「自由で開かれたインド太平洋戦略」の中のシーレーン防衛考察

PDF

秋元一峰,笹川平和財団海洋政策研究所 特別研究員

Contents

はじめに

 2016年8月、安倍晋三首相は第6回「アフリカ開発会議」において「自由で開かれたインド太平洋」(Free and Open Indo-Pacific Ocean)と題する開会挨拶をした[1]。"自由で開かれたインド太平洋"の言葉は、2017年のASEAN首脳会議や東アジアサミット等において他国の首脳からも用いられることとなった。アメリカのドナルド・トランプ大統領は、2017年11月のAPEC首脳会議において、公正と相互利益の理念に基づくインド太平洋地域パートナー諸国との国際関係の構築を、"インド太平洋ドリーム"Indo-Pacific dream)と呼称している[2]。"自由で開かれたインド太平洋"は戦略として言葉から構想に変わることとなった。

 「自由で開かれたインド太平洋戦略」は、国際政治・経済、文化交流、国境を越えた民生協力、地域・国際社会における安全保障協力を含む包括的なものと理解すべきであろう。そこにおいて、安全保障戦略はいかにあるべきか。本論はそれを考察するものである。

 さて、安倍晋三首相は第1次政権時の2007年、インド議会で「二つの海の交わり」(Confluence of the Two Seas)と題し講演している。冒頭、インドの偉大な宗教的指導者であるスワーミ・ヴィヴェカナンダの言葉「異なる流れは、その源を異にしながら、やがて一つの海に交わる」[3]を引用し、「今、歴史的に地理的に、我々はどこに位置しているのであろうか?その答えとして、ムガール王国のダラ・シコー皇太子の本のタイトルを借りたい。我々は今、二つの海の交わりの中にいる」と述べた後、「太平洋とインド洋は自由と繁栄の海としての舞台になりつつある。ユーラシア大陸の縁辺部に『自由と繁栄の弧』が形成されるであろう」と結んでいる[4]

 グローバルな視点から"インド太平洋"を地域として特徴づけるなら、それは紛れもなく"海洋圏"である。古来、インド洋世界、そして太平洋世界の繁栄はそこを通る安全で安定したシーレーンによってもたらされてきた。「自由で開かれたインド太平洋」の包括的戦略を支える基礎は、やはりシーレーンの安全保障であろう。以下、「自由で開かれたインド太平洋」を具現化するために日本が取り組むべき安全保障戦略として、シーレーン防衛に焦点を当てて考察する。

1 インド太平洋圏の安全保障観

 フェルナン・ブローデルはその著書『地中海』(邦訳本タイトル。原著名は『フェリペ2世時代の地中海と地中海時代』)の中で、歴史軸を地理自然状況など不変的な「持続状態」、人類社会と地中海との関わりが変化する「変動局面」、その契機となった「事件」の3つの要素に分けて分析している。本項では、インド太平洋の歴史を、インド洋世界と太平洋世界のそれぞれにおける「変動局面」を海洋利用のパラダイム形成として捉え、その変化が与えた安全保障環境について考察してみる。

(1)インド洋世界のパラダイム史観

 インド洋における海洋利用のパラダイムには幾度かの変遷を見ることができる。おそらくは有史以前から、インド洋には南越やドラビダあるいはアラビアの商人が行き交う"コスモポリタン的海洋世界"が広がっていた。15世紀初頭(1405年)から、そこに大陸国家であった明帝国が「鄭和の南海大遠征」を繰り返し、インド洋は"国家がチャレンジする海洋世界"へと変貌する。「鄭和の南海大遠征」が始まってからおよそ90年後、西半球では、オスマン帝国の隆盛によって東洋への陸路が阻まれる間、スペインやポルトガルを先駆けとする大航海時代が幕を開けた。ヴァスコ・ダ・ガマのインド洋航海(1498年)のおよそ半世紀ほど前、明帝国では北方異民族による進入への防備と人口増大による食料難などから経済状態が悪化する中、「鄭和の南海大遠征」は終焉を迎えていた(1431年)。レパントの海戦(1571年)でオスマン帝国海軍が消滅すると、キリスト教世界の海軍艦船は地中海を出て商船隊に同行し、シーレーンと海外市場への橋頭保を確保するシーパワーが明帝国の国力の消えたインド洋に覇権を握ることになった。以降、インド洋は、ポルトガル、オランダ、イギリスの覇権的なシーパワーに南アジアと東アジアの植民地と市場を得るためのシーレーンを提供する舞台、"シーパワーが競う海洋世界"となった。やがて第1次世界大戦を迎えるとインド洋では軍事力が対峙するようになり、第2次世界大戦の終結までは列強の、そして冷戦の時代には米ソによる"軍事的対立の海洋世界"を呈することとなる。つまり、冷戦期まで、インド洋圏では海洋利用のパラダイムが次のようにシフトしてきたとみることができる。

①"コスモポリタン的海洋世界"

②"国家がチャレンジする海洋世界"

③"シーパワーが競う海洋世界"

④"軍事的対立の海洋世界"

 冷戦後、"軍事的対立の海洋世界"が終わり、経済活動のグのローバル化とアメリカ1強の国際環境の中で、インド洋は国家あるいは国家の枠組みを超えたアクターによる経済活動の表舞台となる道をたどってきた。しかし、多くの国家、様々なアクターが関与する中で、インド洋には海洋利用を律するシステムやレジームは必ずしも確立されてはいない。安全保障環境についても、インドが安定化に寄与してきた面があるものの、インド洋は広大であり、力の空白域が生じていることは否めない。中国の海洋進出によってパワーシフトすら懸念されている。

(2)太平洋世界におけるパラダイム史観

 一方、太平洋圏については、19世紀末に到るまでの間において海洋利用のパラダイムを形作る「変動局面」が極めて少ない。アジア大陸沿岸海域、つまり南シナ海や東シナ海あるいはインドネシア群島水域を地理的に西太平洋の範疇として捉えれば、例えば、大航海時代にはイスラム圏商人やポルトガルの船舶がモルッカ諸島に航海したし、オランダやスペインが台湾島を基点に東アジアにおける交易を企図し、そのような中で日本への鉄砲伝来やフランシスコ・ザビエルによるキリスト教伝来もあった。しかしそれらは、インド洋におけるような海洋利用のパラダイムを形成するほどのインパクトをもたらしたとは言えない。

 アジア大陸沿岸海域を除く太平洋全域を俯瞰すれば、そこにおける人類の活動の起源はメラネシア島嶼であり、そのコスモポリタン的な海洋の民がミクロネシアそしてポリネシアに渡り、それぞれ独自の文化様式を作り上げていったとの説が有力とされる。アジア大陸沿岸域を除く太平洋では、インド洋のように国家が航海に乗り出す事例は1853年のマシュー・ペリー提督率いるアメリカ東インド艦隊の浦賀来航まで見当たらない。それには次のような要因があると考える。

