本稿では中国を震源に世界的に拡散した新型コロナウイルスが中国の海洋安全保障政策に与えた影響を考えてみたい。2019年12月下旬から中国の武漢市を中心に感染者症例が一気に増加した。日本の厚生省が初めて広報したのは2020年1月6日のことであり、2019年12月以降、中国で「原因となる病原体が特定されていない肺炎」が59例発生し、そのうち7例は重症であること、この時点では人から人への感染の証拠がなく、医療従事者の感染例も確認されていないことが記されている[1]。13日はタイで初の症例が[2]、翌14日には日本で初の感染例が報告され、中国国外への拡散が確認された。20日になると武漢市の感染症例が198例に達し、深圳や北京でも感染例が報告された[3]。そして、23日には武漢市が都市封鎖(ロックダウン)に追い込まれ、27日には中国国内の感染者数が2,744名、死者80名に達した[4]。

 この日、もう一つの異変が東シナ海で発生する。2020年1月、尖閣諸島沖の接続水域[5]を徘徊し続けた中国海警局に所属する船舶(公船)がその姿を消すのである[6]。中国海警の公船は波高が2mを超すような荒天となった場合に現場海域から離れることがあったが、最近は船舶の大型化により多少の荒天では居座り続ける傾向がある。27日の現場付近の天候は曇りで、所により雨の予報であり、28日には波がやや高くなる予報であったが、現場海域から離脱が必要なほどの荒天ではなかった。中国での新型コロナの感染拡大による動揺だったのであろうか?

中国海洋安全保障政策と新型コロナウイルスの感染拡大の影響

 ところが、中国海警の活動は、新型コロナウイルスの感染拡大とほとんど関係がないように見受けられる。1月末に中国海警の公船が尖閣諸島沖の接続水域から姿を消したのは、実は4日間だけであった[7]。1月31日に世界保健機関(WHO)はパンデミックを否定しつつも「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言し、30日には中国国内の感染者は7,700名を超え感染拡大が進んだ。ところが、2月1日には、中国海警の公船4隻が尖閣諸島周辺の接続水域に姿を現し、2月5日には領海内に侵入する[8]。その後、3月末までに海上が荒天となった2月17日、18日および3月5日の3日間を除き継続して接続水域を徘徊し領海に侵入したのである。

 さらに南シナ海や台湾周辺海域でも活動を活発化させる。3月11日に習近平主席が自ら感染の源となった武漢市を訪れ、ウイルスを抑え込んだと表明すると[9]、これに呼応するかのように、4月3日には南シナ海のパラセル諸島沖の中国海警の公船がベトナムの漁船に体当たりし沈没させる事件が発生した。この事件に関して、米国務省の報道官は「深刻な懸念 を表明するとともに、中国がスプラトリー諸島に新たな軍事施設の建設を行っていることを報じた[10]。また、4月11日には中国の空母「遼寧」が沖縄と宮古島の間の宮古海峡を航行し太平洋側に進出、活動範囲の拡大をアピールし、翌12日には台湾の東部および南部を航行したのち、軍事演習を行なった[11]。これらの活動は米国の空母「セオドア・ルーズベルト」で新型コロナの感染症が確認され、米海軍のプレゼンスが低下したタイミングを見計らっての行動であるとの指摘もある[12]。

 このような状況から中国における新型コロナの感染拡大と東・南シナ海における海洋安全保障政策のゆらぎや変更は見受けられない。

日本の対応

 それでは、中国の海洋活動に対応する日本の海洋安全保障政策はどのようにあるべきか。日本は国際社会における法の支配とルールに基づく秩序を主張し、海上では「開かれ安定した海洋」の実現をその政策としてきた[13]。この政策に基づき、尖閣諸島周辺海域では、海上保安庁が冷静かつ毅然とした態度で中国海警の公船に対応し、日本の領海を守り、現場海域のエスカレーションを防止してきた。まずは、この現場第一線を担う海上保安庁の強化が重要であろう。

