民主党左派とカマラ・ハリス:
「擬似サンダース政権」継続圧力と予備選の洗礼なき指名の功罪
渡辺 将人
昨日までハリスの悪口しか言ってなかった民主党関係者が鮮やかなまでに一転して、ハリスが最高の大統領候補だと言い出したことは諸外国に戸惑いを与えている。ハリスがバイデンの手前、有能さを隠していたのか、ハリスの魅力に突然民主党とリベラル・メディアが目覚めたのか。一糸乱れぬ「切り替え」は唖然とするほどのものだ。だが、カマラ・ハリスへのバイデンからの大統領候補「禅譲劇」、いわばハリス一本化とハリス盛り上げ(ハリスをめぐる否定的言説のタブー化)は以下の3つの理由により成立している。
- バイデンを最後まで支え続けた左派の民主党ハイジャック継続の計算
- 打倒トランプの接着剤効果(特に暗殺未遂による神格化とヴァンス指名)
- 予備選なし本選からの突如スタートによる全党およびメディアでの盛り上げ
先入観を排除しておく必要があるのは、候補者個人の実力と誰が候補者として民主党(あるいは党内イデオロギー的、政策的に多様な各派)に利益になるかは別問題だということである。この段階でハリスを候補にすることが「利益」になると考えればハリスを全力で推す。それはハリス個人の能力が急に高まったことも、周囲のハリス評価が逆転したことも意味しない。「支持」という日本語が米報道や世論調査のニュアンス理解をやや曇らせることがある。元大統領など大物政治家の支持はendorseと表現されるが、党事としての「是認」である。有権者も何らかの政治的な計算に基づいて相対評価で「選択」(支持)しても、それは必ずしも「情熱的に好く」ことと同義ではない。候補者個人への高評価や賛美と、党内のライバルや敵対政党との相対的選択で(渋々でも)11月に誰に投票するか(棄権するか)の回答は別である。
これが土壇場で投票率に関係してくる。候補者の魅力で上積みできない場合は、敵候補を悪魔化するネガティブキャンペーンで恐怖を煽る。そうすれば見た目の「支持」も高まる。トランプがヘイリーのような人物ではなく、白人男性のヴァンスを選ぶのも、ハリスの人種を「急に黒人になった」といじるのも(本稿末尾で解説)、ハリス陣営には短期的には好都合だ。
バイデンおろしの背後にあった左派と中道派の最終戦争
バイデン撤退の引導を渡す背景で何が起きていたのか。筆者が関わる民主党内のリベラル派と中道派(穏健派)の双方のネットワークでは立場が明確に分かれていた。
バイデンに撤退を求めた連邦下院議員団のリストを見れば一目瞭然だが、カリフォルニア州のアダム・シフやマサチューセッツ州のセス・モルトンを筆頭にほとんどが中道派議員である。若手「新世代左派」はもとより、古参のリベラル派の有力議員も誰も名前を連ねていない。風前の灯の中道派としては、中道派としての自我を完全に失った左派のロボットのようなバイデンを排除し、できることならば中道派の候補に置き換えることでサンダース派の民主党ハイジャックを押し返すことが悲願だった。
他方、リベラル派、特にバーニー・サンダースを親分とする格差対策派とオカシオ=コルテスら「新世代左派」に結集するアイデンティティ政治派の若手の急進左派連合が望んでいた第一選択はバイデン続投だった。そして最後までバイデンを支持し続けた。理由は単純で、このバイデン政権は「擬似サンダース政権」あるいはサンダース派にリモコンで操作されるラジコンのロボットのような左派政権だからだ。かつての穏健・中道派政治家としてのバイデンはもういない。
なぜなのか。時計の針を2020年民主党予備選に戻す必要がある。あの予備選は左派の大快進撃だった。サンダースかウォーレンが指名に王手をかける中、慌てて穏健派が黒人を抱き込んで、半ば引退状態だったバイデンを無理やり担いだ(バイデンは初戦のアイオワでもほぼ最下位)。バイデンは左派がサンダースとウォーレンで割れたことに救われただけだ(2016をサンダースに譲ったウォーレンの番だったのにサンダースが約束を破って出馬したことで、「中道派による左派潰しの策動」説まで出た)。左派が1本化していたら指名を取れていなかった。