①新大陸への旧大陸からの影響が主として大西洋から及んだこと、

②コスモポリタン的な民の活動が西太平洋から東太平洋に伝搬する中で文明の交流がなかったこと、

③大陸国家中国が明の時代から海禁令を出したこと、および島国国家日本が長く鎖国令を引いたこと、

 ペリー艦隊の来航以前の太平洋には、プローデルが言うところの「持続状態」の歴史軸しかなかったと言える。ペリー艦隊のアジア来航はインド洋を経てのものであったが、太平洋を挟んで東西に分かれ、それぞれに異なった文化を持つ国と国が交流するといった実態が太平洋に流動的な「変動局面」をもたらし、日本とアメリカとの間で文明が融合し、やがて権益を巡って衝突することになる。

 ペリー来航以降、太平洋、殊に西太平洋では安全保障を巡る国際関係を急激に変化させる4つの「事件」が生じる。最初の「事件」が日清戦争である。1894年に勃発した日清戦争は日本と清国とによる朝鮮半島を巡る武力衝突であったが、地政学的に海洋国家日本と大陸国家清との戦いであったと見ることができる。日清戦争当時の日本は海洋国家と言うよりは島国農業国家であったとの異論はあろう。しかし、西洋との交流があったにも拘らず西洋文化を取り入れて発展する道を辿らなかった清国に対し、日本は「脱亜」政策に舵をとっていた。ペリー来航から6年後の1859年、江戸幕府は日米修好通商条約の批准書交換のためアメリカ海軍軍艦「ポーハタン号」で使節を派遣した折、その護衛として「咸臨丸」を同航させている。つまり国家による太平洋へのアクセスであり、形而上は海洋国家であったと言うべきであろう。ちなみに、日本における鎖国は1854年の日米和親条約によって終わっていた。

 2番目の「事件」は1904年に勃発した日露戦争である。日露戦争は満州と朝鮮半島の権益を巡っての武力衝突であったが、日清戦争との相違はその地理的規模にある。日露戦争における海軍力の展開は、バルチック艦隊の遠征に見られるようにユーラシア大陸を周回する海洋を舞台としており、"ハートランド"vs."リムランド"といった地政学的な戦いとしてみることができる。

 3番目の「事件」は1941年からの太平洋戦争(大東亜戦争)である。太平洋戦争は文字通り、海洋国家vs.海洋国家の戦いであり、第2次世界大戦における海洋局面の1つであった。アメリカを中心とする連合海洋国家が勝利し、敗者たる日本は勝利した海洋国家群の1員となった。

 そして4番目の「事件」が東西冷戦とその終結である。東西冷戦は政治的イデオロギーに基づく覇権による地域囲い込みに端を発するものではあろうが、囲い込みの対象となる地域の境界に地政学的対立の構図が生じ、日露戦争と同じく"ハートランド"vs."リムランド"の戦いの側面を見せるものであった。東西冷戦は東欧とソ連邦の自壊によって終息し、後にアメリカ1強の世界が残った。

 太平洋世界における以上の4つの「事件」は、発生の要因に因果関係があって連続性を持って間断なく生じており、海洋利用のパラダイムを形作る「変動局面」が固定されることはなかったが、それでも、ペリー来航が"国家がチャレンジする海洋世界"をもたらし、両次大戦間には"シーパワーが競う海洋世界"が出現し、太平洋戦争から東西冷戦終結までは"軍事的対立の海洋世界"が性質を異にしながら続いていたと見ることができる。"コスモポリタン的海洋世界"から始まる太平洋世界のパラダイムシフトは、奇しくもインド洋世界と同じである。

 東西冷戦後の太平洋では、様々なアクターがボーダーレスな経済活動や資源保護のための活動を展開し、それをアメリカ、日本、オーストラリア、ニュージーランド、フランスなどが航行自由の確保、持続可能な開発さらには島嶼国の能力構築のために必要な支援を提供している。その一方で、中国が南太平洋での資源確保や島嶼国との関係構築を図って進出を強めている。

(3)インド太平洋の安全保障環境:メビウスの帯?

 歴史は流れているのではなく積み重なっていると考えるべきであろう。今、我々が立っている時代の足下には過去の歴史が積み重なって埋もれている。埋もれた歴史上の「事件」が時として現代の「事件」の成り行きに大きな影響を及ぼすのである。身近な問題としての日中あるいは日韓のわだかまりも、足下の歴史が地震のように揺り戻しを掛けているものだと言える。一方で、人は歴史に学ぼうとするが故に、歴史は繰り返されると説く人もいる。「事件」が起きると、その解決のために同じような「事件」を歴史の中に探し、そこでの対応を参考にする。歴史は必然的に繰り返されるのではなく、判断がそうさせている面があるのかもしれない。判断の如何によっては、インド太平洋の安全保障環境はメビウスの帯を辿るかのようにエンドレスに続き安定化することはないだろう。

前項では、インド洋世界と太平洋世界の海洋利用のパラダイムを多少乱暴ではあるが簡略に回顧してみた。本項では、インド太平洋に現在生じている情況に歴史上のパラダイムを投影しつつ安全保障環境を展望する。 

ア 「一帯一路構想」がもたらす「変動局面」の予感

 中国による「一帯一路構想」の遂行はインド太平洋の戦略構造にファンダメンタルシフトをもたらす可能性がある。「一帯一路構想」は、習近平国家主席が2013年9月のカザフスタンのナザルバエフ大学での講演で、ユーラシア各国の経済連携と相互協力によって経済発展を促すための新しい協力モデルとしての「新シルクロード経済ベルト」構想を表明し、更に同年10月に、インドネシアの国会で「中国―ASEAN海上協力基金」を活用しての海洋協力パートナーシップを発展させると共に「21世紀海上シルクロード」を建設しようと呼びかけたものが統合構想である。「一帯一路構想」は、中国が世界経済の中心的地位を占めていた時代のシルクロードの再現を意識したものであり、中国の対外開放新戦略のコアと位置付けられている。

 当初、「新シルクロード経済ベルト」として、①中国から中央アジア、ロシアを経て、ヨーロッパに至るルート、②中国から中央アジア、西アジアを経てペルシャ湾、地中海に至るルート、そして③中国から東南アジア、南アジア、インド洋に至るという3つのルートがあり、一方「21世紀海上シルクロード」は、①中国沿海の港から南シナ海を経てインド洋やヨーロッパに至るルートと②中国沿海の港から南シナ海を経て南太平洋に至るルートの2つのルートが示されていた。しかし、地理的範囲は次第に拡大し、今は北極海にまで延伸されている[5]

