ロヒンギャ問題――多民族国家ミャンマーにおける特殊性

 少数民族問題は、東南アジアの古くて新しい、かつ解決困難な課題の1つである。ミャンマーを含むすべての東南アジア諸国は、自らを多民族国家と規定している。東南アジアの多民族国家にとって少数民族問題は、国民国家の建設過程における国民統合の根幹に関わる、国家の存立と安定にとっての根本的な課題である。一方で少数民族と多数派民族の共存は、時として少数派の一部が反体制運動や分離独立運動に身を投じることから、国内治安に関係する広義の、非伝統的な安全保障課題でもある。

 東南アジアにおいて現在、最も深刻な少数民族問題の1つとして国際社会の耳目を集めているのは、ミャンマーのロヒンギャの人々をめぐる問題である。同国の西部ラカイン州に住む100万人のロヒンギャの人々は、ミャンマー国内で多数派の仏教徒に対して少数派イスラム教徒である。ミャンマー政府は、多民族国家として135もの少数民族と多数派ビルマ族との共生を標榜している。しかし、ミャンマーでは建国以来、主として国境付近の少数民族の各武装組織と軍の戦闘が散発的に続いている。またロヒンギャに関しては、政府はそもそも彼らを少数民族とも認めず、単に「ベンガルからの不法移民」とのレッテルを張り、国籍も付与してこなかった。これは、仏教徒を中心とする多数派の人々の、ロヒンギャに対する反感や差別意識も反映していた。[1]

 長年の軍政を経て、2011年からミャンマー社会において政治的自由が拡大したが、そのことで、仏教徒の一般市民が持っていた根強い差別意識が政治的主張の一種として顕在化した。また従来の軍による統制が弛緩し、社会的な不満が噴出しやすい状況が生じていた。そうした中で、2012年のラカインにおける仏教徒との衝突をきっかけに、ロヒンギャに対する迫害が顕在化し、政府は彼らを特定の区画に隔離する政策をとった。ロヒンギャ問題は東南アジアにおいて、多民族国家における共生の困難さを象徴的に示す問題となった。ロヒンギャの人々のなかには暴力や迫害を逃れてタイやマレーシアに逃げる人もいたが、中には人身売買の対象になることもあった。タイとマレーシアの国境地域では2015年、人身売買組織のロヒンギャ収容施設が相次いで摘発され、現地では多数のロヒンギャとみられる遺体が発見された。

 ロヒンギャ問題は現在、一層深刻化している。2017年、ロヒンギャの武装組織が軍を襲撃したことをきっかけに、軍がロヒンギャ住民の排斥に乗り出した。そのためラカインから70万人ともいわれる大量の難民が発生し、隣国バングラデシュに流入した。現在、いかに彼らを安全にミャンマーに帰還させ、安全な暮らしを保証するかについて、ミャンマーとバングラデシュの2国間の枠を超え、欧米諸国も関心を強める国際的な人権問題として、国連が深く関与するに至っている。

 この困難な問題に対処するために、ミャンマー政府の早急かつ実効的な対応が求められている。しかし、アウンサンスーチー政権は国内で2つの壁に直面している。第1に、軍のコントロールである。ミャンマー政治において、軍は文民政権から独立した存在であって、文民統制は機能していない。第2に政権は、ロヒンギャに対する国民の根強い反発から、 思い切った政策をとることが難しい。軍政から脱却し、民主政治への道を歩み始めたミャンマーでは、逆に国民の支持の観点から深刻な人権問題への取り組みを妨げられるという矛盾が生じている。ミャンマー政府のロヒンギャ問題への解決について国際社会の支援が必要な状況であるが、欧米諸国は逆に、人権侵害に適切な措置を取らないとしてスーチー政権に対する批判を強めている。スーチー政権は2019年1月、憲法改正のための委員会を発足させることを決定した。これは、軍の政治的独立性を規定した憲法の条項を改正する第一歩と考えられる。ロヒンギャ難民の安全な帰還は喫緊の課題であるが、ロヒンギャを含む国民和解と統合は、長い時間を要する取り組みとなろう。

“ASEAN Way” とミャンマー――歴史的経緯

 東南アジア諸国連合(ASEAN)は、長年 “ASEAN Way” なる独自の組織運営原則を掲げ、それを守ってきた。 “ASEAN Way” は大きく、内政不干渉とコンセンサスによる意思決定、の2つの原則から成り立っている。このうち内政不干渉原則は、それぞれに複雑な国内事情を抱える加盟国が、一体となってASEANという地域協力機構を存続させていくための運営の知恵であった。同原則は、1976年の東南アジア友好協力条約(TAC)に、ASEAN加盟国同士の関係を律する原則の1つとして明記され、2008年に発効したASEAN憲章にも継承された。[2]

