オーシャンピース・キーピング(OPK)構想の立案過程―高井 晉氏(元防衛省防衛研究所図書館長)へのヒアリング調査を実施して―

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相澤輝昭,防衛大学校防衛学教育学群准教授(笹川平和財団海洋政策研究所客員研究員) 元一等海佐

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はしがき

 オーラル・ヒストリーは重要政策に係る歴史的証言を記録して後世に伝える試みであり、今日では国内外でこれを活用した様々な取り組みが行われている。本稿はその一環として元防衛省防衛研究所図書館長の髙井晉氏の御協力を得て、「オーシャンピース・キーピング(OPK)構想の立案過程」をテーマに実施したものを取りまとめたものである。
 オーシャン・ピ-スキーピング(以下、OPK)は1990年代末頃から髙井氏、防衛省防衛研究所主任研究官の秋元一峰元海将補(現OPRI特別研究員)が提唱した海洋安全保障の概念である。これは「アジア太平洋地域の排他的経済水域内において、海洋資源の保護管理や海洋環境の保全、さらに海洋通商路の安定的利用の確保を目的とする、海軍・コーストガードが共同して警察的任務の一環として行う協力活動の提言」であり、具体的な内容としては「アジア太平洋地域諸国の海軍・コーストガードが相互に乗組んだパトロール船が、地域の排他的経済水域内で行われる密漁、廃棄物の海洋投棄、海賊行為、テロ、麻薬取引その他の違法行為を沿岸国の法令に基づいて取り締ること」などを念頭に置いていた(後掲参考文献:髙井晉「ブリーフィング・メモ―OPKと海洋安全保障協力―」など参照)。
 OPKは発表当初、国内外で注目を集め、国会質疑でも取り上げられたが、その理念は現在のさまざまな「安全保障協力」にも継承されている。また、OPKの考え方はOPRIが取り組んでいる「海を護る新たな国際構造の創出」プロジェクトが念頭に置く「海洋ガバナンス」の構築に資する新たな海洋安全保障概念にも通ずるものであり、提唱者である髙井氏に聴き取りを実施する重要性は高いと考えられたため、オーラル・ヒストリーの手法を用いて、その構想の立案過程について以下の通りヒアリング調査を実施した。なお、本稿で示された見解や解釈については個々の関係者のものであり、笹川平和財団海洋政策研究所を代表するものではないことを付記しておく。

高井 晉氏の経歴

1943年8月 岡山県生まれ
1967年 青山学院大学法学部卒業
1973年 青山学院大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学
1975年 防衛庁教官採用試験(国家公務員上級職採用試験相当)合格
1976年 防衛研修所助手。以降、防衛研究所第1研究部第2研究室長、第1研究部主任研究官、
図書館長を歴任。この間、青山学院大学大学院兼任講師など多くの大学講師、
研究機関研究員を兼務
2007年 防衛研究所退官。その後、OPRI特別研究員を経て、
現在は一般社団法人日本安全保障戦略研究所理事長

高井晉先生オーラル・ヒストリー質問票-オーシャンピース・キーピング(OPK)構想の立案過程-

2020年2月28日

1 まずは本件のバックグランドとしまして、先生の御経歴、御研究のプロフィールなどについてお伺いしたいと思います。先生は1973年、青山学院大学法学研究科を単位取得済退学され、75年、防衛庁教官採用試験に合格されまして、翌76年、防衛研修所助手に就任されますが、それまでの御研究の内容や防衛庁を志願された理由、また、それにも関連いたしまして、当時の国内外情勢をどのように受け止めておられたのか、といった点についてお聞かせ下さい。
2 先生は防衛研究所で第1研究部第2研究室長、第1研究部主任研究官、図書館長などを歴任され、また、この間、国内外各大学の兼任講師なども務めておられますが、この間の研究テーマ、特に関心をもって取り組んでおられた事項などについてお聞かせ下さい。
3 この間、我が国の防衛、安全保障に係る情勢としては70年代のデタント、80年代の新冷戦、そして80年代末には冷戦終結と大きな変化を経るわけですが、先生は防衛研究所の研究者という立場で、こうした動きをどのように感じておられたのでしょうか?
4 もう一つ本題の前に、OPKの考え方には国連海洋法条約(UNCLOS)の存在が非常に大きく影響しているものと考えておりますが、先生は国際法研究者として条約の交渉から1982年の採択、1994年の発効から今日に至るまで、このUNCLOSについて、特に「海洋のガバナンス」という観点から、どのように受け止めておられたのでしょうか?
5 さて、ここからは本題のOPKについてお伺いしていきたいと思います。先生は本件の提唱者の一人でいらっしゃいますが、まずはこうした考え方を持つようになられた契機、またその時期、オフィシャルには1996年から防研において研究が開始されたものと承知しておりますが、そこに至る経緯、それからそのプロセスにおいて特に影響を受けた人物、参考にされた論文などがありましたらお聞かせ下さい。
6 先生はOPKを「アジア太平洋地域の排他的経済水域内において、海洋資源の保護管理や海洋環境の保全、さらに海洋通商路の安定的利用の確保を目的とする、海軍・コーストガードが共同して警察的任務の一環として行う協力活動」とし、その具体的内容としては「アジア太平洋地域諸国の海軍・コーストガードが相互に乗組んだパトロール船が、地域の排他的経済水域内で行われる密漁、廃棄物の海洋投棄、海賊行為、テロ、麻薬取引その他の違法行為を沿岸国の法令に基づいて取り締ること」いう説明をしておられますが、このような考え方は、どのようにして導き出されたものだったのでしょうか?
7 先生方が御提案されたOPKは1997年10月、防研において開催された国際共同特別研究会で議論されたことを契機として内外の注目を集めることとなるわけですが、この国際研究会の議論、あるいはそれを契機とした内外の反応などについて何か印象に残っていることがあればお聞かせ下さい。また、この御提案に対する当時の防衛庁、防研内の反応はどのようなものだったのでしょうか?
8 そうした中、1999年11月の衆院外務委員会で公明党の山中曄子議員からOPKについて質問がなされ国会でも議論されることとなりましたが、この経緯について何か御存知のことがあればお聞かせ下さい。またこれに対する当時の防衛庁あるいは防研の反応はどのようなものだったでしょうか?また、先生御自身は本件についてどのようにお感じになられましたでしょうか?
9 その後の先生御自身の、あるいは防衛庁、防衛研究所としてのOPKに関する取り組みについて、何か御記憶のことがあればお聞かせ下さい。
10 2001年9月にはいわゆる9.11米国同時多発テロが発生し、我が国も後に海上自衛隊のインド洋派遣が実施されることになります。図らずも対テロ戦争における海上阻止作戦という形で有志連合による海軍間の協力枠組みが実現することになり、日本も補給支援活動という形でこれにコミットしていくことになります。先生はOPKとの関係でこうした動きをどのように見ておられましたでしょうか?
11 2003年6月のアジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)では石破茂防衛庁長官がスピーチの中で「アジア太平洋地域における多国間協力の可能性」について述べる中でOPKについても言及され、大きな反響を呼んだと言われていますが、この件について何か御存知のことがありましたらお聞かせ下さい。
12 その後、2010年代後半には新たな地域概念として「インド太平洋」が注目を集めるようになり、我が国も「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」を推進しておりますが、ここで論じられている新たな安全保障上の脅威はOPKと共通する部分が多々あるのではないかと思われます。このような最近の動きとOPKの関係について、先生はどのようにお考えでしょうか?
13 今日ではOPKの理念は様々な「安全保障協力」の形に継承されていると考えることもできるかもしれませんが、しかし現実問題として上記で提唱された海上法執行など多国間の海洋安全保障協力の実現までは至っていないのもまた事実です。元よりそのことが簡単な話ではないことも重々承知の上で敢えて伺いますが、このようにOPKの考え方が現実にはなかなか浸透しない原因はどういった点にあるとお考えでしょうか?また、それを克服してOPKの考え方をより広く普及させていくためにはどのような取り組みをしていけばよいのか、何かお考えがありましたらお聞かせ下さい。
14 以上、OPK構想の立案過程などについて伺って参りましたが、先生は今日の情勢にもかんがみて、OPKの意義について現時点ではどのようにお考えでしょうか?また、海洋政策研究所では、「海を守る新たな国際構造の創出に関する研究」(ブルーインフィニティループ)と題する新たな海洋ガバナンス構築に資する研究に取り組んでおります。これは基本的な問題認識をOPKと同じくするものと考えておりますが、最後にこれとの関連で何かアドバイスを頂ければ幸甚です。

海洋政策オーラル・ヒストリー 高井晉(元防衛研究所図書館長)―オーシャンピース・キーピング(OPK)構想の立案過程―

実施日 2020年2月28日(金)
実施時間 12時30分~14時30分
実施場所 笹川平和財団ビル6階会議室
語り手 髙井 晉 (OPRI特別研究員(当時))
聞き手 相澤 輝昭(OPRI特任研究員)
テーマ オーシャンピース・キーピング(OPK)構想の立案過程

