1.2020年大統領選挙と外国政府の干渉

 2020年アメリカ大統領選挙は言うまでもなく世界中の関心事である。同時に、大統領選そのものに加えて、大統領選に対する外国政府の介入・干渉とその成否も関心を集めている。
 2020年大統領選投票日のちょうど1年前にあたる2019年11月の第1火曜日(11月5日)、米国務省、司法省、国防総省、国土安全保障省、国家情報長官(DNI)、連邦捜査局(FBI)、国家安全保障局(NSA)、サイバーセキュリティ・インフラセキュリティ庁(CISA)が共同声明を発表し、ロシア、中国、イランを含む「米国の敵対者達は民主的制度を弱体化させ、国民感情や政府の政策に影響を与えたがっている」と警鐘を鳴らした。これらの国々は「投票プロセスを妨害し、有権者の認知に影響を与えること」を狙い、その手段は「ソーシャルメディア上でのキャンペーン、直接的な偽情報流布活動、州および自治体のインフラに対する妨害的または破壊的なサイバー攻撃が含まれる[1]」としている。
 既に各国による2020年大統領選への介入が報じられているが、現時点でその詳細は明らかになっていない[2]。そこで、本稿は2016年米大統領選で何が起きたのか(介入の手法)、何が狙いだったのか(介入の意図)を振り返ることで、ロシアによる政治介入型のサイバー活動の一端を明らかにしたい。

1.2020年大統領選挙と外国政府の干渉

2.2016年米大統領選挙を振り返る

(1)モラー特別検察官の最後の記者会見

 米国家情報長官室(ODNI)による報告書「最近の米国選挙におけるロシアの活動と意図に関する評価
 (2017年1月)および米司法省モラー(Robert S. Mueller)特別検察官の調査報告書(2019年3月)によれば、2016年米大統領選挙に対してロシア政府による大規模かつ組織的な介入が認められた[3]。
ロシアによる選挙介入の事実とトランプ(Donald J. Trump)大統領をめぐる疑惑(ロシア政府との共謀や司法妨害)は峻別されなければならない。メディアや民主・共和両党はどちらかといえば大統領をめぐる疑惑(および大統領弾劾の可能性)に注目してきたようにみえるが、モラー特別検察官に与えられた任務は本来、ロシアによる選挙干渉の実態を調査することであった。
 モラー特別検察官は同職最後となる記者会見(2019年5月29日)でこの点を強調している。「私は次の点を繰り返し述べて、会見を締めくくりたい。我々の諸起訴の中心的な主張は、我々の選挙に対して複数の組織的な干渉の努力があったということだ。この主張は全ての米国人の注目に値する[4]。」

(2)手法は?

 ODNI報告書、モラー報告書、関連する諸起訴状、その他公開情報によれば、ロシアによる選挙介入の手法は次の3つに大別される。なお、モラー報告書によれば、トランプ陣営がロシア政府と協調もしくは共謀(coordinated or conspired)した事実は確認できず、本稿でも扱わない。
 第一の手法は、サイバー攻撃による政党・候補者に関する機密情報の窃取と暴露である。攻撃者は、2016年3月までに米政党・大統領候補者関係者ら300名超にフィッシングメールを送付した。フィッシングメールとは、正規サービス等を模して対象者の情報(パスワード等)を盗み出す手法である。

(2)手法は?

 フィッシングメールの対象は、米民主党議会選挙委員会(DCCC)、米民主党全国委員会(DNC)、クリントン(Hillary R. Clinton)候補選挙対策事務所等の民主党関係機関、共和党関係機関におよぶ。攻撃者は不正に収集した情報を、自らが作成したウェブサイトDCLeaks.com上で、あるいは架空のクラッカーGuccifer 2.0を演じながらWikiLeaks上で暴露した。暴露されたのは、DNCの内部文書やクリントン候補の選挙対策責任者ポデスタ(John D. Podesta)氏のEメールが含まれる。
 米当局の諸起訴状によれば、こうした攻撃を担ったのはロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)である。GRU(またはGRUと密接に関係するサイバー攻撃グループ)について、サイバーセキュリティ各社は「Fancy Bear」(Crowd Stike社)、「APT28」(Fire Eye社)、「Strontium」(Microsoft社)と呼んでいる。サイバーセキュリティ業界ではこれらの名称の方が有名であろう。