本選でトランプに悠々と勝てるメドがなかったバイデン陣営は、党大会前にサンダース陣営に半ば脅迫される。サンダースが「バイデンを支持するな」と一声かければ支持者の左派の若者は本選で「棄権」する可能性をほのめかされた。2016年民主党大会ではサンダース支持者が「ヒラリーは嘘つきで大統領になればTPP賛成に戻る」と異例の妨害キャンペーンをして足を引っ張った。そのトラウマからサンダース支持者の離反シナリオに震え上がったバイデン陣営は、気候変動対策、格差対策、政権へのマイノリティ起用(女性マイノリティ副大統領候補)など、サンダース陣営の左派的なアジェンダ要求をほぼ丸呑みした。政権発足後も忠実にその路線を守った。
左派バイデン支持はハリス支持を前提にした「時間切れ狙い」
カマラ・ハリスはサンダース派が創造した副大統領のようなものである。ハリスが左派を満足させる候補だったのは、女性で人種的少数派だったからだけではない。政策的に日和見で強い信念がない点が好都合だった。2019年にハリス上院議員が大統領候補下馬票に上がった時、初動の主な党内支援者は中道派だった。ハリスがビル・クリントン的にビジネス寄りだったからだ。そのため「Moderate 穏健中道派」の印象が当時は強かった。しかし、社会政策では「Progressive リベラル」な色彩が強く、米メディアは彼女のイデオロギー的な色付けに困っていた。
ハリスを形容すれば「純粋にカリフォルニア州の選挙区の色を反映することに忠実」な政治家だった。サンダースのメディケア・フォ・オール(シングル・ペイヤー制度:山岸論考参照1)に当初賛成しつつ、保険会社の利益が損なわれると分かると尻すぼみになり、外交安保や対中政策に関心がないものの、シリコンバレーの献金筋やハイテク産業の利益を損ねると分かると部分的に知財では対中強硬になった。全国レベルでの選挙ではアイオワにも到達できず予備選で1勝もあげられなかったハリスだが、カリフォルニア州の上院議員としては(選挙に弱く人望がないからこそ)忠実な日和見戦略でポジション取りをしてきた。政治的な力関係や貸し借りだけで動くこの信念のなさは、左派がリモートで操作するには絶好だった。事後にどうでも色付けして盛り立てることもしやすい。
さらに、2021年の別稿2で述べたように、バイデン大統領は女性大統領を誕生させることで党内女性からの敵視を解消することを悲願としていた。今回の展開は大統領職までは譲らず候補者の立場を譲るものだが、事実上筆者が指摘した「シナリオ3」(ハリスへの禅譲)に近いものだ。
もちろん、バイデン個人がハリスに譲ると決めたところで正式な候補に指名することはできない。大統領職は大統領の辞職で自動的にバトンタッチもできるが、政治外交上の混乱が激しくなるし、早期に禅譲すると党内のハリスへの挑戦にチャンスを与えてしまう。また、突然降ってきた大統領職と選挙キャンペーンの両方をハリスに強いることになる。穏健派が望んでいた「ミニ予備選」を阻止し、ハリス一本化に持ち込むには「時間切れ」を狙うのが一番だった。バイデン個人の降りない頑固な姿勢と左派の堅固なバイデン続行支持はある程度まで阿吽の呼吸だった。岩盤支持があるトランプ相手に政治人生のリスクを取りたくない党内有力候補たちが2028年を見据えていたことも追い風になった。「どうぞ今回はハリスで、仮にハリス政権になっても4年後にリセットすればいい」という計算だ。