 「一帯一路構想」は、中国の独奏曲ではなく参加国による交響曲であり、インフラを連結し貿易を円滑化し資金を融通して共に成長するとのスローガンにあるように、あくまで経済発展を標榜するものではあるが、利益を共有するために諸国が作り上げた既存の国際政治・経済秩序に影響力のある新たなアクターが参入すれば、そこに軋轢や摩擦が生じることもあるだろう。「一帯一路構想」は、中国企業の海外進出チャンスと投資先の拡大、そして中国製品販売の販路拡大を促すものとなるとの指摘もある。また、「一帯一路構想」を"中国の夢"、その実現が"中華民族の偉大な復興"と唱える向きがあるなど、ナショナリズムと結びついていることも、インド洋への中国人民解放軍海軍の進出と相まって安全保障環境を不安定化させるとの危惧を抱かせている。「一帯一路構想」の実現性には疑問を持つ向きもあるが、一部でも実行に移され、構想に含まれる沿線地域や海域に中国の影響力が高まるとすれば、グローバル化の進展の中で、世界の戦略環境は激変する。「一帯一路構想」はランドパワーとシーパワー、ハートランドとリムランドといった古典地政学の概念を根本から覆すものとなる可能性を秘めている。

 以下、蛇足ではあるが、そもそも、用語としての"シルクロード"は、19世紀のドイツ人地理学者リヒトフォーフェンがドイツ語で「絹の道」と表現し、これをイギリス人オーレル・スタインが"Silk Road"と英訳したことが起源とされる。陸のシルクロードについては、ソグド人がB.C.1000年頃から中央アジアのオアシス伝いに交易していた「オアシスの道」が、やがて漢の領域まで伸びたとされる。唐の時代になって、安禄山がソグドの商人と組んで中央アジアとの交易で富を築くことになるが、シルクロード交易の担い手はあくまでソグド人であり、騎馬民族が交通手段を提供していたとされる。当時は、唐とウイグルとチベットの支配領域が分かれており、シルクロード交易は唐の領域ではなくウイグルの領域で行われていた。安禄山の乱以降、唐のシルクロード交易への参入は衰退していく。唐によるシルクロード交易への参入は100年余りでしかない。

 一方、海上交易については、B.C.1200年以前から地中海交易をしていたフェニキア人がシュメールに追われ紅海からバブ・エル・マンデブ海峡を通って南インドのドラビダ商人との交易ルートを築いていた。B.C.500年頃にフェニキア人はカルタゴの地に入植するが、ポエニ戦争で古代ローマに敗れ南インドとの交易ルートは一旦途絶える。しかしカルタゴを滅ぼした古代ローマは地中海世界から北アフリカまで勢力圏を得、エジプトの港湾経由でインド洋交易に乗り出す。一方アジア側からは、南越の商人が南シナ海を経て南アジアと交易、漢で生産された絹を売っていたとされる。インド洋が二つの海のシルクロードの交差点となっていた。明の時代の鄭和の南海大遠征までは中華帝国によるインド洋交易の記録は乏しい。

イ インド洋世界の安全保障環境

 今、インド洋は域内外の多くの国家あるいは国家の枠組みを超えたアクターによる経済活動の表舞台となる様相を呈している。冷戦の終結と共に開かれた経済活動のグローバル化は、インド洋を東西物流の交差域へと変貌させた。インド洋の総面積は21,400,000平方海里に及び、地球の海洋の約14%を占める。そのインド洋は、バブ・エル・マンデブ海峡、スエズ運河、ホルムズ海峡、マラッカ海峡をゲートとして地中海・中東と太平洋とを結んでおり、世界の政治、経済、軍事、文化のすべてに影響を及ぼす戦略的に極めて重要な地理的位置を占めている。

 そのインド洋には、海洋利用を律するシステムやレジームは必ずしも確立されてはいない。安全保障の面を見た場合も、インドが一定の影響力を行使し、アメリカやフランスなどが海軍力のプレゼンスを提供してはいるものの、インド洋は広大であり力の空白域が存在する。インド洋は"自由"と言うよりも"無秩序"、"活気"と見るよりは"流動"と捉える方が適切な状況にあると言える。

 インド洋には、海賊・武装強盗、海上テロ、麻薬取引・人身売買、違法操業等の非国家主体による違法行為が安全保障上の主たる脅威として顕在している。ロヒンギャ等の難民問題もある。度々発生するサイクロンによる自然災害や地球温暖化に伴う高潮や海面上昇も安全保障上の問題としてクローズアップされている。国家間の紛争についてみれば、インドと中国との間の領土問題やインドとパキスタンとの間の歴史的な紛争において小規模な武力衝突が生じることはあるが、現状においては、それらが大規模な武力紛争にエスカレートする公算は低いと言えよう。しかし、今後、インド洋で漁業や海底資源開発などの権益を巡って国家間紛争が生起し激化していくことがあれば、それが武力衝突にエスカレートする事態を想定しておかなければならないであろう。

 今後のインド洋圏の安全保障環境に極めて大きな影響を及ぼすものとして「一帯一路構想」による中国の進出がある。既に述べたように、「一帯一路構想」は国際経済活動の活性化を標榜するものであり、軍事的影響力を及ぼすものではないにしても、受益国が既存する経済域に新たな国が経済的利益を求めて参入すれば、そこに国家間の軋轢が生じることは想定すべきである。「一帯一路構想」は西欧やアフリカあるいはインド洋圏諸国において経済発展の起爆剤として関心を高めている。しかし、「一帯一路構想」を実行に移すことによって生じる戦略環境のファンダメンタルシフトが、あるいはその予感が、大国を巻き込んでの新たな国家間紛争の種となる可能性があることを思慮しなければならない。「一帯一路構想」が実行され、インド洋地域のインフラ整備が進み、中国による投資が活発化すれば、パキスタンを含む南アジア諸国や中央アジアへの中国の影響力は強まり、インド洋地域のパワーバランスは流動化するであろう。政治・経済が地球規模で一体となって動く現在において、インド洋におけるパワーバランスの流動化は世界全体の安全保障に影響を及ぼすものとなる。

 一方、日本は「自由で開かれたインド太平洋」戦略を打ち出し、それにアメリカ、インドそしてオーストラリアが協調する姿勢を示している。オーストラリア、インド、日本とアメリカの4カ国の枠組みの在り方について、様々な国際会議の場等で議論がなされている。「自由で開かれたインド太平洋戦略」と「一帯一路構想」が互いにチャレンジし合うのか、あるいは両者をうまく調整しハーモナイズさせ得るのか、それがインド洋の安全保障問題のキーポイントとなる。

 インド洋世界のパラダイム史観に顧みて今を見れば、先ず、冷戦後のグローバルな経済活動が活発化する中で"コスモポリタン的海洋世界"が広がり、そこに「一帯一路構想」に基づく"国家がチャレンジする海洋世界"とそれに対抗するかのような形で「自由で開かれたインド太平洋戦略」が重なって"シーパワーが競う海洋世界"が出現しつつある、つまり、"コスモポリタン的海洋世界"に"シーパワーが競う海洋世界"がとって変わりつつあるかのように映る。では、次に現れるのは"軍事的対立の海洋世界"であろうか。歴史が繰り返される状況を創出させない"判断"が必要となる。