相澤 笹川平和財団海洋政策研究所の相澤でございます。本日は髙井晉先生からオーシャンピース・キーピング(OPK)構想の立案過程などについて、お話をお伺いしたいと思います。質問票は事前にお送りしたとおりですが、関連する事項につきましても併せましてお話をいただければと思います。また、お渡ししている質問の順番に関わらず、お話しになりやすい順番でお話しいただいて差し支えありませんので、よろしくお願いいたします。
高井 分かりました、どうぞよろしくお願いします。
相澤 それでは早速ですが、質問事項1番になります。まずは本件のバックグランドとしまして、先生の御経歴、御研究のプロフィールなどについてお伺いしたいと思います。先生は1973年、青山学院大学大学院法学研究科博士課程を単位取得済で退学され、1975年、防衛庁教官採用試験に合格されまして、翌1976年、防衛研修所助手に就任されますが、それまでの御研究の内容や防衛庁を志願された理由、また、それにも関連しまして、当時の国内外情勢をどのように受け止めておられたのか、といった点についてお聞かせください。
高井 私は、大学卒業後、大学院の修士課程に進学しましたが、学生時代にサッカーとスキーばかり楽しんでいましたので、大学院進学に際して明確な目的はありませんでした。大学を卒業するころになっても就職する気になれないという、その頃に流行っていたピーターパン・シンドローム学生の1人でした。修士課程を修了しても相変わらず明確な目標がなく、大学院の博士課程に進学しました。
大学院の博士課程で出会ったのが私の指導教授の大平善梧先生で、体系書こそありませんが、格物致知を旨とする国際法の先生でした。格物致知というのは朱子学の教えで、物事の道理や本質を深く追求し理解して、知識や学問を深め得る考え方を意味しています。大平善梧先生は、1960年の日米安保騒動の時に、多くの学識経験者は「日米安保条約は無用だ」と主張していましたが、大平先生は「日本の安全を維持するために、日米安保条約が必要だ」と主張していた数少ない先生でした。当時、多くのマスメディアは大平先生を右翼教授と決めつけて糾弾していましたが、私に言わせれば右翼ではなく、物事の本質を理解する真の研究者でした。
 私は大平先生に非常に大きな影響を受けまして、研究者や教育者としてのあり方について非常に多くのことを学びました。当時は、全共闘の学生運動が盛んで講義中に教場になだれ込んでくることもありました。その頃「造反有理」という言葉が流行っていたのをご存じだと思います。当時の全共闘の学生運動は、「何かを達成するために新たな秩序を考える」という考えではなくて、「とにかく秩序を破壊すれば新しい秩序が自然に生まれる」という無責任な思想で行動し、多くの大学が混乱を極めていました。秩序を破壊すると言って、自己の不法行為を正当化していたのです。そのような中で、日本は将来どうあるべきかということを大平先生とよく議論しました。先生は、キャンパス内でデモ行進をする学生達を見て「左翼思想というのは、結局、自己中心ということだ」とおっしゃっていたのが印象的でした。その後、先生は青山学院大学の学長になり、大学を閉鎖して学生に通門証を発行するなど、一緒に全共闘学生対策を行ったことも懐かしい思い出です。
 私の専門は国際法です。国際法というのはご存じのように、国と国の間で合意された規則の総体で、それに基づいて国家間の権利・義務関係が生じます。その国際法に合意していない国は、それに全く関係ありません。自分の国はその国際法の規則に合意していないから、こんな規則は自国に関係がないと主張して遵守しない。だから世界の秩序は、2国間あるいは多数国間の国際法だけでは維持できないことになります。
例えば海洋の規則について、海洋資源の枯渇問題を考えてみましょう。海洋資源の保存管理のために条約を締結しても、その条約に入らない国は、条約に入っていないことを理由に、資源を乱獲する傾向にあります。そうなると海洋資源の保護の規則としての国際法の存在の意味が薄れていく。そういう中で、国際法は国内法と違って価値観が違う国家間の約束ですから、これを調整するメカニズムが必要で、国際司法裁判所(ICJ)などの国際裁判所は国際法を補うために、文明国が認めた「法の一般原則」を含めて審理します。そこで大学院へ進学して法の一般原則を研究することにしました。
 大学院で研究活動を始めた頃、新しく海洋法条約をつくろうとする国際的な機運が盛り上がっていて、国連による第3回海洋法会議が開催されました。人間の活動があまりにも科学的に大きくなり過ぎたので、海洋はこれまでのような浄化作用を期待できなくなるし、漁業資源が枯渇すると囁かれていました。また、当時の海洋法秩序が先進国が圧倒的に有利だったので、この格差を解消すべきであるというのが、その当時の海洋問題に関心を持っている研究者の認識でした。
 博士課程の単位取得の見込みができた頃、大平先生が体調を悪くされ、残念ながら博士論文を提出できなくなりました。大平先生は、安全保障研究に非常にご関心があり、常々、「日本は第3次世界大戦には絶対巻き込まれるべきではないので、防衛研究所がしっかりしていなければならない」とお考えになっていました。そして、大学教員の可能性はありましたが、「是非、防衛研究所を受験してほしい」といわれ、国家公務員の上級試験と同じような助手採用試験を受験しました。一般教養、語学そして専門科目の試験に無事合格しまして、防衛研究所に入ることができました。
 防衛研究所に入る早々問題になったのは研究テーマの選定でした。日本の憲法は、国際紛争を武力で解決しないと規定していましたが、侵略があった時は自衛隊が対処しなければならない。その自衛隊の行動に関連する研究が、防衛研究所の役割の一つでした。安全保障の問題と取り組む際に考慮したのは、憲法9条に規定する武力行使禁止の問題と、前文の「平和を維持し、・・・国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」という規定です。このような憲法規定を勘案して、国連の平和維持活動を研究テーマにしました。
当時の日本の安全保障政策は、日米安保条約と深い関係があるため、自衛隊が国際貢献活動を行うのであればアメリカの理解が必要だと思い、国連安保理の決議に基づく平和維持活動であれば、当然アメリカも合意している国際貢献活動になると考えました。それで、防衛研究所に入ってすぐに「国連PKOの研究をやりたい」と言ったのですが、自衛隊の任務ではないのでその研究は無意味だと言われました。今では自衛隊の任務になっていますが、当時は任務ではなかったので海洋法を研究テーマにしました。
その頃、国連海洋法条約草案が審議されていて、島であれば領海、それから排他的経済水域や大陸棚を主張する根拠になるため、これまで全く無関心だった無人島が国際紛争の種になると考えました。日本は海洋に囲まれていて、竹島や尖閣諸島の問題を抱えていたので、島嶼問題や海洋の利用制度の研究をテーマに研究活動を続けることにしました。このときの海洋秩序の研究は、今日まで大いに役に立っています。
海洋法の研究を10年ぐらい続けているとき、防衛研究所から国連PKOについて自民党の国防部会と外交部会に説明するよう指示されました。湾岸戦争が発生し、日本の国際貢献活動が国会で議論の対象になっていたためです。その時はニューヨークの国連に出張していましたが急遽帰国して、自民党をはじめ公明党や社会党に行き、国連PKOについて説明しました。防衛研究所で認められなかった国連PKOの研究は、勤務時間後に、元国連事務次長の明石康氏や後に国連大使となった大島賢三氏らと研究会で勉強していましたので、最新の情報を伝えることができました。しかし当時の国会議員は、国連PKOについて全くご存じなかったことが印象的でした。
 国連PKOを日本に導入するにあたって考えたのは、日本に相応しいPKOについてでした。その当時、世界には様々なPKOがあり、国連PKOについても解釈の違いがありました。最終的に、日本に相応しいのはカナダ型のPKOであると考えました。カナダの外交・安全保障政策の基本は、世界が平和にならなければカナダの平和はないという考えで、これまで1つを除いてすべての国連PKOに貢献していました。カナダは、今日、世界中から平和愛好国として尊敬されています。
カナダはアメリカと地続きなので、安全保障政策について米国と不可分の関係にあります。例えば、NATOの同盟国であり、NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)はアメリカとカナダが一体となって運営していました。カナダは、安全保障政策について独自の行動ができない制約がありましたが、国連PKOは、国連の決議に基づいて行う活動なので、カナダが独自に貢献してもアメリカは反対できません。日本もカナダと同様にアメリカと安全保障条約を締結しているので、カナダ型の国連PKOを導入して国際貢献すれば問題はないと考えました。
 それから、訓練成績が良かった兵員を優先的に現場へ派遣するというのがカナダのやり方でした。自衛隊員が派遣先で事故を起こすことを避けるためにも、訓練で優秀な人を派遣することを考えました。それからカナダでは国連PKOへ派遣する予定の大隊を事前に指定し、時間をかけて派遣先の文化や情報を理解させ、停戦監視などのトレーニングをしていきました。このシステムを日本へ導入したかったのですが、結局だめになり非常に残念でした。
 防衛研究所における研究は、大平先生の教えから、戦争をなくすことが大きな目標でした。それから専攻が国際法ですから、ルール・オブ・ロー(法の支配)をどのようにして維持していくかについて、具体的に考えることでした。
相澤 ありがとうございます。ここまで質問票の1番から2番の途中ぐらいまで伺いましたが、引き続き質問票の順番に係わらず、話易い形で進めて頂ければと思います。それで今お話しいただいた中で、大平善梧先生は必ずしも海洋法が御専門ということではないと思いますけれども、特に海洋法関連で影響を受けた先生とか書物はありますでしょうか。
高井 大平先生は、格物致知の考えから、海洋法上の個別の問題点についても多くの論文を書いていらっしゃいます。しかし、私が海洋法を研究できたのは、国連の海洋会議がそれぞれ春夏1回ずつ10年も続いていたからです。海洋法会議では、コンセンサス方式、すなわち各国が提案した条文案を1条ごと審議に付し、コンセンサスが得られたら次の条項を審議するという、新しいやり方が採用されていました。各国から提案された条文案には様々な根拠が付されていたため、世界各国の国際法や海洋法の解釈や研究成果が現れていました。これがとても勉強になりました。日本人の研究者は、どちらかといえば「日本から世界」を見る傾向にありますが、「世界から世界」を見ることができて非常に勉強になりました。
相澤 もう一つは、今のお話の中でもありましたが、先生の国際社会に対する見方ですね。当時は冷戦もあった中で、とは言え、70年代の前半からデタントになって、その後、また新冷戦があってと、この辺りのところは、世の中というか世界をどんなふうに見ておられましたか。
高井 戦争というと大きな戦争、それも滅多にない世界大戦をイメージしますが、実は冷戦やデタントの期間にも多くの地域的な戦争、武力紛争がたくさんありました。その多くは大国の代理戦争としての一国家内の覇権を争う武力闘争でした。国連憲章には、それぞれの加盟国の国内問題に対して、他の加盟国や国連は干渉してはならないとする規定があるので、そのような武力紛争を止めることが大きな問題でした。しかし、数多くの被害者が苦しんでいる現実に、非常に心を痛めていました。このような世界の状況を知り、防衛研究所に入って国連PKOの研究をやりたいと考えました。国連PKO研究についての防衛研究所での経緯は、すでにお話しした通りです。
相澤 それでは2番で、いまPKOのことを大体伺いましたが、あらためまして防研の中では第1研究部の第2研究室長、それから第1研究部主任研究官、図書館長などを務めておられます。この間、国内外の各大学の兼任講師なども多数務めておられますけれども、いまPKOのことがありましたが、防研の中での業務といいますか、どのようなことをされたかについてお聞かせください。
高井 私が入った頃は、防衛研究所も小さな組織でした。防衛研究所には教育と研究の任務があり、教育は、10か月の一般課程、それから2週間の特別課程がありました。一般課程の学生は2佐と1佐で平均年齢43歳から45歳です。私が入所した頃の学生は私よりずっと年上だったので、最初の講義ではとても緊張したことを覚えています。防衛研究所の教育目的は、学生に対し「日本の安全保障政策を立案できる能力を育成する」ということでしたから、教育内容は、国家目的や国家目標から始まって憲法や自衛隊法の問題、労働組合運動、左翼運動、国内外の経済問題、国際情勢、軍事情勢などの講義、講義の内容を確認する討議、論文作成などを10か月間にわたって行い、最後に外国への研修旅行がありました。
 私が所属していたのは研究部の第2研究室で、教育では法律と国内政治の問題を取り扱う「国内コース」を担当していました。私が入るまでは、残念ながら国際法の科目はありませんでしたが、入所と同時に、第5研究室が担当する「国際コース」の中で国際海洋法の講義として「我が国の抱える島嶼領土問題」の科目を講義させて頂きました。「国内コース」を担当していた頃、外では聞くことができない労働組合運動や左翼運動の講義に興味がありました。当時は労働組合運動が盛んで国鉄労働組合のストが多発していたので、外部講師による労働組合運動の講義は興味深く、また大学院生の頃に大学騒動を経験していましたので、全学連や全共闘の左翼運動問題について警察の治安担当者から講義を聴き、目から鱗が落ちる思いでした。
相澤 その頃、まさに防衛研究所で教育を担当されたわけですが、防研の中の業務の比重というのは、どちらかというと研究よりも教育のほうが大きかったということですか。
高井 防衛研究所における教育は、一般の大学と違って、毎日講義を行うことはなく、「国内コース」で2か月ぐらいの間に、教育、所外講師のアテンドをやっていた以外は、各自の研究テーマに基づいた研究に従事していました。
相澤 防衛研究所と言えば、防衛教官のシビリアンの先生と制服の人間が一緒に研究するところですが、先生が担当された戦時国際法では、制服でどなたか「この方は」とご記憶に残っている方はいらっしゃいますか。
高井 当時、制服教官の多くは第6研究室に所属しておりまして、教育は「軍事コース」を担当していました。他の研究室にも制服の方がいらっしゃいましたが、残念ながら戦時国際法の教官は皆無でした。今おっしゃったように、防衛研究所は、制服とシビリアンの研究者が一緒になって教えることが大きな特徴でした。防衛研究所以外の自衛隊高級幹部の教育は、主として制服が教官になっていて、幕僚のあり方、師団レベルや方面レベルにおける指揮のあり方、指揮所演習など戦い方の教育が主体でした。現在では、国際安全保障や国連の講義を私が担当しているように、シビリアンによる講義も多くなったと聞いています。
相澤 第6研究室は、いわば制服の人達のグループで、まさに今言われた幕僚要務とか、ミリタリーサイドの担当をするのでしょうか。
高井 第6研究室の「軍事コース」では、例えば孫子、ジェミニ、マハンのような戦略思想の講義から各国の軍事戦略などの講義まで、多くの軍事問題を教育していました。第5研究室は、地域研究者が多く、「国際コース」の中で各国の政治情勢、国内問題、国際関係等の講義を担当していました。第6研究室の「軍事コース」では、「国際コース」の講義との関連で、例えば中国とか北朝鮮内の軍事政策とか軍事戦略を講義していましたし、大東亜戦争やソンムの戦いなどの戦史教育も担当していたと記憶しております。防衛研究所の教官は、全部の講義を聴講することが来ましたので、「軍事コース」における講義は、軍事力の活用方法を考える上で大変参考になりました。
