1.処理水の最終処分が喫緊の課題に

 福島第一原発事故から10年を迎えた2021年4月、政府は、「処理水」の海洋放出を決定した。処理水とは、核燃料を冷却するために注入され、汚染された水を専用装置で浄化したものである。決定の背景には、処理⽔を保管するタンクが原発内の敷地を埋め尽くし、廃炉作業全般に影響を与えかねない事情がある。処理水の総量は125万トンに達し、タンクの数も1,000基を超え、2022年中に同原発の空き地がタンクで満杯になる⾒通しである[1]。

 処理水には、放射性物質の一つであるトリチウムが含まれているが、専用装置でも取り除けない。このトリチウムは、摂取量によっては、血球成分の減少などの影響を人体に与えることが知られているため[2]、世界各国の原子力施設では、希釈したうえで、核燃料冷却後の処理水を海洋など自然界に放出している。今回の政府決定は、この通例に沿ったもので、福島第一原発の処理水も、濃度を国の基準の約40分の1(1,500ベクレル/リットル[3])まで薄めたうえで、2年後をめどに海洋放出を開始し、数十年かけて処分するとしている。

 この日本政府の方針に対して、国際原⼦⼒機関(IAEA)は「科学的根拠に基づく」と評価した[4]ものの、風評被害に苦しんできた地元の漁業者に加え、中国や韓国等の近隣諸国・地域も海洋環境への悪影響を理由に反発している。

 世界の通例としての処理水の海洋放出が、なぜ、福島第一原発では事故から10年以上を経ても実施できないのか。

 本稿では、福島第一原発事故後、東京電力や政府が処理水の問題にどう取り組んできたかを概観し、海洋放出に対する信頼確保の方策を検討する。

写真 1:処理水を保管するタンクがたまり続ける福島第一原発

写真 1:処理水を保管するタンクがたまり続ける福島第一原発

出所)「(C)Maxar Technologies, Inc.」(2020年11月)

2.海洋放出決定までの過程―東京電力と国への不信感

 福島第一原発事故後の処理水対策の推移をみると(表1)、措置の実施に関する告知が不十分だったり、不都合な事象に対する情報公開が不適切だったりして、地元漁業者や近隣諸国の東京電力や政府への不信感が生じたことが分かる。

 事業者である東京電力は事故直後、緊急避難措置として低濃度汚染水の海洋放出を実施した。しかし、関係者に対する十分な事前周知がなく、国内外から多くの批判が出た[5]。その後、浄化装置についても、放射性物質の除去が不十分なケースが発覚した。一部タンクの処理水からは、トリチウム以外に、ストロンチウム90などの放射性物質が基準値の2万倍に相当する濃度で検出されたうえ、情報の開示も不十分だった。

 こうした状況を受け、政府は処理水問題への関与を深め、科学者や学識経験者、NPO法人代表ら15人の委員で構成する「多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会」(委員長:山本一良名古屋学芸大学副学長)を設置し、海洋放出のほか、水蒸気放出や地層処分など科学技術の観点から5つの方法を比較検討した。2020年2月、「漁業者への特段の配慮が必要ながら、海洋放出が技術的に優位」との結論をまとめたものの[6]、政府が地元漁業者に小委員会での議論を説明したり、周辺国に理解を求めたりする取り組みを⼗分に行うことはないまま[7]、海洋放出の方針決定がなされた。

 このように、汚染水浄化の実態や政府内における処理水に関する議論について十分な開示や周知を欠いたことが、地域住民や近隣諸国に不信感を醸成させるに至ったものと考えられる。

