中国の“機動-5号”演習と防空識別圏設定・公表の含意

PDF

川中敬一,元防衛大学校准教授

Contents

はじめに

2012年9月8日の日本政府による尖閣諸島の政府購入以降、日中両国関係は少なくとも政治的には険悪化傾向が顕著に認められる。その傾向は、安倍政権となってからは、より鮮明な様相を呈するようになっているといえよう。

こうした情勢において、2013年10月下旬、中国は、“機動-5号”なる海軍演習を実施した。そして、同演習終演約3週間後には、唐突に、中国政府は東シナ海防空識別圏(以下、ADIZ)を日本のADIZと相当部分重複するように設定したことを公表した。

両事象に関しては、日本側報道もさることながら、中国側報道においても頻繁に取り上げられた。中国側報道を丁寧に観察すると、“機動-5号”の概要が看取することができる。また、ADIZに関しても、中国側のさまざまな企図や意図を看取することができる。

拙稿においては、主として中国側報道を資料源として、“機動-5号”演習とADIZ設定・公表に関する軍事的分析と、中国がこれら行為を実行に移した深層的動機および目的に関する雑駁な分析を試みることにしたい。

Ⅰ 海軍“機動-5号”演習

1 演習の概要と特徴

中国人民解放軍海軍(以下、中国海軍)は、10月18日から11月1日の期間、“機動-5号”演習と呼称される大規模な演習を実施した。ただし、10月17日には、渤海および黄海において、また、南シナ海においても、事前訓練が実施されていた。この事前訓練は、“機動-5号”演習と連接しており、“機動-5号”演習は実質的に10月17日に開始されたと見なすことができる。

参加部隊は、北海艦隊、東海艦隊および南海艦隊の3大艦隊すべてであった。参加兵力は、各艦隊所属の水上艦艇、潜水艦、航空機、海岸ミサイル部隊、陸上・沿岸兵力、更には、一部の関連政府機関および地方政府にまでわたっていた。

参加兵力数自体は、海上自衛隊演習等に比較すると小規模であったと言える。しかしながら、比較的新鋭の水上艦艇が兵力の中心を構成していたことは注目に値しよう。

航空機に関しては、Z-9対潜ヘリコプター、Y-8早期警戒型、H-6爆撃機が参加していたことが報道からも判明している。

南海艦隊所属の陸上・沿岸部隊が戦闘演練に参加していたことも報道により判明している。また、北海艦隊所属の掃海部隊を中心とする兵力が、関連機関および地方政府と共同して、港湾啓開訓練を全演習期間実施していたこともまた判明している。

そして何よりも、南シナ海、渤海、黄海、東シナ海にとどまらずに、沖縄諸島南方海域に主要演習海域が設定されたことは、今次演習の大きな特徴であった。

これらの事実から、今回の演習が過去の類似の演習とは異なる重大な性格を包摂していたことを推察することができるのである。

以下の2表に示した今次演習の参加兵力と構成・主要演練項目を整理すると、演習の特徴と注目点を看取することができる。

“機動-5号”演習参加兵力 140122-1

本演習は、大きく4つの段階で構成されていた。演練項目は、多岐にわたるとともに、比較的実戦的であったことも指摘できる。

演習構成と主要演練項目 140122-2

上表から看取される今回の演習の特徴は、以下のように総括することができよう。

第1は、演習の主題が、「複合脅威下における完全対抗形式」であった。

第2は、中国海軍を仮想する紅部隊の部隊指揮運用に重点が置かれた。

第3は、第2の特徴に関連して、C4ISR(指揮・統制・通信・コンピューター・情報・監視・偵察)活動が重視された。

第4は、本演習は、一定の範囲において国家的事業であった。

第5は、本演習では、21世紀前半における中国海軍建設戦略の初期的段階を終了し、次の段階への本格的移行が強く意識されていた。

以上の特徴から、中国海軍が、単に外洋活動を可能とするに至ったばかりか、一定水準において、現代的海軍作戦を実行する能力を保有するようになったと評価できる。そして、何よりも、本演習が国家戦略および軍事戦略的見地から中国の海軍戦略における新しい発展段階に移行し始めたと思推できることは注目されるべきであろう。

2 演習の軍事的評価

本演習における参加兵力および演習構成の細部に対する評価は以下のとおりである。

(1) 参加兵力

本演習に参加した水上艦艇は全部で9隻であり、どれも比較的新型であった。

参加兵力の内、「江凱Ⅱ(054A)」級フリゲート艦が計5隻を占めていた。このことは、同級フリゲート艦が、中国海軍による現時点における戦術上の要求を満足していることを示唆している。それゆえ、同級フリゲート艦は、今後も建造が継続する可能性がある。

駆逐艦に関しては、「旅洋Ⅰ(052B)」型(南海艦隊×1隻)、「旅滬(052A)」型(北海艦隊×1隻)および「旅洲(051C)」型(北海艦隊×2隻)と複数の型が参加していた。各級が装備する対水上攻撃力(SSM:対艦ミサイル)と対空防御能力(SAM:対空ミサイル)は均一ではない。SSMに関しては、YJ-83で統一されているものの、各級の搭載数が一様ではない。SAMに関しては、3種類の異なる性能と搭載数となっている。このことから、中国海軍の駆逐艦は、搭載武器のみに注目しても、いまだに開発途上段階にあることが窺い知れる。

なお、中国版イージス艦と見なされている「旅洋Ⅱ(052C)」は参加していなかった。同級の運用がいまだに実用段階に至っていないか、あるいは、性能的に不満足である 可能性を指摘できる。更には、日本等周辺国に性能諸元を収集されることを回避した可能性も考えられる。