ポデスタ氏に送付されたフィッシングメール(Gmailのセキュリティ通知を模したもの)
ポデスタ氏に送付されたフィッシングメール(Gmailのセキュリティ通知を模したもの)出典: Thomas Rid, “Disinformation: A Primer in Russian Active Measures and Influence Campaigns,” Hearing before the Select Committee on Intelligence, U.S. Senate, One Hundred Fifteenth Congress, First Session ,March 30, 2017, p.8より抜粋。

 第二の手法は、様々なメディア上での影響工作・浸透工作(influence operation)である。これは、候補者や社会問題に対する有権者の認知を意図的に変更させるための活動、いわゆるプロパガンダといえる。
この中心的な役割を担ったのが、サンクトペテルブルクに所在するインターネット・リサーチ・エージェンシー(IRA)社である。IRAは2013年7月頃にロシアで法人登録され、2014年4月頃までに「翻訳者プロジェクト(Project Lakhta)」と呼ばれる対米工作活動を開始した。IRAはFacebook、Twitter、Instagram等のプラットフォームを活用し、偽情報や感情的反応を引き起こす情報を大量に流布した。
加えて、IRAはFacebookに費用を支払い、少なくとも3,393点の政治広告を出稿した。こうした政治広告はターゲット層が明確化され、例えば、「オハイオ州クリーブランドから34マイル圏内に住む16~45歳の英語話者」といった発信先を指定した。2016年時点で、IRAにはケンブリッジ・アナリティカ社が違法に入手したFacebookユーザデータ等は必要ではなかった。IRAはFacebookの正規の広告サービスを利用できたからだ。
またODNI報告書によれば、RTやSputnikといった政府系メディアも偽情報の発信・拡散を支えた。

IRA社がFacebookに投稿した広告例
IRA社がFacebookに投稿した広告例 左は広告そのもの、右は広告に関するメタデータである。「Ad Targeting」は、ジョージア州アトランタに住む「Black Power」「Black Panther Party」等に関心がある人に向けた広告であることを示している。広告料は4,000ルーブル(2020年3月の為替レートで約5,800円)である。以下の米下院ウェブサイトでは、3,393点の政治広告を確認できる。上記広告は、以下ウェブサイトから「2016 Quarter 3 (656MB)をダウンロードし、データ内の「2016-09」フォルダ中の「P(1)0002899.pdf」を参照。
出典:The House Permanent Select Committee on Intelligence, Social Media Advertisements.

 第三の手法は、選挙関連インフラ等に対するサイバー攻撃である。ロシアGRUは米国各州・自治体の選挙管理委員会ウェブサイトや選挙インフラのベンダー企業へのサイバー攻撃を仕掛けたが、より懸念されたのは開票・集計結果の改竄であった。結果的には、投開票システムへのサイバー攻撃や改竄は成功しなかったし、大統領選挙期間中、オバマ政権は開票・集計結果の改竄のリスクは低いとの結論に達した。
 しかし、オバマ政権が大統領選投票日までに最も懸念したと報じられたのが、電力インフラ等へのサイバー攻撃により、投票日当日に大規模停電や混乱を引き起こされることである。投票妨害という観点では、(選挙関連インフラ以外の)重要インフラを標的とした妨害的・破壊的サイバー攻撃も選挙介入の重要な手段となる。選挙介入との関係は明らかではないが、米CISAによれば、遅くとも2016年3月以降、ロシア政府に関連するサイバーアクターが米国のエネルギー業界等の重要インフラを標的に攻撃を仕掛けた。

(3)狙いは?

