2018年3月5日、米海軍の大型空母「カール・ビンソン」がベトナム中部のダナンに寄港した。これはベトナム戦争後、米海軍空母初のベトナム寄港であった。同空母の5日間の寄港中に米海軍関係者は、ベトナム人民軍のみならず、ダナンの一般市民とも各種交流行事を行った[1]。ダナンは、1965年に米海兵隊が上陸した地点であり、その後当時の北ベトナムとアメリカ・南ベトナムの間で泥沼の戦争が10年にわたって続いた。ベトナム戦争時の戦闘の激烈さ、枯葉剤を含む一般市民が受けた被害の悲惨さ、そしてベトナム戦争がアメリカ社会や世界に及ぼした影響の大きさに鑑み、今回戦争終結から実に40年以上を経て、米海軍空母が、敵ではなく友好と協力のパートナーとしてかの地を訪問したことは、歴史的にも非常に感慨深い話である。
今回の寄港は、ベトナムの対米安全保障協力の1つの到達点であった。1995年にアメリカとの国交を正常化したベトナムは同時に、同国と安全保障での協力に踏み出した。しかし、相互の不信感も根強く残っていた当初、協力の歩みはきわめてゆるやかなものであった。両者の協力が急速に進展するきっかけとなったのは、南シナ海問題の再燃である。中国の海洋進出の活発化により同海域をめぐる両国の戦略的利益が接近したことを背景に、ベトナムはアメリカとの協力に積極的となった。2009年以降、南シナ海を航行する米空母がベトナムの沖合に一時停泊し、ベトナム軍・政府関係者が空母を訪問する交流行事が開催されるようになったほか、2010年8月、空母「ジョージ・ワシントン」がダナンの沖合に停泊した際、両国海軍間で捜索救難の共同演習が初めて実施された。また同じ月には次官級の米越国防政策対話の初会合がハノイで開催され、以後両国はワシントンかハノイで毎年対話を実施している。2011年9月には「防衛協力の推進に関する覚書」が締結され、ベトナムはアメリカとの間で海洋安全保障や平和維持活動、人道支援・災害救援の分野で協力を推進することに合意した[2]。
「裏の主役」は中国
ベトナムとアメリカの2国間関係、特に安全保障協力における「裏の主役」は中国である。ベトナムがアメリカとの安全保障協力を本格化させたのは、南シナ海における中国との緊張の高まりが原因であった一方、ベトナムは中国の反応を注意深く観察しつつ、きわめて慎重にアメリカとの協力を進めてきた。2010年の共同演習を機に対米安保協力を本格化させた際ベトナムは、他国との安全保障協力の原則として「3つのNo」(ベトナム語で“Ba Không”、同盟関係にならない、外国軍の基地をベトナムに置かない、2国間の紛争に第3国の介入を求めない)を表明し、中国の警戒感を鎮めようとした。また協力の内容としても米空母を沖合の停泊にとどめ、共同演習の内容は捜索救難という非伝統的分野に限定するなど、ベトナムはアメリカとの協力を決して同盟関係には近づけない、との意思表示に余念がなかった。その後ベトナムは、戦略の要衝カムラン湾へ米海軍の非戦闘艦艇が定期的に寄港するようになった時にも、寄港を年1回に制限した。
こうしたなかで、2014年のオイルリグ事案は、ベトナムの対米安保協力の分水嶺となった。同年5月初め、ベトナムが中国と南シナ海で領有権を争っているパラセル諸島近海において、同諸島を事実上支配する中国が石油掘削装置(オイルリグ)を設置し、掘削作業を開始したことにある。ベトナムは、これを中国によるパラセル支配の既成事実化の強化ととらえて激しく反発し、海上警察の船を現地に派遣するなど抵抗の意思を示した。この事案により中国との関係を2国間で管理することに限界を感じたベトナムは以後、アメリカとの一層の関係強化を模索するようになった。2015年7月にはベトナム共産党書記長による史上初の訪米が実現し、2016年5月にアメリカは対越武器禁輸措置の完全撤廃を宣言したことは、両国間のさらなる接近を印象付ける出来事であった。さらに同年10月、米海軍の戦闘艦2隻が初めてカムラン湾に入った。
トランプ政権発足後もベトナムは、アメリカの新たな政権との関係構築に大きな努力を払い、結果オバマ前政権時同様の協力関係を築いている。2017年6月にグエン・スアン・フック首相は東南アジアの政府首脳として初めてワシントンを訪問してトランプ大統領との会談を果たし、11月にはトランプ大統領がダナンでのアジア太平洋経済協力(APEC)会議に出席後ハノイに移動し、グエン・フー・チョン共産党書記長と会談するなど、ベトナムはアメリカとのトップレベルの外交関係の構築に成功したといえる。
