2024年予備選挙目前報告①
民主党「党員集会」消滅とポスト・コロナ時代の余波
渡辺 将人
2024年共和党予備選挙は変わらず「アイオワ党員集会」から
本稿ではまず、拙稿「2024年米大統領選挙、予備選挙の『異変』:アイオワ党員集会が消える?」以降の「異変」のその後、そして選挙制度の最新状況について改めて確認する。
①アイオワ州が予備選挙の過程で初戦州の地位から落ちるのは民主党側だけで、共和党では先頭州としての地位を維持する。民主党は2024年選挙では現職のバイデン大統領の地位を脅かすだけの力のある候補がおらず(サンダース派の左派が独自候補を控えた)、この順位変更が民主党に本格的に影響するのは2028年以降である。もちろん、これはバイデン大統領が心身ともに健康な状態で(少なくともメディア上では)選挙戦を継続できることが条件で、何らかのアクシデントで再選選挙を継続できなくなればその限りではない。
②アイオワ州民主党は「郵送投票」で結果を3月(現時点ではスーパー・チューズデー:3月5日)に発表する方式を検討中だが、共和党と同じく1月15日に「党員集会」は開催する見通し。ただ、これは大統領選挙のための投票を意味せず、代議員選出などの党の事務手続きのみが行われる党役員や活動家向けの行事。このことを「党員集会は予定通り行われる」と地元政治関係者や地元メディアが伝えたので、米全国メディアや海外メディアに混乱が生じていた。
③アイオワ州共和党は「当日対面」の党員集会方式での投票を維持。そのため共和党候補はアイオワを無視することは困難で、引き続き「草の根」選挙運動の必要性がある。2024年選挙における予備選挙は、現状では共和党側が焦点で、米メディア報道上も共和党の初戦アイオワ州のインパクトは変わらない。アイオワで勝てない候補は不利になる(共和党候補の趨勢については別稿)。
④共和党はアイオワ党員集会(2024年1月15日)以後は、ニューハンプシャー州が従来通り2州目で1月23日に行う可能性だが流動的。州法で定める「最初の予備選」堅持に抵触するため同州は決めかねている。これまでアイオワ州は「党員集会」であり「選挙」ではないので、予備選挙ではニューハンプシャー州が先頭という建前が守れていた。ところが民主党側ではサウスカロライナ州が前倒しされ、アイオワが党事限定でもニューハンプシャー州より先に「党員集会」を開く問題などが燻って、日程が確定していない。
⑤これまでアメリカの予備選挙は二大政党が州別に同じ日に開催していたが、今回は党によって州の開催日が異なるため複雑化する。例えば、民主党はサウスカロライナ(2月3日)、ネバダ(2月6日)、ミシガン(2月27日)の順で、ニューハンプシャーがネバダと同日になるのか揉めているが、共和党はアイオワ(1月15日)、ニューハンプシャー(仮:1月23日)、ネバダ(2月6日)、サウスカロライナ(2月24日)の順になる見通し。2024年は共和党中心の報道になるものの、二大政党双方で現職再選ではないサイクルに両党の予備選挙が同時進行する年は「本日は**州で共和党側の」「**州の民主党はこの先**何月何日)」という報道の必要が生じ、アメリカ人有権者はもとより諸外国の米選挙報道はいっそうわかりにくくなることは必至であろう。
⑥党員集会は民主党では絶滅危惧種になる。バイデン政権と民主党全国委員会は、アイオワ州以外のネバダ州などの党員集会を予備選挙に切り替えさせる圧力をかけ、党員集会潰しに邁進中。他方で共和党側では党員集会が多数の州でまだ生き残っていて、ネバダ州のように予備選挙から党員集会に戻す動きもある。党員集会の方がトランプには有利という見方もある。バーチャルと「郵便投票」を好む民主党、「対面」重視の共和党、というコロナ禍で浮き彫りになった党別の特徴を浮き彫りにしているとも言える。
カーターが火をつけ、オバマとサンダースが拡張し、バイデンが潰した
「民主党アイオワ党員集会」
