はじめに

 防衛白書は、1970年(昭和45年)に中曽根康弘防衛庁長官の強い意向により初刊が発行されたとされている[1]。初版の表題は、「日本の防衛-防衛白書-」であり、以後、第2刊から「防衛白書」として毎年発刊され、2000年(平成15年)からは、「日本の防衛-防衛白書-」または「防衛白書-日本の防衛-」として、発刊されている[2]。

 防衛白書は、日本の防衛に関する安全保障について、日本国民および世界に対し、その事実の説明と、透明性確保等のための日本の防衛政策の意図を発信するものである。これは近年、世界的に注目される概念となっている戦略的コミュニケーション(SC:Strategic Communication)としての重要な意味がある。

 SCとは、共通の価値観を持つ世界各国および自国民への発信と共に、国際秩序の根幹を揺るがす、力による一方的な現状変更を試みる各国に対して、事前に計画、準備された外交、情報、軍事、経済などの国家のパワーを組み合わせた行動を示すとともに、事態の展開に応じて、正確なシグナルを送ることによって、それを抑止するものでもある。また、SCは現代のグレーゾーン事態対応に適合した対処法とも言われている[3]。日本が、既存の秩序に挑戦し力による一方的な現状変更の意思を有する3つの国々に囲まれることとなった現代の安全保障環境において、それを実行させないためのSCによる抑止とその伝達、そして、その抑止の源であり、かつ、抑止が破られた時の対処力を整えることが日本にとっての近々の課題となっている。

 本論考では、「防衛白書」の説明(意図)を分析し、SCとしての防衛白書の意義の考察を試みるものである。

主要新聞は本年版白書をどう見ているか?

 主要新聞における記事の見出しとして、その多くは、「「中ロが関係深化」懸念」、「台湾情勢、ウクライナ侵攻拍車」であり、その他の一部に「防衛費増額既成事実化」、「「敵基地攻撃能力」検討明記」、「抑止力強化 国民に訴え」などがある。各紙の論調をまとめれば、主たる記事として、①中露の関係深化の懸念、②台湾有事シナリオの記載について、また一部の記事として、③防衛費増額既成事実化、④敵基地攻撃能力の検討明記、⑤抑止力の国民への訴え、について確認することができる[4]。これは、メディアの評価が過去と比較してより現実的になっているものの、一方において、過去の評価と同様に防衛白書が示す安全保障情勢の「概観」等の範囲(第1部)についての評価に留まっており、白書全体の評価とはなっていないものが多いとも言える。

本年版白書は日本の安全保障環境の変化をどう見ているか?

 防衛白書第1部「わが国を取り巻く安全保障環境」の第1章「概観」は、防衛省が防衛に係る安全保障情勢をどのように見ているかのメルクマールとなっている。令和4年度版の特徴は、昨年と比較して、「現在の安全保障環境の特徴」として、「貿易、台湾、南シナ海、人権」分野の顕在化を含む「米中の戦略的競争の一層の激化」と「ロシアのウクライナ侵略など」による①「既存の秩序に対する挑戦への対応が世界的な課題」となっていることを強調している点である(下線:筆者:暗に中国を含めているものと推定)。また、②「無人・AIアセットによる戦い方の根本的な変化」、③「経済安全保障の重要性」を追加している[5]。さらに、今年の重大な出来事として新設された「ロシアによるウクライナ侵略」の章では、侵略の事実関係とともに、「ウクライナ侵略が国際情勢に与える影響と各国の対応」として、「中露の連携深化の懸念」と「台湾有事シナリオの概要」が明記されている[6]。これは、「既存の秩序に対する挑戦への警戒」の段階から、ロシアによるウクライナ侵略の各国の対応を踏まえ、さらに一歩進んだ対応(対処)の段階へと入り、それを「世界的な課題」と捉えていることがわかる。また、その対応(対処)すべき範囲も伝統的軍事力への対応から、技術革新によるゲーム・チェンジャーおよび経済安全保障に至るまでの広範囲に及ぶことを示している。さらに「ウクライナ侵略」は、対岸の火事ではなく、日本周辺の安全保障に係るものとして、ロシアへの対応ばかりではなく、台湾有事のシナリオを始めて明記することにより、中国への抑止と対処の必要性につながる記述となっているものと考える。

本年版白書は何を重視しているのか

 白書の「章立て」には、防衛省として重視するものが反映されているとされている。

 例えば、「諸外国の防衛政策(軍事動向)など」において、2018(平成30)年版では、「米国、朝鮮半島、中国、ロシア、・・・」の順で記載されていたが、2019(令和元)年版では、「米国、中国、朝鮮半島、ロシア、・・・」の順で記載され[7]、朝鮮半島情勢よりも中国の重要度が増していることを反映していると言われている。