 2000年代後半、ASEANが長年尊重してきた内政不干渉原則を今後も守り続けるか否かの議論が起こった。その直接の原因は、当時ミャンマーで発生した軍事政権による民主化運動の弾圧であった。当時民主化運動の旗手であったスーチー氏を長期間自宅に軟禁し、市民によるデモを武力で鎮圧した軍政に対し、欧米諸国を中心として国際社会の批判が強まった。その際、ミャンマーを加盟国とするASEANでは、国際社会において責任ある地域協力機構として、同国に状況改善に向けた働きかけを行うべきとの議論が起こった。しかし、内政干渉を憂慮する一部の加盟国の反対もあり、結局ASEANは何ら実効的な措置をとることはなかった。その後ミャンマーは2011年のテインセイン大統領就任以来、いわば「自発的に」政治的自由を拡大する方策をとった。こうしてミャンマー問題が「自発的に」収束して以来、ASEANの内政不干渉原則の見直しに関する議論は急速にしぼんでいった。

ロヒンギャ問題へのASEANの関与――意欲とためらい

 今日、ロヒンギャ問題が深刻化するに従い、ASEANも適切な関与を模索するようになった。その背景には、欧米諸国がミャンマーとスーチー政権に対する批判を強め、一部は同国に対する制裁を検討する中、ASEANも国際社会において責任ある政治主体として相応の関与や貢献をすべきとの問題意識がある。それは、過去にミャンマーの民主化問題で適切な対応をとることができなかった苦い経験をASEANに想起させる。また2015年に地域共同体となったASEANは、域内の問題に対して実効的な方策をとる義務感を感じている。さらに、ASEAN加盟国のうちムスリムが多数派を占める国々は、ミャンマー政府の対応を強く批判し、ASEANの積極的な介入を訴えてきた。特にマレーシアのナジブ・ラザク前首相は、自らの汚職疑惑で国民からの支持が低下する中、ミャンマーに対する批判を強めることで国民の支持を得ようとしていたふしがある。[3]

 2018年11月にシンガポールで行われたASEAN首脳会議の議長声明は、ロヒンギャ問題に関するASEANの認識と対策について、次のように述べている。

  • 我々は、ラカイン州における懸念すべき人道問題(ASEANは、「ロヒンギャ」という呼称自体を公式に認めていないミャンマー政府に配慮し、このような表現を使用している)についてミャンマー政府から報告を受け、討議した。
  • 我々は、バングラデシュとミャンマーが(バングラデシュへ逃れた)避難民の帰還を開始することで合意したことに留意した。
  • 我々は、帰還プロセスにおいてミャンマーを支援するため待機しており、ミャンマーが協力可能な分野を探るための調査チームを派遣するAHAセンターを招待したことを歓迎する。
  • 我々は、ミャンマーがラカイン州の安全を可能な限り効果的に保障し、避難民の安全で尊厳ある方法による自発的な帰還を約したことを歓迎する。
  • 我々は、ミャンマー政府、国連難民高等弁務官、国連開発計画の3者間で調印された帰還に関する覚書が完全に履行されることを期待している。
  • 我々は、紛争の根本的原因に対処し、影響を受けたコミュニティが生活を再建することができる再生力ある環境を創出するための包括的かつ継続的な解決法を見出す必要性を強調した。
  • 我々は、ラカイン州に関する諮問委員会の最終報告の勧告を実施するようミャンマーに働きかけた。
  • 我々は、ミャンマー政府によって設立された独立調査委員会が、人権侵害疑惑その他について独立かつ公平な調査を実施することによって説明責任を追求すること期待する。
  • 我々は同時に、様々なコミュニティ間の調和と和解を促進し、ラカイン州における継続的かつ公平な発展を保証するために平和、安定、法の支配をもたらそうとするミャンマーの努力を引き続き支援することを表明した。[4]

 ここに表れているASEANの認識と対応は、ASEANとしてはミャンマーの内政に介入することなく、国連が主体となるロヒンギャの帰還事業を支援する形で、ASEANとして地域の問題に関与する、という妥協であった。ここには、ASEANとして加盟国の内政問題に関与する、しかも少数民族問題という最も機微な問題に関わることへのためらいを見て取ることができる。それは “ASEAN Way” がもたらす自己抑制が依然として強く働いている状態ともいえよう。声明にあるAHAセンターとは、防災と災害救援を主任務とするASEANの機関であり、難民の帰還事業については特にノウハウも経験も持ち合わせていない。しかも現在、ロヒンギャの帰還事業自体が停滞している。ロヒンギャ問題に対してASEANが適切な対応をとることができるか、地域共同体の実効性が問われているといえよう。

 (本稿の見解は筆者個人のものであり、所属組織の公式見解ではない)

 (2019/02/26)