アメリカでバイデン政権が発足してから1年半が経過した。バイデン大統領は、政権発足当初より、インド太平洋政策の一環として東南アジアを重視する姿勢を見せていた[1]。以来同政権は、その方針を実現するべく、様々な政策を打ち出し、実施してきた。これに対し、東南アジア側は必ずしも歓迎一色のムードではない。両者間には現在、様々な期待と現実のギャップが生じている。

 こうした問題意識を前提に、本小論は、東南アジア諸国連合(ASEAN)を中心とするバイデン政権の対東南アジア政策と、東南アジア側の反応を考察し、今後を展望する。

東南アジアの対米認識――バイデン政権発足当初の大きな期待

 バイデン政権の発足に際し、東南アジアはアメリカが東南アジア地域への関与を再び深めることを強く期待していた。シンガポールの東南アジア研究所は、2020年末から翌2021年初にかけて、東南アジアの学術・ビジネス・メディア・政府関係者を対象とした世論調査を実施した。同調査の結果によると、トランプ政権下でアメリカの東南アジア関与は「減少している」と回答した人が77%、「増加している」と答えた人はわずか10%だったのに対し、バイデン政権では「減少する」が7%、「増加する」が69%と正反対の結果となった。同様に「アメリカは信頼できる戦略的パートナーか」との問いに対し、Yesの割合は前回調査の35%から55%へと大きく増加した[2]。

 バイデン政権への期待感は、オバマ政権期アメリカへのノスタルジーであった。当時アメリカは、ASEANの多国間主義への関与を深め、東南アジア友好協力条約(TAC)に加盟し、東アジア首脳会議(EAS)の正式なメンバーとなったほか、オバマ大統領はEAS参加のため、毎年東南アジアを訪れた。また環太平洋パートナーシップ(TPP)を打ち出し、東南アジアを含むインド太平洋地域にまたがる多国間経済協力枠組みの構築を目指すなど、経済協力にも積極的であった。オバマ政権で副大統領だったバイデンが、TPPからの脱退やEASへの不参加など、東南アジアやASEANに対して消極的かつ無関心であったトランプ大統領の政策を転換し、オバマ時代に「回帰」することへの期待が高まっていた。

バイデン政権の東南アジア政策――錯綜するメッセージ

 東南アジアはバイデン政権に強い期待を寄せていたが、政権発足後の半年間は、アメリカから東南アジアに対する具体的な外交アクションはなく、東南アジア側は肩透かしを食った。バイデン政権は発足当初、パリ協定や世界保健機関(WHO)への復帰、欧州との関係立て直し、そしてQUAD諸国との関係強化に忙殺され、東南アジアに振り分ける外交的リソースの余裕はなかった。これは、東南アジアがバイデン外交の最優先課題ではないことを示していた[3]。

 東南アジアは半年間「放置」された後、ようやくバイデン政権の対東南アジア外交が本格始動したが、それは当初の出遅れを取り戻すかのような、かなりインテンシブなものであった。まず、2021年7月にブリンケン国務長官がASEAN諸国との特別外相会議をオンラインで行い、同月下旬にはオースティン国防長官がシンガポール、ベトナム、フィリピンを歴訪し、特にフィリピンでは、米比地位協定(VFA)の存続をドゥテルテ大統領との間で正式に確認した。また同年8月、ハリス副大統領がシンガポールとベトナムを再度訪問した。さらに、シンガポールとベトナムという訪問先の偏りを正すかのように、12月にはブリンケン国務長官がインドネシアとマレーシアを訪問した(タイへの訪問も予定していたが、コロナ情勢の悪化によりキャンセルとなった)。

 バイデン大統領自身も、10月にオンラインで米ASEAN首脳会議に出席した。ただ大統領自身の東南アジア訪問はいまだ実現しておらず、またインドネシアとシンガポール以外、2国間の首脳会談も行われていない。

 こうして対東南アジア外交が集中的に展開される一方、インド太平洋におけるミニラテラルな連携強化の動きが活発化し、東南アジア側には困惑も生じた。

 2021年3月にオンラインで行われたQUAD首脳会議で日米豪印4カ国は、コロナウイルスワクチン、気候変動、重要・新興技術に関する協力強化で合意し、QUADの枠組みを安全保障中心からより包括的な協力枠組みに再定義した。この動きに対し、東南アジアは概ね好意的な反応を示した。先述の東南アジア研究所が2021年末に行った調査によると、ASEANとQUADの協力に関し、6割近くの回答者が賛成し、明確に反対の意を表しているのはわずか10数%であった[4]。対中封じ込め色を薄めたQUADの質的変化は、東南アジア側の意を汲んだ側面もあり、ASEANとQUADの協力の円滑化を促すものであった[5]。

 一方で2021年9月、米英豪3か国は、米英の豪に対する原子力潜水艦技術供与を軸とする協力枠組みとして、AUKUSの発足を宣言した。AUKUSは、東南アジアを非核地帯とするASEANの共通認識に鑑み、かつ米中間の軍事的緊張が高まることによって東南アジアを含むインド太平洋地域全体が不安定化することを不安視するインドネシアやマレーシアにとって、新たな懸念材料とみなされた。これに対し、南シナ海で中国に対峙するベトナムやフィリピン、アメリカの地域への軍事的関与の強化を求めるシンガポールは、AUKUSを地域安全保障に資する枠組みとして支持又は容認する姿勢を示した[6]。

