2024年11月27日に、1年以上続いていたイスラエルとレバノンのヒズボラ間の停戦が発効した。同日、シリアでは反体制派が攻勢を開始し、その後わずか2週間で首都ダマスカスを掌握してアサド政権を打倒した。「シーア派三日月地帯」(以下、「三日月地帯」)の一角を占めるこれら2カ国での出来事は、この地帯にどのような変化をもたらすのだろうか。

「三日月地帯」の用語は、2004年12月、ヨルダンのアブドゥラ国王によって初めて使用された[1]。三日月はイスラムの象徴であり、2003年のイラク戦争でスンニー派主導の世俗的体制が崩壊したことを機に、イラン革命でみられたイスラム復興運動が再び中東地域で台頭することへの警告といえる。イスラエル、アメリカ、親米アラブ湾岸産油国の一部からも「イラン脅威論」が声高に発信された。

 しかし、脅威とされたイランでは、長年にわたる経済制裁と新型コロナウイルス感染症の拡大で経済が悪化し、2022年にはスカーフ着用強制への抗議に端を発した反政府運動が広がるなど、イスラム体制への支持が低下している。「三日月地帯」のそのほかの国でも、2011年の「アラブの春」と呼ばれる政変によりシリアは内戦状態となった。さらに、2023年10月、ハマスなどのパレスチナ武装組織とイスラエルの間ではじまったガザ紛争は、レバノン、シリア、イランをイスラエルとの軍事的緊張の中に巻き込み、シリアの政権崩壊につながった。

 本稿では、2024年12月12日時点での情報を踏まえて、「三日月地帯」の根底にある宗教的なネットワークの一端を示した上で、レバノンのヒズボラの弱体化、シリアのシーア派政権の終焉の動向を整理する。そのことで、地理的に分断された「三日月地帯」の変質が中東地域に与える影響について考察する。

宗教者の経歴に見るネットワークの拡大と深化

 今日のレバノン、シリア、イラク、イランのシーア派の人々の意識連帯の形成に貢献した人物の一人にムサ・アル・サドル師がいる[2]。同師は、1969年に設立されたレバノンのシーア派イスラム最高評議会の初代議長に就任し、宗派を政治的権益配分の単位とする宗派制度が敷かれるレバノンで[3]、冷遇されていたシーア派住民の待遇改善に尽力した。また、同師は、1973年に、それまでイスラム社会では異端と見なされていたシリアのアラウィー派をシーア派として認定した[4]。さらに、同師は、イランのコムやイラクのナジャフで著名なイスラム法学者の下で学び、その幅広いネットワークから1979年のイラン革命で重要な役割も果たした。

 こうした宗教者ネットワークを活用したサドル師の動きに見られるように、「三日月地帯」での国境を越えた連帯の基盤が形成されてきた。その基盤の上に、イランの革命防衛隊やヒズボラ、シリアなどによるイスラエルに対する抵抗運動の連帯もつくられた[5]。ただし、シリアのアサド政権は世俗的なバアス党政権であり、宗教者ネットワークによる結びつきというよりも、反イスラエルという政治的な連帯の色合いが強いといえる。

イスラエル・ヒズボラ間の停戦が意味するもの

 イスラエルの首相府は、今年11月26日、ヒズボラとの1年を超える戦闘に関し、アメリカとフランスの仲介による60日間の停戦案を閣議で承認したと発表した。また、停戦の発効は、現地時間27日午前4時になるとした。同日、仲介役のアメリカのバイデン大統領も、ホワイトハウスで停戦合意に関する米仏共同声明を発表し、敵対行為の恒久的停止を目的にしていると述べた[6]。合意された停戦案は2006年の国連安保理決議1701号の枠組みを踏まえたもので、①両当事者は国際法に則り自衛権を保持すること、②南リタニ地域では国連レバノン暫定軍とレバノン軍のみが武装集団となること、③レバノンにおける非国家武装集団の再建および再軍備を防止するための措置など停戦維持や紛争再発防止の項目が示されている[7]。

