秩序に顕著な貢献をしてこなかった」と結論付けている[8]。しかし、経済分野と同様、制度構築の分野でも、関税及び貿易に関する一般協定(GATT)、経済協力開発機構(OECD)、主要7カ国首脳会議(先進経済国:G7)など国際的な枠組みが誕生する中で、日本政府は積極的に重要な役割を担おうとしてきた。アジア開発銀行(ADB)、アジア太平洋経済協力(APEC)などの地域的な枠組みにおいても同様であり、国連の主要機関の理事国に選出されていないときでさえ、国連を強力に支援した。日本による国際秩序支援の取り組みは一面的、経済的側面だけであるという認識(「小切手外交」)は、1991年の湾岸戦争においてイラクをクウェートから撤退させた国連多国籍軍に軍事的貢献ができなかったことにより無残にも明らかになり、そのため受動的な国家であるというレッテルが貼られた。しかし、冷戦終了時に米国が主張した「新世界秩序」への貢献に対する期待の変化には日本は応えられなかったかもしれないが、前述の例が示すとおり、日本は秩序構築の面では必ずしも不活発なアクターではなかった。

 日本の「順応」段階:しかし、米国主導の「自由な国際秩序」の概念が世界システムの大半を決定付ける特徴として全面的に浮上したのは、1990年代にソビエト連邦が崩壊し、米国が単極の大国となったことで「歴史の終わり」が宣言されたときであった。ジョン・アイケンベリーは、自由な国際秩序を「開かれた市場、多国間機関、協調的安全保障、同盟パートナーシップ、民主主義の連帯と米国による覇権的リーダーシップを中心に組織された独特な種類の秩序」であると定義している[9]。このことは、以下で議論する「ルールに基づく秩序」と完全に同義ではないものの、密接に符合している。ポスト冷戦期には、日本はグローバル秩序へのアプローチの再評価を始め、1991年の湾岸戦争への資金援助のみの対応に対する否定的な反応に衝撃を受け、世界における日本の地位と能力に見合ったより重要な役割を担う方法を模索した。「経済的巨人」でありながら「政治的小人」であるというレッテルに突き動かされ、日本の「国際貢献」を巡る議論がこの時期を支配した。その結果、日本はトーマス・バーガー、マイク・モチヅキ、土山實男の言う「順応」段階に入ったといえるだろう[10]。この時期には、国際場裏で目に見える役割を果たそうとする意志が強まった(「小泉ドクトリン」)[11]。このアプローチをよく示しているのが、ブラッド・グロッサーマンの、「小泉(首相)が日本は自由な国際秩序の主要な受益者の一国として、その秩序を維持するためにより多くのことを成す必要があると主張した」という指摘である[12]。

 1990年代頃に始まり、2000年代にかけて続いたこの順応段階では、日本はASEAN+3、ASEAN地域フォーラム(ARF)、東アジアサミット(EAS)などの地域の枠組みへの関与を強めるとともに、カンボジア(1992年~1993年)、東ティモール(2001年~2004年)など複数の平和維持活動(PKO)に貢献した。9.11同時多発テロに対する米国の対応により、湾岸戦争の失敗を繰り返すことなく、イラクやアフガニスタンにおける「テロとの戦い」に軍事支援による貢献を行うようにという日本に対する圧力が高まった。日本は海軍(訳注・海上自衛隊)のアセットを展開してインド洋で多国籍軍の艦艇に燃料補給を行ったほか、復興部隊をイラクに派遣した(2004年~2006年)。さらに、「失われた20年」により日本の経済的運勢に陰りが出るにつれて、「経済第一」の外交的貢献を維持することが難しくなり、日本は自由な秩序に貢献するための他の方法を立案する必要に迫られた。これは自由な秩序を維持する目的において国際問題・地域問題への関与を深めるための定型となり、短命に終わった民主党政権(2009年~2012年)を経て、現在まで続いている。またこれは秩序構築の「積極的」段階の到来を告げた自由民主党の安倍晋三政権下でピークを迎え、日本政府は時に主導的役割を果たそうとし、その中で安倍首相は世界に対し「日本は戻ってきました」と宣言した。

