第2次トランプ政権の外交・防衛(2)
―ロシア・ウクライナ戦争をめぐる停戦外交とそのインプリケーション―

森 聡
トランプは、ロシア・ウクライナ間の停戦合意を実現し、中東紛争も収束させたいと、たびたび訴えてきた。できるだけ早く、ロシアとウクライナ双方による殺し合いを終わらせたいということも毎度強調している。出口が見えないまま、無期限に軍事援助を提供し続けるというバイデンの政策に対する忌避感だけではなく、利害不一致のために大規模な殺戮が続けられることに対する嫌悪感があるように思われるし、ノーベル平和賞を意識した言動の可能性もある。
トランプは、外交の文脈においては「アメリカファースト」という言葉よりも、「力による平和」という言葉を好んで使う。ここでいう「平和」は、第一義的にはアメリカの平和であり、アメリカが圧倒的な軍事力をもつことによって外敵からの武力攻撃を抑止することを意味するが、それはアメリカが関与している現在進行中の欧州と中東の武力紛争を終結させ、アメリカの関与を終わらせることも含んでおり、一国主義が影を落としている。しかし同時に、トランプはアメリカが敗けたり、バイデンと比べて見劣りする対応をとったりすることは避けたいという意識もかなり強いはずである。問題は、トランプが仲介する停戦で実現される「平和」がいかなる内実となるのか、そしてそもそも「平和」を実現できるのかということであり、それはインド太平洋地域にも影響をもたらす。トランプ次期政権が発足すれば、ロシア・ウクライナ戦争や中東紛争をめぐる外交に様々な新しいアクターが関与し、特に前者についてはアメリカとロシア、ウクライナ、欧州諸国との外交が活発化し、複雑な力学を生み出すので、先行きは無論不透明である。しかし争点と課題を整理し、アメリカが停戦に向けた仲介に乗り出すことのインプリケーションは検討可能であると思われる。
そこで「第2次トランプ政権の外交・防衛」の第2回は、まず現時点における見通しに基づいて、ロシア・ウクライナ戦争の停戦への対応をめぐってトランプ次期政権が直面するであろう外交・防衛上の課題について検討し、最後に日本へのインプリケーションについて考察してみたい。サミュエル・チャラップが指摘しているように、「持続可能な停戦のためのロードマップを用意し、ウクライナの安全保障を担保する方法を特定して、ロシアとウクライナ双方にインセンティブをもたらし、ロシアと西側諸国との関係を安定化させる戦略が必要」となる1。換言すれば、停戦の基礎をなす政治的な合意を実現するのは容易ではないということであり、仲介が行き詰まった時にトランプがプーチンとゼレンスキーにどのような姿勢を取るのかが問題となる。西側諸国にとって、できるだけウクライナに有利な条件で停戦合意が実現することが肝要であり、単にトランプの仲介を座視するのではなく、西側諸国首脳がトランプにいかなる働きかけをするのかが重要な意味を持つことになる。
トランプ次期政権とロシア・ウクライナ間の停戦
トランプが、ロシア・ウクライナ戦争の停戦を早期に実現するつもりであることを言明する一方で、具体策の提示を一貫して差し控えてきたのは周知の通りである。2024年12月7日にパリのエリゼ宮でトランプはゼレンスキーに対し、直ちに交渉のテーブルに着くべきだと要請した。これに対してゼレンスキーは、合意の不可欠な要素として、ウクライナは意味のある安全の保証を必要としていると述べたと伝えられており2、一般的なやり取りに留まったようである3。その後トランプ本人は、「いま停戦案を明かしてしまえば、実効性を失う」などとして、引き続き具体的な内容を明らかにしていないが、原案を構成するであろう各種要素のヒントらしきものは、トランプ周辺から漏れ出ている。
例えばトランプにウクライナ・ロシア問題特使に指名されたキース・ケロッグは、アメリカファースト政策研究所(AFPI)が刊行した論集『アメリカの国家安全保障に関するアメリカファーストのアプローチ』に収録されているフレッド・フライツとの共著論考で、停戦案の主な要素を示している。ケロッグは、トランプに個人的に近いとされ、今のところウクライナ・ロシア問題に関する政権のキーパーソンの一人である。停戦を目指しつつも、ウクライナによる譲歩で決着させるのではなく、ロシアにも圧力を行使して譲歩を迫るアプローチを唱えており、抑制主義者の路線とはやや異なる外交路線を示唆している。また、これに対してJ・D・ヴァンスは、2024年9月上旬に、後述するような抑制主義者の一国主義が色濃いウクライナ停戦案について発言して注目を集めた4。
国務長官候補マルコ・ルビオは、ウクライナに対する大規模軍事援助を続けるよりも、和平交渉を通じて戦争を終わらせるべきという立場をとっており、2024年4月の950億ドルのウクライナ支援法案にも反対票を投じた。国家安全保障問題担当大統領補佐官候補のマイク・ウォルツはケロッグとともに、2024年12月5日に訪米したゼレンスキー側近のアンドリ・イェルマーク率いるウクライナ代表団と面会し、停戦交渉について話し合いを持ったと伝えられている5。ルビオもウォルツも、ロシア・ウクライナ間の停戦を実現し、中国に政権の関心とリソースを向けるべきだと主張する優先主義者であるが、本稿でみるロシア・ウクライナ間の争点について、どのようなバランスの決着が好ましいと判断しているかは現時点では分からず、おそらくこれからの外交と政治によって判断していくことになる。
トランプは、これらのプレイヤーの意見も聞きながら、おそらく最終的には独自の判断で停戦合意案の主な要素を決めることになるだろう。そこに至る過程で様々な要素が盛り込まれたり、除外されたりしていく。事実、大統領選出後トランプはロシア・ウクライナ戦争の終結に関して各方面に意見を求めるなどしており、具体的かつ確定的な腹案を持っているわけでないとみられる。ケロッグは2025年1月初めに調査団を率いてキーウとパリ、ローマなどを訪問する予定だと2024年暮れに報じられていたが6、年明け早々、訪欧延期が発表された。キーウと欧州諸国でのアポイントの設定が進んでいた中での訪欧取り止めのようであり、次期政権陣営内で何らかの駆け引きが始まっているのかもしれない。不確定要素が多々あるにせよ、ロシア・ウクライナ間の停戦合意は、紛争当事国の同意なくして成立しえない。そこで以下では、両国の間でこれまで提起されてきたいくつかの主な争点を特定し、その処理をめぐる課題を、トランプ陣営内の異なる立場を織り交ぜながら整理してみたい。