 さらに、バイデン政権が重視する民主主義の基準が、東南アジア諸国を「選別」した。2021年12月に行われた民主主義サミットには、インドネシア、マレーシア、フィリピンの3カ国のみ招待された。共産党一党独裁体制のベトナムは仕方がないとしても、マレーシアと政治体制が近く、アメリカと戦略的枠組み協定を結んでいるシンガポールも招かれなかった。米国務次官補は、同サミットは緊密なパートナーとアメリカの関係の強さを図るものではない、と火消しに回ったが、民主主義の基準に基づく選別は、ASEANの一体性と米ASEAN協力にはマイナスに作用した[7]。

 2022年2月にホワイトハウスが発表した『インド太平洋戦略』では一転して、ASEANの重要性と中心性への支持を強調する内容が盛り込まれた。ASEANは「地域アーキテクチャの中心」であり、「強く独立したASEANが東南アジアをリードする」と持ち上げられた[8]。

 総じて、1年半のバイデン政権の対東南アジア外交は、そのインテンシブさゆえ、結果として東南アジアに相反する様々なメッセージを送る結果となった。そこには、民主主義の理想と現実、中国への硬軟両用の対応、多国間主義・ミニラテラルな連携・2国間関係という様々な拮抗があり、相反するメッセージは、様々な対抗軸のバランスを試行錯誤するプロセスそのものであった[9]。バイデン政権の東南アジアに対する錯綜したメッセージングは、アメリカの意図や東南アジアへの関与の意思に関し、東南アジア側の認識を混乱させるものであった。実際、東南アジア研究所が2021年末に行った調査の結果によると、東南アジアのアメリカに対する信頼は、前回の55%から43%に低下した[10]。

米ASEAN特別首脳会議の開催

 アメリカの東南アジアに対する様々な外交メッセージは、米ASEAN特別首脳会議の開催と共同ビジョン声明の発表により、いったん整理された。同会議は、トランプ政権時に計画されてから何回も延期されていたが、2022年5月、ようやくワシントンで開催された。2016年2月にオバマ大統領が主催して以来、ASEAN各国首脳を招いた対面での開催は、2回目であった。会議には、2022年のASEAN議長国カンボジアのフンセン首相をはじめとして、ASEAN8カ国の首脳が出席したが、ミャンマー軍事政権は招かれず、フィリピンのドゥテルテ大統領は大統領選を理由に欠席し、代理としてロクサン外相が参加した。

 会議に際して発表された共同ビジョン声明には、バイデン政権の対東南アジア外交の基本姿勢が明示され、コロナ対応、経済協力、海洋安全保障、人的交流、メコン、科学技術、気候変動、信頼醸成という8つの協力分野が包括的に盛り込まれた。コロナ対応や経済協力を前面に出し、南シナ海問題をはじめとする海洋安保はその後に言及するなど、ASEANの選好に配慮した配置であった。またミャンマーやウクライナ情勢についても文言がまとまり、ミャンマー情勢に関してASEANの5つのコンセンサスへのコミットメントを再確認すると同時に、ロシアに対して名指しの非難はないものの、ウクライナにおける主権、政治的独立、領土の一体性の尊重を再確認した[11]。

 その他、中国やオーストラリアと同様に、アメリカはASEANとの包括的戦略パートナーシップの締結に向け協議していくことになった。またトランプ政権以来空席となっていたASEAN大使が任命されたことに、ASEAN側は歓迎の意を表した。総じて、首脳会議の開催と共同ビジョン声明の発表により、両者の相互理解は深まり、現状最適と考えられる協力の基本方針が定まったといえるだろう。

課題と展望

 今後、東南アジアとアメリカが実際的な協力を深化させるには、以下の3つの課題がある。

 第1に、アメリカの対東南アジア政策の一貫性である。アメリカは政権毎の方針や大統領個人の選好によって対外政策が大きく変化するが、特に、2国間の貿易不均衡に固執し、ASEANの多国間主義を無視したトランプ政権の対東南アジア政策は、東南アジア側にとってトラウマにすらなっている。バイデン政権の方向性は概ね東南アジアの意向に合致しているが、来る中間選挙や次の大統領選の結果次第では、再度政策が大きく変化する可能性があり、東南アジアはそれを懸念している。

 第2に、アメリカが提唱した、インド太平洋経済枠組み(IPEF)の今後である。東南アジアは、世界最大の経済大国であり、東南アジア各国の最大の輸出先であるアメリカが主導する経済協力枠組みへの参加を切望していた。IPEFは米国市場へのアクセスを盛り込んでいないため、東南アジアにとっては不満の残る枠組みではあるが、ブルネイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナムの7か国は早くも参加の意思を表明している。IPEFが環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(CPTPP)や地域的な包括的経済連携(RCEP)と並んで包括的かつ有効な協力枠組みとなるか、それにより東南アジアの経済面での対中ヘッジが有効に機能するかが、今後の焦点となろう。

 第3に、民主主義の理想と現実のギャップに対し、アメリカが今後どのように対処していくかである。ミャンマーの例を筆頭に、東南アジア各国では権威主義的傾向が強まっている。中国への対応を念頭に、各国の為政者と協力関係を築くためには、アメリカ側に民主主義の理想を棚上げした現実的な対応が求められる。しかし、そうした対中対応や連携が行き詰まった場合には、東南アジアとアメリカの協力の限界と課題が表出するであろう。

 (本稿の見解は筆者個人のものであり、筆者の所属組織の公式見解ではない)

(2022/07/28)