はじめに
ヘインズ(Avril Haines)米国家情報長官(Director of National Intelligence: DNI)は2021年3月15日、2020年米連邦選挙に関する「情報コミュニティ評価(Intelligence Community Assessment: ICA)」を機密指定解除し、これを公開した[1]。ICAは「2020年米連邦選挙への外国の脅威」と題し、外国勢力による選挙介入の実態や意図を明らかにするものだ。形式的には上下院議会選を含むが、その焦点は大統領選である。
ICA公開直後、多くのメディアは、ロシアがプーチン(Vladimir V. Putin)大統領の指示の下、2016年と同様に2020年米大統領選に介入したと報じた。実際、ICAの相当部分はロシアに割かれ、ロシアによる介入が規模の観点で筆頭の脅威であったことは疑いようがない。
脅威はロシアに限られたわけではない。そこで、本稿は2020年米大統領選挙における中国の脅威について論じる。中国による2020年米大統領選介入疑惑、つまり介入の有無と規模は、選挙期間中の米国政治の争点の一つであるばかりか、情報分析の専門家の間でも意見が分かれた。このことは、ICA提出が遅れる要因となったとされる(後述)。ICAは最終的に、中国は2020年米大統領選に影響力を行使しなかったと結論付けた[2]。本稿はこうした結論に至った経緯、結論とその留意点を検討する。
1. 大統領令13848号に基づく選挙介入調査
DNIは大統領令第13848号(EO13848、2018年9月12日署名)に基づき、国政選挙後45日以内に外国による選挙介入の実態を調査・報告しなければならない。今回のICAは、EO13848に基づく評価報告という意味では2回目となる[3]。ただしICAは、介入が選挙結果に与えた影響の分析を含まない。情報コミュニティの責任・任務は、外国勢力の介入の意図、手法、実際の行為を監視・分析することであり、有権者の投票行動を分析することではないからだ。
2020年大統領選が11月3日のため、本来、ICAは45日後の12月18日までに報告されるはずだった。しかし、関連報告の多さや関係機関の調整が理由で提出期限に間に合わず[4]、提出されたのは翌月1月7日であった。
報道によれば、ICA報告が遅延した主要因は中国に関する脅威評価である。トランプ(Donald J. Trump)大統領に近い当時のラトクリフ(John Ratcliffe)DNIが、中国の脅威が充分に記述されていないICAへの署名を拒むことを検討していたためとされる[5]。
中国への脅威評価のズレはあらゆるレベルで存在した。選挙期間中、選挙への最大の脅威はロシアか中国かという論争は、米国内政治上の争点の一つであった。また、ある有権者の調査によれば、中国政府またはロシア政府による選挙介入を「間違いなくある」と考えるかどうかは支持政党によって大きな差が出た[6]。中国への脅威評価のズレは政治レベルや一般市民のみならず、プロの分析官の間にも存在し、実際、ICA報告書でも見解の相違があったことを認めている。
2.変化してきた米国の対中脅威認識
米政府が米大統領選挙に関する脅威評価を公にするのは、今回のICAが初めてではない。米国政府はこれまで諸外国による介入の意図、手法、具体的証拠を明らかにしてきた。
そして、2016年米大統領選からの4年間、米政府機関の対中脅威認識は劇的に増した。2016年選挙に関する米情報機関の調査結果では中国の介入について触れられていなかったが、2018年中間選挙や2020年米大統領選では以下のとおりその位置づけが徐々に高まっていった。
- 「ロシアおよび、中国とイランを含む他の諸外国は、それぞれの戦略的利益を促進するため米国で影響活動とメッセージング工作を行った。」(EO13848に基づく2018年米中間選挙の評価、2018年12月)
- 「ロシア、中国、イラン、他の悪意ある外国アクターは全て、投票プロセスの妨害または有権者の認識への影響行使を試みるだろう。」(米関係機関による共同声明、2019年11月[7])