地域秩序に対する日本による現在の「積極的」アプローチ

 スペースの都合上、地域秩序の維持を目的とした日本の政策のあらゆる側面を包括的に分析することはできないため、本セクションでは全体像を簡略化し、政治、経済、安全保障の三つの主要な側面を取り上げる。それぞれの側面は、実際には当然互いの一部であり、支え合っている。自由で開かれたインド太平洋(FOIP)「ビジョン」は以下の分析に不可欠であるが、以下の議論では日本による地域秩序構築へのアプローチについてより幅広く検討する。

 政治的秩序:2010年代、日本は台頭する大国、復活した大国からの自由な秩序に対する目に見える挑戦に気が付いた。このような挑戦は、米国による「一極支配の時代」や米国がテロとの戦いに専念していたことで陰に隠れていた。日本国際問題研究所(JIIA)による報告書では、「既存の国際秩序に対する修正主義的勢力による挑戦の顕在化」と「現状を維持し、ルールに基づく秩序を守る勢力の警戒心の高まり」が指摘されている[13]。米国主導の自由な国際秩序の維持により積極的に貢献したいという日本の希望は、(トランプ政権下において)米国が秩序維持のために全面的な負担を引き受ける能力や意欲が減退したことにより促進された[14]。「安倍ドクトリン」とも呼ばれる安倍首相の確固たるリーダーシップにより、日本政府は地域秩序維持におけるコミットメントと責任を確約し、(「インド太平洋」という概念の形成に日本が及ぼした影響の大きさに表れているように)今度こそは議論の方向性を定める貢献をした[15]。

 秩序の「政治的」側面は、インド太平洋地域に対する日本の「ビジョン」を示す外交と関連政策に表れている。この例では、日本政府は2016年に立ち上げた同地域の「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)構想」)の「建設者」の役割を果たした。FOIPに欠かせないのは米国が構築・主導する自由な国際秩序の維持と、それがうたうRBOを一貫して重視することである。古賀慶が述べるように、「FOIPの主たる目的は、既存のルールに基づく国際秩序を基盤とするインド太平洋の地域秩序を形成・確立すること」である[16]。曖昧さや柔軟性といった要素のために、FOIPは日本が地域秩序で推進しようとしているさまざまな要素を「包括する概念」として用いられることもあり、以下のセクションではそれについても検討する。

 日本政府によると、「インド太平洋地域において、ルールに基づく国際秩序を構築し、自由貿易や航行の自由、法の支配といった、地域の安定と繁栄を実現する上で欠くことのできない原理・原則を定着させていくこと。これが、『自由で開かれたインド太平洋(FOIP)』という考えの要諦」である[17]。「ルール」の重視は、日本外交においてこれまでよりも明確になっている(FOIPの「第一の柱」)。また、このルールに基づくビジョンを広める上で日本政府がこのような独自のリーダーシップを示したことは特筆に値する。日本政府は、前述の受動的段階のときのように「ルールを受け入れる側」にもはや甘んじることなく、現在の積極的段階においては、「ルールを作る側」になることを示唆しているためである。これは安倍首相のリーダーシップと大いに関連している。第二次政権発足後間もない2013年にワシントンDCの戦略国際問題研究所(CSIS)で行った演説において、安倍首相は「そこにおける日本とは、ルールのプロモーターとして主導的な地位にあらねばなりません」と宣言した[18]。安倍首相はさらに、後にFOIPの主要な原則となるものを列挙し、「グローバルコモンズ」の守護という課題を米国などの志を同じくする地域諸国とどのように共有するかについて力説した。FOIPでは、航行の自由、自由で公平かつ透明性のある貿易慣行、国際法の尊重に関連する一般に受け入れられたルールの遵守に重点が置かれている。このように地域秩序においてルールが最も重要であると主張したのは、「非自由主義的」アクターによる一方的かつ力に基づく威圧的な慣行は、日本とその同盟国やパートナーにとって受け入れられないことを伝えるためであった。日本は地域への自国の関与について明確で戦略的な主張を提示することで、地域秩序の形成において日本により多くの役割があると主張しようとしてきた。米国、オーストラリアなどの国々の主要な政策文書にRBOという用語が用いられたことは、その後、このアプローチを裏付け、強化する上で役に立った。