ウ 太平洋世界の安全保障環境

 冷戦の時代、太平洋では大西洋とともに米ソの軍事的対立が熾烈を極めた。元来、東西冷戦は世界共産化を進めるソ連と、共産化のドミノ現象を防ぎたいアメリカ・欧州諸国との対立の構図であった。アメリカの外交官であったジョージ・ケナンが1946年に所謂「長文電報」で、また1947年の「X論文」(「ソビエトの行動の源泉」『フォーリンアフェアーズ』1947年)[6]で提唱した"対ソ封じ込め"がアメリカの対ソ外交の根幹となっていく。そのような中、トルーマン政権下の国務長官であったディーン・アチソンが、1950年にフィリピン-沖縄-日本-アリューシャン列島沿いに防共ラインを表明する。この所謂"アチソンライン"は、冷戦の残滓として、今は米中間の対立線である"第1列島線"と"第2列島線"となり、共産主義の拡張vs.ドミノ阻止ラインから、中国人民解放軍の進出vs.アメリカによる阻止ラインに姿を変えている。

 ところで、ケナンが提唱した"封じ込め"は軍事的封じ込めを意味するものではなかった。ケナンは共産主義とソ連の国内政治に矛盾があることを見抜き、共産主義の拡散を辛抱強く封じ込めておくことによってソ連は自壊すると説いており、むしろ軍事的行動を慎むべきことを進言していた。しかし、現実にはケナンの提言に反し、デタント(平和共存)の挫折を経験したアメリカによる1980年代の強硬な軍事的封じ込めがソ連を内部崩壊に至らせた要因の1つとなったことは確かであろう。

 今日の米中の間には、南シナ海での中国による国際法では解釈が難しいような主張や高圧的な姿勢と、それに対するアメリカによる「航行の自由作戦」などでの対立が鮮明化してはいるが、太平洋全域を俯瞰すれば、冷戦の時代に呈された"軍事的対立の海洋世界"が明確なパラダイムとして出現しているわけではない。中国はその海洋進出において3つの異なった顔を見せる。南シナ海・東シナ海においては高圧的な顔を、インド洋においては国際協調的な顔を、そして南シナ海・東シナ海を除く西太平洋ではアメリカとのパワーバランスを図る顔、の3つの顔である。そのため、地域関係諸国の中国に対する姿勢は、これまでのところそれら3つの顔に応じたものになる傾向があったが、しかし今、「一帯一路構想」の実行によるマイナスの効果(負の面)が顕在化し始め、それによって変化が生じつつある。

 スリランカでは、ハンバントタ港の開発などマヒンダ・ラジャパクサ前大統領が進めた中国の投資によるプロジェクトで膨らんだ巨額の債務返済に目途がたたない危機的な状況に陥っている。中国貸付が高金利のため、スリランカの今年の元利支払い額は28億4000万ドル(3,150億円)に上ると報じられている。ハンバントタ港の運営権は中国企業に99年間の契約で譲渡された。同じく中国の投資によるラジャパクサ国際空港も利用空港会社が見込みよりも極端に少なく、赤字が膨れ上がっていると言われる。マレーシアでは5月の選挙でマハティール・モハマド首相が返り咲いた。マハティール首相は中国が「一帯一路構想」の一環として受注を進めてきたマレーシアとシンガポールとを結ぶマレー半島高速鉄道計画を白紙に戻し、更に、タイとマレーシアを結ぶ東海岸鉄道建設の中止検討を示すなど、中国との経済協力関係を見直している。そこには、スリランカが陥っている"債務の罠"への警戒がある。中国の「一帯一路構想」に基づくマレーシアでの関連事業の総額は550億リンギット(1兆5000億円)に上ると言われる。その基金は中国輸出入銀行から事業を請け負う中国企業に直接振り込まれたとの報道もある[7]。「一帯一路構想」に基づく事業は、インド洋のモルディブでも進んでおり、インドが警戒感をあらわにしている。モルディブのブドラ・ヤミーン大統領は中国との経済協力を積極的に進め、群島を結ぶ橋梁の建設等に中国の融資を得ているが、ここでも"債務の罠"が顕在化し、国民の反政府運動の高まりを受けて非常事態宣言が頻繁に出されている。

 中国の「一帯一路構想」に属すると考えられる動きは南太平洋にも見られる。メラネシアでは、オーストラリアとバヌアツ政府は否定しているが、中国がバヌアツに軍事基地建設を計画して接近しているとの論評がある。またフィジーでは中国が漁業資源を求めて接近を強めている。ミクロネシアではアメリカとの自由連合盟約(Compact Of Free Association)が2023年に期限を迎えるマーシャル諸島共和国やミクロネシア連邦にやはり中国が急速に接近を試みている。

 そのような状況の中、2018年5月に福島県で第8回「太平洋島サミット」(PALM 8)が開催された。今回のPALM 8には、フランスの海外共同体である仏領ポリネシアと海外領土であるニューカレドニアが初参加している。フランスのインド太平洋への影響力拡大については後述する。

 PALM 8首脳宣言では、オーストラリアおよびニュージーランドの認識の共有を歓迎した上で、法の支配に基づく自由で開かれた海洋秩序の重要性を強調し、その観点から、①法の支配および航行の自由の普及と定着、②連結性の強化を通じた経済繁栄の追求、③海上安全および防災の分野における協力、の3本柱からなる「自由で開かれたインド太平洋戦略」やそのようなイニチアティブを通じた積極的かつ建設的な貢献の歓迎を確認している。首脳宣言は更に、航行の自由やその他の国際法に適法な海洋の利用を含む国際法の尊重と、「海洋法に関する国際連合条約」を始めとする国際法に基づき領土および海洋に関わる主張を行うと共に自制し武力による威嚇または武力の行使に訴えることなく平和的方法によって紛争を解決することを唱え、そのため、海洋安全保障および海上安全の分野において緊密に連携する意図を確認している[8]

 太平洋世界では、「一帯一路構想」に基づく、あるいは海洋資源の確保を目的としての中国の進出と、「自由で開かれたインド太平洋戦略」を標榜する諸国とが競い合う局面が顕在化しつつあると言える。「自由で開かれたインド太平洋戦略」にはフランスが積極的に参画する姿勢を見せている。これまでもフランスは、ニューカレドニアに哨戒機を展開してメラネシア海域の違法操業等を監視し、またアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドと「4カ国防衛連携グループ」(QUAD)を構成し太平洋の安全保障に関わってきていた。近年は更に関わりを強め、フランスは南シナ海での航行の自由作戦にも2014年から定期的に艦艇を派出するようになっている。今年、2018年は日仏修好通商条約締結から160周年に当たり、パリでは「ジャポニズム2018」が企画されている。そのような中で、フランスは日本に対し海洋分野での更なる協力を呼びかけて様々な働き掛けをしている。フランスの「自由で開かれたインド太平洋戦略」への積極的な参入の姿勢は、今後、オーストラリア、インド、日本とアメリカによる4カ国の枠組みとの連携へと進むことを予感させる。

