悪化する豪中関係
豪中関係の悪化が止まらない。そもそも中国による豪州の「重要インフラ」への投資や内政干渉、南シナ海や南太平洋への進出によって、豪中の関係は2016年頃から相当程度悪化していたが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行はそうした傾向に拍車をかけた。2020年4月にマリース・ペイン外相やスコット・モリソン首相が武漢におけるコロナウイルスの感染拡大への中国当局の初期対応などを調べる独立した検証作業(以下、「独立調査」と表記)の必要性を主張すると、中国側はこれに激しく反発し、翌月に豪州産牛肉の輸入停止や、大麦への追加関税措置、国民に向けた豪州への渡航自粛要請などの措置を次々と打ち出した。
6月13日には、中国で薬物密輸罪に問われ、7年前に逮捕されていた豪州人の被告が死刑判決を言い渡されていたことが明らかになった[1]。さらに6月19日には、豪州の政府機関や企業が数か月にわたりサイバー攻撃を受けていることを、記者会見でモリソン首相が明らかにした。モリソン首相は国名こそ挙げなかったものの、攻撃が「国家に基づく洗練された者」による犯行であることを示した。すると中国外務省の報道官は、中国がサイバー攻撃に関与しているとの説を「ナンセンス」と一蹴し、関与を否定した[2]。
こうした中国の行為や、中国の関与が疑われる行為に対し、豪州は一層反発を強めている。6月11日には、モリソン首相が議会で中国による脅しや強要に豪州は「決して屈しない」との立場を表明した[3]。さらに6月16日には、ペイン外相が豪国立大学での講演で「いくつかの国が、自由民主主義を脅かし、それらの国々のより権威主義的なモデルを促進するためにパンデミックを利用しようとしている」とした上で、人種差別を理由に豪州への渡航自粛を要請した中国政府の行為を「情報を歪める行為(disinformation)」として厳しく非難し、民主主義の分断を図る情報操作やフェイク・ニュースに立ち向かう姿勢を示した[4]。
さらに6月30日に中国の全国人民代表大会常務委員会で「香港国家安全維持法」が全会一致で可決、同日施行されると、モリソン首相は香港の状況に「深刻な懸念」を表明し、香港との犯罪人引き渡し条約を停止したほか、香港の住民の豪州への受け入れを検討していることを明らかにした[5]。その後、豪外務貿易省は、香港における恣意的な逮捕の可能性が強まっているとして、香港及び中国全土への渡航についても「高度な警戒」を呼びかけた[6]。こうした豪州の動きについて、中国政府は「内政干渉」として厳しく反発した。豪州はまた、7月13日に米国のポンペオ国務長官が中国の南シナ海における権益の主張を違法とする声明を発出すると、同月23日付のグテーレス国連事務総長に向けた書簡の中で、中国の南シナ海における領有権の主張に「法的根拠がない」との立場を表明し、米側に歩調を合わせた[7]。
豪州の国民は、こうした政府の強い対応を概ね支持している。6月上旬に行われた世論調査によれば、79%の有権者がモリソン政権による独立調査の追求を支持していた[8]。また6月24日にシドニーのローウィー研究所が発表した年次世論調査によれば、中国が世界で「責任ある行動」をとっていると答えた人の割合は前年の32%からさらに低下し、23%にまで落ち込んだ。さらに「中国が豪州に対する安全保障上の脅威」であると回答した人も、41%まで上昇していた(同様の回答をした人の割合は、2018年にはわずかに12%であった)[9]。2020年7月末現在で、豪中関係の改善に向けた兆候は見えていない。
豪州はなぜWHOに独立調査を要求したのか?
