はじめに

 中国海事局の権限を強化する改正海上交通安全法が2021年9月1日に施行された。中国海事局は中国海警局と異なる機関であり、中国交通運輸部(日本の省に相当)に所属する海上交通安全や環境保護を任務とする行政機関である。本改正前の1983年に採択された元の海上交通安全法は12章53条の構成であったが、このほど10章122条の構成となる大幅な改正を行った。この改正法の施行により、とりわけ、①潜水船、②原子力動力船、③核物質またはその他の有害物質搭載船、④法律、行政法規、国務院決定が定める海上交通に危害を及ぼす恐れのある船舶が中国の領海を出入域するときは、中国海事局に報告しなければならないことを定め(第54条)、この報告を怠った場合は罰金刑が課されることとなった。また領海内を通航する外国の軍艦や公船は中国国内法を適用し、違反があった場合は罰則を適用すると定めている(第120条)。

 この改正法も航行の自由の制限につながる可能性など多くの批判を招いた[1]。これに対して、中国は本改正の目的をルールに基づく海洋秩序の維持の一環であると主張する[2]。そもそも領海は沿岸国の主権が及ぶ海域であるので[3]、有害物質搭載船などの事前通報を求めることは安全対策を施す上で合理的とも考えられる[4]。そこで本稿では中国改正海上交通安全法の何が問題点であるか明らかにし、南シナ海や東シナ海における示唆を指摘する。

不明瞭な中国の領海線

 まず、中国の主張する領海が不明瞭であり、改正交通安全法の適用場所が必ずしも明確ではない点が問題である。例えば、中国は低潮時には海面上に露出するが高潮時には水没する「低潮高地」に建設された人工島の周囲の領海を主張する[5]。米国は改正法の施行された後、南シナ海のミスチーフ礁の12海里内を通航し「航行の自由作戦(FONOP)」を実施した。これに対して中国は米軍艦が不法に領海に入ったと抗議している[6]。ところが、国連海洋法条約(UNCLOS)第13条は低潮高地が領海内にある場合にのみ領海の基準である基線となることを認め、領海外にある低潮高地は領海を持たないと定める。さらに第60条8項は人工島の周囲の領海を認めていない。また、2016年にフィリピンと中国が争った南シナ海仲裁裁判においても、例えば、ミスチーフ礁は低潮高地であり、フィリピンの排他的経済水域および大陸棚の一部であると判断されている[7]。したがってミスチーフ礁を埋め立ててもその周囲に中国の領海を主張する国際法上の根拠はなく[8]、その12海里内以内で中国の国内法を適用する国際法条の根拠はない。

 さらに、中国は南シナ海にいわゆる九断線を描き、その内側の海域の法的地位を明確に示さないまま主権的権利と管轄権を主張している。この主張に関しては、南シナ海仲裁裁判において、九断線が取り囲む歴史的権利やその他の主権的権利ないし管轄権があるとする中国の主張は、UNCLOSの規定を超越する範囲において法的効果を有しないと結論づけた[9]。ところが、中国はこの仲裁裁判の結果を紙くずと評価し拘束力のある判決に従わないことを明言する。そこで中国が広大な南シナ海において管轄権や歴史的権利を主張し、とりわけ油タンカーやプラスティックなどのエネルギーや原料を運搬する危険物積載船に対して、改正海上交通安全法を適用し通報を要求する事態となれば、南シナ海の航行の自由が奪われ、エネルギー安全保障やサプライチェーンに関わる非常に重大な問題となる[10]。

無害通航権の否定

 また国際法が定める中国の領海内であっても、継続的かつ迅速で無害な通航であれば、全ての船舶に無害通航権が認められている[11]。沿岸国は航行の安全及び海上交通の規制に関する法令を制定する権利や[12]、無害でない通航を防止するため領海内において必要な措置を取る権利を持つ[13]が、沿岸国は全ての船舶の無害通航を妨害しない義務を負う。とりわけ、通航に関する法令を制定する際にも無害通航権を否定し、または実質的に通航権を妨害する効果を持つ要件を課してはならない義務を負う[14]。無害通航とは船舶の国籍などにかかわらず、全ての船舶が沿岸国による干渉なく通航する権利であり、領海入域時に事前の承認や通報を求めることは沿岸国の干渉と評価される[15]。したがって中国は、UNCLOSの規定に則って航行する潜水船、原子力動力船、核物質またはその他の有害物質搭載船に対して無害通航権を否定するような規定を設けてはならない。

 さらに「法律、行政法規、国務院決定が定める海上交通に危害を及ぼす恐れのある船舶」に対する通報義務は、恣意的に運用される恐れがあり問題である。まずUNCLOSにおいて法律、行政法規違反により無害でない通航とみなされる活動は、UNCLOS第19条2項の(g)から(k)に列挙されており、それぞれ次のとおりである。