民主党の大統領候補指名プロセスで、どのようにしてアイオワ州は重要視されるようになったのか。アイオワ州が大統領選挙の指名獲得レースで初戦になったのは、民主党で1972年から、共和党で1976年からで、民主党にとって半世紀ぶりの制度改革となる。見方を変えればわずか50年の歴史しかなく、それまでアメリカの予備選挙制度は開催州の順番を入れ替えながら微修正されてきた。1968年にシカゴの民主党大会が左派の抗議活動で大混乱になったことに端を発して始まったジョージ・マクガバン上院議員の制度改革は、党幹部の力を弱め、予備選挙に指名選びの力を傾斜させる、大統領候補の指名をめぐる「民主化」が一つの目玉だった。しかしアイオワ州をニューハンプシャー州の前に移動させた1972年当初は、全米メディアも党員集会の制度に馴染みがなく、参加者の規模も小さいため、その影響力は軽視されていた。
それを変えたのが先日10月1日に99歳の誕生日を迎えたカーター元大統領だ。全米では無名だったカーターは、1976年の大統領選挙においてアイオワ州で早期から草の根行脚で組織作りも丹念に行った。アイオワ州での彼の善戦は全米を驚かせた。初戦で期待値以上の結果を出せば、その後に弾みが出て、メディア報道でも大きく扱われるという流れがここでできた。共和党がすかさずこの方程式を模倣しようと、アイオワ党員集会を先頭にして民主党を制度的に追いかけた。アイオワ州は共和党でも民主党でもダークホースの面白い候補が台頭する特徴があり、カーター、オバマなど全国政治での新参者にはいいプラットフォームになった。
しかし、2020年の党員集会で運営ミスと混乱が発生した。問題の発生は時間の問題だったと現場は考えている。党員集会はそもそも選挙のように正確な結果を出すようには設計されていないからだ。党員集会は小規模の党員のための行事だった。リビングルームでせいぜい十数人、多くて30人程度が、自分たちの住む地域を組織するための話し合いをするものだった。大統領選の投票は「付け足し」だった。党員集会のルールは、このリビングルームで行われた時期に形作られた。地域の体育館やホテルの大広間に参加者を詰め込むためのものでもなければ、700人もの参加者を受付で捌くことを想定したものでもなく、有志の党員ボランティアだけの態勢で支えられるものでもなかった。1つの部屋に100人以上集まったら、もはや効率的な党員集会はできない。
さらに参加者が増えるにつれて、歴史やプロセス、ルールを理解しない部外者が多く参加するようになった。彼らは政党への参加に心底興味があるわけではない。政党ボランティアの集会の運営にも協力的ではなく、微細なトラブルにいちいち怒りや苛立ちを募らせた。民主党ボランティアで投票区の党員集会司会を長年務めてきた男性が力尽きたという様子でこう吐露する。「私が悲しかったのは、新しい参加者が地元のボランティアや委員を非難することだった。私はもう二度と、党員集会の司会をやりたくないというほどにまで一時は落ち込んでいた」。
なぜ短期間に参加者が増えただけでなく、党員集会に無知で政党の運営に非協力的な人が多くなったのだろうか。一つのきっかけはネット選挙の浸透だった。2004年にハワード・ディーンが本格化させたアイオワ州でのネット選挙を発展させたのがオバマ陣営だった。2008年にソーシャルメディアという新種のテクノロジーと戸別訪問による草の根組織を1年以上の歳月をかけて作り上げて、カーターと同じサプライズ善戦をした。アイオワ州のおかげでオバマは大統領になれた。アイオワ州に足を向けて寝られない。オバマ陣営は、それまで政治や政党に参加しなかった新しい活動家も掘り起こした。
党外的な新規参加者の爆増に追い打ちをかけたのが、2016年の民主党を「ぶっ潰せ」という、バーニー・サンダースというアウトサイダーによるキャンペーンだった。この間、2012年に共和党側でリバタリアンのロン・ポール陣営による共和党ハイジャック1が問題化したが、これは共和党エスタブリッシュメントによるポール派排除で一過性のものとして終わった。ところが民主党は第三政党的なアウトサイダーがアイオワでサイクルを跨いで継続的に力を持ち続け、選挙年のたびにサンダース支持者が党員集会を引っ掻き回し続けた。
