2022年6月30日、フェルディナンド・マルコスが第17代フィリピン大統領に就任した。マルコス大統領は、同年5月の大統領選挙でロドリゴ・ドゥテルテ前大統領の娘であるサラ・ドゥテルテ・ダバオ市長とタッグを組み、地滑り的な勝利で当選を果たした(サラ氏は副大統領に就任)。そのため就任前、経済や安全保障の諸課題に対処するため、対外関係に関し、特にアメリカや中国とどのような関係を築いていくのか、アメリカから離れ、中国に接近するドゥテルテ路線を継承するのかが取り沙汰された[1]。しかし現在までのところ、マルコス政権は戦略的利益や対大国関係のバランスを慎重に見極め、前政権の路線の修正を図っている。本短評は、米中対立の焦点であり、フィリピンにとって喫緊の安全保障課題である南シナ海問題に特に焦点を当て、マルコス政権の対外政策の現状を考察する。

マルコス政権の対外政策の基本方針――全方位かつ等距離を追求

 フィリピンの対外政策において、大統領は外交上の優先順位の設定を含め、きわめて大きな影響力を持つ[2]。そのため政権交代毎に対外政策は大きく変化し、例えばベニグノ・アキノ政権がとった中国との対峙・対米同盟強化の基本姿勢は、ドゥテルテ政権時には米国と距離を置き、中国に接近するものへと180度転換した。マルコス現政権の対外政策も、ドゥテルテ期ほどドラスティックではないものの、ドゥテルテ政権の外交姿勢から少しずつシフトしている。

 南シナ海問題については、2016年の仲裁判断を支持することを就任直前に早々と明言し、領有権を主張し続けるために同判断に依拠し、「我々の領海線の1ミリたりとも侵されることを許さない」と強気の姿勢を見せた[3]。こうした姿勢の背景には、南シナ海でフィリピン当局の船や漁民に対してハラスメントを続け、海上民兵が乗る漁船の大量展開によってフィリピンに圧力をかける中国に対する国民の反発がある。マルコスはこのような国民感情を考慮し、彼らの支持を得ようとした。

 また2022年7月に行われた一般教書演説で、マルコス大統領はいかなる外国勢力に対しても国土の1平方インチたりとも放棄しないと述べ、改めて強い姿勢を示した。同時に「国際社会の中ですべての国々と友人になり、どの国にとっても敵にならない」「独立した対外政策」を追求すると宣言し、同盟国アメリカとの関係を適切に保ちつつも過度の依存を避け、また中国とも対決一辺倒ではなく協力も視野に入れた対応をとることを示唆した[4]。

 外相人事でも、マルコスのバランス感覚は発揮された。政権発足と同時に外相に任命されたのは、国連大使を務めていたキャリア外交官のエンリケ・マナロであった。実務家を外交トップにつけたことは、対米・対中外交を中心とする対外政策を偏りなく現実に即して行っていく姿勢を示すものであった[5]。実際、マルコス外交のバランス感覚は大統領の外遊先に明確にあらわれた。マルコス大統領の就任後初の訪問国は、アメリカでも中国でもないインドネシアであった。東南アジアの地域大国であり2023年ASEAN議長国のインドネシアを最初に訪問したことは、マルコス外交の足場固めでもあった。

対米関係――同盟再強化の流れ

 就任直前に行われた米臨時大使との会談で、マルコス大統領はアメリカとの地位協定を維持する考えを示していた[6]。そして2022年9月、国連総会出席のため訪米した際、マルコス大統領はバイデン大統領との初会談を行った。議題の中心は南シナ海情勢であり、両国は航行の自由と紛争の平和的解決への支持を確認した。またバイデン大統領は、フィリピンンの防衛に対する米国の揺るぎないコミットメントを再確認した[7]。

