チャドのイドリス・デビ大統領が4月20日、チャド北部の紛争地で負傷し、死去した。この出来事は、チャド国内だけでなく、アフリカの各地で広がる様々な紛争局面に多大な影響を及ぼすであろう。そもそも人口1600万人、国連開発計画(UNDP)が発表する人間開発指数で189カ国中187位[1]のチャドは、アフリカの大国ではない。しかしなぜ、チャドの大統領の死去が多大な影響をアフリカの紛争局面に及ぼすのか。本稿では、デビ大統領が国内外に及ぼしてきた影響とその死去後の今後の展望につき述べることとしたい。

チャド国内に及ぼす影響

 デビ大統領は、イッセン・ハブレ前大統領政権下で軍事顧問を務めたが、ハブレ氏と対立が深まり、1990年、自らが率いる愛国救済運動(MPA)による武装蜂起でハブレ陣営を制圧して大統領に就任、その後、30年以上に亘り、チャドの大統領の地位にあった。今年4月11日に大統領選挙が行われ、4月19日には6期目の再任が決まったところであるが、デビ大統領の死去はその翌日のことであった。

 デビ大統領は、これまでも憲法が定める再選禁止条項を改正したり、また対立候補を拘束するなどにより、確実に再任が出来る環境を作った上で大統領選挙を行っており、国民の間で民主的な政治運営に対する不満が高まっていた。

 今回、デビ大統領が負傷したチャド北部の紛争地では、反政府グループの「Front for Change and Concord in Chad(FACT)」が、いみじくも大統領選挙が開催された4月11日に武装蜂起した[2]が、これは国民の不満を背景に、一般国民や他の反政府勢力の支持を得られるとのもくろみがあったためと考えられている。

 デビ大統領の死去後、憲法の規定では、国会議長が代行を務めることとなっていたが、デビ大統領の息子のマハマット・デビ将軍(通称カカ氏)をトップとする暫定軍事評議会が発足し、国会は解散させられている。このような体制転換については、国民の中でも不満が高まっており、国民の理解を得られる確証はない。そもそもデビ大統領には複数の子息がおりカカ氏の正統性が一族の中で確立しているわけではない。またデビ氏の出身であるザガワ族の中には、デビ氏の政治運営に異論を唱え、FACT以外の反政府勢力に合流するものもいる[3]。アフリカ連合(AU)も暫定軍事評議会の発足や国会の解散など、一連の動向に懸念を表明しており、国際社会の理解を得られるかも懸念材料である。30年に亘り、チャドを統治してきたデビ大統領の死去により、反政府勢力が活気づくことも予想され、今後、チャド国内での政治的安定が崩れることが予想される。

アフリカの紛争局面に及ぼす影響

 デビ大統領の死去に伴う紛争局面の流動化は、チャド国内に止まらない。むしろ、アフリカ大陸の様々な紛争局面により深刻な影響を及ぼすと考えられる。

 チャドは、これまでフランスのアフリカにおける重要な軍事拠点の役割を果たしており、サヘル地域のフランスとサヘル諸国政府の合同軍「G5 Sahel Joint Force」、「国連マリ多面的統合安定化ミッション(MINUSMA)」、ナイジェリアやカメルーンなどチャド湖周辺で活動するボコハラムに対応する「多国籍合同軍(MNJTF)」などを支援してきた[4]。チャドは、また隣国中央アフリカ共和国の治安維持にも加担している。サヘル地域では、1200人のチャド軍部隊が展開していたが、デビ大統領の死去に伴い、サヘル地域のチャド軍が撤退する動きも出ている[5]。

 フランスは、デビ大統領と良好な関係を維持する代償として、チャド国内の政治状況について干渉をしなかったが、このためにチャド国民やチャドの反政府勢力の中には、フランスの対応を快く思わないグループも存在する。デビ大統領の死去で、チャド国内の政治状況が流動化した結果、フランスはアフリカにおける重要な軍事拠点を失う可能性がある。この結果、サヘル地域やチャド湖周辺等における紛争が、今後さらに悪化することが懸念される。

