「新しい日常」への回帰に向かう韓国

 4月30日に韓国ではコロナ・ウイルスの新規感染者がゼロを記録した。文在寅大統領は自身のフェイスブックを通じて、「72日ぶりに新型コロナ・ウイルス感染者が0名。また、(15日に行われた国会議員)選挙による感染も0名。大韓民国の力、国民の力です」との国民向けメッセージを出した[1]。

 韓国メディアの報道を見ると、韓国国内では街に人通りが戻り、居酒屋ではマスクをつけずに談笑する市民の姿が当たり前となっている。日本同様に大型連休となった5月第1週には、済州島などの国内観光地は多くの旅行客で賑わった。5月20日からは、高校3年生から学校での授業を学年に分けて段階的に再開することが予定されている。対外的にも、韓国外交部は中国とベトナムへの企業関係者の「例外的な入国保障」を両国政府から取り付け、最小限ながらも国際的なビジネス目的の人的移動が始まることになった[2]。 その後、ソウル市内のナイトクラブで集団感染が発生し、人口が密集する首都圏地域での感染拡大が懸念されている状況ではあるが、政府としては何とか最小限の感染に食い止めて、 感染第二波に備えた「新しい日常」への回帰という流れを崩したくないところである。

新型コロナ・ウイルス対応で追い風を得た文在寅大統領

 韓国国内での新型コロナ・ウイルスの新規感染者は3月1日をピークに減少傾向に転じ、コロナ・ウイルス対応で国民からの評価を受けた文在寅大統領の支持率は3月中旬以降上昇し始めた。政党別支持率も与党「共に民主党」が4割台を維持した一方で、保守統合よる劣勢挽回を狙った最大野党の「未来統合党」への支持は広がらなかった。選挙1ヶ月前となる3月上旬の時点では、コロナ・ウイルスの影響で総選挙延期を求める声が多くあったにもかかわらず、選挙延期の決定権を持つ大統領が選挙を予定通り行った理由はこのような背景からだ。総選挙は与党「共に民主党」の歴史的な圧勝で終わった。

 これまで日本の一部メディアでは事あるごとに文大統領の支持率低下を強調する報道がされてきたが、大統領支持率は時期的には韓国海軍艦艇によるレーダー照射事件が起こった2018年12月末ごろに下げ止まった後、約1年半に渡って40%台を維持してきた。今回、岩盤支持層と言われる進歩系支持者に加えて、コロナ・ウイルスへの対応を高く評価されたことで保守系・無党派層からの支持を追い風にすることができた。ついには、1年10ヶ月ぶりに支持率7割台(71%)にまで回復させただけでなく[3]、世論調査が行われるようになった盧泰愚元大統領以降の歴代大統領として初めて、任期4年目のスタートを支持率7割で通過することができたのである[4]。

さらなる改革を促す与党内部とその抑制を図る与党執行部

 総選挙に圧勝し「スーパー与党」と呼ばれるようになった「共に民主党」内部からは、文大統領の選挙公約で掲げられた「権力機関改革」をさらに推進しようとする声が大きい。権力機関改革とは軍事独裁政権時から絶大なる権力を行使してきた検察から、政治家・政府高官対象の捜査権と一部起訴権を新しく創設した「高位公職者犯罪捜査処」に移管して、国家情報院から国内政治対象の捜査権を排して、国外情報収集に専念させる組織にするというものである。

 一院制の韓国国会(定数300議席)において、過半数を超える177議席を獲得した与党は事実上法案を優位に成立させることが可能となる。そればかりか、仮に他党の協力が得られて3分の2以上の議席を確保すれば憲法改正も視野に入ってくる。一部議員からは憲法改正によって大統領の再任を認める重任制の導入(任期4年・2期)を議論すべきだとの声も聞かれる(現在は任期5年1期のみ)[5]。

 こうした声に対して、青瓦台および党執行部は自制を働かせ謙虚な姿勢を貫いているようである。今回の選挙結果は圧勝ながらも約40%の有権者が保守に投票したという事実もある。現政権寄りの進歩系メディア「ハンギョレ」によれば、獲得した議席の権限・責任は「諸刃の剣」であり、国民からの期待が大きい分だけ政権が負う責任が大きくなると指摘している[6]。

