政権の「公式写真集」として
オバマ回顧録論④

渡辺 将人
オバマ回顧録論の4回目は、「政権公式写真集」でもある回顧録における写真の含意、そして翻訳をめぐる問題について考察する(「政治教育者としての『スピンドクター』オバマ回顧録論③」より続く)。
ホワイトハウス公式写真家と「写真」によるレガシー演出
81枚――。オバマ回顧録の第一段である『約束の地』に掲載された写真の枚数だ。邦訳は全ての写真を1枚も変えずに、原書と同じカラー写真のまま良質の紙を用いて口絵としてしっかり盛り込んだ。これだけで凄まじいコストがかかっていることは容易に想像できる。
現代の大統領回顧録は、多数の口絵写真を含む「政権の公式写真集」の色彩も持つ。その縁の下の力持ちがホワイトハウス専属写真家だ。日本の官邸の公式カメラマン(公カメ)との相違点は、表敬や視察などの場面における広報用の公式カメラ的な役割を超えて、大統領の日常やスタッフとの会議の場に、(政権で温度差はあるのだが)入り込むことを許されている点である。専属料理人らと同様、ホワイトハウスで大統領に極めて近い場にいる特別な職だ。そこには写真の記録価値をめぐる冷徹な広報戦略の意図が透ける。
大統領専属写真家は個人としても著名になる。代表例にクリントン政権2期の首席ホワイトハウス公式写真家だったロバート・マクニーリーがいる。ウィキペディアの人物項目が立っているほどで、大統領側近の上級補佐官やスピーチライターでも誰もが項目が立つわけではないことを考えれば、特殊な地位を想像していただけるだろう。全篇が白黒写真で貫かれた彼の写真集The Clinton Years (Callaway, 2000)は名作と言われる。内部の迫力と臨場感では他のホワイトハウス写真集を寄せ付けないものがある。
大統領は公式写真家と家族ぐるみの信頼関係を築き、できれば秘密も握り合い、ホワイトハウスに4年、8年、出入りしてもらう。信頼関係が築けなければ、スキャンダル紙に情報を流されかねないし、国家安全保障に関する重要な立ち話もある部屋の雑談シーンを撮影させるわけにはいかない。本当に臨場感のある写真は演出では難しい。凄まじい枚数を撮ったうちの「渾身の一枚」が世に出る。1枚の背後には100枚がある。大統領夫妻がOKを出せる写真に到達するには、普段から信頼できるカメラマンを様々な内輪の場に入れる必要がある。
ホワイトハウスのスタッフもカメラマンを空気のように扱うことに慣れると、よい写真が撮れるようになる。テレビに密着されるときにカメラを一切意識しないフリができる能力に似ている。一人でもカメラを意識して睨み付けているスタッフがいると、写真を鑑賞する者が「神の目線」で現場をこっそり覗き込んでいる「歴史探訪感」が出せない。クリントンの前掲写真集は、アメリカの政治内幕ものに必須の、スタッフと政治家の打ち合わせシーンの写真がふんだんに盛り込まれていて、紛糾、疲弊、混乱の様子など、怒号や興奮が伝わる。カメラマンが見事に姿を消している。
スチール写真は、動画やSNS時代の今でも、大統領や政権の「レガシー戦略」の中核を担う要素である。会見や演説のステージに出る前の舞台袖の後ろ姿、祈りを捧げる横顔、大統領のこうしたカメラ目線ではない、人間臭い1枚の白黒写真は「レガシー感」を喚起させる、映像とは別の不思議な力がある。だから大統領は公式カメラマンにできるだけ舞台裏を撮らせる。彼らは聞いてはいけないこと、見てはいけないものなど、墓場まで抱える厄介な人生を生きる。
大統領回顧録にも写真が盛り込まれる。大統領写真集は写真家の編集による作品が多いが、大統領回顧録内の口絵写真は元大統領自身が編者だ。回顧録の写真には、文章以上に元大統領の心象が浮き彫りになる面すらある。スペースと数に限りがあるからだ。平等に同サイズを羅列するわけではない。どの順番で、どの大きさで載せたのか、そして何を載せなかったのかに、元大統領の政治観、外交観、政権ブランディングの意図が如実に滲む(オバマ回顧録が各言語版に編集権を一切与えないのも理屈上は正しい。管理中毒と囁かれる悪評リスクと天秤にかけてでも、レイアウト変更や写真の取捨選択の禁止を優先した)。
オバマのホワイトハウスを8年担当した首席公式写真家はピート・ソウザという人物で、彼もウィキペディアの項目が存在するほど著名なカメラマンだ。ソウザが興味深いのは超党派性で、レーガン大統領2期目の公式写真家も務めた。
