はじめに

 2024年12月7日、シリアのアサド政権が崩壊した。この結果、シリアの新しい政治体制がどうなるか、そしてこの崩壊が中東情勢にもたらす影響について盛んに議論されている。筆者は、シリアにおいて政権が崩壊したことにより、中東情勢の動き方が変わったのではないか、今後の議論はこの動き方の変化を踏まえて行うべきではないかと考えている。

 本稿においては、まず、アサド政権崩壊後の中東情勢を整理し、次にアサド政権の崩壊前後の中東情勢を動かす軸の違いを確認する。その上で政権崩壊が「ゲーム・チェンジング・イベント」であったのかを検討する。最後に、このような中東情勢を動かす軸の変化に日本を含む国際社会がどう対応すべきかを検討する。

シリア・アサド政権崩壊後の中東情勢

シリア国内の状況

 2024年12月24日、アサド政権を打倒した武装勢力は、各武装グループは解散し国防省の下に統合されること、3月までは暫定統治を進めるとともに新憲法を制定すること等を発表した[1]。ニューヨークタイムズの報道によると、暫定政府を率いるシリア解放機構(HTS)のアフマド・アル・シャラア指導者が他の12人程度の武装グループ指導者と会合し、いくつかのグループが統合協定に署名した旨がシリアのTVニュースで伝えられた。この会合で、クルド人の武装グループ、シリア民主軍(Syrian Democratic Forces: SDF)が署名したかどうかは不明であり、SDFの報道担当者は、統一軍組織の原則には反対しないが、重要事項は地域の外国勢力抜きで議論されるべきだと述べたとされている。

 2024年12月24日、アサド政権を打倒した武装勢力は、各武装グループは解散し国防省の下に統合されること、3月までは暫定統治を進めるとともに新憲法を制定すること等を発表した[1]。ニューヨークタイムズの報道によると、暫定政府を率いるシリア解放機構(HTS)のアフマド・アル・シャラア指導者が他の12人程度の武装グループ指導者と会合し、いくつかのグループが統合協定に署名した旨がシリアのTVニュースで伝えられた。この会合で、クルド人の武装グループ、シリア民主軍(Syrian Democratic Forces: SDF)が署名したかどうかは不明であり、SDFの報道担当者は、統一軍組織の原則には反対しないが、重要事項は地域の外国勢力抜きで議論されるべきだと述べたとされている。

 一方、アサド政権の残党は、暫定政府との戦いを続けている。12月25日、シリア西部のタルトゥースにおいて暫定政府軍は、アサド政権の残党武装勢力と戦い犠牲者をだしたことも報じられている[2]。地中海に面するシリア西部の山岳地帯がアサド政権の基盤をなしたアラウィ派の人々が集住する地域であり、都市部のタルトゥースは同派の人口が多数を占めている。暫定政府軍は、サイダナーヤ刑務所での何十万人もの虐殺に責任があると考えられるアサド政権の司法責任者、ムハンマド・カンジョウ・アル・ハサンを追っていた模様であり、今後も同派住民に支えられて残党武装勢力による抵抗は続く可能性がある。

シリアに関与する関係各国の動向

 アサド政権崩壊時、ロシア軍機による空爆はなく、地上戦においては、強力なヒズボラ軍の姿なく、士気の低い政府軍兵士がいるだけだったので、反乱武装勢力は、アレッポ、ハマ、ホムス、ダマスカスとほぼ1週間のうちに陥落させることができた模様である[3]。12月13日には、ロシアの関係車両・兵器が、撤退に向けて、シリア西部のフメイミム空軍基地やタルトゥース港に集結していることが観測されている[4]。タルトゥースは、上述したように、アサド政権残党派の拠点とも言える街であるが、ロシア軍が踏みとどまる兆候は見られず、ロシアはシリアでの拠点を失ったようである。シリアの国内外の情勢にロシアが実質的な影響を与えることはしばらく難しいと思われる。

 イラン及びヒズボラについては、これまで戦っていた反乱武装勢力が首都ダマスカスを制圧し、暫定政府を形成している以上、シリアにおける拠点を完全に失ったと言える。レバノンに残った弱体化したヒズボラ軍を何らかの方法でイランが直接支援することはあり得ると推測されるが、シリアを拠点、あるいは中継地にしたイスラエル攻撃は行うことができなくなった。

