はじめに

 2022年12月28日、尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権は韓国初のインド太平洋戦略「自由、平和、繁栄のインド太平洋戦略」を発表した。この新戦略では、これまでの南北関係・南北問題を重視した外交政策アプローチからの脱却をうたっており、自由・平和で繁栄するインド太平洋というビジョンを追求する「グローバル中枢国家」としての新たな地域的役割をアピールしている。とりわけ、韓国政府は包容、信頼、互恵という3大原則の下、価値観を共有する国々と緊密に協力し、「普遍的価値に根ざしたルールに基づく国際秩序」の強化に貢献することを保証した[1]。

 韓国はこの地域における米国のパートナーの中で、トランプ政権以降の米国の地域戦略の中核的な柱であるインド太平洋構想に加わることを躊躇した数少ない国の1つである。そのため、韓国が「インド太平洋国家」であることを宣言し、この地域の普遍的価値を守るという決意を示すことにより、韓国政府が初めて「インド太平洋」の文脈内で外交政策を組み立てようとしたことは、多面的なメッセージを伝えている。実際、この戦略は韓国初の包括的な外交戦略としてだけでなく、変化する世界に対応するための戦略ナラティブとしても極めて重要である。

 戦略ナラティブとは、政策の目的と手段、および道徳的権威を詳述して正当化するストーリーを提供することで受け手に影響を与え、特定の目標を実現するために不可欠な政治的ツールである[2]。韓国政府は価値観を重視した戦略ナラティブを用いて、言葉と行動の両面からメッセージを発信しようとした。しかし、この戦略にはこの地域の多様なプレーヤーに関するさまざまなナラティブが含まれているため、しばしば一貫性を欠いたメッセージをもたらす。

 本稿では、まずこの地域において普遍的価値を共有する国とその価値に挑戦する国という2つのグループに関する戦略ナラティブを検討する。その後、韓国のインド太平洋戦略の主な目標を分析し、同国のインド太平洋における取り組みに対する一貫性を欠いたメッセージという重要な課題を取り上げる。

普遍的価値を共有する国に関する戦略ナラティブ

 まずこの戦略には、自由、民主主義、法の支配、人権といった普遍的価値を共有する米国をはじめとする同志国に近づくことで外交政策を再構築したいという韓国政府の願望が込められている。韓国政府は「自由で開かれた」ではなく「自由、平和、繁栄の」という独自の言葉を使ったが、そのインド太平洋戦略は米国の「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」に似ている。普遍的価値に根ざした「自由」と「ルールに基づく国際秩序」を強調していることは、米国がFOIPの名の下で精力的に追求してきたものと合致する。また、2022年5月の首脳会談で尹錫悦大統領とジョー・バイデン米大統領がインド太平洋構想の共通認識を確認した直後に、韓国が独自のインド太平洋戦略の策定を正式に決定したことも注目に値する。それ以降、韓国外交部北米局が中心となってインド太平洋戦略を策定し、米国をはじめ日本などの同志国から意見を募った[3]。

 戦略文書では、韓国の外交政策においては米国、日本、オーストラリアといった価値観を共有するパートナーとの協力が優先されることが明確化された。特に、「最も近い隣人」としての日本の重要性が強調され、「志を同じくするインド太平洋諸国間の協力と連帯を促進するために不可欠」な日本との関係改善に向けた韓国政府の意志が表明されている[4]。また、経済から伝統的・非伝統的安全保障に至るまで、幅広い分野を含む包括的パートナーシップを強化するという意向も示されている。これは基本的に、韓国が戦略的曖昧さから距離を置いていることを示しており、地域問題における消極的なプレーヤー、あるいは米国の同盟ネットワークの「弱点」としての過去のイメージを払拭するものだ[5]。

 実際、韓国政府は尹大統領就任以来、米国や価値観に基づくインド太平洋のパートナーとの協力を進めるという政治的意志を伝える努力を一貫して行ってきた。特に、インド太平洋経済枠組み(IPEF)への参加を決定するとともに、米国、日本、台湾との半導体供給網「チップ4」の予備会議に出席する意向を明らかにした。さらに、尹大統領は韓国大統領として初めてNATO首脳会議に出席した。これにより、韓国政府はインド太平洋の主要プレーヤーとして、米中対立が激化する中で価値観に基づくより多様なパートナーを惹きつけ、戦略的選択肢を拡大する政治的意志と能力を高めていることを示したのである。

普遍的価値に挑戦する国に関する戦略ナラティブ

 文在寅(ムン・ジェイン)政権は米国主導の民主主義連合に対して比較的慎重な姿勢を崩さなかったが、韓国のインド太平洋戦略は、中国をはじめ普遍的価値に挑戦する国々に対する姿勢の変化を表している。特に、韓国が「力による一方的な現状変更」に反対し、「力や威圧ではなく、ルールと普遍的価値によって形成される地域秩序の推進と強化」を望んでいることが明示された[6]。戦略文書はロシアのウクライナ侵攻を国際法違反として非難し、ウクライナの平和への揺るぎない支持を約束している。また、南シナ海における航行の自由と上空飛行の自由の確保、および台湾海峡の平和と安定の維持に対する韓国の強い支持をはっきりと表明している。