潜水艦は、紅・藍部隊双方に複数隻が配備されていたことは確実であるが、いかなる艦種、艦級が参加したのかは明らかにされていない。

洋上補給艦に関しては、最新型「福池(903)」級の「微山湖」が南海艦隊から紅部隊へ編入された。少なくとも、同艦は太平洋へ進出する途上、バシー海峡以西で南海艦隊艦艇2隻に洋上補給を実施していた。補給様式も、いわゆる「縦曳き」方式と「横曳き」方式を同時に実施していたことから、洋上補給に起因する水上艦艇部隊の機動力は徐々に向上していると評価される。

航空機に関しては、自衛隊がH-6爆撃機とY-8早期警戒機を視認している。両機とも新型とは言い難いものの、後述するように、運用は近代化されていると評価して良いであろう。

その他にも、掃海艇や沿岸ミサイル部隊が参加兵力として報道されていたが、規模や活動等の細部に関しては不明である。

(2) 演習構成と演習細部

a.全 般

“機動-5号”演習は、上表(「演習構成と主要演練項目」)で示したように、大きく4つの段階から構成されていた。その中心は、対抗形式で実施された第Ⅲ段階であった。第Ⅲ段階は、更に、1日ごとに異なった演練項目が設定されていた。

紅藍部隊攻撃力比較表 射程単位:海里140122-3

全般的には、中国側を仮装した紅部隊よりも敵側を仮装した藍部隊の攻撃力が有利に設定されていた。その一端は、上表(「紅藍部隊攻撃力比較表))に示すように、両演習部隊のSSMおよびSAMの搭載数と射程距離に表れている。

洋上補給艦については、紅側の「福池」は最大速力19kt、巡航速力15ktであるのに対し、藍側の「福清」は最大速力18kt、巡航速力14ktである。したがって、部隊全体の機動力に関しては、紅側が若干優勢であったと言える。

対潜水艦戦、ミサイル中間誘導、目標識別等に使用される艦載ヘリコプターに関しては、紅側が5機、藍側が4機と紅側が若干有利であった。

b.対抗演習  

第Ⅲ段階初日の10月25日午前8時20分、紅部隊が対潜捜索攻撃を行いながら、高速で藍側艦隊へ接近 することから演習は開始された。この日の海象状況の劣悪さ、ヘリコプターが発艦して対潜任務を行えないという現実の状況に基づき、曳航式ソーナー を対潜捜索手段とした。

この対潜戦は、比較的短時間で終了した模様である。そこには、中国艦艇の対潜探知能力への疑問と、多様な兵力(艦艇、潜水艦、航空機)による捜索・探知情報のネットワーク化の欠落による対潜戦能力の限界を感得させる。

なお、演習指導部は、紅側にのみあった1機の早期警戒機を藍側へ配備転換して、紅側の偵察早期警戒の難度を増すことをその場で決定した。 このように、現代海上戦闘において決定的に重要な要素となる空中偵察能力についても、意図的に紅部隊側が劣勢となるように作為された。

このような作為によって、「紅側は藍側よりも偵察早期警戒能力が弱いが、紅側は空中長射程打撃兵力等の優勢を有しているので、兵力の指揮運用が当を得ていれば、敵に先んじて発見し、敵に先んじて攻撃することができる」 ことを検証したのである。

第Ⅲ段階2日目の10月26日、紅部隊による藍水上部隊に対する海空協同攻撃が実施された。

紅水上艦艇部隊は、長距離情報支援を得ながら、2機の爆撃機が某飛行場から飛び立って、藍側部隊に対して長射程突撃を実施した。 このとき紅部隊として活動したH-6爆撃機は、水上艦艇部隊に通信チャンネル支援を提供し、指揮艦(旅洋Ⅰ(052B)級駆逐艦「広州」)と部隊内における通信を強化した。なお、この日に宮古水道を通過したY-8早期警戒機は、藍部隊の洋上偵察兵力として運用されたと推測される。

この日の重点は、張文旦が解説したように、「指揮所の分析、判断、研究対策のプロセスを強調することに設定」された指揮の演練であったのである。

第Ⅲ段階3日目の10月27日、紅部隊は海空偵察兵力と手段を統合運用して“敵”の行動情報を調べて明らかにし、艦艇航空機で構成される多方向、波状合同打撃を実施した。その際、演習指導部によって空中警戒機1機が紅側に配属された。空中警戒機が不明目標発見を示すと、紅側は迅速にヘリコプターを発艦させて、目標の正確性を直接検証した。「広州」艦長である李朝暉は、「これら“偽”目標の中には商船もあり、また外国軍艦もあった。」と語っているが、藍側目標を識別できるか否かが、紅側の偵察情報システムと指揮員の決定に対する一種の検証事項であった。

この第3日目の活動は、中国海軍の対水上ターゲッティングの1つのパターンを示していると言えよう。

c.沿岸訓練

今回の演習に参加した部隊は、10月17日に、南シナ海沿岸、黄海、渤海沿岸において、各種の訓練も実施した。

(a) 陸上防備および電子戦訓練

南海艦隊の駆逐艦「広州」とフリゲート艦「黄山」は、10月17日、藍部隊として南シナ海の沿岸海域において、陸上襲撃訓練を実施した。これに対抗して、南シナ海沿岸の海軍基地と海岸ミサイル部隊、そして、陸上航空部隊が紅部隊として沿岸防備訓練を実施した。

藍部隊は初期配備位置から“U”字形航路を採用し、近道を避けて遠回りをして演習海域に到達したが、直線距離の2倍の航程を走った。藍部隊は、こうして海軍某基地の紅部隊は駐留防御する港湾に対する隠密襲撃を準備した。紅部隊の早期警戒任務を担当するいくつかの監視通報部隊は、レーダーによって藍部隊の航跡を発見し、藍部隊の方位、針路等の情報が紅部隊の沿岸ミサイル部隊へ伝送された。

上記演練中、藍部隊を猛烈な電磁攪乱が突然襲い、検証中の部隊指揮情報システムの制約は局限に達し、部隊内艦艇間の通信は中断した。藍部隊はこの事態に対して、自艦の指揮管制ネットワークを迅速に構築して、電磁攪乱に対抗しながら、目標を捜索した。 この際、紅部隊の電子戦機と早期警戒機が一体となって、まず藍部隊に対して電磁攪乱制圧を実施したので、藍部隊のレーダーは偽目標によって飽和した。

