1979年2月11日、イランで革命が成就した。この革命は、イデオロギー、リーダー、組織化、運動拠点の面で、イスラムに深くかかわっていたことからイスラム革命とも呼ばれる。2019年で革命40年目をむかえたイランでは、現在も、イスラム法学者を最高指導者とする統治が続いており、イスラム体制が維持されている。イラン革命は国際社会に大きなインパクトを与え、イスラム運動の連鎖を脅威ととらえたイラクによるイラン侵攻(イラン・イラク戦争)や、ソ連によるアフガニスタン侵攻が引き起こされた。このイスラムによる社会改革が国際社会に与える影響への懸念は今日も続いており、サウジアラビア・アラブ首長国連邦(UAE)・イスラエル・アメリカの対イラン政策協調はその証左の一つとみることができる。

 以下では、このイラン革命体制の頑強さについて検討する。結論を先に述べるならば、イランの革命組織の役割変化や特権企業化した財団の存在を考慮すると、短期的には、(米国が主導する)経済制裁や反体制分子の扇動などではイランの体制変革が生じる蓋然性はほぼないと考えられる。しかし、イラン脅威論を提唱する国々は、イランの体制変革を求め、封じ込め政策をとっている。このため、ペルシャ湾やシリアでの軍事衝突が生じるリスクは小さくない[1]。このリスクを低下させるためには、国際社会がイランの孤立化を避ける政策で協調する必要がある。

イラン革命の理念とその変化

 20世紀最後の革命といわれるイラン革命の特徴の一つは、宗教界から左翼系組織まで幅広い動員がみられたことにある。その背景には、革命の指導者ホメイニ師のイスラム法学者の統治論や[2]、マルクス主義系の思想家で1973年に死亡したアリー・シャリアティー[3]のイスラム解釈が民衆の間に流布したことがある。また、革命の精神としてのイスラムの公平・公正の理念とともに、自信の回復や自己の独立が主張され、国境を越えて抑圧的環境におかれた人々の共感をよんだことも特徴として挙げられる。

 イラン革命の精神は、1980年から8年間に及ぶイラクとの戦いや、国内外で生じた難問の中でも、革命時に新たに作られた革命委員会、革命裁判所、革命防衛隊などの組織に支えられ、守られてきた。しかし戦争により、革命の精神の国外への発信性は削がれ、戦後は復興がその精神の存続にとっての緊急課題となった。その後、1989年のホメイニ師の死去を契機に、最高指導者の地位についたハーメネイ師のもとで革命時につくられた組織の改革がはじまり、現在につながる体制基盤が固められていった。その具体例として、以下に革命防衛隊の組織の変化をとりあげる。

革命防衛隊の役割変化

 革命防衛隊は1979年5月、ホメイニ師の指示により創設された。その役割は「革命とその成果を護持する」ことと憲法にうたわれているが[4]、具体的な役割は、文化・治安→軍事・治安→教育・治安・建設と変化した。第1の変化はイラクとの開戦にともなうものであり、第2の変化は停戦およびホメイニ師の死によるものである。

 第2の変化で、革命防衛隊に教育と建設の役割が加わったのは、国防省と革命防衛省が統合されて国防軍需省になったことにともない、同組織の非軍事活動が再定義されたことによる[5]。以後、革命防衛隊は、革命の護持の観点から公教育機関に関わり戦後の人づくりをするとともに、インフラの復興と国土開発を行うことになる。そのことで同組織は、小学校から大学院に至る教育課程で傘下の民兵組織であるバスィージ[6]への志願者を募るルート、および、180以上に上る建設関連企業を有することになった。この建設関連企業は、ダム、高速道路、鉄道などの大規模の事業を手がけることで、市民生活を支えてきた[7]。

 この革命防衛隊に対しては、次のような問題も指摘されている。第1は、革命防衛隊の1部門として世界の被抑圧者を支援する目的で設立された部隊(クドゥス)による国外活動が、対外的に摩擦を生んでいることである。例えば、レバノンにおけるヒズボラへの軍事支援がイスラエルとの関係の火種の一つとなっている。第2は、建設関連以外にも経済活動を拡大したことで、民間企業との利害対立が生じていることである。第3は、革命防衛隊が政治への関与を強めていることである[8]。とりわけ、革命防衛隊の選挙活動への介入は体制内に不協和音を生むものといえる。

 しかし、上述したように、革命防衛隊は戦後の復興と開発を支える役割も担う組織へと変化しているため、米国の経済制裁や、サウジアラビア、UAE、イスラエルとの敵対的関係という状況においては、国内の支持は少なくない。

革命体制を支える財団の存在

 イラン革命では貧困者救済活動が行われてきた。そのことは、この革命が被抑圧者の立場からの政治運動であることを示している。その象徴が、パーラビ王家の資産を没収して設立された「モスタズアファン財団」である[9]。この財団の主要な活動は、貧困者救済→傷痍兵士支援活動→利益追求の複合企業化と変化した。この変化の中では、利益追求の複合企業化という変化が重要といえる。特権を有する同財団の経済力は大きく、傘下の企業は2000年時点で554社、2009年時点の従業員数は3.2万人、2006年時点で国内GDPのシェア率は5.7%である[10]。この組織の拡大する資産は、革命体制にとって重要な政策資金源となっている。