 しかしながら一方で、改革を進めようとする与党内部の声は依然として大きいようである。昨年日本でも話題になったチョ・グク法務長官(当時)を取り巻く疑惑から端を発した検察改革を巡る政権側と検察との攻防は、同年末に検察改革関連法案が国会で可決されて、政権側に軍配が上がり改革の方向性に目処がついた。彼らの次なる目標は、情報機関として国内政治に大きな影響力を行使してきた国家情報院の改革と、国家の安全を危険にさらす反国家活動を規制するための「国家保安法」の撤廃である[7]。

 現政権はすでに2018年1月に国家情報院による国家保安法を根拠とした国内政治と共産主義を対象とする捜査権の中断を発表している。しかしながら、法律上国家情報院法に関連条文が残ったままであり、検察改革が国会を通じて改革の道が開かれたのとは対照的に、国家情報院改革については国会での具体的な議論が進んでいないのが実情だ。現政権の支持基盤である市民団体からは「国家情報院改革が進んでいない」とプレッシャーを受けている状況である。[8]

 もっとも、国会を通さない行政府の裁量でできる人事や制度変更はすでに実行されている。国家情報院の対北・外国情報を扱う重要部署に初めて外部からの人材が就任したとされる。[9] さらに、今年1月には、国家情報院が管理する大統領令「保安業務規定[10]」が改定され、省庁の傘下にある公共機関に採用された人物に対する身元調査の要件が緩和された。これにより韓国国防研究院(日本での防衛研究所に相当)など国家機密を扱う機関に採用される者に対して、法律上身元調査を行う必要がなくなることから、安全保障体制に穴が空くのではないかとの懸念が示されている。[11]

 文在寅大統領は任期4年目を迎えた5月10日に対国民特別演説を行った。演説内容の約3分の2が経済政策に充てられ、権力機関改革には一言も触れられなかった[12]。今年4月の失業手当支給額が過去最大で受給申請者が急増し、同月の輸出額が前月比24%減となるなど、経済の先行き不安を示す悪材料が出始めている。「執権20年」を目指している与党執行部にとっては、保守勢力の息を吹き返す契機となりかねない国家情報院法改正や国家保安法撤廃については、先を急がず長い目で取り組んで行く方針なのかもしれない。

 保守系野党・未来統合党は今回の選挙で、党代表のみならず多くの有力議員が落選したことで、党勢とリーダシップが破壊的なダメージを受けた。与党勢力にとっては、未来統合党に新たなリーダーが登場する前に、経済最優先の政権運営によって実績を上げ、国民の支持を手堅くつなぎとめることが、残り2年を切った次期大統領選挙での勝利をつかむ戦略になるのだろう。韓国の権力機関改革、特に国家情報院改革が韓国の対北・対外諜報活動にどのような変化をもたらすのか、今後の行方が注視される。

(2020/5/18)

脚注

  1. 1 「文在寅大統領公式Facebook」2020年4月30日(韓国語)。
  2. 2 「中国 韓国企業関係者の例外入国実施へ=上海など5地域」『聯合ニュース(日本語版)』2020年4月29日。
  3. 3 韓国ギャラップ『デイリーオピニオン第400号、2020年5月第1週(韓国語)』2020年5月7日、6頁、同調査によれば、大統領を支持する最も大きな理由として「コロナ対応」を挙げた人が支持と回答した人の53%を占めた(9頁)。
  4. 4 同上、3頁。
  5. 5 例えば、共に民主党有力議員のソン・ヨンギル氏に対するインタビュー記事。「180議席与党から登場した「大統領重任制改憲」『朝鮮日報(韓国語)』2020年4月27日。なお、与党の議席数は5月13日に177議席で確定した。
  6. 6 「総選挙で40%は保守野党支持…協治は選択でなく必須」『ハンギョレ(日本語版)』2020年5月8日。
  7. 7 「経済より「国保法」が最初?そろそろ焚き火を焚く与党」『朝鮮日報(韓国語)』2020年4月26日。
  8. 8 例えば、参与連帯行政監視センター「【論評】国情院改革と警察改革をこれ以上延ばすことはできない(韓国語)」2020年1月14日。
  9. 9 「要職に運動圏大挙起用…国情院コード化憂慮」『文化日報(韓国語)』2020年4月10日。
  10. 10 「保安業務規定(韓国語)」国家法令情報センター。同規定による、司法府の裁判官も採用の際に行政機関である国家情報院が身元調査を実施することに根強い批判がある。
  11. 11 「国家機密を扱っても、いまや身元調査はしない」『朝鮮日報(韓国語)』2020年1月18日。
  12. 12 演説内容全文は「文在寅大統領 就任3年特別演説の全文」『聯合ニュース(日本語版)』2020年5月10日を参照。