海上自衛隊の救難飛行艇US-2 ~引き継がれてきた技術と将来展望~
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取材・執筆:秋元一峰 海洋政策研究財団海洋グループ主任研究員
髙田祐子 海洋政策研究財団海技グループ海事チーム員
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2013年6月21日に太平洋上で遭難したヨット「エオラス」号に乗船していた、ジャーナリストの辛坊治郎氏と盲目のセーラー岩本光弘氏の救出で注目を集めた海上自衛隊の救難飛行艇は、これまで960回を超える捜索・救難活動の実績があり、多くの人命を救助してきた。その最新型であるUS-2は、高度な技術を取り入れて開発された世界最高の飛行艇と評価されており、防衛省がその技術の民間開示を認め、また政府が「武器輸出3原則」の緩和を検討する中で、インドなどが導入を検討していると言われる。
水陸両用の飛行艇は、用途に多様性があり、日本のみならず諸外国で、違法操業取締、海洋環境調査、防災等、様々な分野で活用される可能性が生じている。2013年8月2日に、US-2型飛行艇を製造する新明和工業株式会社の甲南工場を訪問し、その技術、機能・性能、用途、需要、新技術・新用途の展望等に関する説明を受け、また、10月10日には海上自衛隊厚木基地を訪れ、救難任務に備えて待機中のUS-2を見学すると共に搭乗員にインタビューをする機会を得たので、以下にその概要を紹介する。
1.日本における水上機・飛行艇の開発
(1)旧日本海軍と水上機・飛行艇
日本で初めての航空機製造会社は、1918年に設立された日本飛行機製作所である。2年後の1920年に、日本飛行機製作所の創設者の一人である川西清兵衛氏が、川西機械製作所として分離独立し、その後、1928年に川西航空機株式会社と名称を変える。川西航空機株式会社は、終戦の1945年までに2,862機の航空機を製造しており、言わば日本における航空機産業の草分けとなった。海上自衛隊の救難飛行艇を製造する新明和工業株式会社は、その川西航空機株式会社を前身としている。
川西航空機株式会社は、九四式偵察機や紫電、紫電改等の優れた軍用機を世に出したが、特に水上機・飛行艇の技術では世界でも群を抜いていた。さて、水上機と飛行艇との違いは何か。水上機とは、胴体に浮舟(フロート)を付け、フロートで離着水する飛行機であり、これに対し、飛行艇はフロートを付けず胴体(艇体)で水上を滑走し離着水する。水上機に比して、飛行艇は大型化が可能であり、その分だけ輸送量も大きくすることができる。戦中に日本で開発された飛行艇では、二式飛行艇が名機としての誉れが高い。1941年に初飛行した二式飛行艇は、レシプロエンジン4発装備の大型機であり、二式大艇とも呼ばれる。終戦時、3機残っていた二式大艇のうちの1機を、アメリカ軍が持ち帰って調査し、その優れた性能に驚嘆したとの逸話が残っている。調査が終わってアメリカ海軍で保管されていた二式大艇は、1978年に日本財団の尽力によって34年ぶりに帰国し「船の科学館」で展示されていたが、今は、海上自衛隊鹿屋基地の航空資料館に保管されている。
水上機も、幾つかの航空機会社で製造され旧日本海軍で運用された。中でもユニークなものとして、潜水艦搭載の水上機がある。水上離発着のできる爆撃機を潜水艦に搭載し、隠密裏に敵基地近くまで潜入し奇襲爆撃する構想で生まれた水上機の一つに、愛知航空機が製造した「晴嵐」がある。終戦間際の1945年6月、「晴嵐」10機に対し、「特別攻撃隊」としてウルシー環礁停泊中のアメリカ艦隊への突撃命令が下り、大湊港を出港し南太平洋に向かったが、その途次に戦争は終結し、特攻作戦が実行されることはなかった。終戦後、「晴嵐」もアメリカ軍に接収され、今はワシントンのスミソニアン博物館に展示されている。
晴嵐
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%B4%E5%B5%90
(2)海上自衛隊に引き継がれた水上艇