 イスラエルは、先の拙著論考で述べた通り、ハマス及びヒズボラを弱体化させ、かつシリアにおいてアサド政権が崩壊しイラン及びヒズボラが拠点を失ったことにより、自由に軍事行動を起こすことができるという点では中東の「一強」となっている[5]。イスラエルはアサド政権崩壊直後にゴラン高原に隣接するクネイトラ地区等を占領している。アル・シャラア暫定政府指導者の内戦中の仮名の姓にあたる部分はアル・ジョーラーニであり、ゴラン出身を意味する。イスラエルはこのことも念頭においてシリア暫定政府を警戒しているものと思われる。

 現在最も積極的にシリア情勢に関与しているのはトルコであり、早い時期に暫定政府支援を表明した。実際に、12月25日にはSDFの解散ないし撲滅を求めるトルコ外相がダマスカスを訪問し、アル・シャラア指導者と面談し、共同記者会見を行っている[6]。トルコの働きかけが暫定政府にどのように影響するか、今後ともよく見ていく必要がある。

 アメリカは、イスラーム国(IS)との戦いにおいてSDFを支援し、協力関係を構築してきた。また、ヨルダンとの南東部国境近辺のアル・タンフに基地をもっている。第二次トランプ政権が始動した後、SDFとの協力関係がどうなるかは不透明である。さらに、HTSが、過去アル・カーイダ(AQ)との繋がりがあり、アメリカ及びその他国際社会において依然テロ組織と認定され、HTS指導者であるアル・シャラアは懸賞金が未だかかっているという問題がある。暫定政府を支援するにしろしないにしろ、アメリカが積極的に関与するかどうかは第二次トランプ政権始動後の姿勢をよく見ていく必要がある。

 アメリカ、イギリス、フランス、及びドイツは、トルコやサウジアラビア等アラブ穏健派諸国とともに、2024年12月14日シリア問題に関するアカバ会合を開催した[7]。この会合には、アル・シャラア指導者は招待されておらず、人道支援の円滑な搬入について合意したのみであった。しかし、2025年1月12日にリヤドにおいて、シリア暫定政府指導部も参加して開かれたフォローアップ会合は閣僚級(アメリカはバス国務省次官)で、欧州からはイタリア及びスペインも参加するとともに、トルコ及びアラブ穏健派諸国も参加して、シリアに対する制裁解除の方向で議論がなされた。サウジがアラブ穏健派諸国を代表し、アメリカ・ヨーロッパの対シリア解除を要請するとともに、ヨーロッパ諸国は、1月27日にブラッセルEU本部においてEUとして対シリア制裁の解除につき議論することを表明した[8]。

アサド政権崩壊の前と後の中東情勢を動かす軸の差異

 ニューヨークタイムズ紙のコラムニストのトーマス・フリードマンは、アサド政権の崩壊は、中東地域における過去45年で最大かつ潜在的には最も肯定的な「ゲーム・チェンジング・イベント」だと述べている[9]。そこで、過去45年間に中東情勢を動かす軸を確認し、アサド政権崩壊後の状況と比較してみる。

1979年から2024年アサド政権崩壊まで

 1979年、中東においては2つの「ゲーム・チェンジング・イベント」が起こった。1つはイラン・イスラーム革命であり、2つ目はエジプトとイスラエルの間の平和条約締結である。

 イラン・イスラーム革命は、近代化の名の下に進められて来た西洋化・世俗化や社会主義の導入に対し異議を唱えるものであり、イスラームの法や慣習に則った国と個人の在り方を重視する考え方が中東イスラーム社会に広がっていく契機となった。具体的には、イラン・アメリカの関係悪化、イラン・イラク戦争、アラブ湾岸諸国とイランの対立、アフガニスタン・ムジャヘディーン対ソ連及び社会主義の戦い、AQやISの誕生と猖獗、パレスチナにおけるハマスの誕生やエジプトにおけるモスリム同胞団の一時復活などが起こった。

