ナイル川のエチオピアに総貯水量740億立方メートルの超巨大ダム「大エチオピア・ルネサンスダム(Grand Ethiopian Renaissance Dam:GERD)」[1]の建設が竣工し、貯水を巡って下流に位置するエジプトおよびスーダンとの間の対立が激化している。2011年3月にエチオピア政府がGERD建設を発表[2]して以来、エジプトは、スーダンとともに、GERD建設が自国に流れるナイル川の水量に多大な影響を与えるとして、反対してきた。エジプトは必要とされる水のほぼ全てをナイル川に頼っており[3]、GERDが少しでも下流域の水量に影響を与えるとすれば、敏感にならざるを得ない。
乾燥地域である中東・北アフリカおいて、人間の命を保ち、農業を成り立たせ食糧確保を行う元となる水は最重要資源である。ナイル川は、そのことを示す最も顕著な例であり、ヘロドトスが述べるように、豊かな古代文明を発達させた「エジプトはナイルの賜物」なのである。従って、エジプト政府は、ナイルの水量確保を譲れない国益としてこの問題に対応することになる。
これに対し、エチオピアからすれば、自国の経済発展上でネックとなっている電力不足を解消する上で、GERD建設は必要不可欠なものと考えており、建設・発電は譲れない。これまで、両国に加え、スーダンは、この問題につき協議を重ねてきている。しかし、協議がまとまらない場合、アラブ諸国及びアフリカ諸国内で中心的役割を果たしてきたエジプトとアフリカ連合の本部が置かれアフリカ諸国に大きな影響力のあるエチオピアという2つの地域大国の対立は、今後継続してアフリカ大陸の平和と安定にとっての脅威となりうる。以下、GERD建設を巡る対立とその解決に向けての方策について探ってみたい。
GERD建設を巡るエジプト・スーダンとエチオピアの対立
ナイル川は、スーダンのハルツームで、アフリカ東中部のビクトリア湖から流れ出る白ナイル川及びエチオピアから流れ出る青ナイル川が合流し、エジプトへと流れているが、エジプトが受ける水の86%は、青ナイル川が運んできたものである[4]。従って、もし青ナイル上にダムを建設し、貯水を行えば下流に流れる水量に多大な影響を与える可能性が出てくる。
GERDは、水力発電用のもので、その発電能力は、600万キロワット、日本の黒部第4ダムの33.5万キロワットと比較すれば分かるように、圧倒的な発電量であり、ここで発電された電力は、隣国にも供給されるとしている。一方、発電を行うためには、ある程度の貯水が必要であり、それをいつどのような量で行うか、エジプト、スーダンが干ばつにみまわれた場合の対応措置をどうするかが、交渉における大きなポイントとなっている。
エジプト、スーダン、エチオピアの関係3か国は、2019年11月以降、各国が相互に担当相が訪問して4回にわたる技術会合を開催し、2020年1月には、米国ワシントンで、米国及び世界銀行も入って、GERDに関する最終合意を結ぶための会合を開催した[5]。1月13~15日の会合で最終合意が成らなかったため、同月末にワシントンで再度会合を開催し、貯水スケジュールに加え、短期的及び長期的な干ばつの被害削減を図るメカニズムづくりの問題につき専門家が更に協議を行い合意案を策定し、2月末までには3か国が最終合意書に署名するとされた[6]。
しかし、2月末までに専門家間で最終合意に達することはなく、7月上旬、アフリカ連合(AU)の調停で、オンライン協議を連日実施していたが、同月13日には決裂した[7]。このような中、7月15日、エチオピア政府が、GERDの貯水が始まったと表明すると、エジプトは反発し、緊張が高まった[8]。この件については、15日の貯水開始は誤報で、雨期の豪雨で自然に水がたまったものであることをエチオピア政府が説明するとともに、7月21日、3か国首脳が、協議継続で合意したことを発表し収まったが[9]、従前からの対立点は合意に至っておらず、火種は残っており、今後も注視していく必要がある。
今後の注目点
上述した交渉状況から分かることは、合意を疎外する技術的な問題は、ダム貯水と干ばつ時や干ばつ年が継続する際の被害削減のためのメカニズムづくりであること、これらにつき専門家間で話し合いを継続しても、半年以上の間合意に達することができない事実である。
