出典:海上自衛隊ホームページ

 日本でも関係者以外あまり知られていない安全保障政策に「ビエンチャン・ビジョン」がある。これは2016年(平成28年)11月にラオスの首都ビエンチャンで開催された第2回日ASEAN防衛担当大臣会合[1]において稲田朋美防衛大臣(当時)が発表した、日本の対ASEAN防衛協力の指針だ[2]。中国による積極的な海洋進出を念頭に、東南アジアでの法の支配に基づく秩序維持に向けて、日本が積極的な関与を行うことを表明したものである。日本の防衛省が展開する防衛外交の「ビジョン」としては恐らく初めてのものであり、安倍晋三首相が創設を提案し開催することになった同会合の中心的存在といえる。 日本が戦略的関心を寄せるベトナムやインドネシアに加え、中国の影響が強いとされるラオスやカンボジアなど内陸国と、さらには先進国のシンガポールも含めたASEAN全加盟国を対象とすることも特徴的だ。各国からの期待も高い施策であるが、発表から1年半が経過した現在、関係者の間で早くも改定が噂されてもいる。この小論では、このビジョンが作られた背景、経緯とその内容を概観し、改定が必要な理由と今後の課題を検討する。

ビエンチャン・ビジョンの背景

 「ビエンチャン・ビジョン~日ASEAN防衛協力イニシアティブ」が発表された2016年は、東南アジアにおける「法の支配」の行方が大きく問われた年となった。そのハイライトは、中国の南シナ海における歴史的権利と権益などについての主張を全面的に退けた7月12日の仲裁裁判所の判断だ。中国が進める人工島の建設など力による現状変更に懸念を共有するベトナムや日本は国連海洋法条約に基づく審理結果に支持の姿勢をみせた。しかしながら、申立てをした側のフィリピンでは判決が下される直前の6月に政権交代があり、アメリカと距離を置き中国に配慮するロドリゴ・ドゥテルテ新大統領の登場がASEAN内の足並みを乱すことになるのではないかと懸念された[3]。

 そのような中で域外の日本から打ち出されたのがビエンチャン・ビジョンである。もとより、東南アジア諸国や南シナ海での中国の影響力が増すなか、ASEANの一体性を確保しつつ、「法の支配」を通じた秩序維持に向けて地域全体の対応力を高めることは政権に復帰した安倍首相が当初より重視してきたことだった[4]。また、2010年に日本など域外8ヶ国を含む拡大ASEAN国防相会議(ADMMプラス)という多国間枠組みが創設されたことも忘れてはならない。ハイレベルでの政策協議と実働の連携が図られる機会を生み出したからだ。

 さらにこの時期、アメリカのアジア回帰(いわゆる「リバランス政策」)に呼応して、日本が同盟国として東南アジアの安全保障に補完的な役割を果たすことも期待された。日米に加えて日豪・日印や日米豪、日米豪印などのパートナーシップ協力の進展が図られたのもこの時期である。民主党政権下ではじまった他国軍に対する能力構築支援(キャパビル)が東南アジア各国で高く評価されるなど、交流以外にも日本の防衛外交を推進する実務的な土台ができていた。

 防衛省としてはこれらの期待と懸念に応えるとともに、個別具体の取組からこれまでの方針に基づく整合性のある協力を実施して東南アジアでのプレゼンスを確保する必要もあったであろう。一方で、日本による東南アジアへの軍事的な関与が否定的に捉えられ、国内外でネガティブなキャンペーンに利用される恐れもある。ビエンチャン・ビジョンに関係する文書が、透明性と全ASEAN加盟国からの賛同に基づく取組であるという点を強調するのはこのためだ。言外には、力による一方的な現状変更を図ろうとする中国との対比において、日本がより好ましいパートナーであるという主張が滲み出ている。

