第2次トランプ政権の外交・防衛(1)
―抑制主義者と優先主義者の安全保障観と同盟国へのインプリケーション―
森 聡
2025年1月20日に第2次トランプ政権が発足する。トランプ本人が大統領に選出されると思っていなかった2016年の頃とは異なり、今回は大統領選から時間を空けずに閣僚を指名し始めており、省庁再編や規制緩和をはじめとする一部の政策については、政権発足直後から実行に移していくとみられる。国防長官候補ピート・ヘグセスや国家情報長官候補タルシー・ギャバードについては、上院共和党だけでなく、トランプ側近の間でも適性について疑義を呈する向きがあると伝えられている。両名が上院での指名承認の見通しが悪くなって、仮に上院休会中の任命で長官代行職に据えられる場合には、政治色の濃いリストラに乗り出して、安全保障担当官庁で大きな混乱が生じるとも限らない。一方、国家安全保障問題担当大統領補佐官マイク・ウォルツや国務長官候補マルコ・ルビオは、ワシントン界隈では比較的評判がよく、国防副長官には同省の運営に通じた手堅いベテランを指名するのではないかとも言われている。いずれにせよ、第2次トランプ政権が実際にいかなる対外政策を展開するかはフタを開けてみないと分からないが、本稿では、第2次トランプ政権の外交・防衛政策の見通しを得るために、ヒトよりも考え方や世界観に注目して、若干の材料を提供してみたい。
第1回は、まず現代の共和党の安全保障観がいかなるものなのかを示し、やや迂遠になるかもしれないが、歴史を紐解きながらアメリカ・ファーストの背景にある世界観をその由来とともにあぶり出してみたい。次にトランプとその取り巻きの「一国主義」と「反中国」の世界観がそれぞれどのような考え方なのか、そして基本方針としてどのように発露するか、頭の体操をする。最後に、インド太平洋地域の同盟国・パートナー国が注意すべき「トランプ・リスク」とは何かについて考察して結びたい。
共和党の安全保障観
トランプの「アメリカ・ファースト」の世界観は、トランプ固有のものでもなければ、オリジナルなものでもない。アメリカは世界にどう関わるべきか、ということについて、現在の共和党内にはおおむね3つの対外政策思想、すなわち保守的な国際主義(conservative internationalism)、保守的な現実主(conservative realism)、保守的な一国主義(conservative nationalism)があるといわれるが1、保守的な一国主義の一種と性格づけうるトランプの考え方は、系譜としては一番古い。第2次トランプ政権は、保守的な一国主義を基調としつつも、保守的な現実主義も入り混じったものとなる可能性がある。そこでまず、共和党の対外政策の由来を簡単に紹介して、第2次トランプ政権の対外関与姿勢の大きな方向性について、現時点での見通しを立ててみたい。
自国は世界にどのように向き合っていくべきかをアメリカ人が議論するきっかけとなったのは、第一次世界大戦である。それ以前のアメリカは、欧州諸国と貿易をしながらも、政治・軍事同盟は忌避し、なるべく自律的な経済発展を進めようとする生き方を好んでいた。外敵から攻撃されたり、移民の大量流入と景気悪化が重なったりすると、外部世界とのつながりを怖れたり、強い反発を示したりする行動パターンを繰り返していた。かつてアメリカの外交史家ウォルター・ラッセル・ミードがハミルトニアン、ジェファソニアン、ジャクソニアン、ウィルソニアンという、4つのアメリカの外交類型を提示して話題を呼んだが、このうち「仲間外れ」はウィルソニアンである。というのも、ウィルソニアンだけ20世紀の産物であり、その他は19世紀以前の外交類型である。ハミルトンは重商主義、ジェファソンは自律的な経済、ジャクソンは排外的な要塞国家のシンボルであり、いずれの側面が前面に出るかは時代ないし政権ごとに変化してきた。やや乱暴なまとめ方をすれば、第一世界大戦前のアメリカの対外認識は、基本的にこれらが三つ巴となって構成していた一国主義だったといえよう。
第一世界大戦をきっかけにアメリカでは、世界にどのように関わっていくか激論が交わされた。民主党ではプログレッシブな国際主義、共和党では保守的な国際主義と呼ばれる対外政策に関する考え方が形を成すようになった2。