彼らがどれだけ内部で撮影しているのかという例でおそらく分かりやすいのは、我々が覚えているビン・ラディン殺害時の写真だ。オバマ大統領、バイデン副大統領、クリントン国務長官らが、現地部隊の作戦の様子を食い入るように見ているこの有名な写真もソウザの撮影である1。無論、これも政権の広報戦略の一環であり、ソウザは「役目」をしっかり果たしている。ホワイトハウス内部の写真は、ほとんどソウザの撮影である。彼無くしてオバマ回顧録は成立し得なかった。
青少年期写真の欠損:「個人史」ではなく「公式の大統領像」の政治的再定義としての回顧録
元大統領の心理として、限られたスペースに所狭しと、1枚でも多くの写真を入れようとするタイプもいれば、「集中と選択」のタイプもいる。会った首脳、訪れた場所は全員入れたいという、記録性を重視するのが前者だ。後者は、そうではない。切り捨てるところに「意味」を持たせる。どうせすべての出来事、訪問地、議員、上級スタッフは入れられない。羅列的な写真の数々か、何かを物語る写真の数々か、後者のオバマの写真の選び方には、独特の芸術的なセンスすら光る。良い意味での「無駄」が多いのだ。
そのため、より挿絵的、象徴的な写真が多い。2008年11月の大統領選挙勝利当日、ワシントンのリンカン記念堂の石段に座り込んでラジオで勝利演説を聴く人々のモノクロ写真には1ページを割く。前者的発想なら4〜5枚の写真を入れられるのにもったいないと思うが、オバマは美しい写真に何かを語らせる。「大統領回顧録論②」で紹介したように、2011年のリオデジャネイロ訪問に関して、本文では、興味のなさそうな夫人や娘の雰囲気を赤裸々に描いていた。だが、写真はキリスト像を家族4人で眺める後ろ姿を選定し、さりげなくブラジルへの敬意にバランス感覚を発揮している。霧がかかったリオデジャネイロの幻想的写真は『約束の地』の口絵写真のエンディングにふさわしい味わいを醸し出す。
さて、その「集中と選択」のオバマ回顧録の口絵写真には、以下3つの特徴がある。
第一に、青少年期の欠落である。オバマは「初の黒人大統領」としてアメリカ史での役割を背負わされた。個人史としてはハワイ生まれインドネシア育ちで多文化的で、白人や外国人留学生との交流が深い文学青年だったが、それらを盛り込むとオバマの公式のイメージは複雑になりすぎる。黒人有権者を混乱させることにもなる。写真のイメージ力は凄まじく、文章で書く以上にある人物の生い立ちの印象を定義する。そこでオバマは、回顧録に青少年期の写真を1枚も載せないという荒技にでた。
これには筆者も驚いた。ビル・クリントンの回顧録には高校時代のサックス演奏の様子、ケネディ大統領との面会、大学卒業式、イギリス留学時代、イェール大学ロースクールのクライメイトとのスナップまで、若き頃の写真が掲載されている。これまでの著作でもオバマは学生時代の写真を掲載していたわけではない。それだけにクリントンほどでなくても、多少は写真を掲載するのではないかと予想していたが、祖父母と母親、ケニア人の父親のほか、大人になる以前の本人写真は赤ん坊時代だけだ。
同じく複雑な家庭環境だったクリントンが継父の写真をしっかり載せているのに対して、オバマはインドネシア人の継父を掲載していない。私生活では実は一番絆が深い親族である妹マヤ(母アンとインドネシア人の継父との間の娘)は1枚だけだ。しかもその1枚も、母親のアンとケニア側の姉であるオウマとマヤの3ショットで、「アフリカ」と「インドネシア」のバランスをとった。しかもサイズも顔が判別つかないほど米粒のように小さな写真だ。まさに「インドネシア抑制」が徹底している。
学生時代、コミュニティ・オーガナイザー時代、ロースクール時代の写真も1枚もない。口絵の2ページ分にまたがる家族写真の後、口絵3ページ目は冒頭から突然ミシェルとの結婚式に飛ぶ。「公式写真集」でこれまで通り黒人性を強調する上では、ケニアの父の紹介の後はミシェルに「ワープ」せざるをえなかったのも納得はできる。だが、これは「黒人大統領」としては正解でも、オバマ個人の歴史としてはあまりに部分的な写真選択だ。大統領回顧録が、大統領だった人物の「個人史」ではなく、「公式の大統領像」を自ら政治的に再定義する書であることは、このことからも理解できる。
第二の特徴は、選挙と就任式の写真の多さだ。上院議員時代を含めると選挙関連だけで17枚前後、就任式当日だけで4ページものスペースを割いている。つまり、黒人として初めて民主党の予備選を勝ち抜いて指名を獲得し、本選挙で勝利し、非白人として初のアメリカ大統領になったことをオバマは「最大の成果」と位置付けていることがわかる。同じく民主党で世代交代を果たしたクリントンは、回顧録に載せた就任式の写真は2枚だけだった。
