2023年10月7日に始まったイスラエル・ハマス間の戦争は、8カ月を過ぎた今も継続している。2024年5月31日に、アメリカのバイデン大統領は、イスラエルからの提案として包括的な新提案を発表し[1]、翌6月1日には、アメリカ、カタール等の仲介国が、イスラエル、ハマス双方に合意を取りまとめるよう求める共同声明を発表した[2]。6月3日、G7は、この案の支持表明とハマスへの受け入れ要求を行うとともに、「2国家解決」に結びつく和平への信頼できる道筋を支援することを確認した[3]。6月10日には、安全保障理事会がこの包括的新提案をイスラエルとハマスに受け入れるよう求める安保理決議を賛成14、棄権1(ロシア)で採択した[4]。

 6月7日、アメリカ国務省は、ブリンケン国務長官が6月10日から12日にかけてエジプト、イスラエル、カタールを訪問し、この新提案合意の必要性を議論すると発表した[5]。ハマスは、この提案を前向きに受け止めていると表明したものの、まだ合意するとは明言していない。6月8日にイスラエルによって実施された4人の人質奪還作戦については、200名を超えるパレスチナ人の死者が出たとしてハマスは同国を非難している。一方、イスラエルでは、政権内の極右勢力が提案に反対する姿勢を示し、ネタニヤフ首相は、新提案につきアメリカと認識の違いがある旨主張している。イスラエルはハマスを壊滅することを戦争目的にしているが、バイデン大統領の発表は不分明と言うことであろう。6月9日、イスラエルの戦時内閣に加わっていたガンツは党首を務める国家統一党(National Unity party)もろともに同内閣を離脱した[6]。このような当事者の状況を勘案すると、合意へ向けての交渉はいばらの道と思わざるを得ないが、アメリカとしては、バイデン大統領が自ら発表した以上、合意に向けて走らざるを得ないと考えられる。

 また、当事者及び仲介国を中心とする国際社会の目がガザ戦争を終結させることに注がれている間、ヨルダン川西岸においては、ユダヤ人入植者によるパレスチナ人抑圧が続いている。ガザ地区の戦闘が終結し、ガザ地区の復興が始まったとしても、ユダヤ人入植者による西岸地区の浸食が継続するようであれば、「2国家解決」への道を妨げる障害となるであろう。

 本稿では、こうした情勢を踏まえ、イスラエルの提案と称する包括的新提案の概要と発表された背景を確認したうえで、その裏に潜む課題として西岸地区における状況を指摘する。そして、アメリカや日本のとるべき姿勢について提言したい。

包括的新提案の概要と背景

 イスラエル提案と称する包括的新提案は、3つの段階から成る。第1段階は、6週間の完全な停戦であり、ガザ地区の人口密集地からの全イスラエル軍の完全撤退、パレスチナ人囚人の解放と引き換えに女性、高齢者及び負傷者を含む一定数の人質解放が行われる。アメリカ人の人質はこの時解放される。第2段階では、ハマスが全ての人質を解放する一方、イスラエルはガザ地区から完全撤退することで、「敵対行為の完全な停止」に至るとされている。第3段階では、ガザ地区の復興が開始され、亡くなった人質の遺体が遺族に返還されるとしている[7]。

 この新提案をバイデン大統領が発表した理由は何であったろうか。これについては、作家でコラムニストであるD.イグネイシャスが5月20日付ワシントン・ポスト紙のオピニオン欄に発表した論考が参考になる[8]。同論考は、サリバン国家安全保障補佐官と中東担当のマクガーク同補佐官代理の中東訪問を良く知る者から得た情報として、ガザ戦争終結が可能だとアメリカが判断するに至った5つのポイントを述べている。