 インド・太平洋におけるオーストラリア、インド、日本とアメリカによる4カ国枠組みについては、インド太平洋に強い影響力を持つイギリスとフランスを加えた4+2の枠組み、更には南シナ海のフィリピンとベトナムを加えた4+2+2を提唱する向きもある。

 太平洋世界のパラダイムはどのように変化していくのであろうか。その予測を地中海世界のパラダイム史観に照らしてみると面白い。

 地中海では、B.C.480年に海洋国家ギリシャと大陸国家ペルシャの間でサラミスの海戦が勃発している。この戦いは歴史上初めての海洋国家vs.大陸国家の海戦であった。勝利したギリシャが東地中海の覇権を得るが、やがて衰退しその地位を古代ローマに譲る。B.C.264年からB.C.146年に掛けて、古代ローマと海洋民族フェニキアの植民市カルタゴとの間で計3回の海戦が発生する。ポエニ戦争である。ポエニ戦争は史上初の海洋国家vs.海洋国家の海戦であった。ポエニ戦争でカルタゴを全滅させた古代ローマは、地中海全域と北部アフリカを支配することになる。地中海はローマ1強の言わば内海となっていった。およそ1000年の歴史が流れる間、ローマ海軍のプレゼンスは希薄となっていった。やがて海洋進出を強める大陸国家オスマン帝国の海軍力が東地中海に影響力を及ぼすようになる。それが、旧来の利益連合体としてのローマ法王庁・ベネチア・スペインによるキリスト教連合と新たな参入者としてのオスマン帝国との間でレパントの海戦を生じさせる。つまり地中海では、海洋国家vs.大陸国家の戦い、海洋国家vs.海洋国家の戦い、その後の力の空白期の後に旧来の海洋大国vs.台頭大陸国家とが影響力を争って戦争する事態を招いた。

 太平洋世界では、日清・日露戦争で海洋国家と大陸国家が戦い、太平洋戦争で海洋国家同士が戦い、冷戦が終結し、アメリカの海軍力が残され、それが縮小される中で、中国が台頭してきている。

今、"シーパワーが競う海洋世界"が形成されつつある太平洋世界で、次には、太平洋版レパントの海戦が生じるのであろうか?それを防ぐための知恵が試されている。

 インド太平洋における3層戦略とシーレーン防衛再考

(1)3層戦略:"コンサート戦略"+"4+4+5シンクロナイズ戦略"+"選択的シーレーン防衛戦略"

 前章において、インド洋と太平洋における海洋利用のパラダイムシフトを回顧し、現状の安全保障環境を概観すると共に今後の戦略構造を展望してみた。では、歴史に照らした場合にインド洋と太平洋に可能性のあるパラダイムとしての"軍事的対立の海洋世界"の出現を回避しつつ、「自由で開かれたインド太平洋」を具現化するための安全保障戦略はいかにあるべきであろうか。包括的戦略として、以下、3層からなる安全保障戦略を提唱したい。

 ①「一帯一路構想」と「自由で開かれたインド太平洋戦略」を共存させるための

"コンサート戦略"(Concert Strategy

 ②覇権的な行動を抑止するための

"445シンクロナイズ戦略"(4+4+5 Synchronized Strategy

 ③グレーゾーン事態において海上物流を確保する

"選択的シーレーン防衛戦略"(Discretionary Sea Lane Defense Strategy

 先ず第1層となる"コンサート戦略"(Concert Strategy)は、「一帯一路構想」に基づく事業に、「自由で開かれたインド太平洋戦略」に同調する諸国による健全な投資と信頼性ある技術を調和させるものである。具体的には、中国の持つマーケット力と日本など技術先進国の持つ力を、普遍性ある国際経済活動のルールに沿って同じインフラ整備の舞台に上げ、健全で"債務の罠"に陥ることのない投資を促し、質の高い技術を提供することである。それにより、経済競争を紛争に至らせず、地域諸国の政情を不安定化させることなく、また1国だけの介入によるパワーバランスの流動化を防ぐことができるのではないだろうか。そこでは、中国の投資による中国企業による事業の請負という構図は書き換えられなければならない。

 第2層となる"4+4+5シンクロナイズ戦略"(4+4+5 Synchronized Strategy)は、主としてインド洋とアジア大陸沿岸海域を対象とするオーストラリア・インド・日本・アメリカの4カ国協力枠組みと、太平洋全域を対象とするオーストラリア・フランス・ニュージーランド・アメリカの4カ国防衛協力枠組み、更にはイギリス・オーストラリア・ニュージーランド・シンガポール・マレーシアによる5カ国防衛取極(Five Power Defense Arrangements)とを同期させるものである。重視すべきは、島嶼諸国への能力構築支援、災害救助態勢の構築、持続可能な開発のための支援、法の支配の普及である。これにより、インド太平洋全域における海洋秩序の形成を図ることができ、覇権的行為を抑止することができるのではなかろうか。つまり、インド洋と太平洋のクロスドメインにおける経済の世界で言われるところの"シナジー効果"である。

 第3層となる"選択的シーレーン防衛戦略"(Discretionary Sea Lane Defense Strategy)は、グレーゾーン事態におけるインド太平洋の海上物流の維持を図るものである。インド洋のシーレーンはグローバル経済を支える物流の大動脈であり、インド洋と太平洋を結ぶシーレーンは東アジア諸国とオセアニア諸国の生命線であり、アメリカとその同盟国の兵力展開ラインでもある。有事に至らないグレーゾーン事態においては、海外依存エネルギー・物資の平時需要量の確保のためのシーレーンの安全確保が最大の課題となる。その対応が、安全保障政策を大きく左右し、確保できない場合には武力紛争を生起させることになる。そのためには、1つのシーレーンに国家経済と安全保障のすべてを委ねるのではなく、事態に応じて選択的に代替できるルートを平時から確保し維持しておくことが必須である。

 現状、グレーゾーン事態において最も不安定となることが予想される海域は南シナ海であろう。南シナ海の航行が妨げられる事態における代替シーレーンの確保が極めて重要である。

 本編は海洋の安全保障を取り扱う「海洋安全保障特報」『海洋安全保障季報』への投稿である。そこで、本章ではこの3層戦略の内の第3層となる"選択的シーレーン防衛戦略"(Discretionary Sea Lane Defense Strategy)に焦点を当て以下に論述する。

