バイデン外交の柔軟な現実主義を反映する対インド政策
渡部 恒雄
昨年7月8日の拙稿で、バイデン政権の中東・アフリカ政策を踏まえて、「人権や民主主義という大原則は掲げながらも、米国の軍事力や経済力の相対的な低下を自覚して、現実にあわせた柔軟な姿勢をとる」というバイデン・ドクトリンの仮説を提示した1。その後のバイデン外交も、このラインに沿って動いていることは多いと思われる。
特に顕著にみられるのは対インド外交だ。インドは民主主義国ではあるが、米民間組織のフリーダム・ハウスが、2021年3月の報告書「世界における自由」において、その評価を「自由」から「部分的に自由」に引き下げて以来、2022年、2023年の報告書でも「部分的に自由」のままだ。その理由は、モディ首相の支持基盤でもあるヒンドゥー・ナショナリズムの影響による、ジャーナリストへの脅し、人権団体に対する圧力、イスラム教徒への攻撃などの増加である2。またインドは、ウクライナ侵攻をしたロシアには中立的な姿勢をとり、欧米諸国の制裁で割安となったロシア産原油を大量に輸入しているが、米国はそれを容認している。
本稿では、人権という大原則は掲げながらも、対中競争政策の要の一つであり、経済的にも重みを増しているインドへのバイデン外交を、バイデン・ドクトリンの仮説に当てはまる例として検証する。
インドの人権侵害とロシアからの原油輸入に目をつぶるバイデン政権
インドは世界最大の民主主義国家ではあるが、モディ政権のヒンドゥー・ナショナリズムにより、イスラム教徒などの宗教マイノリティは、暴力を含む深刻な人権侵害に晒されている。人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」の「2022 World Report」は、インド人民党(BJP)主導の、モディ政権を批判する活動家、ジャーナリスト、平和的な抗議活動、詩人、俳優、ビジネスパーソンに対する政治的な理由によるハラスメントや法執行、税務調査などのリスクが増えており、当局は、外国からの資金規正に抵触したり、資金調達に違法な点がある権利擁護団体に解散命令を出したりしている、と指摘している3。
しかし2022年8月14日、バイデン大統領は、翌日のインド独立75周年記念日に際して声明を発表し、米印は、「欠くことのできないパートナー」であり、この先何年もの間、グローバルな課題に取り組む協力を続けるだろうと述べた。また「米国は(インド建国の父の)マハトマ・ガンジーの真実と非暴力という不朽のメッセージに導かれた民主主義の歩みをインドの人々とともにたたえる」とし、「インドと米国は欠くことのできないパートナーであり、米印戦略的パートナーシップは法の支配と人々の自由と尊厳の促進に対する共通のコミットメントに基づいている」と発言した4。
またインドは、ロシアのウクライナ侵攻を受けた欧米諸国による制裁で割安となったロシア産原油を大量に輸入している。2023年1月のインドのロシアからの原油輸入は1,996万トンで、前月比1.7%、前年比3.5%増加し、2022年4月から2023年1月のインドの原油輸入全体でロシア産原油が占める割合は約20%となり、1年前の0.8%から急拡大した5。これを受けて、2022年4月から2023年1月までの石油精製製品の輸出は、前年度同時期の507億7,000ドルから785億8,000万ドルに増加した6。
2月8日、インドのこの状況について、カレン・ドンフリード国務次官補(欧州・ユーラシア担当)は、「我々はインドに制裁を科すつもりはないことを明確にしたい。インドとの関係は最も重要な関係だからだ」とメディア向けに発言した。さらにジェフリー・ピアット国務次官補(エネルギー資源担当)は、インドは強制されていないにもかかわらず、G7によるバレルあたり60ドルの上限価格を守っており、世界の資源価格の安定とロシアへの資金流入の制限、という我々の求める両方のゴールを達成するために役立っているとも付け加えた7。
人権・民主主義よりも重要なインドの価値とは?