民主党のプログレッシブな国際主義とは、様々な政治体制の国々と外交を通じて慣習に基づく合意やルールを作り、それらの合意やルールを互いに守り続けていけば、それは民主主義の手続そのものなので、政治体制の異なる国々でも共存が可能となり、国際社会がやがて慣習としてのルールに基づく法的な社会へと徐々に進化を遂げていく、という包摂的・進歩的な世界観を指す。こうした考え方をまとめていったのは時の大統領ウッドロー・ウィルソンで、ウィルソンはイギリスのリベラリズムや憲法論に深い影響を受けていた。プログレッシブな国際主義は、合意やルールを守るという行動を重視するため、ひとたび相手が合意やルールを破ると、共存と進歩という前提が崩れるため、そうした相手に対して強硬化する。ウィルソンが構想した国際連盟も、フランクリン・ローズヴェルトが構想した国際連合も集団安全保障体制をとるが、それは政治体制の異なる国々にメンバーシップを広く与え、ルールを破った国を集団で制裁するという仕組みにほかならず、その根底にあるのは、このプログレッシブな国際主義である。
これに対して共和党の保守的な国際主義とは、諸国家を立法府・司法府・行政府といった制度を備えているか否かに応じて「文明国」と「野蛮国」に区別し、「文明国」とは合意やルールに基づく関係で付き合うものの、「野蛮国」とは法や制度を共有していないため、力に基づく関係で向き合うという排他的・保守的な世界観を指す。第一次世界大戦当時、元大統領セオドア・ルーズヴェルトや上院議員ロバート・タフト、ハーバード大学学長ローレンス・ローウェルといった人物らは、アメリカとほとんど政治的・文化的なつながりのない国が加盟する国際連盟になど加盟すべきではないと批判し、むしろイギリスとフランスという、アメリカが価値を共有する「文明国」と安全保障協定を結んで、戦時連合を終戦後も持続させるべきだと主張し、同盟の結成を提唱した。彼らは欧州の大陸法系の考え方の影響を強く受けており、相手の政治体制を重視して、政治体制の異なる相手に対して、様々な形で力を行使することを厭わないという考え方に立っている。しかし自らの力が弱体化したり、力に必要な資源が不足すると、政治体制の異なる相手への対抗姿勢を和らげたり、目標を縮小的に再定義したりして、財政的な規律や戦略的なソルベンシー(リソースの制約に見合った形で目標を柔軟に調節できる裁量)を重視するという例外的な行動パターンも時として見せる。
保守的な国際主義の歴史的な変容の詳細は割愛するが、共和党内では時代の変遷とともに、この保守的な国際主義が二つに分派するとともに、かつての一国主義が復活して、アメリカが世界にどう関わるべきかということについて、先に述べた保守的な国際主義、保守的な現実主義、保守的な一国主義という、おおむね3つの考え方が形成されている。第1次トランプ政権で2018年の国家防衛戦略をとりまとめた元国防次官補代理エルブリッジ・コルビー氏は、共和党内における対外関与姿勢の類型を優越主義者(primacist)、優先主義(prioritizer)、抑制主義者(restrainer)という3類型に整理しているが、筆者のみるところ、保守的な国際主義は優越主義者、保守的な現実主義は優先主義者、保守的な一国主義は抑制主義者の議論とほぼ符合している。第2次トランプ政権は、大統領自身やJ・D・ヴァンス副大統領が抑制主義者で、外交・安保チーム(関係閣僚、ホワイトハウス・省庁の幹部ら)は優先主義者と抑制主義者で混成されるものとみられる。では抑制主義の保守的な一国主義と優越主義者の保守的な現実主義とは、それぞれどのような考え方なのだろうか。
戦略的自律を目指すアメリカ・ファースト―抑制主義者の保守的な一国主義
現時点でのトランプの閣僚指名候補などを見ると、第二次世界大戦以降、傍流化していた一国主義が共和党、そして第2次トランプ政権で勢いを得るように見える。第2次トランプ政権の抑制主義者の中核は、やはりトランプであり、ヴァンスである。国防長官に指名されたピート・ヘグセスや国家情報長官に指名されたタルシー・ギャバードが、上院の同意を得られるかどうかはさておき、両名の対外政策志向は未知数である。しかし、トランプの意向が大きく反映されるといわれる第2次政権の対外政策について、トランプと、対外政策でそれなりに大きな権限と裁量が与えられるのではないかと噂されるヴァンスが、ともに一国主義的な抑制主義の考え方を持っていることは示唆的である。
