新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、世界の保健医療システムに大きな脅威となり、また社会経済に深刻なダメージを及ぼしている。初期の感染は中国から、欧米諸国に広がったが、その後、中南米,南アジアやアフリカにも感染が拡大し、先進諸国だけでなく途上国においても危機的な状況が続いている。一方で、紛争のさなかにある国、あるいは紛争が終結し、安定と発展の復興プロセスを歩んでいる国の多くでは、これまで新型コロナの感染爆発はほとんど報告されて来なかった。COVID-19の感染ルートとの人の往来がそれほど多くなかったためか、あるいはそもそも感染を確認する医療システムが十分機能しておらずCOVID-19の感染を確認する手段がなかったためか、理由は判然としない。
紛争を抱える国々では、空爆やテロなどにより、日々人々が死傷し、また住むところを追われた状況下にある。先進国や通常の途上国ではほとんど脅威にならなくなった伝統的な疫病、たとえばコレラやマラリア等による被害が深刻なため、それほど大きく取り扱われて来なかったのかもしれない。しかしながら、COVID-19は、紛争国、あるいは紛争再発のリスクを抱える脆弱国に、着実に影響を及ぼしている。本稿では、どのような影響が発生しているのか明らかにしたい。
COVID-19が及ぼす影響とは?
COVID-19は、紛争国や紛争のリスクを抱える脆弱国に深刻な影響を及ぼす。紛争中の国では人々の生活環境が悪化し、紛争がさらに激化する傾向にある。また紛争が終わり復興プロセスに向かっている国や、政府のガバナンスが不十分な脆弱国では、紛争が新たに発生するリスクが高まっている。
要因として第一にあげられるのが、社会経済環境、政治環境の悪化に伴う「人々の不満の拡大」[1]である。脆弱国では、十分な医療体制がなく、またセーフティネットなど、国民の生活を守る体制が不十分なため、わずかな緊縮措置で人々の生活は危機的なレベルに達する。また多くの脆弱国では、政府による国民への十分な情報開示や説明責任の不足が政府に対する不満を募らせる要因となっている。人々は、解決策が確立していないCOVID-19におびえ、またロックダウンなどの緊縮政策で日々の生活に深刻な影響が発生し、不安や不満が政府に対する抗議として急速に拡大することになる。
マリで今年8月に発生したクーデターが国民の支持を集め[2]、またタイでデモが発生しているが、COVID-19が引き起こした保健医療面および社会経済面での不安や不満と無縁ではない[3]。5月にアメリカで発生したBlack Lives Matter(黒人の生命も大事だ)の運動が非常に大きなうねりとなって世界中に拡散したが、これもCOVID-19が引き起こした社会不安と結びついた現象と考えることができる[4]。
第二に、「PKOなど国際社会による平和維持活動の後退」があげられる。国連PKOは、COVID-19の影響を考慮し、PKOの活動を必要不可欠なものに限定する方針を打ち出した[5]。このため、紛争プロセスや紛争直後の「文民の保護」に対する外部の監視の目が行き届かなくなり、治安が悪化するリスクが高まっている[6]。
第三に挙げられるのが、国家による「国民監視体制の強化」である[7]。中国やイスラエルでは、COVID-19の感染抑止のため、人々の行動を政府が監視する体制が強化されている[8]。
監視体制は、COVID-19の感染抑止に使われるだけではない。人々の日常の行動の把握につながり、反体制派の逮捕やデモ発生の回避に利用されている。また政府による監視強化が、国民の政府への不満を高める要因を作り出している[9]。
第四に、暴力的過激派組織「イスラム国」(IS、またはISIS, ISIL)やアルカイーダ、ボコハラムなどの「テロリストグループの活動の活性化」[10]が挙げられる。これまで世界を震撼させた「イスラム国」は国際社会の対応により、大きな脅威とはならなくなっていた[11]。ところが、国際社会がCOVID-19への対応に追われた結果、対応が手薄になり、勢力を盛り返している[12]。「イスラム国」だけでなく、ナイジェリアやカメルーンを拠点にするボコハラム[13]や、マリなど、サヘル地域一帯で展開するアルカイーダ等のテロリストグループも活動を活性化させている。テロリストの支配下にいる人々はCOVID-19とテロの「二つの危機(Twin Crisis)」[14]に晒されている。