  1. 1) ガザ戦争が中東全域に広がらないようにイランと水面下の協議を行い、イラン影響下の勢力の動きを押さえていること。
  2. 2) イスラエルが、アメリカが市民の犠牲がほとんどなくなると考える限定的なラファ攻撃(ハマスの残存4大隊への最終攻撃)に合意したこと。
  3. 3) イスラエルは、ハマスの75%の組織的軍事力を壊滅し、ラファ攻撃で残る軍事能力のほとんどを奪い、ハマスは、ゲリラ勢力として民衆の中に入っていくことになる。イスラエルは、西岸地区で行っているのと同じように反乱者への通常の鎮圧行動をとることができる。
  4. 4) イスラエルの国防省は、パレスチナ自治政府(PA)の治安部隊が、エジプト、ヨルダン、U.A.E.及びサウジアラビア(サウジ)に支援されたパレスチナ人有力者によって監視され、ガザ地区に展開することに合意した。ネタニヤフ首相は違うがイスラエルの政府関係者(officials)はこのガザ統治機関がPAと関係を持つことを受入れた。ハマスもこの統治機関が移行措置であるとして受入れるだろう旨をエジプトに伝えた。
  5. 5) サウジは、イスラエルとの関係正常化を含む、アメリカとの安全保障取極めのほぼ最終的な案に合意した。サウジは、二国家解決へ向けての信頼できる道について合意することを期待している。

 イグネイシャスは、上記の合意のための5要素は、まだ紙の上のものであり、ネタニヤフの右翼政権は多くの詳細を問題化するだろうことから、最終的には、将来のイスラエル政府の手に委ねられるかもしれないとしている。ガンツは、辞任に際し、早期の総選挙をネタニヤフ首相に呼びかけている。包括的新提案は合意してこそ、戦争の終結への起点となるのであり、合意までにはまだまだ交渉という道のりがあることを認識した上で、我々は、状況を見守っていく必要がある。

西岸地区における状況

 国際社会の目がガザ戦争を終結させることに注がれている間、西岸地区においては、パレスチナ人抑圧が続いている。こちらも大事な問題だ。5月16日、筆者は、訪日したムニブ・ユナン元ルーテル世界連盟(LWF)会長と会食した[9]。ユナン師の話の中で最も気になったことは、次の2点である。

 第一に、ユダヤ人の入植地拡大により、西岸地区のパレスチナ人の人権が踏みにじられていることである。同師の家系は西岸地区に広い土地をもち登録もされているが、同師の弟がその土地の一部に家を建てようとしたところ、ユダヤ人入植者がその土地を占拠し、銃をもって同師の弟を追い払った。同師の弟は、イスラエルの地方政府に権利証をもって訴えたが、役人は、これは政治的問題だから何もできない、と述べ泣き寝入りさせられたと語った。

 第二に、神殿研究所(The Temple Institute of Jerusalem)をアメリカ人キリスト教シオニスト過激主義者がユダヤ人以上に支援していることである。同研究所は、ユダヤ教神殿の聖なる場所に入る祭司を清める為に赤牛(red heifer)犠牲の儀式を近日中に行う計画であるとしている。この儀式は第3神殿を建設する同研究所の計画の一部であり、第3神殿を建設するということはイスラームの第3の聖地「ハラムッシャリーフ」にあるアル・アクサ・モスクや岩のドームを移転乃至破壊することを意味する。これは、エルサレムにおける多宗教の共存の障害となるだけでなく、宗教戦争に繋がることになる。自分(ユナン師)は、キリスト教徒としてこのアメリカ人キリスト教シオニスト過激主義者の動きをとめなければならないと考え、聖地及び世界各地のキリスト者とともに同シオニストに反対するクリスチャン署名運動を行っている[10]。

 世界がガザ戦争に目を向けている間に、西岸地区において入植地の拡大がイスラエル政府の黙認の下で継続し西岸地区のパレスチナ人の権利と尊厳が傷つけられる一方、宗教戦争の危機を孕む活動がアメリカ人キリスト教シオニスト過激主義者の支援によって進められている。

 昨年10月31日付で中東調査会の高岡豊協力研究員は、ガザ戦争の陰に隠れた形で西岸地区においてイスラエル軍がハマス関係者掃討戦を実施していることに言及するとともに、ユダヤ人入植者によるパレスチナ人の追放や彼らの身体・財産に対する攻撃について次のように報告している[11]。

入植者の一部は、現在の状況に乗じてオスロ合意の際に「C地区」(注:ヨルダン川西岸地区の61%を占める。イスラエルの制圧下にあり、PAの権限やパレスチナ人による行政サービスの管理は及ばない)と定められた地域からパレスチナ人を一掃することを企画し、住民の追放や家屋の破壊を進めている。イスラエルの人権活動家によると、これまでの「C地区」で通算150平方キロメートル(注:ヨルダン川西岸地区の総面積は5660平方キロメートル)の土地から住民が追放されている。同地区の治安権限はイスラエルが持つが、イスラエルの軍・警察は入植者の行為に干渉しないばかりか、入植者を警備している。