本演練の実施海域や藍部隊の詳細は不明である。

ただし、中国は海上からの攻撃に対しては、陸上施設と陸上航空機による強力な電磁攪乱によって、侵攻側の目標補足と攻撃の効率の低下を試みる戦術を採用することが明らかになった。

また、湛江には南海艦隊司令部が所在し、海南島の陵水には海軍航空兵基地が所在することから、本演練実施海域は、海南島と東沙群島の間の海域であったと推定される。

(b) ミサイル実射訓練

10月17日、北海艦隊は黄海においてミサイル実射訓練を実施した。同訓練に参加した兵力は100余隻の艦艇、30余機の航空機を含み、実射したミサイルは多種多数であった。

本訓練では、就役したばかりの新型護衛艦「大同(056型軽型護衛艦)」が主要訓練兵力に組み込まれた。また、新型空対艦ミサイル(ASM)の実射も行われた。多数の駆逐艦、護衛艦、潜水艦、艦載ヘリコプターおよび多種のミサイルが複雑な電磁環境の海戦場において、多くの項目、高い難度、強い強度の運用を実施し、もって装備の実際的作戦上の性能を全面的に向上させた ことが特徴であった。

実射された新型ASMの型式は不明であるが、中国側報道から、YJ-83KないしYJ-83KH である可能性を指摘することができる。

また、本訓練では、早期警戒機に初めて空中指揮所を開設して、航空兵の制空作戦と対水上突撃を直接誘導 した。更には、各兵力群指揮所に対空防御の自主的指揮権を付与した。これら措置は、中国の洋上における航空・水上協同作戦能力が、米海軍のCWC-Conceptに類似した近代的・実戦的水準に達していることを物語っていると評価できよう。

(c) 港湾啓開訓練

演習期間中、中国では海軍演習に伴う漁業活動に対する制限を課することになった。同時に、中国は、国防建設が大衆の利益とぶつかる際には、双方に配慮し満足させることがしばしば極めて難しい という事態にも直面した。特に、10月17日の北海艦隊による実弾射撃訓練において、この難題が浮上することになった。

そこで北海艦隊の演習前に地方の国防動員システムに依拠して、黄海、渤海地域の漁政局および青島、日照、連雲港の市指導、政府機関と関連海域の単位人員が召集されて軍地方協調会が開催され、“軍地方聯合海洋戦場管理指揮所”の成立が決定され、地方海事、漁政部門の各1名の指導担任副指揮員が増設され、着実に法執行船舶、法執行人員および港湾管理管制等の問題が調整された。

実施においては、“警戒群指揮、警戒区指揮、機動兵力指揮、地方法執行船舶指揮”の4つの指揮段階に区分された。また、部隊からは21名の幹部が調整員として選抜され、地方法執行船の出港は、統一的指揮が強化され、28名の地方法執行人員が部隊の艦艇出港時に配置され、計画に基づく法執行船舶の厳格な航海と掃海を確保した。

本演習期間中の機雷戦が、どのように実施されたのかは不明である。しかし、中国の戦時における港湾機能維持に対する取組は、ある程度明らかとなった。何よりも、港湾啓開において、海軍のみならず、地方政府や関連政府機関が共同して対応していることは重要であろう。畢竟、戦時における港湾の民用機能維持と軍用機能発揮を、地方政府を含めた国家全体の問題として中国は実践的に取り組んでいることが理解されるのである。

d.各種作戦データ収集

今回の演習期間中、中国海軍は各海域における各種作戦データの収集を重視していた。

10月17日、南海艦隊の「広州」、「黄山」そして東海艦隊の「舟山」、「徐州」から構成される紅側は、すでに波濤の中でレーダー捜索範囲、ソーナー探知距離等の実戦において必須となるデータ検証を行った。

また、演習全期間を通じて、各部門は各種機器、設備を総合的に運用し、活動海域の水文、気象等のデータをリアルタイムに収集して、指揮員の作戦上の決定に信頼できるデータを提供した。この作業により、理論とデータとを比較して、実測データは距離が短くなり、攻撃効果を減殺されるけれども、将兵の心理はより確信を持てるようになった。

こうした広範な海域における作戦データ収集に重点が置かれた事実は、中国海軍が、渤海、黄海、東シナ海および南シナ海といった沿岸および近海に止まらず、西太平洋海域における作戦での勝利に重点が移行していることを強く示唆していると評価することができよう。

(3) 政治工作および広報

“機動-5号”において、各艦に乗り組む政治工作グループは、“小動員、小放送、小娯楽、小鼓舞”等の“八小活動”を展開して、将兵の戦闘精神を発奮させ、将兵の肉体的精神的ストレスを和らげた。

ほぼ同期間の海上自衛隊演習や約1ヶ月に及ぶ各訓練において、上記のような措置は採られることはない。

中国の上記“政治活動”は、人民解放軍の将兵の精神的、肉体的疲労を緩和することを重視する優良な伝統と見ることができる。他方、わずか2週間程度の洋上訓練にさえ、中国海軍将兵は慣熟していないとの見方もできる。いずれの見方に立脚するかは別にして、上記活動は、ともすると謀略活動と混同、誤解されがちな人民解放軍における現実の政治工作の一面を表していると言える。

今回の“機動-5号”演習に関し、中国国防部の公表を初め、中国メディアは演習の内容および論評を連日のごとく報道した。これは、しばしば、海外から不透明性を譴責される現実に対する中国なりの真摯な対応であることは間違いない。

