1.原子力発電所への軍事攻撃と占拠がもたらした問題
ロシアがウクライナに軍事侵攻してから今月24日で1年を迎える。この間、核、原子力をめぐる脅威や懸念があらためて世界に認識された。プーチン大統領は侵攻開始以降、核兵器の使用をちらつかせる「核の恫喝」を繰り返したほか、国際人道法の原則に反する平和利用目的の原子力発電所への軍事攻撃と占拠を行った。このうち、ウクライナ南東部にあり、欧州最大の発電能力を有するザポリージャ原発は、現在もロシアが支配下に置き、ウクライナ軍の反攻に対して「核の盾」としている。同原発周辺では、攻撃主体がはっきりしない砲撃が繰り返され、原子炉や使用済み核燃料の保管施設が損壊し、欧州の広域にわたって核物質が大量に放出されるおそれがある。
過去にもイスラエルによるイラクの研究用原子炉への空爆などがあったものの、核燃料が炉に装てんされる前の攻撃であり、稼働中の原発を軍事攻撃し占拠する行為は前代未聞の出来事だった。
こうした状況に対し、国際社会は効果的な対応が取れていない。国際原子力機関(IAEA)が調査チームをザポリージャ原発に派遣したものの、原発周辺での戦闘を停止させることにはつながっていない。国連安全保障理事会は、常任理事国が戦争の当事者(ロシア)であり、拒否権の発動により機能不全に陥っている。原発周辺での局地的停戦の実現など、原子炉の損壊などによる惨事を防ぐための策を打ち出せないままである。
筆者が担当する笹川平和財団安全保障研究グループのプロジェクト「核不拡散・核セキュリティ研究会」(座長・鈴木達治郎長崎大学教授)では、今回のロシアの行為を看過するべきではないと考え、国際人道法はなぜ遵守されなかったのか、今後、戦時下の原子力施設の保護をどのように図るか、専門家を招へいするなどして議論を続けてきた。この過程で、多くの課題があることが分かった。
本稿では、これまでの研究会の議論を参考にしながら、まず、国際人道法における原発への軍事攻撃の原則禁止を定めた条項とロシアの行為を概観する。つづいて戦時下の原子力施設の保護を確かなものにするため、国際社会および日本が取り組むべき課題を考察する。
2.既存の国際規範とロシアの原発攻撃
(1) 危険な力を内蔵する工作物及び施設の保護
国際人道法であるジュネーヴ条約は武力紛争における傷病者、捕虜、戦時下の非戦闘員の保護を目的に、第二次世界大戦後の1949年に制定された。その後、軍事技術の発達などで攻撃の形態が多様化したことに対応し、戦時下における具体的な保護対象などを定めた第一追加議定書が1977年に採択されている。その第56条は、文民及び民用物への被害発生の防止を重視し、物的目標については、第1項で、「危険な力を内蔵する施設」として、ダム、堤防、原発の三つを列挙し、保護対象としている。「攻撃がこれらの工作物または施設からの危険な力の放出を引き起こし、その結果文民たる住民の間に重大な損失をもたらす場合には、攻撃の対象としてはならない」[1]として、戦時において「特別の保護」を付与している。
同条は併せて、第2項において、「特別の保護」が消滅し、攻撃が許容される場合を施設ごとに明記している。原発については「これが軍事行動に対し常時の、重要なかつ直接の支援を行うために電力を供給しており、これに対する攻撃がそのような支援を終了させるための唯一の実行可能な方法である場合」[2]に、攻撃が許されるとしている。
ジュネーヴ条約第一追加議定書は日本をはじめ、ロシア、ウクライナ両国を含む174カ国が締約国となっており(2019年7月現在)、ウクライナへの軍事侵攻に伴うロシアの原発攻撃について、同議定書に照らして考察してみたい。
(2) ロシアの行為に対する評価の難しさ
ザポリージャ原発は欧州最大規模の発電能力を有し、ウクライナの電力供給の約20%を担っていた[3]。現在はすべての原子炉が停止されている[4]。