 ロシアの狙いは何だったのか。一般的には、クリントン候補を落選させ、トランプ候補を当選させることであったと考えられている。
 しかし、これは部分的に正しいが、全てではない。ロシアによる選挙介入の対象は、特定の候補者・政党・政策といった「特定対象」および選挙そのものや民主制といった「政治制度」であった[5]。少なくとも米国はそのように認識している。
 前述のODNI報告書によれば、ロシアは「米国の民主的プロセスに対する国民の信頼を損ね、クリントン候補を非難し、彼女の当選可能性や大統領としての潜在性を害することを意図した」(強調は引用者による)影響工作活動を展開し、「プーチン(Vladimir V. Putin)大統領とロシア政府はトランプ候補に対して明らかに選好があった」とした。レイ(Christopher Wray)FBI長官は2018年10月19日、IRA幹部を起訴するにあたり、「米国の敵対者は、社会的・政治的分断を生じさせ、政治システムにおける不信を拡散し、特定候補者の支持・落選を主張することで、我々の民主主義に干渉」と指摘している。別の起訴状(2018年2月16日付)も、IRAおよび被告らは「政治システム全般と候補者への不信を拡大する」ため「情報戦争」を遂行したという。
 さらに言えば、実際のところ、ロシアがどれ程、トランプ候補の勝利を確信していたかは定かではない。むしろ、クリントン候補の当選を前提としつつも、彼女が大統領となった場合に彼女の正統性や米国の民主制度に対する政治不信を植え付け、米国の社会・政治を分断することの方が焦点であったと考えられる。ODNI報告書も、ロシアは「クリントン候補が大統領選に勝ちそうだと見込んだ際、影響工作は将来の大統領としての妥当性(her future presidency)を貶めることに、より焦点を当て始めた」としている。
 もちろん、ロシアによる介入が選挙結果を変えたかどうかは検証しようがない。しかし、それで十分なのだ。米国民が「ロシアの介入によって選挙結果が変わったかもしれない」と疑問を抱くだけで、その選挙で誕生した大統領の正統性は損なわれてしまう。

(3)狙いは?

3.高まる選挙介入のリスクと脆弱性

 介入の目的が、特定候補の当落であれ、選挙や民主主義の信頼性を損ねることであれ、本来、介入の手法は「サイバー攻撃」「SNS上の影響工作」に限定されない。実際、GRU職員は米本土を訪れ、情報収集や資機材を購入する等、「オフラインでの介入」も明らかになっている。
 しかし、選挙活動、有権者の合意形成、投開票・集計といったプロセスのデジタル化(電子化やインターネットの利活用)が進むにつれ、サイバー攻撃やSNS上での影響工作に代表される選挙介入の規模と効果はこれまでになく高まっている。そのリスクは、特定の候補者やネットワークだけでなく、有権者の認知・合意形成、民主制度や開かれた社会に対する攻撃なのである。
 程度の差こそあれ、英国のEU離脱(BREXIT)を問う国民投票(2016年)、ドイツ連邦議会選挙、フランス大統領選挙(2017年)、米中間選挙、台湾統一地方選挙(2018年)、台湾総統選挙・立法委員選挙(2020年)では外国政府による干渉が強く疑われている。
 では日本はどうか。入手可能な公開情報に基づければ、現時点で「外国政府がデジタル空間を通じて日本の国政選挙に介入した」という事実は確認できない。だが、こうした状況がいつまでも続くとは、誰も保証できない。

以上

* 本稿の見解は執筆者個人のもので、いかなる法人・グループ・組織の見解を代表するものではない。

(2020/03/30)

脚注

  1. 1 Joint Statement from DOJ, DOD, DHS, DNI, FBI, NSA, and CISA on Ensuring Security of 2020 Elections, November 5, 2019.
  2. 2 大統領令13848号(2018年9月12日)にもとづき、国家情報長官は大統領選から45日以内に、外国政府による選挙干渉の有無や意図、手法を評価することとなっている。しかし、詳細が公開されるとは限らない。2018年中間選挙では詳細が公開されなかった。Press Release ”DNI Coats Statement on the Intelligence Community's Response to Executive Order 13848 on Imposing Certain Sanctions in the Event of Foreign Interference in a United States Election,” Office of the Director of National Intelligence, December 21, 2018.
  3. 3 Office of the Director of National Intelligence, Background to “Assessing Russian Activities and Intentions in Recent US Elections”: The Analytic Process and Cyber Incident Attribution (January 6, 2017); Special Counsel Robert S. Mueller, III, Report on the Investigation into Russian Interference in the 2016 Presidential Election, Volume I of II, Submitted Pursuant to 28 C.F.R.§600.8(c), Washington, D.C. (March 22, 2019) [a redacted version: April 18, 2019].
    2016年米大統領選挙の詳細については、川口貴久、土屋大洋「現代の選挙介入と日本での備え:サイバー攻撃とSNS上の影響工作が変える選挙介入」、東京海上日動リスクコンサルティング、2019年1月28日の別紙を参照
  4. 4 Caitlin Oprysko, “Full transcript: Robert Mueller’s statement on the Russia investigation,” Politico, May 29, 2019.
  5. 5 川口貴久、土屋大洋「デジタル時代の選挙介入と政治不信:ロシアによる2016年米大統領選挙介入を例に」『公共政策研究』第19号、2019年12月、40-48頁。