アジア太平洋の排他的経済水域における信頼醸成と安全保障のための行動理念

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-排他的経済水域の安全保障に係る研究の成果-


秋元一峰,海洋政策研究財団海洋グループ主任研究員

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本記事は、海洋政策研究財団が2012年度から2013年度に掛けて実施した、「排他的経済水域における航行および上空飛行に係る指針」(英文タイトルGuidelines for Navigation and overflight in the Exclusive Economic Zone[1]改定のための研究事業の成果として作成した、「アジア太平洋の排他的経済水域における信頼醸成と安全保障のための行動理念」(英語タイトルPrinciples for Building Confidence and Security in the Exclusive Economic Zones of the Asia-Pacific)を紹介するものである。

1 研究の背景と趣旨  

1982年の国連海洋法条約に規定される排他的経済水域(Exclusive Economic Zone、以降、本文ではEEZと表記)における、他国の艦船・航空機等による資源調査、水路測量、軍事演習、情報収集等のための行動については、国によって規定される関連条項の解釈に相違があり、沿岸国と海洋利用国との間で対立を生じ、それが、時として航行の自由を阻害するばかりでなく、海洋の安全保障環境を不安定化させる要因となっている。

2001年に海南島沖の中国のEEZ内で生じた、アメリカ軍所属の電子偵察機EP-3と中国軍の戦闘機との衝突事件は、この問題を国際社会に強く印象付けるものとなった。当時、日本のEEZ内においても、中国の海洋監視船が協定に定められた事前通報なしに調査活動を繰り返す事案が生じていた。

そのような情況に鑑み、海洋政策研究財団では、他国のEEZにおける艦船・航空機による行動に係る法的解釈に一定の国際合意が必要であると認識し、2003年度から2005年度に掛けて計4回の国際会議を主催し[2]、参加者の総意として「排他的経済水域における航行および上空飛行に係る指針」(Guidelines for Navigation and overflight in the Exclusive Economic Zone、以降、本文では「指針」と表記)を作成し、国内および海外の関連機関・研究所等に紹介した。「指針」は、海外の専門誌に掲載され、アメリカ海軍大学でも参考資料として使用されるなど、一定の評価は得たが、国際的取極めにまで進展させることはできなかった。

「指針」作成から4年を経過した2009年、海南島沖の中国のEEZ内で、アメリカ海軍所属の海洋調査船「インペッカブル」が中国の漁船や公船に妨害を受ける事件が発生した。2001年のEP-3事案を重く見て作成した「指針」が国際社会で受け入れられない面があるのではないか、あるいは、国際情勢が「指針」作成当時と大きく異なっているのではないか、といったことが思慮された。中国海軍の外洋進出が顕著となるのは、「インペッカブル事案」の前年の2008年からであるとの指摘が多い。現在の、東アジアと西太平洋での軍事バランスは、2005年の「指針」作成当時からみれば、確かに変化している。南シナ海や東シナ海での島嶼の領有権と国家管轄海域の境界画定を巡っての紛争の激化もまた、安全保障環境の大きな変化である。「指針」が国際社会で受け入れられない面が生じているとすれば、それはつまり、情勢の変化によるものと理解することができるであろう。「指針」作成時からの情勢変化として、4つを挙げることができた。第1は、中国の海軍艦艇の外洋進出の活発化、第2は、東アジアの海域(南シナ海・東シナ海)における島嶼領有権・国家管轄海域の境界確定を巡る紛争の激化、第3は、それに関連しての中国の法執行機関船舶による他国船舶に対する高圧的な行動、第4は、そのような情況に対するアメリカのプレゼンス回復のための措置とASEAN諸国のEEZにおける海軍艦艇等の行動に関する見解の変化である。

以上のように、EEZにおける行動を巡る国際情勢の変化を認め、海洋政策研究財団では、2012年度と2013年の2年間を掛け、「指針」を見直し、必要に応じ、時宜に叶ったものに改定するための研究事業を実施した。

2 研究における留意事項

概して、沿岸国の多く、特に非植民地を経験したアジアの諸国では、自国のEEZにおける他国の海軍艦艇等の行動は、国連海洋法条約が規定する海洋の平和的利用に反するものと主張し、一方、アメリカやイギリスといった伝統的な海洋国家は、領海以遠の海域はEEZも含めて海洋自由が原則であり、海軍艦艇等の行動も認められるべきであると解釈する。 

