解題『アメリカのインド洋戦略とは』

長尾 賢,海洋政策研究財団研究員

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米戦略国際問題研究所( Center for Strategic and International Studies)の上級アドバイザーで、ジョージタウン大学エドモンドウォルシュ外交学院准教授 (Edmund A. Walsh School of Foreign Service, Georgetown University)であるマイケル・グリーン( Michael J. Green)と、オーストラリアのレービ国際政策研究所の上級研究員で研究部長 (Director of Studies and a Senior Research Fellow at the Lowy Institute for International Policy)のアンドリュー・シアラー (Andrew Shearer)の 2人は、米戦略国際問題研究所の学術専門誌、The Washington Quarterlyに、『アメリカのインド洋戦略とは (Defining U.S. Indian Ocean Strategy)』と題する 15頁の論文を寄稿した。

この論文では昨今、アメリカを始め、オーストラリアや日本でも政府の内外において注目を集めつつあるインド洋について、特にアメリカからみた安全保障戦略上の価値について分析を行ったもので、次の 3つの点に着目している。1つ目はインド洋がシーレーン防衛上重要な位置にあること。2つ目はインド洋を通るシーレーンがホルムズ海峡やマラッカ海峡といった要衝を抱えており、そこでイランや中国との問題が生じつつあること。 3つ目はインド洋が長期的にはインドと中国のパワーゲームの舞台になりそうなことである。そしてこれら 3つの問題について、どのように対処するべき問題か、どの程度深刻であるのかも含め詳細に検証しようとしている。この解題では、本論文の順番に従い内容を抜粋、整理した後、その意味するところについて若干の所見(コメント)を述べる。

Ⅰ.本論の抜粋・要旨

ここ数年、インド洋が戦略地政学の中心課題になっている。インド洋について米国防省報告書、Quadrennial Defense Review(4年毎の国防政策見直し)、豪国防白書、日本の防衛白書といった政府文書で言及されるようになってきているだけでなく、ロバート・カプラン(Robert Kaplan)の本、Monsoon: The Indian Ocean and the Future of American Power(邦訳『インド洋圏が世界を動かす:モンスーンが結ぶ躍進国家群はどこへ向かうのか』(インターシフト社、2012年))や米海軍大学、アメリカン・エンタープライズ、豪ローリー研究所、そして日本の海洋政策研究財団等の民間レベルでも高まっている。そしてその中身を見てみると、そこにはインド洋に如何に沢山の安全保障問題があるかを指摘するものとなっている。アメリカからみると、インド洋は、ヨーロッパの脅威を感じた 19世紀のカリブ海、日本の脅威を感じた 20世紀初頭の西太平洋等と違い、インドが大国として周辺の小国に安全保障を提供する存在になることが明確な地域である。そこに、アメリカにとって、どのような死活的な国益があり、今日危機に直面しているのか、それを守るのに、どのような戦略と資源が必要なのであろうか?

1.アメリカの国益とは何か

アメリカにとってインド洋の最も重要な国益は、シーレーンを安全な状態に維持することである。より差し迫った脅威としてはインド洋の戦略的な要衝であるホルムズ海峡からマラッカ海峡である(3つ目の要衝として、南部アフリカ周辺とモザンビーク海峡は圧力にさらされてはいないが重要ではある)。最後に、アメリカとその同盟国がインド洋を重要とみるべき理由は、インド洋が強国、特にインドと中国の戦略的な競争の舞台になりそうなことである。

(1)長期的な脅威:印中のパワーゲーム

中国とインドの競争の激化については、慎重に、注意深く、インド洋におけるパワーバランスへの影響について評価することが重要である。おそらく 20年から 30年後、もし中国海軍が(空母機動部隊や「真珠の首飾り戦略」に基づく軍事支援施設を含む)効果的なパワープロジェクション能力を保有したとしても、マラッカ海峡やその他の要衝が中国の南部の港から遠く離れているため、シーレーンの安全確保は難しいであろう。いいかえれば、中国海軍は 1942年にインド洋に展開した日本の空母機動部隊、その後、通商破壊戦を展開した日本の潜水艦部隊が直面したのと同じように、インド洋を制することはできないと考えられる。