ではトランプのアメリカ・ファースト流の保守的な一国主義とは、いかなる考え方なのか。抑制主義者は何を追求するのか。以下のようないくつかの側面に目を向けておいた方がいいだろう。一国主義の抑制主義者らの基本的な考え方と、日本を含む同盟国へのインプリケーションを指摘してみたい。
第1に、アメリカが国際秩序を支えることによって疲弊なり消耗するとすれば、それは本末転倒であるという考え方である。別の言い方をすれば、アメリカが国際秩序を支えなければならないという特別な使命を負っているというイデオロギーないし「帝国の神話」としてのリベラル国際主義を放棄しなければ、アメリカの国力を再生することはできないという意識ともいえよう。トランプが民主主義、法の支配、人権といった価値の普及や推進に無関心なのは、百害あって一利なしと考えているからである。トランプは、「ルールに基づく国際秩序」なるものを支えるために、過去の大統領も含むワシントンのエリートたちがアメリカの国家資源をコスト度外視で無原則に浪費してきたばかりか、他国のタダ乗りを許したり、他国に利用されたりしてきたためにアメリカの労働者は疲弊しバカを見てきたという物語を紡いでおり、これまで様々な場面でそうした言説を振りまいてきた。
理念やルール、原則を守ったり普及させたりするといった特別な使命に駆られて国際秩序を守るために、アメリカが他国よりも突出したコストやリスクを負うという考えは、もはや今の共和党政権にはほとんど響かない。それどころか第2次トランプ政権の外交・安保チームは、オバマ・バイデン外交の看板となってきた「ルールに基づく国際秩序を守る」という考え方を忌避する可能性がある。また、国際機関や多国間主義にも否定的なので、国連分担金の支払いを拒否したり、世界貿易機関(WTO)への関与に再び消極的・否定的になる可能性が高い。トランプへの忠誠心が篤いといわれるエリーズ・ステファニクが国連大使に指名されているが、もし承認されれば、国連とグローバリズム批判の先鋒役を担うとみられる。
日本としては、今後も「法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序」の防衛と促進が、対外戦略上の中心的な目標の一つになるだろう。しかし、第2次トランプ政権をエンゲージするにあたっては、これまでの標語をそのまま使うことが適切なのか、中国とアジアを優先化したい共和党政権や議会共和党がそれをどう受け止めるか感触を探るべきで、不要な誤解や反発を生むかどうかの見極めが必要だろう。日本が追求すべきビジョンや戦略的目標を曲げる必要はない。そうではなく、日米協調のロジックをこれまでとは異なる言語やフレームワークで伝える工夫が必要になるかもしれないということである。目指すべき国際秩序という上位概念をめぐって共通言語がうまく見つからない可能性が出てくるとすれば、具体的な政策上の取り組みのレベルで、双方向の実利的な協力関係を確認し強化するフレームワークへと切り替えていくことが考えられる。
第2に、アメリカの平和と繁栄は、他国・他地域の平和と繁栄と切り離して存立しうるという考え方である。これは、自国の軍備を増強し、他国による武力攻撃を抑止する一方で、諸外国とはもっぱら二国間で通商関係を取り結び、貿易黒字を出して商売が繁盛すれば、アメリカは安泰でいられるという、一国主義の核心にある考え方である。それは最近の言葉で言えば、アメリカ版の「戦略的自律性」の追求や、「一国主義的重商主義」の追求を導く。こうした見方は、諸外国の安全保障がアメリカの平和と繁栄に直結していると考え、人権のための連帯や地球規模問題での大国間協調などを重視する、安全保障の不可分性を重視し前提とする民主党の安全保障観とは対照的である。
