はじめに
東シナ海の尖閣諸島周辺では、中国海警局に所属する船舶(海警船)による日本領海への侵入や領海のすぐ外側の海域(接続水域)における存在感が日常的となっている。これは主に中国が海事当局を再編し、さらに中央軍事委員会の指導を受ける中国人民武装警察部隊(武警)に編入することで、海警の装備や体制を強化したことに起因すると言われている[1]。その結果、2020年頃から尖閣諸島周辺海域における中国海警船のプレゼンスは年間330日を超え、ほぼ毎日、領海のすぐ外側の接続水域と呼ばれる海域を航行している[2]。海警船は領海内で操業する日本漁船に接近し、長時間にわたり妨害を試みる事案も発生しているほか、船舶自動識別装置(AIS)を使用してその存在をアピールしている[3]。
このような状況を受けて、元米海軍大学校のトシ・ヨシハラ教授は産経新聞のインタビュー(2025年4月5日)に答えて、中国が尖閣海域での「恒常的な存在感」を国際的に誇示することにより、日本の施政権を否定し将来的な共同管理を既成事実化しようとしていると指摘した[4]。この記事を受けて、South China Morning Post(4月18日)も習近平国家主席が2023年11月に中国海警局の上海本部を訪問し「釣魚島(尖閣)の主権を強化せよ」と命令し、中国海警や民兵を活用して日本の実効支配を徐々に弱めていることを報じている[5]。
こうした見解に対して、本稿では中国の戦略を概観した上で、海警船の活動に対して日本政府および海上保安庁が採用する抑制的な対応[6]の戦略的有効性を法制度面と運用面の両面から分析し、長期的視野における領有権維持の観点からその成果と限界を検証する。

中国海警のプレゼンスは日本の実効支配を脅かすのか
まず中国の中国海警のプレゼンスを通じた主権強化戦略に対して、日本は尖閣諸島に対するスタンスを明確にし、海上保安庁の法執行により一貫的に対処する戦略を採用している。日本政府は1895年に尖閣諸島を国際法の先占の法理に基づき編入して以来、日本固有の領土であり領有権問題は存在しないと明確な立場を堅持している[7]。領海内に海警船が侵入すれば中国政府に対して抗議を行い中国の一方的な主張の不承認を主張している。
このような日本の一貫的なスタンスは産経新聞が伝えた中国の海警のプレゼンスによる主権強化に対して有効な政策となっている。むしろ中国側の歴史的、地理的根拠に基づく主張は、領有権を主張する権原とならない。また1971年まで領有権を主張しなかった事実は、日本の実効支配を「黙認(acquiescence)」したものであり、中国側の主張と明らかに矛盾する[8]。尖閣諸島周辺海域における中国海警船のプレゼンスや領海侵入はこのような弱点を克服するための試みとも考えられるが、中国の主張を承認しない日本のスタンスは中国側の主権が入り込む余地を根本から排除している[9]。すなわち表面的には「抑制的」と見える日本の対応は、実際には長期的視野に立った「積極的」な抑制戦略と評価できる。
次に、海警船のプレゼンス強化が、中国による実効支配の強化となるであろうか。国際法における「実効支配」とは、単なる海警船の物理的な存在だけでなく、国家が主権者の立場で立法・行政・司法上の行為を通じ、統治権を行使することである[10]。日本は尖閣諸島の編入以降、各種行政措置を継続しており、漁業管理、治安維持、税務対応などを通じた統治行為を継続している[11]。さらに現在も海上保安庁の巡視船が周辺海域の監視活動を実施し、領海内に侵入する海警船に対しては、国際法違反である旨を警告し、法に則って領海から退去させている。これは主権の実質的行使であり、実効支配の明確な証左である。
また、米国も日本の尖閣諸島における施政権を認めている。相互防衛を規定する日米安全保障条約第5条の適用は日米いずれかの施政下にある領域が対象であり、現在のトランプ政権も含め、歴代米政権は尖閣諸島がその対象であることを繰り返し確認している[12]。すなわち、米国の認識は尖閣諸島における施政権が日本にあり、中国のプレゼンスによる実効支配の侵食は生じていないことを示している。
この点において、ヨシハラ教授のインタビューは、中国海警船の活動に一定の警戒を促す一方で、日本の海上保安庁による法執行の実態やその戦略的意義について十分な評価を行っていないようにも見受けられる[13]。このように、日本の対応は、国際法上の実効支配を維持するという静的な側面と、偶発的な衝突やエスカレーションを回避しつつ地域秩序を安定させるという動的な側面の両面において戦略的意義を持つ。とりわけ、抑制的対応が単なる現状維持にとどまらず、偶発的な衝突の防止や国際的な信頼の確保といった観点からも重要であることを踏まえれば、日本の戦略的選択をより深く理解する上で不可欠である。こうした戦略的意義は、日常的な現場対応の積み重ねに裏打ちされ、それが制度的・運用的な基盤として緊張管理の枠組み(次に検討する)にもつながっている。
このような状況のもとで重要なのは、中国海警船が機会的に領海内へ侵入するだけでは実効支配が本質的に損なわれることはないという点である。警察機関である海上保安庁の法執行としての領海警備は、日本の主権に基づく統治権行使の一環であり、海上保安庁の活動は日本のスタンスの強化に大きく貢献している。このような日々の積み重ねこそが、次に論じる「管理された緊張状態」の維持に向けた基盤となっている。

