イスラエルが2023年10月のパレスチナ武装組織ハマス等による「アクサの嵐作戦」を受けて、ガザ地区での軍事作戦を展開して以来9カ月以上経過した。しかし、イスラエルが作戦の目的としたハマス壊滅、人質解放は未だ達成できていない。それどころか、イスラエルは、増加し続けるパレスチナ人犠牲者と衛生の悪化や飢餓状態に追いつめられている避難生活など人道危機への責任ある対応を国際社会から求められている[1]。
さらに、イスラエルは、ハマス等を支援するレバノンのヒズボラ、イエメンのフーシ派など親イラン武装勢力による攻撃にもさらされており、戦力の分散を余儀なくされている。とりわけ、これらの戦闘のうち、イスラエルとレバノン国境付近ではヒズボラとの戦闘拡大のリスクが高まっている。そこで、本稿は、ガザ紛争から派生したイスラエルと親イラン武装勢力との戦闘を踏まえた上で、ガザ紛争がイスラエルの安全保障に与える影響について考察する。
親イラン武装組織のハマス等への軍事支援行動
ガザ地区でイスラエル軍と戦闘を続けているハマス等を支援するため、イエメンのフーシ派は、紅海及びアデン湾においてイスラエル関連の船舶の航行を阻止するとして軍事行動と、無人機やミサイルなどによるイスラエル領域への攻撃を行っている。イスラエル領内への攻撃はほぼ迎撃されていたが、7月19日、1機の無人機がイスラエル中部のテルアビブに初めて着弾した。翌20日、イスラエル軍は報復として、イエメン西部のホデイダ港に空爆を実施した。イスラエル軍がイエメンを空爆したのは初めてであり、同軍のフーシ派に対する警戒の高さが示された[2]。
このフーシ派との戦闘以上に、イスラエルが警戒を強めているのが、北部のレバノンとの国境地域でのヒズボラとの戦局の状況である。1982年のイスラエル軍によるレバノン侵攻を機に抵抗組織として創設されたヒズボラ[3]とイスラエルとの戦闘の歴史は長い。そのヒズボラは、ハマス等の支援のために、ガザ紛争開始直後の10月8日、イスラエルに向けてロケット弾を発射している。その後も攻撃は継続し、11月24日にイスラエル・ハマスの一時休戦に合わせて休戦するが、ガザ地区での戦闘再開とともに、イスラエル・レバノン国境地域で砲撃や軍事拠点へのミサイル、無人機攻撃を再び開始した。
一方、イスラエル軍は、2024年に入りヒズボラやハマスの司令官レベルの要人の暗殺を増加させており[4]、6月12日には、ヒズボラのレバノン南部の最高位の司令官アブドゥラ氏の殺害に成功する。これに対する報復として、ヒズボラによるイスラエル北部への攻撃は激しさを増した。そして、同月18日には、イスラエル軍がレバノンへの攻撃の作戦計画を承認したと発表し[5]、翌19日、ヒズボラの最高指導者ナスララ師はテレビ演説で、本格的な戦争が勃発した場合、イスラエルに「安全な場所は存在しない」と表明した[6]。
両者の間での戦闘の激化が全面戦争に向かうことを危惧し、6月21日、国連のグテーレス事務総長は、レバノンを第2のガザにしないようにと警鐘を鳴らしたが[7]、情勢は鎮静化に向かうことなく、28日にはイラン国連代表部が、イスラエルがレバノンに地上侵攻すれば、親イラン武装組織が「全面的に参戦する」と述べた[8]。
その後、7月を向かえ、イスラエル軍によるヒズボラの要人の殺害は続いているものの、両者の攻撃は減少している。ただ、イスラエル北部へのヒズボラの軍事的圧力により、イスラエル軍はガザ地区での戦闘に集中できない状況が続いている。また、イスラエル北部の住民6万人以上は自宅からの避難を余儀なくされている。さらに、6月19日のナスララ師の演説では、北部の要衝ハイファへの攻撃が示唆されている[9]。ハイファにはイスラエルの人口の8分の1が居住し、重要な港湾施設と海洋基地がある。果たして、ガザ地区での戦闘に兵力を割いているイスラエル軍は、ヒズボラからの脅威を排除し、国境地域の住民の帰還がかなうまでに北部の安全を確保できるだろうか。
変化しはじめた国際社会のイスラエル評価