同原発がロシアの侵攻開始時点で、同国における基幹インフラであったことは明らかであり、軍事施設、あるいは軍事作戦の遂行に不可欠な交通、通信施設に対し、電力供給を行っていたのは間違いない。その意味では、攻撃による軍事的利益は大きいと考えられるが、この規模の原発において、原子炉が1基でも破損し核燃料が溶融したり、使用済み核燃料の保管施設が攻撃され、核燃料が大気にさらされたりした場合、「文民たる住民の間に重大な損失をもたらす」ことは確実である。それどころか、欧州の広域にわたって放射性物質が降下する。一方、ザポリージャ原発が当初、軍事施設にも電力供給を行っていた可能性が高いとはいえ、「軍事行動に対し常時の、重要なかつ直接の支援を行う」施設であったか、「これに対する攻撃がそのような支援を終了させるための唯一の実行可能な方法」であったかは、極めて疑わしい。よって、ザポリージャ原発はジュネーヴ条約第一追加議定書により、「特別の保護」を付与されるべき施設だったと考えられる。
一方で、同追加議定書は、第56条第1項が保護対象とする施設への攻撃や、第2項が定める攻撃禁止の解除条件に該当しない攻撃をもって、ただちに条約違反になるとは規定していない。第85条第3項(c)に「文民の過度な死亡もしくは傷害または民用物の過度な損傷を引き起こすことを知りながら、危険な力を内蔵する工作物または施設に対する攻撃を行う」[5]ことを違反行為と規定している。
つまり、重大な損失の発生を防止するため、第56条第1項で原発に「特別の保護」を付与しているにもかかわらず、同項への違反行為をそのまま条約違反とは定義せず、攻撃により過度な損害が発生したこと、さらには、そのような損害が発生する認識が攻撃側にあったことを条約違反の要件にしている。
今後、ロシア、ウクライナ両軍の戦闘が激化し、ロシアがウクライナ軍の進軍を遅らせるなどの理由で、ザポリージャ原発の破壊行為に及ぶ可能性は排除できない。しかし、現状においては、同原発へのロシアによる攻撃と占拠は、第85条が条約違反とする構成要件を満たしているとは言い難い。同原発への攻撃を実行した部隊、あるいは攻撃を命じた指揮官、国家指導者をジュネーヴ条約違反と認定することは困難である。
3.戦時下における原子力施設保護の限界と今後の課題
(1) 第56条制定の背景に見る「特別の保護」の限界
ジュネーヴ条約第一追加議定書が、第56条に定める原発の「特別の保護」を自ら骨抜きにするような条文を抱えている背景として、同条が各国の妥協の産物であることが挙げられる。
第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの攻勢にさらされたオランダ、ベルギー、ロシア(ソ連)などはダムや堤防の破壊によってナチス軍の進軍を遅らせた経験を有する。そのため、ダムや堤防に加え、原発についても、攻撃から得られる利益を勘案しながら攻撃対象とするかどうかを判断すべきとの立場をとっている。実際、オランダやベルギーはジュネーヴ条約第一追加議定書の作成過程において、相手の進軍を遅らせるための施設の「自壊行為」までを禁止とすることには反対するなど、第56条の適用に一定の留保条件を付けている[6]。
また、米国を含む北大西洋条約機構(NATO)加盟国は、冷戦時代、通常戦力で勝るワルシャワ条約機構軍に対する一つの戦術として、小型核兵器の使用に加え、原発など原子力施設の破壊による進軍の妨害を想定していた[7]。米国は、現在もなお、戦時において特定の施設に対し、「特別の保護」を付与することに明確に反対しており、ジュネーヴ条約第一追加議定書の未批准国である。
このように、西側欧米諸国の多くは、戦時における戦術の一つとして原発への攻撃を必ずしも否定しない、という点でロシアと共通している。この事実は、ジュネーヴ条約第一追加議定書の第56条が付与する戦時下の原発に対する「特別の保護」への関心が高まらないことにつながっている。
(2) 原子力施設の保護に対する新たな視点
しかしながら、第一追加議定書が策定、採択されたのは50年近く前であり、放射性物質がもたらす人体や環境への被害について人々の認識は変わってきている。
同議定書が採択されてから2年後の1979年3月、米国のスリーマイルアイランド原発で核燃料が溶融するメルトダウン事故[8]が発生すると、原発が潜在的に持つ危険が認識され始めた。同年7月、ジュネーヴ軍縮会議において、スウェーデンは核物質を放出させるような原発への攻撃や破壊行為を完全に禁止する提案を行った[9]。採択されなかったものの、第56条が定める原発に対する「特別の保護」の強化を試みる取り組みとして注目された。
