バイデン政権の中南米外交の現状―インド太平洋政策との比較

渡部 恒雄
中南米政策における米国政府の矛盾
昨年の8月に、右派親米政権が続いてきたコロンビアで、ゲリラ出身のグスタボ・ペトロ大統領が就任して史上初の左派政権が誕生したことは1、バイデン政権にとって衝撃であったとともに、長年にわたる米国の中南米政策の矛盾を象徴している。米国の歴代政権は、メキシコ、ペルー、チリ、コロンビアとは太平洋同盟という枠組みで、自由貿易により経済成長と民主化を進めてきた。しかし、トランプ前政権でTPP(環太平洋パートナーシップ協定:チリ・ペルー・メキシコが中南米の締約国)からも一方的に離脱した保護主義のトレンドを、労働組合の支持をうけるバイデン政権も覆すことはできず、自由貿易というインセンティブをこれらの政府に与えることができずに、左派政権誕生を結果的に後押しした。
コロンビアを始めとする中南米諸国の左傾化トレンドと治安悪化の継続は、米国への移民圧力を高め、その結果、米国内保守派からの反移民感情や保護主義を増幅させ、バイデン政権の中南米政策の手を縛るという悪循環を引き起こしている。このような状況下でも、バイデン政権は、コロンビアのペトロ政権、メキシコのオブラドール政権そしてブラジルのルラ政権という左派政権に対して、プラグマティックに対処している。これは「人権や民主主義という大原則は掲げながらも、米国の軍事力や経済力の相対的な低下を自覚して、現実にあわせた柔軟な姿勢をとる」というバイデン・ドクトリンの仮説に沿うものだろう2。本稿では、中国の影響力が強い中南米地域でのバイデン政権の経済外交の現状を、インド太平洋地域への外交と比較して考える。
中国対策としての米国の中南米への経済関与策-APEP
そもそも、中南米の人々の自国政府や米国への不満の背景には、過去20年間、米国が中東に資源を使い、中南米への関心がおろそかになってきたことがある。この対策として、2022年6月、米国はロサンゼルスで米州首脳会議を開催した。共同宣言は20カ国が採択し、米国とカナダがゲストワーカーと呼ばれる短期労働者の受け入れ拡大を約束し、その他の国は移民保護を強化することに同意した。ただし米国が左派政権のキューバ、ベネズエラ、ニカラグアを招待しなかったことに反発し、メキシコが出席を見送る決定をし、グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドルの首脳が同調し、米州機構(OAS)35カ国のうち、国のトップを派遣したのは23カ国にとどまり、米国の影響力低下を露呈することになった3。
バイデン政権は米州首脳会議に際して、中南米への経済関与策「APEP: Americas Partnership for Economic Prosperity」(経済繁栄のための米州パートナーシップ)を発表して、中南米への経済関与を示した。バイデン政権は、コロナ・パンデミックなどで中南米の経済が悪化し、プーチンのウクライナ戦争が悪化に拍車をかけ、世界のインフレを拡大して家計を圧迫しているとして、パートナーシップは、苦しい家計を再建することから始まるボトムアップアプローチであると謳っている。その内容は、サプライチェーンを強靭にすること、米州開発銀行などの地域の経済機関を再活性化すること、移民、教育、保健、失業と退職、チャイルドケア、女性活躍などの向上のための公共投資、脱炭素化と生物多様性、クリーンエネルギーのための新しい雇用創出、地域の経済発展に資するような持続的で包括的な貿易などである4。
バイデン政権が中南米諸国との経済関係の強化を図る背景には、中国のこの地域への影響力の拡大への対処と、自国への不法移民を減らしたい意図がある。中国の中南米諸国への影響力は、通商関係の継続、インフラプロジェクトへの援助、コロナワクチンや医療援助などにより、着実に進展している。例えば、2021年6月の時点で、中国は中南米に2.5億回分(ドーズ)超のコロナワクチンを提供しており、米国の提供する300万回分をはるかに圧倒していた5。
中国は、南米諸国にとっては最大の貿易相手国で、中南米全体でも、米国につぐ第二の貿易国であるため、米国は中国の影響力の拡大を懸念している。しかし、トランプ前政権のTPP離脱やNAFTA見直しがあり、そしてバイデン政権も通商交渉権限を議会から与えられない状況で、通商面で米国が中国に対抗して、圧倒的に中南米を惹きつけることは難しい。
実際、中国が中南米で行っている「一帯一路」のインフラプロジェクトは、東南アジアなどの他地域と同様に、米国の提供するプロジェクトをはるかに上回っている。東南アジアでは、日本、豪州、インドなど、中国に対抗して地域のインフラ投資に関与するパートナー国がいるが、中南米にはそのような国は存在しない。また中国はロシアと並んで、中南米への軍装備品の供給元でもあり、ベネズエラには2009年から2019年までの10年間で6億1500万ドルの武器を売却したとされる6。ボリビア、エクアドルも中国製武器を数億ドル規模で購入してきているが、とりわけキューバは中国との軍事関係を強化し、中国海軍の寄港を受け入れており米国は注視している。
また中国は、ボリビア警察に暴動対策の防護品や軍用車を提供し、ガイアナやトリニダード・トバゴの治安機関に車両やバイクなどを寄付している。中国軍のハイチのPKOミッションにおけるプレゼンスも拡大しており、米国の懸念を呼んでいる。
興味深いIPEFとの比較
APEPは中国の地域への影響力に対抗するための経済枠組みという点で、米国のインド太平洋経済枠組み(IPEF)との共通点が指摘されている。APEPは、12カ国の加盟国中、カナダ、チリ、コロンビア、メキシコ、パナマ、ペルーという経済的に重要な国家が含まれているが、IPEFも、14カ国の加盟国の中には、オーストラリア、インド、インドネシア、日本、韓国、シンガポール、ベトナムなどの国家が含まれており、米国の経済にとっても、地域の経済にとっても、重要である。そして、米国のトランプ政権が離脱した自由貿易協定であるTPP(太平洋パートナーシップ協定)の10の加盟国がIPEFと重複していることは、偶然ではないだろう(オーストラリア、カナダ、チリ、日本、マレーシア、メキシコ、ニュージーランド、ペルー、シンガポール、ベトナム)。米国がTPPから離脱しなければ、IPEFもAPEPも、必要なかったともいえる。
