世界最大の国土面積を有するロシアの国境は、欧州正面からアジア正面、さらには北極正面まで、陸上国境・海上国境ともに実に多様な地理的・気候的特色を有する。また、それぞれの正面に広がる諸国家も、西欧型の民主主義国家から、伝統的な権威主義国家、個人独裁ないし個人支配化が進む国家まで様々な統治形態を採っており、ロシア国境はまさに「多様性」に特徴づけられる。
こうしたロシア国境の警備救難業務に従事する国家機関として、連邦保安庁(FSB)国境警備局が設置されている。すなわち現代ロシアの国境政策は、プーチン体制の権力基盤であり、インテリジェンス・コミュニティの中核を成すFSBの所掌事項である。2022年以降のウクライナ戦争下では、中露の戦略的連携が一層深化しており、国境政策も例外ではない。本稿では、FSB国境警備局に焦点を当て、その現況を把握するとともに、国境政策を巡る新たな動向である中露連携に注目し、その狙いを探る。
FSB国境警備局とは
FSB国境警備局の前身である国家保安委員会(KGB)国境警備軍総局は、ソ連解体期の1991年12月、ソ連邦国境警備委員会に改組され、さらに92年6月にロシア連邦保安省隷下のロシア連邦国境警備軍が発足した。体制転換期において、保安省の廃止と連邦防諜庁の設置など、治安機関の再編が相次ぐ中、93年から95年にかけて、国境警備軍は新たに設置された連邦国境警備庁(FPS)隷下となった[1]。
さらに第1次プーチン政権下の2003年3月には、大規模な治安機関改革が実施され、FPSが廃止されるとともに、国境警備部門はFSBの新設部局である国境警備局が所管することとなった[2]。こうして現代ロシアの国境警備体制が整備され、制度的にも安定期を迎える。一方で、FPSからFSBの一部門となったことで、とくに海上警備部門の地位の低下が指摘されるとともに、漁業利権を巡る深刻な汚職問題も継続して政権の政策課題となっている[3]。多種多様な政策領域を所掌する巨大な国家官僚機構であるFSBにおいて、海上国境警備は、漁業問題のほか、北極海航路と天然資源の開発問題を含む多くの利権が絡むことから、「シロヴィキ」の権力闘争と激しい部局間(派閥間)対立が生起しやすい政策領域と言えよう。
FSB国境警備局の機構は、表1に整理したが、出入国管理から陸上・海上国境における警備救難政策の企画立案、運用調整等を担う内部部局を中心に、地域別又は連邦構成主体(単独ないし複数)の単位で国境警備機関が置かれている。日本周辺では、北海道の北にはサハリン州国境警備部、日本海側には沿海辺区国境警備部、オホーツク海にハバロフスク辺区・ユダヤ自治州国境警備部、ベーリング海からチュコト半島、東シベリア海にかけて東部北極地域国境警備部が設置されている。
また、軍事安全保障面では、連邦保安庁隷下の諸機関は、国防法上の「機関」に指定されており、「ロシア軍運用計画」に従って、ロシア軍や国家親衛軍等とともに、国防分野の課題の遂行を担う[4]。国境警備局の総兵力は約16万人規模、警備救難等に従事する艦船は約204隻と見積もられている[5]。
さらにロシア政府全体の国境政策については、連邦政府傘下の調整・審議機関として国境委員会が設置されており、委員長のマーントゥロフ第1副首相を筆頭として、2名の副委員長(FSB第1次長兼ねて国境警備局長と運輸大臣)が置かれている。関係省庁の大臣・次官・次長級のほか、国境地域の首長などが委員を務め[6]、貨物輸送量の拡大やこれに伴う国境検問所の自動化といった国境政策全般に関わる総合的な政策調整を担っている[7]。
表1:FSB国境警備局の機構
内部部局 | 国境監督部,国境警備部,沿岸警備部,運用調整部 |
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国境警備機関 | 27の国境警備機関(西部北極地域国境警備部,東部北極地域国境警備部,25の連邦構成主体国境警備部) |
その他部隊・施設等機関 | 国境警備運用政策研究センター,国境警備軍第1通信旅団,国境警備アカデミー,モスクワ国境警備大学校,ゴリーツィン国境警備大学校,カリニングラード国境警備大学校,クルガン国境警備大学校,ハバロフスク国境警備大学校,沿岸警備大学校,第1国境警備軍士官学校 |
出典:資料を基に筆者作成[8]
FSB国境警備局と中国海警局の関係強化
2022年2月のウクライナ戦争勃発を受けて、FSB国境警備局もプーチン大統領の言う「特別軍事作戦」に参加しているものと見られる。開戦後、国境警備局の機関誌は、ロシア国防省及び国家親衛軍連邦庁隷下部隊との協力の重要性やウクライナ軍に配備されている最新の偵察・電子戦装置、無人機への心構えを説くとともに、戦場におけるFPVドローンの驚くべきデビューを強調するなど、「特別軍事作戦」一色となっている[9]。
