戦後日本における政軍関係 ―政治制度の変化に注目して―
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1 はじめに
政軍関係論における重要な命題の1つとして、文民統制と安全保障の両立、即ち「軍からの安全」と「軍による安全」をどのように担保するのかということが挙げられる。しかし、学術的にはこの2つのいずれかに注目した研究が多く、この2つの両立に対する関心が必ずしも高いとは言えないのが現状である。しかも、これらの両立あるいは重要性が当該国の政治体制や経済状況によって左右されることも議論を複雑化させている。一方で、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的な大流行への対応において、政治体制を問わず、強力な政治主導あるいはリーダーシップに対する期待や待望する意見が見られるようになった。確かに、COVID-19への対応のみならず、戦争指導や災害対応などといったいわゆる緊急事態において、政策決定者の強いリーダーシップに基づく政治主導はその対応の成否に重大な影響を与える。しかし、冒頭で述べたように政軍関係の重要な概念の1つである文民統制が具体的には「軍部に関する予算や人事、作戦行動等の管理・統制」を意味するように、特に民主主義国家では外交・安全保障政策を含む政策全般の実施において、議会をはじめとする民主主義的な制度に裏付けられることも重要である。また、ここで指摘する制度は法令などに基づく公的なもののみならず、当時の慣行や習慣などの私的あるいは非公式なものも含み得るものである。そのため、政軍関係の構造が陸海空軍をはじめとする軍部と内閣や議会、裁判所といった文民という単純なものに限ったものではなく、軍部および政府と議会という構図が存在し得ることを踏まえることも重要である。換言すると、民主主義国家において、軍部の行動を掣肘するメカニズムとは何かを理解することが求められる。
本稿は上述の問題意識を踏まえ、戦後日本における外交・安全保障政策に係る政治過程に注目して、民主主義国家における軍部のあり方を再考する。そして、政策を実施する主体としての軍部および政府を管理・統制する議会をはじめとする文民のあり方を検討する。
2 本稿における「政軍関係(論)」
[1](1)「政軍関係論」における前提
近代以降の政軍関係について、先進国においては軍事衝突を伴うクーデタが発生する可能性が皆無である一方、発展途上国ではクーデタが頻発し、地域によっては軍政が施行される傾向があることは周知の事実である。これらの傾向は政軍関係研究ではある種の常識であるが、民主化の観点から検討すると、3つの段階に分けられる。第1段階としては、発展途上国や権威主義体制を採用する国家に代表される安全保障を最優先して、文民統制を軽視或いは無視する段階である。これは明治期、特に日露戦争以前の日本や発展途上国が該当する。第2段階としては、民主主義が勃興し、文民統制が主張される様になる一方、安全保障を優先する志向も衰えず、その結果、文民統制と安全保障が激突する段階である。この状態は民主化途上体制とも表すことが可能であり、大正期の日本や新興工業国が該当する。そして、第3段階として、勃興した民主主義を基盤とする文民統制を前提とした安全保障の確立を志向する段階である。この段階では、政府や議会の優位が確立され、軍隊によるクーデタ等は想定され得ない政治体制となっている。これは2・26事件(1936年)以前の昭和期、あるいは戦後日本や英米等の西欧諸国が該当する(小森2014)。
これらの段階における文民統制あるいは安全保障の重要性や位置づけは、時代や地域によって異なることは言うまでもない。しかし、この構造は換言すると文民統制の取り扱いについても同様のこと、即ち時代や地域によっては文民統制が強過ぎる状況があり得るということである。そのため、本稿においては、文民統制と安全保障が相対的に変化する状況を政軍関係と看做して議論を進めることとする。
(2)政軍関係を形成する制度
政軍関係を規定し得る制度や概念として、戦後日本であれば、法令としては憲法をはじめとして、自衛隊法、防衛省設置法、いわゆる平和安全法制整備法や国際平和支援法、および各法の施行令などが挙げられる。これに加えて、閣議決定に基づく政策の基本指針として、国家安全保障戦略や防衛計画の大綱(防衛大綱)/国家防衛戦略、中期防衛力整備計画(中期防)/防衛力整備計画などが挙げられる。無論、政府や議会である国会との関係も視野に入れるならば、内閣法や国家行政組織法、内閣府設置法および各法の施行令など、あるいは国会法や衆参両院の議員規則などが法令として、法令を実施する上で細則的なものとして、衆参両院の先例集(録)などがそれぞれ挙げられる。この内、法令などは公的な制度と断言できるが、閣議決定や先例集などは必ずしも公的な制度とは言い切れない。一方で、政軍関係の構造を理解する際に、これらの法令などが決定あるいは施行された当時の世論や慣習なども無視することはできない。