争点と課題
ロシアとウクライナが停戦合意に至るとすれば、様々な要素が交渉対象とされるであろうが、主な要素として次の3つを挙げることができよう。ひとまず便宜上分けて取り上げるが、交渉の中でこれらは相互に連関することになるのは言うまでもない。
ロシアの不法占領地域の法的地位
第1に、ロシアの不法占領地域の法的地位という争点がある。ヴァンスは、2024年9月12日のポッドキャスト番組で受けたインタビューにおいて、ロシアは現在占領している領土を保持するという前提で、現在の戦闘ラインに沿って非武装地帯を設けるべきと述べた。ヴァンスは、ウクライナの残余の領土は主権国家であり続けるとし、非武装地帯を要塞化してロシアの再侵攻を防ぐ一方、ウクライナはロシア占領地域を奪還しないことになると述べており、ロシアが武力で占領した地域をロシア領として事実上認めることを想定している可能性がある7。これに対してケロッグ案は、「ウクライナは全領土を取り戻すという目標の放棄を求められないが、被占領地の奪還については、武力ではなく外交によることとし、そうした外交上の打開はおそらくプーチン退任前に実現することはないということが前提となる」8としていることから、ロシアが不法占領した地域は依然としてウクライナ領であるとする余地を残している。つまり、トランプ政権内には、ロシアによる現状変更を事実上追認してでも停戦すべきという立場と、停戦時のロシアによる占領地の支配をウクライナは事実上受け入れざるを得ないとしても、ロシアによる占領を法的に追認すべきではないという立場があり、後述するように、今のところ後者の立場が優勢のようである。
ロシアの不法占領地域の法的地位について、ロシアとウクライナの立場が真っ向から対立しているのは言うまでもない。ロシアは占領した地域をウクライナ領として認めるつもりはなく、2024年6月15日にスイスで開催されたウクライナ和平会議の前日にプーチンは、ドネツク、ルハンスク、ヘルソン、ザポリージャすべての州の領土主権がロシアにあることを認めることが和平の条件であると述べたと伝えられている9。ウクライナは当然、被占領地域におけるロシアの領土主権を認めるつもりはなく、プーチンの発言を即座に拒否した。ロシアの占領地域の法的地位の問題について、停戦とセットで紛争当事国同士が折り合いをつけるような最終解決策を実現するのは事実上不可能であるため、もし仮に停戦を実現するとすれば、この問題を停戦と切り離し、別途の和平交渉に委ねるという整理にせざるを得ないだろう。
すなわち、ウクライナが停戦に合意する場合、停戦したとしても、それはロシアに占領地域の領土主権を認めることを意味するものではない、ということを確認し、自国領土を取引材料にしないという、2024年10月16日にゼレンスキーが発表した「勝利のための計画」10に沿った法的な立場を保全しながら停戦に応じることになる。ゼレンスキーは2024年11月30日のインタビューにおいて、ロシアが支配する領土が直ちに返還されないまま戦争の「熱い局面(hot stage)」を終わらせるとすれば、まずウクライナが実効支配している領域がNATOの傘下に速やかに入るべきで、そうすればウクライナは、外交を通じてロシア支配地域を奪還できると述べている11。
一方のプーチンは、全ウクライナの事実上の支配ないし属国化という戦略目標を修正しないであろう。ロシア政府の交渉開始当初の立場も、領土問題をはじめとする各種懸案の一括解決というハードルの高いものとなるであろう。事実、ロシア外相ラブロフはそのような立場を最近テレビインタビューで披歴している12。しかし、こうした戦略目標を変更することなく、それを達成する前の段階で、いわば通過点として一時的な停戦を受け入れる可能性があるということは、ヴァルダイ討論クラブ発展支援基金研究ディレクターのヒョードル・ルキヤーノフのような識者が指摘している(同氏はロシア外交防衛評議会議長(SVOP)兼国立研究大学高等経済学院(HSE)世界経済・国際問題学部研究教授も務める人物)13。今後プーチンがどのような判断を下すかはまだ分からず、トランプとの交渉で、領土以外の問題に関するロシアの要求がどこまで受け入れられるかということにもよるかもしれない。ロシア支配地域の領土主権がロシアにあることをウクライナ政府やアメリカが承認しないまま停戦し、領土主権の問題と停戦を実質的に切り離したとしても、プーチンとしては自らの戦略目標を変更する必要はないので、停戦それ自体は政治的に不可能な選択肢ではないと考えられる。問題は、そうした判断に至るのか、至るとしてどの程度の時間がかかるのかということであろう。
ウクライナに対する安全の保証
第2に、戦後ウクライナに対する安全の保証という争点がある。①ウクライナによるNATO加盟の是非と、②停戦後のウクライナに対する西側諸国の軍事援助の是非という2つの大きな争点である。おそらくこれこそが関係国間で折り合いをつけるのが最も難しい問題で、停戦合意に至る際の大きなハードルになると思われる。
まずウクライナによるNATO加盟について、ゼレンスキーはこれまでNATOへの正式加盟をウクライナへの安全の保証として求めてきており、NATOによる加盟招待を「勝利のための計画」の重要な柱としている。NATOは2024年7月10日のワシントン首脳宣言で、ウクライナがNATOメンバーシップに向けた「不可逆的な道」を辿っているとした。その一方で、ウクライナへの加盟招待は、「加盟国が合意し条件が満たされた時に」発せられるとしており、現時点で加盟国の間でウクライナ加盟についての総意は未形成のままである。ただし、NATOはオープンドア政策をとっており、ウクライナに背を向けることには抵抗感が大きいはずであるし、ウクライナの今後の加盟の可能性を確定的に閉じることは避けたいと考えている欧州NATO諸国は少なくないはずである。