APEPとIPEFは、共和党のトランプ前政権が「アメリカ・ファースト」政策として保護主義を開始し、労働組合の支持を受け伝統的に保護主義的傾向がある民主党政権のバイデン政権が、トランプ前政権に対抗するために「中間層のための外交政策」を打ち出し、共和、民主両党の議会が保護主義傾向となり、大統領のTPA(貿易促進権限)が付与される見込みがない中で、関税を下げる自由貿易協定の交渉はほぼ不可能という現状の反映でもある。
ただし両者の違いも多い。そもそも、米国との自由貿易協定を結んでいないインド太平地域の諸国に比べて、APEP加盟国は、バルバドスを除き、すべて米国と自由貿易協定を結んでいる。中国は、IPEF加盟国の多くと、RCEPという自由貿易協定を結んでいる一方、APEP諸国とは、チリ、コスタリカ、ペルー、エクアドルと自由貿易協定を締結してはいるが、米国には及ばない。
ブラジルの左右の政権と関係を維持
ブラジルは、BRICSのメンバー国として中国やロシアとの関係も深く、バイデン政権は、トランプ大統領に親近感を持つボルソナーロ前政権とも、現実的な関係構築に努めてきた。昨年10月の大統領選挙で、左派のルラ政権が誕生してからも、中南米最大の民主主義国のブラジルとの関係維持には関心を払ってきた。
9月20日、ニューヨークでの国連総会に合わせ、バイデン大統領はルラ大統領と会談した。ロシアによるウクライナ侵攻については、立場の違いを埋められなかったが、左派のルラ大統領に合わせ、労働組合と労働者を支援するパートナーシップを結ぶことで合意を演出した7。折しも、バイデン大統領も、民主党の支持基盤である米国内のUAW(全米自動車労働組合)のストライキの現場を訪問しており8、米国内の政治アジェンダとも合致させ、ルラ政権との共闘を演出する形となった。
国境に殺到する移民をどうするか?
バイデン政権は、自国での抑圧から米国に避難した人たちの一時保護資格(TPS)の強化に動いてきたが、民主党内でもリベラル派と中道の間に温度差があり、共和党に政治的な攻撃材料を与えてきた。バイデン政権は、その法律の条項から「タイトル42」と呼ばれる、新型コロナ感染拡大を防ぐ目的で、亡命申請を希望する人でも国境においてすぐに国外退去処分にするという措置を、2023年5月に廃止した9。
この措置はトランプ前政権が2020年3月に導入し、バイデン政権も踏襲していたが、人権団体やリベラル派から廃止を求める声があがっていた。措置の撤廃後、米国への入国希望者は、国境付近で亡命を求め、母国に戻った場合の危険性などが認められれば入国が許され、60日間は暫定的に滞在が許可されて、審査を待つことができるようになった。
これらの亡命希望者は主にベネズエラ、ニカラグア、キューバ、コロンビアからの移民で、共和党はこのバイデン政権の「寛容な」移民政策を、トランプ前大統領支持者の反移民姿勢にアピールする政治的な「武器」と考えている。2022年9月14日には、フロリダ州のデサンティス知事が50人の「亡命申請者」をオバマ前大統領の邸宅があるマサチューセッツ州マーサズ・ビンヤードに送り込んだ10。
これらの「亡命申請者」は紛争やコロナ感染の影響で中南米の治安と経済が悪化しているため増加傾向にある。バイデン政権は、来年の大統領選挙に向けての切り札として、これらの「亡命申請者」のオンラインでの申請を受け付けるセンターをコロンビア、コスタリカ、グアテマラ、メキシコに設置した。これは、亡命申請者をより危険な中南米の都市部に留め置くことで、犯罪に巻き込まれる可能性があるという批判もある11。しかし米国国境に移民が殺到するような「目に見える」状況を避けて、選挙での批判をかわそうと考えているのかもしれない。これも理念よりは現実という方針と理解できる。
現時点でこの「切り札」は奏功しているとは言い難い。9月には中南米国境を越えた不法移民の数は20万人と最多数を記録した12。この問題が来年の大統領選挙での共和党からの批判のターゲットになることは間違いない。
バイデンの中南米外交の評価
バイデンの中南米外交について全般的にみると、「人権や民主主義という大原則は掲げながらも、米国の軍事力や経済力の相対的な低下を自覚して、現実にあわせた柔軟な姿勢をとる」というプラグマティックな姿勢が多く当てはまる。中南米外交の場合、大統領選挙に影響するメキシコ国境に殺到する移民という切り札を中米諸国が握っている状況もあり、プラグマティックにならざるを得ないという要素がある。一方で、米国が戦略的な競争相手と規定する中国の地域への影響力についての懸念は、インド太平洋地域と同じだが、地域諸国の経済と米国経済の強い結びつきは、中国の影響力に対抗するだけの影響力を米国に与えている。
貧困と格差の構造的問題を抱える中南米諸国だが、それゆえに米国への不法移民問題が継続するとともに、米国経済への依存も継続すると考えられる。その中で、バイデン外交は大統領選挙への影響を最小にし、中国の影響力にけん制をかけながらも、自身の限られた資源を使って、プラグマティックなかじ取りを行っている。一方で、多くの矛盾を抱えた政策を転換することはできず、引き続き中南米への影響力の低下は継続しているのも現状である。
(了)
- 「コロンビア、ペトロ大統領就任 中南米は左派で連携も」『日本経済新聞』、2022年8月8日、<https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN073GE0X00C22A8000000/>(2023年11月27日参照)。(本文に戻る)
- 渡部恒雄「シリアのシーア派武装勢力への武力行使からバイデン・ドクトリンを考える」SPFアメリカ現状モニター No. 86、2021年3月10日、<https://www.spf.org/jpus-insights/spf-america-monitor/spf-america-monitor-document-detail_86.html>(2023年11月27日参照)。(本文に戻る)