こうしたアメリカの平和と繁栄の自律性を目指す考え方は、経済の分野では保護主義・重商主義を導くことになるが、最近では、サプライチェーンの安全保障やアメリカ式の「経済安全保障」として政策化されている。諸外国からの輸入品に一律10%の関税を課すとする政策は、アメリカ市場での外国製品の競争力を低下させ、アメリカ企業を国内に回帰させるとともに、国内の生産者とりわけ製造業を振興し、アメリカ製品を国内で生産して消費することによって、他国への経済的な依存度をなるべく低下させるべきという考え方に立っているとみるべきであろう。一方、防衛・安全保障分野では、自国防衛のための軍備増強に向かうとみられる。アメリカ軍の戦力規模は、兵器近代化の先送りとそのしわ寄せなどから漸次縮小してきており、こうした政策的傾向を共和党は批判してきた。他国から攻撃されないほど強大な軍隊を再生させるというスローガンの下、バイデン政権が始めた核戦力の増強を促進するとともに、通常戦力も強化して、特にアメリカ本土のミサイル防衛システムの本格的な強化に取り組み始める可能性がある。ポイントは、アメリカ本土に対する攻撃を抑止し、後述するように中国に負けない戦力を構築するという考え方に立っているということであり、抑制主義者たちにとって、同盟国を防衛することや世界各地にパワープロジェクションできるようにすることがアメリカの国防政策の自明の目的とされるわけではない、ということである。
アメリカの同盟国にとって、アメリカが国益を縮小的に再定義する一国主義の興隆は、アメリカの抑止の信頼性の揺らぎという、深刻な問題を惹起することを意味する。というのも、一国主義のトランプと抑制主義者らはアメリカ兵が命を捧げ、アメリカ人の血税を費消するに値する国・地域などないと考えている可能性が想起されるからである。ウクライナについては、2014年以降の10年の間に、ウクライナのためにアメリカがロシアと全面戦争することは、アメリカの国益に適わないという判断が、エスカレーション・リスクの回避という姿勢に表れてきた。オバマ、トランプ、バイデンに至るまで、こうした姿勢は超党派で存在していることが確認されてきたといえよう。ではトランプは、台湾のためにアメリカが中国との全面戦争のリスクを冒す価値があると考えているのだろうか。トランプからすれば、なぜ台湾のためにアメリカと中国が戦争しなければならないのか、という意識がある一方で、中国に絶対に負けてはならないという意識がもう一方にある。この二つの異なる方向性を持つ意識が、危機が発生した時にどのようにトランプの脳裏をよぎり、彼の判断に作用するのかは分からない。この面での最大の不確実性リスクといえよう。
インド太平洋地域で台湾が中国の支配下に置かれることによって、自国の平和と繁栄が損なわれると考える国々、特にアメリカの同盟国の政治指導者たちは、一国主義の考え方をもつトランプと、インド太平洋地域の安全保障について話し合う際に留意すべき点がいくつかある。まず「中国による台湾の武力統一によって自国の安全保障が大きく損なわれる」などといったメッセージは全く通用しないばかりか、それが嫌なら自分でなんとかしろ、といった反発を招く可能性が高い。次に、前述の通り、もし中国が台湾を武力統一したら国際秩序が崩壊するであるとか、権威主義が広がるなどといった、秩序や価値に訴えるロジックも響かないので、使うべきではない。むしろ、アメリカが台湾を守れなければ、世界はアメリカを大国とみなさなくなるばかりか、負け犬とみなすような風潮が世にはびこると説くべきであろう。トランプは習近平に対するバーゲニングパワーを決定的に失って、多くの国が21世紀は中国の世紀だとみなすようになるので、アメリカは中国に負けないために、そしてトランプが習近平に対するバーゲニングパワーを最大化するためには、同盟国やパートナー国を支援して協力関係を強化すべきだ、といったメッセージを送る方が効果的であろう。
第3に、トランプは二つの意味において非戦主義者の可能性がある。一つめの意味は、利害の不一致があるからといって武力に訴えるのは愚かだと考えている可能性がある、ということだ。たしかに第1次政権期には、シリアに巡航ミサイルを撃ち込んだり、イランの革命防衛隊司令官を暗殺したり、北朝鮮を武力で威嚇したりした。しかし、これらはいずれも格下の相手に対する恫喝であって、大国間戦争や長期的な大規模武力紛争を覚悟した振る舞いではない。世間の抱くトランプのイメージは、何をするか分からないというものであり、戦争を避けるどころか、自分から戦争を仕掛けるのではないか、という不安を蔓延させるようなものかもしれない。