(2)"選択的シーレーン防衛戦略(Discretionary Sea Lane Defense Strategy)"

 「自由で開かれたインド太平洋戦略」における"選択的シーレーン防衛戦略" (Discretionary Sea Lane Defense Strategy)は、先ずは"二つの海の交わり"の要衝海域としての南シナ海を極めて重要な海域対象として検討すべきである。

ア 南シナ海の航行が脅かされる事態

 海洋政策研究財団(現、笹川平和財団海洋政策研究所)では、2013年度に、南シナ海の航行が危ぶまれるグレーゾーン事態が発生し、中東から日本への原油タンカーが他の海域に迂回せざるを得ない場合における経済的損失について定量分析し、エネルギー安全保障への影響について調査すると共に、対応の在り方について検討したことがある[9]

 分析の対象となるグレーゾーン事態として、以下のシナリオを想定した。

想定シナリオ)

a.領有権や国家管轄海域の境界を巡って厳しい対立が続く南シナ海で、中国が、他国の漁船や各種調査船を排除する動きを強め、中国と他の当事国の海上法執行機関に属する船舶等との間で異常接近や衝突が頻繁に生じる事態となった。

b.そのような状況の中、アメリカは、中国を一方とする国家間の対峙が武力衝突にエスカレートする事態を抑制するため、空母を含む艦隊を南西諸島に沿った西太平洋とフィリピンの群島水域に展開した。

これに対し、中国は、南シナ海における自国の権益と環境の保護を名目として、"第1列島線"の内側海域を"Area Denial"海域として他国船舶の航行を制限すると宣言し、特に、被弾した場合には、環境に甚大な被害を及ぼす大型原油タンカー(VLCC)は、南シナ海を迂回するよう警告した。

c.このため、すべての海運会社が、南シナ海を通航するVLCCについて安全策を講じることを余儀なくされた。中国は、南シナ海を通る自国向けの原油タンカーについては、自国海軍艦艇によって護衛して通航させる一方、「9段線」の内側海域には中国の主権が及ぶとして、他国の海軍艦艇の航行は無害通航と認めないとの一方的な立場を示した。

日本は、自国に原油を運ぶVLCCを海上自衛隊の艦船等によって護衛することに慎重な姿勢を見せたため、日本向けのVLCCは、事態が終息する、或いは対応措置が採られるまでの間、南シナ海を避けて航行せざるを得ない事態となった。

d.中東から日本に原油を運搬するVLCCは、通常のルートであるマラッカ・シンガポール海峡を通れば、必然的に南シナ海に入ることになるため、迂回する代替ルートを選定せざるを得なくなった。

e.中国は更に、南シナ海の問題は地域の当事国間で解決すべきものであると主張してアメリカを牽制し、もし域外の国の武装艦船・航空機が南シナ海に入れば、第1列島線と第2列島線の間の海域を"Anti-access"海域として所要の措置を講じると宣言した。その背景には、中国への原油タンカーの航行路の確保があるものと考えられた。中国の輸入原油の90%は海上輸送に依拠しており、港はすべて南シナ海と東シナ海に面している。アメリカがマラッカ海峡をかつて提言されたことのある"Offshore Control [10]"に類似の戦略として封鎖した場合、中国への原油タンカーは、インドネシア群島水域を通って西太平洋を北上した後、南西諸島の公海部分を通って東シナ海に入る以外にルートがない。そのためには、第1列島線と第2列島線の内側海域のシーコントロールを中国が掌握しておく必要があるためである。

 南西諸島からフィリピン諸島に沿った西太平洋は、中国の"Anti-access"海域に当たる第2列島線の内側になる。VLCCがマラッカ・シンガポール海峡を避けてインドネシアの群島水域に入り、その後に西太平洋を北上すれば、そこは中国の"Anti-access"海域である。アメリカと中国の間で緊張状態が高まれば、"Anti-access"海域へのVLCCの航行にも支障を来たす場合が危惧された。

 中東方面からインド洋を通って、日本に原油等のエネルギー資源を運ぶシーレーンは、マラッカ・シンガポール海峡に集束した後、南シナ海に入る。上記の想定事態は、有事に至っていない緊張状態であり、海自艦艇での護衛等は武力紛争にエスカレートする危険性がある。アメリカも第1列島線から中国側海域に艦艇等を投入することは避けるだろう。想定するような事態が生起する場合に備えて、日本は自国向けのVLCCが南シナ海を迂回する代替ルートを確保しておかなければならない。

 中国が第1列島線の内側を"Area Denial"海域として大型原油タンカーの通航に警告を出した場合、日本へのVLCCは、ロンボク海峡を通ってインドネシア群島水域に入り、マカッサル海峡を抜けてフィリピンの東側を北上して太平洋岸の港に入ることになろう。 

 更に事態がエスカレートして、第1列島線と第2列島線の間が"Anti-access"海域となった場合、ロンボク海峡-マカッサル海峡のルートも利用できないため、日本へのVLCCは、オーストラリアの南方を通って南太平洋に出て、西太平洋を北上することになろう。

 サウジアラビアの港から日本の太平洋岸の港までの航程は、ロンボク海峡に迂回する場合、通常のマラッカ海峡通峡に対して片道約1,000カイリの航程増となる。これが、オーストラリアの南方に迂回したとすると、航程が片道約5,200カイリ増加する。

 中東から日本への原油は、チャーターされたVLCCにより往復ピストン輸送で運ばれている。航程が増大すると、到着が遅れるため、チャーターするVLCCを増やさなければ平時の所要量を確保できなくなる。

 海洋政策研究財団が2013年度に実施した研究では以下の2つの代替ルートについてその経済的損失を定量分析した。

①第1列島線の中国側は危険だが第2列島線と第1列島線の間は通航できる場合:

マラッカ・シンガポール海峡を避けてインドネシア群島水域のロンボク海峡に向かい、マカッサル海峡を通って西太平洋に出て日本に向け北上するルート。

②第2列島線と第1列島線の間の海域も危険な状態となった場合:

インド洋からオーストラリア南岸を通って西太平洋に出て、第2列島線の以東を日本に向け北上するルート。

 研究はクローズド方式で実施され、経済的損失額や輸入可能原油量などの詳細な定量的分析結果を公開報告書に記載することは避けたが、概ね以下については紹介した[11]

①ロンボク・マカッサル海峡を通って西太平洋を北上するルートの場合:

平時所要量を確保でき、且つ、経済的損失も軽微との試算を得た。

②オーストラリア南岸に迂回し第2列島線の以東を北上するルートの場合:

 日本向けVLCC隻数を大幅に確保する必要があり多大な経済的損失を被る。また、VLCCの必要隻数の確保も世界のタンカー市場からして難しく、原油輸入量は大幅に減少し、それにより極めて大きな経済的混乱が生じるとの結果となった。

 

