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チュニジア共和国ハマイエス・ジヒナウイ外務大臣来日記念講演会

「チュニジア:民主化から経済成長へ」

ハマイエス・ジヒナウイ外務大臣(チュニジア共和国)

2017.11.02


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 本日は、このフォーラムで講演させていただけることを大変嬉しく思っております。

 チュニジアの民主主義の状況についてお話しする前に、まずは2011年からチュニジアが関わっている「アラブの春」という言葉についてご説明させていただくことをお許しください。一部の方々を失望させることを覚悟の上で、私はこれを西側メディアのでっち上げであると主張させていただきます。この言葉は、「プラハの春」を参考にした2011年の革命の連鎖を表す造語でした。「プラハの春」は束の間の民主主義への憧れでしたが、最終的にはソ連の戦車によって潰されてしまいました。「アラブの春」という言葉もある種の希望的観測、暴動や革命の牧歌的表現、あるいはそれぞれの国の個別状況を踏まえないアラブ圏に対する紋切り型の認識を表しています。

 2011年のG8ドーヴィル・サミットにおいて、当時の首相だったベジ・カイドセブシ大統領は、「アラブの春」とはそのようなものではなく、チュニジアで花開くことができた春の始まり(=民主化への向かう道のり)であると説明しました。

 今では多くの人々が、この見識が適切かつ正確なものであったことに同意してくださるとものと私は確信しています。カイドセブシ大統領の予言が的中したのは、アラブ圏内の各国の状況に対する現実的な理解と民主化には様々な道筋があるという信念に基づいていたからです。

 チュニジアは最も変革的な道を選んだのかもしれません。しかし、チュニジアは他国に向けて成功モデルを提供するようなことを望んではいません。チュニジアの革命と民主化プロセスは、チュニジア特有の様々な国内要因が組み合わされた結果の産物なのです。

 2010年、当時のチュニジアでは既に急進的な政治的変革に向かうための条件が整っていました。変革への道を推進できた背景には、以下の国内要因が挙げられます。

  1. 1. 大半が教育を受けていてインターネットを利用できる若者たち。
  2. 2. アラブの世界では他に例を見ない女性の社会的地位。
  3. 3. 大規模な中産階級:中産階級の人々は、経済的および政治的な解放を統合する価値観を代表しており、変革への道を安定的なものとする担い手となりました。
  4. 4. 活気に満ちた市民社会と文化。チュニジアの市民社会は、は植民地の時代以前から今日に至るまで目立たないながらも着実に成長を続けました。
  5. 5. 19世紀半ばまで遡る根強い"改革主義"の伝統。
  6. 6. 歴史的経緯による人種的な同一性と部族や特定の派閥に忠誠心を向けない国民性。
  7. 7. 限界に達していた経済モデル。経済的な地域格差と大卒者の雇用を創出できない状況等により、国民の間には経済的な権利を侵害されているという意識が広がりました。
  8. 8. 腐敗し、身動きがとれなくなっていた政治体制。とりわけ公共問題への参画を求める若い世代の要求に応えられずにいました。
  9. 9. 小規模な軍隊。建国以来チュニジアは、軍事力よりも人材開発や経済発展に優先的にリソースを配分する選択を続けてきました。

 チュニジアの特異性は、これらすべての条件が相乗作用を引き起こした結果なのです。

 チュニジア成功要因について、もう少し詳しくお話しさせてください。見過ごされるか軽視されることが多い要因です。それは、教育、女性の解放と社会的地位の向上、改革主義、そして市民文化です。

 1956年の独立後、発足間もないチュニジア政府は教育の一般化を目指し、16歳までの少年・少女の義務教育と無償化を選択しました。独立当初は、広範囲に及ぶ非識字を撲滅に苦労しました。しかし、人々に読み書き能力と職業スキルを身につけさせ、質の高い人材を生み出すことに成功しました。

 今日、現政権にとっての課題は、職のない大卒者(約32万人)に仕事を提供することです。教育によって自分自身と家族の生活の質が向上するという希望を抱いて成長した世代です。