この点についてトランプ次期政権はどうか。ヴァンスは、ウクライナがNATOその他の同盟に加盟せずに中立を維持する保証をロシアに与えるべきとしていることから、ウクライナによるNATO加盟の可能性を確定的に無くすべきという意見のようである14。他方ケロッグは、「安全の保証を含む包括的で検証可能な和平合意と引き換えに、ウクライナによるNATO加盟を長期にわたって保留(put off NATO membership for Ukraine for an extended period in exchange for a comprehensive and verifiable peace deal with security guarantees)」し、対露制裁の一部解除と併せてプーチンに提案すべきだとしている(同時に、「二国間の安全保障に基づくウクライナのための長期的な安全保障アーキテクチャー」を確立し、停戦後あるいは和平協定締結後にロシアが侵攻を再開しないようにウクライナ向け軍事援助を続けて、ウクライナの防衛力を強化すべきだと説いている)15。2024年11月6日付のウォールストリートジャーナル紙の報じたところによれば、トランプ陣営内で検討されているNATO加盟の保留期間は20年ということである16(後述する通り、2024年12月30日にロシア外相ラブロフがこれを拒絶した)。ここでもウクライナによるNATOへの無期限の不加盟をロシアに保証すべきという立場と、NATO加盟を期限付きで先送りすべきという立場とで意見が分かれている。
ゼレンスキーは直近では、2024年12月19日のEU首脳会議の場で、ウクライナによるNATO加盟が実現する前の段階において、アメリカとヨーロッパ諸国から個別に安全を保証して欲しいと要請したと伝えられている17。ゼレンスキーとしては、将来的なNATO加盟の可能性をもちろん維持しつつも、トランプとプーチンの交渉の先行きが見えず、またNATOから加盟招待が発せられる見通しを得られない以上、現時点で西側諸国との交渉を通じて安全の保証をできるだけ確保したいと考えているものと思われる。この点トランプは、欧州諸国がウクライナの防衛責任の大半を負うべきだと主張しており、ウクライナに対してアメリカが直接安全を保証することについては消極的な姿勢を示している。
一方プーチンは、ソチで2024年11月7日に開催されたヴァルダイ・クラブ年次総会において、中立が達成されなければ、ロシアとウクライナの良好な隣人関係を想像することは難しいと述べるとともに、ウクライナが「第三国の利益のために利用される道具」でなくなるようにするために努力していると述べていることから18、ウクライナによるNATO加盟の確定的な放棄ないし中立の確約に強くこだわるとみられる。また、外相ラブロフも2024年12月30日のTASS通信のインタビューにおいて、ウクライナによるNATO加盟を20年保留する案について、「喜ばしいものではない(unhappy)」としたほか、ウクライナによるNATOメンバーシップを拒絶するというロシアが発してきた警告に言及し、「ウクライナの非同盟の地位の確保は特殊軍事作戦の目標であり、これを含む諸目標が達成されなければならない」として、20年加盟保留案を拒否した19。
また、ウクライナにとっての「西側諸国による安全の保証」は、ロシアにとっては「ウクライナの軍備制限」という問題であり、ここでも利害が真っ向から対立する。ウクライナとしては、ロシアによる再侵攻の抑止を担保する最大限の安全の保証を欧米諸国から確保することが死活的な課題となっている。他方、将来的な再侵攻の可能性を見据えて、ウクライナをなるべく脆弱な状態に置いておきたいプーチンにとって、ウクライナのNATO加盟は受け入れ難いだけではなく、停戦中にウクライナが西側諸国の軍事援助・訓練等によって軍備増強に邁進するような状況は甘受しがたい。また、ロシアの対米関係の専門家で、ロシア高等経済学院欧州・国際問題総合研究センター副所長ドミートリ・スースロフのような識者も、トランプ次期政権がウクライナの中立やNATO加盟見送りを提案してきたとしても、西側諸国はウクライナへの軍事援助を続け、NATO諸国とウクライナとの軍事協力を進展させようとするので、ロシアは断固として反対することになると述べ、停戦後のNATOや西側諸国による対ウクライナ軍事援助に厳しく反対している20。
プーチンとしては、ウクライナによるNATO加盟の放棄に加え、西側諸国によるウクライナ向け軍事援助の大幅な制限ないし打ち切りを要求し、こうした条件が受け入れられる見通しを得るまでは、仮にトランプと対話したとしても、実質的な取引を含む交渉には入らない姿勢をとる可能性がある。(さらにプーチンはウクライナの兵力・軍備制限の問題と抱き合わせで、欧州における長距離精密打撃能力を中心とした通常戦力バランスの問題を提起し、この問題に関する交渉も、停戦交渉と並行して実施するよう求める可能性も考えられる。21)
ではロシアはウクライナに対してどのような兵力・軍備の制限を求めるのだろうか。ロシア政府は、かねてから2022年春のイスタンブール合意案に基づく交渉を行う用意があるとの立場をとってきた。直近ではプーチン本人が2024年12月19日の年末記者会見において、交渉や対話を開始するための前提条件はないとしつつも、「2022年のイスタンブールでの交渉プロセスを経て至った合意と、現実の戦況に基づいて[交渉を]実施する」と述べている22。この当時の合意案の内容は、交渉文書を入手した西側の研究者やメディアが2024年に随時紹介したことで明らかになった部分がある。米シンクタンクのアトランティックカウンシルのピーター・ディキンソンによれば、2022年4月当時、ロシアはウクライナ軍の兵力規模を開戦前の25万人から5万人に削減し、ウクライナ軍の装備、開発可能なミサイルの種類、ウクライナ空軍の規模をそれぞれ制限するよう求めていたとしている23。