 また、デビ大統領の死去は、スーダン西部のダルフールにも大きな影響を与えるであろう。デビ大統領は、これまで、ダルフールの治安と安定に関して、複雑な政治的均衡状態を作り出してきた。そもそもリビア南部、チャド、ダルフールでは、同一民族が国を超えて広がっており、また人の移動も行われてきた[6]。2000年代はじめに発生したダルフール紛争では、アラブ系のリザイガード族が中核となった武装勢力ジャンジャウィードが、ザガワ族などアフリカ系民族を襲撃したが、デビ大統領は、アフリカ系民族を擁護し、ジャンジャウィードと対峙する立場であった。ダルフール紛争後、デビ大統領は、リザイガート族のモハメッド・ハムダン・ダガロ(通称ヘメティ)氏[7]と良好な関係を構築し、ダルフールにおけるアフリカ系反政府勢力の蜂起を抑制する役割を果たしてきた[8]。デビ大統領は、現在のダルフールの治安と安定で、微妙なバランサーの役割を果たしてきたのである。

 スーダンでは、2019年のバシール政権崩壊以降、これまでバシール前大統領が果たしてきた政治的均衡状態が崩れ、4月上旬にはダルフール各地で大規模な戦闘が発生している。また「ダルフール国連AU合同ミッション(UNAMID)」が2020年末で任期満了となって以降、ダルフールにおける治安維持、住民保護の機能が弱体化する状況となっている。デビ大統領の死去に伴い、ダルフールの政治的均衡状態がさらに崩れ、情勢が流動することが懸念される。

 このようにデビ大統領の死去が、アフリカにもたらす影響を考えると、サヘル地域から、チャド湖周辺、さらにはダルフールまで、アフリカの広大な地域で展開する紛争の局面が、大きく変わることが予想される。

今後の展望

 フランスのマクロン大統領は、旧来の仏語圏アフリカを中心にしたアフリカ政策を見直しアフリカ諸国との新しい関係構築を表明しているものの、アフリカ諸国の反応は冷ややかである[9]。また仏語圏アフリカの中核であるサヘル地域一帯に広がる紛争は、改善の兆しが見えていない。英国は、国際開発省(DFID)と外務・英連邦省が一本化され、ウクライナなど、より直接的な影響のある地域に対外支援の重心を移すよう政策の見直しを行っており、アフリカへの関与が弱くなる可能性がある[10]。

 国連PKOは、COVID-19の影響下で予算が減るとともに、展開する要員を必要最小限にとどめる方針を出しており、以前にも増して、アフリカの紛争への介入の度合いが減少する傾向にある。また国連安保理内での主要国間のコンセンサス形成が難しくなっている中、国連PKOがアフリカの平和と安定にこれまで以上に主導的役割を果たすことを期待することは困難である。

 AUはこれまでAU軍の派遣により、アフリカ地域での活動を活発化させてきたが、予算逼迫により活動が縮小する可能性がある上に、様々な政治要因が絡むアフリカの紛争に明確な立場で介入することが難しくなっている。

 米国は、トランプ前政権が、イスラエルとの関係構築をスーダン、モロッコ等に求めるなど、イスラム教徒が多数派を占める各国で、複雑な反応を惹起してきた。バイデン政権に変わり、国際協調主義がより色濃く出されるようになり、エチオピアやソマリア問題にも積極的に関わる姿勢を示している[11]。ただし、アフリカ諸国で権威主義的色彩を強めた国が増える中、人権外交色の強いバイデン政権のアフリカ政策がアフリカの安定と発展にどのような影響を与えるのか見通しが立たない上に、米国は、中国、ロシアとの局面に勢力を集中させる動きも見せており、今後の見通しについては予断を許さない。

 日本は、欧米諸国のように治安維持のために部隊派遣を行うことはできないが、政府開発援助(ODA)を通じ長くアフリカの開発支援に取り組んできた。これは、相手国政府が国民に公正でより良いサービスを提供できるよう支援し、国民と政府との信頼関係を促進し、アフリカの安定と発展を推進する取り組みである。また日本は、アフリカの国々で植民地支配の歴史がなく、多くの国で好意的に受け止められている。折しも2022年は、1993年以来続けてきたアフリカの開発支援プロセスTICADの8回目の国際会議(TICAD8)を予定している。2019年に開催されたTICAD7ではサヘル地域および「アフリカの角」地域に関する特別会合を開催し、「アフリカの平和と安定に向けた新たなアプローチ(NAPSA)」を発表するなど、国際社会のアフリカの「平和と安定」支援に向けたモメンタム作りを推進している。紛争が激化し、治安が悪化すれば、開発支援そのものが継続できなくなる。アフリカの平和と安定がさらに流動化しかねない今、日本はこれまで続けてきたアフリカ支援の取り組みを一層強化し、アフリカの平和と発展に寄与することが期待される。

(2021/5/11)