国際法の認識共有促進と海洋安全保障の強化に向けた実践的な指針

 このような背景をもつビエンチャン・ビジョンであるが、その実態はどのようなものなのであろうか。防衛省の資料によると、この施策は目的(ends)・方向性(ways)・手段(means)として体系的に整理されている[5]。目的には、「ASEAN全体」の能力向上に向けて、①自由、民主主義、基本的人権の原則の遵守・促進、②「法の支配」の貫徹、③ASEANの中心性や一体性強化を支援することが掲げられている。協力の方向性は、海洋・航空分野における国際法の理解促進、同分野での情報収集・警戒監視そして捜索救難の能力向上、そのほかの安全保障課題についてのASEANの対処能力向上が示されている。

 また手段としては、国際法の実施に向けた認識共有促進、各種能力構築支援、防衛装備(移転・技術協力)、訓練・演習、人材育成・学術交流などを組み合わせて行うとされている。つまり、様々な協力手段を通じてASEAN全体での国際法の認識共有と海洋安全保障の強化を図ることを主眼に置いている[6]。

 これを機に、ASEAN各国との政策協議の場では「法の支配」の重要性と並んでビエンチャン・ビジョンが語られるようになり、二国間の防衛協力でも海洋に関する国際法セミナー(インドネシア)や艦船整備研修(フィリピン)などビエンチャン・ビジョンの精神を反映した事業が実施されている。また、対ASEAN協力事業としては、2017年6月にシンガポール周辺海域で海上自衛隊の護衛艦に乗艦して国際法セミナーなどを実施する「日ASEAN乗艦協力プログラム」が、また国内では自衛隊の大規模災害演習にオブザーバー参加する「日ASEAN統合防災演習(JXR)研修プログラム」が相次いで開催されている。乗艦プログラムは今年5月に第2回が実施されており、今後は定例化が図られるヘリコプター搭載型護衛艦などの大型艦の長期遠洋航海[7]に併せて回を重ねることが期待される。また国内でも、演習への参加の他に東南アジアでの活動や装備移転の可能性もある海上自衛隊の救難飛行艇US-2など、実機を用いた講習会などを検討してもよいものと思われる。

ASEAN Economic Community

出典:防衛省ホームページ

改定が必要な理由と今後の課題

 実績を重ねつつあるビエンチャン・ビジョンだが、発表から2年も経過していないのに改定の話が出てくるのは何故だろうか。幾つもの要因が考えられるが、主たる3つの理由と、今後の課題も併せて検討する。

 第一に、上位政策の変化を見越してである。今年の12月に予定される防衛大綱の改定では、比較的低予算でありながら得るものが多い防衛外交(防衛省の用語では「防衛協力」「防衛交流」)が拡充される見込みだ。自民党の提言でも、米豪印英仏などとの連携強化に加え、ASEANとは海洋安全保障の強化や能力構築支援を実施するにあたり「戦略的寄港やODAによる協力を活用」することが提言されている[8]。戦略的寄港とは、日本の艦船が南シナ海からインド洋にかけての長期的な航海や恒常的な活動を行う際に、地域への自由なアクセスの意思と能力を示す寄港を行うことだ。既に行われつつある活動であるが、目に見える形で相手国との戦略的な関係構築を実施することも念頭に、寄港頻度を増やしていくことは必至だ[9]。

 ODAとの連携は現大綱にも言及されているが、旧来の援助思想やスキームが新たな政策的なニーズとは相いれず、あまり進んでいない。このため、資機材の提供や装備品移転の際に活用できる資金援助プログラムを新たに防衛省に設置することも考えられる。現在政府が検討中の防衛大綱がどのように策定されるのか不明であるが、これらの要素が含まれるのであれば、ビジョンの改定も検討されよう。なお、この提言の取り纏めで中心的役割を担った若宮健嗣自民党政務調査会国防部会長は、安全保障協力を通じて日本が「ソフトな安全保障ネットワークを作ることによって、中国がいろんな方面に目配りをしなければならない状況を作り出す」として対中コスト賦課戦略の一環であるとの認識を示している[10]。

