2011年、北アフリカ地域ではチュニジア、エジプト、リビアで相次いで長期政権が倒された。いわゆる「アラブの春」と呼ばれる政変である[1]。あれから10年余りを経たが、これらの3カ国では、依然として政治的、社会的亀裂が残ったままである。

 エジプトではシーシ政権が政変によって台頭した「ムスリム同胞団」の弾圧を強化するとともに、2017年4月から継続する非常事態宣言下で言論活動や政治活動家への抑圧が見られている[2]。リビアでは2020年10月の敵対するシラージュ暫定政権と有力軍事組織リビア国民軍(LNA)との間の停戦合意まで内戦が続いた。現在、2021年12月に予定される大統領・議会選挙に向けて政治プロセスが動き出しているものの、全ての外国部隊および傭兵の撤退、および選挙制度を含めた法制度の構築の進展が見られず、情勢の悪化も懸念されている。一方、政変の起点となったチュニジアは、国民対話を推進し大きな政治混乱を防ぎ、それに貢献した「国民対話カルテット」が、2015年にノーベル平和賞を受賞するなど民主化の成功国と見られてきた。

 今年、7月25日、そのチュニジアで、サイード大統領が同国憲法80条に定められた特別措置を適用し、マシーシ首相の解任と議会の30日間の活動停止を発表した[3]。以下では、サイード大統領によるクーデターとの見方もあるこの出来事について、政治指導者の権力行使と市民運動の観点から検討する。

COVID-19危機の中の政治的混迷

 2011年の政変後、チュニジアは同年10月に制憲議会選挙を実施し、翌2012年1月に新憲法を議会で可決した後、10月に議会選挙、12月に大統領選挙を行い、民主体制への移行がなされた。現大統領であるサイード氏は2019年9月から10月にかけての大統領選挙で、国会議員は10月の選挙で選出されている。

 政治的には民主化が定着したとみられるチュニジアではあるが、2011年の市民の抗議行動の要因となった貧困、地域格差、失業などの経済問題は現在も解決したとはいえない。政変により外国からの投資や観光客は減少し、2015年に起きたイスラム過激派によるテロ事件がチュニジア経済にさらなる打撃を加えた[4]。その上、COVID-19の世界的感染拡大がチュニジアにも及び[5]、2020年春から政治、経済に悪影響を与えている[6]。

 政治的には2019年10月の議会選挙後の組閣が政党間対立で難航し、2020年2月27日にようやくファフーフ内閣が成立した。しかし、ガンヌーシ党首率いるイスラム主義系の議会第1党のナフダ党から汚職疑惑を追及されたファフーフ首相は、同年7月15日、ナフダ党出身の閣僚全員を解任した上で辞任した。こうして議会では、感染が拡大する中でナフダ党に協力する勢力と反対する勢力との対立が深まっていく。7月25日、サイード大統領は、汚職対策で実績があり自身の法律顧問でもあるマシーシ内相を新首相に任命、再び組閣は難航したが、9月2日に25人の閣僚全員が無所属の実務者内閣が成立した。このマシーシ首相のもとで感染症対策や経済再建が進むと見られていた。しかし、2021年1月16日、同首相はサイード大統領の政治力を弱体化させてナフダ党などの与党との連携を強化する目的で、閣僚11人の任命を含む内閣改造を発表した。

市民の抗議活動の活発化

 こうした政治の混迷、COVID-19の感染拡大、そして経済の低迷という状況下、市民の抗議デモが各地で発生する。例えば2020年6月の南部タタウィーンのデモは、若者の雇用確保、中西部および南部など内陸部への開発投資を要求するもので、治安部隊との衝突も起きている[7]。さらに、2011年のベンアリ政権の崩壊から10年をむかえた2021年1月には、首都チュニスをはじめ各地で若者を中心に政府の経済政策や格差、警察による虐待などへの抗議活動が活発化し、多数の拘束者も出ている[8]。

 一方、チュニジア政府は、低迷する経済の中でCOVID-19感染対策としての企業や市民に対する経済支援が財政の大きな負担となっており、政策の行き詰まり状態が続いた。その中、2021年4月30日、マシーシ首相はIMFと3年間で総額40億ドルの融資交渉を行う方針を示し、5月3日にはクーリー財政相がIMFとの協議に臨んでいる。政府がIMFに提示した財政改革案は、①公的部門の給与支出削減、②食料、燃料、電力の補助金廃止などとされる[9]。

 この財政改革案では、消費の低迷、債務返済額の増加によりさらに財政が圧迫される可能性がある。それのみならず、チュニジア労働者総同盟(UGTT)や市民の抗議活動がさらに活発化する恐れも出てきた。こうしたマシーシ首相の政策決定に、同首相との確執を深めつつあったサイード大統領は強い反発を示した。