 しかし、RBOを巡るもう一つの非常に重要な側面は、そのようなルールの根拠、正当化の理由として、「価値観」が強調されていることであり、これが前述の主張を支えている。外務省出身の兼原信克(元内閣官房副長官補、現同志社大学特別客員教授)は、「21世紀の日本は、普遍的価値を信じ、国際社会において力だけではなく正義を訴える国にならなければならない」と主張している[19]。このことについて、グロッサーマンは「日本外交において価値観が重視される根底となっており、ルールの尊重を反映している」と考えている[20]。また、これは安倍首相が当初いわゆる「価値観外交」を重視していたことにも由来している。価値観外交が初めて示唆されたのは2006年、短期政権となった第一次政権の時期である。国際法を尊重し、人権と自由貿易を守る民主主義大国としての日本の資質を前面に打ち出すことで、安倍首相は米国、オーストラリア、インドなどの国々(一時期「民主主義セキュリティダイヤモンド」と呼ばれた)と共通の利害を見いだすことができた。民主主義に根差した連合の構築は、その後インド太平洋に利害のある欧州の大国、そして欧州連合(EU)自体にも広がり、そのような共通の価値観はその後の戦略的パートナーシップにおいて大きく取り上げられた。実際、「日本と価値観を共有できる有志連合を構築」する安倍首相の取り組みは、日本国際フォーラム(JFIR)の2013年の特別報告書においても指摘されている[21]。これら全てが日本政府のメッセージを広め、影響力を強化するためのものである。さらに、価値観に基づく外交は、中国の権威主義的な国内的性格を手厳しく浮き彫りにし、南シナ海における海洋権益の主張を巡るハーグの常設仲裁裁判所判決の遵守の拒否や威圧的な経済慣行(以下を参照)といった中国の外交政策の一部を「不法な」ものとしている。しかし、日本外交における価値観の重視には明確な限界がある。ベトナムなど民主主義制度を採用していない国々との交流において、重点が「価値観」そのものよりも「ルール」に置かれる場合などでは、潜在的な利害対立が生まれているためである。これにより、他国の内政干渉になるほど自国の価値観を押しつけようとはしないという日本の伝統が続いている。

 経済的秩序:FOIPそのものは「ルール」とルールを支える「価値観」を重視しており、これは当初の政策の強力な経済的要素の形成にも及んでいる(「第二の柱」)。冷戦期・ポスト冷戦期を通じて日本が経済主導の外交を進めてきたことを踏まえれば、このことは地域秩序の構築に対する日本のアプローチの継続性の証左である。実際、日本は(実質)国内総生産(GDP)で世界第3位の経済を擁しており、FOIPでは地域の連結性とインフラプロジェクトの野心的な計画を明らかにしている。前向きな立場を取ることで、たとえ中国がこの分野の「ルール」を支配しようとしても、日本は少なくとも地域経済ガバナンスの条件や基準を自国の利害や価値観に沿った形で形成することができる。

 FOIPにより、ある意味では中国による拡張的な一帯一路構想(BRI)に対抗し、経済発展と協力の魅力的な代替的選択肢を提供する形で日本は地域全体の経済的関与戦略に取り組むことになった。日本政府は中国が自由で公平な貿易とは正反対の基準により行動し、経済政策を用いて地域の弱小国家に対する影響力を獲得し(「債務のわな外交」)、経済的威圧により他国に制裁を加えることを懸念してきた。2020年、菅首相は、オーストラリアと共に、「貿易は政治的圧力をかけるための道具として決して使われてはならないことを確認した。そのようなことは、信頼や繁栄を損なうこととなる」ことを確認した[22]。米国や他の太平洋諸国を環太平洋パートナーシップ(TPP)協定に参加させることは中国政府による地域経済ガバナンスの支配を弱める計画の一環であった。同協定は、オバマ政権時代の「ピボット」「リバランス」戦略の主要な施策でもあった。2017年、トランプ大統領がTPPから突然離脱すると、日本政府は、(オーストラリアと共に)地域の経済秩序における必要かつ望ましい基準とルールを維持するための手段として、環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(CPTPP)という形で協定を守ろうと乗り出した。リプシーと玉置が指摘するように、「トランプ政権期には、米国が内向きになる中、日本が自由な秩序の主要原則の擁護者として一層浮上した」[23]。