ただし、その公表ないし報道の内容については、依然として海外の疑念と混乱とを引き起こしかねないものも散見される。

たとえば、10月25日付の『湖北日報』に、次のような記述があった。

注目に値するのは、“機動-5号”は初めて3大艦隊が同時に第一列島線を突破して西太平洋へ行き連合演習を行ったことであり、その意義は言わずとも自明のことである。(略)日本はこの変化に最も適応できておらず、日本当局とメディアは中国海軍による頻繁な西太平洋への進入に対して不断に“敏感”な反応を示し、いわゆる“脅威論”と“不透明論”を再三にわたり宣伝している。しかしながら、アメリカを含めて、その他の国家は中国海軍のこの変化に対して、むしろ黙認の態度を保っている。なぜならば、世界の大部分の国家は、中国が世界的大国として、自身の実力にマッチした強大な海軍を保有するべきと認識しているからである。

地方といえども中国共産党湖北省委員会機関紙である『湖北日報』の上掲記述は、外部世界の認識と大きく乖離していると言わざるを得ない。少なくとも、中国海軍が第一列島線を越えて太平洋へ進出する意義に関する具体的な説明が欠落している。もっとも、中国語による中国の海軍を初めとする海洋進出の意義に関する理論や説明は豊富に存在する。しかし、外国には、これら理論や説明が伝わっておらず、理解もされていない。ここにこそ、日本やアメリカを初めとする中国への警戒感の一因が存在していることへの理解が、上記記事からは感得できないのである。こうした現実を「自明のこと」として、いとも安易に処理する中国的思考を上記記事は体現していると言い得るのである。

3 演習の国防戦略における定位

中国では、20世紀末から21世紀初頭にかけて、21世紀前半期における海軍建設戦略が策定された。その目指すところは、自己の防衛能力向上に努力し、防衛作戦の需要に適応し、潜在的な敵へ抑制作用を引き起こさせることのできる軍事力を建設 することである。具体的には、積極防御型の兵力規模に属し、中国の海疆、空疆および国家の安全環境の維持保護 が可能な軍事的能力の保有を目指すということである。

こうした軍事的能力を保有する目的は、海洋軍事闘争に勝利することにある。この海洋軍事闘争には、海上戦争、海上軍事衝突、海上軍事威嚇およびその他の海上軍事活動 が包含される。

以上の軍事的能力の保有によって海上軍事闘争に勝利するための具体的な海軍建設計画は次表のとおりである。

次表を近年の中国海軍の活動と、今回の“機動-5号”演習の内容とを照合すると、以下の推察が可能となる。

まず、“機動-5号”演習は、21世紀中葉までに北太平洋の制海権を掌握することを究極的目標としていることが前提となる。その過程において、“機動-5号”演習は、第一列島線内の制海権を掌握するとともに、ハイテク局部戦争に勝利することを当面の目標としていたといえよう。そして、究極的目標は、覇権主義 との軍事闘争と、地域内の敵対国との軍事闘争に勝利することを意味している。

21世紀前半における中国海軍建設の方向性 140122-4                                                  

したがって、東シナ海地域においては、アメリカと日本 の軍事力に屈しない軍事的体制を構築することに中国の国防建設プログラムは収斂していくことになる。

装備面に関しては、今回の“機動-5号”演習によって、駆逐艦(DDG)、早期警戒機(AWACS)、フリゲート艦(FFG)等の基礎開発に一定の目途をつける可能性に中国海軍は自信を持った模様である。

よって、“機動-5号”演習と類似の活動は、今後も上述した目標達成のために規模拡大と装備性能向上を伴って継続され、その活動海域は、東シナ海全域とアメリカ海軍の来襲方向に重点が置かれる論理的帰結に達すると予測されるのである。

なお、今回の演習においても、参加兵力が複数の北太平洋進出ルートを経由した。それは、上表にも示されているように、第一列島線上の海峡および水道への支配能力の確立が必須となる。それゆえ、今後とも、日本列島、とりわけ、九州以南においては、中国海軍が過去に通過したことのない海峡および水道を通航することが常態化することが強く予想されるところである。

総括すれば、“機動-5号”演習は、周辺諸国との局部戦争や軍事衝突の抑止と勝利という段階から、次なる段階へ移行するための最終的検証が最大の目的であったと見なせるのである。

Ⅱ ADIZ設定と公表

1「中華人民共和国東シナ海防空識別圏にある航空器識別規則」の内容

中国政府の東シナ海防空識別圏設定に関する声明に基づき、中国国防部は、中国国防部は、11月23日、「中華人民共和国東シナ海防空識別圏にある航空器識別規則公告」(以下、規則)を発表した。

その原語本文の邦訳(前文省略)は、以下のとおりである。

1.中華人民共和国東シナ海防空識別圏(以下、東シナ海防空識別圏と略称)にあって航行する航空器は、必ず本規則を遵守しなければならない。

2.東シナ海防空識別圏で飛行する航空器は、必ず以下の識別方式を提供しなければならない。

(1) 飛行計画識別。東シナ海防空識別圏で飛行する航空器は、中華人民共和国外交部あるいは民用航空局へ飛行計画を通報しなければならない。

(2) 無線識別。東シナ海防空識別圏で飛行する航空器は、必ず双方向の無線電信連絡系を開きかつ保持し、東シナ海防空識別圏の管理機構あるいは権限を受任した単位の識別問い合わせに機を逸せず正確に回答しなければならない。

(3) トランスポンダ識別。東シナ海防空識別圏で飛行する航空器は、必ず2次元レーダートランスポンダを搭載している場合には、全行程を通じて有効にしておかなければならない。

(4) 識別の表示。東シナ海防空識別圏で飛行する航空器は、必ず国際条約の規定に従って、国籍と登記している識別マークを明示的に表示しなければならない。

3.東シナ海防空識別圏で飛行する航空器は、東シナ海防空識別圏の管理機構あるいはその権限を受任している単位の指示に服従しなければならない。識別が合致しないあるいは指示への服従を全く受け付けない 航空器に対しては、中国の武装力量は防御的緊急処置措置を採るであろう。