自力で予備選に勝ち上がったわけでもなく、長年の実績があるわけでもない「バイデン=ハリス政権」のハリスは、産みの親のバイデンには頭があがらない。バイデンは自分を大統領にしてくれた左派に頭が上がらない。だからハリスも左派には逆らえないはず、と左派は考えた。バイデンは外交安保にもかつては信念があり、発作のように自我を発露することがあったが、ハリスであれば完全に操縦できるのが左派の見立てである。前日まで「バイデンを支えよう」と唱和しあっていた左派系のオンライン会議で、さあハリスを応援しように切り替わる様は「鮮やか」以外の何ものでもなかった。さあ、無事に中道派の介入を阻止できた、引き続きハリスをテコに党内左傾化に邁進しようという高揚感に満ちている。
トランプ=ヴァンス政権阻止の接着効果
だが、サンダース陣営との妥協なしには2020年に勝利できなかったバイデンほどにはハリスは左派に直接的な恩義を感じておらず、バイデンほど左派の言いなりにはならないという説もある。そもそも左派にとってバイデンに比べればハリスは理想の候補ではなかった。平時であれば、別の候補に切り替えたかった対象だ。特に民主党の有力女性政治家とそのスタッフの間でのハリスの評判は最低だった。その根底の評価自体は変わっていない。ハリスはさまざまな宿題をバイデンに与えられたが、上手にこなせずその都度「ホワイトハウスのクローゼットにまるで幽閉されるように」、通常の副大統領がそうであるように「無任」に置かれてきた。急激に成長する要因はさほど多くない3。
しかし、相手はトランプである。筆者が再三述べてきたように「トランプを止める」ためなら悪魔にも魂を売る覚悟を決めているのが、今の左派である。イスラエルによるガザ攻撃への反対デモが起きても反戦候補を担がず、バイデンを支えた左派はトランプに勝つためには党内分裂できなかった。当然、ハリスを支える。割れている場合ではないからだ。暗殺未遂後のトランプは共和党内でまるでキリストの復活のように神格化されている。J.D.ヴァンスはトランプ支持者の結晶のような人物で、大統領候補の欠損を埋める通常型の副大統領候補の人選ではない。自分の支持者を体現した人物を副大統領候補に選んだ。逆説的だが、トランプはトランプ支持者の要求を敏感に再現するプロで、トランプ自身は必ずしもトランプ支持者的な人物ではない。「トランプ支持者の代表」のような人物を持ってくることで、共和党の「トランプ党」完成化を選んだ。そのトランプ陣営を前に民主党は割れている場合ではない。ハリスを支えるしか方法がない。
予備選をバイパスして党の本選マシーン駆動へ
注意しておきたいのは、二大政党のアメリカにおいては、一度指名候補が見えてくれば、党は自らの候補を全力で推すシステムになっていることだ。1988年のデュカキスや1984年のモンデールのような地滑り的大勝を共和党に許した脆弱な民主党の候補でも、キャンペーン中はさも勝利するかのような盛り上がりだった。
特定の候補者の「素の」党内人気や実力は予備選で測られる(どの候補が好ましいかのレース)。本選は敵対政党政権を阻止するためのレースで、自党の候補の魅力評価ではない。だから2016年のトランプ勝利の本当の「事件」は、共和党の指名獲得であり大統領になったことではなかった。一旦、党の指名候補になれば、トランプが嫌いでもヒラリー憎し、民主党政権阻止で、献金筋も保守メディアも保守政策シンクタンクも「組織マシーン」が自動的にトランプ支持に動き出す。党の組織力で、本選は五分五分の戦いにまでどんな候補でも引き上げてくれる。
これと同じことがハリスに起きているに過ぎない。資金も流れ込むし、リベラル・メディアは全力で盛り上げる(ハリスが好きだからではなくトランプを阻止したいだけでも、そうは見えないように魅力を語るのが民主党系パンディットの腕の見せ所)。アメリカ最強の選挙コンサルタントとスピーチライターがバックアップし、民主党の過去の大統領陣営の凄腕が参加するのは自明の展開だ。かように、本選になってしまうと、候補者個人の実力は可視化されなくなり、そこを曖昧にして党の総力戦に持ち込む。「現職」とはいえ副大統領に過ぎず、予備選の洗礼も経ていないが、党の総力でこれを覆い隠そうとしている。いくら古参の女性民主党員がヒラリーへの想いからハリスに不満があったとしても、女性で人種マイノリティの大統領誕生が目前に迫れば、「夢」は近づく。バイデンに比べれば大きな若返りだし、マネジメント能力に問題はあっても体力があって俊敏で若い。予備選におけるライバルからの攻撃や献金の分散を避けられたハリスは、資源面でも党の結束演出でも、通常の指名獲得レースでは得られない近道の利得を享受できた。