 第二に、東南アジアでの陸上自衛隊の役割を意識し始めたことが窺われる。ビエンチャン・ビジョンは南シナ海での海洋秩序の維持を念頭に置いていたため、国際法の認識共有や海洋安全保障の強化など海上自衛隊(と部分的に航空自衛隊)による活動を中心に想定している。しかしながら、東南アジアの過半は陸軍国である。同じ陸軍種である陸上自衛隊との親和性が高く、大きな波及効果が期待される。艦艇の寄港のような目立ったプレゼンスは発揮できないが、相手国のニーズに応え中長期的に支援と交流を継続することで人的ネットワークが拡大する。重点支援分野では将来的に運用の考え方を共有していくことも想定できよう。実際、東南アジアの各国は国連PKOへの部隊派遣を今後増やしていくことが見込まれ、陸上自衛隊は既に施設技術(カンボジア)や医療支援・衛生(フィリピン)といった教育支援を行っている。

 この動きを後押しするのが、国連だ。現在、陸上自衛隊は国連による平和活動を後方支援するフィールド支援局(Department of Field Support/DFS)を通じて東アフリカで現地工兵部隊への能力構築支援「アフリカ施設部隊早期展開プロジェクト(ARDEC)」[11]を行っている。この事業をインドネシア・タイ・ベトナムなどのASEANに横断的に展開することが検討されている[12]。既に日本政府は繰り返しARDECの様な取組をインド太平洋地域にも提供することを示唆しており[13]、この構想が実現すれば国連の活動として陸上自衛隊にアジアでの活動拠点ができるかもしれない。そこで求められるのは従来の施設技術だけでない。PKOの現場で求められる医療・衛生や通信、そして非軍事面における組織管理(Defense Institutional Building/DIB=防衛組織構築)といった分野での能力構築支援である。ビエンチャン・ビジョンの改定では、国連など国際機関との協力や、陸上自衛隊の役割も踏まえた対ASEAN安全保障協力の在り方が示されるべきであろう。

 第三に、北東アジアと東南アジアの安全保障課題がより密接になってきていることが挙げられる。この点においては従来、中国の公船による東シナ海・南シナ海への進出と現状変更の試みや大量破壊兵器の拡散が中心的な議題であった。しかし、北朝鮮への制裁強化を求める国連安保理決議第2375号(2017年9月採択)が北朝鮮船舶による石油など禁輸指定品目の公海上の船舶間の積替え(いわゆる「瀬取り」)を禁止したことが他国軍との新しい協力形態を生み出した。日本は米軍や豪軍と連携して東シナ海における警戒監視活動を実施しており、外務省の発表によると今年6月末時点で既に8件の決議違反の疑いのある行為が確認されている[14]。

 今後も2375決議に基づく北朝鮮への制裁が継続することを見込まれるなか[15]、東シナ海から南シナ海にかけての日米豪による「瀬取り」共同パトロールの実施も考えられよう。日米豪三ヶ国はインド太平洋での協力に向けて「長期的なヴィジョンを示す戦略アクション・アジェンダを作成」することにも合意しており[16]、今後の展開が期待される。仮にそのような活動が実施される際には、南シナ海沿岸国との密接な協力と情報共有が必要となる。「瀬取り」は周辺国の監視能力が比較的低い南シナ海でも行われている可能性もある。前述のヘリコプター搭載型護衛艦の遠洋航海の際には東南アジア諸国との認識共有セミナーの開催や警戒監視能力の向上に向けた支援、更には警戒監視活動での連携や外国艦船の船舶検査に対する支援なども考えられる。

 北朝鮮の「瀬取り」に対する国際協調は、国連安保理決議の履行という点で法の支配の貫徹に貢献するものであり、沿岸国との警戒監視活動における協力を可能とする。政府が打ち出す「自由で開かれたインド太平洋戦略」において、新たな付加価値をもたらすこの活動を新たなビジョンにどのように位置づけるのか注目される。

 (2018/08/24)