チュニジアの政党候補者の半数は女性

 独立からわずか数カ月後の1956年8月に、チュニジアはアラブおよびイスラム世界における先駆的な家族法である「個人地位法(The Personal Status Code)」を公布し、女性には離婚する権利が付与され、「一夫多妻」の禁止と共に、婚約において男女が法的に対等な立場であることが定められました。

 現在、チュニジアの選挙法では、各政党の立候補者の半数は女性であることが義務付けられています。これは欧州ではまだほとんど見られないことでしょう。チュニジアの議会において女性議員の割合が31%という数字は、英国、カナダ、および米国(それぞれ30、26、19パーセント)を上回っています。

 今年7月には、女性への暴力に関する重要な法律が採択されました。この法律によって新たな刑事規定が導入されて、家庭内での様々な暴力に対する刑罰が強化されました。さらに公共の場でのセクハラ行為や家庭内労働者としての子供の雇用も刑事罰の対象とされます。女性の雇用面でも意図的に不当な賃金差別をした雇用主には罰金が科せられます。

 さらに8月には、ベジ・カイドセブシ大統領は、「個人の自由と平等委員会(Commission on Individual Freedoms and Equality)」の創設を発表しました。この委員会の目的は、個人の自由とジェンダーの平等(相続権における平等を含む)を促進するための改革に関する報告書を作成することです。今年の9月以降、女性は相手の宗教に関わらず自ら配偶者を選ぶ権利が与えられています。

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チュニジアの改革主義について

 3000年の歴史を持つチュニジアは、深く根付いた独立国家意識と強力な再生能力を有しています。

 寛容で確固とした"改革主義"の伝統を持つチュニジアは、アラブ諸国の先駆者となってきました。1846年にはアラブ圏で最初に奴隷制度を廃止し、1857年には国家憲章、1861年には憲法制定しました。

 実はチュニジアは、19世紀半ばのフサイン朝時代には既に近代化への第一歩を踏み出していました。アフメド・ベイ(君侯、在位期間1837~1855年)とその首相のハイルディーン・パシャは、教育と憲法改正を通じて国家および社会を近代化するための野心的なプログラムに着手していました。この取り組みは植民地政策に妨害されて中断されてしまいした。しかし、改革と文明開化の炎は吹き消されることなく、1930年代に女性の解放を提唱したターヘル・ハッダードに始まり、古典的なイスラム教の法的遺産と現代世界のニーズとの懸け橋となったターヘル・ベン・アシュール(1879~1973年)、そして近代チュニジア建国の父であるハビーブ・ブルギーバへと引き継がれました。

市民文化と「国民対話カルテット」

 チュニジアの市民文化は、19世紀の改革主義者の文献から始まり、国民運動および独立後のブルギーバのリーダーシップに至るまで脈々と受け継がれてきました。

 現在、この市民文化は、独裁政治に対抗して民主主義や政治参加への憧れを育んだ独立組織によってサポートされています。

 1946年にまで遡る歴史を持つ「チュニジア労働総同盟」は、50万人のメンバーを有し、独立に向けた国民運動への貢献、社会的闘争心、ブルギーバおよびベン・アリー時代の民主主義への強い願望に対する支持により、歴史的正当性と大規模な動員能力を獲得しています。

 もう1つの運動は、アフリカおよびアラブ世界で初となる「人権同盟」です。この組織は人権の価値と文化の定着に大きく貢献しています。

 これらの組織が「経済連合体」、「弁護士協会」と共に2013年に「国民対話カルテット」を結成しました。その目的は、民主化への移行プロセスに対する政治的な膠着や緊張、疑念の高まりが到来したときに、国民のコンセンサスを形成する役割を担いました。

 「国民対話カルテット」は2対立する政治情勢間の仲裁役として選ばれたことはありません。それでもこれらの組織は、危機の際に政治の外から対話を促し、当事者の立場や、意見の相違を平和的かつ建設的に解決したいというチュニジア人の願望を現実的な形で体現しました。