相澤 今伺った面もありますが、この当時まさに70年代デタントで、それから80年代の前半になりますとソ連の脅威が上がってきて新冷戦、89年には冷戦終結という流れになってくるのですが、防研でのご勤務中にちょうど冷戦終結を迎えるわけですけれども、先生は冷戦終結ということをどのように受け止めておられましたでしょうか。
高井 私は、国際政治学や国際関係論の研究ではなく国際法の研究を通して世界を見ておりました。冷戦終結になった時、多くの人が期待したのは、国連の活動が活発になるということでした。冷戦時はソ連などの安保理常任理事国による拒否権行使があり、国連の活動が制約されていたからです。しかし私はそうは思いませんでした。それぞれ大国は大国なりの価値基準があり、価値が同じであれば協力しますし、価値が違う場合にはこれまでと変わらないと考えていました。冷戦時は2極で冷戦終結後は1極となりましたが、そのうち中国やインドも台頭してくる多極化時代になるだろうと思っていました。価値基準が異なる大国間の利害のコントロールは、冷戦時代よりもずっと困難になると予想していたので、多極化時代の諸国家の行動基準は、国際法秩序しかないと確信していました。
相澤 そういう点では、まさに私もリアルタイムで、その時代を制服で過ごしてきた者としては非常に共感するところがありますけれども、冷戦が終わっていわゆる「平和の配当」が期待された時にブトロス・ガリの「平和への課題」が出て、PKO等がものすごく拡がっていく、結果的に萎んでしまうわけですけれども、国際法あるいはPKOに取り組んでおられた先生としては、あの一連の動きをどのように見ておられましたでしょうか。
高井 ご存じのように、冷戦時代はゼロサム・ゲームの時代でした。それ(冷戦構造)がなくなったため、冷戦時代に東西両陣営からの経済援助で潤っていた途上国は、冷戦が終結して経済支援がパタッと止まると、道路、橋、鉄道、港湾などのインフラは、修理ができず壊れたまま放置されます。そして学校、病院などの公共施設の維持が困難になり、銀行や会社が破産して都市に失業者があふれ、経済秩序が破綻してしまう。途上国の政府は、このような国内秩序の破綻に対応できず、仕事がない労働者は宗教あるいは民族を核にして連帯を強め、相互に対立して武力対立へと発展する傾向にありました。反政府暴動に巻き込まれて殺戮された一般住民は数知れません。このような国内治安を維持できない国家は、今日では破綻国家と呼ばれています。
 国連は、多発する破綻国家に対処するため、いわゆる一国内PKOといいますか、破綻国家を再建するための新しいPKOを実践する決議を採択していきます。破綻国家では都市部に流民が溢れ、周辺国に流出した難民が一時2,500万人ぐらいになったことがありました。膨大な数の難民の面倒を見なければならない周辺国も疲弊していきました。このような負の連鎖を止めるためにも「自衛隊はどんどん貢献すべきだ」と強く思いました。日本の国連PKO貢献の努力について、ワシントンDCで開催されたアメリカ国際政治学会で発表したこともありましたが、豊かな日本が何故国際貢献をしないのかと質問攻めにあったことを覚えています。
相澤 分かりました。本題に入る前にもう一つ、先ほども既に言及していただきましたが、OPKの考え方には国連海洋法条約(UNCLOS)の存在が非常に大きく影響しているものと理解しております。先ほど海洋法条約に対する期待というお話がありましたけれども、特に先生が言われています海洋のガバナンスの観点から、この審議の過程、1982年の採択、1994年の発効から今日に至るまで、先生はこのUNCLOSをどのように、特に海洋のガバナンスという観点から受け止めておられますでしょうか。
高井 海洋ガバナンスについては、拙稿(注:参考文献一覧に後掲:髙井晉「海洋の安定的利用とOPK」)を読んでいただければいいのですが、海洋ガバナンスの基本的な考え方は、カナダのダルハウジー大学の教授だったエリザベス・マン・ボルゲーゼ先生の著書『The Oceanic Circle』に詳しく書いてあります(注:同書はOPRIが『海洋の環-人類の共同財産「海洋」のガバナンス-』として2018年に翻訳出版)。
国連海洋法条約は、基本的に、先ほど言いましたようにコンセンサス方式で各条項が作成されました。それまで海洋法は、海洋の主たる利用国、つまり海洋先進国が有利な秩序という大きな特色がありました。このような海洋秩序に対して途上国には非常に不満がありました。自分達も海洋を利用しているのに、不利な秩序に従わなければならないことに対する不満が途上国に多くありました。
 もう一つは、さっきも申しあげましたように、科学技術の進歩により海洋の利用は大きく変わっていったことです。例えば漁群探知機が非常に発達したため漁業資源の枯渇問題もありますし、海洋汚染の問題もあります。海洋汚染の80%は河川からの汚染であり、重金属を含む汚染水はすべて川に捨てていましたが、海洋は浄化装置という思い込みがあったため、人々は海洋汚染に関心がありませんでした。
 その海洋が次の世代も同じように利用できるかという問題意識をもったボルゲーゼ先生達は、海洋の自由をやめて管理された海にしようと、思想的な大転換を考えていました。その後、先生達の考えを国連が取り上げて、先進国だけではなく途上国も含めた諸国で海洋秩序をつくる」ために、第3回国連海洋法会議が開かれました。国連海洋法ができるまで10年かかりました。そういう中で、海洋の「法と秩序の維持」が私の研究テーマだったので、沿岸域の保全問題、海洋の利用秩序の問題、漁業資源の保護の問題、海洋環境の保全問題、深海底資源の配分問題などの海洋法秩序の問題と取り組むことになりました。
相澤 ありがとうございます。前置きの部分から既に非常に示唆的なお話でしたが、これを踏まえた上で今日の本題でありますOPK(オーシャンピース・キーピング)についてお伺いしていきたいと思います。
 先生は本件の提唱者の一人ということで、実質的には高井先生が提唱されたと私は理解しておりますけれども、まずはこうしたお考え方をお持ちになられた契機、いま言われたことに関係するかと思いますけれども、あるいはその時期、それから論文に書かれた情報によりますと防研では1996年から研究を開始されたとなっておりますが、そこに至る経緯、あるいはそのプロセス、特に影響を受けた人物とか、参考にされた論文などがありましたらお聞かせください。
高井 国連PKOを研究しているとき、アドリア海に展開したブルー・ウオーターPKOやカンボディアの沿岸や河川に展開したブラウン・ウオーターPKOの存在を知り、海洋の平和を維持する海軍の活動を知りました。また、冷戦後の海洋を巡る安全保障環境、そして国連海洋法条約に基づく海洋秩序の新たな基本理念などを考え、海洋の安定的利用のために海軍が共同行動することを考えるようになったのは、確かに1996年頃だったと思います。
OPKの活動は全く新しい概念だったので、参考にした先行論文はありませんでした。しかし布施(勉)先生やボルゲーゼ先生のご著書、そして国連海洋法会議の進行と並行して若手研究者と実施していた「海洋法研究会」における議論が大変役に立ちました。海洋における「法と秩序」をどうやって維持するか、海洋環境の保全や漁業資源の乱獲防止をどのように具体的に実施するかを考えていました。これら海洋問題に関する論文や報告書は沢山ありましたが、OPKのような具体的な解決方法の提案は皆無だったと記憶しています。
 国連海洋法条約ができる過程で、海洋ガバナンスの考え方が条約の中に盛り込まれるようになりました。国際法は、先ほど言いましたように、そのルールに同意した国だけに適用される規則で、同意していない国にとっては規則ではないというのが基本です。そうなると、抜け駆けする国が幾らでも出てきます。そこで国連海洋法条約は、例えば海洋環境を保全するために、各国に対して河川に流す下水の汚染基準を国際基準に合わせた国内法を作る義務を規定しました。
世界中の国が同じ基準の国内法になれば、世界共通の規則としてワールド・ルールになります。ご存じのように国際社会は国際法の違反を取り締まる機関がないので、国内法になれば、各国が国内法違反として取り締まることができるとする考えです。同じ基準の国内法を作成すれば、実際にはない国際政府が作成した国内法と同じになり、各国が違反行為を取り締まることができ、海洋秩序が維持できるという考え方は、海洋ガバナンスの本質だと思います。
 それから国連海洋法条約は、ルール違反を取り締まる基準として、国連海洋法条約の入港国主義と出港国主義を採用しました。公海における国際法違反については、海賊などの国際犯罪を除いて、各国は、これまで旗国主義だったので、自国船舶だけしか取り締まることができませんでした。しかし国連海洋法条約は、入港国も出港国も取り締まることができる入港国主義と出港国主義を規定しましたので、諸国に違反船舶を取り締まる体制ができました。公海における国際法違反を取り締まれるのは旗国しかできなかったのが他の国も取締ることのできる体制ができた。これは、非常に大きな海洋管理のあり方だと思います。
 もう一つの海洋秩序の維持について、例えば、マラッカ海峡やソマリア沖で跋扈した海賊の問題への対処があります。当時の日本は、海賊を捕まえたくても捕まえられない。海賊罪がなかったからです。自衛隊でもどこの軍隊もそうですが、根拠法がなければ行動できません。また、海賊行為を取り締まった時に、その海賊をどこの国で裁判するかが問題になります。日本に連行して来ても、罪刑法定主義だから海賊罪がなければ裁判にもならない。当時、ソマリア沖の海賊の場合、ケニアが刑法に海賊罪があり、海賊の処罰を引き受けていました。しかし、次から次へと海賊が連行されてきたためケニアは対応できなくなり、最後には裁判を断るようになりました。その後日本では「海賊対処法」(海賊行為の処罰及び海賊行為への対処に関する法律。平成21年法律第55号)ができ、ようやく海賊を処罰できるようになりました。日本は、アデン湾沖の海賊をはるばる日本に連行して裁判に付したことがあります。しかし、言葉の問題で弁護士の選定が難しかったという事実がありました。
国際テロを処罰するための条約は8つぐらいありますが、個々のテロ行為についての禁止条約です。これが国内法であればもう少し具体的に取り締まることもできると思います。海洋における国際犯罪を協力して取締るのは海軍しかありません。世界の海軍は自然、海象という共通の敵と戦っている仲間だから、制服や階級章がほとんど同じです。陸軍は、制服や階級章が国によって異なるので、国連PKOの現場で自分より階級が上か下か分からない。通常、階級が下の人が先に敬礼するのですが、初対面の相手がヒゲを生やしていて偉そうに見えるので先に敬礼したら、「階級が下だと判り、なんだ」となることがよくあったそうです(笑)。海軍は、戦闘状態にあっても敵国の軍艦が遭難すれば、乗組員を救助するように、元々インターナショナルな共通意識があります。海軍同士であれば、海賊とか海洋テロ、海洋汚染行為や密猟などを共通の敵であると見做すことについて、違和感がないだろうと考えた次第です。
 それからOPKの活動を考えたのは、防研のタイ留学生に聞いたことが大きなきっかけでした。タイの貧しい漁民が潮や風に流され気付かないうちにインドネシアの経済水域に入ってしまことが南シナ海ではよくあり、タイの漁民は、自分がなぜ突然拿捕されたか分からない。インドネシアに連行されて裁判の結果、多額の賠償金が家族に請求され、お金を支払うことができない漁民は長期間抑留されたという事実です。
このような悲劇を避けるためには、周辺の経済水域を接している国が共同して密漁の取り締まりにあたるしかないと考えました。しかも同じ船に周辺国海軍の軍人がマルチで乗り組む取り締まりであれば、それぞれの言葉で漁民に拿捕する理由を説明できるだけでなく、漁民は自国語で悪意はなかったと言い訳もできます。このような取り締まりであれば、いちいち裁判して高額の賠償金を請求しなくても済む事態に収めることができると思いました。広大な海洋で「法と秩序」を維持するためには、新たな取り締まり方法が必要だというのがその頃の漠然としたOPKの発想でした。
相澤 防研の中で立ち上げる際の反応といいますか、どんな感じで受け止められていたのでしょうか。
高井 防研はさき程も言いましたように、基本的に自衛隊が何をするか、何ができるかという研究を必要としていました。アメリカ研究とか中国研究とかの地域研究が中心で、この地域研究はどちらかといえば静かな安全保障研究だったと思っていました。例えば、冷戦は主としてアメリカとソ連との間の問題だから、日本に対する影響についての研究と思いますが、日本の安全保障を考えると、日本も世界の平和に貢献して、名誉ある地位を占めるための研究も重要だと思っていました。先ほど国連PKO研究の話をしましたが、OPKの研究も地域研究とは異なった問題意識の研究テーマなのです。
 私は国際法が専門でしたから、OPKを研究する際に、自然に法的な問題点を考えました。国連PKOは非常にいいシステムだし、ゆとりのある国だけが貢献すればいいのです。その後、やはりゆとりのある国が貢献する国連安保理決議に基づく有志連合の活動も出てきて、OPK発案する上で多くの示唆を得ました。OPKのような活動へ積極的に国際貢献する日本は、名誉ある地位を占めることができると。そして、OPKのような具体的な行動を考え出すことが必要だと強く思いました。防研全体では、海外への調査出張などは地域研究者が主流の雰囲気でしたから、OPK研究を始めた当初は、「高井の研究は何だ」みたいな感じでした(笑)。その頃、秋元(一峰)さんが海上自衛官として防研に転勤になり、一緒に研究することになりました。
相澤 秋元さんとのご関係も含めまして、どんなふうに役割分担なり、どのように議論していったかというところをお聞きかせいただければと思いますが。
高井 OPKの概念を考え出すにあたって、2人の先生との交流を抜きにしては語れません。その1人は、大学院時代から非常に親しかった友人で、最後は横浜市立大学の学長になり退官された布施勉先生です。布施先生は、海洋法で学位を授与された最初の日本人でした。布施先生は、ボルゲーゼ先生たちと海洋問題世界委員会(Independent World Commission on the Oceans, IWCO)を立ち上げ、事務局長として世界各地で国連海洋法条約の本質、つまり管理された海洋の実現に尽力されていました。もう1人は、先程申し上げたボルゲーゼ先生です。布施先生から紹介されたボルゲーゼ先生は、大変温和でお茶目な方で、カナダはハリファックスにあるダルハウジー大学を訪問した際に、海洋ガバナンスについて大いに議論したことを覚えています。また、海岸にあるご自宅を訪問したとき、元音楽家のボルゲーゼ先生は、ピアノを教えていた愛犬による演奏会を開いてくれました(笑)。
 秋元さんは、布施先生の本を読んでいたので2人で研究をすることにして、国内法も国際法も含めて法的な問題は私がやりましょうと。海軍の運用については、当時、アメリカの海軍戦略についても研究しておられたので、「海軍関係をお願いします」と研究分担を決めました。海軍の運用といっても、例えば、イギリスには海上保安庁のような機関がなく、海軍が漁業の違反行為の取締りをやっていますが、元々海賊だったというイギリス海軍の歴史がそうさせたのでしょう。海軍にも国によっていろいろな任務があるということも、彼の研究で分かってきました。そこで、我々の考える海軍の新たな任務を研究しようということになり、OPK研究に乗りだしました。
相澤 時期的には、1996年ということは冷戦が終わって国内では1995年に新しい「防衛大綱」ができまして、国際貢献というのはまだ当時メインの任務にはなっていませんけれども、自衛隊の活動がそちらの方向に拡がっていこうというタイミングでありましたね。