 アメリカは、インド太平洋戦略に基づく同盟国との関係強化の一環として、かつ政権交代をとらえた巻き返し策として、フィリピンとの関係強化に動いている。同年11月にはカマラ・ハリス副大統領がフィリピンを訪問し、マルコス大統領と会談した。その際ハリス副大統領は、南シナ海の平和と安定に関する米国の利益と、ルールに基づく国際海洋秩序、妨げられることのない合法な商業活動、そして航行の自由を含む国際法の尊重の支持に際し、同盟国フィリピンの側に立つことを再確認した[8]。

 さらに2023年2月にはロイド・オースティン国防長官がフィリピンを訪問した。カリート・ガルベス国防大臣との会談でオースティン長官は、米比相互防衛条約の適用範囲は南シナ海のフィリピン国軍、公船、航空機に及ぶと明言したほか、両者は2014年に結ばれた防衛協力強化協定(EDCA)に基づき、従来の5カ所に加え、新たにフィリピン国軍の4カ所の拠点を米軍が使用することで合意した[9]。

対中関係――経済協力の模索

 マルコス政権は一方で、中国とは経済協力を模索した。2023年1月、マルコス大統領は中国を公式に訪問し、習近平国家主席と会談を行った。会談の中で両国は、幅広い分野での経済協力に合意し、中国はフィリピンに対し、橋の建設に充てる2億ドルの融資のほか、総額220億ドルもの投資を約束した。南シナ海問題については、これに適切かつ平和的に対処することで合意し、両国は係争海域における漁業協力について検討することとなった[10]。

 中国側にとっても、南シナ海と台湾に隣接するフィリピンは、戦略的にきわめて重要な位置にある。そのためドゥテルテ期のように、経済協力を梃子に関係を強化し、フィリピンとアメリカの関係強化にくさびを打ちたいところではある。しかし、ドゥテルテ期に中国が約束した巨額の経済協力計画の多くは、結局実施されることはなかった。中国はマルコス政権に対しても、フィリピンが本当に中国の戦略的利益にかなうのかを見極めつつ、協力を「小出し」にしていくであろう。ただあまりにも羊頭狗肉の対応をとれば、それが逆にフィリピンの離反を招くであろう。

南シナ海情勢――波は収まらず

 南シナ海では、フィリピンと中国の間でのトラブルが頻発している。2022年6月、フィリピン公船がセカンドトーマス礁における補給活動を実施しようとした際、中国海警局の船によってこれを妨害される事案が発生した[11]。同年12月には、中国が管理下に置いていない島嶼において新たな埋め立て活動を始めた兆候があるとして、フィリピン外務省が懸念を表明した[12]。

 その後も中国によるハラスメントは続いていたが、2023年2月には、セカンドトーマス礁での補給活動を行うフィリピン海上警察に対し、中国海警局の船が軍事用レーザーを照射する事案が発生した。事案を受けてガルベス国防大臣はオースティン米国防長官と電話会談し、会談でオースティン長官は、南シナ海におけるフィリピン海上警察への軍事攻撃は、米比相互防衛条約に基づく米国の相互防衛義務の適用範囲となることを再確認した[13]。

 レーザー事案はフィリピンの対中警戒感を大きく高めた。フィリピンは南シナ海での態勢強化のため、アメリカの同盟ネットワークの活用に乗り出した。2月中旬の日比首脳会談で両国首脳は、両国の共同訓練等の強化・円滑化や防衛装備・技術協力、日米比の協力強化を進めていくことで合意した[14]。またフィリピンはアメリカとの南シナ海共同パトロールを計画していたが、これにオーストラリアと日本の参加を求める意向を示した[15]。さらに、マルコス大統領はフィリピンを訪問したアンワル・イブラヒム・マレーシア首相と南シナ海問題を協議し、ASEANの枠組みにおいて新たなレベルのアプローチで問題に対処することで合意した[16]。

