前稿では、オムニユース時代におけるバイオディフェンスについて、危機を完全に防ぐことだけを目指すのではなく、異常を早期に察知し、社会への影響を抑え、危機が起きても社会の機能を維持し、回復するための備えが重要であると論じた[1]。そのためには、医療や公衆衛生、防衛だけではなく、研究機関、産業、地方自治体、市民社会までを含めた「社会全体(whole-of-society)」での対応が必要となる。
では、そのような社会全体の備えを構築するために、私たちは何を「見る」必要があるのだろうか。この問いを考えるうえで、いま急速に重要性を増しているのが、人工知能(AI)と生命科学の融合である。
2026年夏以降、AIと生命科学がもたらす安全保障上のリスクについて、欧米の研究機関、AI企業、政府・安全保障関係者から相次いで報告や論考が発表されている。AIが設計したゲノムをもとに実際に機能するウイルスが作製されたとの研究[2]、AIによる新規タンパク質設計に対する新たな安全策の提案[3]、AIが生物兵器開発に利用される可能性を念頭に置いた多層的な防御策[4]、さらにはAI企業自身が実際の生命科学研究における懸念すべき利用事例を発見したとの報告[5]も出ている。
これらは「AIによって生物兵器が作りやすくなる」という新たな脅威として捉えるだけでは不十分である。いま起きているのは、バイオセキュリティが何を対象とする政策なのか、という考え方そのものの変化である。
従来のバイオセキュリティでは、危険な病原体や毒素を特定し、その保有、アクセス、移転を適切に管理することが重要な柱となってきた。しかしAIと生命科学の融合によって、既存の病原体や物質だけを見ていては、リスクの変化を十分に捉えることが難しくなりつつある。AI、生物学的データ、専門知識、DNA合成、研究設備などが組み合わされることで、これまで存在しなかった研究開発能力が急速に形成されるようになっているからである[6]。
これからのバイオセキュリティには、「どの病原体が危険なのか」を管理することに加えて、どのような生物学的能力(biological capability)が、どこで、どのような速さで形成されているのかを継続的に把握し、そのリスクを評価するという新たな視点が必要になる。ここでいう「生物学的能力」とは、生命科学に関する知識や技術、データ、設備などを組み合わせることで、実際に何ができるかという研究開発上の能力指す。バイオセキュリティは、「危険な病原体を管理する政策」から、急速に変化する生物学的能力を継続的に観測し、評価し、管理する政策へと、その射程を広げる必要に迫られているのである。

なぜ、病原体だけを見ていては不十分なのか
AIが登場したからといって、突然、新しい危険な病原体が世界に現れたわけではない。大きく変わりつつあるのは、生命科学の研究を行う「能力」である。
2026年9月にAI企業アンソロピック(Anthropic)が公表した脅威インテリジェンス報告[7]は、この変化を具体的に示している。同社が実際のAI利用を調査したところ、高病原性鳥インフルエンザ、オルソポックスウイルス、毒素など、デュアルユース性の高い生命科学研究にアンソロピックが開発した対話型AI アシスタントのClaude(クロード)が利用されている事例が確認された。AIは、研究計画の作成、文献やデータの分析、実験の優先順位づけ、研究費申請書や論文の作成など、研究活動のさまざまな段階で使われていた。
これらの事例は「AIが生物兵器を作った」ということではない。AIが生物学的知識へのアクセスを容易にしたとしても、それが直ちに生物兵器開発能力の獲得を意味するわけではない。暗黙知、実験技能、設備、さらに研究の各段階を統合する能力は依然として重要な障壁である。それでもアンソロピックの報告が重要なのは、すでに能力を持つ研究者がAIを利用することで、研究をより速く、効率的に進められる可能性を現実の利用事例として示した点にある。だからこそ、AIそのものが「危険か、安全か」を論じるだけではなく、AIが研究開発のどの段階を、誰に対して、どの程度変えているのかを見る必要がある。
ここに、従来のバイオセキュリティとの重要な違いがある。既知の危険な病原体や毒素を管理しているだけでは、「誰が、どのような研究能力を獲得しつつあるのか」は必ずしも見えてこない。しかも、その能力は一つの危険な技術によって生まれるわけではない。AI、生物学的データ、研究者の専門知識、DNA合成技術、実験設備など、それぞれは正当で有益な技術や資源が組み合わされることで形成される。
興味深いのは、アンソロピック自身の安全対策も、こうした「能力」に着目する方向へと変化しつつあることである。従来のAIの安全対策では、危険な質問や回答を検知し、AIがそれに答えないようにする、いわゆる「ガードレール」が中心となってきた。しかし生命科学では、同じ知識や研究手法が、ワクチンや治療薬の開発にも、危険な病原体の研究にも利用できる。質問の内容だけから「安全」と「危険」を明確に区別することは容易ではない。