 また、日本は着実にその他の重要な経済的アクターと接触を図り、(2014年の日・オーストラリア経済連携協定などの)既存の経済連携協定(EPA)を基にして、2018年、日EU経済連携協定(EPA)に署名した。地域諸国との経済交流においては、現地の労働者の雇用や持続可能な融資条件など、日本は「質の高いインフラ」の提供を通じて中国との差別化を図ってきた。FOIPを旗印とする太平洋島嶼国(PICS)への投資においては、これらの国々におけるインフラとレジリエンスを構築するため、優れた経済慣行とガバナンスの強化に注力した。例えば、2019年には、(インド太平洋におけるインフラ投資に関する三機関間パートナーシップの一環として、)日本はパラオへの海底通信ケーブルの提供について米国やオーストラリアと協力した。このように、各国は、選択肢がないことを理由に中国による経済的関与の「ルール」を遵守するよう余儀なくされているわけではないのである。

 日本が地域秩序構築の経済的側面に対するアプローチをルール/価値観の原則に沿って行っていることは、地域統合の促進を目指す多国間(経済)制度への参加にも表れている。FOIPは、(米国、オーストラリア、インドなどの国々との協力により)BRIに対する日本による代替的選択肢を提供しているが、日本政府は地域の経済的枠組みにも全面的に関与している。2020年に日本が地域的な包括的経済連携(RCEP)協定に参加したことは、日本政府がASEAN主導の経済ガバナンスを強力に支援することを示唆した。このことは、安全保障問題についても取り上げるEASやARFなどASEAN主導の地域機構に対する日本の支援にも及んでいる。2019年にインド太平洋に関するASEANアウトルックが示されたことについて、日本政府は、FOIPとの連関を築くものとして好意的に受け止めた。「ASEAN中心性」を尊重する形で、外務省は「FOIPの構想は新たな機構の創設や既存機関との競合を意図しない」と保証している[24]。東南アジアに対しては巨額の投資を行い、同地域においては重大な貿易上の利害があることから、インド太平洋における東南アジアは日本の地域秩序に対するアプローチの中で非常に大きな役割を担っている(1970年代の福田ドクトリンと同様である)。特に日本政府が経済的重点を多角化して中国への過度な依存から脱却し、中国の経済的威圧に対する脆弱性を軽減しようとする中ではなおさらである。

 安全保障秩序:FOIPの安全保障上の側面(第三の柱「平和と安定の確保」)は、日本が安全保障において完全に自立するのではないかという地域の懸念を生じさせないよう、わずかながら相対的に控え目になっているものの、日本による秩序構築の全体的なアプローチにとっては依然として不可欠な要素である。実際、このことはASEAN側の不安を軽減するために当初の「戦略」から「ビジョン」に名称を改めた理由にもなっている。安全保障上の懸念が生じ、あるいは例えばFOIPに関連して示唆されるとき、これらの懸念は引き続きRBOの一部と見なされている。興味深いのは、FOIPが発展し続ける中で、「2019年版外交青書」など直近の主張においては安全保障の側面がより目立った形で再浮上していることである。青書には以下のように記載されている。

「インド太平洋地域の厳しい安全保障環境、海賊、テロ、大量破壊兵器の拡散、自然災害、違法操業といった様々な脅威は一層顕在化しており、地域諸国が『自由で開かれたインド太平洋』の実現に向けて協力する必要性はますます高まっています」[25]