その意味では、この程度の支持率上昇には不安も感じる。フレッシュな若返り、女性大統領の悲願に王手で、もっともっとフィーバーして然るべきではある。バイデンが「無事に」降りて候補が刷新されたにしては、トランプ陣営を圧倒する引き離し力への不安も党内にはある
ハリスを輝かせる善良なミネソタ・リベラルの元教師
ここを副大統領候補に指名されたミネソタ州知事のティム・ワルツがどう補完できるのかが一つの鍵になる。本来ならばハリスより圧倒的な知名度と有能さを兼ね揃えたスーパー副大統領候補で、ハリスの実力不足をカバーしたいところだが、極端にハリスより知名度があり有能すぎると、大統領候補の未熟さをかえって際立ててしまう。シャピロ・ペンシルバニア州知事はハリスの夫と同じユダヤ系で、イスラエルとの関係でも「過剰」な選択だった。
ワルツは貫禄ある風貌で得をしている。若手のハリスを優しく支える父的なイメージだが、実はハリスとはほぼ同い年コンビ。まだ60歳で4ヶ月前までハリスと同じ50代だった(59歳)。極めて地味だが、堅実で善良なアメリカ人を絵に描いたような人物で、夫婦揃って教師出身だ。州軍の退役軍人(GI世代の父は朝鮮戦争従軍者)、大統領選挙運動(2004年ケリー陣営)に草の根で参加して連邦下院議員、そして州知事へ。市長や州知事にはもってこいの経歴だ。下院の委員会では退役軍人、農業を代弁した。しかし、ビジネスや外交安保には不安も残る。
ミネソタ州は「中西部の保守文化を体現しているが、党派的にはマイルドにリベラル」という、民主党には実はいい塩梅の州である。激戦州の中では、極左に近いポール・ウェルストーン、アル・フランケンなどの連邦上院議員を輩出したこともあり民主党優勢の伝統があるが、全州的に北欧スカンジナビア系白人比率が高い牧歌的な農村州で、キリスト教への信仰心やハンティング目的の銃所持支持も強い。
だが、ミネソタは、シカゴ都市部や南部州ほどには黒人や移民、マイノリティとの利益抗争や確執が、等身大の生活空間にない(ただ、ミネアポリスなど都市部では人種的緊張が近年は起きている)。だからこそこの白人多数州のリベラル派は寛容性が強く、かえって社会争点で大胆に人種マイノリティに寄り添う傾向もある。筆者はミネソタ州で地元大学に通いながらラジオ局(州境のNPRウィスコンシン支局)でローカル取材をしていた頃にミネソタ・リベラルの地元政治家に多数親しんだが、彼らはキリスト教信仰には敬虔で銃も所持しているのに、人種差別反対で人工妊娠中絶や同性婚にも部分的に理解を示す。まさにワルツである(ワルツはかつてNRA全米ライフル協会の支援を受けるなど、銃所持の権利擁護派だった)。この辺りの、キリスト教に敬虔で銃が身近な文化なのに、社会問題では博愛的でリベラルというミネソタ特有の雰囲気は、レニー・ゼルウィガー主演『New in Town』(拙著『アメリカ映画の文化副読本』日本経済新聞、2024年. 参照)に余す所なく描かれている。
カリフォルニア州のハリスを中和させるには「ハートランド」の農村のアメリカを体現する(しかしリベラル)ミネソタ・リベラルのワルツはもってこいだった。ただ、政治家としては同じミネソタ出身だったモンデール副大統領(元駐日大使)を彷彿とさせ、強いカリスマには欠ける。ハリスが輝くにはちょうどいい補完役だが、ハリスにもしものことがあった時に大統領になることが想像できるかといえば賛否はあろう(ただ、それはヴァンスについても同じ意見がある)。偉大でなく普通の国でいい、「善良」であれば、という今のアメリカの若い世代の左派には受ける堅実路線で、「MAGA」派の「偉大なアメリカ」とは正反対だ。しかし、もしこれが「弱いアメリカ」と受け止められれば、目下の国際情勢においてはリスクを感じさせるマイナス要素にもなる。