こうした中、ロシアの国境政策も変化を見せており、その一つとしてアジア正面における中国との連携強化が挙げられる。2024年4月16日から18日にかけて、ロシア極東のウラジオストクではFSB国境警備局と中国海警局の実務協議が実施された。FSB国境警備局と中国海警局は、2023年4月に協力についての覚書を締結しており、ロシア側の海上演習「北極パトロール2023」に中国海警局の代表団がオブザーバー参加するなど[10]、両機関の関係が強化される傾向にある。初めての開催となった実務者協議については「地域の安全保障及び安定を維持するために、新たに積極的な貢献をすべく共に努力することで双方が一致した」と報じられるにとどまり[11]、共同演習など今後の協力関係について具体的な内容は公表されていない。
一方、中露陸上国境における協力関係は着実に進展している。2024年6月13日には、中露輸送協力小委員会の国境検問所作業部会の第27回会合が北オセチア-アラニヤ共和国ウラジカフカースにおいて開催され、ミハイル・コカエフ運輸省国境検問所整備領域国家政策局長がロシア代表団を率いて、FSB国境警備局、連邦税務庁、ロシア国境施設建設・運用管理事務所、極東・北極発展省、アムール州、沿海辺区、ハバロフスク辺区、ザバイカリエ辺区、ロシア鉄道の代表者らが参加した。中露国境の各検問所における通行レーンの拡幅工事を通じた貨物輸送量の増加やロシア・ジョージア国境における取組の紹介が議題となるなど[12]、陸上国境協力は、中露経済関係の強化を背景として、実務者レベルで進展している。
中露関係には、領土問題など複雑な歴史的経緯があるものの、ウクライナ戦争下の軍事・経済面における協力関係の強化は目覚ましいものがある。エネルギー協力や北極海航路の整備といった経済関係と並行して、米国の東アジアにおける軍事プレゼンスを意識した軍事安全保障上の関心事に基づいて、中露両国は海軍・空軍の共同演習を活発化させている。こうした文脈の中にFSB国境警備局と中国海警局の協力関係の構築が位置づけられているとすれば、中露準軍事組織の連携という形で、日本の安全保障上の新たな課題が出現しつつあると言えよう。すでに中露両国の海軍・空軍は、日本周辺において共同演習「海上連携」や共同航行、戦略爆撃機による共同哨戒飛行などを実施しており、FSB国境警備局と中国海警局の間でも共同演習などが行われる可能性は否定できず、実施海域によっては政治性を帯びた事象となろう。一方で、国境警備局は、防諜機関としての性質が強く、「外国の影響力」の浸透に神経をとがらせるFSBの一つの部門でもある。とくに極東・シベリア地域は、伝統的に中国の経済的影響力を受けやすい地域であり、「主権の擁護」と「外国との連携」を両立するには、政策上の難しいさじ加減が求められる。
FSB本庁舎があるモスクワ中心部ルビャンカの「シロヴィキ」が、今の中露関係をどのように捉えているのか、慎重な分析が求められている。
※本稿の見解は筆者個人のものであり、筆者の所属組織の公式見解ではない。
(2024/09/13)
脚注
- 1 Указ Президента РФ от 12 июня 1992г., № 620, «Об образовании Пограничных войск Российской Федерации», Ведомости СНД и ВС РФ, 25 июня 1992г., № 25, ст. 1410(1992年6月12日付ロシア連邦大統領令第620号「ロシア連邦国境軍の編成について」); Указ Президента РФ от 30 декабря 1995г., № 2245, «О Федеральной пограничной службе Российской Федерации», Собрание законодательства Российской Ф, 02 января 1995г, № 1, ст. 44(1995年12月30日付ロシア連邦大統領令第2245号「ロシア連邦国境警備庁について」); Указ Президента РФ от 02 марта 1995г., № 232 (ред. от 05 августа 2002г.), «Об утверждении Положения о Федеральной пограничной службе Российской Федерации», СЗРФ, 1995г, N 10, ст. 863(1995年3月2日付ロシア連邦大統領令第232号「ロシア連邦国境警備庁規程の承認について」); 小川哲也「ロシア連邦連邦国境警備庁とその改革(その1)」『海上保安大学校五〇周年記念論文集』海上保安大学校,2002年,43-56頁。
- 2 Указ Президента РФ от 11 марта 2003 г., № 308, «О мерах по совершенствованию государственного управления в области безопасности Российской Федерации», СЗРФ, № 12, 2003г., Ст. 1101(2003年3月11日付ロシア連邦大統領令第308号「ロシア連邦の安全保障分野における国家行政の改善に関する諸措置について」).