そこでアンソロピックは、高度な生命科学研究について、単に危険な質問を遮断するだけではなく、信頼できる研究者には高度なAI能力へのアクセスを認める「trusted-user」型の仕組みも検討している[8]。これは一見するとAI企業内部の安全対策だが、バイオセキュリティの観点から見ると重要な変化である。管理の焦点が「どの情報が危険か」から、「誰が、どのような目的で、どの程度の研究能力にアクセスするのか」へと広がっているからである。
この方向性を見ると、AI時代のバイオセキュリティで問うべきなのは、「危険な病原体を持っているか」だけではなく、どのような主体が、どのような技術や知識を組み合わせることによって、どの程度の生物学的能力を持つようになっているのかという視点である。生命科学とAIが進歩すれば、利用可能な能力も絶えず変化する。したがって、これからのバイオセキュリティには、既知の危険物を管理する仕組みに加えて、新たな能力がどこで生まれ、どのように利用されているのかを継続的に観測し、評価する仕組みが必要になるのである。

「何を禁止するか」から「どこで能力を捉えるか」へ
では、急速に変化する「生物学的能力」を、どのように管理すればよいのだろうか。能力そのものは、病原体や実験装置のように目に見えるものではない。そこで海外では、「危険なものを特定して禁止する」という従来型の発想だけではなく、研究が進んでいく過程のどこでリスクを捉えられるのかという議論が進み始めている[9]。
例えば、AIが新しいタンパク質や遺伝子の設計を提案したとしても、それだけで現実の生物が生まれるわけではない。AI上で作られた設計情報をDNAとして合成し、それを使って実験し、目的とする性質を持つかを確認する必要がある。つまり、AI上のアイデアが現実の生物学的能力になるまでには、いくつもの段階がある。この途中に、安全を確保するための「関所(chokepoint)」を設けるという考え方がある[10]。
その代表例が、DNA合成スクリーニングである。現在では、研究者が必要とするDNAを自ら一から作らなくても、専門企業に配列情報を送り、合成を依頼することができる。そのためDNA合成企業が注文を受ける際に、既知の危険な病原体や毒素に関係する配列が含まれていないかを確認し、同時に「誰が注文しているのか」を確認することで、危険な利用を発見できる可能性がある。AI上での活動をすべて監視しようとするよりも、デジタルな設計が物理的な生物へと移る地点を捉えようという考え方である。
しかし、ここにもAIによる新しい課題が生じている。AIは、自然界に存在するDNAやタンパク質をコピーするだけではなく、これまで存在しなかった新しいものを設計できるようになりつつある。既知の危険な配列と照合するだけでは、危険性を判断できない可能性が出てくるのである。
核兵器や、生物兵器を含む幅広い安全保障上の脅威削減に取り組む米国の非営利組織Nuclear Threat Initiative(NTI)は、この問題を念頭に、DNAが実際に合成される段階だけではなく、さらに上流のAIによるタンパク質設計の段階でも安全性を確認する方法を検討している[11]。例えば、利用者がAIにどのようなタンパク質を設計させようとしているのかを確認し、明らかに危険性の高い要求についてはモデルが応じないようにする。つまり、一つの「関所」だけに安全を委ねるのではなく、研究開発の複数の段階でリスクを捉えようとしているのである。
この考え方をさらに広げたものが、「多層防御(defense in depth)」である。RAND研究所は2026年8月、AIが生物兵器開発に利用されるリスクへの対応として、単一の安全策に依存するのではなく、複数の対策を組み合わせる必要性を指摘した[12]。AIへのアクセス、危険性の高い生物学的データへのアクセス、DNA合成の注文、研究に必要な設備やサービスの利用など、研究が進む過程の複数の地点で異常を察知する。どこか一つを完全に管理するのではなく、複数の場所で安全策を重ねるのである。
RANDが特に重視するのは、それぞれの「関所」で得られる情報を個別に見るだけではなく、複数の場所から得られる弱い兆候を組み合わせることである。アンソロピックの報告は、こうした考え方がすでに現実のAIサービスにおいて意味を持ち始めていることを示している。
AI企業は利用者がどのような研究支援を求めているかを見ることができ、DNA合成企業はどのような配列が実際に注文されているかを知ることができる。研究機関は研究の目的や実験環境を知り、政府は安全保障や公衆衛生に関する別の情報を持っている。それぞれが、異なる場所から生物学的能力の変化を見る「センサー」になりうる。問題は、こうした異なる「センサー」が捉える情報を、誰がつなぎ合わせ、分析し、政策判断につなげるのかということである。広い意味での「インテリジェンス」であり、秘密情報の収集だけではなく、異なる場所から得られる情報を集約し、変化の意味を分析し、政策判断につなげる機能を指す。