二式大艇を生んだ川西航空機株式会社は、終戦後の1949年に新明和工業株式会社として設立され、航空機製造の再スタートを切った。新明和工業株式会社は、1967年に海上自衛隊用の飛行艇PX-Sを試作、これが対潜哨戒飛行艇PS-1の第1号となった。当時、潜水艦捜索には、水上艦艇よりも速力のある航空機で速やかに現場に急行し、海上に着水してソナーを用いる方法が有利とされ、対潜哨戒飛行艇PS-1は量産されたが、その後、空中からの対潜捜索技術の進歩により、対潜水艦用の飛行艇の需要は衰退していった。海上自衛隊のPS-1はすべて退役しており、今は製造されていない。
しかし、海上自衛隊では飛行艇の救難用途に着目し、PS-1と並行して救難用の飛行艇US-1を新明和工業に発注することになり、1975年にその第1号機が完成した。その後、US-1はエンジンを換装したUS-1Aとなり、更に、操縦のコンピューター制御、フルカラーディスプレーを用いたグラスコクピット等々の新技術を取り入れたUS-2が開発されて現在に至っている。
洋上救難とは、洋上で遭難した艦艇や航空機の捜索と乗員の救助である。幸いにも、海上自衛隊では今日まで、遥か洋上で艦艇や航空機が遭難するような事故はなく、前述した960回を超える救難出動のほとんどは、海難事故に遭った漁船や貨物船の乗組員の捜索・救助活動や飛行場のない離島或いは洋上航行中の船舶からの急患輸送などの災害派遣である。ちなみに、海上自衛隊では、小笠原諸島からの急患輸送を患者輸送、洋上の船舶からの急患輸送を洋上救難と呼称している。海上自衛隊では、洋上救難のため7機の飛行艇を運用しており、現在は、US-1A型が2機、US-2型が5機である。
2.海上自衛隊の救難飛行艇
(1)救難飛行艇US-2の機能・性能
海上自衛隊が運用するUS-2型救難飛行艇は、全長33.25メートル、全幅33.15メートル、全高10.06メートルであり、ターボプロップエンジン4基、補助エンジン1基とBLC (Boundary Layer Control) エンジン1基を装備している。BLCは、着水時に失速することなく速力を落とすために、主翼に風を送って揚力を保つものである。洋上での離発着には低速飛行能力が不可欠である。陸上滑走路と違って洋上には波があり潮流がある。高速で波に当たれば艇体が損傷する恐れがあるため、できるだけ速力を落とした状態で緩やかに着水する必要がある。BLCの開発により、約50ノットの低速力が可能となっている。最大速力は315ノット、航続距離は約4,500キロであり、北はカムチャッカ半島南端、南はフィリピンのミンダナオ島、東は南鳥島を超える海域までが救難可能範囲となる。
US-2は波高3メートルまで着水でき、これは世界の飛行艇の中でもずば抜けた性能である。
(2)飛行隊第71航空隊:任務即応
海上自衛隊の救難飛行艇部隊は、岩国を母基地とする第71航空隊である。現在、第71航空隊には、7機の救難飛行艇があり、その内訳は、US-2が5機、US-1Aが2機である。通常、救難飛行艇の搭乗員は11名であり、パイロット2名、捜索救難調整官1名、機上整備員2名、救出にあたるダイバー3名、救護員2名、センサー操作員1名で構成される。第71航空隊は、日本周辺海域での任務に即応するため、海上自衛隊の厚木基地に常時2機の救難飛行艇を派遣・待機させている。
10月10日、厚木基地に待機中のUS-2の搭乗員を取材する機会に恵まれた。取材では、第71航空隊の飛行隊長である中原伸二2等海佐にUS-2と任務について説明頂いた。中原隊長は、US-2の他、P-3Cにも搭乗した経験があり、総飛行時間約6,500時間のベテランである。US-2での担当は、捜索救難調整官 (Search and Rescue Coordinator) である。US-2は、パイロットか捜索救難調整官かのいずれかが機長を務める。
海上自衛隊の救難飛行艇は、海難事故等に備えて、常に1時間以内で離陸できる態勢を整えており、直ぐに主エンジンを起動できる状態であれば30分程度で発進できるとのことであった。第71航空隊は年間30~40件の救難・災害派遣任務に当たっており、中原隊長も、様々な現場に立ち会っている。切迫早産の恐れのある女性を小笠原から患者輸送したことがあり、後日、無事出産したとのお礼の手紙を頂いたときには、喜びと共に、飛行艇乗りであることに誇りを感じたと言う。
