新型コロナウイルス感染症(以下、COVID-19)は、中東諸国にも大きな影響を与えている。ジョンズホプキンズ大学の統計[1]によれば、4月20日(日本時間午後11時38分)現在、確認された感染者数はトルコの86,306人を筆頭に、イラン83,505人、イスラエル13,654人、サウジアラビア(以下サウジ)10,484人、アラブ首長国連邦(UAE)7,265人などとなっている。中東各国・各地域ともその政治的、経済的悪影響は大きく、COVID-19対策以外の政策に手が回らない状況にある。

 このような中、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子(以下、MBS)がかじ取りを務めるサウジは、2月中旬中東におけるCOVID-19の禍が広がり始めて以降も政治経済両分野で顕著な動きを見せた。OPEC協調減産合意失敗後の増産と石油価格急低下、その後の同減産合意。また、イエメン内戦での一方的停戦発表。更には、国内における有力王族の自宅軟禁。これらによりサウジは財政上の損失を大きくし、また、アメリカとの関係も危うくしたが、MBSの地歩固めには有利に働いたのではないかと推察できる。

 サウジ王位の円滑な継承は、現段階ではサウジの将来にわたる政治的安定を左右する。サウジが安定を失えば、世界のエネルギー市場に大きな影響を与え、サウジからの原油輸入量が約4割(2017年度の輸入量の39.4%[2])という日本のエネルギー安全保障に直結する。以下、COVID-19禍下のサウジ王家の現状と展望を分析する。

COVID-19禍が中東勢力図にもたらした影響

 COVID-19の広がりにより最も大きなダメージを受けたのは、イランである。8万人以上の感染者と5千人以上の死者という数字を超えて、各国との国境の閉鎖、陸海空の交通の停止は、アメリカの制裁強化による経済状況悪化に拍車をかける結果となった。2月21日のイラン総選挙では、反米の保守強硬派が圧勝し、穏健派や改革派の退潮が際立っていたが[3]、COVID-19はロウハニ政権を一層追い込む結果になっている。同政権は、アメリカに制裁解除を要求し、国際通貨基金(IMF)に50億ドルの支援を要請するなどしているが[4]、後手後手に回ったコロナ対策で国民の信頼を失っている[5]。保守強硬派は、国内的には勢力を延ばしたが、対アメリカへの小規模な攻撃[6]がいくつか起こった以外目立った行動はない。

 このイランの状況は、これまで対立してきたサウジにとっては、イランからの圧力が軽減するものであり、好都合である。イランが後ろ盾するイエメンのホーシー派との戦いにおいても有利に働いていると考えられる。3月28日サウジ主導の連合軍は、同派がサウジの首都リヤドに向けて発射した弾道ミサイルを迎撃したと発表した[7]。一方で、サウジは、4月8日一方的にイエメン内戦の停戦を宣言した。この停戦はCOVID-19のイエメンでの爆発的感染を防ぐことを理由にし、グリフィス国連イエメン特別代表のCOVID-19対策の呼びかけを支援するものとしている。戦闘はまだイエメン各地で続いているが、同時にグリフィス代表の停戦呼びかけとホーシー派も含めた国連における話し合いも引き続き行われている[8]。また、停戦に係るサウジとホーシー派の間接的交渉も行われた模様である。ここで明らかなことはイランの姿がホーシー派の後ろに見えないことである。サウジは、イエメンにおいても主導的立場をとっていると言える。

原油の協調減産をめぐるサウジの動き

 3月6日のOPECとロシア等主要産油国との原油の協調減産交渉が決裂した後、サウジは、一転して増産に走り、油価は急激に下落した。サウジの指揮を執るMBSには、原油収入の減少で一段と緊縮財政を強いられる一方、王族の内部でくすぶるMBSへの不満が表面化する危険性に直面していた[9]。また、自国のシュールオイル企業を守りたいアメリカ等から、追加関税の圧力を受けるなど[10]、本来頼るべきアメリカとの関係が悪化した。

 しかしこのような中、4月9日、OPECとロシア等主要産油国との間で日量1000万バレル減産の合意がなされた[11]。サウジの強気の姿勢は、ロシアへのアメリカの働きかけを引き出すなど、協調減産への大きな要因となった。しかも、アメリカのシェール開発中止急増[12]やアメリカ石油メジャーのエクソン・モービルの設備投資1兆円削減など、MBSが目論むシェール企業振り落とし[13]にある程度の成果を得ることができた。

 ただし、COVID-19感染の世界規模での拡大による、世界規模での石油需要の大幅な縮小は、MBSの思惑を超えたものとなるかもしれない。確かに油価下落は協調減産合意を促がすこととなり、結果的にはサウジだけが減産を迫られることなく、MBSには一時は助け舟だったかもしれない。しかし、協調減産合意後も、止まらない石油需要の縮小と原油価格の下落はだれもの想定を超えていると言わざるを得ない。これらが、サウジ国内外政治にとってどのような影響を与えるかは予断を許さず、今後も注視していく必要がある。