しかし、冷戦時代のソ連海軍はインド洋を制するような能力はもっていなかったが、今日の拒否能力 (anti-access/area denial)にあたる能力をもって、深刻な脅威をもたらした。中国はそれと同じような脅威をもたらす可能性はある。

ただ、その場合も、かなりはっきりしたこととして、中国が将来、インド洋においてインドやアメリカに対して競争を挑めば、それに対抗する海洋連合に直面せざるを得なくなるであろう。

(2)差し迫った脅威?:南シナ海とホルムズ海峡

中国とインドの間の競争が顕在化する前に、インド洋の東の出入口において圧力が強まっている。中国は南シナ海において(特にベトナムとフィリピンに対して)、海軍の活動を通じた要求を強め、アメリカがいないところで地域支配的な海軍国家になろうとしているようにみえる。

従って、アメリカは、短期的には、ホルムズ海峡に対するイランの如何なる策動にもインド洋地域から対応するための縦深防御と抑止戦略を、そしてインド洋の東端のチョークポイントに対する南シナ海からの中国の圧力を断念させる長期的戦略を維持していく必要がある。

2.アメリカのインド洋戦略の具体的課題

米国家安全保障会議がインド洋において構想をまとめる際には、シーレーンの安全を確保し、印中のライバル関係を緩和し、マラッカ海峡やホルムズ海峡等の安全を守ることに焦点を当てることになる。そこで、基本となる 5つの優先課題を提起している。

(1)投入できる資源量の課題

オバマ政権はアジア太平世地域において防衛力を減らすことはないとしているが、米国防費は毎年、世界第 6位の日本の国防費に相当する額を削減するような状況になっており、米統合軍として太平洋とインド洋を担当している太平洋軍の能力も低下していくことが懸念される。特にインド洋へ展開するには、日本かオーストラリア、シンガポールから展開せざるを得ないため、予算の削減によって太平洋軍がこの広い地域でどの程度存在感を発揮できるのかに影響するものと思われる。ホルムズ海峡封鎖の問題は、ヨーロッパに基盤を持たない太平洋軍にとっては、これは負担すべき能力を超えた地域といえる。

(2)ディエゴ・ガルシア島、オーストラリア間の課題

しかし、アメリカは、2つの例外を除けば、インド洋に新しい基地を設置する必要はない。2つの例外とは、ディエゴ・ガルシア島の基地と、オーストラリアの基地である。オーストラリアについては、西オーストラリアのスターリング基地(パース近郊のガーデン島)と、ココス(キーリング)諸島が重要となる。スターリング基地については深度があり、改修すれば米空母の母港にすることも可能で、第 2次世界大戦においては最大 30隻もの米潜水艦が母港としたため、現在においてもインド洋に展開する空母や潜水艦の基地として有力である。またココス諸島はオーストラリアとスリランカのちょうど中間地点にあり、空港がある。その空港の改修は米国が保有する航続距離の長い航空機(哨戒機等)がベンガル湾に展開することを可能にするものである。

(3)パワーバランス関連の課題

上記のように米海軍はインド洋に駐留することには資源上の制約があるが、米海軍は上記ディエゴ・ガルシア島やオーストラリア以外にインド洋に駐留する必要はない。そのかわり、インド洋の安全保障において中心的な役割を果たすであろうインドを支援し、完全な同盟にはならないかもしれないがその直前のところまで米印関係を強化し、加えて、海洋民主主義国間の交渉も強化して、日米豪印を基軸とする「4カ国」コンセプトを再び強化する必要が生じた場合に備えておくべきである。(インド洋における)このような協力関係には 3つの利点がある。1つは、中国等の外部のパワーがインドに対抗しようと考えた場合、インド単独ではなく 3ないし 4か国と対抗しなければならないようにすることで、断念させることができることである。2つ目は中国にとって最も緊要な「核心利益」でない地域においてさえ、中国の高圧的な行動が域内の他の諸国による対抗連携戦略を誘発させることを誇示できることである。3つ目は、インド洋における一方的なパワープレイを断念させる安全保障協力のための能力構築と規範を醸成できることである。

(4)地域機構上の課題(深刻ではない)