 今後、問題になると考えられるのは、アメリカがイスラエルに示した補足文書の存在である。そこには、①アメリカは、ヒズボラがレバノン軍に潜入をはかる兆候に関する諜報で得た情報をイスラエルに提供すること、②イランが本合意を弱体化させることを防ぐための協力、③南レバノンで合意項目が破られた場合、イスラエル軍にはいつでも行動する権利があること、④イスラエル軍には諜報目的でレバノン上空を音速以下で偵察飛行する権利があることなどが書かれている[8]。停戦合意文書以外でアメリカが停戦に関してイスラエルに情報提供を含む協力を保証していることは、公正・公平を欠いているといえる。

 また、レバノンの復興問題もある。世界銀行は、紛争によるレバノンの損害と損失を85億ドルと暫定評価しており[9]、5年前に金融危機に陥ったレバノン政府の負担能力を大きく超えていると筆者は考えている。その他にも、政治体制の再構築という難問もある。

 この点で、ヒズボラにとって、イラン、イラクでイスラム神学を学び、人的ネットワークをもっていた宗教指導者のナスララ師や、イランでイスラム神学を学び、次期指導者と目されていたサフィエディン師をイスラエルの攻撃で失ったことは痛手といえる。しかし、新指導者に選出されたナイム・カセム氏もレバノンの大学でイスラム学を学んでいることから、イランやイラクの宗教者との関係を構築できる人物だと考えられる。イスラエルとの停戦は、弱体化したヒズボラの存続にとっても、「三日月地帯」の宗教的連帯の基盤を守るためにも必要だったといえる。

シリアでのアサド政権の終焉による「三日月地帯」の分断

 一方、シリアでは、アサド大統領がロシアへ亡命してシーア派の政権が崩壊し、スンニー派のイスラム過激派組織が政権を握る可能性が見えてきた。

 2011年に内戦となったシリアで、アサド政権はロシア、イラン、ヒズボラの支援の下で体制を維持していた。しかし、2023年10月以降、イスラエル軍はシリア領内のヒズボラやイラン関係の軍事施設への航空攻撃を強化し、ガザ地区戦線やレバノン戦線への武器供与の阻止をはかる。さらに、2024年4月には、シリア領内のイラン大使館総領事部へのイスラエルの空爆で、イランの革命防衛隊のクッズ部隊上級司令官で国外作戦担当者のサヘディ准将を含む5人が死亡した。その後も、イスラエルによるシリア領内でのヒズボラや革命防衛隊幹部を標的とする航空攻撃は続いた。その中、10月1日にイスラエル軍がレバノンに地上侵攻し、ヒズボラは自国の防衛のためにシリア領内の兵力を移しはじめた。また、ロシア軍も、ウクライナ戦線に兵力を移動させていることもあり、シリア政府軍の力は弱まっていた。一方、ロシア、トルコ、イランの協力により、アサド政権と反体制勢力が参加する平和構築のための協議も継続されていた[10]。

 こうした状況下の11月27日、シリア北部で反体制勢力の連合体が大規模な軍事行動を開始し、11月30日にアレッポを制圧、12月5日にハマ、6日に交通の要所ヒムス、そして8日は首都ダマスカスを制圧した。

 今後の動向で注目される点は、第1に反体制勢力の連合体の中心であるスンニー派のシャーム解放機構(HTS)がヌスラ戦線を前身としており、イスラム過激派武装組織アルカイダとのつながりがあったことである[11]。このため、シリアがどのような政治体制になるかは今のところ不透明である。第2に、シリア国内で北東部に支配領域を有するクルド人と、北西部に支配領域を有するシリア国民軍が対立を深めており、HTSのもとで呉越同舟が維持されるかである。新たな政権では、宗教よりも民族的対立が問題となるかもしれない。第3に、ロシア、イラン、トルコ、アメリカ、イスラエルといった外国勢力による干渉を阻止できるかである。このように見ると、シリアもレバノン同様に新体制づくりは難しい問題といえる。「三日月地帯」の観点からすれば、シリアでのシーア派の政治的存在感は薄く、アサド政権の終焉でこの地帯のシーア派の政治的連帯が分断されたかたちになったことは確かである。