高井 そうなんです。当時は、ご存じのように自由民主党の小沢調査会がありまして、「日本も国際貢献を」という意見が、湾岸戦争の頃に高まってきました。私は小沢調査会に招かれて、国連PKOのレクチャーをした際に、カナダで「世界中に困っている人達がたくさんいるのに、豊かな日本が何故協力しないんだ」とガンガン言われたこともお話ししたことを覚えています。
 カナダのノバスコシアにあるピアソンPKOセンターでの経験ですが、食堂のラウンジにあったテレビで、アフリカの国家内の武力紛争のニュースをよく見ました。住民はみんな惨めな格好で、食糧もなかった。当時、ピアソンセンターにはPKOの教育訓練のために世界中から軍人や研究者が留学していましたが、その留学生たちは、ニュースを見ながら椅子のひじ掛けを叩いて、「かわいそうに、何とかしなきゃ」と口々にうめいていました。それに比べて、安全保障に最も関心があるはずの自衛隊員はもとより、国会議員や一般の日本人が無関心なので大変残念に思いました。各国の研究者が集まるPKOのシンポジウムや研究会で、私が非難されたのはこのような日本に対する不満があったからだと思います。
 国際的な研究会で日本が非難された時、「憲法上、PKO活動に対する制約がある」と言ったら、「憲法は国内法だろう。必要があるなら改正すればいい。改正しないのは行く気がないからだろう」と言い返されました。これでは誤解が拡散すると思い、世界的に有名な『国際安全保障研究年報』(International Defence Review Year Book)誌上に、日本の国際貢献と憲法との関係を書き、そのコピーを国際シンポジウムや研究会に持って行って配りました。少々辛い思いをしましたが、小沢調査会以降は、日本でも国連PKOへの貢献が議論されるようになり、1992年6月になって、不十分ではありましたが国際平和協力法が作成され、自衛隊が貢献できる法的根拠ができて本当によかったと思いました。
相澤 大体経緯を伺いましたので、今度は具体的な中身についてお伺いしていきたいと思います。先生はOPKを「アジア太平洋地域の排他的経済水域内において、海洋資源の保護管理や海洋環境の保全、さらに活用通商路の安定的利用の確保を目的とする、海軍・コーストガードが共同して警察的任務の一環として行う協力活動」と。さらに、具体的内容としては、「アジア太平洋地域諸国の海軍・コーストガードが相互に乗り組んだパトロール船が、地域の排他的経済水域内で行われる密漁、廃棄物の海洋投棄、海賊行為、テロ、麻薬取引、その他の違法行為を沿岸国の法令について基づいて取り締まる」という整理をされておられるのですが、こういったアイデアといいますか、組み立てはどんなふうにして導き出されたものだったのでしょうか。
高井 いや、自然の成り行きでOPKの研究に収束していきました。国連海洋法条約の仕組みとして、「自由の海」から「管理された海」へと大きな変化があったこと、そして先ほど申しあげました国際法のルールはいくらでも抜け駆けする国があること等を考えると、自然にOPKのような活動の研究になりました。OPKの活動を先ずアジアの海洋に限定したのは、排他的経済水域が複雑に絡んでいるアジアの海で成功しなければ、世界に広げてもそれほど訴えることはないだろうと考えたからです。南シナ海と東シナ海、そして日本海も含めて考えていましたが、先程タイの漁民の例をお話ししたように、基本的には南シナ海を中心に考えていました。先ずは、OPKの活動に賛同する国家間で協力できないかと考えました。
 それからもう一つは、既にインドネシアとかマレーシアとかシンガポールなどのアジアの国々が経済水域の国境線に沿ってコーデネイティッド・パトロールしていた活動を知り、これを参考に取り入れました。コーデネイティッド・パトロールは、2か国が排他的経済水域の境界線に沿って密漁などの取り締まりを行うだけなので、私はそれを膨らませて、数か国、多国籍の取り締まり船が排他的経済水域の境界を越えて違法行為を取締るというような活動を考案しました。
そして、インドネシアやマレーシアで聞いたことは、密漁を発見したという報告があって取締船が現場に急行しても、スピードが遅くて間に合わないと(笑)。密漁船は先に逃げてしまうという問題もあることを聞き、日本は(自衛艦や巡視船を)30年で廃船にしなければならない規則があるので、廃船でも十分速くて追いつける船をOPK船として提供すれば、取り締まることができるとも考えました。
相澤 もう一つは、今のお話にも関連しますが、先生が書かれた「沿岸国の法令に基づいた取り締まり」がミソかなと理解しているんですけれども、それは先ほど言われました各国の法令のスタンダートとなるものをつくって、たぶんそれはUNCLOSなのかもしれませんが、それが普及していくことを前提にというお考えだったのでしょうか。
高井 そうなんですよ。先ほど言いましたように、海洋汚染防止を目的とする国内法は、汚染基準を低い国に合わせがちです。基準を高くすると、途上国は、汚染水を浄化するお金もかかりますので、積極的になれないのです。国連海洋法条約は、基準のレベルに触れずに「国際基準」という言葉を使っています。例えば、私はOPKの調査に行った地中海は、周辺国が20か国あります。地中海は半閉鎖海ですから、地中海の海水が1回循環するのに50年かかります。同じ半閉鎖海のバルト海では、汚れた排水を海に流して続けていた結果、もう今は魚が棲んでいないとまで言われていました。
 海洋環境の保全に取り組んでいる地中海周辺国は、バルト海の教訓から、国連環境計画の地中海事務所を中心に海洋の浄化問題に取り組んでいました。先ほど言いましたように海洋汚染源の80%は河川汚水なので、地中海周辺国が国内法で非常に高い排出基準を設けて取り締ってきたため、今や漁業活動が復活しています。国連の地中海事務所で「周辺国の軍艦で取り締りできないか」と聞いたら、「周辺国にはイスラム教国があるので、その辺は難しい」と言われました。しかし、地中海はそんなに大きくないですから、周辺国がそれぞれの国内でしっかり取り締まっていれば、海軍が地中海全体の取り締まりをしなくてもとも言っていました。でも、いずれOPKみたいな活動が世界に受け入れられれば、海洋の持続可能な開発が進捗して、20年、30年後も今と同じように魚が獲れて綺麗な海洋にできると、私はそのときに確信しました。
相澤 いま言われた中で、まさに沿岸国はそれで取り締まればいいんだけれども、でもやはり海の脅威の特性といいますか、汚染もそうですし、海賊もそうですし、そのボーダーを跨がっている国に対応するというところがミソなわけですね。
高井 そういうことですね。ボーダーといっても領海じゃなく、排他的経済水域や公海の境界を跨って活動できるということなんです。領海は、海上警察や沿岸警備隊が担当するでしょう。
相澤 後の話になりますが、いま別のテーマで海賊対応のReCAAP-ISCなどの取り組みをこれから研究していこうとしているんですが、ボーダーを跨がったところの国際協力の枠組みがあれば、もちろん沿岸国の同意を得てですけれども、お互いに行き来する必要があるんじゃないかという問題認識があろうかと思いますが、その辺のところもOPKの活動が?
高井 そうです。先ほどから申し上げているように、活動の根拠法が問題になります。国際法だと合意しない国もあります。ですから、OPKの活動はある意味で有志連合の活動なんです。OPKの活動に協力する意志がある国が、お互いの排他的経済水域内で活動する。根拠法は、2国間協定でもいいけど、私は多数国間協定がいいと思っています。2か国の軍人が乗り込んでいるだけだと、取り調べの方法を巡ってトラブル発生の可能性があります。最小限当事国の海軍士官と第三国の士官の3人がいれば、取り調べの公平性が維持されると思います。将来的には、飛行機を利用して違法操業を見つけたら、写真を撮ってすぐOPK船舶に連絡するといった、新たな活動のシステムができていくと思います。
相澤 そういった事例については、当然我が国の中では政府の然るべき人、あるいは海上自衛隊、海上保安庁の人と、国外の関係者といろいろ意見交換されたかと思うんですが、彼らの反応はどんな感じだったでしょうか。
高井 国外の研究者達は、「いい考えだね」と言ってくれましたが、海上自衛隊や海上保安庁の人達は、「それ以外にやることがたくさんある」ということでした(笑)。当時は、日本ほど平和な国はありませんでした。海上自衛隊の人達は、「そんなこと言わないで」と(笑)。「ただでさえ予算と人数が足りないし艦船も少ない」と率直に言われました。予算や人員が不足していることはよくわかりますが、日本は海からどんなに恩恵を受けているか知るべきだとも思いました。日本政府も日本国民も「こういう考え方をどんどんやるべきだ」と言ってくれると期待しましたが、全く期待外れでした。OPKの活動が、現状のままで海上自衛隊の任務となったら、それは気の毒だとも思っていました。
相澤 役人的には、新しい任務があったら権限も広げられると思うのではないかと思うんですが、それ以前にやっぱり……。
高井 そうなんです。予算が獲得できる可能性があればいいけど、「そうじゃないだろう、自衛隊は主任務が侵略した国と戦うことだろう」と。例えばPKOでもそうですよ。自衛隊法では長い間その他の雑任務でした。PKOの予算もなかったので、必要な物資も調達できませんでした。ご存じのように、防衛予算は日本を防衛するための活動にしか使えません。海上自衛隊は、予算も艦船も十分ではなかったのも事実でした。
相澤 ちなみに、国外では歓迎というのは、例えばインドネシアとか……インドネシアと言ったら怒られますけれども、中小国であまり能力がないところが、国際協力することによって取り締まりを期待するというような感じはあったんでしょうか。
高井 そうです。中小国で海軍の能力が少ない国からは、日本みたいなある程度豊かな国を巻き込んで国連海洋法条約上の義務が履行できれば嬉しいでしょう。日本は、自衛隊員の人数の制限もありますが、日本の多くの海上自衛官や自衛官OBがOPKの船舶に乗り組んで、監視活動に従事するだけでなく、活動中に操船技術や様々な情報などを教えれば感謝されると思います。また日本も名誉ある地位を占めることにもつながるなと思いました。
相澤 ここまでOPKの概要とか過程をお伺いしましたが、これを世に出すきっかけとしましては先生方がご提案されました中で、1997年10月に、防研において国際共同特別研究会が開催されまして、この時にOPKについて議論がされたのが内外の注目を集める契機になったと承知しています。具体的な資料は入手できなかったのですが、これが2回セットで、翌年98年にも実施されたと伺っているんですけれども?(注:参考文献一覧に後掲する秋元一峰「海軍力による『抑止』と『安定化』」に第2回の概要が掲載されていることを後に確認)
高井 この頃になると、防衛研究所もOPKに対する理解が深まっていて、十分に研究をサポートしてくれました。
相澤 この時の企画の経緯とか議論、あるいはそれを契機とした内外の反応について、ご記憶のことがあればお聞かせください。
高井 OPK研究も軌道に乗ってきたころの1997年10月と翌1998年8月に、防衛研究所の全面的なバックアップのお蔭で、OPKをテーマとした国際海洋シンポジウムを行うことができました。2回目のシンポジウムでは「オーシャン・ガバナンスとアジア太平洋地域の海洋安全保障協力-海洋安定化と信頼醸成のためのOPK-」と題して、アジア太平洋地域とイギリスを含めた9か国から海洋問題に関わる研究者を招聘して開催しました。アメリカからは、冷戦時に太平洋で対峙していた米太平洋軍のフォーリー海軍大将、そしてロシアからは潜望鏡で米国艦艇を睨んでいたチェルナビン元帥を招聘しました。会場には大勢の報道陣がいましたので、「冷戦が終わったから、米ロ海軍のトップ同士で握手させよう」と思いつき、シンポジウム冒頭で当時の秋山(昌廣)防衛事務次官を挟んで壇上で3人が握手する演出を考えました。2人はそれぞれ冷戦時代に相手国をどのように考えていたかについて、ユーモアを交えながら挨拶しました。3人が笑顔で握手したときは、文字通り冷戦が終わったことを実感しました。このときの写真は、翌日の各新聞に掲載されました。
写真撮影も終わりシンポジウムが始まったとたん、北朝鮮のミサイルが岩手県上空を通過して太平洋に落下する事件が発生しました、会場がざわざわして報道陣が慌てて会場を出て行ったので、隣にいたチェルナビン元帥に騒ぎについて説明したところ、ミサイルがロシアに向けて発射されていたら、ロシアは自動的に北朝鮮にミサイル攻撃をしていたはずだと教えてくれました。その時、冷戦が終わって平時に見えても、緊迫感はあり続けていること知り、安全保障の問題は奥が深いと思いました。
シンポジウムの最後に、OPKの活動を世界に広げる「東京アピール」を採択しました。この国際海洋シンポジウム、OPKを提唱した「東京アピール」が、同年11月にリスボンで開催されていた海洋問題世界委員会(Independent World Commission on the Oceans, IWCO)の最終総会で紹介されたことを、後になって知りました。東西で海洋問題に関する大きな国際会議が同時に開催されたのは、偶然のことでした。さらにOPKの考え方は、IWCOが国際海洋年にあたる1998年に国連総会で事務総長に提出した提言書「Ocean, Our Future」の第1章(安全保障の部)に取り入れられ、OPKを国際的にアピールすることができ本当に嬉しく思いました。
この国際共同研究会に至る前にも、そして研究会後にもシンポジウムという形ではなく、海洋法の外国人研究者を招聘して意見交換を行っていました。こういうOPKのような活動は、これから冷戦が終わった後の豊かな国の義務としてやらなければいけないと意見が一致したことを覚えています。冷戦が終わっても続いている緊迫感の中にあって、OPKみたいな活動を海軍がやっていくという方向性といいますか、未来志向の考え方も受け入れられたのかなと思いました。
相澤 そうしますと、制服は表には出しづらいということで日本側の代表は秋山事務次官ということでしたけれども、この国際共同特別研究会には制服自衛官はまったく参加していなかったのでしょうか。
高井 全く参加していなかったわけではありません。防衛研究所の秋元さんは海上自衛官でしたが、シンポジウムでOPKについて発表しています。OPKは海上自衛隊の任務ではなかったので、いわゆる組織としては参加していませんでした。私が室長をしていた「第2研究室」に海上自衛官は、当然ながらOPKの理解者でしたが、防衛研究所の外では藤田(幸生)海上幕僚長と秋山防衛事務次官が最初の理解者でした。秋山防衛事務次官に国際海洋シンポジウムでの冒頭挨拶をお願いに行ったとき、10分もしないうちに、「おもしろい。すぐ新聞社に言いなさい」と言ってくださいました。大きな後ろ楯といいますか、個人的かどうかは別としても、そういう高位高官の人が後ろでオーケーと言ってくれたので、OPK研究の方向性が間違えていなかったという自信を得ることができました。
相澤 世に出たというのは、まさに秋山事務次官の力が大きかったということですね。
高井 秋山事務官の力もありますが、防衛研究所のバックアップが大きかったですね。
相澤 私の記憶でも、外向けに発信するようになったのはこの時期からかと認識しております。
高井 もともと秋山事務次官も、海洋の安全保障の重要性について既に考えておられたようです。リタイアした後もボルゲーゼ先生とお会いになり、海洋の問題を議論して共感を得たようでした。その後、秋山元事務次官が海洋政策研究財団の会長になられたのも、このような経緯があったことと無縁ではないと思います。
相澤 始まってちょうど1時間たちましたので、ここで5分休憩をしたいと思います。では、いったん休憩に入ります。

