韓国文在寅政権の「新南方政策」

 韓国の文在寅政権は2017年、「新南方政策」を打ち出した。この政策は、東南アジア諸国連合(ASEAN)とインドを対象として、より戦略的かつ包括的な関係構築を目指すアプローチである。韓国の新南方政策大統領委員会の説明によると、政策は「人々の共同体」「繁栄の共同体」「平和の共同体」という3つの共同体を土台とし、それぞれ人々の往来と交流の促進、貿易、投資、インフラ開発の促進、そして朝鮮半島政策や防衛分野での協力の促進、からなる[1]。これら3つの共同体は、ASEAN共同体(ASEAN Community)の掲げる「3つの柱」、すなわち社会文化共同体(Socio-cultural Community)、経済共同体(Economic Community)、政治安全保障共同体(Political-security Community)に1対1で対応しており、韓国がASEANの共同体構築路線と軌を一にして協力を促進する姿勢を明確にしている。
 韓国の国立外交アカデミーの崔源起教授によると、新南方政策は、経済貿易関係の多角化、ミドルパワー協力に基づく外交的リバランス、インド太平洋における多国間枠組みへの再関与、といった点から特徴づけられる。総じて、韓国の対外関係は政治、経済、安全保障のあらゆる分野において米国や中国、そして日本との2国間関係に大きく規定され、かつそれぞれの2国間関係において困難な課題を抱える中、韓国はそうした外交的な行き詰まりを打開する対外的な出口として、ASEAN(とインド)を見出したといえるだろう。また崔源起教授は、ASEANのすべての国々が北朝鮮と外交関係を有するという特性にも注目し、韓国の北朝鮮政策打開の糸口としても対ASEAN協力を位置付けている[2]。

韓国文在寅政権の「新南方政策」

ASEANの対外関係における韓国の位置

 ASEANと韓国の協力関係の歴史は、日本や米中同様、長い。韓国は1989年よりASEANの対話国であり、年1回のペースで韓ASEAN首脳会議を開催するほか、ASEANプラス3を含め、ASEANが設立したすべての多国間枠組みのメンバーとなっている。この意味では、韓国はASEANとの関係を強化する基本条件をすでに満たしている。
 現在、東南アジア地域において韓国がその存在感を示す分野は2つある。第1にサムスン、LGなどの携帯電話、テレビをはじめとする電化製品に代表される韓国企業が製造する工業製品の著しい普及であり、第2に「韓流」のドラマや歌手の東南アジアにおける熱狂的ともいえる人気である。つまり、東南アジアにおける韓国の存在感は、ハード・ソフト両面において、経済と文化に集中していたといえる。

ASEANの対外関係における韓国の位置

 これに対し、政治や安全保障での分野においては、韓国の存在感は比較的希薄であった。ASEANが直面する安全保障課題のうち、例えば南シナ海問題に関しては、航行の自由や海洋秩序の維持を含め、韓国は自らの立場やアプローチを明確にはしてこなかった。こうしたあいまいな態度は、中国に対する配慮という側面が強く表れていた。安全保障協力において韓国が注力した分野は、装備の輸出であった。例えば、韓国はフィリピンに対してT-50練習機、インドネシアにはチャン・ボゴ級潜水艦、そしてタイにDW3000フリゲート艦を販売した実績がある[3]。装備協力への集中は、ASEANとの戦略的観点からの協力というよりは、韓国の軍需産業の活性化という経済目的を強く印象づけるものであった。

韓国の対ASEANアプローチの「新たな地平」は開けるか

 こうした観点からは、今回の新南方政策は、従来の韓国の対ASEANアプローチにおける分野的な偏りを排し、より包括的な関係構築を目指し、協力分野を戦略面にまで拡大する野心的な政策である。その意味で、韓国が新南方政策の3つの共同体の1つである「平和の共同体」として戦略分野、外交や安全保障でASEANとの協力を促進することをうたい、ASEANとの関係に新たな局面を切り開く意思を示した点は注目に値する。特にASEANの枠組みでの協力について韓国は、ASEAN地域フォーラム(ARF)、東アジア首脳会議(EAS)、拡大ASEAN国防相会議(ADMMプラス)といった主要な多国間枠組みにすべて加わっており、関係強化の土台はすでに整っている。「平和の共同体」の内訳としては、トップレベルを含む高官交流、朝鮮半島政策での協力、国防や軍需産業での協力の拡大、テロ・サイバー・海洋の安全保障での協力、地域の有事に際しての対応能力の強化、が列挙されている[4]。
 また戦略的含意を持つ政策として、インフラ協力がある。中国は「一帯一路」構想の一環として東南アジアにおけるインフラ開発協力を強力に推進しており、これに対し日本や米国も東南アジアにおけるインフラ開発を活性化させようとしている。米中対立を背景に韓国は、「第3の道」を行くインフラ協力を志向している。韓国は、中国の「一帯一路」構想と日米の「自由で開かれたインド太平洋」、特に日本が推進する「質の高いインフラ」の間にあるニッチ市場の開拓を追求している[5]。

韓国の対ASEANアプローチの「新たな地平」は開けるか

ASEANの反応と今後の課題

 ASEANは基本的に、韓国の関与の強化と多角化を歓迎している。ASEANの対外関係の基本路線は、米中2大国の過度な影響から逃れる戦略的自立性の確保と拡大である。その意味で、多角的な対外関係の軸足の1つとして、伝統的な協力国である韓国のいっそうの関与を否定する理由はない。
 2019年11月、対話国関係樹立30周年を記念して、韓ASEAN首脳会議が釜山で開催された。その際発表された共同議長声明は、総論として「新南方政策」に基づく韓国の対ASEAN関与の強化と、最近では「ASEANのインド太平洋展望」(ASEAN Outlook on the Indo-Pacific)に代表されるASEAN中心性への支持を歓迎している。ASEANと韓国は、将来の地域秩序をめぐる米中間の対立で、どちらにも過度にくみしない中道路線を探る点でも関心を共有している。同声明は、両者の政治安全保障協力に関し、サイバー、テロ、海洋安全保障といった非伝統的脅威への対応や核の平和利用を列挙しており、特に核の平和利用を強調する点には、韓国とASEANに固有の関心分野が表れている[6]。
今後の課題はひとえに、協力の具体化に集約される。経済面では、従来の韓国の経済協力や投資はベトナムに集中しており、ASEAN域内における協力の多角化が課題となっている[7]。また、装備輸出や2国間・多国間の各種戦略対話以外の安全保障協力は、いまだメニュー豊富とは言えない。さらには、戦略面での協力、特に南シナ海問題に韓国がどのように関与するかという点を明確にすることは、ASEANとの安全保障協力を拡大する観点からは、今後重要になってくるだろう。

(2020/03/04)