このように必ずしも公式の制度とは言えないものまで含んだ分析を目指す手法としては、新制度論(new institutionalism)が挙げられる。周知のように、新制度論は法令等の公式の制度のみに注目していた(旧)制度論(old institutionalism)とは異なり、集団における慣習やアクターの行動規範といった非公式な制度も分析対象としたことが大きな特徴である。この新制度論を初めて体系的に論じたのがマーチとオルセンである(March and Olsen 1984)[2]。しかし、新制度論が実際には、起源の異なる幾つかの理論の集合体であることも事実である。これについて、ポールとテイラーは歴史的制度論(historical institutionalism)、合理的選択制度論(rational choice institutionalism)、社会学的制度論(sociological institutionalism)の3つの流れがあると主張している(Hall and Taylor 1996)[3]。
これらの新制度論を構成する潮流の中でも、社会学的制度論は制度をアクターの行動や現実理解を意味づけるものとして捉え(河野2000)、アクターが制度を形成し得ることを強調する立場である。これは、アクターの行動が制度に規定されるとする合理的選択制度論とは対照的である。しかし、社会学的制度論が制度の政治性を否定するものでもないことは、留意しなければならない[4]。一方で、社会学的制度論は、ウェーバー(K. E. M. Weber)以来の官僚機構等の組織が合理的に機能するものであるという機能主義に対する反論として主張された側面を有している。具体的には、制度がその状況に対して最も効率的とは限らず、卓越した合理性を備えているわけではないというものであり、その様な形態が採用されたのは主に文化的なものや慣習の為であるとするものである(Meyer and Rowan 1977)。
本稿はこのような特徴を有する社会学的新制度論を用いて、法令のみならず、閣議決定をはじめとする政策や外交・安全保障政策が決定された当時の世論などを織り込んだ分析に取り組む。そのため、本稿では「戦後日本の外交・安全保障政策は民主主義、即ち国家レベルの議会である国会の意向に基づいて進められた」という仮説を設定し、戦後日本における政軍関係のあり方を考察する。
3 戦後日本における政軍関係の変遷
(1)太平洋戦争後から冷戦崩壊まで[5]戦後日本を統治した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)は、日本の軍備を全廃することを占領当初は企図した。そのため、日本国内に残存していた兵器類はことごとく廃棄されるのみならず、新たに制定された憲法(日本国憲法)においては、第9条にいわゆる戦力放棄が規定された。しかし、冷戦や朝鮮戦争(1950-53年)の影響を受け、警察予備隊(1950年)や海上警備隊(1952年)、自衛隊(1954年)が編成されるなど、再軍備が実施されることとなった。また、サンフランシスコ平和条約と同時に締結された日米安全保障条約(1952年)により、占領軍は在日米軍と名称を変更し、日本を含む極東地域の安全保障を担うこととなった。
このような再軍備が進められる一方で、戦後日本は消耗した国力を経済成長に集中投入し、安全保障については米国に依存することを目指した「吉田ドクトリン」と通称される安全保障政策を採用していた。この政策は平和主義に基づいた外交・安全保障政策というよりは、明治維新以降の伝統的な日本の外交政策の延長線上に位置付けられる政策であり、国際貿易や技術革新の振興により、国際社会における日本の存在感を高めることが最終目標であった。しかしながら、米国はこの様な依存関係を嫌い、国防関連予算の増額や装備の拡充を要求したが、日本は新憲法の平和条項を盾に要求を拒み続けた(増田2004:43-47)。その結果、吉田ドクトリンは戦後日本の基本方針となった(田久保他2000:24)。
また、日本国内における政軍関係における注目すべき点としては、再軍備の際に太平洋戦争に至った過程への反省や占領政策を担ったGHQ/SCAPの影響により、軍政部門や軍令部門、実動部隊を一元的に運用する組織へと改められたことが挙げられる。具体的には、各自衛隊の軍政及び軍令事項を包括的に取り扱う幕僚監部と防衛大臣等の文民を補佐する防衛省内局が整備され、統合的な指揮・統制が目指された(高橋2007)。しかし、その過程では旧陸海軍関係者が排除され、内務省や大蔵省出身者が影響力を持つ文官統制とも言うべき状態となった(武蔵2009)。