豪州によるコロナウイルスの独立調査要求を、国際機関などで影響力を強める中国に対する広い意味での「プッシュバック(押し戻し)」の一環として捉えることは可能であろう。ペイン外相は独立調査要求を表明した際、中国への配慮から初期対応を誤ったとして世界保健機関(WHO)を強く非難した米国と「同様の懸念を共有」しており、中国政府の透明性をめぐる不安が現時点で「極めて高い水準にある」と話すなど、コロナウイルスへの対応をめぐる中国への不満を露骨に表明した[10]。豪州が当初WHOではなく、別の機関の枠組みで独立調査を要求したのも、そうしたWHOや中国に対する不信に根差したものであった。
豪州による独立調査要求の裏に米国の影を見た中国は、官制メディアなどで豪州が「米国に追従」していることを繰り返し非難した。2020年5月24日付の『環球時報』は、豪州が中国との経済関係を正常に戻したければ、米中の「新冷戦」から手を引くべきだという趣旨の社説を掲載した[11]。6月中旬に中国で行われた世論調査では、「中豪関係に影響を与える最大の妨害要因は何か?」との問いに49・5%が「米国」と回答し、「イデオロギーの違い」(32・5%)や「豪国内の政治要因」(13・7%)を大幅に上回ったという[12]。
確かにモリソン首相は、4月22日のトランプ大統領との電話会談でコロナウイルスへの透明度の高い対応の重要性と、WHOの体制強化等に向けた話し合いを持つなど、この問題で米国と歩調を合わせる姿勢を示していた[13]。同じ日に南シナ海で行われた米海軍の演習に、豪州海軍のフリゲート艦1隻が加わったことは、対中政策における米豪の緊密な連携を印象付けるものであった[14]。米国のポンペオ国務長官は、中国による豪州産大麦への追加関税措置を受け、米国が「豪州と共に立つ」ことを表明した[15]。
同時にモリソン首相は、WHO批判を強め、そこからの脱退を示唆するトランプ大統領とは一定の距離を置き、むしろWHOの改革を主張していた[16]。モリソン首相はまた、中国の武漢における中国科学院の病毒研究所(ウイルス研究所)がコロナウイルスの起源であるとするトランプ大統領の主張にも、同調しなかった[17]。米国はまた、独立調査そのものは支持していたものの、5月にWHOの最高意思決定機関である世界保健総会(WHA)で採択された独立調査に向けた決議の提唱国には加わらず、また決議の一部には反対の意思すら示していた[18]。
独立調査の決議に向けた動きで豪州が協力したのは、米国と同じように中国政府の透明性の欠如に懸念を有しつつも、トランプ政権とは距離をおく欧州連合(EU)であった。豪州は自国が主張するコロナウイルスの独立調査をEUが作成した決議案に入れ込むことで、決議案の多国間化に成功し、中国を含む満場一致での採択を勝ち取った。それにより、豪州は独立調査要求における中国との対決色を薄めることに成功したとも言える。
それはまた、米中間の対立が深まり、米国のグローバルな指導力にも期待が持てない中で、豪州が価値観を共有する他の国々との連携を強化し、国際協調主義と多国間主義を再強化するための試みだったとも言える。豪州による独立調査要求は、確かに最近の豪中関係の悪化や米中対立を反映したものであったかもしれないが、同時にそれは、多国間主義に基づく国際秩序の維持の擁護という、豪州の伝統的な「ミドルパワー外交」に根差したものでもあった。
今後の見通し
豪中の関係は、今後も悪化の一途を辿るのだろうか。中国との対立が南シナ海や南太平洋における中国の影響力の拡大という構造的な要因に基づく以上、両国の関係が以前のような状況に戻ることは考えにくい。その一方で、豪州が米中「新冷戦」に全面的に参戦し、経済面での対中「デカップリング」に動く可能性も低い。そもそも、米国に比べ人口が圧倒的に少なく、国内の製造業も遥かに小規模な豪州が、全貿易量の4割を占める中国との貿易関係を断つことは自殺行為に近い。本年5月に英国のシンクタンクが出した報告書によれば、輸出のみならず輸入面においても、豪州の中国に対する「戦略的依存度」は「ファイブ・アイズ」(米、英、加、豪、NZ)の中でも群を抜いていた[19]。近年の政治関係の悪化にも関わらず、2018年に豪中間の貿易は前年比で17%も上昇していた。
無論、輸出・輸入双方における中国への依存を減らすために、貿易やサプライチェーンの「多角化」に向けた動きは今後も一定程度進むであろう。また国内の生産力の強化に向けた経済改革も進むかもしれない。とは言え、自由主義経済において貿易の方向性を決めるのは政府ではなく、市場である。そもそも豪州の企業や大学はコロナ以前から対中依存を減らす試みを行なっていたが、さしたる成果はあがっていなかったとの見方もある[20]。中国にとっても、豪州は依然として魅力的な一次産品の供給先であり、また観光や留学先でもある。豪州国内では既に中国人観光客や留学生の減少による深刻な経済的影響も出始めており、今後両国の間で何らかの形で「手打ち」が行われる可能性も完全には排除できない。
その場合、問題となるのはむしろ米国との関係である。2020年7月23日のポンペオ国務長官の演説が示すように、米国の対中批判は中国の体制やイデオロギーにまで及び、一層先鋭化している。こうした中7月28日に開催された米豪閣僚級協議では、米軍と豪州軍による共同演習の拡大や、米軍のダーウィンへの燃料備蓄を含む米豪間の防衛協力の更なる強化が議論される一方で、米国が強く求めてきた南シナ海における「航行の自由」作戦への参加について、豪州側は態度を留保した。また記者会見で前述のポンペオ国務長官の演説に対する見解を問われたペイン外相は、「豪州には豪州の利益がある」ことを強調し、そうした姿勢との意図的な線引きを図った[21]。「旗幟を鮮明にした」とも言われる豪州であるが、米中の間でバランスを取る姿は、今後もしばらくは続きそうである。
(2020/8/13)
脚注