(休憩)

相澤 では、再開させていただきます。質問票の7番までお伺いしましたので、8番ではエピソードとしてお伺いしたいと思いますが、こうした中で1999年11月の衆議院外務委員会で、公明党の山中曄子先生からOPKについて質問がなされまして、国会で議論されることになりました。この経緯について、何かご存じのことがあればお聞かせください。また、これに対する当時の防衛庁あるいは防研の反応といいましょうか、先生がどのようにお感じになったかも含めましてお聞かせいただければと思います。
高井 山中(燁子)先生は、最初にカナダ大使館でお会いした時、公明党の衆議院議員だったと思います。先生は、平和構築や危機管理などに関心があり、国会議員には珍しい学究肌の方でした。今はケンブリッジ大学で客員教授をしていらっしゃると聞いております。その頃、国連PKOを普及させるために、国際協力機構(JAICA)の本部の建物で、カナダ政府とマレーシア政府、日本政府が共催したセミナーがありました。20~30か国からの研究者、警察官、軍人、行政官などが集まり、私とカナダのピアソンセンターの先生たちが統制官になり、5班に分かれてのPKOロールプレイングゲームを5日間行いました。使用言語は英語でしたが、途中で参加者から英語で意思の疎通ができないと統制官室に苦情が殺到したことを覚えています。カナダの統制官は、現実のPKOの現場でもよくあることだと涼しい顔をしていました。
山中先生からは、国連PKOや平和構築に関心があったことから、セミナー後にもっとPKOについて教えてほしいとお願いされました。その時に、PKOは陸上の平和維持活動で海洋の平和維持活動がないと話し、陸上自衛官は入隊して退職するまで訓練ばかりなので達成感が必要だと思い、国連PKO に貢献することを考えたと話しました。海上自衛官や海軍の軍人は、自然の脅威と戦ういわば共通の運命共同体にあるだろうと思い、「海のPKO版でOPKの活動も考えています」とお話ししたら、それはとてもおもしろいとすぐに興味をもって下さいました。
 先程もお話ししたように、国会議員の先生でPKOについて関心を持つ人は殆どいなくて、「国連がやるからしようがない」程度の関心でした。でも山中先生と意見が一致したのは、「名誉ある地位を占めたいと思う」ということに非常に関心を持っておられたので、スーッと先生の中にOPKの概念が入っていったようです。それが、おそらく国会での質問になったと思います。
相澤 この当時は、河野洋平外務大臣ですね。
高井 当時は、国会議員でOPK を知っている人は先ずいなかった。知っていたのは山中さんと石破(茂)さん位ですね。おそらく質問趣意書を担当した事務官も何のことだか分からなかっただろうと思います。山中先生が国会で官報に載るように政府に質問してくださったので、今でも非常に感謝しています。やはり官報に掲載されると日本中に広がりますから、よかったと思いますよ。
相澤 まさにそういう点では、役人的には質問が来ると答弁書をつくるのでバタバタするわけですけれども、そうなりますといろんな意味で、特に防衛庁にとっては質問を受けているわけですから、これに対応しなければいけない。そういう観点から、今までは任務がないから敬遠されていたと伺いましたが、この質問をきっかけに防衛庁の対応が変わったという感じはありましたでしょうか。
高井 いや、そう願いたかったんですけれども、やはり防衛庁でオーソライズした研究ではなく、防衛研究所の研究員が独自にやっている研究という位置づけだったと思います。この頃には、自衛隊の任務にない新たな活動の研究を容認してくれていましたが、私ができることは、OPKの活動自体や法的な根拠くらいでした。防衛庁は資料収集をしていたか分かりませんが、防研でOPK研究をやっているなと知っていた程度だと思います。
相澤 9番の質問は、これをきっかけに防衛庁、防衛研究所としてその後、先生が提案されたことをどう受け止めたかということをお伺いしたかったのですが、それからいきますと、あんまり防衛庁としては具体的に拾い上げてやろうという感じではなかったんですね。
高井 政策にしようという意図はあったか分かりませんが、防衛研究所の研究員の仕事は、自衛隊の行動についての研究が基本ですから。結局、OPKのような自衛隊の任務にもない活動を任務にしようとする研究なので、国連PKO研究の例もあったので、「研究を継続するように」と言ってくれていました。「やめろ」とは言われませんでした。PKO研究の時は、最初からはっきりとやめるように言われましたから、それと比べればかなりの変化だったと思いました。
相澤 防研の中ではその後の継続的な検討というのは、あくまでも高井先生と秋元さんに任せてということだったのですね。この時点ではもう秋元さんはリタイアされているかと思うんですが、例えば所として特別研究みたいなことをするということではなくて、「やっててくださいよ」という感じだったんですか。
高井 国連の制度や宇宙法の研究の傍ら、OPKの研究を継続してほしいとは言われていました。後にシャングリラ会議で石破大臣がOPKについて話してくださったのは、本当に嬉しく思いました。石破さんが大臣になったとき、シャングリラ会議でこれまで日本の大臣が何を言ってもほとんど無視されてきたので、何とかしなければとお考えになったのでしょう。「OPKについて知らせてほしい」というので、論文などの資料を石破大臣にお渡しました。石破大臣は、自分で資料を読んでまとめて、シャングリラ会議でお話になったと思います。シャングリラ会議では、「日本の防衛大臣が変わったことを言い出した」と大変な話題になり、演説後の記者会見で質問が沢山出たと秘書の方から聞いています。このようなことがありましたので、防衛研究所も防衛庁もOPK研究をレベルアップするようにとの要請がありました。それで防衛研究所を辞めるまでの間は、お陰様でずっとOPKの研究を続けることができました。
 その後、例えばタイの海軍大佐がそうですが、OPKの興味がある人が研究をしてくれているように、少しずつ非常に遅いですけど裾野は拡がりつつあります。OPKによく似た活動が最初に具体化されたのが、ソマリア沖とアデン湾の海賊対処活動でした。OPKに近い形の有志連合軍の活動です。この活動は、条約こそありませんが2008年に4つの国連安保理決議が採択され、それ以降も毎年決議が採択され活動の根拠になっています。15か国以上の有志国が人類共通の敵の海賊対処へ自主的に協力した事実は、OPKの活動へのひとつの基準ができたと思い、とても嬉しく思いました。
相澤 実は11番で質問を起こしましたが、石破大臣がシャングリラ会議で言われたというのは、国際的に注目を集める機会になったと思うんですね。先ほどタイの留学生という話がありましたが、外国からの問い合わせだとか、「話を聞かせてくれ」みたいなコンタクトはありましたでしょうか。
高井 ここでOPK(オーシャンピース・キーピング)の名前についてお話ししたいと思います。私は、イギリスの雑誌の『国際平和維持活動』(International Peacekeeping)の編集委員会メンバーだったので、編集委員長に「オーシャンピース・キーピング(Ocean Peacekeeping)という言葉は、英国国民に理解されるか」と聞いたら、「それはおかしい。何故ならオーシャンがピースキーピングするわけない」と言われました。そこで、彼のアドバイスもあり、海洋の安定的な平和利用を目的とする活動だから、オーシャンピースをキーピングするというオーシャンピース・キーピング(Ocean₋Peace Keeping)にすることにしました。作戦(オペレーションズ)を付ければOPKO (Ocean₋Peace keeping Operations)となり、PKOと紛らわしいので、相手は私がPKOと間違えていると勝手に思い、印象的になると考えていました。最後は、イギリスやカナダの友達も「なるほどおもしろい」と納得してくれました。
 外国からの問い合わせと言えば、防衛研究所の留学生だったフランス海軍中佐は、卒業後に武官としてフランス大使館に勤務することになりました。そのフランス大使館から、パリのエコールミリテールで開催する『アフリカの危機』(Crisis in Africa)のセミナーでOPKの話をするよう依頼されたことがあります。このセミナーにはアフリカ大陸の約50か国の外務省と国防省から2名ずつ約100名の学生が参加していましたが、この学生に日本国憲法や国連海洋法条約そしてOPKの話をしました。講演後、多くの学生に取り囲まれ、質問漬けなったことを覚えております。
 またタイ海軍から招聘を受けて、海軍大学校でOPKの講義を行ったこともあります。防衛研究所で私のゼミ生だったタイ留学生が、卒業後タイ海軍中将となって教育部長となり、OPKについてタイ海軍の学生に話してほしいとの依頼がありました。タイ海軍大学校上級課程の学生約50人、同時に中級課程の学生80人程に対し国連海洋法条約の枠組みとOPKについて講義を行いました。講義後、タイ海軍大将たちと会食をしましたが、驚いたことに彼は防衛大学校の卒業生でした。このように外国からの反響では、タイはよかったんですが、他のアジアはまだそこまで意識が高まらないようです。残念ながら仕方ないかなと思います。アジアの軍隊は、自分の国内のことで精一杯で国内の警察みたいなものだと思います。でも徐々に国家にゆとりができれば、OPKの活動もやってくれるかなと思っています。
相澤 ちなみに、このシャングリア・ダイアログでの石破防衛庁長官のスピーチは先生からご紹介いただいたやつ、これは平成15年版の「防衛白書」なんですが、翌年は大臣が行けなくて、防衛局長が同じところでスピーチをしています。「昨年の大臣のスピーチは非常な反響を集めた」とわざわざ言及されているんですね。ということは、それだけ石破長官にとっては思い入れが強かったんだろうなという印象を受けております。
高井 ありがとうございます。そのことは全く知りませんでした。
相澤 それは、後でまた資料をお送りいたしますので。
高井 前に申し上げたように、シャングリラ会議で日本の大臣が何を言おうとほとんど無視されていたようですが、石破さんの記者会見席では質問が次々に出たということを聞いていましたから、やはり防衛庁としても嬉しかったのかもしれません。日本の自衛隊が国際貢献の活動を行うべきだとする考えは、この頃から明確になってきたと思います。
相澤 まさに国際貢献に、実際に形を変えてつながれていることを、これからお伺いしていきたいと思うんですが、先ほど海賊の話もいただきましたが、10番の質問に入らせていただきます。ちょっと時系列で戻ってしまいますが、2001年9月にいわゆる9.11米国同時多発テロが発生します。ご存じのとおりで、我が国も後に海上自衛隊のインド洋派遣が実施されることになりますが、これがまさに言われる通り、オペレーション・エンディアリング・フリーダムと称する、対テロ戦争における海上阻止作戦なんですね。まさに有志連合で、我が国はご案内の通り憲法上の制約もあり、非戦闘地域で補給支援等をやるという形で参加するんですけれども、こういった感じの海軍間の協力枠組みが実現することになるわけですね。その意味ではOPKとの関係で、こうした動きをどのように見ておられましたか。
高井 イラク人道復興支援特措法(イラク特措法)は、2003年に時限立法として成立しましたね。日本は、イラクの非戦闘地域に限定されたとはいえ、人道的な復興活動を可能にする法的根拠を立法できると感心しました。自衛隊が国連PKOに続いて新たな国際貢献の任務を与えられ、日本は平和愛好国だとする印象を世界に与えたことでしょう。しかも、多国間協力ですから、米軍の艦船だけでなく復興支援活動に協力する国家の艦船にも給油ができました。それがアデン湾やソマリア沖まで活動範囲を拡げた活動になり、まさにおっしゃったように、 OPK的な多国籍の海軍協力があそこで始まったと私は思っています。
相澤 まさにOPKで考えているものが、形を変えて実現していったということですよね。
高井 その通りです。実際にはいわゆる本来のOPKとは違いますけど、でもそこに至るまでのプロセスとして、活動の根拠となる法律ができ、いわゆる国際貢献ができたという意味では、日本の非常に大きなステップアップだったと思います。
相澤 その後、まさにそこにつながっていく2010年からのアデン湾の海賊対処については、実は海洋政策研究所の前身の海洋政策財団、秋元さんなんかが研究をして政府に提言して行ったという経緯を伺っているんですが、これには先生は噛んでおられないですか。
高井 当時は海洋政策研究財団でしたね。秋山理事長がシンポジウムのパネリストの1人として声をかけてくださいました。その時は、OPKではなくて海洋協力のテーマだったと記憶していますが。セミナーの発表者は、海洋協力が必要だと発表していましたが、その方法や手段には誰も言及しませんでした。それは、不思議なことでした。海洋協力が必要と思うなら、その方法や手段を研究すべきでしょう。そこで少々図々しかったのですが、OPKについてお話ししました。当時、秋山様が海洋政策研究財団でOPKの研究をやっておられたかもしれないけど、私はメンバーでもないし、防衛研究所にいましたので知りませんでした。
相澤 まさに先生が防研を離れられる時に、誰かこれを引き継いでくれる人はいなかったのでしょうか。
高井 もう誰もいません。PKOについては自衛隊の任務になっていましたので、PKOの研究者に引き継ぎました。しかし、OPKは個人の研究みたいな認識がありましたし、その研究者もいませんでした。それからご存じのように、国際法の研究者こそ沢山いらっしゃいますが、海洋法を研究している人は本当に少ないんです。しかも、海洋法の全体を網羅して理解している人は先ずいません。そういう意味では、先程申し上げた布施(勉)先生がナンバーワンかもしれません。布施先生は大学の学長になり、一緒に研究ができなくなりましたので、今ここでオーラル・ヒストリーに取り上げてくださったのは非常に嬉しいし、海洋政策研究所でOPKの研究をやってくださるかもしれないということなので(笑)。