ブルッキングス研究所のジョン・ムクン・ンバク(John Mukum Mbaku)非常勤上級研究員は、この背景として、エジプトが、1929年のAnglo-Egyptian Treaty (1929AET)と1959年のAgreement between Egypt and Sudan(1959 AES)を根拠に、ナイルの水に対する自国の特別の権利(「自然的・歴史的権利」)を主張し続けていることを挙げている[10]。1929AETはイギリスとエジプトが、1959AESはエジプトとスーダンが結んだ条約であるが、その中でナイルの水に対するエジプトの権利が認められており、同国の同意なしにナイルの水量その他に関する変更は認められないとするのである。
エチオピアを始めとするナイル川流域諸国からすれば、自国のナイルの水に対する権利を考えれば、エジプトの「自然的・歴史的権利」の主張は認めがたいものがある。
このような埋め難い主張の隔たりを克服することも考え、アメリカと世界銀行が調停者となり、本年1月の3か国協議がなされたわけであるが、両者以外にも域外諸国等が、この問題に関心を示している。例えばロシアは、ラブロフ外相がAUトロイカ外相とのオンライン協議で、GERD問題に対し、支援の申し出をしている[11]。ラブロフ外相はアメリカによる調停に言及しつつ、この申し出をしており、この問題が大国間の競争の道具にされる可能性も生まれてきているとも言える。エチオピアの近年のインフラ開発は、中国の資金的援助により進められおり、GERDはその代表的なものである。これまで中国は、交渉に対して介入する姿勢は見せていないが、エチオピアの背後に中国がいることを忘れるべきではない。
したがって、ロシアや中国などが介入し問題が複雑化する前に、最終合意に向けた交渉を再開するべきである。このためには、アメリカの調停者としての役割は重要である。エジプトを説得し、ナイルの水がエジプトの生死にかかわることを認めつつも、技術的な課題解決に関係3か国を向かわせるようにする必要がある。現在アメリカは、大統領選挙を前にして外交的動きが十分に取れない状況ではあるが、大統領選挙後すぐさま調停に携われるようにすべきである。それまでの間、日本を始めとする他の域外国は、関係3か国に対し、それぞれの話を聞きつつ、アメリカが調停する交渉に参加するよう促し、大統領選挙後すぐにも交渉が始まるような国際環境づくりに貢献すべきである。
(2020/9/14)
脚注
- 1 「(アフリカはいま)ナイル川、巨大ダムの衝撃、上流のエチオピア、建設」『水源連ニュース』2019年8月19日。
- 2 「中国のプレゼンスが際立つエチオピアの大規模インフラ事業」『国建協情報』2020年1月号(No.876)掲載(要約版)2020年1月。
- 3 エジプトの国内水需要は、上記註2資料では95%、AFPによれば、97%をナイル川に依存しているとされる。「[解説]ナイル川流域国で対立激化、エチオピアの巨大ダム」AFP, 2020年7月1日。
- 4 「中国のプレゼンスが際立つエチオピアの大規模インフラ事業」『国建協情報』2020年1月号(No.876)掲載(要約版)。
- 5 U.S. Department of the Treasury, “Joint Statement of Egypt, Ethiopia, Sudan, the United States and the World Bank,” Statements & Remarks, January 15, 2020.
- 6 U.S. Department of Treasury, “Joint Statement of Egypt, Ethiopia, Sudan, the United States And the World Bank,” Statements & Remarks, January 31,2020.
- 7 「ナイル上流、ダム水位上昇「貯水』警戒、流域国緊張」『JIJI.COM』、2020年7月17日。
- 8 同上。
- 9 「エチオピアのダム貯水、協議継続で合意 エジプトなど」『日経新聞電子版』2020年7月22日。
- 10 John Mukum Mbaku, “The controversy over Grand Ethiopian Renaissance Dam,” Brookings Institution, Africa in Focus, August 5, 2020.
- 11 ”Lavrov: Russia offered technical assistance on Renaissance Dam to Egypt, Ethiopia, Sudan,” Middle East Monitor (MEMO), July 9, 2020.