第五に、「移行期正義のプロセスの後退」があげられる。トーゴやガンビアでは、紛争後の移行期正義のプロセスとして、国民和解を促進するため被害者への賠償金の支払いが行われている。しかしCOVID-19による経済の悪化、政府による対応の不備により、予定されていた賠償金支払いができなくなり、移行期正義プロセスのとん挫が懸念される[15]。
COVID-19で脆弱層が危機的状況に
このような情勢変化により、政治的にも、また社会経済的にも最も深刻なダメージを受けるのが、エスニックマイノリティ、難民・国内避難民、女性、障害者[16]などの社会的弱者である[17] 。彼らの多くは、正規の職業に就く機会に恵まれず、COVID-19発生以前から生活水準が貧困ラインを下回るなどの危機的な状況にあった。難民キャンプなど人々が密集する空間で生活していることが多く、また国民としての身分証明書をもっていない等の理由により政府による医療保険サービスが享受できない場合が多い。職業を持っていたとしても季節労働や日雇いなどの非正規雇用で働くことが多く、ロックダウンや経済悪化により失業状態に陥ることが多い[18]。日々の生活を続けるだけの資金、貯蓄を持ち合わせていないため、食糧不足や栄養失調が発生し[19]、売春など性産業で働いたり、人身売買[20]や自らの臓器を売って生活費を稼いだり、あるいはその日食べる食料を得るため窃盗などの犯罪に手を染めざるを得なくなっている。
国連は、今年末までに2.6億人が飢餓に陥ると予測している[21]。困窮する家庭では、家族の生計を守るため、未成年の女児を結婚相手として差し出したり、性産業に身内、親族を売ったりする事態が発生している。「COVID-19で死ぬか、経済悪化で死ぬか」の選択を迫られている。
さらに、このような社会的弱者は、攻撃、排斥の格好のターゲットとなる。「難民がCOVID-19をコミュニティに持ち込んだ」などのデマが拡散し、暴力にさらされる等の危険な状態に陥っている[22]。バングラデシュのロヒンギャ避難民キャンプでは、COVID-19陽性者の発生に伴い地元住民によるロヒンギャ避難民の排斥運動が活発化している[23]。
また、COVID-19で不安定化する社会の不満を交わすため、政府がナショナリズムやポピュリズムに迎合的な行動をとることがある[24]。トルコでは、過去にキリスト教の教会や、イスラム教の寺院として利用され、1934年に特定の宗教に偏らない博物館となり、世界遺産にも指定されたアヤソフィアが、エルドアン大統領の決定より、イスラムの寺院として活用されることになった。インド北部のアヨーディアでは、1992年に住民の手で破壊されたイスラム教のバブリモスク跡地にヒンドゥー寺院を建設するとの選挙公約が進められ、モディ首相は8月に起工式に出席した[25]。
昨今の紛争では、インターネット等、情報ネットワークの発達により、どこでどのような紛争が発生し、紛争や暴力により人々がどのような状況に追いやられているか、瞬時に、また詳細に知ることができるようになった。これは、かつては想像できなかった進歩である。しかしながら、このような惨状を知っていながら、国際社会から有効な介入がなされず、衆人環視の中、放置されたままの紛争が多く発生し、紛争状態が続いている。イエメン、ソマリア、中央アフリカ共和国などでは、最新鋭の兵器が投入されているわけではないにも関わらず、国際社会は紛争を止めることができず放置している。難民や国内避難民など、住むところを追われた人々は、2019年末に第二次世界大戦以降最悪の約8千万人に達した[26]。パレスチナ難民は70年間、アフガニスタン難民は40年間、難民というステイタスから抜け出せないまま、何世代にも渡って不安定な生活を強いられている。COVID-19はこのような窮状に拍車をかけている[27]。イエメンでは、紛争によりこれまで10万人以上が避難しているが、今年3月30日から7月18日までの4か月弱の間に、新たに1万人以上がCOVID-19のため国内避難民となった[28]。
我々は何をするべきか?