この文官統制とも言うべき状態を財政的に担保したのが、所謂防衛費1%枠である。日本の国防費は、自衛隊の前身である保安隊が創設された1952年以降一般会計予算における比率を漸減させたものの、予算額自体は経済成長に伴い、増額の一途を辿った(大蔵省財政史室1999:92-97)。その為、防衛庁内局を中心に予算総額の抑制が企図され(久保1971)、後の防衛大綱の前提となった(上西1986:154)。
一方、国際情勢はニクソン(R. Nixon)米国大統領の訪中(1971年)や第1次戦略兵器削減条約(START I)の調印(1972年)、全欧安全保障協力会議(CSCE)の設立(1975年)といった出来事が続き、デタントの時代を迎えた(西川2002)。この頃、訪中を達成した田中角栄首相は、懸案となっていた第4次防衛力整備計画(4次防)の策定に取り組み、「平和時の防衛力」の限界を明示することを目指した。しかし、戦力の定量的規制は高級自衛官、いわゆる制服組から反発を受けたものの、野党対策の観点から、明示することが求められた為(廣瀬1989:145)、1973年2月に「平和時の防衛力」が表明された(真田2010)。
その後、田中の後を襲った三木武夫首相は、防衛庁長官にハト派として知られた坂田道太を任命し、防衛大綱を制定した。防衛大綱においては、田中内閣において提示された「平和時の防衛力」を具体化させる為に、国防費の定量的規制が目指された。具体的には、国民総生産(GNP)比で1%に国防費を抑制することが提唱されたが、特に理論的根拠に基づいた数字ではなく、政治的・社会的必要性に基づいて設定されたことは注目する必要がある(真田2010)。三木内閣以降の歴代内閣も国防費の抑制を維持したが、米国の同盟国に対する国防費増額の要求が高まったことを受け、1986年に当時の首相であった中曽根康弘が防衛費1%枠の撤廃を表明し、翌年の昭和62年度予算編成から総額明示方式へと転換した。しかし、防衛費がGNP比1%を超えたのは1987-89年度のみであり、その数値も1.004%、1.013%、1.006%と僅かな超過に止まっている(真田2010)。
(2)冷戦崩壊から安保法制まで[6]
冷戦崩壊以降、特に湾岸戦争(1990-91年)における国際的な評価をきっかけとして、日本の外交・安全保障政策は新たな局面を迎えることとなった。
1992年には「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(PKO法)」が制定され、それまでは禁忌とされてきた自衛隊の海外派遣が可能な体制が整備された。これを受けて、カンボジア(1992-93年)やモザンビーク(1995-97年)、ルワンダ(1996年)などで実施されていたPKO活動へ自衛隊が派遣されることとなった。また、2001年9月に発生した米国同時多発テロをきっかけとする対テロ戦争への対応を通じて、「平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法(テロ特措法)」に基づく海上自衛隊のインド洋への派遣が行われたり、2003年に制定された「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法(イラク特措法)」に基づく陸上自衛隊等のイラクへの派遣(2003-09年)が実施されたりといわゆる日米同盟の強化が進み、日米防衛協力の対象地域が日本周辺や極東地域からインド太平洋地域へと拡大された。
これらの海外での動きに並行して、2006年には陸海空自衛隊の調整機関であった統合幕僚会議および統合幕僚会議事務局が統合幕僚監部に改編されたり、2007年にはそれまでは総理府あるいは内閣府の外局であった防衛庁が防衛省に昇格したり、PKO活動や対テロ戦争(MOOTW)等への対応を含む有事に迅速に対応することを目的とした中央即応集団が新編されたりと安全保障体制の強化が進められた。
一方で、テロ特措法の後継である「テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法(新テロ特措法)」が当時の国会審議の空転の影響を受けて、失効日の2007年11月1日までに成立せず、海上自衛隊が一時的に撤収したり、その後の政権交代の影響を受けて新テロ特措法が延長されず、自衛隊が再度撤収するなど、日本国内の政治情勢の影響を大きく受けていたことも無視することはできない。
(3)安保法制の成立後[7]
その後、2012年12月16日に実施された第46回衆議院議員総選挙を経て、第2次安倍晋三政権が発足した。翌1月に召集された第183回国会での所信表明演説において、安倍首相は「外交、安全保障についても、抜本的な立て直しが急務です。何よりも、その基軸となる日米同盟を一層強化して、日米のきずなを取り戻さなければなりません。」と述べ、外交・安全保障政策の大幅な見直しを宣言した。