謎の強運、向き合いたくない人種問題、予備選の洗礼なき脆弱性
冗談のような話だが、ハリスの最大の魅力と多くの民主党関係者が陰で言うのは、「強運の持ち主」であることだ。いわゆる「持っている」人物だ。大統領にまで上り詰めるにはどこかで運の作用がある。予備選からスキャンダルまみれも第三候補に助けられたビル・クリントン、青年期から幸運の連続でイラク戦争にも「運よく」反対していたオバマ。もちろん、1期の間に3回も最高裁判事指名のチャンスを得て、耳をかすった銃弾からも命拾いしたトランプも特別な運に恵まれている。
ヒラリーは大統領夫人になり連邦上院2期目手前ぐらいまでは、夫婦仲は別として政治キャリアは順調だったが、それ以後は賛成していたイラク戦争の泥沼化、ダークホースのオバマ台頭、TPPの政治化、サンダース台頭、トランプ出現と不運の連続だ。大統領になるために積んできた長年の経験を考えると、まるで「なるな」と神に言われているかのようだった。ここまで「持ってない」人はいない。仮に勝利してもこんなに「持ってない」人の政権やアメリカの運営だと何か不幸が起こるのではないかと占い師のようなことを言う民主党の幹部すらいた。
その点、2020年民主党予備選でアイオワ前に撤退し1勝もできないまま陣営を空中分解させ、人望も薄く元側近にリークされてばかりのホワイトハウスで、政策的な主な成果もない人物が、副大統領になれただけでなく今こうして大統領候補になってしまった。しかも、今回は4年前と違って予備選すらなかった。自動的である。大統領が死亡したわけではない状況で、稀に見る楽さで大統領候補になった例外である。2020年大統領選民主党予備選を含め、彼女は自力ではカリフォルニア州の外では1州も勝利したことがない(今回は本選だけなので党のマシーンが全て助けてくれ、有権者はハリス個人への評価ではなく「トランプ憎し」で投票してくれる)。
「持っている」と言わずしてなんであろうか。「カマラに任せるとなにかの神風が吹くのかも」という妄想的な空気すらあるのも事実だ。実力評価が高くても「風」に一切恵まれず大統領にはなれなかった有力女性候補を抱えてきた民主党としては、「運も政治家の実力のうち」という現実とハリスの明らかな実力不足の不均衡の不安のはざまにいる。とにかく今はトランプを阻止し、大統領になれば「ポストが人を育てる」だろう、と希望的観測で頭を切り替えている。ハリスの当面の仕事は「トランプ勝利を阻止する」ことで、優れた大統領になることではない。それは今、期待されていることではない。
案の定、ハリスの能力問題は党内では語ってはいけないタブーとなった。少し前までワシントンで会えば「ハリスが機能していない」と悪口だらけだった民主党のこの様変わりのカラクリはこうした事情にある。演説や世論調査でハリスが突如成長したように見えるのであれば、それは民主党戦略家の見事な「成功」である。
そしてもう一つ。厄介なのが、ハリスの人種とルーツの問題である(黒人なのかインド系なのか問題)。どこかで2008年のオバマの「人種演説」のような機会を設けてハリス自身が総括するか、逃げ切れるか、民主党としては不安材料だった。こうした人種アイデンティティ問題は、メディアも対立候補も手加減してくれる民主党内の予備選過程で告白し、議論し、解決するのが最善で、オバマもそうした。投票まで僅かな時間しかない本選期間に「アイデンティティ正体不明」問題を持ち込むのは、手加減をしない共和党からの「実弾」攻撃にさらされ、言い訳をしているうちに時間切れになるし、TVディベートの奇襲ネタにもされやすくなる。ろくなことがない。ところが、飛んで火に入る夏の虫。トランプが誘い込まれるように「ハリスは突然黒人になった」と自ら先陣を切ってネタにしたことで、そのことを話題にすることは「人種差別」だとラベルを貼って撃退できるようになった。当面、民主党はこの方法で逃げ切る。