そのような状況に対して、地方政党の郡支部には、候補者陣営が集めるような莫大な資金もなく、票を数える設備や仕組みも貧弱だった。画用紙を用いて手作業で集計する。挙手を目視で数える。代議員数の計算のために表計算ソフトとPCを用いるようになったのはごく最近のことだし、2020年まで実際の票数を公表していなかった。
2012年の共和党、そして2016年と2020年の民主党と票数トラブルが報じられた。2020年はサンダースの方が票数は多かったが、ブディジェッジの方が代議員を多く獲得するという分裂した結果になった。得票数が公表されていたら、おそらく2016年も同じ問題が露呈していたと言われている。
これらの問題への対処が早期にアイオワ民主党でなされなかったため、トラブルの発生は自業自得ではある。「50年、60年と私たちは傲慢で変化を拒んできた。我々が1番目の州であるべきで、それは神に与えられた権利だと考えてきた」とアイオワ州の民主党幹部は述懐する。郵便投票システムに適応を試みたが遅すぎた。民主党がマイノリティ政党としての性格を強める中で、白人農村州が政党内で軽視される党内の世論変化も顕著だった。ヒラリーと並んで「アイオワ嫌い」で黒人票依存のバイデン大統領の強い意向で、アイオワ州は指名獲得レース初戦の地位から引き摺り下ろされ、党員集会という「前近代的」な方法も葬り去られようとしている。
大統領と政党の近視眼的な利益で、共和党では残存している党員集会を民主党では全廃することは、アメリカが手作りで築いてきた草の根の予備選挙システムへの暴挙である面も皆無ではない、と筆者は考えるが(”Mobilizing Party Participation: Defending the Iowa Caucuses,“ The Japanese Journal of American Studies, No. 33 (2022))、学術的な議論にはここでは深入りしない。
いずれにせよ、選挙史の文脈では、民主党のアイオワ党員集会は、カーターが火をつけて特別な存在に引き上げ、クリントン夫妻が無視し、オバマがゲームのルールを利用し尽くして台頭すると共に参加者を拡大し、サンダースが民主党に忠誠心のかけらもない有権者を党の行事である党員集会に引き込んでしまい、混乱の末にバイデンが終わらせた、と総括できる。
「政治化」される選挙制度:州の政治力による駆け引き
アメリカにおける予備選挙はあくまで党のまつりごとで、政府や中立な立場の第三者機関が実施するものではない。順位や制度をめぐる攻防そのものが政治化される。州政治をどちらの党が支配しているか、連邦議員や州知事にワシントンや全国委員会に「声が通る」大物がいるか。総合的な綱引きである。
ニューハンプシャー州は連邦下院2議席、上院2議席を全て民主党が独占している「民主党州(青い州)」であるが、アイオワ州は下院4議席、上院2議席、州知事の全てを共和党が独占する「赤い州」になってしまった。「私たちは民主党全国委員会に懲罰の見せしめにされる絶好の位置にいた」とアイオワ州民主党幹部は語る。見せしめにいじめても反撃してくる民主党大物政治家がアイオワにいないので全国委員会は痛くも痒くもないからだ。おかしな話だが全国委員会と州の関係はそういう力学で決まる。
アイオワ州は歴史的に1960年代初頭まで共和党が優勢だったが、その後はしばらく民主党の優勢州だった。それが近年、農村部で共和党の党派性が地域社会のアイデンティティの一部になりつつある。白人で田舎に住んでいれば、ほぼ間違いなく共和党という政治文化の分極化の影響だ。かつては「農村の民主党」がありえた。しかし、アイオワ州議会の上院50人中、民主党議員は今や16人しかいない。
かつては同州にも民主党の重鎮政治家がいて、彼らがワシントンに圧力をかけてアイオワ党員集会を守ってきた。1992年大統領選挙でビル・クリントンをアイオワ州では破った地元選出のトム・ハーキン連邦上院議員は、これまで2〜3回、党員集会を救ってきた。残存する民主党の大物は元州知事のトム・ビルサックだけだが、バイデン政権の農務長官で、党派政治に関わらないアプローチを取っている。ビルサックはオバマ政権からバイデン政権にかけて一貫して11年間も農務長官を務めていて、オバマ政権期を通して勤続した唯一の閣僚でもある。つまり、バイデン大統領には頭が上がらない。出身州のために大統領に逆らうことはできなかった。
