海外論調: 新たな地政学的概念、The “Indo-Pacific”が意味するもの

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~ローリー・メドカーフ(豪The Lowy Institute)論考~

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オーストラリアのLowy Institute において国際安全保障プログラムを統括しているRory Medcalfは、米誌(電子版)、The American Interest (November / December, 2013) に、“The Indo-Pacific: What’s in a Name?” と題する長文の論考を発表している。筆者によれば、「インド-太平洋 (The “Indo-Pacific”)」いう用語は10年前にはほとんど見られなかったが、最近になって、有識者や政策策定者たちによって、アジアの地政学を語る用語として使われるようになった。筆者は、「インド-太平洋」なる新たな地政学的概念が持つ安全保障上の含意について、要旨以下のように論じている。

(「インド-太平洋」という概念の始まりとして、安倍首相の2007年のインド国会における演説「二つの海の交わり」がよく引用される。最近では2012年まで米国務長官を務めたヒラリー・クリントン氏が頻繁に使った言葉でもあり、オーストラリアの国防白書や、来日したインドネシアのユドヨノ大統領の演説の中でも「インド-太平洋」という言葉が使われるようになった。メドカーフの論考は、この概念がなぜ登場したのか分析した論考である。ここでは、長文なので、焦点を絞って内容を紹介することとした。抄訳:長尾 賢・海洋政策研究財団研究員)

(1) 最も単純なレベルの理解としては、「インド-太平洋」と名付けることの意味は、経済面でも安全保障面でも繋がりを強める西太平洋とインド洋が1つの戦略システムを形成しつつあるということである。「インド-太平洋」と今日呼ぶものは、数十年前には予測できなかった具体的な変化を現している。これは、冷戦の終焉と、中国のみならず、インドや他の国々の台頭によって形成された新しい現実を反映したものである。その変化は、アジア太平洋で最も重要なアジア太平洋経済協力 (APEC) のプロセスをほとんど時代遅れのものにしてしまう(インドは参加していない)。代わって、今日の「インド-太平洋」アジアに適合した多国間枠組みが、ASEANを中心に始まり、中国、インド、アメリカ、日本そして他の国々を含む形へと拡大しつつある。2005年12月14日にクアラルンプールで開かれた東アジア首脳会議は、現在の「インド-太平洋」概念が生まれた瞬間と言っていい。この概念はまた、インド洋沿岸諸国と東アジアを繋ぎ、何十億の人々の生命に影響を及ぼす、エネルギーや他の経済的な流れが膨大な量に増大していることを反映している。「インド-太平洋」という概念は、20世紀後半における「東アジア」と「南アジア」という分離した戦略的な位置づけを壊すだけでなく、それは、通商と抗争の場としての「海」を重視するものである。今やインド洋は、世界的に最も混雑し最も戦略的に重要な貿易航路となっている。

(2) もちろん、「インド-太平洋」を1つの相互連結地域として捉える考え方には限界もある。全てを1つの概念で捉えることは一見魅力的だが、戦略的な優先順位を見つけ難くしてしまう。「インド-太平洋」を上位の地理概念とすれば、その下位に位置づけられる北東アジアや南アジアの下位地域は何十もの国で構成されており、安全保障問題に対処するための効果的な協力がまだ存在しない、独自の扱いにくい厄介な戦略的状況にあり、アジアにおける最もホットな短期的な安全保障上の課題が多くある。確かに、下位の地域における緊張は、孤立させ、局限することができる。しかし、「インド-太平洋」アジアは世界経済の重心になりつつあることから、「インド-太平洋」における主要なパワー、即ち中国、インド、日本あるいはアメリカが係る如何なる紛争も、下位の地域の紛争に局限しようとしても難しいであろう。実際、このような紛争はグローバルな影響を及ぼすことになろう。例えば、米中両国にとって、将来の印パ紛争を抑止することは決定的に重要であろう。中国は、アフガニスタンの将来の鍵を握っている。そして最も重要なこととして、南シナ海問題は、東アジアだけの狭い問題ではなく、中国だけの問題でもない。大国になった中国がどのような行動をとるか、テストケースになっている。世界的な通商国家にとって、シーレーンは重要である。アメリカやその同盟国、インドを含むパートナー諸国は、ルールに基づく「インド-太平洋」秩序に重大な国益を有している。南シナ海が中国の核心利益であるかどうかにかかわらず、この海域は、「インド-太平洋」の核心利益であることは間違いない。

(3) 究極の安全保障上の脅威は、主要大国が相互に、その拡大する利益を他の大国から護ろうとすることである。中国は今や、近代的な外洋艦隊を保有しているが、インド洋においては未だほとんどその存在を示していない。それでも、中国海軍の潜水艦によるインド洋での情報収集活動が報じられている。アジアの大国間では、日本とインドが、最も安全保障上の協力関係を深めている。インド海軍は、日本と共同訓練を行い、南シナ海に艦隊を派遣している。日本は米印海軍の合同演習の第3番目のパートナーを目指しており、3カ国間には控えめな政策協議がある。この動きの念頭には中国があることは疑いようもないが、相互の懸念が増大しているにもかかわらず、というより、そうであるからこそ、中国とインドは、正式な海洋安全保障対話を開始し、艦艇を相互訪問させている。

