はじめに

 2025年8月15日、米露首脳会談の舞台となったアラスカ州アンカレッジには、ウラジーミル・プーチン大統領、セルゲイ・ラヴロフ外相、ユーリ・ウシャコーフ大統領補佐官(外政担当)のほか、アンドレイ・ベロウーソフ国防相、アントーン・シルアーノフ財務相、キリール・ドミートリエフ対外投資・経済協力担当大統領特別代表らの姿があった。この陣容は、現代ロシア外交における大国間外交を重視する姿勢、この文脈における米国の位置づけを内外に強く示すとともに、ウクライナ戦争下における対米交渉の構図を披露するものとなった。

 プーチン政権の権力構造を取材してきたジャーナリストのアンドレイ・ペルツェフによると、2022年2月のウクライナ戦争勃発以降、ロシアの外交政策においては、「代理外交官」が極めて重要な役割を果たしていると分析する[1]。現代ロシア外交の政策決定過程では、ウクライナ戦争勃発前から、プーチン大統領の権力基盤である「シロヴィキ」(治安機関関係者)が、その政治権力も相まって、ロシア外務省の本職の外交官と並んで、またはそれ以上に重要な役割を果たしてきた。ロシア憲法第86条(a)では、大統領が外交政策を指揮することが定められており、ロシア外交は、プーチン大統領を頂点とした垂直的な権力構造に基づいて、実施されている[2]。すなわち憲法上は、本職の外交官(外務省プロパー)以外に、大統領が委任する「代理外交官」もロシア外交の「公式アクター」である。ペルツェフの解釈では、ウクライナ戦争下において後者(代理外交官)の比重が大きくなっているというものであろう。

 「代理外交官」の一人として内政担当のセルゲイ・キリエーンコ大統領府第1次官の名前が挙げられている。ペルツェフによるとキリエーンコ第1次官の所掌事項は、いまやアブハジア、南オセチア、沿ドニエストルの「監督」に加え、アフリカの友好国との対話にまで発展しているという。また、北朝鮮への訪問実績の多いセルゲイ・ショイグー安全保障会議書記、そのほか冒頭で紹介した対米関係の窓口とされるキリール・ドミートリエフ対外投資・経済協力担当大統領特別代表も「代理外交官」とされる[3]。

 ただし、一般論として、外務省と大統領補助機関たる大統領府及び安全保障会議以外にも、連邦保安庁(FSB)、対外諜報庁(SVR)、国防省、連邦議会両院など様々な国家機関がロシア外交に参画し、さらに大統領特別代表のような個人レベルでも複数の「代理外交官」により枢要な役割が与えられているとすれば、政策過程の一層の複雑化、場合によっては混乱も想定され、大統領は、政策の統合や外交の一元化により多くのリソースを割く必要に迫られる。本稿では、ペルツェフの議論を参照しつつ、「代理外交官」による外交活動について分析・検討し、ロシア外交に及ぼす影響について考察する。

「代理外交官」のプロフィール

 2025年2月以降の米露直接協議においては、ラヴロフ外相、ウシャコーフ大統領補佐官(外政担当)のほか、しばしばドミートリエフ大統領特別代表の動向が報じられる。

 ドミートリエフは、1975年4月12日にキーウに生まれ、学校ではとくに物理・数学を学んだのち渡米し、スタンフォード大学で経済学士、ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した米国通である。父アレクサンドルは、ウクライナ国立科学アカデミー準会員で生物学博士の学者である。1990年代初頭、ドミートリエフの家では「民間外交」プログラムに参加する米国学生を受け入れており、その際に米国留学に関心を持ったとされる。スタンフォード大学卒業後は、ゴールドマンサックス、マッキンゼー・アンド・カンパニー、米露投資基金(TUSRIF)傘下企業などに勤務し、米欧とロシアのビジネス界で名を挙げることとなった[4]。2011年にはロシアへの外国投資を促進するロシア直接投資基金(RDIF)の総裁に就任し、米欧に加え、中国、中東諸国など世界中の投資家と知己を得ることとなる。またRDIF は、2020年のコロナ対応において、ロシア産ワクチン「スプートニクV」の開発・製造を取り仕切ったと言われる。