- 「我々がまず懸念しているのは中国、ロシア、イランである。」(エバニナ(William Evanina)国家防諜・保全センター(NCSC)長官による発表(2020年7月)[8]及び声明(2020年8月)[9])
しかし、トランプ政権は大統領選期間中、中国による介入の脅威を重大視してきたにも関わらず、ロシアやイランと比べ、中国による直接的な選挙介入の具体的証拠や事例を開示しなかった[10]。
3.ICAの主要な結論と2つの留意点
こうした経緯の下、ICAが公開された。
ICAは分析評価のため、「選挙への影響力行使(election influence)」と「選挙への干渉(election interference)」を峻別する。「影響力行使」とは「米国の選挙、すなわち候補者、政党、有権者、有権者の選好、政治プロセスに直接もしくは間接的に影響を与えることを目的として行う、外国政府またはその代理・代表アクターによる公然および秘密裏の試み」[11]である。他方、「干渉」とは影響力行使の一部であり、有権者登録や投開票等の選挙の技術的側面を標的とした活動であり、サイバー攻撃による妨害・改竄等が典型である。
こうした定義の下、ICAは、後者の「干渉」については一切確認されなかったと判断する。他方で、ロシアとイランがそれぞれ最高指導者の承認の下、米選挙に対して「影響力行使」を試みた。だが、中国による「影響力行使」については以下の判断を下した。
重要な判断結果4:我々の評価では、中国は干渉の努力を行わなかったし、米大統領選挙結果を変えることを目的として影響力行使の努力を検討はしたが、行わなかった。我々はこの判断に高い確信(high confidence)[12]を持つ。中国は米国との関係で安定性を求め、いずれの選挙結果であろうと中国にとって干渉が発覚するリスクを冒すほど有利なものではないと考えた。また中国は、主な標的を絞った経済的手段とロビー活動等の伝統的な影響力ツールは[選挙の]勝敗にかかわらず米国の中国政策を形成するという目標を達成するのに十分であると評価した。しかし、サイバー国家情報官(NIO for Cyber)の評価によれば、中国はトランプ前大統領の再選を妨害するためいくつかの手段を講じた[13]。
この「判断結果」は、後段部分の2つの点に留意する必要がある。
一つは、中国は2020年米大統領選挙をとりまく環境や米中関係を考慮しながら選挙介入のリスクと便益を慎重に計算した結果、2020年大統領選については介入を選択しなかったという点である。ICAの見立てでは、「北京は、米国内には超党派の反中コンセンサスがあり、選挙結果にかかわらず親中派の政権が誕生する見込みはないと考えている」ため、「北京は恐らく干渉のリスクは得られるものに値しないと判断した」。だが、同時に「中国は恐らく選挙関連の標的やトピックスに関する情報収集を継続している」ともみる[14]。
もう一つは「少数派の見解(Minority Views)」として指摘されたサイバーNIOによる評価であり、米情報コミュニティ内の中国への脅威評価のずれである。具体的には、中国の諸活動について、情報コミュニティ全体としては米選挙に影響を与えることを意図したものではないと評価した一方で、サイバーNIOはそのような意図があると評価した。
サイバーNIOの評価では、「中国は主にソーシャルメディア、公式声明およびメディアを通じて、トランプ前大統領の再選可能性を損なうために少なくともいくつかの手段を講じた」、「北京の影響力のための取組みの一部は、少なくとも間接的に米国の候補者、政治プロセス、有権者の好みに影響を与えることを意図していた」[15]。ICAそのものが、サイバーNIOの支援の下、国家情報会議(NIC)が準備したものという点を踏まえると、この「少数派の見解」は額面以上の意味がある。
4.意図に関する評価の難しさ
以上のように、中国による選挙介入と全般的な影響力行使の区別は米情報コミュニティを以ってしても難しい。トランプ政権のラトクリフDNIは、2020年9月、米議会上下院の情報委員会に対して、「議会を標的とした中国の影響力作戦はロシアの約6倍、イランの約12倍」と報告したが、これは中国による(大統領選に限定されない)広範な影響力行使を含めたものである。こうした影響力行使全般が選挙にもたらす結果、こうした活動を選挙への介入と見なすかどうかは大統領選前から議論があったようだ[16]。