4.東シナ海防空識別圏の管理機構は中華人民共和国国防部である。

5.本規則は中華人民共和国国防部が解釈に責任を負う。

6.本規則は2013年11月23日10時から施行される。

本規則が特異であり、諸外国からの懸念と批判の対象となっているのは、全般的に「義務的」ないし「強制的」な表現 が多用されていること、そして、規則第3項の規定であろう。また、「航空機」ではなく「航空器」と記述している点も特徴的である。

日本の国土交通省による航空路誌(AIP:Aeronautical Information Package)のENR5.2「演習及び訓練空域並びに防空識別圏」の5項との比較においても、中国の規則は以下の点で特異と言わざるを得ない。

第1に、中国の規則は、防空識別圏を経由して中国領空に向かう航空機のみを適用対象としているのか、それとも、単なる防空識別圏を通過する航空機も適用対象とされているのかが判然としない表現が用いられている。この点に関し、日本の航空路誌では、「国外から防空識別圏を経て我が国の領域に至る飛行」 を対象とすることが明記されている。

この不明確な表現ゆえに、安全を期する各国民間航空会社は、中国領空進入を意図しない中国ADIZ通過のみであっても、文書によって事前通報しなければ飛行の安全が保証されない可能性があると懸念する結果をもたらしている。

第2に、中国の規則の第3項における「識別が合致しないあるいは指示への服従を全く受け付けない航空器に対しては、中国の武装力量は防御的緊急処置措置を採るであろう」という表現は、外国からすれば、極めて威嚇的に受け止められてもやむを得まい。日本の航空路誌では、あくまでも「飛行計画と照合できない航空機については、迎撃機による目視確認」 の実施のみが明示されていることと対照的である。

つまり、規則に規定される「防御的緊急処置措置」が、威嚇射撃誘導に止まらない攻撃・撃墜まで含むのか否かが本規則の条文のみからは判然としないことが、諸外国の不安と警戒感を増幅しているのであろう。

第3に、日本の航空路誌の対象が「航空機」であるのに対して、中国の規則は「航空器」としている。これは、有人機のみならず、無人機 をも規則の適用対象としていると理解できる。その意義については後述するが、本規則の所管機関が国防部であることも含め、本規則が極めて軍事的性格が濃厚であることを正面から表現しているといえる。

2 中国ADIZの特徴

中国側報道と中国ADIZの特徴を、政治的特徴、形状的特徴から、以下のように理解することができる。

(1) 政治的特徴

a. 設定プロセス

今回のADIZ設定は、党中央、国務院、中央軍事委員会が国家の安全情勢の発展に着目して造り上げた重大な決定であり、中国の防御空間、領海領空の管制を強化する重大な措置であり、国家の領土領空の主権と安全を有効に維持保護する ことを目的としている、と『解放軍報』で明記されている。

この『解放軍報』の記述は、ADIZ設定は、中国共産党および中国政府との共通認識の下で、中央軍事委員会以下の人民解放軍が具体的な措置を立案したことを物語っている。

それでは、中国のADIZは具体的にいかなるプロセスで設定・公表されたのであろうか。誰が参加したどのような場で設定・公表の意志決定がなされたのかまでは、中国側報道も明らかにしていない。

ただし、11月5日から7日の期間、北京で開催された全軍党の建設工作会議において、軍隊における党の建設という重大問題に対して深い研究討論を行い、(中央)軍事委員会総部に積極的に献策し、関連制度と規定を討論交流した ことは明らかになっている。また、この期間、13企業、3.2万人が参加した全国人民防空訓練競技が行われ 、11月8日付『解放軍報』7面では、防空と日本ADIZに関する特集記事が掲載された。

おそらく、上記全軍党の建設工作会議において、ADIZ設定範囲と公表の適否が審議され、直後の中国共産党第18期中央委員会全体会議で承認されたものと推察される。

こうした文脈から、今回の措置を「解放軍の独断」であるとか、「解放軍の暴走」などという皮相的観察をすることは不適切と言えよう。今回のADIZ設定と公表は、中国共産党が指導する中華人民共和国の国家としての意志に基づく行為として理解することが適切であると思考されるのである。

b .設定・公表目的

12月2日および3日、中国外交部スポークスマンである洪磊は定例記者会見において、以下のフレーズを繰り返した。

日本側はしきりに終始対話の門は開け放っていると言うが、しかし実際に対話をしようとすると、それ(日本側)はドアを閉めてしまい、今回も日本側の口先だけの対話のスローガンという虚偽が暴露された。

洪磊の上記発言は、正に安倍首相がしばしば発する「対話のドアは常にオープンだ」というフレーズに期待しながらも、“門前払い”を食わされ続けてきた中国政府の怒りにも近い焦燥感が表出していると解釈することができる。

中国側の上記発言と心理が妥当性、実効性、実現性の観点から、客観的に正鵠を得られるものであるか否かをここでは論じない。また、日本側が「対話のドアを閉めてしまう」原因が、主として数年来の中国の海洋にまつわる幾多の挑発的言動の結果であることも、改めて論ずる必要はあるまい。

ただし、国防部スポークスマン楊宇軍による類似の発言には注目する必要があろう。

楊宇軍は、11月23日の記者会見において、「関係各方面は積極的に協力して、飛行の安全を共同して維持保護することを希望する」 と発言した。更に彼は、11月28日の記者会見でも、「日中両国は海を隔てており、東シナ海独特の地理的環境が両国防空識別圏の重複を不可避としている。我々は、防空識別圏重複空域内において、双方が意思疎通を強化し、共同して飛行の安全を維持保護すべきと考えている」 とまで踏み込んだ発言をしている。

他方、日本の毎日新聞が、2014年1月1日付記事として、2010年5月に北京で開かれた日本政府関係者が出席した非公式会合で、中国側がすでに設定していた当時非公表だった防空識別圏の存在を説明していたと報じた。同記事によれば、中国側は、「日本の防空識別区(圏)の境界線は中国側に非常に近い。日中の防空識別区(圏)が重なり合うのは約100カイリ(約185キロ)くらいあるだろうか」と述べ、航空自衛隊と中国空軍機による不測の事態に備えたルール作りを提案 していた。