このドンフリード国務次官補が示した米印関係の重要さとは何を指しているのだろうか。それは、中国との競争・対抗パラダイムの中での、インドの地政学・および地経学的な価値である。
バイデン政権のジェイク・サリバン国家安全保障担当大統領補佐官は、政権入り直前の2020年5月にフォーリン・ポリシー誌のウェブサイトに、ハル・ブランズ、ジョンズ・ホプキンズ大学SAIS教授と共著で論考を寄稿し、中国が世界の覇権を目指す場合は、日本、インド、ベトナム、インドネシアという近隣国家の警戒を生み、これらの国家を米国に近づけることになるという見方を述べ、インドの戦略的重要性について認識を示している8。
また、2023年1月12日、ワシントンのシンクタンクCSISのシンポジウムにおいて、カート・キャンベル国家安全保障会議・インド太平洋調整官は、「2023年の米国のアジア外交において、インドがより大きな役割を果たすことが米国の利益にかなう」と発言した9。
そうした認識を示す具体的な事例として、2022年11月8日から15日まで、日米豪印の海上自衛隊と海軍による共同訓練「マラバール」が実施され、関東南方の太平洋上で、対潜水艦や対空戦闘の訓練、洋上補給などを行った10。また、同年11月17日から12月2日まで、米印陸軍は18回目となる二カ国の軍事演習「Yudh Abhyas (ユド・アビス)2022」を、中印の国境係争地帯のラダック地方に近い北部ウッタラーカンド州で実施した11。1962年の中印国境紛争では、厳寒のヒマラヤにおいて夏服で戦ったインド軍が壊滅的な敗北を被り、その際に米国はインドを支援した歴史もある。
さらに2023年4月13日から、印空軍は米空軍と共同軍事演習「コープ・インディア23」を西ベンガル州や北部ウッタルプラデシュ州で行っており、日本の航空自衛隊もオブザーバーとして参加した。その際、西ベンガル州のカライクンダ基地に、米軍はF-15戦闘機とB-1爆撃機を派遣したが、この基地は、第2次世界大戦中、B-29爆撃機が展開して、中国大陸の日本軍を爆撃した基地であり、中国軍へのけん制とも考えられるという指摘もある12。
米国のインドへの地政学上の近接は、軍事力の近代化を図っているインドにとっても、好都合だ。先述のシンポジウムの際にキャンベル氏は、「インドがロシアへの依存を減らしていくように援助する準備がある」とも発言しており、インドの軍事近代化の意向を反映させて、その取り込みを図っている。ウクライナ戦争により、ロシアの兵器の供給力がひっ迫し、インドがロシアと契約した防空システムS400などの引き渡しが遅れていることも、米印の軍事産業の技術協力を後押しする要因になっている13。
米国の対中競争戦略にとって魅力的なインドの経済規模
インド経済の規模の大きさは、米国が中国に対抗する上で大きな魅力だ。2022年のインドのGDPは約3兆3,800億ドルとなり、旧宗主国のイギリスを抜き、世界第5位の経済大国となった。インドのGDP成長率はインド政府発表のGDP値から算出すると約6.7%で14、中国を上回り、人口も14億人と中国を超えて世界一になった。インドは自信を深めており、中国からの挑戦を受け、国内に分断を抱え、グローバルな影響力が低下している米国のインドへの期待は大きい。
2022年5月の東京でのクアッド首脳会議の際開催された米印首脳会談においては、4月11日に行われた米印2プラス2(外交・防衛閣僚級協議)での、安全保障から技術、経済に至る幅広い合意を再確認し、民主主義がグローバルに利益をもたらすことで合意した。また米印は、両国の国家安全保障会議が主導する米印重要・新興技術イニシアチブ(iCET: Initiative on Critical and Emerging Technologies)の発足を発表し、人工知能(AI)、量子コンピュータ、移動通信システムの5G・6G、バイオ、宇宙、半導体などの分野での産学官連携の緊密化を図ることも合意した15。これは、中国とのハイテク技術競争への対抗という地政学と地経学の双方で、インドの価値が高まっていることを反映している。
米印首脳会談の結果とバイデン・ドクトリン
モディ首相は米国に国賓として招待され、6月22日にバイデン大統領と首脳会談を行った。その内容はニューヨーク・タイムズ紙の見出し「バイデンは不協和音を極力抑えて、インドとの結束強化の道を求めた」(Biden seeks to bolster ties with Modi while soft-pedaling differences)が示すとおり、バイデン大統領は、インドの人権侵害やロシアとの関係継続には、あえて目をつぶって、中国への対抗・競争のために、インドとの関係強化を強く訴えた16。米印首脳会談が開かれているホワイトハウスの外では、インドのマイノリティやメディアへの弾圧への抗議デモが行われた。会談の中で、モディ首相は、「インドの民主主義の価値において、カースト、年齢、信条、どのような地理的違いによる差別も絶対にない」とバイデン大統領に語った。モディ首相の議会演説も、議会から歓待されたが、アレクサンドリア・オカシオ=コルテス下院議員など数名の民主党左派の議員は欠席し、「深い人権侵害の問題のある人物を歓迎すべきではない」とツイッターに発信した17。首脳会談後の記者会見では、ウォールストリート・ジャーナル紙のイスラム教徒の女性記者からインドのマイノリティの差別についての質問を受けた。