 確かに、文前大統領は2021年5月の米韓共同声明で南シナ海と台湾海峡について同様のコミットメントを表明した[7]。しかし、尹大統領はさらに一歩踏み込んで、台湾の安全保障を朝鮮半島の安全保障と結びつけ、ルールに基づく海洋秩序に従って地域の海洋問題に対処するために、海洋安全保障協力を強化したいという韓国政府の意向を示した。その一環として、戦略文書では東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国への韓国の海軍艦艇移転や軍事兵站支援の強化を約束している。

 さらに、この戦略には韓国と中国の関係を再構築するという韓国政府の意図が込められていた。かつて終末高高度防衛(THAAD)システムの配備を巡って中国から激しい報復を受けた韓国が、中国と「相互尊重」に基づき「国際規範と規則に立脚[8]」した「より健全で成熟した関係を育む」という文言をインド太平洋戦略に盛り込んだことは重要な意味を持つ。

 尹政権は、「三不」政策を打ち出して中国をなだめようとした前政権とは異なる方針を取った。尹大統領は、韓国にTHAADを追加配備しない、米国のミサイル防衛網に参加しない、韓米日3国軍事同盟を結ばないことを約束した「三不」政策に必ずしも縛られないと表明した[9]。また、THAAD配備は韓国の国家自衛の一環であり、中国と「交渉する余地はない」と述べた[10]。

 加えて、日本に言及した後に中国に言及している点も注目に値する。また、北朝鮮の核・ミサイル問題に対処するための韓米日協力の意義を強調する一方で、中国については触れなかった。さらに、中国との緊密な経済連携にもかかわらず、経済安全保障の名の下で価値観に基づくパートナーとの二国間・多国間協力を重視していることは、韓国が対中依存を減らし、経済面でもパートナーシップを多様化しようとしていることを示している。

一貫性を欠いたメッセージ:中国とのデカップリングと中国との連携

 一方、報道によると、韓国政府は中国との関係を断ち切るつもりはなく、大国間の戦略的競争に巻き込まれることは避けたいと考えている。中国が国連の新たな対北朝鮮制裁に拒否権を行使したにもかかわらず、中国は依然として韓国にとって最大の貿易相手国であり、南北問題解決の主要なプレーヤーである[11]。韓国政府は、「引っ越せない隣人」と指摘した中国との協力を拒否することは賢明でも現実的でもないことを十分に理解していた[12]。このように、尹大統領は前政権の曖昧な対中姿勢を批判したものの、新たなインド太平洋戦略のナラティブは微妙なニュアンスを帯びていた。

 この戦略には、中国とのデカップリングと中国との連携という2つの一貫性を欠いたメッセージが含まれている。普遍的価値を守るために価値観に基づくパートナー間の協力を重視するこの戦略は、中国と距離を置きつつ、米国をはじめとする志を同じくするパートナーとの関係強化に重点を置くという韓国政府からのシグナルと解釈されることが多い。だが同時に、「特定の国を標的にしたり排除したりするものではない」という包容性が強調され、中国は「韓国がインド太平洋の平和と繁栄を実現するための重要なパートナー」であると明記されている[13]。また、地域の平和と繁栄のための3カ国首脳会談の再開など、韓日中協力を進めようとする韓国政府の意欲も示されている。実際、韓国外交部は戦略策定の過程で中国政府と意思疎通を取って中国の反感を買わないように努め[14]、外交部次官補で中国専門家である崔泳杉(チェ・ヨンサム)氏を戦略の導入と実行の責任者に任命した[15]。

結論

 インド太平洋戦略は韓国にとって大きな成果であり、国際的な力学が変化する中で新たな地域的役割を推し進め、戦略的選択肢を拡大するという政治的意思を示すことに成功した。実際、米国をはじめ、日本、オーストラリア、カナダなどの同志国は韓国のインド太平洋構想を歓迎し、この地域でのさらなる協力への期待を表明した[16]。さらに、中国政府が「排他的な集まり」に不快感を示したとはいえ、韓国政府は中国と完全に敵対する事態を避けることができた[17]。

 しかし、インド太平洋を巡るその柔軟だが曖昧なメッセージは諸刃の剣である。外交的な余地を提供することはできても、受け手を混乱させ、メッセージの信頼性を損なうことになりかねない。韓国政府は基本的に、さまざまな受け手に対してそれぞれに合わせたメッセージを送ることで、より多くのパートナーに構想への参加を広くオープンに呼びかけることを目的としていた。しかし、受け手は自身に合わせて作り上げられたメッセージだけでなく、他者に向けたメッセージにも注目する。そのため、こうしたメッセージは必然的に混乱を引き起こした。