アイオワ州民主党は、全国委員会に根回しして1番目の順位を維持することにばかりエネルギーを注ぎ、2022年中間選挙でアイオワ州の選挙に勝つ努力を怠った。本来、初戦州にとどまる可能性を高めるためにできる最善のことは、民主党の連邦議員を1名でも多く同州から選出することだった。
2022年12月にどの州を予備選挙の先頭に選ぶかについて議論を始めた際、バイデン大統領は、「党員集会」を指名プロセスの方式から外すことにもこだわりを見せた。バイデンは党員集会にめっぽう弱く、過去数回の大統領選挙出馬でアイオワ州では散々な目に遭ってきた。2008年にアイオワ州でバイデン上院議員(当時)に密着した筆者には、バイデンは気さくで人柄がいいオヤジだが、農村がまるで理解できておらず、外交政策に自信がある「ワシントンの中道政治家」に見えた。
2020年もアイオワ州でのバイデンは泡沫で、直前の世論調査で5位という噂もあった。ボランティアを用いた長期戦の戸別訪問で「草の根組織」を作ることを苦手とし、バイデン陣営の事務所はどこもやる気のない留守番の受付がスマホをいじっているだけだった。そもそもバイデンは新規票の掘り起こしではなく、労組頼みの組織票でやってきた政治家だ。アイオワ州は白人州で得意とする黒人もいない。自分が輝けない州なのだ。ハリスも自分の州以外での選挙は苦手という意味では同じ弱点を抱え、アイオワ州の運動中に力尽きて撤退した。バイデン=ハリスのチームは選挙に弱い組み合わせだった。
そのバイデン大統領と民主党全国委員会が「アイオワ外し」の末に計画した民主党の予備選挙の順は、1:サウスカロライナ州、2:ニューハンプシャー州とネバダ州、3:ジョージア州、4:ミシガン州で、これらをすべて2024年2月に終える予定だった。ジョージア州が実現しなかったのは、同州で支配権を握る共和党の緒戦州ではなかったからだ。そのため、2024年2月13日か2月20日のどちらかの日程が空くことになり、アイオワ州民主党の指導部の中には、その枠を獲得して早期州入りを目指す考えもあった。しかし、これはハードルが高い。前回の拙稿でも述べたように、日程改革の要点はアイオワ州に怨念を抱くバイデン大統領と民主党全国委員会がアイオワ州を緒戦州から外すことだったからだ。バイデンが大統領でいる間は、アイオワ州の復権の目処はつきにくい。
継承されない民主主義における価値
アメリカでは予備選挙の運営は地方レベルで共和党と民主党の超党派連携の舞台でもあった。州内で同日に予備選や党員集会が開催されることですり合わせが緊密に行われ、イデオロギーを超えた相互の交流も盛んだ。筆者が朝食で州の共和党幹部と会えば、民主党にも筒抜けだ。共和党幹部が筆者の訪問を民主党幹部に知らせ、昼間は「トランプの集会に招くから、夕食はサンダースの方で」という具合に両党で筆者のスケジュールを調整してくれる。党員集会当日も、毎回、共和党を半分のぞいてから、民主党の後半の会場を梯子する。逆の年もあったが、両党どちらかが敵の政党の会場に筆者をピストン輸送してくれた。こんな州はさすがに珍しいが、どの州でも党員集会や予備選の同日運営が、州の二大政党のコミュニケーションのチャンネルとして機能し、分断抑止の働きをしてきた。意外に見落とされている役割だ。
今やそのインセンティブが薄れ、分断が助長される問題も表面化している。今回のアイオワ党員集会の日程決定をめぐっては、これまでと違って共和党が事前に民主党と話し合いを持たず、一方的に日程を決めた。1月15日は「キング牧師の日」であり、全米の黒人コミュニティ、特に教会では多くのイベントが開催される。民主党がこの日に党員集会を行うことは好ましくない。アイオワ民主党の党内での人種マイノリティ配慮へのメンツが潰された格好だ。