イ "Outer Rim Route"の確保

 以上の通り、南シナ海の航行が危ぶまれる事態においても、日本は①のルート、つまり、通峡することにより必然的に南シナ海に入ることになるマラッカ・シンガポール海峡を避け、インド洋・ベンガル湾からインドネシア群島水域のロンボク海峡に迂回し、マカッサル海峡を通って西太平洋を北上するルート、本論では"外縁ルート(Outer Rim Route)"と呼称する、を代替シーレーンとして確保しておくことによって、ある程度の経済的損失は被るものの、中東からの平時所要の原油量を入手することが可能である。逆に、この通常のルートの外縁を通る"外縁ルート(Outer Rim Route)"を危機に応じて選択的に利用できなければ、南シナ海が安全保障上グレーゾーン事態となった場合において日本は所要の中東原油を確保することが難しくなる。

 "外縁ルート(Outer Rim Route)"のインド洋側にはスリランカが位置しており、太平洋側にはミクロネシア島嶼国がある。"外縁ルート(Outer rim Route)"のインド洋側と太平洋側の安全保障環境には類似するものがある。それは、インド洋側にも太平洋側にも前章で述べた"シーパワーが競う海洋世界"のパラダイムシフトが見られつつあり、その中で、「一帯一路構想」に基づく中国の進出が地域発展途上国の内政と経済に影響を及ぼし、それが既存の地域国際社会の構造において利益を有する諸国に経済の面のみならず安全保障戦略上の脅威を及ぼすという地政学的構造変化を来している情況である。では、"外縁ルート(Outer rim Route)"を選択的に代替シーレーンとして活用するためにはいかなる外交・安全保障戦略が必要であろうか。

インド洋側"外縁ルート(Outer rim Route)"の確保

 インド洋側の"外縁ルート(Outer rim Route)"の確保については、スリランカとの良好な関係が極めて重要である。スリランカはハンバントタ港の運営権が99年間に渡り中国企業に譲渡される。しかし、元々、ハンバントタ港は中国とスリランカとの間で軍用に使用しないとの取り決めがあり、また同港はスリランカの南に位置し、インド洋と南シナ海を結ぶシーレーンを見た場合、必ずしも良好な地理的位置に在るとは言えない。その点、スリランカ西部に位置するコロンボの方がインド洋と太平洋とを結ぶ港湾としては適している。スリランカは既に中国から多額の負債を抱えており、これ以上のインフラ等整備への投資は避けるべきである。一方、海軍の能力構築は検討すべきものがある。スリランカ海軍の発祥はセイロン海軍義勇軍であり、第2次世界大戦時にイギリス海軍の一部として従軍している。そのことから、イギリス様式の海軍文化が残っている。スリランカ海軍は、スリランカ内戦において正規軍としてタミル・イーラム解放のトラとの戦いに勝利するなど経験は豊富だが、兵力は十分であるとは言えない。同じ海軍文化を有するインド・オーストラリア・日本・アメリカの4カ国は、スリランカ海軍の能力構築を積極的に支援すべきであろう。スリランカ海軍との共同態勢は、インド洋における4か国のプレゼンスを強化するものともなる。

太平洋側"外縁ルート(Outer rim Route)"の確保

 では、太平洋側の"外縁ルート(Outer rim Route)"の確保はいかにすべきであろうか。

 ロンボク・マカッサル海峡を通ってフィリピンの東側海域に出ると、そこは第1列島線と第2列島線の間の海域である。第1列島線と第2列島線の間の北側の海域は、アメリカと日本の安全保障条約体制によって一応の安全は確保されていると言える。しかし、第1列島線と第2列島線の間の南側海域については、航行の安全に関する国際的な対話も取極めもない。第1列島線と第2列島線の間の南側海域には、パラオとミクロネシア連邦そしてマーシャル諸島の3カ国がある。いずれもアメリカとの間に自由連合盟約を結び、安全保障はすべてアメリカに依存しており、海軍は保有していない。また、この3カ国は、広大な排他的経済水域を有するものの資源管理のための手段にも乏しい。アメリカが安全保障を担っているとはいえ、ミクロネシア連邦とマーシャル諸島共和国への支援は、2023年が条約の期限であり、その後については不透明である[12]。 

 さて、中国への中東原油は、マラッカ・シンガポール海峡から南シナ海に入るルートを通って運ばれており、日本と同じである。中国が南シナ海を排他的に支配することを企図すれば、アメリカは中国船舶のマラッカ・シンガポール海峡航行を制限する措置をとることはほぼ確実であろう。中国にとって、南シナ海を排他的に支配するためには、現在日米同盟による安全保障態勢が及んでいない第1列島線と第2列島線の間の南側海域における航行自由を確保しておくことが絶対条件となるのである。また、南シナ海の航行が危うくなる事態においては、多くの船舶が第1列島線と第2列島線の間の海域に迂回するであろうことから、様々な国が影響力を強めるべく行動し、それによって安全保障環境が流動化することも十分に考えられる。

 日本として確保しておくべきは、ミクロネシア島嶼諸国との良好な関係の構築である。地球規模での漁業資源への需要の増大や、海底希少鉱物資源への関心の高まりが、ミクロネシアの海への様々なアクターの介入を促している。今後、ミクロネシアの海での違法操業が増え、更には漁業資源や海底資源を巡る紛争が生起する可能性も予期すべきであろう。日本としては、資源管理、沿岸域管理、違法操業監視、産業育成、海難救助態勢、等々の面での支援を通してミクロネシア島嶼国との関係構築を図るべきであろう。そこにおいて、オーストラリア・フランス・ニュージーランド・アメリカの4か国枠組みとのシナジー効果を図ること、更には、ミクロネシアに影響力を持つ台湾との連携が必要となる。台湾が新たに打ち出しているニューサウスバウンド政策に働き掛け、同政策をミクロネシア諸国にも向けるよう促すことも考慮すべきであろう。

 "Offshore Control"戦略と"選択的シーレーン防衛戦略(Discretionary Sea Lane Defense Strategy)"の相違

 かつて発表された"Offshore Control"戦略は、地政学的利点を活かしたアメリカによる中国に対する長距離封鎖を含む経済消耗戦に関する戦略提言であり、中国のエネルギー資源や原材料の輸入と製品の輸出を阻止する意図と能力があることを示すものである。具体的には、第1列島線の大陸側を「排他的海域」と宣言した上で、攻撃型潜水艦、機雷、限定的な航空兵力を投入して大型貨物船やタンカーを攻撃すると警告し、同盟国と協調して第1列島線の太平洋側の海上・航空優勢を確保して、中国向け艦船の通航を拒否するとともに、マラッカ・シンガポール海峡、ロンボク海峡、スンダ海峡、オーストラリアの南北のルートを軍事的に閉ざすことによって、中国への海上輸送を遮断する戦略構想である。