このような状況に対し、日本は何をすべきか。
まずは「COVID-19蔓延に対する脆弱国での予防措置」である。COVID-19の影響は、多くの脆弱国では、まだ深刻な事態とはなっていない[29]。しかし、ひとたび感染拡大が発生すると、脆弱国では、医療システムやインフラ等の社会システムが不十分で、政府にもまた国民にも緊急期を堪え忍ぶだけの余剰がない。このため、感染爆発と社会経済システムの機能不全により大規模な人道危機の発生が懸念される。予防的対応は、感染拡大後の復興、普及にかかる対応に比べて安いコストで実施できる。そのため、今、脆弱な医療体制、そして脆弱な社会経済体制を補強する必要がある。
また「紛争解決」、「和平の実現」に国際社会は全力を注ぐべきである。今、米中や米ロの対立など、様々な要因が絡み合って、国連の安全保障理事会が機能不全に陥っている。これまで見てきたように、COVID-19は紛争プロセスを悪化させ、長い年月をかけて積み上げてきた和平の機運やプロセスを崩壊させてしまう。COVID-19の影響により世界の分断が進む中、国際協調主義を推進させ、国際社会が一丸となって紛争解決に取り組むこと、また紛争リスクを抱える脆弱国を支援すること、これが今、必要である。多くの途上国で信頼を勝ち得ている日本のポジションは、世界的にも貴重な存在である。欧米等の主要国が内向きになる中で、日本はさらに国際協調主義の推進者となることが期待されている[30]。
(2020/9/14)
脚注
-
1 Katariina Mustasilta,”From bad to worse? The Impact(s) of COVID-19 on conflict dynamics,” European Union Institute for Security Studies (EUISS), June 11, 2020, p3.
Pavlikによれば、デモの数はWHOがパンデミックを宣言した3月半ばは、2019年11月と比べると3分の1にまで減少し、その傾向は4月初めまで続いたが、その後上昇している。
Melissa Pavlik, “A Great and Sudden Change: The Global Political Violence Landscape Before and After the COVID-19 Pandemic,” Armed Conflict Location & Event Data Project (ACLED), August 4, 2020. - 2 Emily Fornof, and Emily Cole, “Five Things to Know about Mali’s Coup,” United States Institute of Peace (USIP), August 27, 2020.
- 3 Masayuki Yuda, “Thailand’s youth demo evolves to largest protest since 2014 coup,” Nikkei Asian Review, August 16, 2020.
- 4 Pam Ramsden, “How the pandemic changed social media and George Floyd’s death created a collective conscience,” The Conversation, June 15, 2020.
- 5 “Impact of COVID-19 on UN peacekeeping,” United Nation Peacekeeping (accessed on September 9, 2020)
- 6 Namie Di Razza, “UN Peacekeeping and the Protection of Civilians in the COVID-19 Era,” Global Observatory, International Peace Institute (IPI), May 22, 2020.
- 7 Richard Youngs and Elene Panchulidze, “Unpacking the Threats to Democracy,” Global Democracy & COVID-19: Upgrading International Support, The European Endowment for Democracy (EED), July 14, 2020, pp.9-11.
- 8 Tehilla Shwartz Altshuler and Rachel Aridor Hershkowitz,“Digital Contact Tracing and the Coronavirus: Israeli and Comparative Perspectives,” Foreign Policy at Brookings, August 2020.
-
9
但し、厳格な統制を敷く体制は持続しないとの分析がなされている。
Carl Benedikt Frey, Giorgio Presidente and Chinchih Chen, “COVID-19 and the Future of Democracy,” VOX EU:Centre for Economic Policy Research(CEPR), May 20, 2020. Thomas Carothers and David Wong, “Authoritarian Weaknesses and the Pandemic,” Carnegie Endowment for International Peace (CEIP), August 11, 2020. - 10 Clionadh Raleigh, “The Pandemic has shifted patterns of conflict in Africa,” Mail and Guardian, June 22, 2020. “COVID-19 to Add Challenges to Counter-Terrorism: UN Chief,” TRT World, July 7, 2020.
-
11
2019年のGlobal Terrorism Indexでは、かつて猛威を振るったISの影響力は非常に小さくなり、タリバンやボコはラムなどの脅威の方が大きくなったと指摘していた。
“Ten countries accounted for 87 per cent of deaths from terrorism in 2018," Global Terrorism Index 2019: Measuring the Impact of Terrorism, Institute for Economics & Peace(IEP), November 2019, p.15 - 12 Asshish Kumar Sen, “ISIS Determined to Make a Comeback – How Can it Be Stopped?” USIP, August 13, 2020.
- 13 Nanda Kishor and Meghna Ria Muralidharan, “Terrorism and COVID-19: Brutality of Boko Haram in Africa,” Modern Diplomacy, August 9, 2020.