 今年度版の防衛白書における前年度からの大きな章立て変更は、第1部第2章として、「ロシアによるウクライナ侵略」を追加したこと[8]、同じく第1部第4章第1節として軍事科学技術の前段階としての一般的な「科学技術をめぐる動向」を挿入したこと[9]、そして、今回注目したのは、第4部「防衛力を構成する中心的な要素など」の第1章として「訓練・演習に関する諸施策」を持ってきている点である[10]。前年度の白書では、第4章「高い練度を維持・向上する自衛隊の訓練・演習」として、また、2020年度では、同じく第4章「防衛力を支える要素」として記述していた[11]。

 今年度版の防衛白書では、第4章から第1章へと格上げし、その構成として第1節「訓練・演習に関する取組」を、「1 わが国の抑止力・対処力強化のための訓練」、「2 インド太平洋地域でのパートナーシップ強化のための訓練」とし、章の前書きとして、「自衛隊がわが国防衛の任務を果たすためには、平素から各隊員及び各部隊が常に高い練度を維持し、(中略)そうした練度に支えられてこそ、他国からの侵略を思いとどまらせる抑止力としての機能を果たすものとなり、かつ、侵略が生起した場合の対処力を確保することができる。」と述べ、抑止力と対処力を前面に出すなど、防衛白書が対外的に本来持つ「戦略的コミュニケーション(Strategic Communication:SC)」を日本国民のみならず世界に向けての発信を図っていると分析することができる。

 これは、今年度版の防衛白書別冊[12]のフォーカスにおいても、「直面する安全保障上の課題」に対応するために「平和を生む「抑止力」」として「わが国自身の防衛体制の強化と日米同盟の強化」、また「望ましい安全保障環境の創出」としての「自由で開かれたインド太平洋、同地域での能力構築支援、そして同地域での主要訓練」を取り上げ、能動的な取組を取り上げていること、さらに、防衛大臣の巻頭言として、「防衛省・自衛隊は、いつ如何なるときも日本という国を断固として守り抜くため、そして、地域と国際社会の平和と繁栄、これを支えてきた普遍的価値に基づく国際秩序をこの先も確かなものとするため、(中略)。この白書が、防衛省・自衛隊にその意思と能力があるということを、国民の皆さまと国際社会に対してしっかりとご説明する」と述べられていること[13]からも明らかである。

なぜ訓練・演習に関する記述が多いのか?

 今年度版は、前年度まで第3部「我が国防衛の三つの柱」に第1章「わが国自身の防衛体制」、第2章「日米同盟」、第3章「安全保障協力」の中で分散して述べられていた訓練・演習を、第1部第4章第1節「訓練・演習に関する取組[14]」に集約して、昨年度の6ページから13頁に記述量を倍増させている。

 その第1節は、第1項「わが国の抑止力・対処力強化のための訓練」と第2項「インド太平洋地域でのパートナーシップ強化のための訓練」、第3項「その他の訓練」の構成となっている。

 第1項「わが国の抑止力・対処力強化のための訓練」では、(1)「わが国自身の防衛体制の強化に資する主要訓練」として、①自衛隊統合演習、②陸上自衛隊演習(約30年ぶりに実施した人員約10万人が参加した実動訓練)、③海上自衛隊演習(実動演習)、日米共同を含む各種機雷戦訓練、米国派遣訓練など、④航空総隊総合訓練(実動訓練)、PAC-3機動展開訓練、国外運航訓練などについて記述し、抑止力・対処力強化のための訓練を紹介している。

 そして、(2)「日米同盟の抑止・対処力の強化に資する主要訓練」として、⑤統合による日米共同訓練(キーン・ソード(実動演習)、キーン・エッジ(指揮所演習))などの大規模演習や⑥(航空)日米共同訓練(日本海上における日米戦闘機・爆撃機による編隊航法訓練)などの実任務に近い訓練を挙げている。

 これらの訓練・演習は、実動を主体としたかつ実戦的な訓練とされており、対処能力の維持・向上を図ることで、結果として、抑止力向上を図っているものである。また、⑥の実施は、北朝鮮によるミサイル発射に対するプレゼンス(抑止)とも言われている。