相澤 是非とも。
高井 それは是非やって戴きたいと思います。
相澤 それもありまして、ご退官後の秋元さんとの関係なんか、どんなふうに意見交換されたとか、差し支えなければ教えていただければと思います。
高井 秋元さんは、確かリタイアした後、海洋政策研究財団に入られました。
相澤 はい、海洋政策財団で研究されました。
高井 秋元さんとは防衛研究所で一緒にOPKの研究をしただけで、あとは私個人の研究として日本の大学の紀要あるいは外国の雑誌に英語論文を書いたなどを続けていました。だから、研究は、海軍の新たな任務ということまでは書けましたが、具体的な艦艇の運用などについては、秋元さんにお任せしていました。
相澤 分かりました。そういう観点から、少しペースアップさせていただきますけれども、2010年代後半になりますと、ご存じのとおり新たな地域概念として「インド太平洋」が注目を集めるようになっております。私も「自由で開かれたインド太平洋構想(FOIP)」を研究しておりますけれども、ここで論じられている新たな安全保障上の脅威というのは、例えば外交青書に書かれているのが、先ほどあった海洋汚染とか海賊、テロ、麻薬、気候変動といったものは共通の脅威じゃないかと。それを、まさにずっと言われている「海上における法の支配、ルール・オブ・ロー」ということで安定させていこうというのが大きな目的となっております。そういう観点では、まさにこれもOPKで考えていたことが、形を変えて拡がっていくものではないかと思っているんですけれども、こういった観点から先生は、FOIPというのを今はどんなふうに思っておられるのでしょうか。
高井 FOIPは、基本的に「自由で開かれたインド太平洋」を実現するということですが、フリーでオープンの意味は、海洋を自由にすることを目的としています。その根底にはルール・オブ・ロー、法の支配があり、その眼目は通航の自由の確保です。インド洋や太平洋を利用する諸国が、海洋の法秩序を守ることによって、つまり海洋汚染、海賊、海洋テロ、資源の乱獲を阻止することで海域を自由に利用できることになります。南シナ海では、アメリカが「航行の自由作戦」をやっていますが、通航の自由を確保することが重要です。海洋資源の保存管理が行き届くことによって、将来の世代も資源が自由に利用できる。自由で開かれたインド太平洋の意味する根底には、海洋秩序の維持という国際協力の活動がなければ、将来にわたってインド太平洋を自由に利用できるなくなるという危機感があると思います。
 それからいわゆる中国による「一帯一路」の海洋コントロール、ポート・コントロールによる海洋の独占の懸念があり、インド太平洋でも南シナ海と同じような危機意識があります。中国が共通の敵ではなく、航行自由の阻止、資源の乱獲とか海洋テロを共通の敵とした共同で対処するという意味においては、まさにOPKの具現化だと思います。
相澤 その辺の難しさというのが、まさに中国の考えるルール・オブ・ロー・アットシーと、我々の考えるものと違うところがありまして、まさに言われた「航行の自由」というところで、ご存じのとおり米海軍がいわゆる「航行の自由」作戦をやっているんですけれども、そもそも彼らは国連海洋法条約に則ってないと私は思っていますが、その領海を通過することは挑発だという言い方をする。そういったところを調整していく上で、先生はこの辺のところはどんなふうにご覧になっておりますでしょうか。
高井 南シナ海の利用についてフィリピンと中国との間で仲裁裁判がありました。中国は、南シナ海の大部分を囲む九段線を引いて、九段戦で囲まれた海域を歴史的な「中国の海」であると主張していました。つまり、中国が「ここは中国の海だ。何をやろうと我々の自由だ」と主張して、フィリピン領のスカボロー礁で違法操業を続けたことに対し、フィリピンが「国連海洋法条約上の秩序と違うんじゃないの?」と問題提起したのが、南シナ海仲裁裁判です。中国は、この訴えを無視して裁判所に出廷せず、仲裁裁判所が「九段線内の海域は公海である」と裁定したときにも、「裁定は紙切れだ」とけなし、中国の正当性を主張するペーパーを公表しました。そんなに根拠があるなら事前に提出すればよかったのですが、このとき中国は2つのミスを犯しました。
 1つは、200 カイリ経済水域を国内法で規定した中国は、国連海洋法条約の規定を自国に都合の良いように解釈していると諸外国に知られたことです。もう1つは、国連海洋法条約の規定の中で、自国に都合の悪い規定を軽く見ていたことです。国連海洋法条約は、規定の解釈に相違があったときは、4つの国際裁判所で解決しなければならないという義務規定があったのですが、中国は、「国際裁判は中国の同意がなければ開かれない」という思い込みをしてたことです。諸外国は、中国が無視した仲裁裁判の裁定が出て、「やっぱりそうか」と納得しました。それ以降、中国は、九段線内の海域の法的性質についての主張を潜めているような気がします。
 ただ1つ相変わらず強硬に主張していることは、人工島とその周辺の領海は中国のものということです。国連海洋法条約によると、人工島は軍事利用ができないし、周辺に領海を主張できません。中国は、人工島は平和目的であり、周辺には領海であるという主張を繰り返しています。米軍の艦船は、人工島周辺の領海を認めないので、船舶の通航自由を確認する行動を行っているのが「航行の自由作戦」(FONOPs)です。艦船は、人工島にこそ接近しませんが、人工島から攻撃される危険を冒しても通航自由を確保しようとしているのだと思います。アメリカも一気に中国の海洋侵出を抑えつけないで、少しずつ海洋秩序の維持を行動で確認しています。それは一種の妥協かもしれないけれども、中国も徐々に主張を控える可能性があるかも知れません。
相澤 国際秩序に寄ってきているということですね。
高井 そういうことです。まさに国際基準のルール・オブ・ローに従いつつあると。中国は共産党の支配ですから、急速には変化に踏み切れない。でも、1年、2年ぐらいでこの様に変化してきたことは、中国も国際的な責任ある国家として国際秩序に合わせていかなければという意識が出てきたと期待していたのですが、今日の中国の行動を見ると、これは甘い認識だったかも知れません。
相澤 そういう意味では、まさに最初に言われたUNCLOSの精神である海洋のガバナンスというのに、中国も背を向けられないということですね。
高井 その通りです。しかし中国は、仲裁裁定後も相変わらず九段線内で周辺国の漁船を取り締まっている事実もあります。九段線内の海域は「中国の海」ではないと明確に国際裁判で否定されたので、中国としても徐々にこれを受け入れざるを得なくなると期待しています。
相澤 まさにUNCLOSとの関連では、中国がアメリカなんかに反論する時に、「いや、アメリカは批准してないじゃないか」という言い方をするんですけれども。
高井 言っていますね。
相澤 こういった言い方については、先生はどのように?
高井 アメリカは、コンセンサス方式で条約を決定した国連海洋法条約草案が作成され、採択直前に大統領が変わり、新政権はブルー・ブックを海洋法会議に提出しました。その内容は、前政権が関わった深海底の資源開発規定が国益と一致していないというものでした。その理由は、冷戦時代の地域紛争と深く関係しています。アメリカは、アフリカにおける代理戦争の地域をプロットしたところ、希少金属、レアメタルの産地とぴったり重なっていたそうです。 (当時の)ソ連は、クロームの一大生産国でしたが、その他のレアメタルの産地で紛争を起こしアメリカへの安定供給を阻止するレアメタル戦略を考えていたようです。アメリカにとっては、希少金属を安定的に確保することが、ハイテク産業の育成に不可欠と判断していました。そこでアメリカは、レアメタルを自給自足にするため、深海底のいわゆるマンガン団塊の開発をめざしていたところだったのでした。
 アメリカは、冷戦時代からマンガン団塊の商業化を目論んで、探査開発技術やシステム開発を推し進め、国際コンソーシアム(合弁企業体)が商業化しようとした直前に、国連海洋法条約草案の採択会議が招集されたのでした。この条約草案の規定では、探査開発船に途上国の人を乗せて技術指導をしなければならない義務、そして深海底開発機構にお金を支払う義務など多くの義務規定があり、アメリカの企業にとって一方的に不利となっていました。アメリカの新政権は国民や企業の代弁者、利益代表ですから、深海底の探査・開発条件を見直したいと思い、ブルー・ブックを提出したのでした。アメリカの主張は、国連海洋法条約の深海底開発制度だけが同意できないということです。結局、深海底の探査・開発のレジームは5年後に見直すことにして、国際海洋法条約が採択されました。今や冷戦が終わり、レアメタルを自給する必要はなくなったので、アメリカでも「国連海洋法条約に加入すべきだ」と主張する研究者が多くなりました。中国の言い分は、自分のことを棚に上げた言いがかりです。
相澤 そうしますと、この関連でいちばん関心のある問題だと思いますのでお伺いしたいのですが、UNCLOSの将来という時に、中国は「自分達で、いいように変えるべきじゃないか」ということも言ったりしています。アメリカはいま言ったような事情があって、そうしますとこの先、いろんな議論を経て今の形になっているものをこのまま維持するのがいいのか、変えるべきなのかという、いろんな議論があるかと思いますが、この辺りを先生はどんなふうにお考えになりますか。
高井 だからこそ、これまでお話ししてきたように、コンセンサス方式で10年もかけて作成した国連海洋法条約なので、その規定や精神を維持するために、海洋の安定的利用を促進するOPKのような国際協力活動が必要だと思います。活動に際しては、少なくとも3か国以上の海軍が同じ艦艇に乗り組んでOPKの活動を実施することは、共通の価値観や行動基準に基づいた活動であり、秩序維持、ルール・オブ・ローのための共同活動です。参加国がどんどん増えることによって、気がついたら「中国だけが」ということになるかも知れません。そうなることを期待して、マルチの活動が望ましいと考えていたのでした。
 排他的経済水域も、最初はアフリカの途上国を除く多くの国、取り分け遠洋漁業国は大反対していました。「釣り堀理論だ。今まで魚を自由に獲っていたのに獲れなくなるのはおかしい」と。国連海洋法会議で遠洋漁業大国だった日本がそう言って反対していましたが、気がついたら反対していたのは日本だけでした。国連海洋法会議では、例えば軍事大国は、国際海峡の通航の自由を認めれば、排他的経済水域を認めるといった取引があり、結局最後まで反対したのは日本だけだったのです。国連海洋法会議は、コンセンサス方式ですから1か国でも反対すれば次の条文の審議に入れません。海洋法会議では「エクセプト・ジャパン」という表現で、「日本国だけが排他的経済水域に反対している」となりました。
相澤 そういう意味では、まさにUNCLOSの交渉過程に回帰しているといいますか、まさにいま共通という点では、さっき汚染の問題に言及されていましたけど、今はプラゴミという形で議論がされ、海賊の件が注目を集め、それから違法漁業ではIUUが注目を集めている。この時代であればこそ、「海洋のガバナンス」という理解でおりますので。
高井 その通りです。しかも、これは海洋法の問題ですが、同時に国際環境法の問題でもあります。国際環境法はご存じのように、汚染原因を突き止めなければコントロールできません。例えば、フロンガスは、地球温暖化やオゾン層のドーナツ現象の原因なのか未だ分からないのですが、原因物質を特定しているうちに時間が経過して、その有害物質を禁止したとしても、自然環境は元に戻ることはありませんので、現在、フロンガス排出を規制しています。つまり、環境法は被害が大きくなる前に先取りして、危険性があるなら今のうちに排除しておけば、たとえ原因物質が違っていたとしても、健康は維持できる。海洋環境の保全と資源の保存管理が悪化する前に手を打っておくこと、つまりそれは、海洋の持続可能な開発なんです。したがって国連海洋法条約は、まさに国際環境法なんです。プラスチックゴミとかの海洋汚染を含めて海洋環境の保全を義務付けているのです。
 海洋の持続可能な開発が意味するところは、排他的経済水域の漁業資源をまず優先的にその国の漁業者に割り当てて、余った資源の余剰分についてだけ外国に漁獲を認めて入漁料を取ることができますが、そのかわり、その国の排他的経済水域の資源の保存管理は、その国の義務になっていることです。つまり、排他的経済水域の漁業資源を優先的に利用できる権利を認める代わりに、資源の保存管理と海洋環境の保全を義務付けている。
国連環境会議では先進国と途上国の意見の対立が続いています。一方的に義務を課せられた途上国は、例えば、炭酸ガス排出規制問題について「先進国が汚したのに途上国が責任をとるのはおかしい」との主張を繰り返しています。海洋環境の保全義務もそれと同じです。貧しい国は、経済的に自立したいと考えているので、自国の経済的利益を優先する傾向にあるため、海洋環境の保全や漁業資源の保存管理を義務付けても実効的ではありません。海洋先進国は、途上国が利益になることを考えなければならないというのが私の考えです。
相澤 いま排他的経済水域のガバナンスのお話になりましたので、ちょっと質問が戻ってしまいますが、いただいた論文の中でも書かれていますが、このインセンティブといいますか、ものすごく広大なEEZがあると。一方、貧しい国はいわゆる法執行能力がない。であるからこそ海軍の力を使うし、多国間協力をやっていこうという発想だと思うんですけれども、この辺りの見解は今も一緒でいらっしゃいますか。
高井 そうです。海上保安庁がない国でも海軍は保有しています。途上国の海軍はあっても規模が小さい。艦船も小さくて数も少ない。それにマルチで乗り組むということは、途上国軍人の訓練の機会にもなります。途上国は、OPKの活動に協力することで、自国の排他的経済水域における義務を履行できるし、海軍のレベルが上がるという利益を得ることができます。しかもマルチでOPKの訓練や共同活動しているうちに、軍人同士で仲間意識が増え、「戦争をしたくない」という意識になればと思っています。これは、PKOの経験からもいえます。一緒にPKOの現場で協力することによって、「あの国の軍人はすごい」とか、「訓練が足りないな」と分かって、互いに指摘しあうことで仲間意識が出てきました。