草の根民主主義の象徴とされてきた党員集会の価値を理解しない有権者もコロナ禍を経て増えてきた。アイオワ州民主党は2021年に、一般の民主党支持者や活動家たちに「何を変えてほしいか」の調査を広範に行った。全国委員会の改革プロセスに参加する姿勢を見せることで、緒戦州の先頭集団には残れるのではないかと希望を持っていたからだ。回答で圧倒的に多かったのは「再編成(リアライアンス)」に対する不満だった。
党員集会における「再編成」というのは1回目の支持表明で一定ラインに届かなかった候補者を支持した有権者が、2回目のチャンスが与えられ、上位に残った候補の誰かに「合流」する制度だ。ここで民主党式の党員集会では、上位2〜3候補の支持者から、脱落した下位候補を支持した有権者に熱烈な取り込み説得が行われる。つまり、この「2回方式」により、泡沫候補を支持している有権者が、第二希望として上位候補なら誰を支持するかの票読みがゲームの鍵であり、アイオワでは泡沫候補の支持者にもリーチする作戦が必要だった。
また、世論調査の上位陣営と泡沫陣営が裏で手を結ぶことにより、敵を倒すという特殊作戦も可能だった。2008年のヒラリーとニューメキシコ州知事のリチャードソンの「裏取引」などは好例だ。下位候補が、支持者に自分が脱落したら「再編成」ではこの候補を支持してくれとお願いすれば票が読める。有権者が言うことを聞く保証はないが、上位候補が生き残った暁には「貸し借り」で副大統領候補や入閣の可能性は高まる。しかし、このある種興味深い高度なゲームはアイオワ政治に長く関与している年配の有権者でないと意味が分かりにくい。アンケートでは「時間がかかりすぎる」と言う不満が多く見られた。「不在者投票でいい」という声すら多かったという。世代の変化だ。
予備選挙の順番を決める「ハリー・ポッターの魔法の杖」はあるのか
アイオワ州の言い分ばかり聞くのはフェアではない。全国委員会やワシントン側で改革に関与した筋にも話を聞こう。民主党重鎮コンサルタントの一人、サイモン・ローゼンバーグは民主党全国委員会に隠然たる影響力を及ぼしてきたご意見番だ。全国委員会の委員長選挙に立候補したこともある。1988年大統領選挙では民主党デュカキス陣営にいた。アイオワ支部(州都デモイン)に詰めてアイオワ党員集会を担当した人物でもある。その彼は以下のように述べる。
「2005年の春に民主党内部で私のプランが採用された。サウスカロライナ州とネバダ州を予備選挙の初期日程に加えるよう動いたのは私だ。黒人有権者とヒスパニック系有権者を予備選挙の初期日程に加える必要があるとの考えからだ。党員集会というのは、午後7時から3時間もかかるし、何度も投票しなければならない。党員集会を廃止したのは素晴らしいことだ。民主党では今、投票方法に関する大きな変化が起きている、コロナ期間中や近年、一般人が政治に関わるための参入障壁を低くするテクノロジーが次々と登場している」
これには筆者は後半の参入障壁の軽減にテクノロジーを用いていく方針には賛成だが、前半の党員集会廃止には反対だ。党員集会方式はオバマやサンダースの運動を育てたことにみられるようにアメリカ式の草の根キャンペーンとしてユニークな価値もあり、これを全否定するのは乱暴に思えるからだ。だが、ビル・クリントンの元側近の穏健派で、オバマやサンダースには微妙な感情もある同氏らしい素直な意見でもある。
このようにアメリカの選挙制度を決める現場は、支持政党やイデオロギー、党内派閥や大統領などによって賛否が左右されるのはいつものことで、政治学的に純粋な制度論には馴染まない(外部からアメリカの政治学者が望ましいフェアな制度設計をあれこれ提案しても、政党に一切採用されない歯痒さがある。勝者総取りの選挙人方式も一向に改善されない。選挙とりわけ予備選挙はあくまで党と州と有権者のものでもあるという意識が選挙現場には強い)。
今回の変更は、先にも述べたようにアイオワ州が本選で民主党にとってさほど競争力のある州ではなくなってしまったことも関係している。アイオワ州の「赤化」により、民主党の多数を代弁しない州を先頭にしておく意味が薄れた。ローゼンバーグはアイオワ州とニューハンプシャー州の「先頭二強」を解体する方針は「民主党にとって健全なもの」だとしながらも、「まだやるべきことはある」と語る。