「管理された緊張状態」と抑制的対応の戦略的意義
海上保安庁は、尖閣諸島周辺で国際法および国内法に則り、領海警備を実施している。具体的には、周辺海域の警戒・監視を行い、海警船の接近を阻止する航走を通じて領海侵入を防ぐ。領海侵入事案が発生した際には外交チャンネルを通じた抗議を実施しつつ、現場海域においては明確な指揮系統の下で冷静かつ毅然とした対応がとれるよう、政府が一丸となった危機管理体制を整備している[14]。
近年、中国海警船による領海接近・侵入が増加する中、日本はこの問題を軍事的対立ではなく、法執行の課題として位置付けている。これは、日本の立場である「領土問題は存在しない」との主張や、国際秩序の基本原則である法の支配に合致するものである。このようなアプローチは、国際社会の理解と支持を得る上でも有効である。
また、このような対応がもたらす効果の一つが、偶発的な衝突を回避しつつ緊張を管理する枠組みの維持である。挑発行動に過剰反応せず、冷静かつ法に基づく対応を重ねることで、エスカレーションを抑制している。これは即時の成果は見えにくいものの、長期的には安定をもたらす戦略的対応と評価できる。とりわけ、尖閣諸島周辺でエスカレーションが発生した場合、その波及効果は東アジア全域に深刻な影響を及ぼす可能性がある[15]。したがって、現状の抑制的かつ法に則った対応の価値は一層高まると考えられ、地域の海洋秩序の維持に貢献している。
おわりに
本稿は、中国海警船のプレゼンス強化に対する日本の抑制的対応について、その有効性と限界を検討した。中国は漸進的戦略で既成事実の積み重ねを図る一方、日本は法に基づいた立場と行動を維持し、領有権を支えている。
この対応は短期的な成果には欠けるが、摩擦を最小限に抑えつつ長期的な主権維持を目指す「積極的抑制」として機能している。海上保安庁による法執行はその中核を成しており、尖閣の支配継続を支えている。
もっともヨシハラ教授の指摘のとおり、中国海警の能力強化を考慮すれば、今後中国が尖閣の管理を主張するリスクは依然として存在する[16]。したがって、日本は現行の対応を維持しつつ、計画的な保安能力強化や同盟国との連携、対外発信の充実などを通じ、より戦略的な対応へ発展させていくことが求められる。

(2025/05/16)
脚注
- 1 中国海警の発展と東シナ海の緊張した情勢を詳細に調査したものとして、佐藤考一『「海洋強国」中国と日・米・ASEAN―東シナ海・南シナ海をめぐる攻防』勁草書房、2023年、61-83および111-165頁。
- 2 海上保安庁「海上保安レポート2024」2024年5月。
- 3 「海警船 軍艦並み76ミリ砲 中国、尖閣周辺で 接続水域航行 24年最多」『読売新聞』2025年1月2日。
- 4 古森 義久「中国は尖閣「共同管理宣言」準備 漁民装う民兵の上陸も検討 トシ・ヨシハラ氏インタビュー」」『産経新聞』2025年4月5日。
- 5 Julian Ryall, “Is China planning to declare shared control of Diaoyu Islands with Japan?,” South China Morning Post, April 18, 2025.
- 6 海上保安庁は「国際法・国内法に則り、冷静に、かつ、毅然」とした対応と表現する。註2参照。
- 7 外務省「尖閣諸島情勢の概要」2025年5月9日アクセス。
- 8 鶴田順「「尖閣資料ポータルサイト」掲載資料で読解く尖閣諸島」尖閣諸島研究・解説サイト(内閣官房)、2022年4月22日。さらに尖閣諸島の所有権が移管されるまで黙認したとするものとして川村範行「尖閣諸島領有権問題と日中関係の構造的変化に関する考察」『名古屋外国語大学外国語学部紀要』第46号、2014年、27-51頁。
- 9 豊田哲也「東アジアの領土紛争における国際法と力と正義」『国際教養大学アジア地域研究連携機構研究紀要』第4 巻、2017年、59-70頁。
- 10 実効支配の意義については、岩沢雄司『国際法』東京大学出版会、2020年、233頁。なお、この実効支配の定義に関してさらに深く議論したものとして、島村智子「国際法における領域の「実効支配」」『レファレンス』第858号、国立国会図書館、2022年6月、77-98頁。三好正弘「「実効支配」という表現について」『尖閣諸島研究・解説サイト』内閣官房、2022年10月11日。
- 11 外務省「尖閣諸島に関するQ&A」2025年5月8日アクセス。
- 12 もっとも最近のものとして”United States-Japan Joint Leaders’ Statement,” Briefing and Statements, the White House, February 7, 2025. これまでの経緯などを報道したものとして田中 一世「尖閣諸島への安保条約5条適用を確認、日米首脳会談 領海侵入繰り返す中国の抑止狙い」『産経新聞』2025年2月5日。
- 13 註4参照。
- 14 海上保安庁が実施する国際法と国内法に基づく措置に関する評価は、古谷健太郎「中国の海上におけるグレーゾーン戦略と周辺国の対応―日本およびフィリピンを例に」『アジア研究』2025年4月10日。
- 15 例えばMichael Green et al., "Countering Coercion in Maritime Asia: The Theory and Practice of Gray Zone Deterrence," Center for Strategic and International Studies(CSIS), 2017.
- 16 註4参照。