畢竟、中国のADIZ設定とその公表は、中国側が、尖閣諸島という「点」にとどまらない、東シナ海という「面」を日中両国でいかにして扱うかに関する対話の契機としたいとの思惑が包摂されていたと推察できる。そのために、ADIZ重複に伴って懸念される「不測の事態」回避意志を日本側に共有させることを企図し期待した結果が、今回のADIZ公表という行為の目的であったとも推察できるのである。

(2) 形状的特徴

中国国防部が公告した緯度・経度に従って作図すると、次図のようになる。

中国ADIZの形状的な第1の特徴は、東側外縁部は大陸海岸から350から550km、平均約400km離隔していることである。

第2の特徴は、その東側外縁が概ね東シナ海の200m等深線に沿っていることである。

この2つの形状的特徴は、中国ADIZが以下2点の意義を包摂していることを示唆している。

a. 領土・領海・領空防衛の強化

中国ADIZの最も張り出した空域は、自衛隊およびアメリカ空軍のF-15戦闘機の巡航速度(約1,080km/h)で20分前後の飛行時間に相当する距離と一致する。

中国の地上防空レーダーないし早期警戒機が550km遠方で目標を探知し、これに対処するために5分待機体制をとっていると仮定する。その場合、中国側迎撃機が発進完了するまでに、彼我の距離は460kmとなる。中国側もF-15の巡航速度と同じ時速1,080km/hで進出できたとしても、会合点に到達したときは、すでに大陸から230km(約124海里)となっている。万が一にも進入機が継続して大陸を目指せば、彼我会合直後には、中国の地対空ミサイルS-300 (9M83) の最大射程内となる。ADIZ外縁の大陸沿岸からの平均離隔距離400kmでは時間的余裕は更に縮小し、会合点は大陸から約155km(約84海里)となる。これは、完全に地対空ミサイルの射程圏内となる。

中国の防空識別圏
140122-5

つまり、外国航空器が一国の領空に到達してから航空管制を始めるならば、適時に突発的情況を判別し、有効な対応措置を採ることが難しくなってしまう という現実が、中国ADIZ設定の前提となっている。そのうえで、東シナ海ADIZ内の意図不明、国籍不明の航空器をできるだけ早く識別、判断して、特に外国軍用器には、適時に措置して脅威を消し去ることができれば、危害損失は最低限に抑えられる ことを中国は期待しているのである。

こうした諸条件を勘案すると、今回公表されたADIZの形状は、中国の防空上の観点から、有効な防空活動実施のために、警戒、探知、識別、対処に要する時間的余裕を最低限確保することを意図して描かれたと推察されるのである。

b. 排他的経済水域における権益維持保護の補完

中国のADIZ外縁と東シナ海200m等深線とは概ね一致している。

中国の1998年公布『排他的経済水域と大陸棚法』は200海里の排他的経済水域を宣言し、大陸棚自然延長の原則を確認して、『条約』が沿岸国に付与する排他的経済水域と大陸棚における権利、管轄権および授権そして全ての目的のために大陸棚上で行われる探査を管理する排他的権利を重ねて宣告し、中国が享有する歴史的権利が影響を受けないことを強調した。

また、中国の大陸棚は中国領海以外の本国陸地領土の全てから自然に延長し、大陸棚外縁の海底区域の海床と海底に拡大している との立場を中国は主張している。この主張に基づき、日中両国には東シナ海において大陸棚と排他的経済水域の境界問題が存在している と中国は認識している。

畢竟、東シナ海における日中間海域の200m以浅の海域は中国の排他的経済水域であると中国は見なしているものと推察されるのである。

そうした東シナ海における排他的経済水域範囲観は、中国の防空識別圏の「範囲は我が国領空以外に接続する我が国の排他的経済水域上空域一帯」 としていると中国海軍軍事法院院長の傅暁東が明言していることからも裏付けられよう。

なお、中国が考える海洋権益とは、国家の『条約』と関連国際法および国内法に依拠する、異なる法律的地位の海域において享有する権利と利益の総称 とされている。また、海洋権益における権利とは、沿岸国の管轄海域範囲内の主権、管制権、主権権利そして管轄権等のことである。そして、利益とはこれら権利によって派生する各種益するものと恩恵である。 具体的には、内水および領海主権と接続水域管制権、排他的経済水域と大陸棚の主権的権利および管轄権、歴史的権利、公海の自由、国際海底区域制度、極地科学調査、その他を指す。 上記利益には、海洋経済利益、海洋交通利益、海上安全利益および海洋科学利益が主要利益であり、その他に生態環境利益、海洋文化利益等が包摂されている。

こうした中国の考える海洋権益と、そこから得られる利益を空中からも最大化して再確認することが東シナ海ADIZ設定と公表の目的であったことを、その形状は示していると言える。したがって、中国の観点に立脚するならば、中国ADIZが尖閣諸島を包含し、中国が主張する排他的経済水域、換言するならば、200m等深線を結ぶような形状を示すことは必然なのである。

3 中国によるADIZ設定・公表の契機

なぜ、中国が、この時機にADIZ設定を公表したのか、という問題に対する外部世界による関心は高いと言えよう。

(1) 短期的契機

中国が尖閣諸島に対する領有権を主張してからすでに40余年、日本近海における軍事的活動を活発化させてからすでに10年以上の時間が経過している。とりわけ、ここ数年は日本列島周辺海域における中国の軍事的活動が常態化している。

こうした中国側の活動に伴い、当然のことながら日本側も中国の艦艇および航空機に対する監視活動を強化することになった。

特に、2013年9月9日、中国無人機の東シナ海南下に関して、日本の一部メディアは、日本政府が「国籍不明の無人機に関し、領空に侵入し国民の生命・財産に危害を及ぼしかねない事態での対処方針の策定に着手」し、「対処方針に撃墜任務を盛り込むことも検討」するという報道を行った。