救難飛行艇は海外で活躍することもできる。2011年、ブルネイで開催された国際観艦式に参加し、優れた性能を展示したことがある。RIMPACで救難訓練の機会があれば、US-2を参加させることもできるのではないかと考えた。
3.国内航空機生産・技術基盤の維持と飛行艇の将来展望
日本国内の防衛需要が縮小の傾向にある中で、自衛隊で使用する航空機の技術・生産基盤をいかにして維持するかが大きな課題となっている。戦前から営々として育まれてきた航空機製造の技術と生産能力も、需要が少なくなれば衰退する。世界の民間航空機需要は成長分野であり、2008年から2028年までの20年間で2万6,000機、300兆円の新規需要が見込まれていると聞く。防衛省で開発された航空機の民間転用が促進されれば、国内航空機産業の生産・技術基盤の維持につながるかもしれない。そのような状況を背景として、2010年に開催された「防衛省開発航空機の民間転用に関する検討会」の結果を踏まえ、2011年に事務次官通達「防衛省開発航空機の民間転用に係る技術資料等の利用に関する手続きについて」が出され、それに基づき2011年に川崎重工業株式会社と新明和工業株式会社からの民間転用に関する開示申請が承認されるに到る。併せ、「武器輸出3原則」の緩和が検討される中、多用途性の高い飛行艇の民間転用・海外輸出が現実味を帯びてきている。
海から離発着できることのメリットは大きく、飛行艇の用途には多様性があるところから、今後様々な需要が生まれ、それに応じた技術と派生型機の開発が期待されている。US-2型飛行艇は、輸送量が大きいところから、飛行場がない離島、あるいは災害によって飛行場が使用できなくなった場所でも海や湖が近ければ、医療支援や救援物資の輸送が可能である。海上航行中の船舶への緊急を要する物資の輸送にも対応できるだろう。インドネシアやフィリピンなどの多島国家では旅客機としての仕様にも対応可能だと聞く。更には、国連のPKO活動でも用途は多いであろう。
中でも、消防飛行艇としての用途に注目が集まっている。地震や津波による大規模災害で発生した火災や、消防車が入っていけない山火事などへの対処である。US-2を消防飛行艇仕様に改造すると、1万5,000リットルの水を搭載して散水することができる。現在、東京消防庁が使っているヘリコプターAS332の搭載水量は2,700リットルであり、消防仕様とした場合のUS-2は、その5倍超の散水能力がある。海外では、消防用固定翼航空機を保有する国が多く、カナダが54機、イタリアが24機、スペインが21機、東南アジアでもマレーシアが2機を運用し、林野火災のみならず都市火災にも対応している。折から、国連では、航空消防の国際協力体制の構築を目指しており、日本も対応能力を備える必要があるだろう。陸上離発着の固定翼では、着陸した後にポンプでタンクに水を入れてから離陸するが、飛行艇であれば、海や湖に着水する折りに艇体下部にある水タンクに滑水しながら自動的に給水し、そのまま離水して火災現場に放水することができる。給水時間を短縮することにより、一刻を争う消火活動に迅速に対応することができるだろう。
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今夏放映されたアニメ映画「風立ちぬ」は、旧日本海軍の艦上機「零戦」の生みの親となった堀越二郎を主人公に模した物語である。物語の中の主人公は、未曾有の大災害となった関東大震災の瓦礫から抜け出し、夢の中で描いた航空機を現の世界で形づくっていく。アニメ映画「風立ちぬ」はフィクションであるが、当時、航空機製造で世界に遅れをとっていた貧乏な小国日本が、一丸となって世界最高水準の飛行機を造り上げていったこと、これは偽りの無い事実である。その中に日本が世界に誇る飛行艇がある。本論で紹介した、二式大艇からUS-2に至る歴史に見るように、今日の日本の航空機産業は、脈々と受け継がれてきた技術が支えている。日本という国は、技術を開発し、産業を興して製品を造り、世界と交易することによって繁栄を得ることができるのである。技術基盤を絶やしてはならない。
(2013年11月11日配信【海洋情報特報】より)
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