非戦主義者にとって死活的に重要なのは、「自分は最後に降りる」と思われない事であり、だからこそ予測不能性や不確実性は、ディーラーたるトランプにとって不可欠なレバレージの源泉である。おそらく不動産取引その他の経験を通じてこうした事を学んだものと思われる。トランプには、「押して押して押しまくってディールを勝ち取る」という行動様式が基本にあるといわれ、大国相手の威嚇の延長線上に実は必ずしも武力行使があるわけではないというところに、安全保障という観点から見た軍の最高司令官トランプの危うさがある。換言すれば、トランプが危ういのは、彼が予測不能だからではなく、大国相手だと、敗けていないと言える範囲内で最後はディール(妥結)を目指し、思い通りのディールを得られない場合に、本人の望まない武力衝突に突入せざるを得なくなるリスクをどこまで自覚しているか分からないところにある。
いまひとつの非戦主義の意味は、他国(同盟国)のためにアメリカ人が戦争で多大な犠牲を払うべきではない、というものである。これはアメリカの平和と繁栄は他国のそれと切り離して存立しうる、という一国主義の基本的な考え方から導かれる命題でもある。同盟国やパートナー国に対して、アメリカに防衛してもらいたいのであれば、見返りをアメリカに提供し、防衛支出を増額させ、一定程度侵略を跳ねのける防衛力を自助努力で整備すべきだという議論が出てくるのは、そもそも相手国を守るということが自明の前提ではないからである。
アメリカの同盟国は、その大半が第2次トランプ政権による防衛支出増の要請を注視しているとみられる。一国主義の観点からすれば、そもそもアメリカが国力を激しく消耗しなければ守れないような国は、そもそも防衛対象にすべきではないということになる。換言すれば、アメリカが甘受可能なコストとリスクで守れる国は防衛対象としうるが、そうでなければ防衛対象としない、ということである。「弱い同盟国」は足手まとい、「強い同盟国」はともに敵に立ち向かえる相手とみなす。端的な表現をすれば、こういうことになろう。そして、「弱い同盟国」と「強い同盟国」の境界線こそが、防衛予算の対GDP比のパーセンテージということになる。対GDP比2%未満のNATO加盟国は、ロシアに侵攻されるなりすればいいという発言は、こうした意識から出てきた発言だと考えられる。ポイントは、トランプや抑制主義者にとって、同盟条約を結んでいるかどうかは大きな意味はなく、そもそも中国への対抗で役に立つのか否か、そしてアメリカが甘受可能なコストで守れるかが、同盟国に対するアメリカの防衛コミットメントの判断基準となるべきだと考えられているということである。したがって、防衛予算の対GDP比をクリアするかどうかは、その国に対するアメリカの防衛コミットメントの有無や強さを左右する重要な意味を持つため、この可能性を前提として打つべき手を打つ必要があろう。
アメリカの同盟国としては、上記の二つの意味で、非戦主義がトランプの本質であるとするならば、現状維持勢力の中核たるアメリカがこれまで発揮してきた抑止力の信頼性そのものにかかわる深刻な問題となり、つまるところ安全保障が立ち往かなくなる。ところがこの非戦主義は、平素から常に表面化するわけではないので、いきなり同盟が危機に瀕するわけではない。むしろインド太平洋地域では、以下に見る共和党の対中強硬路線が前面に出てくることによって、平素はトランプの一国主義が覆い隠されていく可能性がある。あるいは、一方で第2次トランプ政権の外交・安保チームが対中強硬姿勢を出し、もう一方で台湾や中国との関係についてトランプが一国主義をにじませる宥和的な発言をすることによって、政権から一見して相反するかのようなミックスされたシグナルが発せられ、諸外国から見ると、トランプ政権の真意や方向性がどこにあるのかが分かりにくくなったり、混乱したりする可能性もある。
中国に対抗する「力による平和」――優先主義者の保守的な現実主義
前述の通り、トランプの一国主義は、アメリカのプライマシーを彩った対外関与の指導理念であるリベラル国際主義やグローバリズムを否定し、アメリカの国益を狭く定義して、これまでのアメリカの対外関与を見直そうとするものである。一部の対外政策については、これまでの取り組みを大胆な形で転換する可能性があることは方々で指摘されてきた。