また、米ランド究所のサミュエル・チャラップとジョンズホプキンズ大学高等国際問題研究院(SAIS)のセルゲイ・ラドチェンコは、「ウクライナへの安全の保証に関する条約の主要条項」として当時まとめられたイスタンブール合意案に関する複数の草案を入手し、交渉関係者へのインタビューも行って、2024年4月16日に『フォーリンアフェアーズ』で、より詳細な検証結果を披露している24。チャラップとラドチェンコによれば、ウクライナの軍備制限については、ロシアとウクライナとの間で立場が一致しなかった。ウクライナ軍の兵力規模について、ウクライナは25万人と主張したが、ロシアは8.5万人に制限するよう求めた。また、ウクライナ軍が保有するミサイルの射程は、ウクライナが280キロまで認めるべきだと主張したのに対し、ロシアは40キロに制限すべきだと反論した。さらに、ウクライナに安全を保証する国々には、ロシアを含む国連安保理常任理事国とカナダ、ドイツ、イスラエル、イタリア、ポーランドとトルコが含まれ、もしウクライナが武力攻撃を受ければ、ウクライナ及び安全を保証する国々は相互に協議し、安全保障を回復するための支援をウクライナに供与する(飛行禁止区域の設定、武器の供与、個別国の軍隊による直接介入といった具体策も明記)。この点についてロシアは、「全ての関係国が合意した決定に基づいて対応がとられる」とする修正を求めたが、ウクライナは個別国家が決定を下せるようにすべきとして拒否したとしている。こうした2022年春当時の合意案は、ロシアがキーウ陥落に失敗して劣勢に立たされていく状況のなか交渉されたものであり、現在の状況とは大きく異なる。また、ディキンソンとチャラップ=ラドチェンコとでは、ロシアの要求内容に関して齟齬もある。しかし、ロシアの念頭にあるウクライナの「非軍事化」がいかなる内容のものか、その輪郭をつかむ参考材料となろう。
ケロッグは、もしプーチンが交渉のテーブルにつかなければ、対ウクライナ武器支援を強化して圧力をかけるとしているが、こうしたウクライナへの武器支援強化がプーチンに重要な政治的条件で妥協を強いるほどの実効的な圧力手段となるのかは分からない25。武器支援の強化は議会共和党内部のハードルも高い(2024年春にウクライナ支援法案をめぐって党内で意見が割れたのは記憶に新しい26)。ウクライナ向け軍事援助を増大する際に、これを有償化して、援助拡大に否定的な下院共和党の突き上げをかわすという方法もあるが、トランプは、欧州諸国にもウクライナ支援の負担を分担するよう迫っていくものとみられる。そうだとすれば、プーチンに足元をみられる可能性が高くなるかもしれない。
停戦ラインと非武装地帯の設置
第3に、停戦ラインに沿った非武装地帯の設置という争点がある。もし様々な政治的な条件が整い、停戦を実施する展望が開けるとすれば、ウクライナとロシアが相互に攻撃を停止することになり、停戦ラインを跨ぐ攻撃が禁じられることになる。ロシアは、現時点でウクライナ領の約18%を支配しており、そこにはクリミア全域と、ウクライナ東部のドンバス地方の約80%。ザポリージャ及びヘルソン両地域の約70%が含まれている。ロシアはドネツク、ルハンスク、ザポリージャ、ヘルソン各州からのウクライナ軍の撤退を求めている。ただし、ロイターの取材に応じた現職・元職のロシア政府関係者らは、その時点における戦闘ラインに沿った停戦はおそらく受け入れ可能との見立てを示している27。
もし仮に戦闘が停止された場合、停戦の監視が必要となる。トランプは、パリでマクロンとゼレンスキーと会談した際に、停戦監視のために欧州諸国が部隊を供出すべきと述べたようだが、アメリカは部隊を出さないものの、何らかの支援を提供する可能性を排除していない模様である28。停戦監視団の規模は何名程度か、アメリカの非軍事的関与はあるのか、ロシア・ウクライナ間の長い停戦ラインを監視することは物理的に可能なのかといった各論的な問題もあるが、そもそも欧州諸国に停戦監視団を出す用意はあるのか、ロシアが欧州諸国による停戦監視を受け入れることなどあるのかといった根本的な問題がある。停戦監視の実施主体は、NATOはありえないとして、欧州各国も個別に自国部隊を停戦監視にあたらせて犠牲者が出るリスクを負うことをためらうかもしれないが、ラブロフ外相は2024年12月30日のタス通信のインタビューで、「ウクライナにイギリスと欧州諸国の平和維持軍を駐留させる案を喜ばしいものとは思っていない」と述べて、拒否している29。停戦監視に無人システムを活用する方法が取り入れられるかもしれないが、停戦監視・平和維持を目的とした何らかのメカニズムの詳細について、交渉で合意される必要がある。
いったん停戦してから政治的合意に関する交渉を実施するのか、政治的合意が実現するまで停戦せずに戦闘を続けるのかということについては、常識的に考えれば後者となるはずである。ウクライナやロシアにとって戦闘を続行することは、相手国のみならず、停戦を早期に実現したいトランプに対しても交渉のテコとなるからである。他方、プーチンがいったん停戦し、交渉で要求が実現しなければ再度開戦するという威嚇を背景に交渉を行うというアプローチもありうるかもしれない(こうした場合、トランプの心証を良くして引き込むという意味合いもあるかもしれない)。こうした二つの可能性を想定しておいた方がいいだろう。
上記3つの争点について、今後の関係国間の協議や交渉がどのような展開を辿るか予断を許さないところであるが、今のところトランプ次期政権は、ウクライナの利益を一方的に犠牲にして、ロシアの武力による現状変更をそのまま追認したり、対ウクライナ支援をいきなり全面停止して一方的にウクライナに譲歩を迫るようなことはしないという見方が大勢を占めているようだ。欧州諸国は共和党も含むワシントンに対して、ウクライナでロシアの武力による現状変更を追認するような形で停戦を実現してしまえば、それは中国に誤ったメッセージを送ることになるという刷り込みを精力的に進めてきている。この種の議論は、トランプ次期政権が主敵とみなす中国が絡んでいるだけに、トランプ陣営にもそれなりに刺さっているとの欧州安全保障筋の見方もある。
トランプによる停戦の仲介―1つの可能性
トランプによる停戦の仲介は、これから生起する事態にも影響を受けるので、どのような展開をたどるのかは分からないが、これまでの整理を踏まえて、以下では一つの可能性をシナリオとして描いてみたい。
まず停戦をめぐる外交が、戦況の影響を受けるのは言うまでもない。ウクライナとロシアはいずれも制約や問題を抱えながら戦闘を続けており、状況が刻々と変化している。ロシア軍は、物資面での優位があるものの、装備の消耗を抑制したり、広範囲にわたる偵察や攻撃型無人機を有効活用するウクライナ軍の防御体制を突破するような戦い方ができていなかったりするため、一部の戦線で前進をみせているものの、戦況を大きく打開するような作戦上の成功は実現できていない。また、ロシア側は多大なコストを払いつつ、無理をしながら部隊のローテーションや補充を続行し、前線を徐々に押し上げているため、こうした戦い方をいつまで続けられるかは分からない。