こうした点は、トランプ政権が大統領選期間中に中国を筆頭脅威として評価したことに繋がる。米情報コミュニティは大統領選期間中、ロシアとイランについては大統領選に焦点を当てた具体的手法・事例を公開したのに対して、中国の介入については広範なトピックスを列挙するにとどまった。当時の米国の評価では、2020年夏の中国の公式声明は、トランプ政権の新型コロナウイス感染症(COVID-19)への対応、在ヒューストン中国領事館の閉鎖、香港、TikTok、南シナ海の法的地位、5G問題をとりあげて、同政権を厳しく批判し、「北京は、これらの努力全てが大統領選に影響を与える可能性があると認識している」[17]。
実際、中国の政府系メディアは米国のCOVID-19対応をこき下ろす動画をYouTubeに投稿した[18]。また報道によれば、中国の情報当局が「全米での国家規模ロックダウン」に関する偽情報を米国で流布したという[19]。しかし、こうした活動の狙いが①習近平国家主席と中国共産党の指導体制の卓越性を国内外に示すことなのか、②米大統領選挙に影響を与えようとしたのかは、判断が難しいということである。
5.中国による影響力行使
中国による影響力行使の特徴は何か。影響力行使を含む中露の脅威は「ロシアは悪天候、中国は気候変動」と表現されることがある[20]。「悪天候」は短時間で急激な変化をもたらすので誰の目にも理解できるが、より大きな変化である「気候変動」を日常的に体感することは難しい。米サイバー軍(CYBERCOM)司令官および国家安全保障局(NSA)長官を兼任した経験のあるロジャース(Michael Rogers)は、中国による影響力行使をロシアと比較した場合、①中国自身の評価、プレゼンス、立ち位置を高めることに狙いがあること、②全世界に中国人留学生を派遣しており、また、中華系教育機関等を持つこと等、影響工作のための構造的な仕組みを持っているため、ロシアよりもインターネットに依存していない点等に特徴があると指摘する[21]。
ICAやロジャースの見立てでは、中国の影響力行使はロシア程、デジタル空間に依存していない。だが、中国はサイバー空間においても自らの主張を受け入れさせる力を意味する「話語権(discourse power)」を高めようと試みている[22]。また、国家安全部や人民解放軍といった中国の「高度で持続的な脅威(APT)」アクターがロシアのAPTと同様に[23]、サイバー空間上の影響力行使や選挙介入に従事しているとの見方もある。台湾のセキュリティ会社TeamT5は、こうした懸念を「APT+情報作戦モデル」と呼ぶ[24]。実際、APT40と呼ばれるサイバー攻撃グループがカンボジア選挙(2018年7月)に介入したことが指摘され、中国のAPTアクターの公開情報分析(OSINT)で有名な「入侵真相(Intrusion Truth)」はAPT40を中国海南省等で活動する国家安全部の一組織とし、「国家安全部が民主的制度に干渉する潜在性を持つことを初めて確認した」[25]と評価する。
中国による選挙介入・影響力行使はこれまで様々な議論や研究が行われているが、ロシアによる影響力行使、いわゆる「積極工作(active measures)」に比べると、研究の蓄積・体系化は進んでいない。今後、デジタル空間におけるAPTアクターも含めて、中国による選挙介入・影響力行使の意図、手法、実際の行為に関する情報収集と分析が不可欠であろう。
(2021/06/15)
脚注
- 1 情報源や分析手法を含む機密指定版ICAは、トランプ政権下の2021年1月7日、大統領、行政府高官、議会指導部等に報告されていた。 National Intelligence Council, Foreign Threats to the 2020 US Federal Elections, Intelligence Community Assessment, March 10, 2021.