このような中で、バイデン政権は、インドとの様々な協力で合意した。米ゼネラル・エレクトリック社とインド国営企業によるF18ホーネット戦闘機用エンジンの共同生産に合意し、米半導体大手のインド工場建設や供給網の多様化に向けた協力、さらには、人工知能(AI)や宇宙分野でも協力を進めることに合意した18。
ニューヨーク・タイムズ紙は、インドの研究者、ハッピモン・ジェイコブ氏の「インドは、米国と同盟国が政治的に後押しし、軍事的に協力し、地政学的な役割を鼓舞すれば、中国をチェックメイトに追い込むために決定的な役割を担う存在だ」というコメントで、バイデン大統領の対インド政策は、民主主義の価値よりも地政学的なチェスボードにおけるインドの価値を優先したものであることを示唆している19。
バイデン政権の対インド外交は「人権や民主主義という大原則は掲げながらも、米国の軍事力や経済力の相対的な低下を自覚して、現実にあわせた柔軟な姿勢をとる」というバイデンドクトリン(仮説)の恰好のケースであるといっていいだろう。
(了)
- 渡部恒雄「中東とアフリカでの米国の影響力低下とバイデン外交」SPF米国現状モニターNo. 118、2022年7月8日、<https://www.spf.org/jpus-insights/spf-america-monitor/spf-america-monitor-document-detail_118.html> (2023年7月7日参照)。(本文に戻る)
- Freedom House, “Freedom in the World 2023: India,” <https://freedomhouse.org/country/india/freedom-world/2023> accessed on July 5, 2023.(本文に戻る)
- Human Rights Watch, “World Report 2022, India Events of 2021”, <https://www.hrw.org/world-report/2022/country-chapters/india> accessed on June 20, 2023.(本文に戻る)
- “Biden calls India 'indispensable partner' to address global challenges,” Nikkei Asia(Reuters), August 15, 2022, <https://asia.nikkei.com/Politics/International-relations/Indo-Pacific/Biden-calls-India-indispensable-partner-to-address-global-challenges> accessed on July 7, 2023.(本文に戻る)
- 「インドの1月原油輸入、半年ぶり高水準 ロシアから輸入拡大」Reuters、2023年2月21日、<https://jp.reuters.com/article/india-fuel-imports-idJPKBN2UV04B>(2023年7月7日参照)。(本文に戻る)
- Kiran Sharma, “India's Russian imports soar 400% as U.S. offers little resistance,” Nikkei Asia, February 17, 2022, <https://asia.nikkei.com/Economy/Trade/India-s-Russian-imports-soar-400-as-U.S.-offers-little-resistance> accessed on July 7, 2023.(本文に戻る)
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- Hal Brands and Jake Sullivan, “China has two paths to global domination,” Foreign Policy, May 22, 2020, <https://foreignpolicy.com/2020/05/22/china-superpower-two-paths-global-domination-cold-war/> accessed on July 7, 2023.(本文に戻る)
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- Dinakar Peri, “Five bilateral Army exercises under way, including ‘Yudh Abhyas’ in Uttarakhand,” The Hindu, November 29, 2022, <https://www.thehindu.com/news/national/five-bilateral-army-exercises-under-way-including-yudh-abhyas-in-uttarakhand/article66201755.ece> accessed on July 7, 2023.(本文に戻る)
- 長尾賢「印中国境の米印軍共同演習に日本が参加する意義」、Wedge ONLINE、2023年4月23日、<https://wedge.ismedia.jp/articles/-/30085>(2023年7月7日参照)。(本文に戻る)
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