 日本の地域安全保障の中核にあるのは、自由な国際秩序(前述のキッシンジャーによる「秩序」の説明による)を必然的に補強する勢力均衡の擁護者としての米国が優位であり続けることである。玉置が証言するように、「日米同盟の性質は米国主導の自由な国際秩序と切っても切れない関係にある」[26]。例えば、米国が2019年にFOIPを公式に採用したことで、日本のメッセージが強化されただけでなく、同盟関係の運用に新たな集合点を提供することになった。(2015年の「日米防衛協力のための指針」に規定するように、)日本はその中でより大きな役割を果たす決意を示している。

 しかし、米国との同盟と米国の地域における優位が残ることだけが日本によるアプローチの要素ではない。実際、日本はもはやインド太平洋のRBOを維持するために米国との同盟のみに依存しているわけではない。その代わりに、日本政府はRBOのビジョンを支援するための新たなパートナーを探して戦略的地平を拡大してきた。最も顕著なものとしては、同地域においてオーストラリア、インドや複数の東南アジア諸国との間で主要な戦略的パートナーシップが育まれてきており、同時に経済的な結び付きも強化されている。「令和2年版外交青書」では、「ルールに基づく国際秩序の維持・強化は一国で実現できるものではない。いかなる国も排除せず、『自由で開かれたインド太平洋(FOIP)』についてのビジョンを共有するパートナーと広く協力」すると認めている[27]。オーストラリアとインドの例では、日本は価値観と利害を共有しており、その多くがFOIPに体現されている。これらの価値観や利害は三国を団結させ、地域秩序に関する共通のビジョンを支えている。例えば、三国はいずれも(FOIPに示されているように)海洋安全保障上の懸念を有しており、「グレーゾーン」時の侵略に対する海洋状況把握(MDA)の改善を目的とした合同軍事演習や、人道支援/災害救援(HA/DR)において積極的に協力している。これらの二国間パートナーシップが日米豪(日米豪戦略対話)と日印豪三カ国対話を通じて三国間でまとめられた。

 しかし、最も重要なのはいわゆる「クアッド」の形態をとるミニラテラルの連携である。FOIPの実施メカニズムとして誤解されることが多いが、四つの「インド太平洋大国」は、RBOの維持に関する限り、おおむねその原則に同意している。初めて首脳レベルで開催された2021年3月のクアッドの会合において、四カ国は「自由で開かれたインド太平洋のための共通のビジョンの下で結束している」と主張した[28]。さらに、「インド太平洋及びそれを超える地域の双方において、安全と繁栄を促進し、脅威に対処するために、国際法に根差した、自由で開かれ、ルールに基づく秩序を推進すること」にコミットすることを明言した[29]。このように、日本が自国の地域秩序のビジョンを刷り込むにあたり、ミニラテラルの集団は非常に重要なプラットフォームになっている。このようなFOIP/RBOへの外部からの支援を後押ししているのがその他の国による「クアッド・プラス」プロセスへの参加であり、その代表格が2018年のEPAと同時に表明された日EU戦略的パートナーシップ協定である。このような広範な連合構築の取り組みが、日本にとって、RBOの維持をその意図に沿った形で大きく支えている。

 FOIPの安全保障上の側面は、日本の安全保障能力向上に向けた国内的取り組みと合わさると新たな様相を帯びることになる。日本の取り組みは同盟国/パートナーと共により信頼できる役割を果たすためのもので、日本はこれらの同盟国/パートナーから完全に独立することはできない。アンドリュー・オロスが「安全保障のルネサンス」と称した政策の一環として、日本は広範な活動にわたって着実に安全保障機構を改革してきた[30]。すなわち、2016年の平和安全法制(「集団的自衛権」に関する条文が含まれている)や「多角的・多層的な安全保障協力の戦略的な推進」もまたFOIPビジョンに資するように調整されており、「令和2年版防衛白書」がその証左となっている。同白書には、「この地域を自由で開かれた『国際公共財』とすることにより、地域全体の平和と繁栄を確保していくことが重要である」と記載されている[31]。また、前述の通り、地域内外のアクターとの防衛協力を重視し、海上自衛隊の活動/協力強化と能力構築支援を通じた海洋安全保障に大きな重点を置いている。前述のキッシンジャーによる定義の通り、秩序に対する日本のアプローチの重点は「ルール」に置かれているが、日本政府はそのような規範に基づく取り組みが厄介なアクターを説得する効果を上げるには「勢力均衡」が依然として重要であることを認識している。JFIRの報告書が認めているように、「価値観(中略)[または「ルール」](中略)を実践するには、国家は安全保障・経済の両面で一定の水準の能力を維持しなければならない」[32]。このことは、日本の秩序構築アプローチにおいて示された効果的なシナジーを指摘している。