 このようにドミートリエフは、米国における人脈を活かし、投資家とのグローバルなネットワークを築き、RDIF総裁として「スプートニクV」に携わるなどロシア内政上もキャリアアップを果たした人物である。

 目下の米露関係では、2025年2月11日のスティーブ・ウィトコフ特使の訪露と翌12日の米露首脳電話会談を契機とした米露直接協議において急速に存在感を示すようになった。とくに2月18日、サウジアラビアの首都リヤドにおいて米露高官による直接協議が再開されると、ロシア直接投資基金総裁という立場で、経済担当としてロシア外交使節団に参加した[5]。会談後の2月23日、プーチン大統領は、ドミートリエフを対外投資・経済協力担当大統領特別代表に任命し、大統領府の一員として対米経済関係を担うこととなった。4月4日にはワシントンを訪問し、ルビオ国務長官ら「政権の要人」と会談したとされる[6]。

 ドミートリエフ特別代表には、自身のネットワークを活用して、エネルギー分野や北極といった領域における米露間の経済協力の「将来構想」をトランプ政権に打ち込む役割が与えられているものと考えられる。ただし、「二次制裁」に関するトランプ大統領の発言に象徴されるように、ウクライナ戦争の「停戦」を巡る米露関係は不安定で、4月の訪米以降、ドミートリエフ特別代表の活動も低調であった。

 こうした中、2025年8月6日、モスクワ近郊のヴヌコヴォ空港にウィトコフ特使が降り立ち、ドミートリエフ特別代表が迎えた[7]。その後、急ピッチでアラスカにおける米露首脳会談がセットされ、8月15 日、プーチン大統領に先立ってアラスカに到着したドミートリエフ特別代表は、ウィトコフ特使に迎えられた[8]。会談の「成果」は別として、会談の「実現」という観点から、ドミートリエフは「代理外交官」として期待された役割を果たしたものと見られる。

 また、同じく「代理外交官」として紹介されるショイグー安保会議書記は、ロシアの対北朝鮮外交において、継続して強い存在感を発揮している。もっともショイグーは、1994年から2012年までおよそ18年間にわたり緊急事態相を務め、さらに2024年まで国防相を12年間務めた人物であるから、ドミートリエフとは全く性質の異なる国内政治エリートでプーチン体制における「インナーサークル」の一員と言えよう。

 2024年5月からショイグーが務める安保会議書記の所掌事務には、諸外国のカウンターパートとの安全保障協議の実施が含まれる。また、同じ時期に軍事技術協力庁が国防省の外局から大統領直轄官庁となり、ショイグーが監督することとなった[9]。2024年12月には「露朝包括的戦略パートナシップ条約」が発効し、当面は露朝関係の制度化を進めることがショイグーの任務と言えよう。

 またショイグーは、国防相時代の2023年7月に訪朝して以降、9月の露朝首脳会談にも同席するなど、ウクライナ戦争下において露朝軍事関係を牽引してきた点にも留意を要する。彼はその後も安保会議書記として2024年9月に訪朝し、2025年には3月21日、6月4日、6月17日と訪朝回数が増加している[10]。最近では、北朝鮮からロシア・クルスク州に地雷除去のため1000人の工兵、インフラ再建のため5000人の軍事建設要員を派遣することが決まるなど[11] 、「代理外交官」としてショイグーは活発な外交活動を展開し、一定の成果を挙げていると言えよう。

「代理外交官」と外交政策の総合調整機能

 ペルツェフの議論では、米露関係を引き合いに出して、「代理外交官」の問題点を指摘する。ドミートリエフ特別代表は、「代理外交官」として相手国との間で楽観的な雰囲気を醸成するが、これに続く公式の外交チャンネルによる調整を経て、「代理外交官」との合意は、単なる「個人的な合意」に成り下がる可能性があることを指摘する。結局のところ「代理外交官」の役割を果たす国家官僚らの個人的な野心と競合によって生み出されるのは、まさに彼らの出世であると言う。