 PKOの現場ではよく女子会ができます。各国の女子軍人が集まって飲み会をして、「うちの上司はひどい」とか話してストレスを発散させることで、仲間意識ができるようです。また各国から派遣された軍事要員のスポーツ大会で競った軍事要員は、帰国した後も仲間意識が続いているようです。海軍は艦船単位で活動するから軍人同士が知り合う機会がまずありませんが、OPKの活動を共同で実施することで身近な同僚になれます。艦船で同じ釜の飯を食べる仲間です。そういう任務の遂行が、これからの海軍のあり方だと思います。
相澤 今のお話は非常に共感できることがありますが、もう一方で協力というところで、能力がないからこそ、よその力を借りたいというところが正直あろうかと思います。ご案内の通りで、国際政治の世界ではバンドワゴンという話がありますが、このOPKで進めていく場合に、例えば日本は経済力があって組織性もあるから、バンドワゴンされる側になったりしないかみたいな議論というのはないのでしょうか。
高井 途上国にしてみれば、日本と一緒に活動することはバンドワゴンになるでしょう。OPKに従事する軍人は基本的に対等で、国が小さくて艦船が小さく練度が低くても、その国指揮下で艦船に乗って一緒に活動するということは、安心感をもたらすことでしょう。日本は、「南西諸島への攻撃」といった懸念があり、残念ながらOPKのために艦船は割けない。しかし、海上自衛官が途上国の艦船に乗ることによって、例えば相澤先生がインドネシア海軍の小さな艦船に一緒に乗り組んで、航海技術などの技術的に未熟な点を指摘して教えてあげるだけで、インドネシア海軍の技術が向上するし、能力構築支援になると思います。日本の海上自衛官が1人でも乗船してくれたお蔭で技術が向上することになるので、そういう意味ではバンドワゴンになると思います。海洋秩序を安定化するために、お互いに協力し合わなければいけないということが重要だと思います。
相澤 そうしますと、船を派遣するというよりは、まさに人が行ってやること自体が、いちばんミソということですね。
高井 そういうことです。日本が艦船を派遣することができればもっといいのですが、日本の防衛も重要な任務です。同時に、海軍の軍人同士の交流も重要で、途上国の海軍には、少ない艦船、スピードが遅い、燃料もないという現実があり、国連海洋法上の義務の履行が困難という事実も看過できないのです。最近、巡視船をフィリピンなどに提供することにしましたが、たとえ中古船でも向こうにしてみれば素晴らしい船ですから。OPKに利用できる艦船を数多く提供することになれば、日本の造船界も活気が出て、造船技術を維持できるし、景気も良くなると思います。日本からの船舶の提供は、途上国にしても嬉しいことだと思います。
相澤 まさに先ほどFOIPの議論をさせていただきましたけれども、その中の施策というのが巡視船の供与であったり、あるいは能力構築支援ですよね。まさに先生が言われるような、海洋法執行の向上のための支援をしているということですね。
高井 そうです、そういうことです。
相澤 その意味でも、まさにこういったところはOPKのですね。
高井 いい考えでしょう。
相澤 私はそのように思うんですけれども。
高井 それからもう1つは、退職後の海上自衛官の活躍の場の提供にもなると思います。多くのOBは、会社へ再就職していますが、長い間、現役の時に取得した能力を活用する場がなくてもったいないと思っていました。そういう退職自衛官が会社を設立して、OPK能力の構築支援ができればとも考えています。OPKの監視員は、現役の海上自衛官ですが、その他の技術等の教育訓練による能力構築の支援は、OBの会社員でも十分可能です。OPK監視船に一緒に乗り組んで支援することは必要だと思うし、途上国側も受け入れやすいと思います。
 いま現役の陸上自衛隊員は、途上国のPKOの能力構築支援を目的とした国連三角パートナーシップ・プロジェクトでブルドーザーの運転技術などの教育を行い、大好評を博しています。日本国内で高い技術を独占するだけでなく、その技術を途上国にシェアする時代になりつつあると思います。外国にはリタイアした後の元軍人が途上国の軍隊の能力構築を支援するために設立した、いわゆる民間軍事請負会社(PMC)が沢山あります。日本にも自衛隊の業務を会社へ委託する民間活用を行っていますが、このような会社がさらに増えて、退職自衛官が海外で活躍できる場になればいいのですが。
 途上国の軍隊、取り分けクーデターが頻発するアフリカ諸国の軍隊は、多くの場合、訓練レベルが低いので、高いレベルの武器が使用できないし、軍隊内の紀律が乱れている場合が多くあります。そういう途上国は、PMCへ政府軍の能力構築の支援を依頼して、政府の安定化を図っています。レベルの高い反政府軍に政府軍がやられてしまう事実が現実にあるので、途上国は、その対応策としてPMCに支援を依頼し、政府軍の教育や訓練レベルを向上させているのです。
相澤 ありがとうございます。
高井 いやいや、本当に自衛隊のOBは、生活を維持できても、現役時代の経験を仕事に生かせている人は少ないと思います。率直に言って、相澤さんなんかみんなから羨ましがられていると思いますよ。
相澤 まさにそういう点では、ありがたく思っております。
高井 私は自衛隊の教官でしたが、退職後も国際法、海洋法、安全保障の研究を続けることができて恵まれています。ゴルフ三昧で楽しんでいる人はそれでいいのですが、専門的な仕事をやっていた人については、その専門を生かす場がほとんどないのでとても残念に思っています。
相澤 もうひとつお伺いしたいのは、いままでこういうことを考えてということをいろいろ伺いましたけれども、実際、ここの2~3問ぐらいで議論している通り、私自身はOPKの考え方はいろんな安全保障協力に、形を変えて実現していると理解しているんですが、一方ではまさに先生が言われたような、行ってお互いに乗り組んで法を執行するという形はなかなか実現しない。これは、どういったところに障害があるのでしょうか。もちろん簡単な話ではないことは重々承知の上でお伺いするんですが、それがなかなか浸透していかないというのか、みんな「いい、いい」と言うけれども実際いざとなったらヘジテートがあるのは、どの辺に原因があるとお考えでしょうか。
高井 大きな障害といえば、活動の根拠法がなかなかできないことにあると思います。軍隊であろうと国家公務員は、法律に基づいて行動が可能になります。「アイデアとしてはいいですが、根拠法は?」となります。また海上自衛隊は、現在、中国やロシアに対する警戒監視など多くの任務を抱えているので、隊員数やアセットが十分にあるとは言い難いと思います。海上自衛隊に新たな任務を付与すること、それはどうしても最後のネックになってしまいます。国際的な安全保障の活動に対する国会議員の意識が高まって、国会で議論して欲しいと思っていまし、国民も海洋の未来に関心をもち、同時に、研究者やマスメディアが取り上げるようにならないと、OPKの活動に対する認識が広がっていかないと思います。
相澤 ですよね。そのためには、まさにいちばん最初の質問でお答えいただいた通り、共通のルールがあって、それを担保する国内法があって、それが共通のスタンダードになってないと成り立たないということですよね。
高井 成り立たない。ただ、一度に全部ができないから、海洋の安定的利用が重要だと考える意思がある2か国でも3か国だけでも、OPKの活動に協力して取り組めばいいと思っています。先ず、排他的経済水域が接している国同士でOPKを実践していく、そしてマグロやサンマのような回遊性魚種の乱獲防止、不法な海洋投棄などの取り締まりへと活動の範囲を拡大していくことになるでしょう。少しでもできることからやっていくということが重要です。
相澤 そういう意味では、まさに国家実行の積み上げが推進力になるだろうということだと思いますけれども。
高井 そういうことです。そのうちに海洋を安定的に利用するためにはどうしたらいいのかという意識も変わってくると思います。
相澤 最近の事例ですと、ご存じのとおりフィリピン、インドネシア、マレーシアのスールー・セレベス海の共同パトロールというのがありますね。ああいう国家実行の積み上げで、その中から共通のルールをつくりだしていくということですね。
高井 そういうことです。
相澤 これは、誰か旗振り役が必要ですね。
高井 そうです。笹川平和財団の海洋政策研究所は、海洋問題の研究者が多く、海洋情報蓄積が豊富にありますから、旗振り役として最も相応しいと思います。
相澤 まさに最後の質問でそれを議論させていただきたいと思っていますが、いま我々が考えているのは、新しい安全保障概念をつくろうとしているんです。このOPKの考え方を雛型にしたいという思いがありまして、今日はオーラル・ヒストリーで伺わせていただいている次第です。それでは、最後の質問に入らせていただきたいと思います。
 実は、今日OPKの構想について伺ってまいりましたのは、我々は3年計画で「海を守る新たな国際構造の創出に関する研究(ブルー・インフィニティー・ループ)」というのをやっているんです。ものすごくフワッとした形なんですけれども、もともとの立ち上がりは、北極の氷が融けて通れるようになったら、どんなシーレーンの影響があるかというのを3年やってきました。さらに敷衍をして、今日も議論しております「航行の自由」とか、海洋法のガバナンスを確立していくために、国際社会はどう取り組んでいけばいいかという大きなテーマがあります。あんまり大きなことを言っても、アウトプットが出てこないんですね。そこの中で、例えば先ほど申しあげましたIUU、違法漁業対策であるとか、私自身はさっき申しあげた「インド太平洋戦略」に関心を持っていますので、インド太平洋地域における国際秩序をどうしたらいいのか、とか。つまり、いろんなレベルの違うことをやっているんですけれども、ただ目的は今日ずっと議論してきた、「海洋のガバナンスを確立するために、国際社会がどう取り組んでいけばいいか」というのをテーマにしています。
 そういった観点から、是非今日お伺いしたことの総括として、これから目指していくべきことだとか、どんなことに気をつけてやっていけばいいのか、そのためには何が必要かとか、アドバイスをいただければ幸いでございます。
高井 アドバイスになるかどうかわかりませんが、先ず、国によって考え方や理解が異なっている海洋ガバナンスについての意見交換から始めるといいでしょう。例えば、先ほど言いましたように、海洋環境の保全の義務を履行するために、諸国が国際基準に合わせた国内法を立法して取り締まる方法の是非。そして、国連海洋法条約上の義務履行をどう考えているのか、国際基準に合わせた諸国の国内法を世界共通のルールにする方法、同一艦船に多国籍の海軍軍人が乗り込むことの問題などの議論が必要でしょう。そして何よりも重要なことは、このような議論を国の内外に対して発信することです。発信することによって、海洋秩序の維持に関する国際的な関心が高まってくるでしょう。そしてこれに関する議論を蓄積することが、国際法と同じような世界法を構築するプロセスになると思います。海洋からの恩恵を受けている諸国を中心に、このような意識を行動に移す国を少しでも増やしていくことになることを期待しております。
 インド太平洋方面ではフランスやイギリスは、中国の「一帯一路」と航行の自由の脅威にどう対応するかを考えています。自由で開かれたインド太平洋の構想は、既に日本、アメリカ、インド、オーストラリアのクアッドで、連携行動を議論していると思います。イギリスやフランスもやがてクアッドに参加するかもしれません。中国も同じ価値観をもって参加を希望すれば、これを排除する必要はないと思います。
このようなコアな国が具体的にどのような活動を行うのかについて、最初からきちっと決めて、航行の自由、海洋環境の保全や漁業資源の保存管理義務を含んだ、将来の海洋を安定的に利用するためのルールを確立していくことがとても重要だと思います。要は、国際環境法の側面をもつ国連海洋法条約に沿った秩序維持の活動を、具体的に行動に移すことだと思います。
 北極航路との関連でいえば、北極航路に面している諸国が、「先ずは地域」で協力して海洋秩序の維持、海洋ガバナンスのための活動を始める。「先ずは地域」から「やがて全体」を包括することを念頭に置おくことは大事だと思います。それから、何回も言うようですが、行動する法的根拠になる海軍や海上自衛隊の任務の付与が必要です。この中で、何ができて何ができないか。何をやるか、何のためにといったことを少しずつ詰めていくことが大事です。誰しもがアイデアは賛成なんですが、具体的な行動を考えるのは難しいのです。海洋の安定化のために軍事力を強圧的に使うのではなくて、秩序維持のために活用するということです。
相澤 海上における法執行ということですね。
高井 そうです。PKOと同じです。つまり、停戦合意をしたのなら、その停戦合意を守っているかどうかをウォッチするのが軍事要員の任務です。PKOの場合は、どちらかが停戦後いうの違反してもこれを止めることはありません。しかしOPKの場合は、海洋秩序の維持、海洋の安定化のための活動なので、海洋汚染や密猟を発見すればこれを阻止し、国際海洋テロや麻薬運搬、海賊などの国際犯罪についても、取締ることになります。
相澤 貴重な内容のお話をありがとうございました。我々も、これからこの研究のためにいろいろ考えていきたいと思いますので、またいろいろとアドバイスをいただければ幸甚でございます。本当に、長時間どうもありがとうございました。
高井 本日のオーラル・ヒストリーを通して、これまで行ってきた研究がOPKの概念を発案する上で、知らず知らず役に立っていたことを改めて認識できました。こちらこそ感謝いたします。どうも有難うございました。