他方、ウクライナ軍は、ロシアのインフラを攻撃できるほど長距離打撃能力を伸ばし、無人機や地上発射型巡航ミサイルの生産能力を増大させている。しかし、ウクライナ軍の防空能力は、量産しているドローンが、前線の敵側でロシアのドローンを迎撃することによって高まった面もあるが、ロシアは昨年夏以降にドローンを用いた長距離攻撃を増加させ、おとり用のドローンも混入させて運用し、ウクライナ軍の防空能力を消耗させている。また、2024年夏以降の動員率が低下しているのみならず、前線にいる有力部隊に兵員を補充して熟練させるという手法をとらずに、訓練や経験が全般的に不足する兵士で構成される旅団をいくつも新たに編成して、そこから大隊単位で部隊を前線に逐次投入するという対応をとっており、その影響で前線の維持に苦戦している。このように、トランプ次期政権は、ウクライナが決して有利ではない状況で仲介外交に乗り出すことになる30。以下は、前線が大きく動かない状況で外交が繰り広げられるような場合を想定したシナリオである。
トランプは、事前にケロッグがウクライナと欧州で調査した結果を踏まえて、プーチンと会談を持ち、停戦に関してロシアとウクライナとの間で合意できる条件を探ろうとするだろう。本来であれば、ウクライナ及び欧州諸国とじっくり協議を行った上でプーチンと対峙すべきであろうが、トランプはプーチンとの初会談を急ぐかもしれない。ケロッグを政権発足前からウクライナや欧州に派遣するのは、スピードを重視しているからであろう。NATOは、ウクライナの加盟を認めないという立場を公式に確認することを拒むのは明らかであるので、加盟の将来的な可能性を残しつつ、当面の間は加盟を保留する案を支持するであろう。ウクライナによるNATO加盟について、トランプは加盟留保案を提示し、プーチンがそれを拒否し、ウクライナ自身がNATO加盟を放棄し中立を確約・宣言するよう求めるかもしれない。ゼレンスキーは、ウクライナによる将来的なNATO加盟の可能性を捨てるわけにはいかないので、加盟を確定的に放棄する案には、欧州NATO諸国の支持も得ながら反対しつつ、NATO加盟を保留する案を維持しようとするだろう。
他方で、ゼレンスキーはNATO加盟国がウクライナ加盟招待や加盟の具体的な期日の設定に関して総意を形成する見通しが立たないという実状を理解している。このため、NATO加盟を放棄しないものの、無期限の保留を受け入れるのと引き換えに、加盟実現まで有効な、関係諸国によるウクライナへの安全の保証を最大限確保するための外交を繰り広げるかもしれない。事実、前述の通り、ゼレンスキーはすでに西側諸国から個別に安全の保証を確保するための外交を始めている。
この段階で、停戦後も有効なウクライナへの安全の保証あるいはウクライナの兵力・軍備の水準が問題となり、ロシアとウクライナとの間で利害・立場が真っ向から対立する状況に至る可能性がある。ロシアは、ウクライナによるNATO加盟の放棄ないし中立の宣言を譲り得ない条件として引き続き主張する可能性が高い。また、停戦後の西側諸国によるウクライナ向け軍事援助についても、これを続けるのか、制限付きで続けるのか、打ち切るのか、またウクライナの兵力上限やミサイルの射程制限を設けるのか、これらを制限するとしていかに制限するか、合意の履行・違反をどう監視するかといったことがロシア側との交渉上の争点となる。
ウクライナとしては、停戦後にロシアを抑止する体制を確立することが死活的に重要な目標となり、欧州諸国はこれに賛同するであろう。したがってゼレンスキーは、停戦後の西側諸国による軍事援助は制限されるべきではないという立場から出発するとみられる。他方プーチンは、ウクライナのNATO加盟保留案を拒否し、また停戦後の欧州諸国によるウクライナ向け軍事援助の続行も拒否するであろう。事実、ロシア外相ラブロフは、2024年12月25日のテレビ番組のインタビューで、トランプ政権の発足により状況が変わると巷間では期待されているが、ロシア政府は幻想を抱いていないとした上で、ウクライナの非軍事化を「最低限の要請」として挙げている31。
かたやトランプ政権内では、西側諸国によるウクライナ向け軍事援助の停止の是非をめぐって、例えば、アメリカによるウクライナ向け軍事援助を打ち切るべきではないとする意見と、打ち切るべきだとする意見と、アメリカによる軍事援助は打ち切るものの、ヨーロッパ諸国によるウクライナ向け軍事援助の実施をロシアに認めさせるべきだとする意見が出るかもしれない。トランプがどのような判断を下すかは分からないが、これもひとえにプーチンとの交渉次第であろう。トランプがプーチンに、停戦後のウクライナ向け軍事援助を認めるよう迫る際に、トランプの交渉の手腕が問われる。対露制裁の一部解除を見返りとして与えるのか、供与する兵器システムの種類と規模をロシアが受け入れ可能なものに制限するのか、対ウクライナ向け軍事援助の実施主体を欧州諸国とし、アメリカは軍事援助を漸減ないし停止すると提案するのか。現時点でどのようなディールを結ぼうとするのかは分からないが、ロシアの要求を一定程度受け入れる必要に迫られる可能性があり、ウクライナ・欧州諸国の要求とロシアの要求をそれぞれ一定程度実現するような仲介の手腕が問われることになろう。
なお、ウクライナにとっては、前述の通り、第一義的にはロシアの抑止が重要であるため、停戦後の平時の西側諸国による軍事援助(1階)に加えて、ロシアが停戦合意に違反して侵攻を再開して有事に至った際の西側諸国の支援の保証(2階)も重要となり、ウクライナへの安全の保証は、2階建ての構造となるかもしれない。2階部分について、トランプがウクライナに対する新たな防衛義務を負ったり安全を保証したりするとは考えにくいため、ここでも有事の際、欧州の個別国家がどこまでウクライナに軍事支援し、安全を保証するかが問われる32。例えば、もしロシアが再侵攻に踏み切った場合、ウクライナに大量の長射程兵器や高度先端兵器を供与するなどといった事前の保証がありうるかもしれない。こうした保証は、ロシアの停戦合意違反をできるだけ抑止するという意味合いを持つことになろう。イスタンブール合意案は、多数の国による安全の保証を含んでいたが、今般のものは、ケロッグが自らの構想で言及しているような、ウクライナと諸外国との二国間の安全保証に基礎を置くものとなる可能性があり、トランプ政権は欧州各国に対して、踏み込んだ形でウクライナに安全を保証するよう要求するかもしれない。
トランプによる停戦の仲介が意味するもの