 今回の包括的新提案は、第3段階までしかなく、そこではガザ地区の復興が企図されている。しかし、上記のような西岸地区の状況を放っておくならば、「二国家解決」が遠のくどころか、ガザ地区の復興も見通せない。第3段階に入る前に、西岸地区のパレスチナ人の抑圧状況も注目され、ガザ地区にはなく、パレスチナ独立へ向けて最も重要な項目の1つである土地(領土)の問題に行きつくからだ。ガザ地区は復興しているのに、なぜ西岸地区は抑圧されたままなのか、という問と怒りが、西岸地区のパレスチナ人から湧き出てくるだろう。さらに、それを見たサウジアラビアを始めとするアラブ穏健派諸国も物申すようになると考えられる。特にサウジアラビアは、イスラエル国家承認という強力なテコをもっているが、それが諸刃の刃となりイスラーム教徒からの批判を避ける為にイスラエルとアメリカに対し強い態度に出る可能性がある。

 アメリカはトランプ政権が西岸地区への入植は国際法違反ではないとした宣言を撤回し、アメリカ人キリスト教シオニスト過激主義者の動きを押さえるべきである。また、イスラエル政府も「二国家解決」を再考すべきである。そうすることで、包括的新提案はガザ戦争終結を達成し、ガザ地区の復興も視野に入り、「二国家解決」の礎となり得るだろう。

日本のとるべき姿勢

 日本は、西岸地区の状況を放っておくならばガザ地区の復興も見通せないという点を念頭に、入植地問題等政治的問題の交渉を下支えするパレスチナ自治区の社会経済を強化するという観点から、ガザ地区の復興支援を行うとともに、西岸地区の社会経済支援に力を入れるべきである。日本が提唱した「平和と繁栄の回廊」構想[12]を再度アピールし、ジェリコ産業団地を起点として進めるべきである。この考え方と施策を基礎に包括的新提案の第3段階の内容具体化と西岸地区とともに復興させていく提案を行うべきである。

 また、入植が国際法違反であることを外務省ホームページに掲載するだけでなく、イスラエルに対し物申し、アメリカに対して助言すべきである。ガザ地区のハマスが一掃され、PAの治安部隊がガザ地区の治安維持を担う一方、西岸地区のパレスチナ人の多くがイスラエル軍の支配下で身体と権利の危機に晒されているという状況にパレスチナ人もアラブ諸国も耐えられるだろうか。アメリカやイスラエルに対してこのことを言えるのは、手を汚してきていない日本の特権ではないだろうか。

(2024/06/24)

脚注

  1. 1 “Remarks by President Biden on the Middle East,” The White House, May 31, 2024.
  2. 2 “Joint Statement of the United States, Egypt, and Qatar,” United States Department of State, June 1, 2024.
  3. 3 “G7 Leaders’ statement on Gaza,” Italian Government Presidency of the Council of Ministers, June 3, 2024.
  4. 4 “Gaza: Security Council adopts US resolution calling for ‘immediate, full and complete ceasefire,’UN News,June 10, 2024.
  5. 5 “Secretary Blinken’s Travel to France, Egypt, Israel, Jordan, Qatar, and Italy,”U.S. Department of State, June 7, 2024.
  6. 6 Jake Lapham, “Israeli war cabinet minister Benny Gantz quits emergency government,” BBC, June 8, 2024.
  7. 7 “Remarks by President Biden on the Middle East,” The White House, May 31, 2024.
  8. 8 David Ignatius, “Opinion: The U.S. assembles the pieces of a possible Gaza war endgame.” The Washington Post, May 20, 2024.
  9. 9 筆者とユナン師とは、同師がエルサレム・ルーテル教会の司教をしていた30年前に知人の紹介で知り合った。筆者は同師が3年前に庭野平和財団の庭野平和賞委員に就任し、毎年来日することになり、その度に旧交を温め、パレスチナの状況について話を聞いている。
  10. 10 “Promote the Peace of Jerusalem: Stand Against Christian Zionist Extremism,” Change.org, accessed June 20, 2024.
  11. 11 高岡豊「パレスチナ:ヨルダン川西岸地区の壊滅的状況」中東調査会『中東かわら版』No.116、 2023年10月31日。
  12. 12 外務省「「平和と繁栄の回廊」構想」2018年4月29日。