他方でトランプは、弱く見られたくない、あるいはアメリカが最強の国であるとみられることに強いこだわりを持っていることが、これまでの言動から明らかである。また、第1次政権期に新型コロナウイルスを撒き散らしたのは中国で、そのせいで再選を逃したという怨嗟の念を抱いているともいわれる。トランプは、かねてから「力による平和」と言い続けてきたが、それは世界各地で影響力を振るうアメリカというイメージではなく、軍事力、経済力、技術力で世界ナンバー1の地位を保持し、世界最強の軍備で他国による自国への武力攻撃を抑止するというのが一義的な意味合いであろう。また同時に、力の面でアメリカを追い抜こうとしている中国に対抗するという意味合いがある。この点は、中国に対する厳しい体制批判で知られるマルコ・ルビオ共和党上院議員を国務長官候補に指名したり、比較的早い段階で米中両国は冷戦に突入したと喝破したマイク・ウォルツを国家安全保障問題担当大統領補佐官に指名していることに顕れている。
また、こうしたトランプの中国への対抗姿勢は、共和党内で大きな共鳴を呼ぶものであり、第2次トランプ政権の外交・安保チームには、前節でみた抑制主義者だけではなく、厳しい対中強硬姿勢をとるべきとする優先主義者も入る可能性がある。共和党内の優先主義者が中国に対して強硬姿勢をとるのは、彼らが保守的な現実主義と呼ばれる考え方をとっているからだと考えられる。この代表格は、前述したコルビーであろう。(なお、いまや亜流化した共和党内の保守的な国際主義は、個人の自由や人権といった理念や価値を基調とする国際秩序を支えるのに必要な軍備増強を進めたり、同盟を通じて現状を防衛したり、自由貿易を促進するという考え方で、大規模な国家資源を投入しなければならない。このためアメリカが優越的な地位(プライマシー)にある時にしか実践できない。それ故に、保守的な国際主義を信奉する優越主義者は非主流化している。)
保守的な現実主義は、理念や価値ではなく、力という観点から国際関係を捉え、アメリカの戦略を構想する。優先主義者は、一方で優越主義者の路線によってアメリカが疲弊した結果、対外関与に割ける力が限られてしまっているとの認識から出発する。他方で、その限られた力は、まさに力の面でアメリカを追い上げ、アメリカの繁栄と発展にとって死活的に重要なインド太平洋を支配する力を手に入れて地域覇権をとりかねない中国に向けられるべき、ということになる。優先主義者が抑制主義者と決定的に異なるのは、インド太平洋地域がアメリカの発展にとって死活的に重要、という前提を有している点である。抑制主義者は、アメリカの繁栄は他の国・地域と切り離して存立しうるという前提に立っているため、他国・他地域の安全保障に対して本来的に無関心でコミットもしないが、優先主義者は力の源泉としてのインド太平洋でのアクセスをめぐって、2番手の大国たる中国と競う。アメリカが世界最強の国でいることが目標とされるが、それは国際秩序全般を支えるためではなく、アメリカが他の大国よりも国力で秀でている状況を保つためである。
こうした優先主義者の考え方は、何通りかの政策として顕現していく可能性がある。第1に、優先主義者はインド太平洋を優先すべく、ロシア・ウクライナ戦争や中東紛争の終結を後押しする可能性がある。これが実際にうまくいくかどうかは未知数であるが、地域紛争への不関与・非介入を志向する抑制主義者と立場が合致するため、政権内で抑制主義者と優先主義者が政策連合を形成すれば、欧州と中東における紛争の終結に向けた取り組みが進められる可能性は高くなる(ただし、ロシア・ウクライナ戦争では仲介による停戦を目指すのに対して、中東紛争ではイスラエルによる何らかの「勝利」という形での終結を目指すかもしれない)。インド太平洋におけるアメリカの同盟国としては、目下中国と周辺国との軍事バランスが後者に不利な形で悪化しているため、またインド太平洋軍司令官サミュエル・パパロ提督がブルッキングス研究所での講演でウクライナとイスラエルへのミサイル供与がインド太平洋地域への米軍の即応態勢を劣化させていると指摘していることもあり3、アメリカがオバマ政権以来やると言ってきたピボット(戦略的転回)を実現すれば、それは戦略的に好ましいとみることもできる。ただし、それは欧州と中東での紛争の終わらせ方次第という面もある(この点は稿を改めて論じたい)。