 2014年、チュニジアに新たな憲法が採択されました。この憲法には、普遍的価値観や民主主義の基準が記されています。良心、信仰、および崇拝の自由を明言し、ジェンダーの平等を保証し、選出公職における同等性を義務付けることで女性の利益になる差別是正措置を規定しています。また、チュニジアのアラブおよびイスラムのアイデンティティを改めて主張すると共に、チュニジアは市民権と法の支配に基づく市民国家であることを堅持することで、宗教や政治に関する論争を鎮静化させています。

 この憲法により、史上初の自由で透明な議会選挙および大統領選挙に向けた道が開かれました。2014年10月26日と同年11月23日には、それぞれ総選挙と大統領選挙を成功させ、チュニジアが移行期における様々な壁に直面しながらも回復力と粘り強さがあることを実証されました。

 チュニジアの「国民対話カルテット」によるコンセンサスとは、市民社会を含めた様々な政治的利害関係者間の相違を乗り越えて、妥協点を見出すために国民がが選んだ方法でした。2015年、「国民対話カルテット」はノーベル平和賞を受賞し、その功績が広く認められました。

 チュニジアは、世俗主義者、イスラム教徒、および左派の政党、無所属議員、労働組合連盟を幅広く連合させた統一政権を選択することで、経済改革と民主的統合という課題を前進させる道を歩み続けています。

改革を進め、地域経済のハブを目指す

 現在、国民統一政権は、公共財政を健全な状態に戻すこと、より高度で包括的な成長をサポートすること、および投資家に対する国の競争力を強化することを目的とした改革という野心的なプログラムを立ち上げています。これらは、以下を通じて行われます。

  1. 1. 「官民パートナーシップ(PPP)法」(2015年11月採決)は、インフラの質を改善して、保健や教育に対するその他の優先的支出に向けたリソースの確保を容易にするために計画されました。
  2. 2. 「投資法」(2017年1月発行)は、国内外の投資の自由と投資家保護の強化を促進させます。
  3. 3. 銀行制度の徹底整備と財政および租税政策の改定。
  4. 4. 2016年11月末にチュニスで開かれた国際投資会議において、総額600億米ドルを超える大規模な投資スキームが発表されました。この投資スキームによって、インフラ、テクノロジー、工業、エネルギー、ITC、グリーン経済などの主な分野における新たな投資の機会が確実に生まれることになります。

 このような緊急の改革に加えて、私たちは二重のパラダイム・シフトに向けて、自らの成長モデルの抜本的な再考にも着手しています。 

  1. 1. 成長と雇用創出の主動力として、公共部門から競合的な民間部門への移行。
  2. 2. 高付加価値プロセスへのアップグレードと、テクノロジー・ベースのスキル集約的部門への多角化。

 チュニジアの経済は着実に成長の兆しを見せています。今年のGDP成長率は、2.3パーセントに達する見込みです。2018年には最大2.8パーセント、2019年には最大3.2パーセントまで成長する見込みです。

 こうした明るい景気回復の兆候により、チュニジアは地域における新興経済国としての地位を取り戻す決意を固めています。元々チュニジアは、多様な経済、質の高い労働力、アフリカと欧州の2つの大陸を結ぶ地中海の中心という立地にあり、地域経済のハブとなるためのリソースを持っているからです。

 私たちは、目に見える成果を実現するために自らの潜在能力、ビジョン、決断力を以って適切な政策を実行しなければならないことを承知しています。しかしながら、他の多くの国々の移行期と同様に、国際支援が成功を確実にする上での助けになる可能性があります。

 わずかな投資が失敗を防ぎ、力強い利益を生み出す可能性があります。教育を受けた国民と比較的多様な経済を有するチュニジアは、日本をはじめとする主要なパートナーや友好国の支援により、少ないコストで国のレベルを向上させる態勢を整えています。

 チュニジアにおける失敗は広範囲に及ぶ派生的問題を生じさせるでしょう。この地域におけるさらなる失望、民主的手段に対する信頼の喪失は過激主義の台頭にもつながります。

過激主義への防御策は経済成長と教育

 チュニジアにおいて民主化への移行に関する課題は、私たちの地域固有の問題と混合されています。とりわけリビアの災難はチュニジアの問題でもあります。私たちは、リビアの兄弟たちの無用な苦しみを心配しています。