同報道は、正確ではないようであるが、中国側は当然のごとく敏感に過剰ともいえる反応を示した。

9月26日、中国国防部広報事務局長である()雁生)は、「日本側の関連する好戦的言論はまったく下心のある挑発である。中国の軍隊の無人機を含む飛行機の東シナ海関連海域における正常な訓練と飛行活動は、国際法と国際的実践に符合している。指摘しなければならないことは、中国の飛行機は未だに他国領空を侵犯しておらず、他国飛行機が中国領空を侵犯することも決して許さないということである。我々は関係各方面に、中国軍隊の国家領土主権を維持保護するという断固たる意志と決心を見くびるべきではないと忠告する。もしも日本側が言う撃墜等の強制的措置を採るならば、我々に対する深刻な挑発であり、一種の戦争行為であり、我々は必ずや果断な措置をもって反撃することになり、すべての結果は事件を引き起こした側が引き受けることになる。」 との強烈な口調で中国側の意思を明らかにした。

中国国防部スポークスマンによる発言から、今回のADIZ設定と公表は、9月の日本メディアによる中国無人機撃墜構想報道が直接的契機となっていた可能性を看取することができるのである。

(2) 長期的契機

中国は、建国当初においては、台湾の国府軍の経空脅威に悩まされてきた。また、アメリカ軍機による中国沿岸空域における行動には強い脅威感を中国は覚えてきた。

20世紀の50年代中期から60年代にかけて、台湾当局はアメリカの支持の下で、大陸に対して不断に航空機を派遣して襲撃攪乱、スパイ偵察等の活動を行い、また襲撃攪乱の範囲を南東沿岸から縦深地域へと拡大して、中国の領空安全に深刻な脅威を与え、中国の社会主義建設の順調な進行を攪乱してい た。

上記情勢に対処するために、中国では1957年5月、航空兵を主体として、地対空ミサイル兵、高射砲兵、レーダー兵、空挺兵等の兵種を含む合成軍種を発展させた。

1965年からのアメリカによるベトナム戦争への本格的介入の一環としての北ベトナム爆撃に従事するアメリカ軍機が、しばしば海南島の中国領空を侵犯した。これに対して中国は、地上レーダーサイトによりアメリカ軍機を追跡し、領空侵犯をするアメリカ軍機を複数回にわたって攻撃、撃墜した。この時期、南西地区において、航空兵部隊は侵入、潜入した航空機16機を撃墜し、4機に損害を与えた。

上述した建国以来の防空に関わる歴史から、中国では、早くから海洋方向からの経空脅威対処に関心と努力を傾注していた。この歴史的経緯は、2001年4月には、アメリカの電子偵察機EP-3に対する海南島沖の排他的経済水域上空における中国海軍のJ-8Ⅱによる異常接近行動の動機の一つを構成していたといえる。そして、今回の東シナ海ADIZ設定以前から、中国は、概ね排他的経済水域上空をレーダー監視空域として、所在航空機に対する警戒を続けていたのである。

こうした背景に加え、昨今の日本政府の対中硬直化、日本の航空自衛隊およびアメリカ航空戦力の脅威、更には、中国軍用機の性能面における一定の向上と“機動-5号”演習等によって得られた洋上航空活動運用への自信とが相乗した結果、今回の東シナ海ADIZ設定と公表が実行に移された可能性を指摘することができるのである。

Ⅲ “機動-5号”演習とADIZ設定・公表の深層

1 国際的規範に対する挑戦

1988年後半に鄧小平が提唱し、1990年代に江沢民が理論化した「世界政治経済新秩序」という概念がある。同概念の要旨は以下の内容である。

第1は、現在の世界秩序に対する認識である。

古い国際政治の秩序の下では、覇権主義、強権政治によって有効に制約が加えられ、いくつかの大国が自己の政治、経済、軍事等の分野の優勢に恃んで、他国の内政に随意に干渉し、他国の主権独立と領土保全を破壊して、国際情勢を緊張と動揺に至らしめ、各種地域的衝突と局部戦争を途切れなく続けている。古い経済秩序の下では、国際的経済関係には多くの不合理さ、不公平さの部分が存在し、発展途上国は経済において先進国による制約を受けることになり、多くの深刻な経済的困難に直面している。事実が証明しているのは、古い国際政治経済秩序はすべての世界の平和と安定にとって不利であり、世界経済の繁栄と発展にとって不利である 、というものである。

第2は、世界政治経済新秩序を建立する前提と重点である。

中国が建立を主張する国際政治新秩序は、覇権主義と強権政治への反対を前提としている。また、国際経済新秩序の重点は、不公正で、不合理な国際経済関係を改革することである。

第3は、いかなる国際的秩序の建立を目指すのかという問題である。

端的に表現するならば、中国の特色を有する社会主義の建設を創始して、民族の振興、国家の富強そして人民の幸福を実現する ことを可能ならしめる世界的秩序を追求することである。  

これこそが、いわゆる「中華民族の偉大な復興を実現する」 ということなのである。

そして、この遠大な事業を遂行する前提には、覇権主義と強権政治を「我々の面前で震え上がらせ、彼らに我々のこれも駄目、あれも駄目と言わせることなく、中国人民の不撓不屈の努力が目的に着実に必ず到達」 することこそが、中国共産党の究極目的であるという深層心理的背景が存在しているのである。

こうした中国共産党の建国理念と国家建設理論とに照らすならば、中国艦艇や航空機へ監視活動と称して付きまとう日本の自衛隊の行動は、不当なものと映るのである。そして、それら行為に対する射撃管制レーダー照射や、ヘリコプターによる異常接近への非難は、覇権主義と強権政治が勝手に定めたルールに基づいているのであって、中国がこれに従う必要などない、という論理的帰結となるのであろう。今回の東シナ海ADIZ関連規則の高圧的な規定や、背景となる一方的な大陸棚自然延長論に依拠する排他的経済水域の設定と、それを空中から補完する措置もまた、不公正で、不合理な覇権主義や強権政治の定めるルールや慣習に拘束されるものではない、という中国独特の思考から導かれたものと推察されるのである。