 エジプト・イスラエル平和条約締結の前までは、イスラエルを国家として認めないアラブ諸国と中東における生存権を確保したいイスラエルが対立し、1948年のイスラエル独立後4度の中東戦争が起こった。同条約締結後、アラブ諸国は、1993年にPLOが、1994年にヨルダンが和平合意に達して、平和条約を締結した。2002年にはパレスチナ国家樹立を条件にアラブ連盟が、イスラエルを国家として認める用意がある旨宣言した。さらに2020年には、アラブ首長国連邦(UAE)、バーレーン、モロッコ及びスーダンがイスラエルと平和条約締結及び国交正常化を行った。UAEとの平和条約締結は「アブラハム合意」と呼ばれ、これら4か国とイスラエルの平和条約の総称となっている。

 この2つの「ゲーム・チェンジング・イベント」の後、イスラエルとアラブ国家との間の戦争はなくなり、イスラエル国家の存在を前提にして両者の間の関係が構築されていった。代わって生れたのが、イスラエル国家を容認しないイラン及びその影響下にある非国家武装組織(ハマス、ヒズボラ、フーシ派)のイスラエル包囲網対イスラエルとの間の対立・武力紛争であり、これがアサド政権崩壊前まで続いていた。

 アメリカは、それぞれの軸を巡る動きに大きな影響を与えてきた。イスラーム主義との関係では、イランとの対立とイラン・イラク戦争末期のタンカー護衛艦隊派遣、テロとの戦い、イラク侵攻、AQやIS撲滅作戦などが挙げられる。イスラエル・アラブ和平については、エジプト・イスラエル平和条約締結仲介、中東和平プロセスの開設と和平の進展・パレスチナ自治政府樹立、アブラハム合意等がある。

アサド政権崩壊後の中東情勢を動かす軸

 アサド政権崩壊後の中東情勢を見渡して最初に気づくことは、イスラエル、トルコ及びイランという中東の非アラブ国家が中東情勢に大きな影響を与えうる立場にあると見られることである。これらに対抗するアラブ諸国は、これまでエジプト、イラク、シリアが軍事的にも強力で、同諸国をリードしてきたが、これらアラブ諸国が弱体化し、情勢をリードしたり、これらの国に対抗したりすることはなくなっている。近年ではサウジがアラブ諸国を代弁する形になっているが、経済力はともかく、人口、軍事力の面からは、過去の上記3か国の力からすれば見劣りがする。

 これに対し、イスラエルについては既述の通り、アメリカとの関係、軍事力の観点からは中東「一強」である。また、トルコは、シリアのみならず、パレスチナ問題においても、政治的な発言を行いその影響力は強まっている。イランについては、シリアの対イスラエル拠点は失ったものの、依然としてヒズボラ、フーシ派、ハマスとの繋がりはもっており、何よりもイラクに革命防衛隊の拠点をもつとともに親イラン・シーア派も多数存在する。

 現在、アラブ諸国は、国内的にはイスラーム原理主義・過激主義とのせめぎ合いを押さえつつ、脱炭素社会に備え社会経済を強化する必要がある。イスラエルとの関係強化による国力強化は必然の流れと考えられる。これに対し、イランについては、特に湾岸アラブ諸国にとって、歴史的な対抗関係、国内シーア派への影響力、サウジの二聖地の守護者としての役割への挑戦と聖地巡礼問題などがあり、常に警戒をしていかねばならない。特にイランの核兵器開発・保持の可能性については、サウジは、イランが核を持てば、これに対抗する旨を表明してきている。

 以上を踏まえ、中東情勢を動かす軸を検討すると、二つの軸が考えられる。1つ目は、イスラエル「一強」とこれへの対抗ないし迎合である。国際社会及びアラブ諸国は、イスラエルの対パレスチナ政策への批判と修正要求の一方でイスラエルとの関係強化による自国強化を目指すことも考えられる。2つ目は、中東地域におけるトルコ及びイランの影響力拡大とそれへの対抗ないし反応である。中東地域内外の諸国は、この軸を見据えながら、中東地域の平和と安定を考えていく必要があろう。

 中東情勢を動かす力をもつのはアメリカだけである。しかし、第二次トランプ政権は、1つ目の軸では、イスラエル支援の方向で動くと考えられる一方、2つ目の軸では、コストのかかることは行わないと思われ、当面はヨーロッパや地域諸国のイニシアティブが目立つこととなろう。