第2に、中国への対抗という観点から、インド太平洋における同盟国との防衛協力やパートナー国との安全保障協力が重視される可能性がある。インド太平洋のアメリカの同盟国としては、アメリカが対中抑止力を同盟国・パートナー国とともに強化していくことは好ましいが、第2次トランプ政権のインド太平洋戦略は、第1次政権時のように、経済・技術分野などで地域諸国に踏み絵を踏ませる姿勢が前面化し、再び対抗と分断という側面が前面化する可能性もある。バイデン政権のインド太平洋戦略は、対中競争という要素が中心にあったものの、その主眼は「ラティスワーク」と呼ばれた、地域諸国との多層的な安全保障ネットワーキングと地域秩序の強化にあり、地域諸国は比較的付き合いやすかった。しかし、第2次トランプ政権が経済安全保障という名の下にアメリカ側か中国側かという選択を迫るような姿勢を再びとるとすれば、かえって東南アジア諸国などとの地域安全保障協力を損ないかねないため、注意が必要である。
第3に、同盟国との防衛協力が進められる一方で、自衛のための努力の強化、すなわち防衛支出の増額やアメリカからの兵器購入等は、同盟国に対する重要な要求となる可能性がある。トランプら抑制主義者だけでなく、優先主義者らも、アメリカが同盟国・パートナー国を防衛する場合、その同盟国・パートナー国が侵略を跳ねのける能力と意思を持ち、アメリカが甘受可能なコストでそれらの国々を防衛できそうであれば守る、という考え方で、中国という大国を抑止するためには生半可な自衛努力では足りない、というシビアだが真理を突く見方を持っている。日本や台湾は、対中抑止の前線国家であるので、アメリカに求められて防衛予算の水準の適否を検討するのではなく、自らの見積もりを不断に精査し、必要に応じて見直していく必要があろう。なお、対米貿易黒字を出している同盟国は、経済的な一国主義から派生する貿易不均衡の是正というアジェンダの下で、中国などと同列に扱われて追加関税その他の圧力に晒される可能性もないとはいえない。第2次トランプ政権は日本に対し、一方で防衛協力を促進しつつ、他方で防衛予算等の増額や貿易黒字の削減を求めて圧力をかけるかもしれないが、これは本稿で論じてきた「一国主義」と「反中国」に根差した取り組みが並行的に展開されるためである。第2次トランプ政権は、全体としてみれば日本を重要な同盟国として扱うとみられ、上記のようないくつかの懸案は政治的に乗り越えられない問題ではないという慎重な楽観を今のところは持てる。しかし、第2次トランプ政権が、対日関係を重視するのは、必ずしも日本が価値や国際秩序観を共有する同盟国だからという理由からではない、という点を見落とすべきではない。中国への対抗でどこまで役に立つのか、アメリカが甘受可能なコストで防衛可能なのか、アメリカ人労働者や中間層に経済的恩恵をもたらす通商関係を持てるのかといった点が、第2次トランプ政権にとって重要な意味を持っていることを意識した対米エンゲージメントが必要になる。
トランプ・リスクはどう顕れるか
第2次トランプ政権では、一国主義の抑制主義者と、反中国の優先主義者の双方が、時として相矛盾するメッセージやシグナルを発したり、政策を展開したりする可能性がある。大統領はトランプであるし、忠誠心の強い人物を任用するので、政権の本質は一国主義であるとみることはできるかもしれない。しかし、前述の通り、トランプは中国との大国間競争で敗けるような事態の展開は受け入れないし、トランプが弱いと映るような行動もとらないため、そこに優先主義者たちが政権で生き残る余地が生まれる。したがって重要なのは、抑制主義者の一国主義のシグナルや政策、優先主義者の対中強硬のシグナルや政策、いずれか一方だけを見て、政権があたかも一枚岩であるかのような解釈を安易に導かないことで、政権のとる政策や言動の解釈には細心の注意を払う必要がある。