 ただ、本稿で検討した「代理外交官」を一括りにすべきではないと筆者は考える。結論を先取りすれば、「代理外交官」の有するスタッフ機構の規模、さらには政策の総合調整機能により注目すべきであろう。「代理外交官」として紹介したショイグーは、国防相として軍事外交、安保会議書記としてNSC外交を展開するなど、公式の外交チャンネル中に中枢にいる人物である。国防省の内部部局や安保会議・大統領府内部部局などスタッフ機構を持ち、これらを活用して、手堅く政策を推進しているようだ。一方で、ドミートリエフは、対外投資・経済協力担当大統領特別代表というクレムリンの官職を手に入れたものの、大統領府内部部局がどの程度の規模のスタッフ機構を準備したかは不明である。大統領補佐官以外にも、多くの大統領顧問、特別代表、全権代表を抱えるクレムリンが割くことのできる人的リソースは限られている点に留意が必要だ。

 ウクライナとの関係では、2025年5月、3年ぶりとなるロシア・ウクライナ協議が再開された。プーチン大統領はこれに先立ち、メジーンスキー大統領補佐官を団長とする交渉団を大統領令によって任命した。代表メンバーには外務次官級、国防次官級も含まれるなど、公式の外交チャンネルであり、代表メンバーを支える「専門家」には本省局長級が充てられた。内部部局職員が「専門家」を支えることも想定され、交渉団のスタッフ機構には拡張性がある。

 一方で、米国担当、北朝鮮担当、ウクライナ担当など多くの「代理外交官」を実務の観点から、誰がどのように束ねているのか、ウクライナ戦争下における政策の総合調整機能については不明な点が多い。

 純粋にロシア統治機構論の観点からは、大統領を補助する安保会議・大統領府内部部局がこの役割を担うが、とりわけ2024年5月のニコライ・パートルシェフ安保会議書記の退任後、安保会議に機能的な変化があるのか注目される。ショイグー書記率いる安保会議の新体制が政策の総合調整という「代理外交官」たちを束ねる重要任務を果たしているか、可能な限り詳細に検討すべきであろう。

(2025/09/16)

脚注

  1. 1 Andrey Pertsev, “Putin’s Proxy Diplomats Are Undermining the Coherence of Russian Foreign Policy," Carnegie Politika, April 30, 2025.
  2. 2 現代ロシアの統治機構については、次の文献を参照。長谷川雄之『ロシア大統領権力の制度分析』慶應義塾大学出版会、2025年、2-26頁。
  3. 3 Proxy Diplomatについて、本稿では暫定的に「代理外交官」と訳す。外務省の本職の外交官ではない者、すなわち「非職業外交官」が重要な外交交渉に従事することは今日よく見られる現象であり、とくにロシアでは「シロヴィキ」と呼ばれる治安機関関係者による外交活動が目立つ。
  4. 4 “Дмитриев Кирилл Александрович (Kirill Dmitriev),” RBC, Accessed September 12, 2025.
  5. 5 Денис Куренев, “Чем известен Кирилл Дмитриев: Глава РФПИ может в ближайшее время посетить Вашингтон(キリル・ドミートリエフとは?RDIF総裁、近くワシントン訪問か)” Ведомости, April 4, 2025.
  6. 6 “Дмитриев рассказал о первых уважительных шагах США по отношению к России(米国の第一歩、敬意に満ちたもの、ドミートリエフ語る),” Kommersant, April 6, 2025.
  7. 7 “Дмитриев встретил Уиткоффа в аэропорту(ドミートリエフ、空港でウィトコフを迎える),” RBC, August 6, 2025.
  8. 8 “Уиткофф встретил Дмитриева на Аляске(ウィトコフ、アラスカでドミートリエフを迎える),” RBC, August 15, 2025.
  9. 9 “Кремль уточнил роль Шойгу в Службе по военно-техническому сотрудничеству(クレムリン、軍事技術協力庁におけるショイグの役割を明確化)” RBC, May 13, 2024.
  10. 10 “Шойгу в третий раз за три месяца прибыл в Пхеньян (ショイグー、3ヶ月ぶり3度目の平壌入り),” RBC, June 17, 2025.
  11. 11 Иван Егоров, “Шойгу: КНДР направит в Курскую область 1000 саперов и 5000 военных строителей (ショイグー:北朝鮮、クルスク州に工兵1,000人、軍事建設要員5,000人派遣へ),” RGRU, June 17, 2025.