(4) 中国の(鄭和以来の)数世紀遅れたインド洋への回帰に対するインドの反応には依然、相互不信と神経過敏に満ちている。パキスタンとスリランカにおける中国最大の商業港は、将来の基地を相手にするよりは簡単に破壊できる目標に見えるが、中国がインドを包囲しようとしているとする「真珠数珠繋ぎ」理論は、デリーの戦略サークルの間で現在でも重視されている。インドのより敏感な戦略家たちは現在、中国の軍事力と対等に競争するという考え方を捨て、かわりに地政学的な優位性、友好関係、そして長期的には抑止に着目している。そのため、インド外交は、日本とベトナムとの友好関係を増進しようとしており、最終的にはインドは、真剣に東に向き合わなければならなくなろう。例えば、もしインドの指導者が、不十分な射程のミサイルを搭載したインドの原子力潜水艦を、中国の指導者が重視するようにし向けたいのであれば、それらを太平洋に派遣する必要があろう。こうしたことは全て、アメリカのアジアにおける再均衡化、あるいはより正確に言えば、インド太平洋地域への軸足移動を促している。もちろん、アメリカは、長くインド洋パワーであったし、そこにおける軍事プレゼンスはイラクやアフガニスタンにおける作戦にとって重要であった。しかし、アメリカのインド洋における能力とパートナーシップは、東アジアにおける戦略的計算とその結果に益々影響を与えるようになるであろう。

(5) 中国の専門家は「インド-太平洋」という概念に注目し始めており、一部の専門家は、この概念をアメリカ主導の対中戦略と見なしている。中国人民解放軍の外務及び諜報担当参謀長代理である戚建国は、アメリカは今や、「インド洋と南アジア地域を、アジア太平洋地域におけるアメリカの再均衡化戦略に組み入れた」、「大アジア太平洋 (a “greater Asia-Pacific”)」という概念を使っている、と記述している。しかし、中国は、「インド-太平洋」パワーとしての自らの地位を否定することなく、海洋アジアというより広い概念を否定することはできない。従って、「インド-太平洋」という概念を無視したり、否定したりし続けることはできない。実際、中国の安全保障専門家の間でも、「インド-太平洋」という考え方とどう付き合うか、という議論が起きている。北京では未だ一般的な支持を得ていないが、「広大なインド太平洋地域に跨る中国の大戦略を検討すべき」との主張も見られる。 中国では既に、新しい「インド-太平洋」という文脈の中でどこに外交上の焦点を向けるかで論争になっている。李克強首相が首相として最初の訪問国にインドを選んだことは中印関係が今世紀、決定的に重要なものになる兆候といえ、「インド-太平洋」概念の台頭を軽視することができなくなってきていることを示唆している。一方で、北京は、アジア外交を2国間関係に留めようとするのか、あるいは地域的な会合が必要な場合には、小さな東アジア諸国会合とし、そこにおける自らの重さを比較的高くなるようにしている。その一方で、中国は、環インド洋地域協力連合のような、南アジアとインド洋沿岸域における多国間機構においてもオブザーバーの地位を得ようとしている。

(6) 「インド-太平洋」は、その中で中国が台頭している現代の地理経済学的な実態を示すもので、中国の台頭を封じ込めようという戦略的な取り組みではない。インドと日本の指導者が地理的な面や価値観で合意した場合、中国の分析者にしてみれば自然と嫌な予感がする。確かに、「インド-太平洋」としてアジアを見れば、この概念は自動的に中国パワーを削ることになる。何故なら、これは1つの国が支配的な地位を得るには難しい広大な地域だからだ。しかし、それは地政学的な陰謀ではない。それは、少なくとも中国が自らの国益を、海を越えて南や西に広げたことによって引き起こされた、避けることのできない現実である。「インド-太平洋」には、中国を排除するのではなくて、定義上、中国が含まれているのである。中国の大戦略と安全保障上の野心が中国の指導者にとってさえ不透明であることを前提としたとしても、商業的な利益、エネルギー輸入そして外交的関心が及ぶ地理的範囲は、既に中国を「インド-太平洋」における最大のパワーにしている。そしてそれは毎日大きくなっている。早晩、中国は、「インド-太平洋」に向き合わなくてはならない。それは、他の多くの国が、「インド-太平洋」における中国の運命が彼らにとって意味するものに向きあわなくてはならないのと、同じようなものである。