- 「米州首脳会議、移民問題対応で共同宣言採択 実効性に疑問符」Reuters、2022年6月12日、<https://jp.reuters.com/article/americas-summit-idJPKBN2NT01S>(2023年11月27日参照)。(本文に戻る)
- The White House, “FACT SHEET: President Biden Announces the Americas Partnership for Economic Prosperity,” June 8, 2022, <https://www.whitehouse.gov/briefing-room/statements-releases/2022/06/08/fact-sheet-president-biden-announces-the-americas-partnership-for-economic-prosperity/> accessed on November 27, 2023.(本文に戻る)
- Oliver Stuenkel, “Vaccine Diplomacy Boosts China’s Standing in Latin America,” Foreign Policy, June 11, 2021, <https://foreignpolicy.com/2021/06/11/vaccine-diplomacy-boosts-china-in-latin-america/> accessed on November 27, 2023.(本文に戻る)
- Lara Seligman, “U.S. Military Wary of China’s Foothold in Venezuela,” Foreign Policy, April 8, 2019, <https://foreignpolicy.com/2019/04/08/us-military-wary-of-chinas-foothold-in-venezuela-maduro-faller-guaido-trump-pentagon/> accessed on November 27, 2023.(本文に戻る)
- Ishaan Tharoor, “Biden and Lula try to find common cause, despite their differences,” The Washington Post, September 20, 2023, <https://www.washingtonpost.com/world/2023/09/20/biden-lula-brazil-united-nations-common-similarities-differences-unions/> accessed on November 27, 2023.(本文に戻る)
- Betsy Klein and Nikki Carvajal, “Biden visits the picket line in Michigan to show solidarity with striking UAW,” CNN, September 26, 2023, <https://edition.cnn.com/2023/09/26/politics/biden-picket-line-michigan-uaw/index.html> accessed on November 27, 2023.(本文に戻る)
- Priscilla Alvarez, “Biden to take unprecedented measures to manage the border but concerns remain over end of Title 42,” CNN, May 10, 2023, <https://edition.cnn.com/2023/05/10/politics/biden-administration-title-42/index.html> accessed on November 27, 2023. (本文に戻る)
- Abby Remer, “Playing politics with peoples’ lives,” The Marth’s Vineyard Times, September 6, 2023, <https://www.mvtimes.com/2023/09/06/playing-politics-peoples-lives/> accessed on November 27, 2023.(本文に戻る)
- Nick Miroff, “Asylum seekers who cross U.S. border illegally face new Biden rule,” The Washington Post, February 21, 2023, <https://www.washingtonpost.com/national-security/2023/02/21/border-asylum-rule-biden/> accessed on November 27, 2023.(本文に戻る)
- Camilo Montoya-Galvez, “Unlawful crossings along southern border reach yearly high as U.S. struggles to contain mass migration,” CBS News, October 1, 2023, <https://www.cbsnews.com/news/immigration-unlawful-crossings-along-southern-border-reach-yearly-high/> accessed on November 27, 2023.(本文に戻る)