  • (g)沿岸国の通関上、財政上、出入国管理上又は衛生上の法令に違反する物品、通貨又は人の積込み又は積卸し
  • (h)この条約に違反する故意のかつ重大な汚染行為
  • (i)漁獲活動
  • (j)調査活動又は測量活動の実施
  • (k)沿岸国の通信系又は他の施設への妨害を目的とする行為

 すなわち、これらの法令以外の沿岸国の法律、行政法規に違反したとしても、直ちに無害通航権が否定されるわけではない。

 そもそも「海上交通に危害を及ぼす恐れのある船舶」はその定義が曖昧であり、具体的にどのような船舶が該当するのか明らかではない。沿岸国が通航船舶を無害でない通航と評価されるためには、第19条の規定により評価されるべきであり、もし中国が「海上交通に危害を及ぼす恐れのある船舶」を一律に無害でない通航を行う船舶とするのであれば、具体的にいかなる船舶が沿岸国の平和、秩序、または安全を害し、無害でない通航であると考えるのか国際社会に対して説明するべきである[16]。

 このように中国はUNCLOSの規定に則らない領海を主張し、九断線の内側の海域の法的地位を明らかにしない。この結果、どこまで改正交通安全法が適用されるのか、その地理的範囲が明確ではない。また、全ての船舶に認められているはずの無害通航権を否定する通報義務を課している。拘束力のある仲裁裁判の結果を無視する政策をとった上で、既存の国際法秩序に反する南シナ海における中国の独自の主張を強化することを目的とするような法令を施行したことが問題とされる理由である。

改正交通安全法が狙うもの

 ところで海上交通安全法の狙いはなんであろうか。技術的には、船舶からの通報がなくても、沿岸国はその動静を把握することができる。例えば、国際航海に従事する総トン数300トン以上の貨物船などは船舶自動識別装置(AIS)の設置が義務付けられており、沿岸国はその信号を受信することにより、船舶の船名や確認番号、位置、針路速力など把握することができる[17]。それでは中国が沿岸を航行する船舶に対して義務的船位通報制度を一方的に構築する狙いは何であろうか。

 一つは、この制度を導入することにより、南シナ海や東シナ海における中国の権限強化をはかることであろう。すべての船舶が享有する無害通航権を蔑ろにし、海上交通安全や海洋環境保護を謳いつつ通報義務を課す。通報を行わない船舶は、改正海上交通安全法違反として罰則が適用されるほか、先に施行された中国海警法が適用され、海警局の船舶により法執行として領海から排除されることとなる。これは、中国による海洋権益確保体制の強化である。

 もう一つは、南シナ海で中国が一方的に主張する「九断線」内を航行する外国船舶に通報を課すことにより、南シナ海において中国がその国内法を適用し、執行してきたという実績を作ることであろう。習近平国家主席は、2020年の11月に開催された「法治」に関する党の重要会議において、中国の主権や安全に関わる利益を守るため、「立法、法執行、司法などの手段を総合的に使って闘争を繰り広げなければならない」と述べ、中国式の法治を通じて党の方針や政策を効果的に実施するための法制度により他国に対抗することを指示した[18]。

 これに関して中国は南シナ海仲裁判決を無視した上で、改めて「中国は南シナ海に歴史的権利を有する」との声明を発出した[19]。そして、中国による主張の正当性の根拠となり得るのが、中国国内法が九断線内で施行され海域を通過する船舶が履行しているという事実であろう。すなわち、中国が主張する海域において中国が法令を制定し実行しているという実績を作るものである。改正交通安全法の制定は、このような活動を通じて中国の主張を強化する三戦の一つ、すなわち『心理戦』、『世論戦』と並ぶ『法律戦』であると考えられる[20]。

日本のとるべき対応

 このような中国の国内法の強化について、日本政府は同様の懸念をいだく関係国との連携を強化すべきである。日本政府は改正交通安全法を施行前から注視してきた[21]。中国が一方的に領有権を主張する尖閣諸島周辺海域にも適用し、領海警備にあたる海上保安庁の巡視船や領海内で操業する漁船を「海上交通に危害を及ぼす恐れのある船舶」として退去を命令し、中国の海警船による法執行の根拠となりうるからである。さらに改正交通安全法を注視するのは日本や米国だけではない。オーストラリア[22]、フィリピン[23]やベトナム[24]など周辺国も既存の国際法秩序の維持を表明している。日本はこれらの国と連携を強化し、まずは、中国による既存の国際法秩序を破壊するような実績づくりや活動を認めない方針を強化していくべきである。

(2021/11/30)