 同時に、武器の拡散、民兵組織間の対立、およびテロ組織の訓練キャンプによってもたらされる治安上のリスクについても心配しています。

 私たちには、与えられるような教訓も、輸出できるような民主主義的な成果物もありません。しかし私たちは、リビアのすべての政党やその他の近隣諸国と協力し、すべてのリビア人の間の対話を促進する環境を作り出そうと懸命に取り組んでいます。

 これが、カイドセブシ大統領のリビアに対するイニシアティブの基本理念です。特にスヘイラート合意をはじめとする過去の理解を基礎としていて、国連の監督の下でリビアの国家的結束と領土の保全に基づいて、リビアの政党間の新たな対話チャネルを開こうとするものです。

 より広範な地域スケールでは、地勢も悲観的で憂慮すべきものとなっています。イエメンやシリアでは、民主主義と自由に対する憧れが前例のない人道的悲劇へと変わり、徹底的な混乱と破壊につながっています。

 地域の不安定さの中に、武器、活動、および新兵募集の面で絶好の機会を見出したテロリストや過激派グループの台頭は、集団的対応と意思の統一を必要とする国境を越えた大きな脅威です。

 私たちは、テロ行為やその根底にあるイデオロギーには未来はないと固く信じています。私たちは、寛容で穏健なイスラム教徒のメッセージが最終的には知恵比べに勝利して、テロリストの供給源や彼らの新兵募集の訴えを断ち切ることになると確信しています。経済発展と教育が過激主義に対する強力な防御手段となります。

 ここ数年にわたり、私たちの治安維持を強化し、新しいタイプの非対称的戦争にも適応できるようになりました。私たちは、テロリストを封じ込めるため、テロリスト・グループの能力の抑制、彼らのアジトの破壊、隠れているメンバーの孤立化に成功しています。今やチュニジアは、欧州のどの国とも同じぐらい安全なのです。

日本との長期パートナーシップへの期待

 チュニジアは、日本からの長年にわたる支援に大変感謝しております。経済的な結びつきを強化して、チュニジアと日本の双方の企業に機会をもたらす新たな投資の機運を創出するため、日本とチュニジアの新たな互恵的パートナーシップの関係構築を切望しています。

 昨年、両国は外交関係樹立から60周年を迎えました。今こそ両国は共通の価値観に基づき、相互利益を追求する長期的パートナーシップを推し進めようではありませんか。

 この新しいパートナーシップには、人と人との接触をサポートし、治安上の課題に対する協力を深め、地域の平和と安定を促進するための長期協力統合プログラムが含まれます。これに関連して私は、チュニジアは断固として日本を支持し、北朝鮮の攻撃的で無責任な振る舞いを強く非難することを改めて断言します。

 私たちが思い描いているパートナーシップにはもう1つ、中心的要素があります。それはより強力な交易関係、ジョイント・ベンチャー、および投資を呼び込む新しい展望を切り開くことです。これは両国のビジネス界に新しい機会をもたらします。マクロ経済的政策の枠組みを徹底的に見直して、オープンでビジネスに優しい環境を十分に確立するために、私たちが旗振りとなっている改革の機運は、実現の手助けになることでしょう。

 さらにチュニジアは、アフリカ開発会議(TICAD)プロセスを通じたアフリカ政策の実施やアラブ世界への貿易やインフラ投資の拡大においても日本を支援することができます。両国は、文化的環境やビジネス環境をよく理解している他の国々や成功体験を積み上げてきている国々で協力関係を築くことができるでしょう。

 最後にもう一度、このイベントにご参加くださった皆様全員に改めて心よりのお礼を申し上げます。皆様からのご質問と活発な意見交換を楽しみにしています。

ハマイエス・ジヒナウイ外務大臣のスピーチ内容はこちら(PDF:478 KB)をご確認ください。


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