 メッセージが曖昧であるため、受け手の中には依然として韓国政府の真意を測りかねている者もおり、共通の価値観に対する実際のコミットメントに疑念が生じている。韓国の外交政策は大統領のイデオロギー的立場によって右から左に揺れ動くことが多いため、このような曖昧なメッセージは、価値観に基づくパートナーに対し、韓国のインド太平洋における取り組みへのより積極的に関与を促す上で障害になっている。

 さらに、尹大統領の政治能力や指導力に対する根強い疑念が、「この曖昧で不明瞭なメッセージは意図的な外交術なのか、それとも戦略の欠如なのか」という混乱に拍車をかけた。長年キャリア検事を務め、政治経験に乏しい尹大統領は、米国のナンシー・ペロシ下院議長がソウルを訪問した際に面会しなかったことで、同様の混乱を招くメッセージを送ったことがある[18]。

 新たなインド太平洋戦略は国際的な注目を集め、期待を高めたが、受け手を惹きつけ、納得させるには不十分かもしれない。韓国政府は、一貫性を欠いたメッセージに対処し、国内外の理解と支持を得るために、より有意義な措置を講じなければならない。国際社会は、韓国政府がインド太平洋構想を実現できるか否か、またいかにして実現するかに注目している。結局のところ、いつもの如く、行動は言葉よりも雄弁なのである。

(2023/03/20)

*こちらの論考は英語版でもお読みいただけます。
South Korea’s first Indo-Pacific strategy:Seoul’s strategic narratives, ambiguous messages and key challenges

脚注

  1. 1 The government of the Republic of Korea, “Strategy for a free, peaceful, and prosperous Indo-Pacific region”, December 2022, pp.8-11.
  2. 2 Ministry of Defence UK, Joint Doctrine Note 2/19 Defence Strategic Communication: an Approach to Formulating and Executing Strategy, 2019, pp.6-7.
  3. 3 Kyung-Eun Park, “Oegyobu “Han intaejeonryak, teugjeongkook gyeonyang·baeje anhae…GPS gusang ilhwan”” [Ministry of Foreign Affairs “Korea’s Indo-Pacific strategy, not targeting or excluding specific countries... but part of the GPS initiative”], Seoul Economic Daily, 10 November 2022 (Korean).
  4. 4 The government of the Republic of Korea, 2022, p.14.
  5. 5 韓国に対する地域の認識の詳細については以下を参照のこと。Andrew Yeo, “South Korean foreign policy in the Indo-Pacific era”, Policy brief, Brookings, November 2022, pp.5-6.
  6. 6 The government of the Republic of Korea, 2022, pp.8-9.
  7. 7 The White House, “U.S.-ROK Leaders’ Joint Statement”, 21 May 2021,(2023年1月31日閲覧)。
  8. 8 The government of the Republic of Korea, 2022, p.14.
  9. 9 Sung-lac Wi, “Two cheers for the three nos”, Korea JoongAng Daily, 31 August 2022.
  10. 10 Jeong-Ho Lee, “South Korea says THAAD missile shield ‘not negotiable’ with China”, Bloomberg, 11 August 2022.
  11. 11 Hyung-Jin Kim, “S Korean leader urges China’s Xi to play larger N Korea role”, AP News, 16 November 2022.
  12. 12 Hankook Ilbo, “Yunjeongbu ‘dogja in·taejeonryak’...gug-ik useonhan gyunhyeong-oegyoleul [The Yoon government’s own ‘Indo-Pacific strategy'...should pursue balanced diplomacy that prioritizes national interests]”, Hankook Ilbo, 29 December 2022.
  13. 13 The government of the Republic of Korea, 2022, p.11; p.14.
  14. 14 Hyun-young Park, Kyung-jin Shin and Jin-woo Jeong, “Hankook oegyo, hanbando talpi…‘indo·taepyeong-yang jeonrak’ cheos gongsighwa” [Korean diplomacy, beyond the Korean peninsula… First formalization of ‘Indo-Pacific Strategy’], JoongAng Daily, 29 December 2022 (Korean).
  15. 15 Herald, “Mi milchaghamyeonseo joongg-kookgwaneun ‘hyeoblryuk?’…hankookpan intaejeonryak dilemma” [‘Cooperation?’ with China while closely adhering to the U.S.… The dilemma of Korea’s Indo-Pacific strategy]. Herald. 29 December 2022.
  16. 16 日本外務省、「日韓首脳会談」、令和4年11月13日、(2023年2月4日閲覧); The White House, “Statement by National Security Advisor Jake Sullivan on the Republic of Korea’s Indo-Pacific Strategy”, 27 December 2022, (2023年2月4日閲覧); Radio Free Asia, “US, Australia, Canada voice support for South Korea’s Indo-Pacific Strategy”, Radio Free Asia, 29 December 2022,(2023年2月4日閲覧)。
  17. 17 Xiaoci Deng, “Seoul unveils Indo-Pacific Strategy; experts say group confrontation is against South Korea’s interests”, Global Times, 28 December 2022.
  18. 18 以下を参照のこと。S. Nathan Park, “South Korea’s Presidential Snub of Pelosi Was an Unforced Blunder”, Foreign Policy, 5 August 2022,(2023年2月10日閲覧)。