ただ、このようなアメリカのインド洋戦略が形成されていったとしても、これが、過去アメリカが築いてきた東南アジアや西太平洋における同盟・友好関係に比べ、問題解決の手段として有用になるかどうか、まだわからない部分がある。特に、アメリカは米主導のインド洋における協力関係を築く際に注意しなければならない 4つの点がある。1つ目は最も重要なことで、インド洋地域でアメリカは、インドのリーダーシップを支援するべきであり、インドの主導権を奪うようなことをして逆効果にならないように注意しなければならない。2つ目は、米印の立場が食い違うような問題、例えば海底資源の利用や気候変動等の問題においては、目立たないように細心の注意を払わなくてはならない。3つ目は、インドには非同盟主義的な傾向があり、アメリカの国益とは相反するが、そのような傾向は、2国間や、日米印、日米豪印といった少数国間で話し合っているよりも、より大きな多国間の場において表出し易いことに注意する必要がある。現在、このようなインドの戦略文化は、よりアメリカの国益を支える方向に変化しつつあるので、アメリカはこの変化を強化するようにふるまうべきであろう。4つ目は、インド洋における安全保障問題は多様すぎるため、特定の問題に焦点を当てすぎずに、多様な事態に適用できるような形で進めていくべきである。

(5)台湾問題

インド洋情勢の将来に最も影響を与えるかもしれないものとして台湾情勢の影響が挙げられる。アメリカが台湾を独立させる方向で関与を強めようとすれば、中国による直接介入の可能性を高めてしまうが、台湾が中国に取り込まれないようにするには、アメリカの強力かつ継続的な関与することが決定的に必要になってきている。もし中国が台湾に対して経済的、軍事的な影響力を強めれば、西太平洋における日米の影響力は落ち、中国は南シナ海、インド洋へと影響力を拡大するものと思われる。逆に、台湾の人々が安全保障上の懸念をもって民主主義の体制に基づいて、中国と友好的な状態を維持し、中国自身の政治的、戦略的な文化を良い方向に変えれば、それはインド洋を含むアジア全体にいい影響を与えるものと思われる。

3.戦略的問題であるが危機ではない

このように、インド洋の安全保障問題は最近注目を集めており、アメリカにとっても長期的な意味では重要であるものの、差し迫った危機ではない。(アメリカにとって、新たな地域的イニシアチブや構想によってではなく)、アメリカが伝統的に進めてきたペルシャ湾、南シナ海、台湾海峡をめぐる東アジアの同盟政策や軍事戦略、そしてインドとの戦略的なパートナーシップ等は今後も有効な戦略であり継続していくことが重要である。

Ⅱ.コメント —高まるインド海軍の存在感 —

日米にとってインド洋はどのような意味で重要なのか、どの程度重要なのか、こういった課題は、実はあまり議論されてこなかった過去がある。例えば、日本は、第 2次大戦時 1942年の空母 5隻を派遣したセイロン島沖海戦やその後の潜水艦作戦を実施し、戦後についても 1991年の湾岸戦争後の掃海艇派遣、2001年の同時多発テロ後 2009年まで続いたインド洋における給油活動、2004年のインド洋大津波後の災害派遣、2007年のパキスタン大地震への支援、2009年以降の海賊対策として艦艇・対潜哨戒機を派遣すると共にジブチへ基地を設置し、継続してインド洋に艦艇を派遣し任務を遂行してきている。しかしそのような活動に比し、インド洋の安全保障情勢と日本の安全保障情勢との関連性について分析した研究は少なく、活発な議論が展開されている状態にはない。