サウジ国内でMBSの反対派が拘束

 3月5日、サウジ当局はムハンマド・ビン・ナエフ前皇太子とその弟のナワフ王子、サルマン国王の同腹の弟のアハマド王子を拘束した[14]。前皇太子の容疑は「反逆罪」である。これら王族は、サルマン国王やMBSと最も近い血縁であるが、他方で、MBS反対派からすれば最も担ぎやすい人物たちである。彼らを拘束、或いは軟禁し、監視下に置いたことは、MBSの円滑な王位継承にとっての障害の一つを取り除いたことになる。各国がCOVID-19対応に集中する中、国際世論に大きな注目を浴びることなく行えたことは、MBSにとっては幸運だったと言える。

 サルマン国王は、既に84歳である。同国王が健在な間にMBSの地位を確立することが、円滑な王位継承への道である。このためには、部族、宗教関係者への統制をかけ、ライバルとなり得る王族を抑え込むことが肝心である。COVID-19拡大防止のため、サウジは、小巡礼(ウムラ)[15]を制限し、更には、2聖都市、メッカとメディナを当初の巡礼の制限から後には都市封鎖にまで強化した。これにより、宗教関係者に対する統制力は強まった。また、部族に対してもCOVID-19対策で政府に頼らせることで統制力を強めている。

MBSの今後の課題

 以上を勘案すると、MBSは、COVID-19感染拡大によるイランとその後ろ盾を失ったイエメンのホーシー派の弱体化という地域の政治環境に恵まれ、COVID-19の後押しを受け石油価格低下によるシェールオイル開発抑制に成功し、COVID-19感染拡大の名の下に部族、宗教関係者への統制力を強め、かつその陰でライバルの除去にも成功した。王位継承への地歩固めが前進したと言える。

 しかし、この間、多くの王族、特に有力王族のCOVID-19感染が発生した[16]。また、サルマン国王はすぐさま、完全隔離したとのことであるが、何しろ高齢である[17]。COVID-19に万が一感染した場合、MBSが考える通りには進まなくなる可能性がある。

 更に、COVID-19パンデミックは、いつまで続くのか現時点では不明である。収束までの時間が長引いた場合、サウジの財政はさらに悪化する。それが部族や宗教関係者更にはMBSの支持者である若者や女性への統制力弱体化につながる可能性は低くはない。また、石油価格低迷が続けば、中長期的サウジの産業改革も資金の裏打ちがなくなる。

 対外的にも、イランがCOVID-19への対応最重視の立場から解放された場合、イエメンへの影響力行使は必至である。それまでに停戦と和平への道筋づくりを実現せねば、再度イエメンという負荷を負わねばならなくなる。

 これらをどう克服していくかは、単にMBSの円滑な王位継承ということを超えたサウジの安定を占うものとなるだろう。日本としては、サウジの産業転換努力への協力姿勢を静かに継続し、これまでの原油取引関係を維持しながら、サウジ内外の情勢変化とそのリスクを注視していく時期となろう。

(2020/4/24)

脚注

  1. 1 “Covic-19 Dashboard” Center for Science & Engineering at Johns Hopkins University ,20 April, 2020.
  2. 2 資源エネルギー庁『エネルギー白書2019』表【第213-1-3】原油の輸入先 p.122。
  3. 3 「イラン総選挙 強硬派圧勝勢い 大統領選に影響も」『毎日新聞』2020年2月24日。
  4. 4 「イラン『米は政策解除を』」『日本経済新聞』2020年3月25日。
  5. 5 同上。
  6. 6 3月11日にバグダッド北方のタージで米軍などが駐留する基地に多数のロケット弾が撃ち込まれ、少なくとも米国人2人と英国人1人が死亡した。「米イラン関係再び緊張」『日本経済新聞』2020年3月13日、他最近では、4月15日にイラン革命防衛隊の舟艇がアメリカ軍艦に異常接近する事件も起きている『日本経済新聞』2020年4月16日。
  7. 7 Ben Hubbard and Saeed Al-Batati, “Saudi Arabia Declares Cease-Fire in Yemen, Citing Fears of Coronavirus,” The New York Times, April 8, 2020.
  8. 8 Ibid.
  9. 9 「減産決裂 サウジに試練」『日本経済新聞』2020年3月9日。
  10. 10 「サウジ・ロシア、協調模索」『日本経済新聞』2020年4月7日。
  11. 11 「日量1000万バレル減産合意」『日本経済新聞』2020年4月10日。
  12. 12 「米シェール開発中止急増」『日本経済新聞』2020年3月25日。
  13. 13 上記注9。
  14. 14 同上。
  15. 15 巡礼月以外の時期の巡礼(「アラブ・イスラム・中東用語辞典」松岡信宏2014)
  16. 16 David D. Kirkpatrick and Ben Hubbard ,“Coronavirus Invades Saudi Inner Sanctum,” The New York Times, April 8, 2020.
  17. 17 Ibid.