- 14 Nikola Zukalová “Coping with Coronavirus: Terrorism in the Time of Coronavirus,” Conference Report, The Euro-Gulf Information Centre (EGIC), April 6, 2020.
- 15 “Suspension and slowing down of transitional justice and social cohesion (re)construction processes,” Transitional Justice and Social Cohesion (re)Construction in Africa Countries During the COVID-19 Pandemic: Analytical Report, Webinar,18 June, 2020, International Institute for Democracy and Electoral Assistance (International IDEA), June 18, 2020, pp.8-9.
- 16 “COVID-19 and the World of Work: Ensuring the Inclusion of Persons with disabilities at All Stages of the Response,” ILO Policy Brief, June 20, 2020, p.4.
- 17 Caren Grown, and Franck Bousquet, “Gender Inequality Exacerbates the COVID-19 Crisis in Fragile and Conflict-Affected Settings,” World Bank Blogs, July 9, 2020.
-
18
“Coping with Double Casualties: How to Support the Working Poor in Low-Income Countries in Response to COVID-19”, ILO Development and Investment Branch (DEVINVEST) Brief, April 16, 2020.
Willian G. Moseley, “The Geography of COVID-19 and a Vulnerable Global Food System”Resilience in the Face of the Coronavirus Pandemic, World Politics Review (WPR), May 2020, pp.41-47.
ILOによればCOVID-19の影響により、世界全体で、インフォーマルセクターで働く16億人の生活が破綻すると指摘する。
“Nearly Half of Global Workforce at Risk as Job Losses Increase Due to COVID-19: UN Labor Agency,” UN News, April 28, 2020. - 19 “UHNCR and WFP warn Refugees in Africa Face Hunger and Malnutrition as COVID-19 Worsens Food Shortages,” UNHCR, July 9, 2020.
- 20 “UNHCR Warns of Increased COVID-19-related Trafficking Risks for Refugees, Displaced and Stateless,” UNHCR, July 30, 2020.
- 21 “COVID-19: UN Chief Urges G20 to Step Up to Avert ‘Cascading Crisis’ in Fragile Countries,” UN News, July 16, 2020.
- 22 Dianne Duclos, and Jennifer Palmer, “Background Paper: COVID-19 and Forced Displacement in the Middle East and East Africa,” Social Science in Humanitarian Action Platform (SSHAP), July 2020, p9.
- 23 A.Z.M. Anas, “Rohingya Scapegoated as Bangladesh Battles COVID-19,” Nikkei Asian Review, July 7, 2020.
- 24 Célia Belin and Giovanna de Maio, “Democracy After Coronavirus: Five Challenges for the 2020s,” Foreign Policy, Brookings Institution, August 2020, pp.4-5.
- 25 Knox Thames, “Rising Religious Revanchism in Turkey and India Has Dire Consequences”, USIP, August 25, 2020.
- 26 “Global forced displacement: Almost 80 million people are forcibly displaced,” Global Trends: Forced Displacement in 2019, UNHCR, June 18, 2020, p.8.
- 27 “The Impact of Coronavirus (COVID-19) on Forcibly Displaced Persons in Developing Countries,” OECD Policy Responses to Coronavirus (COVID-19), June 15, 2020.
- 28 IOM, “Internal Displacement in Yemen Exceeds 100,000 in 2020 with COVID-19 an Emerging New Cause,” IOM, July 21, 2020.
- 29 世界保健機構(WHO)によれば、9月9日時点で、アフリカ(WHOアフリカ地域事務所管轄国)の感染者数は1,092,149人で、世界全体の感染者(27,417,497人)の3%に過ぎない。また、感染者数は、アフガニスタン38,544人(世界63位)、ソマリア3,362人(125位)、シリア3,289人(126位)、イエメン1,998人(148位)である。“Coronavirus Disease (COVID-19) Dashboard,”WHO, September 9,2020.
-
30
Ippeita Nishida, “International Cooperation in the COVID-19 Pandemic – Can Japan Play a Role in Pulling the Developed Countries Together?” International Information Network Analysis, Sasakawa Peace Foundation, July 2, 2020.
「社説/コロナ感染者1000万人 国際協調へ日本が役割果たせ」、『日刊工業新聞』、2020年6月30日。
北岡伸一、「経済教室: コロナ禍での日本の役割 保健医療の国際協力 主導を」『日本経済新聞』、2020年7月7日。