- 1 “Australian sentenced to death in China for drug smuggling,” BBC, June 13, 2020.
- 2 “'Nonsense': China denies role in cyber attack,” Financial Review, June 19, 2020.
- 3 Stephanie Dalzell, “Scott Morrison says Australia won't respond to Chinese 'coercion' over warning about universities”, ABC News, June 11, 2020.
- 4 Hon. Maries Payne, “Australia and the world in the time of COVID-19,” Speech, National Security College, Australian National University, June 16, 2020.
- 5 Holly Chik, “China lashes out at Five Eyes nations as Britain and Australia offer to help Hongkongers,” South China Morning Post, July 2, 2020.
- 6 Eryk Bagshaw, “Australia upgrades travel warning for China,” The Sydney Morning Herald, July 7, 2020.
- 7 Timothy Moore, “Australia rejects China's South Sea claims at UN”, Financial Review, July 25, 2020.
- 8 Geoff Chambers and Simon Benson, “Voters side with PM over China, WHO”, The Australian, June 7, 2020.
- 9 Natasha Kassam, “Lowy Institute Poll 2020”, June 24, 2020.
- 10 Brett Worthington, “Marise Payne calls for global inquiry into China's handling of the coronavirus outbreak,” ABC News, April 19, 2020.
- 11 “Australia should distance itself from a possible new China-US ‘cold war’,” Global Times, May 24, 2020.
- 12 Cong Chao, “US rated by Chinese people as biggest stumbling block in China-Australia relations: survey,” Global Times, June 24, 2020.
- 13 Andrew Tillet, “Morrison and Trump talk virus, China,” Financial Review, April 22, 2020.
- 14 Rozanna Latiff, “Australia joins U.S. ships in South China Sea amid rising tension,” Reuters, April 22, 2020.
- 15 Cameron Stewart, “Coronavirus: Mike Pompeo declares US stands with Australia on China US ‘stands with Australia’,” The Australian, May 21, 2020.
- 16 Malcolm Farr, “Australian PM pushes for WHO overhaul including power to send in investigators,” The Guardian, April 22.
- 17 Stephen Dziedzic, “Scott Morrison distances himself from Donald Trump's claim coronavirus started in a Wuhan lab,” ABC News, May 1, 2020.
- 18 Anthony Galloway, “Australia's COVID-19 inquiry presents a roadmap for a new world order”, The Sydney Morning Herald, May 23, 2020.
- 19 James Rogers, Dr Andrew Foxall, Matthew Henderson, and Sam Armstrong, Breaking the China Supply Chain: How the ‘Five Eyes’ can Decouple from Strategic Dependency, London: Henry Jackson Society, 2020, p. 24.
- 20 Frances Mao, “How reliant is Australia on China?” BBC News, June 17, 2020.
- 21 “Joint transcript: Australia-United States Ministerial Consultations (AUSMIN) ,” July 29, 2020.