トランプ次期政権が停戦を早期に実現するという政治的判断に基づいた仲介外交に乗り出せば、ロシアの要求とウクライナ及び西側諸国の要求との間で折り合いを付けられなければならない状況が立ち現れる。停戦は、ロシアの要求にゼロ回答のままでは成立しえないことから、トランプ政権が停戦を実現する際には、ロシアの要求に一定程度応じざるを得なくなるであろう。また、停戦後のウクライナに安全を保証する主たる担い手がアメリカから欧州諸国に移行していくプロセスが始まる可能性がある。多くの争点をめぐって複雑な交渉が繰り広げられるかもしれないが、停戦後の平時においては、規模が制限されたウクライナ向け軍事援助を実施する一方で、ロシアが停戦に違反し有事が発生した場合においては、ウクライナ向け軍事援助を質量両面で拡大することをあらかじめ確約するといった2通りの安全の保証で対露抑止力を担保することが西側諸国の重要な交渉課題になるとみられる。(そして平時の軍事援助は、有事の軍事援助の実効性を最大限に高めるように設計されたものとする必要があるだろう。)
しかし、トランプが早期の停戦を望んでいることを知っているプーチンが交渉に応じなかったり、あるいは対話に応じながらも妥協を引き延ばしたりすることは十分予想され得る。ラブロフは前述したテレビ番組のインタビューにおいて、「我々は停戦で満足するわけではない」とした上で、「欧州の共通安全保障、NATO拡大、EUがNATOの付随物になるという最近の決定、これら諸組織の違いをなくすこと、ロシア連邦への統合を支持した各地域の住民の権利といった、紛争の根本原因を除去することを目的とした、信頼に足る法的拘束力のある協定を我々は必要としている」と述べた33。また、「ウクライナの政権が、西側諸国の手を借りて再び力を盛り返し、ロシアに戦略的な敗北を強いる試みを再開するまでの時間を稼ぐというのが西側とウクライナの言う停戦の本質だ」と説いて、「ロシア政府として、トランプ次期政権が発足すれば、ロシアはとにかく交渉を始めるなどという立場をとったことはなく、交渉開始が必然というわけではない」と牽制していることからも34、ロシアが実質的な妥協をしないまま時間が過ぎていく可能性もある。プーチンがラブロフの示したような、交渉で各種争点を包括的に取り上げるアプローチをとったりすれば、交渉は停滞し長引くことになる。
こうした展開となる場合、トランプはプーチンに様々な圧力をかけたり(ウクライナへの大規模武器支援など)、あるいは見返り(対露制裁の解除など)を示したりして、妥協するよう働きかけるだろう。しかし、それでもプーチンが折れない場合、トランプはどうするのだろうか。プーチンが実質的な取引や妥協を含む交渉に応じない中で、トランプが停戦の実現を急ごうとすれば、プーチンに譲歩を迫るアプローチから、やがてゼレンスキーに譲歩を迫るアプローチにシフトしていくのかどうかが注目される。プーチンは、早期に停戦を実現したいトランプの足元を見て、交渉を引き延ばしながらトランプに対し、ゼレンスキーや欧州諸国から、ウクライナのNATO加盟放棄やウクライナ向け軍事援助の制限、ウクライナの兵力・軍備の制限といった面で譲歩を促すよう求める交渉戦術をとることも考えられる。
西側諸国による働きかけの意義
シナリオとして示したような動きが順番通りに展開されるかどうかはもちろん分からないが、もし米露交渉が行き詰まるような局面を到来するとすれば、このとき重要となるのは、西側諸国首脳によるトランプへの働きかけである。次節で論じるように、西側諸国首脳はトランプに対して、ロシアの武力による現状変更を追認することは中国に誤ったメッセージを送るだけでなく、将来ウクライナがロシアに再侵攻されれば、トランプは「力による平和」ではなく、「弱さによる平和」を作り出したに過ぎない、トランプは宥和主義者だと激しく非難され、汚れた形で歴史に名を残すことになるなどと説くとともに、こうした事態を避けるためには、やはりロシアが再侵攻できないような強力な抑止力をウクライナに持たせるための安全保障アーキテクチャーを確立する必要があり、そのためには有志国によるウクライナ向け軍事援助の続行や、ウクライナの将来的なNATO加盟の可能性を残し、ロシアに占領地域の領土主権を認めるいかなる案も退けるべきだと、トランプを説得する必要があろう。
こうした西側諸国による働きかけが不断に続けられなければ、トランプがプーチンに譲歩を迫る交渉で行き詰まったとき、早期の停戦を急いで、ウクライナに圧力をかける路線に転じる誘惑に駆られていく可能性がないとはいえない。トランプにとって、早期の停戦それ自体(とその先にあるかもしれないノーベル平和賞)が最優先目標である可能性は否めず、そうだとすれば、ゼレンスキーに譲歩を迫ることは、トランプにとって必ずしも「敗北」を意味しない可能性もある。戦闘が止んで、ウクライナ・ロシア双方で新たな戦死者・戦傷者が出なくなり、アメリカによるウクライナ向けの大規模な軍事援助を減らせる状況が生まれて、第三次世界大戦のリスクを低下させられたと本人が喧伝できれば、トランプにとってそれは「力による平和」の実現であり、ノーベル平和賞を受賞するに値する「勝利」と映るかもしれない(アメリカがグリーンランドを購入する必要があると公言する人物が下す政策判断は、独特なものとなる可能性を想定しておく必要がある)。これはアメリカの一国主義と適合的な「平和」ともいえよう。政権内の抑制主義者たちは、こうしたトランプの路線を支持する可能性が高い。
これまで停戦後の軍事援助を通じてウクライナの防衛力を強化して対露抑止力を高めるという考え方に立った議論が散見されてきたが、これは相手のいない真空状態における理想型の戦後体制である。トランプが、無期限のウクライナ向け軍事援助の実施というバイデン政権の政策を見直して、停戦の早期実現に舵を切るということは、ロシアの要求や利益が停戦後の状況に反映される可能性に、ウクライナとその支援国が向き合う必要に迫られることを意味している。また、トランプの負担分担をめぐる持論に照らせば、停戦外交は同時に、アメリカのウクライナ防衛負担を減らし、欧州諸国の負担を増やしていく政策をアメリカが追求することを意味しており、ウクライナと欧州諸国は、新たなヨーロッパ安全保障のあり方を踏まえたウクライナ戦後体制を作り上げられるかが問われることになる。トランプ次期政権が追求するロシア・ウクライナ間の停戦をめぐる仲介外交は、少なくとも当初は純然たる一国主義に駆られたものとなるわけではないであろうが、停戦を通じてウクライナ向け軍事援助や安全の保証を、欧州諸国の準備がないままアメリカから欧州諸国にシフトさせていくリスクがあるほか、対露交渉が行き詰まることによってウクライナに譲歩を迫るアプローチに傾斜していくリスクもあり、こうした一国主義的な路線が前面化していくリスクを抑えるためには、西側諸国首脳が連携しながらトランプに巧みな働きかけを実施していくことが必要となる。こうした観点から、トランプ時代のアメリカに対する関与は減らすのではなく、増やす必要があるといえよう。