2 対米軍事措置としての“機動-5号”および東シナ海ADIZ

すでに論じてきたとおり、中国の国防目的は、覇権主義と強権政治との軍事闘争に勝利することである。万が一、覇権主義、すなわち、アメリカとの武力衝突という事態に直面した場合、最も中国が危惧することは、緒戦において中国の戦争遂行システムが瞬時に壊滅させられる事態である。具体的には、北京に所在する中共中央軍事委員会のメンバーが、アメリカの巡航ミサイルないし無人攻撃機によって、開戦初期において瞬時に殺戮される事態である。こうした事態さえ回避できれば、対米戦争における中国の勝算は現実性を帯びることになる。

なぜならば、中国の国防戦略の究極的特徴とは、正に「ハイテク条件下の人民戦争」であるからである。たとえ、アメリカの軍事侵攻が実行されたとしても、巡航ミサイルや無人攻撃機による攻撃効果が低減する中国奥地へ戦争遂行システムが移動し残存できれば、膨大な軍事力量を動員して、時間をかけながらアメリカ軍の侵攻を遅滞させることによってアメリカを消耗させ、時機を捉えて交渉に移行可能となるのである。

そうであれば、中国の国防においては、アメリカの巡航ミサイルや無人攻撃機を撃墜することは必須の前提条件となる。

アメリカの巡航ミサイルの射程と“機動-5号”演習実施海域

140122-6

巡航ミサイルの攻撃を阻止するためには、その発射母体を撃破ないし脅威下に置くことが求められる。アメリカの巡航ミサイル発射母体の主体は攻撃型原子力潜水艦(SSGN)、水上艦艇および戦略爆撃機である。現在のアメリカの巡航ミサイルは、最大射程が約3,000kmであることを勘案すると、その発射地点は、上図の破線で囲まれた海域に限定されてくる。したがって、中国としては、その海域における海軍力の戦力発揮が不可欠となることは必然である。その海域の一部が今回の“機動-5号”演習実施海域と合致するのである。

更には、アメリカの巡航ミサイル発射を許してしまった場合においては、自己の防空戦力によって東シナ海でこれらを撃破することが求められることになる。そのためにも、東シナ海にADIZを設定し、常続的な警戒監視を継続する必要がある。また、沖縄等日本領土、或いは、グアムから飛来する無人攻撃機を撃破するためにも、上記ADIZ内における常続的警戒監視は必須となる。

今回のADIZ公表は、上述したアメリカの対中国攻撃への現実的対処手段を中国が保有していることをアメリカに周知させることにも、目的の一つが設定された可能性を指摘することができる。同時に、アメリカの軍事力への依存に立脚した昨今の日本の対中強硬姿勢を再考させるためにも、アメリカの軍事力を相殺する措置を中国は採用し得る事実を知悉させることも考慮された可能性がある。

いずれにせよ、中国がアメリカとの戦争を望んでいるとは考えにくい。ただし、アメリカの軍事的威嚇効果を減殺させ得る実効的な戦略的手段を中国も保持していることを示さなければ、中国はアメリカの各分野における要求に屈しなければならなくなる。それは、「中華民族の偉大な復興」を理念とする中国にとっては受忍できない事態であるのである。

そうした事態を回避することもまた、今回の“機動-5号”演習実施やADIZ設定・公表の大きな動機を構成したと強く思推されるところである。

おわりに

以上、“機動-5号”演習の実施とADIZ設定・公表に関して、中国側報道を通じて、中国政府の目的と動機について考察してきた。そこから看取されるものは、中国政府の多角的、或いは、多面的な観察と考察を経た論理性と合理性である。そして、そうした論理性と合理性は、実利的な可変部分と非実利的な不動部分を兼備しており、歴史的経験から導かれた堅固な不動部分から、多くの事象が派生している事実に注目せざるを得ない。

その不動部分こそが、毛沢東が示した建国理念と「世界政治経済新秩序」に代表される国家建設理念なのである。その理念を成就するために、獲得すべき利益と回避すべき危険を分別し、それらを実現するために各種戦略が立案されているのである。その際に、彼らの観察眼は、「点」よりも「面」を、「面」よりも「立体像」を重視していることは特徴的であろう。

畢竟、“機動-5号”演習にせよADIZ設定・公表にせよ、上記思考的構造に従っていたのである。そして、両者とも、長期的時間軸と瞬間的柔軟性を織り交ぜて構想され、実行に移されている点には留意する必要があろう。

ただし、理念成就のためには現行の世界秩序や規範に公然と挑戦することを前提としていることが、上記不動部分の本質であることは忘れてはならない。

なお、中国の場合、理念達成過程における軍事の果たす機能に対する忌避は存在せず、むしろ、重要な要素として積極的に捉えられている。ここに、日本人が中国の言動に接する際の思考的ないし感覚的齟齬が生じやすい最大の原因があるのかもしれない。

同時に、中国の国防観は、徹頭徹尾「積極防御」であることも重要である。しかしながら、上述した思考構造に従う以上、防御の範囲は、覇権主義の動向によって、いかようにも伸縮することもまた留意されるべきなのであろう。

他方、中国の政府機関スポークスマンや党・軍機関紙の言句に籠められた中国語特有の言い回しによる重要なシグナルが籠められていることもまた我々に教訓を与えている。

以上の観点に立脚するならば、今回の2つの事件に関しては、対話の運び方によっては、いかようにも柔軟な変更、ないしは、妥協の余地が潜在しているといえる。したがって、いたずらに「中国脅威論」に翻弄されることなく、日本自身の利害を自立的かつ具体的に明確化したうえで中国側の発するシグナルを適切に受信すれば、悲観的心理に陥る必要はないと思推されるのである。

(2014年1月22日配信【海洋情報特報】より)