 そして、(3)「第三国を交えた実践的な多国間共同訓練」として、米国以外または米国を含めたハイレベルな多国間共同訓練を取り上げている。具体的には、⑦ARC21(日米豪仏共同訓練)として、仏海軍ヘリ空母「ジャンヌ・ダルク」訪日に合わせ、日米豪の揚陸艦等により水陸両用作戦などを実施している。さらに、⑧タリスマン・セイバー21(米豪主催多国間共同訓練(豪州))として、陸自・海自・米海兵隊・豪陸軍・英海兵隊による初の4か国での水陸両用戦訓練の他、加韓国艦艇による海上作戦訓練などを行っている。その他にも8の訓練の実施について記述している[15]。これらは、尖閣諸島をはじめとする島しょ防衛のための訓練等であり、日本周辺の力による一方的な現状変更を試みる国に対する抑止と捉えることができる。

 第2項「インド太平洋地域でのパートナーシップ強化のための訓練」として、⑨インド太平洋方面派遣(IPD21)(護衛艦「かが」等3隻により南シナ海、インド洋、南太平洋を約4か月かけての巡航(この間、英空母「クイーン・エリザベス」を含む日米英蘭加新の6か国艦艇の共同巡航なども実施))、⑩インド太平洋・中東方面派遣(IMED21)(米国主催国際海上訓練(バーレーン周辺海空域)参加と共に往復路においてシーレーン沿岸国と共同・親善訓練を実施)の他、14の訓練の実施について記している[16]。これらの訓練は、「自由で開かれたインド太平洋」ビジョンに基づく欧州も含めた大規模な訓練であり、地域の平和と安定のためのプレゼンスと捉えることができる。

 日本のインド太平洋地域における防衛に関する対外的安全保障戦略として、「自由で開かれたインド太平洋」ビジョンがある[17]。具体的には、同地域に日本が含まれることは当然ながら、日本の主要なシーレーンが通過し、世界人口の多くが集中し、経済成長も著しいことから、日本にとって同地域の平和と安定は極めて重要であるとし、他方で同地域内では、軍事力の急速な近代化、軍事活動の活発化が見られることから、日本にとって望ましい安全保障環境を創出することを取組の方向性としている。

 SCは、その戦略を示すのみでは不十分であり、戦略に基づく行動(戦術)が伴い、また、そうした戦略・戦術を国内外に伝達して初めて成立するものである。したがって、「自由で開かれたインド太平洋」ビジョンを示すとともに、そのビジョンに基づいて実施する多くの訓練・演習について、国内外に伝達する主要な手段としての役割が防衛白書にはある。今年度版の防衛白書は、戦略と戦術を組み合わせたビジョンおよび行動を示すとともに、「抑止力と対処力の強化」というシグナルを送ることによって、特に力による一方的な現状変更を試みる国に対して、抑止を図っていると考えられる。

おわりに

 令和4年度の「防衛白書」は、インド太平洋地域における抑止力と対処力としての戦略「自由で開かれたインド太平洋」ビジョンを示すとともに、その戦術として、統合、陸・海・空自による高烈度から災害救助まで、また、海外から国内までに至るあらゆる訓練・演習などを具体的に取り上げている。こうした一貫した戦略から戦術までを示すことにより、力による一方的な現状変更国への抑止力とその源となる対処力の強化について述べている。これは、従来から防衛白書が記述していた軍事的安全保障環境を示すばかりではなく、まさに日本(防衛省)の意思としてのSC(戦略的コミュニケーション)を展開していると言える。日本のSCとしてのメッセージを、単純化していえば、「日本は、日本を含むインド太平洋地域の平和と安定のため、抑止力と対処力の強化を図っているという意図」を示しているということである。

 これまでの防衛白書においても、防衛に関する経緯と事実関係の記述とともに国としての意思が示されてきたが、メディアが主に取り上げるトピックの重点は、これまで、安全保障環境を記述している「概観」、また今年度版においては増設された「ロシアによるウクライナ侵略」からの安全保障環境分析の記事である。今後は、今回の防衛白書が示す「地域の平和と安定のための抑止力と対処力の強化」など、国としての意思を国内外に伝達することで日本が目指すSCを展開すると同時に、論説などの記述により第三者として評価することが日本の国益に沿うものになると考える。

(2022/08/23)