微妙な日本の存在感と「時間差分冊」刊行の弊害
そして第三の特徴は、日本の写真がないことだ。これまでの大統領回顧録には何らかの形で「日本」が盛り込まれることが多かった。ビル・クリントン回顧録は小渕総理とのツーショットを掲載している(来日時に沿道で星条旗と日の丸を振って歓迎する日本の子どもたち込み)。中国の江沢民国家主席とのツーショット掲載とのバランスをとった。ブッシュ(子)は小泉総理との写真、大統領回顧録ではないがヒラリー・クリントンは国務長官回顧録(Hard Choices:邦題『困難な選択』)に、美智子皇后陛下(当時)との写真を載せている。2009年の国務長官就任後の初外遊での来日時のものだ。
オバマ回顧録にも厳密には日本の写真が1枚もないわけではない。2009年G8サミットの集合写真で麻生総理が端に小さく写り込んでいる。しかし、同写真のキャプションにはサルコジ大統領、メルケル首相という仏独首脳への言及しかない。人物は写っているがキャプション上、Japanが出てくる写真は1枚もない。
写真は掲載の構図や大きさも意味を持つ。あるページには、上段に英国女王エリザベス2世、下段に中国の胡錦濤主席との写真をそれぞれ半ページの特大サイズで掲載している。外国指導者としては、インドのシン首相、イスラエルのネタニヤフ首相、エジプトのムバラク大統領らとの写真も掲載された。それ以外は、負傷兵見舞い、アフガニスタン慰問など軍関係者の写真が多いのが目立ち、ビン・ラディン殺害を見守るシーン、ノーベル平和賞受賞式などが並ぶ。
写真の選択はオバマの独断で決めているわけではない。様々な関係者に相談してのことだし、あからさまな重視、軽視はアメリカの内政、外交に誤ったメッセージを送る形で影響も与えてしまう。大国外交の観点で中国の国家主席との写真を入れる選択も常道だ。他方で、上述のブッシュ(子)はダライ・ラマ14世との写真、ヒラリーは国務長官時代に中国からアメリカに亡命させた盲目の人権活動家の陳光誠氏も載せている。陳光誠氏は2017年の初来日で、北海道大学大学院のメディア・コミュニケーション研究院が主催したシンポジウムに参加したが、トーク終了後の楽屋の雑談で「今でもクリントン元国務長官には心から感謝している」と筆者に吐露していた(他方、2020年大統領選挙では対中政策からトランプ大統領を支持)。
オバマの『約束の地』の写真選定において、「胡錦濤主席との北京でのツーショットを大判で入れるのであれば、日本の総理の写真も入れましょう」との助言が周囲になかったことを窺わせるが、続編を見ずに結論を急ぐのはフェアではないだろう。日本は後編に沢山入れようという判断もあり得る。2期目についてはおそらく広島訪問の写真が掲載される可能性は大いにある。また、日本以外に関する「バランス」でも、オバマの場合、例えばダライ・ラマ14世とも2期目の2015年まで公式の場では顔を合わせていないので、1期目途中までの『約束の地』には入りようがない。
逆に言えば、これはオバマ独自の大統領回顧録「時間差の分冊」の弊害だ。分冊は均等には扱われない。どうしても1冊目に強い注目が集まる。すると1冊目の写真だけで元大統領の関心の軽重を判断されることを完全に避けることはできない。時系列上は2期目の話題でも、誤解を避けて「重視」をアピールしたいなら、理由を適当に作って「前出し」でも扱える。回顧録をどう捉えるか、ここは元大統領次第だ。同時代の現在進行形のアメリカ外交に責任を持つ書だと思うならば、「同盟」をある程度は写真に強く反映させる考えもあろう。
しかし、オバマは大統領回顧録の写真は個人の関心を恣意的に反映させる場だと考えていることがわかる。当時の関心や政権の現実に極めて忠実だ。オバマ政権1期目、外交は国務長官に丸投げで自動操縦できる態勢を築き、医療保険制度改革や内政に注力した。あからさまな取捨選択だが、『約束の地』で扱われている時期に限定すれば、オバマの頭の中心に「首脳外交」がなかったことは事実である。そうしたことが写真のラインアップにも浮き彫りになる。回顧録は筆頭編者を元大統領に抱えた贅沢な「政権写真集」でもあり、元大統領の脳内に繋がるもう1つの回路でもある。
- ホワイトハウスがフリッカーに公開している写真 <https://www.flickr.com/photos/obamawhitehouse/5680724572/>(2021年5月25日参照)。(本文に戻る)