イスラエルの安全保障には、基本的に3つの難点がある。第1は地理で、南北470km、東西は最大135kmという細長い領土であるため、地上戦での防衛が難しい。第2は周辺国との関係であり、パレスチナ問題、エルサレム問題の存在が信頼の醸成を妨げている。第3は人口動態に関係するもので、危機に際して予備役などを動員することで国内経済は労働力不足になるという脆弱性がある。
このため、イスラエルは、安全保障戦略として、核兵器の保有を含めた防衛力の強化とあわせて、自国への脅威が現実になる前に対処する特殊作戦や先制攻撃を実施してきた。2007年のイラクとシリアでの核施設への爆撃や、2010年代のイランの核開発計画阻止に向けた工作活動は、その事例といえる。このように、地域で敵対する国については、軍事的優位を保ち、必要に応じて限定攻撃を行うことで抑止力を働かせてきた。一方、非国家の武装組織の軍事行動に対しては、断固とした武力行使で鎮圧してきた。
イスラエルは、ガザ紛争でもハマス等の武装組織の壊滅を目標に掲げ徹底攻撃を行っている。イスラエル軍によるガザ地区への攻撃については、2023年10月の「アクサの嵐作戦」をテロ戦争と位置づけ、テロとの戦いにおける自衛権の行使と説明することで、当初、多くの国が理解を示した。しかし、パレスチナの民間人の犠牲者が増え続けることで、イスラエルに対する国際評価は変わりはじめた。国際司法裁判所、国際刑事裁判所などの舞台では、国際人道法を含む国際法に照らして、イスラエルの軍事行動の合法性が問われている[10]。また、パレスチナ人の民族独立を認める動きが広がり、国連ではパレスチナ自治政府の加盟問題が協議され[11]、欧州の複数の国がパレスチナを国家として承認した[12]。さらに、アメリカの大学をはじめ世界各地で市民による親パレスチナの抗議運動が展開されている。
このようなイスラエルの軍事行動に対する国際的評価の変化により、ネタニヤフ政権が掲げるハマスの壊滅を目指す現在の軍事行動の続行は正当性を失いつつある。つまり、ガザ紛争では、イスラエルの安全保障戦略は国際社会の理解が得られなくなっているといえる。
国内の亀裂の拡大
イスラエルの安全保障の揺らぎは、国内からも起きている。イスラエルは、1949年の建国以来の断続的に起きる紛争を通じ、軍事力にもとづくユダヤ人国家を樹立してきた。そして、徴兵制度をはじめとする祖国防衛を通して、イスラエル国民としてのアイデンティティを育んできた。
昨年10月7日のハマス等による「アクサの嵐作戦」で、1000人以上の犠牲者と250人以上の身柄拘束者を出してしまったことは、防衛体制や諜報活動による早期警戒を怠ったイスラエルの安全保障上の大失態といえる。また、この奇襲攻撃後のガザ地区での軍事行動の長期化、多正面化により、ネタニヤフ政権の作戦目的と手法、停戦交渉、紛争後のガザ地区管理のあり方などをめぐり、国内の不協和音は高まっている。さらに、ユダヤ教超正統派の神学生を対象とした徴兵免除の問題は、イスラエル国民としての平等性をめぐり社会の分断を招きかねない状況にある[13]。イスラエルは、今、宗教、民族をめぐる国家のあり方自体への問いを投げかけられているといえるだろう。ガザ紛争によってもたらされた国内外の変化のなかで、イスラエルは今後、安全保障をどう確保するのか、大きな岐路に立たされている。
(2024/07/29)
脚注
- 1 ガザ紛争でのパレスチナ人の死者数は9カ月で3万9000人近くに上っている。Nidal Al-Mughrabi and Hatem Khaled, “Israel bombards central Gaza, fighting rages in Rafah,” Reuters, July 19, 2024. また、食料安全保障についての客観的な分析である「総合的食料安全保障レベル分類(IPC)」は、報告書でガザ地区全域の約50万人のパレスチナ人が依然として「壊滅的なレベル」の飢餓に直面しており、イスラエルとハマスの戦争が続き人道支援のアクセスが制限される限り、飢餓の「高いリスク」が続くと述べている。David Gritten, “'High risk' of famine in Gaza persists, new UN-backed report says,BBC, June 26, 2024.