- 2 Ibid., p.i.
- 3 EO13848に関する最初の評価報告は2018年米中間選挙に関するものである。Office of the Director of National Intelligence, “DNI Coats Statement on the Intelligence Community's Response to Executive Order 13848 on Imposing Certain Sanctions in the Event of Foreign Interference in a United States Election,” December 21, 2018.
ただし、EO13848成立以前のオバマ(Barack Obama)政権下でも同様の指示がなされ、2016年米大統領選についても調査結果が開示されている。Office of the Director of National Intelligence, “Background to “Assessing Russian Activities and Intentions in Recent US Elections”: The Analytic Process and Cyber Incident Attribution,” January 6, 2017. - 4 Office of the DNI(@ODNIgov)のツイッター投稿、2020年12月17日。
- 5 Jennifer Jacobs, “Trump Spy Chief Stirs Dispute Over China Election-Meddling Views,” Bloomberg, December 17, 2020.
- 6 “Voter Doubt of 2020 Outcome Possible,” Monmouth University Polling Institute, September 10, 2020.
- 7 ” U.S. Department of Homeland security, “Joint Statement from DOJ, DOD, DHS, DNI, FBI, NSA, and CISA on Ensuring Security of 2020 Elections, November 5, 2019.
- 8 The National Counterintelligence and Security Center, “Statement by NCSC Director William Evanina: 100 Days Until Election 2020,” July 28, 2020.
- 9 Office of the Director of National Intelligence, “Statement by NCSC Director William Evanina: Election Threat Update for the American Public,” August 7, 2020.
- 10 具体的には、前注およびOffice of the Director of National Intelligence, “DNI John Ratcliffe's Remarks at Press Conference on Election Security,” October 22, 2020.
- 11 註1、para “Deifinition.”
- 12 インテリジェンス機関がいう「高い確信」とは、評価・判断が複数の情報源からの質の高い情報に基づいていることを示す。ただし、判断結果そのものの蓋然性・妥当性とは区別されるものである。
- 13 註1、p.i.
- 14 Ibid., pp.7-8.
- 15 Ibid., p.8.
- 16 Olivia Beavers, “EXCLUSIVE: Intelligence chief briefed lawmakers of foreign influence threats to Congress,” The Hill, October 9, 2020.
- 17 Office of the Director of National Intelligence, “Statement by NCSC Director William Evanina: 100 Days Until Election 2020,” July 28, 2020.
- 18 “Once upon a virus...” New China TV, April 30, 2020.
- 19 Edward Wong, Matthew Rosenberg and Julian E. Barnes, “Chinese Agents Helped Spread Messages That Sowed Virus Panic in U.S., Officials Say,” The New York Times, April 22, 2020.
- 20 “New UK intel chief likens China threat to climate change, while Russia is bad weather,” The Standard, October 15, 2020.
- 21 マイケル・ロジャース、佐々木孝博「ニューノーマルの安全保障・インテリジェンス戦略」Nikkei、日経BP、オンラインライブ『サイバー・イニシアチブ東京2020』、2020年11月25日。
- 22 「話語権」を中心とする分析は、八塚正晃「サイバー空間で『話語権』の掌握を狙う中国」『サイバー・グリッド・ジャーナル Vol.11』(2021年3月)、14-17頁。
- 23 ロシアによる2016年および2020年米大統領選挙への介入・影響力行使は、ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)の「74455部隊(または「Sandworm」)」等のAPTアクターが大きな役割を果たしている。
- 24 TeamT5, China's Social Manipulation: Outside the Great Firewall, Information Operation White Paper, Part 3 of 3, October 2020.
- 25 Intrusion Truth(@intrusion_truth)のツイッター投稿、2020年1月16日。
詳細は“Hainan Xiandun Technology Company is APT40,” Intrusion Truth, January 15, 2020.