結論―ルールに基づく秩序を維持するための積極的な取り組み

 本稿では、スペースが限られる中、日本が自国による地域秩序構築という難題に、「受動的」「順応」段階を経て、今日見られるより「積極的」な国家的アプローチにより、いかに対応してきたかについて論じてきた。リプシーと玉置が述べるように、確かに「日本外交は米国主導の自由な秩序が地域の平和と繁栄の基礎にあるという考えと著しい一貫性も示している」[33]。より広義の概念である自由な国際秩序は、(米国一極の時代には)一般的に米国の覇権または優位を軸としていたが、日本はRBOを取り上げた基本的な要素に集中することを選んだ。この点において、米国の優位は依然としてその目的に資する手段であるものの、それだけではもはや十分ではない。従って、日本の秩序構築の取り組みは、連合構築と多角化によって米国への全面的依存から脱却するという、より幅広い戦略を反映している。日本としては、国力には恵まれているものの、超大国が実現可能な程度の影響を秩序構築に及ぼすことはできないことから、日本による取り組みの重点は全面的に国際的(グローバル)というよりは地域的である[34]。

 このように、日本は、価値観に基づいて、インド太平洋地域の繁栄、安定と安全を支え、この秩序に対する挑戦がある場合はそれに対応するようなRBOを先導する上で主導的な役割を果たしてきた。(2007年の安倍首相による「二つの海の交わり」演説に始まる)「インド太平洋」という概念に関する議論に貢献する形で、日本は初めて課題設定に大きな役割を果たした。しかし、そのアプローチを実践に移す上で中心となったのはFOIP構想と、国内法の整備や防衛態勢の再調整などの数多くの関連する活動である。安倍元首相の下で実現したかつてない前進により、後継の菅首相(訳注・執筆当時)には足掛かりとすべき強力なレガシーが残され、より多くの責任と「公共財」に対する貢献を担う決意がこれまでよりも明確に示された。

 安倍首相の下での地域秩序構築に対する日本の積極的なアプローチにより、日本は自国の目的に関する新たな認識と、インド太平洋地域とそれを超える地域における一層の注目が得られたのである。

(2022/02/08)

※本稿は当初2021年4月23日にニュージーランド・センター・フォー・グローバル・スタディーズに掲載されたもので、ここで述べてられている見解は、執筆者個人のものであり、所属する組織を代表するものではありません。

※この論考は以下の英語の論考を和訳したものです。
Japan as a contributor to the rules-based order in the Indo-Pacific