2013年2月には、第1次安倍晋三政権以来活動を休止していた「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」を再開させるとともに、8月には元外務省国際法局長であった小松一郎駐仏大使を約90年振りに内閣法制局長官に任命する人事を発令するなど、法制上の課題の解決を図った。また、2013年12月にはそれまでの安全保障会議設置法を改正し、「国家安全保障会議設置法」として、日本版NSCとも称される国家安全保障会議および事務局である国家安全保障局を設置する法的根拠を整備するとともに、初代国家安全保障局長として、元外務事務次官の谷内正太郎内閣官房参与を任命した。そして、2014年5月には、安保法制懇が集団的自衛権を容認する趣旨の報告書を取りまとめたことを受けて、同年7月には集団的自衛権を容認する憲法解釈の変更に関する閣議決定が行われた。
これらの動きを経て、2015年には安倍首相が「希望の同盟へ」と題する演説を米国連邦議会上下両院合同会議において実施し、日米同盟の強化を宣言するとともに、帰朝後の5月に「平和安全法制整備法案」と「国際平和支援法案」の2法案を国会へ提出した。国会審議では、参考人の一部が2法案を違憲と表明したり、日本を元気にする会、次世代の党および新党改革の野党3党が自衛隊の海外派遣の「例外なき国会の事前承認」を義務付けることを柱とした修正案を国会に提出したりといった交渉や調整を経て、9月19日に参議院にて可決成立した。なお、平和安全法制成立後に違憲訴訟が日本全国で提訴されたが、そのほとんどが棄却されている。
併せて、福田康夫政権で設置されていた防衛省改革会議の報告書に基づく防衛省および自衛隊の組織再編が民主党政権前後の政権交代を経て進められ、部隊運用に関する事務を防衛局から特別の機関である統合幕僚監部に移管するための改正防衛省設置法が6月10日に成立した。その結果、防衛省内局に設置されていた運用企画局が廃止され、部隊運用に関する事務が統合幕僚監部へ一本化されたほか、技術研究本部及び装備施設本部が廃止され、新たに防衛装備庁が防衛省の外局として設置された。
4 政軍関係をめぐる新たな規範の形成
これまでに概観した政治過程から見えてくるのは、「軍からの安全」を主たる課題としてきた1980年代末まで、「軍からの安全」から「軍による安全」へと課題が変化しつつあった1990年代から2000年代、「軍による安全」が課題となった2010年代以降という画期である。しかも、いずれの時期においても、PKO協力法や平和安全法制をはじめとする重要法案の審議が白熱し、乱闘も見られる状況であったが、国会で可決された法律に基づいて、種々の取り組みが進められている。この点において、帝国議会が軽視あるいは無視される傾向が強かった戦前とは政治状況が大きく異なることは明らかである。即ち、「戦後日本の外交・安全保障政策は民主主義、即ち国家レベルの議会である国会の意向に基づいて進められた」という本稿の仮説は正しいと考えられる。このような政治状況を形成した最も大きな要因は日本国憲法であり、具体的には立法権を有する天皇の「協賛機関」であった帝国議会とは異なり、国会を「国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関」と位置付けたことである。そのため、外交・安全保障に係る全ての法律案や予算案は全て国会に提出され、衆参両院での審議を経て、可決あるいは否決されてきた。本稿においては、政軍関係に注目する観点から、外交・安全保障政策を中心に取り上げてきたが、これは他の政策分野でも同様である。これに加えて、太平洋戦争の敗戦という極めて巨大な影響を受けて形成された平和主義も大きな要素として無視することはできない。その点において、戦後日本においては、文民を代表する国会を尊重する文民統制が確立されていると看做すことができる。そして、それは戦後日本における政軍関係を規定する規範として捉えることができる。
一方で本稿の冒頭で指摘したように、文民統制と安全保障の両立は政軍関係論における重要な命題である。それを踏まえると、戦後日本においては、安全保障に対して十分に目が配られたとは言い難いのも事実である。しかし、本稿でこれまでに検討してきたことを総合すると、戦後日本において形成されていた規範としての「軍からの安全」という概念が国際情勢の影響を受けて、規範としての「軍による安全」へと変化しつつあること、即ち安全保障にも目を配った体制へと変化しつつあると結論付けられる。
5 おわりに―変化する政軍関係―