日本へのインプリケーション
上記はあくまで一つの可能性を描いたシナリオに過ぎず、現実には全く異なる展開をたどるかもしれない。西側諸国ないしアメリカの同盟国にとって重要なのは、ロシアだけが譲歩し、ウクライナが理想とする停戦合意が実現するとは限らないという可能性を踏まえつつも、ウクライナにとってできる限り有利な条件で停戦合意が形成されるように外交を展開するということであろう。日本も例外に漏れず、打つべき手を毅然と打っていく必要がある。本稿で検討した諸点を踏まえて、日本へのインプリケーションとして以下を指摘したい。
第一に、日本としては、もしロシアの不法占領地域の法的地位が交渉上の争点となる場合には、武力による現状変更を法的に追認するような提案には、欧州諸国その他同志国と連携し断固として反対する必要がある。もし万が一、トランプ政権首脳陣からそのような提案が示唆されるようなことがあれば、アメリカ以外のG7諸国と同志国で一致して即座に反対すべきであろう。この場合、トランプ政権との摩擦を覚悟して反対意思を押し通す必要がある。というのも、現状維持のための抑止力を担保する最大の安全保障供給国たるアメリカが、武力による現状変更を追認すれば、アメリカの同盟国に対する防衛コミットメントの信頼性は根幹から揺るぎ、日本の安全保障が危機に瀕するからである。日本もアメリカの他の同盟国もこの状況は受け入れがたい。トランプ本人に対する説得の論理は、前述したように、武力による現状変更に及んだロシアに褒美を与えれば、それは「弱さによる平和」となって早晩綻んで再び戦争を招き、トランプは宥和主義者だという汚名を着せられることになるうえに、習近平もトランプは弱い指導者だとみなすようになるので避けるべきだといったものとなろう。こうした論理に基づいて、日本の首相は同志国首脳とともにトランプに対する組織的な説得工作を行ったり、対米世論形成のための取り組みを展開すべきであろう。
第二に、ウクライナの兵力・軍備制限が停戦交渉上の論点となる場合、首脳レベルで欧州諸国と連携してトランプに対し、ウクライナへの兵力・軍備制限を最小限に留めるべく、プーチンに圧力をかけて譲歩を迫るよう働きかけるべきである。結局、ウクライナが脆弱な状態に置かれ、ロシアによる再侵攻のリスクが将来現実化すれば、アメリカが再び対応を余儀なくされる可能性がある。それはインド太平洋地域へのアメリカの関与が中長期的に安定しないことを意味するため、日本としても好ましくない(将来ロシアが再侵攻に踏み切った時にアメリカに民主党政権が誕生していれば、バイデンとさほど変わらない対応をとる可能性がある)。したがって、ウクライナが停戦後に対露抑止力を構築し得るような戦後体制を必ず確立できるような合意とするように、欧州諸国やその他同志国と共にトランプ政権に働きかけていくべきであろう。このときセットで、欧州諸国がウクライナ向け軍事援助の拡大をトランプに確約することも必要となるかもしれない。
なお、アメリカが戦域間でスイングするリスクは、各戦域のアメリカの同盟国による防衛力強化によってしか緩和しえない。この点については稿を改めて論じたいが、いまアメリカの同盟システムは、その抑止力の重心をアメリカから前線国家たる同盟国に移し、同盟国がアメリカを巻き込む戦略を採用するような変革を迫られている。これは換言すれば、欧州のアメリカの同盟国も、インド太平洋のアメリカの同盟国も、それぞれ自国の防衛力強化を進めるとともに、さらには地域安全保障(アメリカの同盟条約国以外の国の安全保障)にも積極的に貢献する能力と体制を整備しつつ、アメリカとの戦略・作戦面での連携を強化するという戦略的課題に直面しているということだ。欧州NATO諸国は、自国防衛のみならず、ウクライナの安全を保証する防衛産業基盤と軍事援助の実施体制を強化する必要に迫られており、ウクライナ・ロシア間の停戦は、こうしたプロセスを加速する契機と捉えられるべきであろう。日本は、OSAのスキームをインド太平洋地域で拡充するとともに、防衛装備品の移転に関する規制も緩和して、インド太平洋諸国による抑止力強化の取り組みに協力していくべきである。
そして第三に、停戦が実現する場合には、速やかにウクライナへの金融・経済援助を通じて、ウクライナの経済・社会の復興を力強く支援していく取り組みを促進すべきである。この場合、日本は他の同志国とともに組織的・計画的な戦後復興を大規模に実施していくべきであろう。ウクライナが仮に何らかの兵力・軍備制限を受け入れざるを得ない状況に置かれたとしても、停戦合意がロシアによって破られた際に、急速に軍備を増強できるような産業基盤を整備しておくことは、抑止という観点から無意味ではない。したがって、停戦後のウクライナの対露抑止力は、平時における欧州諸国を主体にした軍事援助、有事における軍事援助の拡充の保証、そして有事の際に兵器生産を可能とする産業基盤の復興といった主な要素で構成されることが考えられ、日本や欧州域外の同志国は、産業基盤の復興において大いに貢献していくべきであろう。
(了)
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- パリ訪問時にトランプに随行したのは、首席補佐官スージー・ワイルズと、中東問題特使に任命されたスティーヴ・ウィトコフ、そしてアラブ中東問題上級顧問に就任予定のマサード・ブーロスで、ウクライナ専門家は一行に含まれておらず 、実はトランプは当初、この三者会談に前向きではなかったとも報じられている。Barak Ravid, “Trump discusses war in Ukraine with Zelensky and Macron in Paris,” Axios, December 7, 2024, <https://www.axios.com/2024/12/07/trump-ukraine-war-zelensky-macron-paris> (accessed on January 6, 2025) (本文に戻る)