脚注

  1. 1 佐々江賢一郎「理事長メッセージ」日本国際問題研究所『戦略年次報告2019』、2019年11月、東京、p.1。
  2. 2 「巻頭特集 自由で開かれたインド太平洋」外務省『令和2年版外交青書』。
  3. 3 Kissinger, Henry. World order. Penguin Books, 2014. p. 9.
  4. 4 Feng, Huiyun, and Kai He. China’s Challenges and International Order Transition: Beyond “Thucydides's Trap,” University of Michigan Press, 2020.
  5. 5 Lipscy, Phillip Y. and Nobuhiko Tamaki, "Japan and International Organizations," Pekkanen Robert J. and Pekkanen Saadia M. eds. The Oxford Handbook of Japanese Politics, Oxford, 2020, p. 5.
  6. 6 Calder, Kent. "Securing security through prosperity: the San Francisco System in comparative perspective." The Pacific Review 17.1 (2004): pp. 135-157.
  7. 7 Calder, Kent E. "Japanese foreign economic policy formation: explaining the reactive state," July 1988, World Politics , Volume 40 , Issue 4 pp. 517-541.
  8. 8 Mochizuki, Mike M. "Japan’s changing international role" in Berger,Thomas U., Mochizuki, Mike M. and Tsuchiyama, Jitsuo, eds. Japan in International Politics: The Foreign Policies of an Adaptive State (Lynne Rienner Publishers, 2007) p. 3.
  9. 9 Ikenberry, G. John. 2010. “The Liberal International Order and Its Discontents.” Millennium 38, no. 3: 512.
  10. 10 脚注9と同じ。
  11. 11 Tang, Siew-Mun. "Japan's Security Renaissance: Evolution or Revolution?." Journal of International and Area Studies (2007): 17-29.
  12. 12 Glosserman, Brad. Peak Japan: The End of Great Ambitions. Georgetown University Press, 2019, p. 20.
  13. 13 日本国際問題研究所『戦略年次報告2019』、p.18。
  14. 14 Funabashi, Yoichi, and G. John Ikenberry, eds. The Crisis of Liberal Internationalism: Japan and the World Order. Brookings Institution Press, 2020.
  15. 15 Hughes, Christopher. Japan’s Foreign and Security Policy Under the ‘Abe Doctrine’: New Dynamism or New Dead End?. Springer, 2015.
  16. 16 Koga, Kei. "Japan's ‘Indo-Pacific’ question: countering China or shaping a new regional order?." International Affairs 96.1 (2020): 50.
  17. 17 外務省『令和2年版外交青書』、p. 8。
  18. 18 CSISにおける日本国内閣総理大臣安倍晋三による演説『日本は戻ってきました』、2013年2月22日、外務省。
  19. 19 Cited in Glosserman, Brad. Peak Japan: The End of Great Ambitions. Georgetown University Press, 2019, p. 185.
  20. 20 Glosserman, Brad. Peak Japan: The End of Great Ambitions. Georgetown University Press, 2019, p. 185.
  21. 21 ‘Japan's Values and Foreign Policy: Intangible Power in International Relations’, Report by The Japan Forum on International Relations (JFIR), Tokyo, March 2013.
  22. 22 外務省『日豪首脳共同声明』2020年11月17日。
  23. 23 Lipscy, Phillip Y., and Nobuhiko Tamaki. "Japan and International Organizations." Pekkanen Robert J. and Pekkanen Saadia M, Eds. The Oxford Handbook of Japanese Politics. Oxford, 2020,, p. 10.
  24. 24 「巻頭特集 自由で開かれたインド太平洋」外務省『令和2年版外交青書』。
  25. 25 外務省『令和元年版外交青書』、2019年、東京、24ページ。
  26. 26 Tamaki, Nobuhiko. "Japan’s quest for a rules-based international order: the Japan-US alliance and the decline of US liberal hegemony." Contemporary Politics 26.4 (2020), p. 386.
  27. 27 外務省『令和2年版外交青書』
  28. 28 Quad Leaders’ Joint Statement: “The Spirit of the Quad”, The White House, 12 March, 2021.
  29. 29 同上。
  30. 30 Oros, Andrew L. Japan’s security renaissance: New policies and politics for the twenty-first century. Columbia University Press, 2017.
  31. 31 防衛省『令和2年版防衛白書』、2020年、東京、32ページ。
  32. 32 ‘Japan's Values and Foreign Policy: Intangible Power in International Relations’, Report by The Japan Forum on International Relations (JFIR), Tokyo, March 2014, p. 2.
  33. 33 Lipscy, Phillip Y., and Nobuhiko Tamaki. "Japan and International Organizations." Pekkanen Robert J. and Pekkanen Saadia M, Eds. The Oxford Handbook of Japanese Politics. Oxford, 2020,, p. 9.
  34. 34 Envall, H. D. P. "The ‘Abe Doctrine’: Japan’s new regional realism." International Relations of the Asia-Pacific 20.1 (2020): 31-59.