しかし同時に、それはアメリカの本当の多様性とハリスの多元的ルーツの魅力共有には不幸なことだ。また、アメリカは本当の多様性の受け入れから遠ざかったとも言える。マイノリティの大統領が誕生するたびに、「単一属性」圧力、属性同士の政治家の奪い合い、複合属性のジレンマの痛いところをつく保守側の攻撃で、アメリカは本当の「多様性の容認」からは毎度遠くなるばかりだ。ハリスもオバマと同じように「アメリカ・サイズ」に縮こまって、カメレオンのように政治的成功を優先せざるを得ないだろう(この問題について論じた拙稿も是非参照いただきたい)4。
バイデンから大統領候補の「禅譲」を受けなければ、左派のご機嫌を取るためにバイデンに人種とジェンダー属性で引っ張り上げられた「駒」のような扱いでハリスのホワイトハウスでの「無任生活」は終わっていたかもしれない。この檜舞台を天命と受け止め、ハリスも脱皮するしかない。左派との貸し借りや党内圧力と関係なく、「自分はこの点でリベラルである、あるいは必ずしもそうではない」と、内政と外交の優先を示す価値観を示せれば、党内も無党派層もついてくるかもしれない。ハリスが政治家として絶対に譲れないものは何なのか。なぜ検事から政治家になったのか。どうして大統領になりたいのか。「哲学」と「物語」が見えないまま、「反トランプ」目的のためだけに神輿に担がれることは、彼女のためにもアメリカの民主主義のためにも、望ましくない。シカゴの民主党大会でその真価が問われる。
(了)
- 山岸敬和「医療扶助大国アメリカ」(『SPFアメリカ現状モニター』No103, 笹川平和財団, 2021年10月21日)<https://www.spf.org/jpus-insights/spf-america-monitor/spf-america-monitor-document-detail_103.html>(accessed at August 8, 2024)(本文に戻る)
- 渡辺将人「バイデン政権を悩ますハリス副大統領という難題」(『SPFアメリカ現状モニター』No102, 笹川平和財団, 2021年8月27日)<https://www.spf.org/jpus-insights/spf-america-monitor/spf-america-monitor-document-detail_102.html>(accessed at August 8, 2024)(本文に戻る)
- 渡辺将人「2024年予備選挙目前報告②民主党編:バイデン再選戦略:「トランプ頼み」の党」(『SPFアメリカ現状モニター』No142, 笹川平和財団, 2023年10月25日)<https://www.spf.org/jpus-insights/spf-america-monitor/spf-america-monitor-document-detail_142.html>(accessed at August 8, 2024)(本文に戻る)
- 渡辺将人「アメリカのエスニック『部族主義』ハリスとオバマともうひとつの人種問題」(『SPFアメリカ現状モニター』【特別転載】、元の記事は『ひらく』5巻2021年6月 p.55-63)<https://www.spf.org/jpus-insights/spf-america-monitor/spf-america-monitor-document-detail_xxx.html>(accessed at August 8, 2024)(本文に戻る)