フィリピンの方針転換と中国との微妙なバランス
南シナ海で中国と向き合うベトナムにとって、東南アジア諸国連合(ASEAN)の枠組みは、ASEAN加盟国の集団的な外交力を用いて大国に対処する観点から大きな意味を持ったが、近年そうした方策に課題が生じている。その最大の原因がフィリピンの方針転換である。2016年6月に発足したドゥテルテ政権は、アキノ前政権の方針であった中国との対決姿勢を180度転換し、一切対決的な姿勢をとらない融和姿勢になった。この意味で、ベトナムは図らずしてASEANで孤立しかねない状況となった。ASEAN内における協力に大きな障害が生じたベトナムは、アメリカやその他のパートナーとの協力強化を進めた。ASEAN関連会合がマニラで開催されていた2017年8月上旬、ゴ・スアン・リック国防相はワシントンを訪問し、マティス国防長官と会談した。両国はその際、2018年に米海軍空母がベトナムに初めて寄港することで合意し、2018年1月にマティス国防長官がベトナムを訪問した際、両国は寄港を正式に発表した。
従来、米空母はダナンやホーチミンの沖合に停泊し、そこにベトナムの軍関係者が訪問し、交流行事を行う方式を続けてきた。そのため、今回米空母がダナンに寄港したことは、ベトナムがアメリカの軍事プレゼンスをより深く受け入れることを(主として中国に対して)示す象徴的な事例であり、両国の安全保障協力がもう一歩進んだことを示した。ただ、今回の寄港はあくまで象徴的な行事にとどまり、ベトナムがアメリカとオペレーション面で一歩進んだ協力を行うことはなかった。実際、寄港に際して行われたことは記念行事や交流イベントにとどまり、共同演習も行われないなど、協力内容はこれまでより一層抑制的であった。
これはベトナムにとって、どのように中国の反発を抑えるかという課題に深く関係する。「カール・ビンソン」のベトナム寄港に対し、中国は一貫して静観する姿勢を保った。つまり今回の寄港では、中国が過剰反応を示さない範囲内でアメリカとの協力を一歩進めるというベトナムの慎重姿勢が功を奏したといえる[3]。ベトナムが中国を過度に刺激することを注意深く回避したということは、米空母のベトナム寄港が中国の南シナ海における権益や影響力を実質的には侵害しないとの認識を中国が持ち、これを了解したということでもあった。あるいは中国は、中国が現在許容できる範囲内でベトナムとアメリカの協力の深化を認めたともいえる。中国がもしベトナムに過大な圧力をかけ、ベトナムが決定的にアメリカ側に立つ事態となれば、それは南部でベトナムと国境を接する中国自体の安全保障問題と化す可能性があり、ベトナムのみならず中国にとってもバランスのさじ加減が重要となる。今回の「カール・ビンソン」寄港においては、ベトナムとアメリカ間の2国間協力が進展したのみならず、ベトナム・中国間のいわば共通了解をめぐるゲームも同時に進行したと解釈できる。
こうしたベトナムの対米・対中関係のバランスのとり方に関し、米側には、ベトナムがアメリカに南シナ海においてどのような役割を期待しているのか判然としないという見解もある[4]。ベトナムとアメリカの南シナ海における戦略的利益の接近が両国の安全保障協力の強化をもたらしたが、協力が一程度深化した今後、協力のあり方をめぐり、例えば米国が南シナ海でベトナムとより実際的な協力を求める一方、中国に配慮するベトナムがそうした協力に消極的な態度を示すといった具合に、両者が認識ギャップを逆に拡大させる可能性もある。南シナ海をめぐる米越協力の進展と、米越中の三角関係の動きを今後とも注視したい。
(本稿の見解は筆者個人のものであり、所属組織の公式見解ではない)
脚注
- 1Công Thông tin Điện tử, Bộ Quốc phòng Nước Cộng hòa Xã hội Chủ nghĩa Việt Nam, “Tàu Sân bay Hoa Kỳ thăm Việt Nam,” March 5, 2018.
- 2庄司智孝「ベトナムの対米安全保障協力 歴史的経緯、現状と将来展望」『防衛研究所紀要』第20巻第2号(2018年3月)、5~7ページ。
- 3“VN muốn trấn an TQ về chuyến thăm của USS Carl Vinson,” BBC Tiếng Việt, March 4, 2018.
- 4“Landmark US carrier visit to Vietnam begins Monday,” Bangkok Post, March 5, 2018.