中東情勢を動かす軸の変化を踏まえた対応策

 上記の中東情勢を動かす軸の変化を俯瞰すると、アサド政権の崩壊は、フリードマンが述べたように「ゲーム・チェンジング・イベント」であると言えるのであろうか。アサド政権の崩壊により、アラブ諸国最後の独裁政権が消失したことは明らかであるが、シリアは、イラク、リビア、イエメンと同じように、もう一つの貧しく、統治に失敗したか統治の脆弱である国となる可能性もある。だとすれば現時点では「ゲーム・チェンジング・イベント」とは言えない。

 フリードマンも、シリアにおける国内勢力間の競い合いやシリアを巡る外国勢力の争いは、結局地域全体に影響を及ぼし危険であるとしている[10]。また、シリアは、イラクと違って、シリア人自らがアサド政権を崩壊させ、シリア人自身が新たな国づくりをしようとしているのであり、アメリカが国際社会と協力して支援することにより、新生シリアは安定し、前記のような危険を避けることができる可能性を残していることも言及している。新生シリアを安定させることができれば、中東地域にその例を紹介し広げていくための下地となり得る。そこまでできれば、アサド政権崩壊は「ゲーム・チェンジャー・イベント」と言えるのではないか。

 アサド独裁政権の樹立は、社会主義政党であったバース党が、農地改革等を通じてスンニ派の大土地所有者や都市商人の力をそぎ、増大した自作農と農業協同組合の支持を得たこと、及びアラウィ派の若者が軍や警察に入るとともにバース党に入党し、支配者側に属するようになったことが基礎にあった[11]。人口の1割に過ぎないアラウィ派による支配に対してスンニ派の反乱がおきたが、ハーフェズ・アル・アサド前大統領は、1982年までに軍事力と警察力で徹底的にこの反乱を潰し、政権を安定させた[12]。

 2011年から始まった内戦は、アラウィ派対スンニ派の争いと見ることもできる。アサド政権を倒した反乱武装勢力の主軸はスンニ派であり人口の70%を占めるスンニ派が新政権を生み出したものとも言える。現在の暫定政府を中心にSDFとの協力関係をつくり、タルトゥース等アラウィ派が多数を占める地域の住民を排除するのではなく受け入れる姿勢を示すことでシリア国内をまとめていくことは可能と考えられる。

 ここで問題となるのは、中東における新たな2つの軸を構成する、中東地域への影響力を増すトルコや自由に軍事行動を起こせるという意味での中東における「一強」イスラエルのような域内外部勢力が自国の国益や都合の観点からシリア国内政策に影響を及ぼそうとすることである。この影響を最小限にするためには、日本を含む国際社会が新生シリアの国家再建を支援することだと考えられる。フリードマンは、アメリカが支援のイニシアティブをとり、NATO諸国、日本、韓国、オーストラリア、場合によっては中国やインドも加えた連合をつくり、シリア再建の支援を行うことを提案[13]している。フリードマンは、アメリカは、アメリカ国民が耐えられる規模の支援を行うものとはしているが[14]、トランプ大統領の、シリアの内戦は「自分たちの戦いではない」という発言[15]に照らすと、そもそも支援そのものを行うかというところから始まり、支援をする場合でもその態様・規模は積極的なものとなるとは予想できない。

 アメリカの中東政治における影響力を考えれば、アメリカがイニシアティブをとることが望ましいが、第二次トランプ政権がそうしない場合でも、1月12日のリヤドでの会合のようにEU諸国が対シリア制裁解除の方向で動き始めたのを皮切りに、国際社会の連合をつくり、シリア支援を行っていくことは一考に値すると考える。シリア暫定政府が表明しているように、シリアの復興開発が最重要事項であれば、アサド政権残党派やSDFとの争いも終息の方向へ向かう可能性がある。特に、シリア難民を多数抱えるEU諸国は、是が非でもシリアを復興開発の方向に進ませ、難民の帰還を進めたいと考えているはずである。

 また、シリア暫定政府を中心に国際社会の連合がシリアの復興開発を進めれば、「一強」イスラエルもシリアで更なる軍事行動や占領地拡大などの行為を行いにくくなる。中東への影響力を強めるトルコについても、クルド系住民に関する活動や影響力も弱まる可能性も増大する。

 日本も韓国やオーストラリア等とともにシリア及び中東地域の安定の観点から積極的なシリア支援を考えてみてはどうか。

(2025/01/31)