- 3 小川哲也「ロシアの沿岸警備隊(その1)」『海保大研究報告』第54巻第2号,2010年,55-84頁。
- 4 Статья 6 и 7, Федеральный закон от 31 мая 1996г., № 61-ФЗ (ред. от 25 декабря 2023г.), «Об обороне», СЗРФ, 03 июня 1996г., № 23, ст. 2750(1996年5月31日付ロシア連邦法第61号「国防について」第6条及び第7条).
- 5 International Institute for Strategic Studies, The Military Balance 2024, Vol. 124, 2024, pp. 205-206.
- 6 Стрежнев, Е., Концепция обеспечения пограничной безопасности Российской Федерации, Вестник границы России, №3 (236), 2024г., с. 68-69; Правительство России, «Государственная пограничная комиссия»(ロシア連邦政府「国境委員会」); Указ Президента РФ от 27 октября 2003г., № 1264 (ред. от 30 марта 2012г.), «Об утверждении Положения о Государственной пограничной комиссии и ее состава по должностям», СЗРФ, 03 ноября 2003г., № 44, ст. 4293(2003年10月27日付ロシア連邦大統領令第1264号「国境委員会規程及び職位に基づく委員会の構成の承認について」).
- 7 Правительство России, от 30 июля 2024г., «Денис Мантуров провёл заседание Государственной пограничной комиссии»(ロシア連邦政府,2024年7月30日,「デニス・マーントゥロフ副首相,国境委員会会合を実施).
- 8 以下の資料を基に作成した。Федеральная служба безопасности Российской Федерации, «Перечень образовательных организаций. Порядок приема»; Пограничная служба ФСБ России, «Перечень пограничных управлений ФСБ России» и «Карта расположения пограничных управлений ФСБ России»; agentura.ru «Пограничная служба ФСБ». このほか,第1次長・国境警備局長官房などの管理部門が設置されているものと見られるが,内部部局の詳細な分析は別稿に譲る。
- 9 Гараев, Р. и Качурин, В., Дозоры просят огня, Пограничник, № 4 (1452), 2024г., с. 4-13; Юрьев, П., Дрон среди ячного неба, Пограничник, № 5 (1453), 2024г., с. 4-11.
- 10 Федеральная служба безопасности Российской Федерации, от 28 мая 2024г., «Интервью первого заместителя Директора – руководителя Пограничной службы ФСБ России».
- 11 ТАСС, от 18 апреля 2024г., «Пограничные службы КНР и РФ договорились вместе укреплять безопасность в регионе: Стороны впервые провели переговоры в соответствующем формате после подписания в 2023 году меморандума о взаимопонимании»(2024年4月18日付タス通信「中露国境警備当局,地域における安全保障強化で一致:2023年の協力についての覚書署名後,初となる会談を実施」).
- 12 Росгранстрой, от 14 июня 2024г., «Россия и Китай развивают инфраструктуру пунктов пропуска через государственную границу»(ロシア国境施設建設・運用管理事務所,2024年6月14日,「中露,国境検問所のインフラ整備を拡大」).