サイード大統領の権力掌握への市民の支持と不安

 サイード大統領が権力を掌握した翌日の7月26日、議会前でのナフダ党支持者と大統領支持者の衝突が起きた。市民の間のイスラム主義と世俗主義の対立が暴力的な形となって顕れたことは、チュニジアの民主化に暗い影を落としている。チュニジアでは国会内でイスラム主義派と世俗派との対立がみられている。その対立は、サイード大統領とガンヌーシ国会議長との対立、同大統領とマシーシ首相との対立を生み出した。今回の同大統領の権力掌握の動きは、その対立構図に変化をもたらす試みとみることができる。

 法学者であるサイード大統領は、権力掌握のため、国の安全と独立を脅かす差し迫った危機がある場合に適用できる憲法80条を適用した。本来、80条の適応には首相と国会議長との協議を経ることになっている。しかし、同大統領は、そうすることなく、首相を解任し、議会活動を停止させた。また、こうした状況下で大統領の権限を終了させることができる機関は憲法裁判所であるが、大統領が裁判官の任命を妨害してきたため未設置となっている。さらに、同大統領は国防相を解任し、大統領警護隊長を内相に任命することで軍と警察も掌握している。

 チュニジアは現在、民主主義のプロセスが停止している状態といってよいだろう。民主化の成功国と見られてきたチュニジアで、サイード大統領がこうした強硬な行動に出た背景には、2011年の革命後の長期的な経済低迷の中での、イスラム主義勢力の台頭、政治対立の継続、汚職や縁故主義がはびこる社会に対するチュニジアの人びとの強い不信と不満がある。

 サイード大統領がマシーシ首相を解任したことで、チュニジアとIMFとの融資協議は停止している。また、公務員の新規採用停止や給与削減などが検討されている2021年予算法についても協議ができない状態にある。これにより、財政破綻の恐れが高まる一方、公的部門の労働者や補助金を受け取る市民にはアピールできる状況がつくられている。こうした大衆迎合型の政治が生まれたことで、2011年の革命からはじまったチュニジアの民主化の流れは終わりを迎えつつあるのかもしれない。

 「アラブの春」後、長期政権が崩壊したエジプトでは、政権の座に就いたムスリム同胞団の政治指導者を追い落として権力を掌握したシーシ政権が、治安維持を名目に強権を発動し、反対勢力や報道機関を封じ込めている。こうしたイスラム主義的政治の台頭を抑え込む動きは、サウジアラビア、アラブ首長国連邦などでも見られている。そして、今回、チュニジアのサイード大統領が、今後の民主化のロードマップを示すことなく、2019年の大統領選挙の公約である汚職取締りを理由に反対勢力であるイスラム主義派の封じ込めを行っている。中東・北アフリカ地域での、このようなイスラム主義を排除する政治の流れの強まりが、新たな政治不安を生み出す要因になることが危惧される。

(2021/08/17)

脚注

  1. 1 政変の波は多くのアラブ諸国に及び、シリア、イエメンでは内戦が現在も続いている。
  2. 2 2021年7月11日、エジプト最高裁判所はムスリム同胞団の最高指導者を含む10名の幹部に終身刑を下した。“Egypt upholds life sentences for 10 Muslim Brotherhood figures,” Aljazeera, July 12, 2021.
  3. 3 “Tunisia's PM sacked after violent Covid protests,” BBC, July 26, 2021.
  4. 4 2015年3月にはチュニスのバルド博物館でテロ事件が起き(日本人3人を含む外国人21人が死亡)、6月にはスース県のリゾートホテルでテロ事件が発生した(外国人38人が死亡)。“Tunis Bardo museum: Nine suspects arrested for links to attack,” BBC, March 20, 2015.
  5. 5 チュニジアの2021年8月3日時点の感染者数は599,594人、死者数は20,410人に及んでいる。”COVID-19 Dashboard,” Johns Hopkins University & Medicine, Coronavirus Resource Center.
  6. 6 財政赤字は、2019年は対GDP比3.9%だったが、2020年には10.6%に上っている。IMF, World Economic Outlook Database.
  7. 7 Tarek Amara, “Police, job-seeking protesters clash in Tunisian city of Tataouine,” Reuters, June 22, 2020.
  8. 8 Tarek Amara, “Tunisian protesters revive 'Arab Spring' chant, riots continue,” Reuters, January 20, 2021. なお、市民の抗議活動は1月以降も続いている。例えば、Tarek Amara, “Thousands protest in Tunis despite police blockade,” Reuters, February 6, 2021.
  9. 9 Tarek Amara, “EXCLUSIVE Tunisia to propose wage, subsidy cuts in IMF talks, document shows,” Reuters, May 5, 2021.