(参考文献一覧)

・高井晉「紛争の未然防止とOPK―海洋の安定的利用のための新たな活動(地域紛争と国際法)」防衛学会編「新防衛論集」(1997年9月)

・高井晉、秋元一峰「海上防衛力の意義と新たな役割 -オーシャンピース・キーピングとの関連で-」防衛研究所紀要第1巻第1号(1998年6月)
http://www.nids.mod.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j1-1_5.pdf

・高井晉「ブリーフィング・メモ ―OPKと海洋安全保障協力―」防衛研究所ウエブサイト(2003年6月)
http://www.nids.mod.go.jp/publication/briefing/pdf/2003/200306b.pdf

・高井晉「海洋の安定的利用の確保とOPK」日本安全保障戦略研究所「インド太平洋における『海洋安全保障研究』」(拓殖大学海外事情研究所編『拓殖大学海外事情』第54巻第11号(2006年11月)再掲)
https://www.ssri-j.com/SSRC/takai/takai-24-20180611.pdf

・資料40「2003年IISSアジア安全保障会議における石破長官スピーチ『アジア太平洋の安全保障に関する地域的展望』」防衛庁「平成15年版 日本の防衛(防衛白書)」
http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2003/2003/datindex.html

・資料42「防衛庁「平成16年版 日本の防衛(防衛白書)」
http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2004/2004/datindex.html

・秋元一峰「新たな安全保障の概念『海洋の安定化』」兵術同好会「波涛」
 第23巻第2号(1997年7月) 第Ⅰ部:海洋の「安定化」と“OPK”
 第23巻第3号(1997年9月) 第Ⅱ部:オーシャン・ガバナンスと“OPK”
 第23巻第6号(1998年3月) 第Ⅲ部:シーパワーのパラダイムシフト
 第24巻第3号(1998年9月) 第Ⅳ部:21世紀のシーパワーを視る(上)
 第24巻第4号(1998年11月) 第Ⅳ部:21世紀のシーパワーを視る(下)

・秋元一峰「海軍力による抑止と安定化―その幻想と現実―」兵術同好会「波涛」
 第25巻第1号(1999年5月)(上)、第25巻第2号(1999年7月)(下)