(7) では、どのようにして、安全保障上の不安なしに、中国を2つの大洋を跨ぐ地域的な秩序に組み込んだらいいのか。大国が自らの国益を増大させ、広大な地域の隅々にまでその到達範囲が及ぶ時、紛争のリスクを軽減するためには、外交上そして海洋安全保障上のインフラが必要になる。それらは未知の領域だが、幾つかの基本的な原則は確認することができる。まず第1に、この地域はアジア中心で、中国中心ではない。従って、例え北京が望んだとしても、中国主導の秩序は排除されるであろう。第2に、大国間、特に中国、インド及びアメリカの共存は、「インド-太平洋」という上位地域における平和と安定に死活的に重要であり、この3カ国間の対話は好ましいステップとなろう。更に第3に、マダガスカルからマーシャル諸島に至るまでのインド太平洋諸国間の格差と距離の大きさから、地域全体を含む機構や条約で何か達成することはとても難しい。対海賊作戦、海洋における捜索救難、海洋における衝突回避措置などの実務的な課題は、このような広い枠組みの中では機能しない。「インド-太平洋」という上位地域における機構がより包括的なものになればなるほど、効果的ではなくなろう。このことは、多国間主義が無意味であることを意味しない。アジアの最高位の外交機構である東アジア首脳会議は名目上「インド-太平洋」の全ての国を含んだものであるが、ASEAN中心の諸会合に類似のものである。アメリカ、インド、ロシア及びオーストラリアが東アジア諸国とともに含まれているが、しかし、それは、全員一致のルールと東南アジアの連携の弱さによって制約されている。中国の拡大する国益が他の国々の国益と常に軋轢を引き起こしている地域において、環インド洋連合のような、全ての国を含んだフォーラムが、将来にわたってルールに基づいた秩序をもたらすことはないであろう。

(8) 従って、中国のインド洋への進出、そしてインドの太平洋への進出をともに管理するルールを策定するためには、「インド-太平洋」における安全保障秩序は、同盟と多国間主義との間に第3の層を必要とするであろう。このことは、実際的には、調整し易く連合し易い、それぞれが自ら選んだパートナーとの「少数国」対話、演習あるいは安全保障作戦を意味することになろう。これらには、対海賊哨戒活動のように中国を含む時もあれば、含まない時もある。2004年末に東南アジアを大津波が襲った時、アメリカ、インド、日本及びオーストラリアを核とするグループは、支援のために軍隊を迅速に展開させた。能力のある中国は、次のチャンスを逃すべきでない。このような行動は、自国のイメージにも、戦略的到達能力の面からも損失のない、公共財を提供するものである。このような共通の課題に対処する少数国のパートナーシップに中国を含めることは、このような少数国主義が中国に対抗する同盟の芽を育てるという、中国の疑念を払拭することに繋がろう。この場合、オーストラリア、インドネシアあるいはシンガポールといった中程度の国々は、決定的な役割を果たし得る。これらの国々は、地理的に「インド-太平洋」の核であり、中国、インドそして日本の軍隊と、時にはダーウィンにいる米海兵隊やシンガポールのチャンギにいる米沿岸戦闘艦とともに、人道支援のための訓練のホストとして、積極的な防衛外交をしない理由がないのだ。しかし、新たな「インド-太平洋」の枠組の中で、多様な国々とのあらゆる演習、対話、あるいは協力行動に対して、中国といえども拒否権を行使することはできない。中国が上海協力機構での少数国間連合や、あるいは時にASEANとの間で行っているのと同じように、時には、他国も、中国抜きの枠組で自らの国益を追求することもしよう。一方、アメリカ、日本及びインドは、海軍の協同訓練を増やしていくと見られる。安全保障対話と相互支援という新しい軸が生まれるかもしれない。オーストラリア、インドそしてインドネシアが隣接する海洋における監視活動について、協力を開始することがあっても、驚くことではない。「インド-太平洋」における少数国主義は、多くの国が乗り込むことを試みようとする未来の波といえる。

(9) 「インド-太平洋」における効果的な安全保障協力と対話に参加する国は、第1に利害を有し、第2に十分な能力を持ち、第3にそれを使う用意があり、そして第4に安全で安定した地域のためのルールと規範を形成し、順守する意思がある国である。最初の3つの基準については、「インド-太平洋」における主要な安全保障貢献国はアメリカ、中国、インド及び日本であり、韓国、インドネシア、オーストラリア及びシンガポールがそれに次ぐ第2層となるであろう。ルールと規範に関する第4の基準は微妙なものである。中国の海洋における台頭を巡って緊張と不安定な状況が続くか、または悪化する限り、アメリカとその同盟国、パートナー諸国は、少なくとも一種の排他的な安全保障枠組という選択肢を維持しておきたいと考えるであろう。そしてそれに対する中国の抗議は、「インド-太平洋」の辛い塩粒として飲み込む必要があろう。「インド太平洋」は主要な変化を反映している部分と、これから変化する部分の両方を内包した、現時点では、中間段階にある概念であり、それ故に今後注視すべきものである。

(2014年3月11日配信【海洋情報特報】より)