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- ディキンソンは、RFE/RLが入手した資料に基づいた検証を行ったとしている。Peter Dickinson, “Putin’s 2022 ‘peace proposal’ was a blueprint for the destruction of Ukraine,” Atlantic Council, November 5, 2024, <https://www.atlanticcouncil.org/blogs/ukrainealert/putins-2022-peace-proposal-was-a-blueprint-for-the-destruction-of-ukraine/> (accessed on January 6, 2025). (本文に戻る)
- チャラップとラドチェンコは、なぜこの暫定合意案が破綻したのかについても考察しているが、ここでは専ら合意案の内容に注目するに留める。Samuel Charap and Sergey Radchenko, “The Talks That Could Have Ended the War in Ukraine,” Foreign Affairs, April 16, 2024, <https://www.foreignaffairs.com/ukraine/talks-could-have-ended-war-ukraine>(accessed on January 6, 2025). (本文に戻る)
- 対ウクライナ支援の増大に対して、議会共和党の一国主義者らから反対の声が上がる可能性があるという指摘もある。Gram Slattery and Jonathan Landay, “Trump's plan for Ukraine comes into focus: NATO off the table and concessions on territory,” Reuters, December 5, 2024, <https://www.reuters.com/world/trumps-plan-ukraine-comes-into-focus-territorial-concessions-nato-off-table-2024-12-04/> (accessed on January 6, 2025). (本文に戻る)
- 共和党内における対ウクライナ支援の消極姿勢については、例えば次を参照。” How stalled U.S. aid for Ukraine exemplifies GOP’s softening stance on Russia,” PBS, February 19, 2024, <https://www.pbs.org/newshour/world/how-stalled-u-s-aid-for-ukraine-exemplifies-gops-softening-stance-on-russia>(accessed on January 6, 2025). (本文に戻る)
- Guy Faulconbridge, “Exclusive: Putin, ascendant in Ukraine, eyes contours of a Trump peace deal,” November 20, 2024, <https://www.reuters.com/world/europe/putin-ascendant-ukraine-eyes-contours-trump-peace-deal-2024-11-20/> (accessed on January 6,2025). (本文に戻る)
- Laurence Norman, Jane Lytvynenko, Stacy Meichtry, “Trump to Europe: Overseeing a Ukraine Cease-Fire Would be Your Job,” Wall Street Journal, December 13, 2024, <https://www.wsj.com/world/europe/trump-ukraine-russia-war-plan-8901d78b>(accessed on January 6, 2025). (本文に戻る)
- Ministry of Foreign Affairs of Russia, “Foreign Minister Sergey Lavrov’s interview with TASS news agency,” December 30, 2024.(本文に戻る)
- 戦況については、2025年1月5日0:40付でXにポストされたカーネギー国際平和財団のロシア専門家マイケル・コフマン(@KofmanMichael)の見立てを参照。 (本文に戻る)
- Ministry of Foreign Affairs of Russia, “Foreign Minister Sergey Lavrov’s interview with 60 Minutes television programme,” Moscow, December 25, 2024, <https://mid.ru/en/foreign_policy/news/1989124/> (accessed on January 6, 2025). (本文に戻る)
- なおマクロンは、停戦後にウクライナに軍部隊を駐留させるなどと発言したが、これは平時における支援の構想であり、プーチンから見れば、現在よりも格段に条件が悪い状況で、そもそもウクライナ領内における外国軍の部隊や基地の設置を拒否するプーチンにとっては受け入れ難い。(本文に戻る)
- Russian Ministry of Foreign Affairs, “Foreign Minister Sergey Lavrov’s interview with 60 Minutes television programme.”(本文に戻る)
- Ibid.(本文に戻る)