 慈善団体から営利企業への変化は、1989年9月、ハーメネイ師は同財団の総裁にラフィーグドゥースト氏を任命したことに始まる。同氏は初代革命防衛相を務めたこともあり、強いリーダーシップを発揮し、同財団を政府からの独立性が高い最高指導者監督下の組織に改革し、利益重視の経営を行った。その後、2003年2月に革命防衛隊出身で防衛相経験者であるフォルーザンデ氏が総裁に就任し、傷痍兵士支援の役割を「殉教者財団」に移管させている[11]。このような、ハーメネイ師のもとで始まった財団の経営の合理化により、同財団は金融、自動車、エネルギー、鉄鋼などの分野での活動を拡大・強化していった。つまり、同財団は体制内の保守派と改革派の経済政策をめぐる対立から切り離され、富の分配のための資源の供給元として、ハーメネイ体制を支える組織へと変化したのである。

国際社会の革命体制への関与の重要性

 以上でみてきたように、イランは問題点を抱えながらも、革命防衛隊や特権企業化した財団などの組織に支えられ、革命体制を維持している。これに対し、トランプ政権は2018年5月にイラン核合意の離脱を宣言し、8月および11月にイランへの制裁を再開した[12]。2019年に入っても、1月にポンペイオ国務長官が中東を歴訪した際、対イラン制裁の強化に言及した。こうしたアメリカの政策にサウジアラビア、UAE、イスラエルは協調し、イランへの対決姿勢を示している[13]。

 一方、イラン核合意を維持しているフランス、イギリス、ドイツは、2019年1月31日、アメリカの経済制裁を回避する特別目的事業体(SPV)として「貿易取引支援機関(インステックス、INSTEX)」を発表した[14]。インステックスはアメリカ・ドルを介すことなくバーター取引で貿易を行う仕組みであり、EU以外の国も利用できる方向が目指されている。こうしたイラン経済との関与を深める政策は、武力衝突のリスクを減らすだけでなく、革命体制を支える革命防衛隊や財団などを緩やかに変化させる蓋然性が高い。そのことで、国際社会が懸念しているイランのミサイル開発問題や資金洗浄問題でも多国間協議の道も開けるのではないだろうか。

 (2019/02/26)

脚注

  1. 1シナリオとしては、①ペルシャ湾でのアメリカ艦船と革命防衛隊の間、およびUAE軍とイラン軍の間、②イスラエル軍によるシリア領内のイラン施設への空爆を引き金に、イスラエル軍とシリア軍・革命防衛隊・シーア派民兵との間で起きる軍事衝突が考えられる。
  2. 2イスラム法学者が、知識と公正の観点で、イスラム法学にもとづきイマームの出現まで代理統治をするという考え。
  3. 3マルクスやサルトルの影響を受け、アッラーの前に立つ個人の実存的選択を提起した人物。
  4. 41979年12月成立の憲法150条。「革命勝利の初期の段階に形成されたイスラム革命軍は、イスラム革命の防衛者としての役割をそのまま維持するものとする。革命軍の義務と責任は、軍隊と革命防衛隊の協力と協調に某づき、法律によって定められるものとする。」訳は、西修「イランイスラム共和国憲法」駒沢大学政治学論集 第12号 1980年11月、108頁による。
  5. 5経済分野の活動については、憲法での規定が拡大解釈された。教育分野については、1991年の革命防衛隊雇用規則法で役割が広げられた。
  6. 6バスィージは、平時において地域コミュニティの社会教育を行う一方、監視機能も有しており、イスラム社会の規範維持の役割を担っている。
  7. 7佐藤秀信、「革命防衛隊をめぐるイランの政軍関係の変容」アジ研ワールド・トレンドNo.182 2010年11月、9頁
  8. 8駒野欽一変貌するイラン――イスラーム共和国体制の思想と核疑惑問題(明石書店、 2014)220-234頁
  9. 9ケイワン・アブドリ、「革命後のイランにおける特権企業の生成と変貌」ジェトロ・アジア経済研究所 中東レビュー第3号 2016年3月、76-77頁。
  10. 10同上書、90-91、94頁。
  11. 11同上書、80頁。
  12. 12“Trump administration to reinstate all Iran sanctions” BBC, 3 November 2018.
  13. 13U.S. Department of State, Office of the Spokesperson “Secretary Pompeo's Visit to the Gulf: Advancing Partnerships, Support for the Iran Pressure Campaign, and new Solutions to Regional Challenges”, 2019.1.11
  14. 14“Skirting U.S. sanctions, Europeans open new trade channel to Iran”, Reuters, January 31, 2019.