本稿は戦後日本における外交・安全保障政策に係る政治過程に注目して、民主主義国家における軍部のあり方、そして、政策を実施する主体としての軍部および政府を管理・統制する議会をはじめとする文民のあり方を検討してきた。その結果、戦後日本において形成されていた規範としての「軍からの安全」という概念が国際情勢の影響を受けて、規範としての「軍による安全」へと変化しつつあること、即ち安全保障にも目を配った体制へと変化しつつあることが明らかとなった。この結論を踏まえ、若干の私見を述べたい。近代民主主義国家における政軍関係において、文民統制が指向されてきたことは周知の事実である。しかし、強度の度合いを別にして、戦争あるいは紛争を十分に予測したり、防止したり、あるいは現場の将兵を十分に管理することが不可能であることもまた事実である[8]。そのため、古典的政軍関係論で提示された客体的文民統制に代表される安全保障を織り込んだ文民統制の確立が求められる。しかしながら、昨今の政治過程においては、主要国において日本のみが議員定数を減らすといった議会の弱体化を招来しかねない動きが目に付く(小森2021)。より良い政軍関係を形成・発展させるための規範の形成、即ち安全保障体制の整備と同様に文民統制の基盤構築を進めることが求められている。
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J.C.ワイリー(奥山真司訳)(2020)『戦略論の原点 軍事戦略入門(新装版)』芙蓉書房出版。
Hall P. A. and Taylor R. C. R. (1996) "Political Science and the Three New Institutionalisms", Political Studies, Vol.44, No.5, pp.936-957.
Hay C. (2006) "Constructivist Institutionalism", Rhodes R. A. W., Binder S. A. and Rockman B. A. (eds.) the Oxford Handbook of Political Institutions (New York: Oxford University Press), pp. 56-74.
March J.P. and Olsen J.P. (1984) "The New Institutionalism: Organizational Factors in Political Life", The American Political Science Review, Vol.78, No.3, pp.734-749.
Meyer J. W. and Rowan B. (1977) "Institutionalized Organizations: Formal Structure as Myth and Ceremony", American Journal of Sociology, Vol.83, No.2. pp.340-363.
付記 本稿は日本政治学会2023年度研究大会において報告した内容に加筆・修正したものである。
[1] 政軍関係(論)に関する一般的な説明については、防衛大学校安全保障学研究会2019をはじめとして、優れた先行研究が幾つか存在するので、そちらを参照されたい。
[2] 現在では、前述の3つの制度論に加えて、構造主義制度論(constructivist institutionalism)、言説制度論(discursive institutionalism)、ネットワーク制度論(Network Institutionalism)が存在するとされている(Hay 2006)。
[3] 新制度論の概要や政軍関係研究への応用可能性については、小森2010を参照されたい。
[4] 往々にして、制度の自明性やゲームの「均衡」としての制度に注目するあまり、制度の政治的背景を無視あるいは軽視してしまう傾向がある(河野2000)。
[5] 本節の記述は小森2014に基づいている。
[6] 本節の記述は主に『防衛白書』各号に基づいている。
[7] 本節の記述は「朝日新聞クロスサーチ」、「ヨミダス歴史館(読売新聞)」および「毎索(毎日新聞)」掲載記事に基づいている。
[8] ワイリー(J. C. Wylie)は、戦略の総合理論の前提として、①いかなる防止手段が講じられようとも戦争は起こる、②戦争の目的は、敵をある程度コントロールすること、③戦争は予測不可能である、④戦争における究極の決定権はその場に立ち、銃を持っている兵士が持つ、という特徴を指摘している(ワイリー2020)。
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