「指針」を検討していた、2003年から2005年に掛けての頃、海洋における主たる脅威は、マラッカ海峡やインドネシア群島水域に出没する海賊や中東における海上テロであり、現在の安全保障環境を不安定化させている最大の要因である、南シナ海問題や尖閣諸島周辺での対立、中国の急激な海洋進出は顕在化していなかった。そのため、「指針」作成のための討議において、東南アジア諸国からの参加者のほとんどが、沿岸国の意見を代表するかのように、EEZ内での他国海軍艦艇等の行動や情報収集活動は認められないとの立場をとっていた。中国からの参加者もまた、東南アジアからの参加者とほぼ同じ考えを主張した。そのため、「指針」作成に当たっては、沿岸国と利用国の双方の意見に衡平に意を払いつつ、国連海洋法条約に記されるEEZの法的地位に沿った行動の基本を示すことに努めた。その結果、「指針」には純軍事的な面からの配慮が不足している面があったことは否めない。

今日、中国は他国のEEZ内で海軍艦艇を行動させ、情報収集も活発化させており、一方、東南アジア諸国、特にベトナムやフィリピンは、南シナ海で中国の高圧的行動に対抗するため、アメリカ海軍の自国沿岸域での行動をむしろ歓迎している。一方、当時の海洋問題に係る国際会議等では、EEZの法的地位の明確化が求められる傾向があったため、「指針」作成のための討議においても、表現に曖昧性があるように受け取れる個所がある国連海洋法条約の条文について、沿岸国と利用国の権利と義務をどのように解釈すべきかの議論が活発であった。しかし今日、国際会議等の場では、国連海洋法条約の曖昧性はそのままとして、資源・環境保護のためのEEZのレジームの確立を目指しての国際協調や、安全保障環境の安定化のための信頼醸成さらには軍事に関する透明性の確保を念頭に置いた議論が主流となっており、それが現実的なアプローチであるとの考えが多い。

また、EEZにおける行動に係る指針を示すための試みは、海洋政策研究財団による取組みが世界でも初めてのものであったところから、「指針」作成のための会議は、討議対象が広範多岐に亘り且つ細部にまで入り過ぎ、その結果として、必要以上にEEZにおける行動に縛りを掛けるものとなった面があった。

以上のことから、「指針」作成当時と今日の、国際安全保障環境の相違を勘案し、2012年度と2013年度で実施した「指針」改定のための研究会議は、新たな視点から、つまり、流動化する安全保障環境を安定化させるための指針を考慮できる専門家を招聘して実施した。

3 研究の実施概要と成果

研究初年度となる2012年度は、少数のコアメンバーをドラフティング・コミッティーとする第1回国際会議を開催して[3]「指針」を見直し、改定すべき箇所等を洗い出して改定概案を作成すると共に、それを海外の関係機関等を訪問して紹介し意見を聴取した。

2013年度には、第2回国際会議を開催し[4]、2012年度の第1回国際会議で作成した改定概案を審議し、最終成果として、「アジア太平洋の排他的経済水域における信頼醸成と安全保障のための行動理念」(Principles for Building Confidence and Security in the Exclusive Economic Zones of the Asia-Pacific、本文では以降「行動理念」と表記)を作成した。

タイトルを、“指針”ではなく“理念”としたのは、EEZにおける行動に必要以上の縛りを掛けることを避け、そのためには、信頼醸成が前提となることを意識したものである。

「行動理念」(英文、正本)の全文を別紙1に、その和文仮訳(長岡さくら・海洋政策研究財団研究員訳)を別紙2に示す。

a「行動理念」の内容

「指針」と「行動理念」の目次体系は以下のとおりである。

「指針」「行動理念」
Ⅰ. 定義Ⅰ. 序言
Ⅱ. 沿岸国の権利と義務Ⅱ. 定義
Ⅲ. 他国の権利と義務Ⅲ. 排他的経済水域における妥当な配慮
Ⅳ. 海洋監視Ⅳ. 海洋監視
Ⅴ. 軍事活動Ⅴ. 軍事活動
Ⅵ. 電子システムへの不干渉Ⅵ. 電子システムへの不干渉
Ⅶ. 海賊・不法行為の抑止Ⅷ. 海洋の科学的調査
Ⅷ. 海洋の科学調査Ⅷ. 暫定的な取極め
Ⅸ. 測量調査Ⅸ. 法令の透明性
Ⅹ. 法令の透明性