- 2 テルアビブへのフーシ派の攻撃により、1人が死亡し複数の負傷者が出ている。一方、イスラエルによるイエメンへの空爆で、少なくとも6人が死亡、多数の負傷者が出ていると報じられている。Sophie Tanno, “Israel strikes Yemen for the first time following deadly Houthi drone attack. Here’s what we know,” CNN, July 21, 2024.
- 3 武装組織のヒズボラはレバノンで政治にも参加しており、国会議員も輩出している。ヒズボラについては、Kali Robinson, “What Is Hezbollah?” Council on Foreign Relations, July 2, 2024を参照のこと。
- 4 2024年に入ってのイスラエルによる殺害事例としては、1月2日にハマスの政治局のアルーリ副議長、同月8日にヒズボラのラドワン部隊の司令官などが挙げられる。Raffi Berg & Graeme Baker, “Hamas deputy leader Saleh al-Arouri killed in Beirut blast, BBC, January 3, 2024; Laila Bassam and Maya Gebeily, “Israeli strike kills a Hezbollah commander in Lebanon,” Reuters, January 9, 2024.
- 5 Emanuel Fabian, “Top Israeli generals approve Lebanon offensive battle plans, army says, Times of Israel, June 19, 2024.
- 6 Laila Bassam and Maya Gebeily, “Head of Lebanon's Hezbollah threatens Israel and Cyprus, Reuters, June 20, 2024.
- 7 グテーレス事務総長は、国連レバノン暫定軍(UNIFIL)および国連休戦監視機関(UNTSO)が戦闘拡大の阻止に努めているとも述べている。Michelle Nichols, “UN chief warns: Lebanon cannot become another Gaza,” Reuters, June 22, 2024.
- 8 “Iran warns Israel of ‘obliterating war’ if it attacks Lebanon,” Aljazeera, June 29, 2024.
- 9 ヒズボラは、ナスララ師の演説の前日、ドローンで撮影したハイファとその周辺のビデオ映像を誇示している。Tamara Qiblawi, et.al., “Hezbollah leader threatens Cyprus as tensions with Israel ramp up,” CNN, June 20, 2024.
- 10 2023年12月、南アフリカがイスラエルを「集団殺害の疑い」で国際司法裁判所(ICJ)に提訴した。同国は、5月10日にはガザ地区ラファでのイスラエルによる軍事作戦の即時停止の暫定措置を求めた。これらを受け、ICJは、2024年1月26日の暫定措置命令に続き、5月24日にイスラエルに対しガサにおけるすべての軍事行動の即時停止命令を発出している。また、国際刑事裁判所のカーン主任検察官が、5月20日、イスラエルの首相、国防省とハマスの政治局長および軍事部門責任者への逮捕状を請求した。“Application of the Convention on the Prevention and Punishment of the Crime of Genocide in the Gaza Strip (South Africa v. Israel),” ICJ, May 24, 2024, para.50.
- 11 5月10日、国連総会は緊急特別会合でパレスチナの国連加盟を支持する決議案を賛成多数で採択した。Michelle Nichols, “UN General Assembly backs Palestinian bid for membership,” Reuters, May 11, 2024.
- 12 5月28日に、アイルランド、スペイン、ノルウェーがパレスチナを正式に承認した。Inti Landauro , Conor Humphries and Gwladys Fouche, “Spain, Ireland and Norway recognise Palestinian statehood,” Reuters, May 29, 2024.
- 13 6月25日、イスラエル最高裁判所が、国家は超正統派ユダヤ教の神学生を軍に徴兵しはじめなければならないとの判決を下した。これに対し、超正統派の人びとは、兵役に服す義務より神学校で学ぶ権利を主張している。なお、超正統派イスラエル人は総人口の13%を占めており、出生率が高いため2035年までに19%に達すると予想されている。Maayan Lubell, “Israel court ends draft exemptions for ultra-Orthodox Jews, Reuters, June 26, 2024.