サウスカロライナ州、ニューハンプシャー州、ネバダ州を短期間に詰め込むのが現実的なのかはまだわからない。ネバダ州は東海岸から遠い。これらの州で同時に前哨のキャンペーンを展開しなければならないと資金力で優劣がついてしまう危険性がある。黒人、白人、ヒスパニックにそれぞれ別のアウトリーチの工夫も要る。従来、マイノリティ向けのキャンペーンはニューハンプシャー州まで生き残ってからで十分だった。まずは白人対策だけで良かったのでシンプルな選挙戦で生き残れた。今後は全人種・エスニック集団に駆け出しから全方位で票固めしなければならず、メディア発言も演説も統一性が取りにくくなり、スピーチライターの仕事の難度は倍加する。
平等な方法として誰もが理想型として言うのは「4年ごとの州順シャッフル」だ。「ハリー・ポッターの魔法の杖で4年ごとに州を変えられれば良いのに」と。しかし、現実には議会指導部や大統領と有力州の政治家の駆け引きで順番は決まる。誰もが党利益を優先するわけではなく、自分のレガシーと再選しか頭にない「人間らしい人間」の政治家の集まりが政党だ。平等性を自動に担保してくれる方程式を編み出す「ハリー・ポッターの魔法の杖」はない。だが、民主党全国委員会は少なくとも緒戦州を固定したがっていない。毎回検討プロセスを経て州を選ぶ可能性があり、そこにアイオワ州民主党は復活の希望を燃やす。
民主党の党員集会の終焉は地上戦の否定ではない
上記のローゼンバーグの言葉を借りれば「民主党には、有権者と接触する唯一の方法は戸別訪問しかない、という宗教のような考えがあった」。これがデジタル技術で相対化されたのは事実だ。コロナ禍の中で、民主党有権者は郵便投票や期日前投票に慣れ親しみ、「投票」の感覚や概念も変質しつつある。しかし、地上戦の効果だけは、たとえコロナ禍でも否定されなかった。「投票10日前、7日前に有権者に接触して話をすれば、投票率は一気に上昇する。それが全米で起きていることだ」とローゼンバーグもこの点は認める。
投票方式が「党員集会」の対面方式から離れていっても、キャンペーンの方法はピア・ツー・ピアの口コミ方式の重要性がむしろ増している。アイオワで1976年から党員集会に深く関与してきた重鎮級の民主党委員はこう呟く。「アメリカ人はもうマスメディアを信用していないし、陣営のキャンペーンも信用していない。つまり、政治家ではない一般の人たちが、友人や隣人とのつながりで説得するしかない」。
投票方式の変化で中期的に間接的な影響がありそうなのは、党員集会や予備選挙が、州内で党ごとに別の日に行われることによる不正問題だ。党員集会を例にすれば、歴史的には常に、両党で同時に開催され、物理的に2つの場所に全日程は同時にいられないことだけが不正の抑止力だった。
何らかの公的システム、たとえば州全体の有権者登録システム、あるいは複数の州全体の有権者登録システムが互いに連動していれば不正は見つけられる。しかし、アメリカの予備選挙はあくまで党の「内輪の行事」という建て付けである。党員名簿は党の財産だから、政党は党員集会出席者名簿へのアクセスを極度に制限したがる。2020年当時、大統領選挙陣営が10万ドルを支出してアイオワ州の党員集会出席者リストの入手を試みるという陳腐な現象もあったほどだ。
共和党の党員集会に参加しつつ、郵便で民主党の不在者投票した人を捕まえる唯一の方法は、州政府の州務長官事務局が政党と秘密保持契約を結んだ上で両党のリスト比較を行うしか方法がないが、州政党が易々と名簿を差し出すかは不透明だ。圧倒的な地滑り的勝利でない限り、「接戦」が投票や票計算の「不正」感のしこりを残す温床は消えるどころか積み増されている。
(了)
- 2012年大統領選挙においてロン・ポールはアイオワ州党員集会で3位、ニューハンプシャー州予備選で2位につけ、アウトサイダー候補としては例外的な旋風を巻き起こした。ポールこそが「初期ティーパーティ運動」の立ち上げ人であり、その支持者のポール派リバタリアンがティーパーティ運動と連動した選挙戦を展開した。ポールは予備選で敗北したが、共和党でのリバタリアンの支配力を強めようと、代議員や地方党組織幹部の比率を高める運動が続いた。(本文に戻る)