「行動理念」の目次体系は、「指針」が広範多岐で且つ細部に亘り過ぎた面を是正したことから、章が少なくなっている。「指針」で取り上げた「沿岸国の権利と義務」「他国の権利と義務」は、「海洋監視」「軍事活動」等の各章の中でそれぞれ述べており、「海賊・不法行為の抑止」は、海賊への国際的取組みが既に慣例化している現状に鑑み削除した。替わりに、現在の国際安全保障環境においては、法的解釈の統一には信頼醸成が極めて重要であると考察し、そのため「排他的経済水域における妥当な配慮」を新たに、また、今後、EEZに関わる地域的あるいは二国間の取極が進むことを予期して、「暫定的取極」を章立てした。

b 軍事活動

他国のEEZにおける軍事的な情報収集や演習は、EP-3やインペッカブル事案が示すように、国家間の最大の対立要因であり、「行動理念」の核心的部分でもある。

急激に海洋進出を進め、海軍活動を広域化・活発化させている中国は、その主張にダブルスタンダードを生じさせている面がある。中国は、海南島沖の自国のEEZ内におけるアメリカによる情報収集活動に対しては、「海洋の平和的利用」の原則に反するとして抗議行動を取るが、一方で、日本のEEZやグアム島のアメリカ軍基地の近傍海域で情報収集や演習を繰り返している。中国もまた、アメリカと同様に、安全保障のために他国の情報を収集する軍事的な必要性が生じているのである。他国の軍事に関する意図と能力は、それが不明である場合、憶測や誤解を生み、紛争を武力衝突にエスカレートさせる危険性がある。そこにおいて、透明性が重要となる。透明性は信頼関係を増進させるための基礎となる。しかし反面、自国近海における他国の軍事活動は安全保障上の不安要因となることも確かである。また、EEZにおける演習等は、時として沿岸国の資源・環境保護のための主権的権利・管轄権を脅かす危険性がある。

以上を勘案し、「行動理念」では、他国のEEZにおける情報収集(海洋監視と表記)や軍事演習の実施について以下を記載している。

1 いかなる国も、他国のEEZにおいて海洋監視(情報収集)を実施する権利を有する。

2 軍艦及び軍用航空機並びにその他の政府船舶及び政府航空機は、他国のEEZの通航及び上空飛行、その他国際的に合法な海洋の利用を行う権利を享有する。

3 他国のEEZにおいて監視活動を含む軍事活動を実施する国は、沿岸国の主権的権利および管轄権を尊重する。

4 他国のEEZにおいて軍事活動を行う船舶及び航空機は、沿岸国又はいかなる国の領土保全又は政治的独立に対する武力による威嚇又は武力の行使を慎む義務を負う。

5 他国のEEZにおいて軍事演習を実施する予定の国は、適時、演習の日時及び海域を通報する。

6 他国のEEZにおける軍事活動は、以下の海域を避けることが奨励される。
・ 生物資源又は非生物資源の豊富な海域
・ 資源の探査及び開発が進行中の海域
・ 国際的に受け入れられている基準に従って沿岸国によって宣言される海中公園又は海洋保護区
・ 国際的に受け入れられている基準に従って設定される航路帯及び分離通航帯

7 EEZに隣接する公海が存在する場合、軍事演習は合理的かつ実行可能である限り、公海部分で実施する。

c「行動理念」の国際社会への普及 

2014年2月に、国際海事機関(International Maritime Organization)の事務局長に「行動理念」を提示し、関連する国際的な取極め等の機会において参考資料として活用するよう依頼した。海洋政策研究財団では、今後、「行動理念」作成に携わった専門家等と連携しつつ、積極的に機会を設けて国際社会に広く紹介することとしている。

東アジアでは、他国のEEZにおける軍事演習や情報収集活動を巡る意見の対立によって安全保障環境が不安定化している。そのため、関連する国際法の解釈の共通化を図るための指針が必要であるとの認識は強く、「行動理念」の意義について理解を得ることができるものと思量する。ASEAN地域フォーラム等の国際的な会議や海洋安全保障に関わる国家機関や有識者の間で議論されていくように働き掛けていく方針である。

(2014年5月12日配信【海洋情報特報】より)

[1] 「排他的経済水域における航行と上空飛行に係る指針」全文は、https://www.sof.or.jp/en/report/pdf/200509_20051205_e.pdfで閲覧可能。
[2] 開催した国際会議は、第1回:2003年2月・東京、第2回:2003年12月・ホノルル、第3回:2004年10月・上海、第4回:2005年9月・東京、であり、アメリカ、ロシア、中国、インドネシア、等、10カ国と国際海洋法裁判所から15名の専門家を招聘して実施した。
[3] 2012年10月、アメリカ、オーストラリア、中国、フィリピン、日本から8名の専門家をコアメンバーとして招聘し、箱根で開催した。
[4] 2013年10月、第1回国際会議のコアメンバーに加え、韓国とベトナムから1名づつ、計10名の専門家を招聘して東京で開催した。