脚注

  1. 1 英語名称はASEAN-Japan Defense Minister’s Informal Meeting
  2. 2 防衛省「ビエンチャン・ビジョン~日ASEAN防衛協力イニシアティブ~」
  3. 3 実際、翌2017年4月にフィリピンが議長国となって開催したASEAN首脳会合の議長声明では、中国による南シナ海での活動を批判することは見送られた。
    AFP「ドゥテルテ比大統領、南シナ海問題で中国非難せず ASEAN」2017年4月30日。
  4. 4 2012年末に政権に復帰した安倍首相は初外遊先に東南アジア3ヶ国(ベトナム・タイ・インドネシア)を選び、法の支配など「対ASEAN外交5原則」を発表するなど、当初から東南アジアとの協力推進姿勢を鮮明に打ち出している。
    外務省「安倍総理大臣の東南アジア訪問(概要と評価)」平成25年1月18日。
  5. 5 防衛省「ビエンチャン・ビジョン~日ASEAN防衛協力イニシアティブ~」(説明資料)
  6. 6 なお、防衛省の文書からは、このビジョンがASEAN全体に対する協力のみを対象とするものなのか、ASEAN加盟国に対する二国間協力も含めるのかは判然としない。意識としては二国間や分野別の協力も含めつつ、プログラムとしては別扱いとしている様に見受けられる。
  7. 7 ロイター「海自ヘリ空母『かが』、9月から南シナ海・インド洋へ派遣=関係者」2018年7月4日。
    なお、8月21日付の海上自衛隊プレスリリースで、8月26日から約2か月かけて『かが』を含む護衛艦3隻・搭載航空機5機・約800人の要員をインド太平洋に派遣することが公表された。訪問先は、インド・インド ネシア・シンガポール・スリランカ・フィリピンの5カ国。
    海上自衛隊「平成30年度インド太平洋方面派遣訓練の実施について」
  8. 8 自由民主党政務調査会「新たな防衛計画の大綱及び中期防衛力整備計画の策定に向けた提言~『多次元横断(クロス・ドメイン)防衛構想』の実現に向けて~」2018年5月29日。
  9. 9 小野寺防衛大臣「トリンコマリーやハンバントタにも海上自衛隊の艦船が定期的に入るような、そのような戦略的な考え方で行うことは重要だと思っております。」
    防衛大臣「防衛大臣臨時記者会見」(於:スリランカ・コロンボ)」平成30年8月21日。

    なお、スリランカのハンバントタ港など中国が支援した港に対する日本を含めた各国のアクセス向上については、外交ルートにおいても強調されている。
    外務省「河野外務大臣臨時会見記録(於:スリランカ・コロンボ)」平成30年1月5日。
  10. 10 部谷直亮「ソフトな安全保障ネットワークが対中抑止力を高める~自民党・若宮国防部会長に聞く『防衛大綱』改訂の狙い(後編)」JBPress 2018年6月30日。
  11. 11 英語名はAfrican Rapid Deployment of Engineering Capabilities。国連が提唱する国連と要員派遣国そして支援国の三角パートナーシップ・プロジェクト(TPP)の一環として、陸上自衛隊の施設課が実施するもの。外務省が国連(フィールド支援局、DFS)に対して活動資金を提供し、DFSの事業として実施される。
    防衛省「アフリカ施設部隊早期展開プロジェクト(ARDEC)」
  12. 12 「政府、ASEANにPKO訓練=能力構築支援に力点」時事ドットコム 2018年7月16日。
  13. 13 外務省 “Statement by Mr. Taro Kono, Minister of Foreign Affairs of Japan at the Security Council Open Debate on Reform of United Nations Peacekeeping Operations: Implementation and Follow up” 20 September 2017.
  14. 14 外務省「北朝鮮関連船舶による違法な洋上での物資の積替えの疑い」平成30年6月29日。
  15. 15 中国とロシアが制裁の緩和を示唆するなか、ポンペオ米国務長官は7月20日、国連安保理の理事国に対する北朝鮮との非核化交渉の説明において、北朝鮮の非核化まで結束して制裁を続ける必要性を確認した。
    日本経済新聞 2018年7月21日。
  16. 16 今年6月に開催された日米豪防衛相会談の声明では、北朝鮮による「瀬取り」に触れた後、三大臣は「インド太平洋地域における三ヵ国協力の長期的なヴィジョンを示す戦略アクション・アジェンダを作成することを確認した」とされている。(ヴィジョンの仮名遣いは原文に順じた)
    防衛省「日米豪防衛相会談共同声明(仮訳)」 2018年6月2日。