日本にも、感染症法による病原体管理、外為法による輸出管理、大学・研究機関における研究セキュリティ、感染症危機管理など、それぞれのリスクに対応する制度は存在する。しかし、それらは異なる目的と所管の下で構築されており、AI、生命科学、産業、公衆衛生、安全保障を横断して、「どのような生物学的能力が形成されつつあるのか」を継続的に把握・評価する機能は必ずしも明確ではない。日本に必要なのは、直ちに新たな規制を増やすことよりも、まず、こうした変化を「見る」能力ではないだろうか。
これからのバイオセキュリティに求められるのは、すべての危険を一つの規制によって防ごうとすることではない。AI上の研究から実際の生物学的研究に至るまで、新たな能力がどこで、どのように形成されているのかを継続的に捉え、異なる場所で得られる兆候をつなぎ合わせ、リスクを早期に評価していくことである。「何ができるようになりつつあるのか」を見続け、その変化を把握し、分析し、政策判断へとつなげるインテリジェンス機能こそが、オムニユース時代の新たなバイオセキュリティを支える重要な基盤となる。

(2026/09/28)
脚注
- 1 拙稿「オムニユース時代のバイオディフェンス――国家はいかに『備える』のか」国際情報ネットワーク分析IINA、2026年6月15日。
- 2 Elizabeth Sherwood-Randall, “AI and the New Age of Bioweapons: Preparing for a World of Synthetic Pathogens,” Foreign Affairs, Vol. 105, No. 5, September/October 2026, August 18, 2026.
- 3 Jaime Yassif, Nikki Teran, and Phil Palmer, “AI Can Design New Proteins. It’s Time to Build Real Biosecurity Guardrails,” Nuclear Threat Initiative, August 11, 2026.
- 4 Sonia Ben Ouagrham-Gormley, “Rethinking the De-Skilling Narrative in AI and Biological Weapons Policy,” Georgetown Journal of International Affairs, August 27, 2026; Steph Guerra, Aurelia Attal-Juncqua, et al., Building a Defense-in-Depth Biosecurity Strategy for the AI Era, RAND Corporation, August 18, 2026.
- 5 Anthropic, “Detecting and Countering Misuse of AI: September 2026,” September 10, 2026.
- 6 なお、AIをめぐっては、人間の統制を離れた自律型AIそのものが脅威主体となる可能性への懸念から、AI開発の速度を抑えるべきだとの議論も現れている。例えばMary Whitfill Roeloffs, Billionaire Anthropic CEO Urges Competitors to Slow Down AI Development, September 12, 2026. 本稿もこうしたリスクの可能性を認識しつつ、ここで焦点を当てるのは、生命科学の専門知識を持つ実在の人間がAIを研究支援や能力の増幅に利用することで、研究開発能力そのものがどのように変化していくのかという問題である。
- 7 Anthropic, “Detecting and Countering Misuse of AI.”
- 8 Ibid.
- 9 Sonia Ben Ouagrham-Gormley, “Rethinking the De-Skilling Narrative in AI and Biological Weapons Policy,” Georgetown Journal of International Affairs, August 27, 2026.
- 10 RAND, Building a Defense-in-Depth Biosecurity Strategy for the AI Era, RAND Corporation, 2026.
- 11 Jaime Yassif, Nikki Teran, and Phil Palmer, “AI Can Design New Proteins. It’s Time to Build Real Biosecurity Guardrails,” Nuclear Threat Initiative, August 11, 2026.
- 12 RAND, Building a Defense-in-Depth Biosecurity Strategy for the AI Era.