バランス外交のリスクと限界――台湾情勢への含意

 マルコス政権のフィリピンは、アメリカとの安全保障協力の強化と中国との経済協力強化を同時に追求してきた。マルコス大統領は「アメリカにへつらいもしないが中国と意味もなく戯れない」対外政策を追求し、それは小国が国家の発展のため、互いに対立する大国それぞれと緊密な関係を結ぶことによって戦略的自律性を最大化しようとする「サバルタン・リアリズム」とも形容される戦略である[17]。フィリピンの地政学的重要性から、米中それぞれもフィリピンとの協力強化に熱意を示している。

 しかし、対大国関係のバランスはきわめて危ういものである。実際南シナ海における中国のハラスメントの激化により、マルコス大統領は安全保障を経済に優先する選択を迫られるようになった。今後は、南シナ海に加え、台湾情勢いかんによって、フィリピンは新たな選択を迫られる可能性がある[18]。米中双方にとっての重要性ゆえに、フィリピンは双方から利益を引き出すことが可能である一方、そのバランスが崩れた場合、難しい立場に立たされることになるのである。

(2023/3/14)

*こちらの論考は英語版でもお読みいただけます。
The Philippines' policy on the South China Sea under the Marcos administration:Recalibrating its distance from the United States and China

脚注

  1. 1 Aries A. Arugay, “Foreign Policy & Disinformation Narratives in the 2022 Philippine Election Campaign,” Perspective (ISEAS Yusof Ishak Institute), June 6, 2022, pp. 4-7.
  2. 2 Aileen S. P. Baviera, “Presidential Elections and the Country’s Foreign Policy,” Commentaries, Asia Pacific Pathways to Progress Foundation, December 9, 2015.
  3. 3 Sebastian Strangio, “Philippines’ Marcos Pledges to Upholds Landmark South China Sea Ruling,” The Diplomat, May 27, 2022.
  4. 4 “Full Text: President Marcos’ State of the Nation Address 2022,” Rappler, July 22, 2022.
  5. 5 “Philippines’ Marcos appoints career diplomat as foreign minister,” Reuters, July 1, 2022.
  6. 6 Neil Jerome Morales, “Philippines’ Marcos says he discussed defence deal with U.S. envoy,” Reuters, May 23, 2022.
  7. 7 The White House, “Readout of President Biden’s Meeting with Philippine President Ferdinand Marcos Jr.,” September 22, 2022.
  8. 8 The White House, “Readout of Vice President Harris’s Meeting with President Marcos of the Philippines,” November 21, 2022.
  9. 9 U.S. Department of Defense, “Readout of Secretary of Defense Lloyd J. Austin III Meeting with Philippine Senior Undersecretary and Officer in Charge of the Department of National Defense Carlito Galvez,” February 2, 2023, “Philippines, U.S. Announce Four New EDCA Sites,” February 1, 2023.
  10. 10 Ministry of Foreign Affairs, People’s Republic of China, “Joint Statement between the People’s republic of China and the Republic of the Philippines,” January 5, 2023.
  11. 11 Asia Maritime Transparency Initiative, “Update: China Blocks Another Philippine Resupply Mission,” July 27, 2022.
  12. 12 Philip J. Heijmans, “China accused of new territorial grab in South China Sea,” Japan Times, December 21, 2022.
  13. 13 U.S. Department of Defense, “Readout of Secretary of Defense Lloyd J. Austin III’s Call with Philippine Senior Undersecretary and Officer in Charge of the Department of National Defense Carlito Galvez,” February 21, 2023.
  14. 14 外務省「日・フィリピン首脳会談」2023年2月9日。
  15. 15 Karen Lema, “Exclusive: Japan, Australia may conduct South China Sea patrols with U.S., Philippines – ambassador,” Reuters, February 28, 2023.
  16. 16 Presidential Communications Office, Republic of the Philippines, “PBBM, PM Anwar agree to use new level of approach on WPS issue,” March 1, 2023.
  17. 17 Richard Heydarian, “Ferdinand Marcos Jr.’s Foreign Policy: A New Era?” Inquirer.Net, June 14, 2022.
  18. 18 「『アジアを陣取りの対象にさせない』マルコス大統領、初訪日の狙い」『朝日新聞』2023年2月9日。