東南アジア諸国連合(ASEAN)は近年、様々な安全保障課題に直面している。イスラム国(IS)の影響力が東南アジアに浸透し、2017年にはフィリピン・ミンダナオ島の都市マラウィにおいて、国軍と過激派間の激しい戦闘が発生した。そのほかミャンマーのロヒンギャ問題や、毎年のように発生するインドネシアの煙害など、東南アジアにはテロや宗教・少数民族問題、環境問題を含む非伝統的安全保障課題が山積しているといえる。
ASEANは、海洋安全保障の問題にも直面している。南シナ海における領有権や海洋権益をめぐる争いは、台頭する中国の海洋進出を最大の要因としている。従来ASEANと中国間の外交課題であった同問題であるが、近年では米国の関与するところとなり、南シナ海は米中間の軍事対立の様相をも帯びている。経済面でも台頭する中国に対し、ASEAN(諸国)は中国との関係において安全保障と経済の利益の両立を目指しているものの、中国の影響力の拡大にどのように対応(適応)するか、様々な政策局面で難しいかじ取りを迫られている。
ASEANが主催する会議において、議長国の役割は極めて重要である。議長国は会議での議題をコントロールし、共同宣言の取りまとめを行うほか、各種議長声明を自ら出す機会も多い。2012年の議長国カンボジアが、同年7月のASEAN外相会合(AMM)において、南シナ海に関連してフィリピンやベトナムの主張する対中批判の文言を拒否し、ASEAN史上初めて共同宣言を出すことができなかった「事件」は、今も関係者の記憶に新しい。一方で、アキノ前政権時代のフィリピンは、南シナ海問題において中国に対して対決的な姿勢をとり、ASEAN関連会合で強い調子の対中批判を続けたほか、2013年1月には中国を相手に国際仲裁手続きに訴えた。
しかし、2016年6月に発足したドゥテルテ現政権は、前政権の政策を180度転換した。ドゥテルテは中国との対話を重視し、ASEAN諸会合で南シナ海を強調しない姿勢をとり、2016年7月の仲裁判断を外交の場で取り上げないなど、対中姿勢を大きく軟化させている。フィリピンは、南シナ海問題を強調しない代わりに、中国からインフラ整備を目的とした240億ドルもの巨額の経済支援を取り付けた(ちなみに日本の対フィリピン援助実績は2015年度で約3.5億ドル)。
2017年のASEAN議長国フィリピンは対中融和姿勢を貫徹し、関連諸会合において中国に非常に強く配慮した会議運営を行った。特にその傾向が著しかったのは、同年8月上旬に行われたAMMとその関連会合であった。中ASEAN外相会合で両者は、南シナ海に関する行動規範(COC, Code of Conduct)の枠組みで合意したが、その中に規範の法的拘束力に関する言及は含まれなかった。そこでベトナムは、COCが法的拘束力を持つことをASEANが明確に要求する姿勢を明らかにするよう、AMM共同宣言での法的拘束力の言及を求めた。また共同宣言の取りまとめの交渉において、南シナ海で中国が進める島嶼の埋め立てに関し、ベトナムが「建設」(construction)に対する懸念を示す文言を入れるよう働きかけた。こうしたベトナムの働きかけに対し、議長国フィリピンは、以前から中国の立場を強く支持するカンボジアとともに難色を示し、結局ベトナムの提案が採用されることはなかった[1]。同会議により、アキノ政権時代にはベトナムとタッグを組んでいたフィリピンがその立ち位置を大きく変えたことが、誰の目にも明らかとなった。ベトナムはその結果、ASEAN内において明確に対中批判を行う唯一の加盟国としてその存在を(図らずも)際立たせることとなった。
2017年11月のASEAN首脳会議では、フィリピンの対中融和色がより色濃く表れる結果となった。議長声明からは従来使われていた「懸念」(concern) の言葉が消え、「ASEANと中国の関係が改善していることに留意」という融和的な文言が追加された[2]。COCの枠組みで合意した点を積極的に評価する観点からは、南シナ海に関連して中国とASEANの関係が改善しているというフィリピンの認識はある意味妥当である。しかし米戦略国際問題研究所 (CSIS、Center for Strategic & International Studies)の「アジア海洋透明性イニシアチブ」(AMTI, Asia Maritime Transparency Initiative)によると、中国はパラセル諸島を中心に2017年も島嶼の埋め立てと人工島上の建設作業を着実に進めたことが明らかとなっており、南シナ海の現状を直視する観点からは、議長声明における評価はバランスを欠いたものと言わざるを得ない[3]。
フィリピンの采配の下で2017年、ASEANの政治的な対中傾斜は一気に進行した。2018年の議長国シンガポールは、前年に中国寄りに振れたASEANの立場を、どのように修正するのか、あるいはそれを維持しようとするのか?シンガポール自体の意向を推測すると、同国はよりバランスの取れた舵取りを行う見通しがある。
第1に、シンガポールという国自体が、マラッカ海峡に依拠する海洋貿易国家として成立している観点から、現在の法の支配に基づく海洋秩序の形成を強く支持している。シンガポールはこの点、目立たぬようにではあるものの、同じく海洋、特に南シナ海における法の支配を強調するベトナムの立場を支持し、ASEANの場でたびたび協力している。
第2に、シンガポールはASEANとして大国間でその政治姿勢の均衡をとり、中立性を維持することを重視しており、かつ米中2大国との均衡の取れた関係は自らの国益に直結するためである[4]。
第3に、他の主要国の動きがある。インドのモディ首相は2018年1月25日、ASEAN10か国の首脳をデリーに招いて「印ASEAN対話国関係25周年サミット」を大々的に開催した。その際出された「デリー宣言」は、両者の安全保障協力に関連して法の支配に基づく海洋秩序を維持することを明記するなど、宣言には南シナ海における中国に対する牽制ともとれる文言が盛り込まれた[5]。中国の台頭と影響力の拡大に対し、インドもASEANへ積極的に関与する姿勢を示したといえよう。
シンガポールは現在、ASEANにおいて対中関係の調整国を担当しており、議長国という立場も相まって、2018年は中国からの強い外交圧力に直接さらされる立場にある。リーシェンロン首相が強調したように「強靭性(resilience)と革新(innovation)」に焦点を当てた、シンガポールの議長国采配に注目したい[6]。
(本稿の見解は筆者個人のものであり、所属組織の公式見解ではない)
脚注
- 1“Vietnam wants tough stand vs China, but Philippines reluctant,” The Philippine Star, August 6, 2017.
- 2ASEAN, “Chairman’s Statement of the 31st ASEAN Summit,” November 13, 2017,
- 3AMTI, “A Constructive Year for Chinese Base Building,” December 14, 2017,
- 4Albert Wai, “Looking ahead to 2018: ASEAN chairmanship poses a stern test for Singapore,” Today, January 30, 2018.
- 5Delhi Declaration of the ASEAN-India Commemorative Summit to Mark the 25th Anniversary of ASEAN-India Dialogue Relations,” January 25, 2018,
- 6Lian Buan, “Singapore’s ASEAN 2018 chairmanship to focus on ‘resilience and innovation’,” Rappler, November 15, 2017.