イスラム諸国の連帯の形成へ

 以上でみたように、最近のレバノンとシリアの出来事により、「三日月地帯」は質的に変化しつつある。そのことは、イスラエルに、抵抗運動の主体の弱体化、イランからシリア経由でレバノンに至る武器支援ルートの寸断、レバノンおよびシリアとの国境での緩衝地帯の拡大という3つの安全保障上の恩恵をもたらした。

 一方、イランは、11月13日のアラブ連盟とイスラム協力機構の合同会議の開催を提案[12]したように、「三日月地帯」を越えたイスラムの価値にもとづくイスラム諸国の政策的協調をはかり、パレスチナ問題の解決、レバノン復興、シリアの平和構築という難問に取り組もうとしている。そのことで「イラン脅威論」を打ち消し、イスラム諸国の連帯を強化しようとしている。

 このように、中東地域は「三日月地帯」の変質により、安定化に向かう蓋然性が高まっているといえる。ただし、アメリカとイスラエルが「イラン脅威論」を強調し続ける限り、中東の不安定要因は残る。

(2024/12/16)

脚注

  1. 1 Ewan W. Anderson and Liam D. Anderson, An Atlas of Middle Eastern Affairs, Routledge, 2010, pp.227-228. なお、北部(イラン、イラク、シリア、レバノンのヒズボラ、そしてスンニー派ではあるがパレスチナのハマスを含む地帯)と、南部(イラン、南部イラク、クウェート、バーレーン、サウジアラビア東部を含む地帯)の2つの三日月地帯があるとする見方もある。
  2. 2 同師はレバノンの宗教的名家出身であるが、1928年6月イランのコムで生まれ、テヘラン大学でイスラム法学および政治学の学位を取得している。1978年8月リビアで失踪。
  3. 3 レバノンの統治は1943年の独立以来、宗派別人口比率(1930年代の推計)により政治権益(政治ポストなど)を配分することで成り立っている。その後のシーア派の人口増加はスンニー派やキリスト教を上回っているとみられるが、配分の見直しは行われていない。また、シーア派住民が多数居住するレバノン南部は、パレスチナとイスラエルの戦闘により荒廃している。
  4. 4 Laurence Louër ,Transnational Shia Politics: Religious and Political Networks in the Gulf, Columbia University Press, 2008, pp.196-197. なお、シリアの憲法では大統領はイスラム教徒と規定されており、アラウィー派がシーア派に認定されていなければアサド政権の正当性が否定されることになる。
  5. 5 この抵抗の連帯の形成に尽力したのは、2000年から革命防衛隊のクドゥス部隊の司令官としてシーア派三日月地帯での対外戦略を担ってきたソレイマニ氏である。同氏は2020年にイラク訪問中に当時のアメリカのトランプ政権により殺害された。
  6. 6 “Joint Statement from President Biden of the United States and President Macron of France Announcing a Cessation of Hostilities,” The White House, November 26, 2024.
  7. 7 “Full text: The Israel-Hezbollah ceasefire deal,” Times of Israel, November 27, 2024.
  8. 8 ibid.
  9. 9 “New World Bank Report Assesses Impact of Conflict on Lebanon’s Economy and Key Sectors,” World Bank, November 14, 2024.
  10. 10 “Türkiye, Russia, Iran remain committed to Astana format for Syria peace,” Daily Sabah, November 13, 2024.
  11. 11 Mina Al-Lami, “From Syrian jihadist leader to rebel politician: How Abu Mohammed al-Jolani reinvented himself,” BBC, December 9, 2024.
  12. 12 “Iran-initiated OIC-Arab League meeting aimed at ending Palestine, Lebanon crises: Vice president,” Press TV, November 11, 2024.