アメリカについては日本よりもさらに大規模な軍事展開をしてきた。1962年の印中戦争で空母機動部隊を派遣し、特に 1970年以後、英海軍がスエズ以東から撤退し始めるにつれ、 1971年の印パ戦争で空母機動部隊を派遣、ディエゴ・ガルシア島の基地化、スリランカのトリンコマリー港への艦艇寄港や施設建設計画を進め、結局、インドがスリランカ内戦に 6万人以上の兵力を投入する一因となった。米太平洋軍が太平洋だけでなく、インド洋も担当するようになったのもこの時期( 1972年)であり、第四次中東戦争後はさらに関心を高め、1974年 3月 20日の米海軍作戦部長の上院外交委員会の証言では、インドを世界的規模の勢力バランスを変える要素を持った地域として報告するようになっている 。しかし、そのアメリカもインド洋における国益とは何か、十分な議論が行ってきたとは言い難い。その結果インド洋自体の重要性ではなく、他の要因が米海軍のインド洋における活動において主因となってきたようである。前述の 1970年代以降の米海軍の展開は、インド洋に米海軍が戦略ミサイル原潜を配備することを恐れる(ソ連全土が射程に入る)ソ連海軍の展開に応じたもので、米海軍艦艇がソ連海軍の 4〜5分の 1しか展開していないことからも関心の差がわかる。また、スリランカ・トリンコマリー港での活動も、 1979年に起きたソ連のアフガニスタン侵攻に際し、アメリカの対ソ作戦の中心となっていたパキスタンの安全保障状況を安定させるため、インドの注意を南にそらせる目的をもって行われたとの意見もある 。

このようにみてみると日米にとってインド洋は、本論文が指摘しているように、シーレーンが通る通過地点として重要であるが、その要衝はインド洋の中心よりも、その両端であるホルムズ海峡やマラッカ海峡にあり、インド洋そのものへの関心は高くなかったといえる。最近、中国がインド周辺国において港の建設、軍事施設の設置、艦艇の輸出、漁船を偽装した調査等を実施し、原潜の活動に関する報道も一部でている中では一定の危機感があるのは事実であり、台湾問題から解き放たれ、インド周辺国の拠点化に成功すれば、中国がインド洋に自由に飛躍してくる可能性もあることを考えると、本論文内においてより詳細に検証するべき部分はあるが、それらはインド洋が近い将来重要性を高める可能性を示す兆候であって、現時点で台湾海峡、東シナ海、南シナ海(西フィリピン海)で起きているような差し迫った危機的状況とまではいえないであろう。

しかし、そうだとすれば、なぜインド洋の安全保障問題が日米において関心を高めつつあるのか、1970〜1990年代のアメリカにとってのインド洋と、現在のアメリカにとってインド洋はどう違うのであろうか。

2つの時期の大きな違いの 1つは、米海軍とインド海軍の相対的な規模である。インドは 1964年以来、空母 2隻、駆逐艦・フリゲート艦 28隻、潜水艦 24隻という海軍戦力を一貫して追求し、1990年には小型艦も含めるという条件付きで実現に近づきつつあったといえるが、この艦数は 1970〜90年代当時の米ソ海軍からみればあまり大きな兵力ではない。しかし今日、米海軍の保有艦数が激減し、インド海軍の規模は相対的に大きな存在となりつつある。しかも現在のインド海軍はより大型の艦を保有しているため遠洋航海能力も高めているものと考えられ、ベトナムやイランの潜水艦部隊、タイの空母等の訓練を担当する等、他の海軍へ影響を与える点から見ても、米海軍にとってインド海軍は無視し得ない存在になりつつあるといえる。

ここから、このようなインド海軍の存在感の高まりが、アメリカの議論に影響を与え、最終的には日本をはじめとする世界規模の議論に影響を与えている可能性を指摘できる。インド洋や南シナ海における印中対立に関心が集まるのも、実際に一定の対立があるだけでなく、インド国内における海洋安全保障の議論が、その率直に語る文化も相まって、中国海軍への対抗心がむき出しになりやすい傾向を反映したものともいえよう。つまり、日米でインド洋の安全保障問題への関心が高まり始めている原因は、インドの存在感の高まりに一因があり、日米はこれを友好国にしたいのである。

表1:米海軍とインド海軍の比較

水上戦闘艦とはここでは戦艦、巡洋艦、駆逐艦、フリゲート艦、コルベット艦の内、満載排水量 3000トン以上の艦の合計数

International Institute for Strategic Studies, “The Military Balance”、『世界の海軍 2012−2013』(海人社)、大塚好古「 2013年度米海軍予算案: 5カ年計画を含むその詳細『世界の艦船』 No.760、2012年 5月号 152〜159ページ参照。

(2012年6月4日配信【海洋安全保障情報特報】より)