表1:汚染水の処分に関する経過

年月日 措置 目的・結果
2011年4月4日-10日 東京電力が低濃度汚染地下水を海洋に放出 高濃度汚染水が海洋に漏れないように貯水先を確保するため、やむなく低濃度汚染水を海洋放出することになったが、事前の周知が不十分だったため、地域住民だけでなく、近隣諸国からも批判
2013年3月~ 汚染水を浄化する多核種除去設備(Advanced Liquid Processing System、ALPS:アルプス)が稼働。 トリチウムを除くすべての放射性物質を除去する能力があるとされたが、除去しきれない事例も発生
2013年5月13日 地下水バイパス整備のため、くみ上げた地下水を海洋放出する東京電力の提案に、福島県県漁連が反対表明 「東京電力だけだと漁業組合の信用がない。国の方針で説明してほしい」との声を受け、以降は地域に対する説明を経済産業省と共同実施
2016年11月 経済産業省が「多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会」を設置 第三者的視点で、汚染水処理の解決策を議論し、2020年2月、海洋放出を最有力の方法とする報告書を作成
2017年11月 東京電力が土壌を凍結させた氷の壁(凍土壁)を原子炉建屋の地下に設置 地下水の原子炉建屋への流入を防止し、汚染水の増大阻止を狙ったが、効果は限定的との指摘
2018年9月 「トリチウム以外の放射性物質をすべて除去できる」と説明していたしていたALPSについて、東京電力がほかにも除去できない物質があり、基準値を上回っていたと公表 当初自社のホームページでのみ公表していたため、東京電力の情報公開の姿勢に批判
2019年8月 東京電力が「2022年夏ごろに福島第一原発内の空き地が貯水タンクで満杯になる」との見通しを表明 ALPSで処理された水の最終処分が喫緊の課題に

出所)東京電力ホームページなどを参照に筆者作成

3.世界の共通課題としてのトリチウム最終処分

 先に述べたように、原子力施設におけるトリチウムの発生は、福島第一原発あるいは同事故に固有の問題ではなく、世界の全ての原子力施設において発生している。トリチウムを含む処理水の海洋放出も世界各国の原子力施設で実施されている。

 福島第一原発の場合、震災および津波の影響から電源を喪失したため、原子炉内への水の供給が止まった。その結果、核燃料が自らの熱で溶けだし、原子炉の底に落下、さらには原子炉を突き破って原子炉を保護する格納容器下部にまで到達し、塊(デブリ)となった。膨大な熱を出し続けるデブリを冷却するために注入された水は、原子炉や格納容器の一部破損によって、デブリに触れた後にあちこちに漏れ出し、同原発の下部を流れる地下水にも接触したことから、汚染水が大量発生する事態に陥った。

 浄化装置による汚染水の処理では、大半の放射性物質は除去されるが、トリチウムは水素の一種で、水素と性質が類似し、水分子からトリチウムだけを分離、除去することは容易ではない。現在タンクに貯蔵されている125万トン超の処理水中に含まれるトリチウムの総量はわずか16グラム程度であり[8]、このような微量を取り除く技術は、日本だけではなく、世界でも実用段階に至っていない。

 一方、トリチウムは、放射性同位体が減少し半分になる半減期は12.33年と、放射性核種の中では寿命が短く、原子力発電を実施している各国はいずれも、トリチウムを含む処理水を人体や環境に影響がないとされる基準値以下に薄めたうえで、海洋など自然界に放出している。

 政府の方針決定は、こうしたトリチウムの特性や各国における処理水の処分と環境モニタリングの経験を踏まえたものである。日本でも、原子力発電を開始してから40年以上にわたってトリチウムは近海に排出され、定期的なモニタリングにより、基準を下回っていることが確認されている。冒頭のIAEAの評価にみるように、政府方針は一定の科学合理性を有していると考えられる。

4.信頼獲得のためにすべきこと

 2年後に海洋放出を開始するためには、東京電力や政府がこれまでの経緯から教訓をくみ取り、海洋放出に向けた信頼を回復する必要があるが、具体的に何をなすべきだろうか。

 第一に、地域住民、国民、近隣諸国への丁寧な説明である。「世界の原子力施設における実施例通り」であることを納得してもらえるまで何度でも説明する必要がある。第二に客観的な環境モニタリング体制の確立である。近海のトリチウム濃度のモニタリングを24時間体制で実施する仕組みを構築するとともに、客観性を担保する手段として、専門家、地元水産業者や環境NGOなどで組織する独立のモニタリング監視機関の設立を検討すべきである。第三に情報公開の徹底である。モニタリングの結果を監視機関が随時公表し、不利益な情報でも即座に発信することで透明性が確保される。

 これらの三つの条件を満たして初めて、海洋放出に対して、地域住民だけでなく、国際社会からの信頼を得られるだろう。

 福島第一原発事故から10年以上を経ても、福島県産の食品については、中韓両国や米国、EUなど15カ国・地域が輸入規制を実施している[9]。監視機関による情報公開により、福島第一原発近海の状況が日本国内および世界に正しく伝われば、風評被害の防止になり、輸入規制の緩和にもつながる可能性がある。

 海洋放出を適切に実施できるかどうかは、廃炉プロセスのみならず、地域復興の将来をも左右する。

(了)

(2021/05/07)