また、抑制主義者の路線と優先主義者の路線は、地域によって顕現の仕方が異なることは言うまでもない。優先主義者の路線は、欧州ではロシア・ウクライナ間における停戦のための仲介外交の試みや、NATO欧州諸国による防衛負担増の要求として顕れる。中東ではイスラエル支援によるイスラエル優位の下における「紛争決着」と、イスラエルによるイラン封じ込めの追求として顕れる可能性がある。ところがインド太平洋地域では、中国に軍事的・経済的に対抗するとともに、同盟国・パートナー国との協力強化を通じて中国に対抗する政策を展開する一方で、一国主義の発想に立って、アメリカによる同盟相手やパートナー国の防衛を自明の前提とせず、これらの国々に対して防衛予算の大幅な増額やアメリカによる防衛の見返りを求めたり、関税を課したりする。同盟国・パートナー国との協力を進めつつ、圧力をかけながら各種の負担増を求めるという、一見して矛盾する行動をとるのは、一国主義と反中国の考え方が交錯するからである。やや逆説的かもしれないが、日本が最大の安全保障上の挑戦相手とみなす中国が、アメリカに軍事、経済、技術、政治上の最大の脅威とみなされているという構造が存在しているために、アメリカから見た同盟国としての日本の戦略的価値は高くなり、日本はアメリカの防衛協力の対象とされて安全保障上の利益を享受して、それゆえに一国主義に由来する「見捨てられる恐怖」が若干緩和されると見ることができる(お隣の韓国が第2次トランプ政権に「見捨てられる恐怖」に覆われつつあるのは、3番手ないし4番手の脅威たる北朝鮮に対抗する同盟国で、トランプにとって重要な中国への対抗という文脈における韓国の戦略的価値が潜在的に高くないと、韓国自身が自覚しているからかもしれないが、トランプが北朝鮮の脅威が高いという認識を示して姿勢を強硬化させれば、韓国の「見捨てられる恐怖」は低減するかもしれない)。こうした構造があるため、日米2国間の懸案への対処は、実務的には多大な労力を要するであろうが、政治的には管理可能な問題であると考えられる。
むしろ最大のトランプ・リスクは、日米2国間の問題ではなく、台湾危機が発生した時に、トランプがどのような判断を下すかという問題から生じるだろう。危機発生前は、反中国の優先主義者の路線が前面に出ており、トランプも自らのレバレージを最大化すべく、強硬さと予測不能さぶりを盛んにアピールするので、危機が発生すれば、毅然と対処するのみならず、過剰反応するのではないか、という懸念すら持たれるかもしれない。このとき、抑止の信頼性が揺らいでいるようには見えないだろう。しかし、もし習近平がトランプは台湾のために中国と戦うつもりはないだろうと判断して抑止が破れた時にトランプがどう反応するかは、おそらく本人も分かってない(台湾有事のリスクについても稿を改めて論じたい)。日本は、こうした危機が生じないようにするために何ができるのだろうか。
一方で第2次トランプ政権の優先主義者と協力して、一国主義のシグナルを相殺するための具体的な手立てを考案する必要があり、この観点から同盟諸国全体(whole-of-alliance)による抑止のための総合的な対中戦略的コミュニケーションが死活的に重要になる。他方で第2次トランプ政権による同盟国や台湾への防衛コミットメントを強化するための対米外交を組織的・多角的に仕掛けて、たとえ限界はあるとしても、地道にアメリカによる同盟国への安心供与を積み重ねていくことも同程度に重要になる。こうした最低でも二通りの大きな取り組みをどのような具体策として実施すべきか、これまで想定されてこなかったシナリオについても突っ込んだ議論を行うとともに、危機管理について本格的な検討を加速する必要がある。
(了)
- 拙稿「一国主義と国際主義の相剋―分裂するアメリカと日本の役割」『外交』第85号、2024年5・6月、6-13頁をご参照いただきたい。(本文に戻る)
- 詳細は拙稿「リベラル国際主義への挑戦―アメリカの二つの国際秩序観の起源と融合」、『レヴァイアサン』第58号、2016年4月、23-48頁をご参照いただきたい。(本文に戻る)
- A conversation with Commander of US Indo-Pacific Command Admiral Samuel Paparo, Brookings Institution (November 19, 2024) <https://www.brookings.edu/events/a-conversation-with-commander-of-us-indo-pacific-command-admiral-samuel-paparo/> accessed on November 23, 2024.(本文に戻る)