脚注

  1. 1 中曽根康弘「防衛白書刊行40回に寄せて」『防衛白書』平成26年版。その後、一時発刊されなかったが、「防衛計画の大綱(防衛大綱)」および「基盤的防衛力」構想路線を決定した坂田道太防衛庁長官時の1976年(昭和51年)に復活した。
  2. 2 筆者は、2000年(平成15年)版「日本の防衛-防衛白書-」作成室に勤務した。
  3. 3 拙稿「現代の国防論―現代の日本の防衛に必要不可欠な作戦術について―」『防衛大学校教授による現代の安全保障講座(第27回)』全国防衛協会連合会、2020年、6-9頁。SCに関し画一された定義は未だない。
  4. 4 『朝日新聞』、『毎日新聞』、『東京新聞』、『日本経済新聞』、『読売新聞』、『産経新聞』の2022年7月22日から26日の朝刊を参考とした。
  5. 5 防衛省編『防衛白書』令和4年版、1-5頁。
  6. 6 同上、6-18頁
  7. 7 『防衛白書』平成30年版、目次、同、令和元年版。
  8. 8 『防衛白書』令和4年版、6-18頁。
  9. 9 同上、157頁。
  10. 10 同上、395-407頁。
  11. 11 『防衛白書』令和2年版、目次、同、令和3年版、目次。
  12. 12 『防衛白書』令和4年版別冊。
  13. 13 「令和4年版防衛白書の刊行に寄せて」、『防衛白書』令和4年版
  14. 14 本章は、第1節「訓練・演習に関する取組」と第2節「各種訓練環境の整備」の2節であり、第2節は昨年と同様のものであり、ここでは省略し、第1節のみ分析する。
  15. 15 『防衛白書』、令和4年版、395-407頁。「わが国自身の防衛体制の強化に資する主要訓練」、「日米同盟の抑止・対処力の強化に資する主要訓練」および「第三国を交えた実践的な多国間共同訓練」としてその他に、⑪日米共同方面隊指揮所演習(ヤマサクラ(YS-81))、⑫オリエント・シールド21(米陸軍との実動訓練)、⑬米陸軍との共同降下訓練(グアムなど)、⑭レゾリュート・ドラゴン(米海兵隊との実動訓練)、⑮レッド・フラッグ・アラスカ(アラスカで行われる空自と米空軍との大規模かつ高度な訓練)、⑯自ホーク・中SAM部隊実射訓練及び空自高射部隊実弾射撃訓練(ニューメキシコで行われる米陸軍も含めた実弾訓練)、⑰海上自衛隊演習(海自実動演習に米豪加独艦艇が加わった5か国での演習)、⑱コープ・ノース21(日(空自・海自)米豪(仏)での航空機による共同訓練(グアム))などを明示している。
  16. 16 同上、「インド太平洋方面派遣など」および「2021年度のインド太平洋地域における各国との主要な共同訓練」としてその他に、⑲LSGE21(米国主催大規模広域訓練)(日(陸・海・空自)米豪英蘭による各種戦術訓練(沖縄南方~珊瑚海、フィリピン東方海空域))、⑳パシフィック・クラウン21(日英米蘭加共同訓練)(英空母「クイーン・エリザベス」部隊来航に伴い、日(海(護衛艦「いずも」等参加)・空自(F-35A戦闘機、E-767早期警戒管制機等参加))英米蘭加艦艇・航空機による対抗戦、防空戦(第5世代戦闘機による初の日英米共同訓練など)、対潜戦などの各種戦術訓練を実施)㉑米英空母3隻との日米英蘭加新共同訓練(大規模な各種対抗戦、防空戦、対潜戦等実施)、㉒ラ・ペルーズ21(日仏米豪印共同訓練)(海軍種による多国間共同訓練)、㉓マラバール2021(日米印豪共同訓練)(QUADによる海軍種共同訓練(グアム島周辺~フィリピン海~ベンガル湾))、㉔日独共同訓練(独フリゲート「バイエルン」来航に伴い各種戦術訓練を実施)、㉕カマンダグ21(日(陸自)米比水陸両用戦部隊等による災害救助訓練等を実施(フィリピン))、㉖ミクロネシア連邦等における人道支援・災害救助共同訓練(クリスマス・ドロップ)(日(空自)米による輸送機による物料投下訓練等(南太平洋))、㉗日比人道支援・災害救助共同訓練(日(空自)比による輸送機による初の二国間共同訓練(フィリピン))、(3)その他の訓練として、㉘自衛隊統合防災訓練(JXR)、㉙日米共同統合防災訓練(TREX)、㉚離島統合防災訓練(RIDEX)、㉛大規模地震時医療活動訓練、㉜在外邦人等の保護措置に関する実動訓練を紹介している。
  17. 17 「自由で開かれたインド太平洋」ビジョンにおける防衛省の取組(イメージ)」、同上、330頁;防衛省『「自由で開かれたインド太平洋」ビジョンにおける防衛省の取組』