その後、チョルノービリ原発事故(1986年)、さらには、福島第一原発事故(2011年)が発生し、放射性物質がもたらす深刻な被害への国際社会の懸念は一層強まった。2009年には、第53回IAEA総会において、原発を含め、平和目的に利用されるすべての原子力施設に対するいかなる武力攻撃も国連憲章、国際法およびIAEA憲章の違反要件を構成するとして、「稼働中ないし建設中の核施設に対する軍事攻撃ないし攻撃の威嚇の禁止」の議長声明が発出され、ロシアを含む全会一致で採択された[10]。同声明において、原発以外の原子力施設や建設中の施設も保護対象としていること、施設への攻撃だけでなく威嚇も禁止していることを踏まえれば、ジュネーヴ条約第一追加議定書の第56条が付与する戦時下の原発に対する「特別の保護」を超越している。事実、2022年3月4日にG7外相会議が共同声明で「原子力施設に対するあらゆる武力攻撃や武力による威嚇は国際法の原則への違反に該当する」との共同声明をまとめ、ロシアにウクライナの原子力発電所への攻撃をやめるよう要求した。原子力施設の損壊がもたらす重大な被害に対して、国際社会の認識が変化していることがうかがえる。
4.原子力施設への攻撃禁止に向けた日本の役割
原子力施設の損壊やそれによる放射性物質の放出がもたらす影響について、国際社会の認識が変化し始めているこの機会を逃さず、日本は原子力施設への攻撃禁止について、議論を主導することが求められる。なぜなら、日本は戦後、IAEAと協力し、原子力平和利用先進国として発展する一方、福島第一原発事故を経験し、原子力施設の損壊がもたらす人体や自然環境への影響をも熟知しているためである。
日本は今年から2年間、国連安保理の非常任理事国を務め、また、議長国として5月には、G7広島サミットを開催する。原子力施設への攻撃禁止を国際原則とすることが、戦時における文民への被害の低減につながり、国際社会全体の利益になることを訴え、具体的な議論に結び付ける機会にしてほしい[11]。
(2023/02/22)
脚注
- 1 ジュネーヴ条約第一追加議定書の日本語訳は下記のウェブページを参照。外務省『1949年8月12日のジュネーヴ諸条約の国際的な武力紛争の犠牲者の保護に関する追加議定書:議定書I(略称 ジュネーヴ諸条約第一追加議定書)』。
- 2 同上。
- 3 ザポリージャ原発の原子炉は、旧ソ連で開発されたロシア型加圧水型原子炉(VVER)と呼ばれる原子炉6基で構成される。1基あたり1,000Mwe(メガワット)の電気を出力する能力を有し、合計6,000Mweを発電できる。この発電能力は東京電力柏崎刈羽原発(7基計8,212Mwe)などに次ぐ3番目の規模である。原子力資料情報室「ウクライナ情勢における原発状況」、2022年3月3日などを参照。
- 4 「ザポリージャ原発 安全のため稼働中の原子炉停止させ冷却へ」NHK、2022年9月11日。
- 5 脚注3参照。
- 6 真山全「露ウクライナ戦争における原子力発電所攻撃の国際人道法上の評価」14-21頁日本赤十字国際人道研究センター『人道研究ジャーナル』第12巻所収予定。2023年3月。
- 7 同上。
- 8 1979年3月28日、アメリカのペンシルベニア州スリーマイルアイランド原発の2号機で、蒸気発生器に冷却水を送り込むポンプが停止した。他の機器の故障や運転員の誤操作も加わり、原子炉内の冷却水が減少して、核燃料が水面上に露出し、燃料の一部が溶け出した。国際原子力事象評価尺度(INES)でレベル5と評価された。チョルノービリ原発事故、福島第一原発事故はINESで最悪のレベル7。
- 9 友次晋介「未完の「放射性兵器禁止条約」―その構想と顛末」国際安全保障学会『2019年度年次大会』口頭発表、2019年12月8日。
- 10 外務省「国際原子力機関(IAEA)第53回総会の結果概要」2009年10月6日。
- 11 こうした認識から、「核不拡散・核セキュリティ研究会」は、IAEAなど国際機関の戦時下における新たな役割、ジュネーヴ条約をはじめとする国際法の改正により、戦時下における原子力施設の保護強化を図る取り組みなど、日本政府が世界に呼びかけるべき提言「原子力施設の保護と日本の役割~ロシアによるウクライナ侵攻と原発攻撃をうけて~」を取りまとめ、2月末に公表する。興味のある方はそちらも参照していただきたい。