脚注

  1. 1 例えば、Raul (Pete) Pedrozo, “China’s Revised Maritime Traffic Safety Law,” U.S. Naval War College, International Law Study, Vol. 97, 2021, pp.956-968.; John Feng, “U.S. Says China Maritime Law Poses 'Serious Threat' to Freedom of the Seas,” Newsweek, September2, 2021.
  2. 2 Chen Xiangmiao, “US and its puppets' reaction to China's Maritime Traffic Safety Law reflects their supremacy mind-set,” The Global Times, Sep. 6, 2021.; Ding Duo, “West’s ulterior motives hyping China’s Maritime Traffic Safety Law,” The Global Times, Sep. 14, 2021.
  3. 3 国連海洋法条約(UNCLOS)第2条。
  4. 4 日本でも,国会に提出された「質問主意書」において、尖閣諸島周辺海域に中国漁船団が入域した事案を踏まえ、事前通報制度の導入が問われた。篠原豪「外国船舶に対し入域の事前通報を求める制度に関する質問主意書」提出質問第一七九号、2021年6月9日。 なお、政府はこのような事前通報制度が国際法違反であるか明言せず、沿岸国の領海内における法令制定権および無害通航を妨害しない義務について、沿岸国の法令の適用が外国船の無害通航権を否定し又は害する実際上の効力を有する要件を課してはならない義務を指摘するにとどめた。
  5. 5 Ministry of Foreign Affairs, the People's Republic of China, “Position Paper of the Government of the People's Republic of China on the Matter of Jurisdiction in the South China Sea Arbitration Initiated by the Republic of the Philippines,” December 7, 2014, para., 25.
  6. 6 Oren Liebermann and Ellie Kaufman, “US sails through South China Sea days after China institutes new maritime ID rules,” CNN, September 8, 2021.
  7. 7 Arbitration Between the Republic of the Philippines and the People's Republic of China, PCA Case No. 2013-19, Award (July 12, 2016), para., 305.
  8. 8 ibid. para., 309.
  9. 9 ibid. para., 278.
  10. 10 Andrew Salmon and Jeff Pao, “China 'exes sea power with new foreign ship law,” Asia Times, September 1, 2021.
  11. 11 UNCLOS 第17条〜19条。
  12. 12 UNCLOS 第21条。
  13. 13 UNCLOS 第25条。
  14. 14 UNCLOS 第24条。
  15. 15 K Hakapaa and E J Molenaar, “Innocent passage – past and present,” Marine Policy, Vol. 23, No. 2, pp. 131—145, 1999. なお、沿岸国が領海を通航する船舶に対して、その船位の通報を国際法に則して義務化するのであれば、海上における人命の安全、航海の効率および海洋環境保護を目的とする海上人命安全条約(SOLAS条約)の附属書第Ⅴ章第11規則は船位通報制度を国際海事機関(IMO)の船位通報制度に関するガイドライン及び基準に則り制定すれば良い。ところが、中国はこのような手続きをとっていない。
  16. 16 日本の非核三原則に基づく核兵器搭載艦に対する無害通航権の否定はこのようなスタンスによる。山本草二『国際法』有斐閣、2004年、p.374.
  17. 17 海上人命安全条約(SOLAS条約)第V章第19規則2.3.2。なお、改正交通安全法104条4項は船舶自動識別装置をオンにしなかった場合の罰則を定める。
  18. 18 「中国式「法治」で対抗 香港や尖閣 習氏「法的闘争」指示」『毎日新聞』2020年11月19日。
  19. 19 The State Council, the People’s Republic of China, “Full Text: China Adheres to the Position of Settling Through Negotiation the Relevant Disputes Between China and the Philippines in the South China Sea,” Jul.13, 2016.
  20. 20 「世論戦」は、中国の軍事行動に対する大衆および国際社会の支持を築くとともに、敵が中国の利益に反するとみられる政策を追求することのないよう、国内および国際世論に影響を及ぼすことを目的とするもの。「心理戦」は、敵の軍人およびそれを支援する文民に対する抑止・衝撃・士気低下を目的とする心理作戦を通じて、敵が戦闘作戦を遂行する能力を低下させようとするもの。「法律戦」は、国際法および国内法を利用して、国際的な支持を獲得するとともに、中国の軍事行動に対する予想される反発に対処するもの。『平成21年版防衛白書』。
  21. 21 加藤勝信「官房長官会見」首相官邸、2021年4月26日。
  22. 22 “Australia, U.S. Slam China's Maritime Traffic Safety Law,” The Maritime Executive, September 20, 2021.
  23. 23 Apoorva Kaul, “Philippines Defense Secy Declares Non-recognition Of China's New Maritime Law,” Republic, September 13, 2021.
  24. 24 Vietnam News Agency (VNA), “Vietnam resolutely protects sovereignty over Hoang Sa, Truong Sa archipelagoes,” September 1, 2021.