 "Offshore Control"は、伝統的な戦争理論における"決定的な勝利"を求めるものではなく、効果的に目的を達成するものである。提言者であるハメスによれば、中国本土の施設等への攻撃を避けることにより、核戦争へのエスカレーションを抑制し、中国が紛争を収拾した方が賢明であると判断させて戦争を終らせるように仕向けるものであるとされる。"Offshore Control"戦略は、その根底に中国との戦争は核戦争へのエスカレートを避けるため長期戦になるとの考えがあり、そのため、アメリカの戦力を消耗することなく、中国に紛争終結の選択を強いることに狙いがある。中国に向う船舶が、マラッカ・シンガポール海峡ではなく、パナマ運河かマゼラン海峡、あるいは北極海ルートに回ったとしても、アメリカはこれらすべてのルートをコントロールすることができる。仮に、通航できたとしても、戦闘艦による護衛なくして第1列島線を東から西に通航することは不可能であろう。中国が第1列島線の内側を "Area Denial" 海域と宣言することに対応して、アメリカも同海域を「排他的海域」として "Offshore Control" 戦略を発動すれば、前章で述べたように、中国経済はマヒ状態に陥ることになろう。

 しかし、"Offshore Control"は、長期に亘る作戦を必要とするところから、世界経済に大きな影響を及ぼすことは必至である。そのため、フィリピンやベトナムなど南シナ海諸国が被る経済的損失もまた大きい。それよりもなお、"Offshore Control"によって中国経済が麻痺する事態が生じれば、インド洋東部からマラッカ・シンガポール海峡を経て南シナ海に至る海域のシーコントロールを巡って武力紛争を招く公算こそ危惧すべきであろう。そのように考えれば、南シナ海のシーレーンが脅かされる事態において"Offshore Control"を発動することは、国際経済を不安定化させ、更には、軍事的緊張を高めるなど、むしろ受け入れ難い事態を生じさせてしまうことを想定する必要がある。

 国際社会が講じるべきは、武力紛争にエスカレートさせない抑止戦略である。平時から"選択的シーレーン防衛戦略((Discretionary Sea Lane Defense Strategy)"としてインド太平洋の代替架け橋となる"外縁ルート(Outer rim Route)"を維持し、それに沿った諸国とのゆるぎない関係を保つことは、グレーゾーン事態を武力紛争事態にエスカレートさせない抑止戦略となるであろう。

 ここで忘れてはならないのが、実行性ある防衛力の整備である。戦略にはそれを実行できる兵力、体制、そして法制が整備されていなければならない。日本としては、"選択的シーレーン防衛戦略(Discretionary Sea Lane Defense Strategy)"の実効性を強めるための自衛隊の兵力と組織編制、そして作戦として実行できる法制を検討すべきである。

おわりに

 2018年5月30日、ハワイでのアメリカ太平洋軍司令官交代式で、ジェームス・マティス国防長官が太平洋軍の名称をインド太平洋軍に改称すると発表した。第2次世界大戦後のアメリカ軍の改編を受けて1947年に発足した太平洋軍は、太平洋からインド洋までを任務範囲としており、関係する国々は実に36カ国に及ぶとされる。公式には、今回の名称変更は任務範囲をより適切に表すものにする意図からとされるが、インド太平洋における戦略環境の変化への対応、「自由で開かれたインド太平洋戦略」の共有、そして本稿冒頭でも触れたトランプ大統領による"インド太平洋ドリーム"への取組みが背景にあることは間違いない。そのことは、マティス長官の「インド洋と太平洋の連結性が高まっていることから、インド太平洋軍に改名する」との5月30日の発言からも明らかである。アメリカ下院外交委員会は、2019会計年度(2018年10月-2019年9月)の国防権限法案で、2020年から太平洋軍の名称をインド太平洋軍に変更することを求める条項を盛り込んでいた。

 一般的に言って、組織の名称変更には様々な理由があろうが、多くの場合、改革のモメンタムを促すものとなる。太平洋軍のインド太平洋軍への改称にも、大きな改革のモメンタムを予期させるものがある。必要なことは、アメリカ軍のインド太平洋の要衝への既存の垣根を超えたプレゼンスの維持・増強であろう。そのためには、自国のインド太平洋での艦艇や航空機の展開を拡大する、あるいは常続的なものとするための中継基地や補給地の安定的確保が必要である。加え、兵力展開路として、Sea Lines of Communication (SLOC)の安全自由航行も不可欠である。そこにおいて、"選択的シーレーン防衛戦略(Discretionary Sea Lane Defense Strategy)"としての"外縁ルート(Outer Rim Route)"の確保と、それを可能とするが"4+4+5シンクロナイズ戦略"が重要となるはずである。

 日本と関係国はアメリカと協調し、"4+4+5シンクロナイズ戦略"のための具体的作戦・政策を検討すべきである。勿論、そこでは各国の適切な防衛力整備が併せ検討されなければならない。その間にも、既存利益国と新興参入国との摩擦を避けるための"コンサート戦略"が同時並行的に遂行されなければならない。



[1] 首相官邸ホームペイジ:https://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2016/0827opening.html

外務省ホームペイジ:http://www.mofa.go.jp/mofaj/afr/af2/page3_001556.html

[2] BBCメディア版ニュースサイト:http://www.bbc.com/japanese/41938468 

[3] Swami Vivekananda, the great spiritual leader that India "The different streams, having their sources in different places, all mingle their water in the sea".

[4] "My friends, where exactly do we now stand historically and geographically? To answer this question, I would like to quote here the title of a book authored by the Mughal prince Dara Shikoh in 1655. We are now at a point at which the Confluence of the Two Seas is coming into being." "the Pacific and Indian Oceans are now bringing about a dynamic coupling as seas of freedom and of prosperity. Japanese diplomacy is now promoting various concepts in a host of different areas so that a region called the Arc of Freedom and Prosperity will be formed along the outer rim of the Eurasian continent."

[5] 『中国の北極政策白書』中国国務院弁公室、2018126日。

[6] ジョージ・F・ケナン、近藤晋一他訳『アメリカ外交50年』岩波現代文庫、200010月参照。

[7] 『産経新聞』2018528日。

[8] 外務省https://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/ocn/page4_004026.html

[9] 詳細は、「海洋情報特報:南シナ海の航行が脅かされる事態における経済的損失」『海洋安全保障情報季報第6号』海洋政策研究財団、2014630日。

[10] T.X. Hammes, "Offshore Control : A Proposed Strategy for an Unlikely Conflict", Strategic Forum, Institute for National Strategic Studies at the National Defense University, No.278, June, 2012.

http://www.ndu.edu/inss/news.cfm?action=view&id=162

[11] 詳細は前掲「海洋情報特報:南シナ海の航行が脅かされる事態における経済的損失」を参照されたい。

[12] パラオ共和国に関しては1994年の発効から50年間の期限(2044年まで)がある。