 大型化・武装化する中国公船に対応するためには、海上保安庁の巡視船艇や航空機などの体制強化が必要である。2016年に海上保安体制強化に関する関係閣僚会議が開催され、その強化方針が決定されるとともに、毎年、その具体的な進捗状況が関係閣僚会議で報告・承認されている[14]。今年度も新たな巡視船艇、航空機に加え人員など基盤整備の強化が承認された。また、「自由で開かれたインド太平洋の実現のために、各国の海上保安機関間の連携強化や地域の能力向上支援を通じた海上警察力の強化および海上における法に基づく秩序の維持・拡充を行っていくことが重要であると確認された。この強化方針を着実に履行し前に進めていくことが必要だ。

 また、船艇における新型コロナウイルス感染症対策も重要である。海上保安庁は2月にクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の新型コロナ感染者の救急搬送および試験セットの搬送を巡視船で行った。幸い職員に感染は確認されなかったが、海外では米空母に加えて仏空母の乗員にも新型コロナ感染症が確認され、艦船の運用が制限される状況が報道されている[15]。一般に軍艦や巡視船は内部が狭く、貨物船などより多くの人員が乗船している。このような場所でウイルス感染が発生すれば、瞬く間に船内に広がり、結果的に船艇の運用に制限が生じる。このような事態を防ぐため、船内の衛生と人員の健康管理を徹底することが必要である。

(2020/4/24)

*この論考は英語でもお読みいただけます。
China’s Maritime Security Policy and the Coronavirus Outbreak: An Analysis of Chinese Activities

脚注

  1. 1 「中華人民共和国湖北省武漢市における原因不明肺炎の発生について」厚生労働省、2020年1月6日。
  2. 2 「中華人民共和国湖北省武漢市における原 因不明肺炎の発生について(第4報)」厚生労働省、2020年1月14日。
  3. 3 「中華人民共和国湖北省武漢市における新 型コロナウイルス関連肺炎について(第5報)」厚生労働省、2020年1月20日。
  4. 4 「中華人民共和国湖北省武漢市における新 型コロナウイルス関連肺炎について(令 和2年1月27日版)」厚生労働省、2020年1月27日。
  5. 5 「接続水域」とは国連海洋法条約第33条に定められるが、具体的には、「領海基線からその外側24海里(約44km)の線までの海域(領海を除く。)で、沿岸国が、自国の領域における通関、財政、出入国管理(密輸入や密入国等)又は衛生(伝染病等)に関する法令の違反の防止及び処罰を行うことが認められた水域である。「海上保安レポート2018」海上保安庁、2018。
  6. 6 この間、1月4日と14日には日本の領海に侵入している。詳細は2020年1月の「中国公船等による尖閣諸島周辺の接続水域内入域及び領海侵入隻数(日毎)」を参照。「尖閣諸島周辺海域における中国公船等の動向と我が国の対処」海上保安庁。
  7. 7 同上、令和2年1月及び2月の「中国公船等による尖閣諸島周辺の接続水域内入域及び領海侵入隻数(日毎)」参照。
  8. 8 その後と2月13日と3月20日にも領海侵入があった。脚注6参照。
  9. 9 「習氏「ウイルス、基本的に抑え込んだ」『朝日新聞』、2020年3月11日。
  10. 10 「中国 東、南シナ海で強硬姿勢」『日経新聞』、2020年4月8日。
  11. 11 「中国空母「遼寧」の部隊が台湾沿岸で軍事演習」『ロイター』2020年4月13日。
  12. 12 「乗組員に感染続出 コロナ拡大 米空母に隙 中国軍の活発化 懸念」『読売新聞』、2020年4月12日。
  13. 13 海洋基本計画(5頁)は「我が国は…力ではなく、航行・飛行の自由や安全の確保、国際法に則した紛争の平和的解決を含む「法の支配」といった基本ルールに基づく秩序に支えられた「開かれ安定した海洋」の維持・発展に向け、主導的な役割を発揮してきた。とする。「海洋基本計画」内閣府。
  14. 14 「海上保安体制強化に関する方針」は「海上保安体制強化に関する関係閣僚会議」平成28年12月21日付け配布資料を参照。内閣官房副長官補本室。
  15. 15 注11および「仏空母 50人感染」『読売新聞』、2020年4月12日。