【特別シリーズ】
台湾の選挙キャンペーン
米台比較の視座から(④補論)
渡辺 将人
ハーバード大学国際問題研究所客員研究員
(本稿は③後編からの続編)
台湾の投票をめぐる特質
2020年1月11日の投票日、筆者は友人の投票に同行して新北市板橋区の小学校に向かった。投票所は投票箱の雰囲気含め、日本によく似ている。違うのは投票の仕方だ。「日本では投票で候補者の名前をフルネームで書くって本当ですか?」「文字を書けない人はどうするのですか?」というのはアメリカで聞かれる定番の質問だが、台湾でも同じ質問をよくされる。彼らにはフルネームを文字で書くという投票はとても珍しいことだ。
日本は識字率の高さを前提とした制度だ。目の不自由な方向けには点字投票も準備されているし、手や腕の障がいで字が書けない方のための代理投票もあるが、これも代理人は文字が書けることが前提になっている。難しい漢字の名前の候補者が、選挙のときだけ有権者が書きやすいようにひらがなにするのは、文字を書くことが前提だ。
アメリカでは州法によって千差万別だが、英語ができない新移民は珍しくないので、投票はパンチ穴開け、レバー、電子タッチパネルなど「装置」で行なう(党員集会では会場での支持表明)。新移民の多い都市では投票手順はスペイン語や中国語など多言語で解説する。
台湾はスタンプだ。日本のように何も書かれていない白紙の紙ではなく、予め候補者の番号が記された用紙の空欄に、専用スタンプを押す。読み書きができなくても、投票所に貼られた候補者一覧の顔や番号を頼りに投票できるようになっている。だが、これには政治的事情もある。「直筆は署名としての価値があるが、スタンプは誰が押したか分からないのでは?」と思いがちだが、だからこそのスタンプである。筆跡は有権者固有なので、筆跡を役所への提出物などと付き合わせると、誰だか判別できてしまう。戒厳令後、民主化の過程では、誰にこっそり入れても村八分にならない工夫が必要だった。言論の自由の担保の象徴が、誰が押しても同じスタンプであり、選挙の力で徐々に下からの民主化を経験したことがある社会でなければ、この感覚は共有できない。ちなみに専用スタンプを利用せず、自分の名前の印鑑を押したり、指紋押捺をしたりすると無効票になる(以下の写真は有効票と無効票の事例)1。また、投票所での携帯電話の使用や写真撮影も、プライバシーの管理上厳格に禁じられている。こうした徹底した匿名投票から考えると、支持政党どころか支持候補まで、近隣住人の前で堂々と明らかにしないと投票に参加できないアメリカの党員集会(民主党の方式)は、同じ投票とは思えない行為である。
投票を電子化しないのは、ハッキング防止だが、海外投票や不在者投票ができないのには裏の含意もある。とりわけ中国大陸在住の台湾人が多いからだとも言われる。彼らの票は郵送で送られてくるにせよ、届かない、すり替え、などの操作にあう可能性があると考えられている。ちなみに台湾に投票に出向きさえすれば、全世界に散っている人も投票できる。アメリカ同様に二重国籍を認めているので、アメリカ国籍を持つ「帰省者」も多い。投票日翌日、ニューヨークの台湾系アメリカ人団体が主催した蔡英文再選祝賀会が台北の老舗ホテル圓山飯店で開催され、1,000人以上の台湾出身有権者が海外から参加した。一方、同じ日、台北・永康街の担仔麺店で、筆者は隣席にいた高齢女性に突然話しかけられたが完璧な米語だった。離台して40数年になるロサンゼルス在住の台湾系アメリカ人で、民主化後は台湾に選挙のたびに投票に戻っているのだという。
ところで、以下の写真は投票所に貼られている総統候補の一覧である。「民国109年」というのは中華民国が成立した1912年を元年とする紀年法で2020年を意味し、台湾は今でも公的な文書ではこちらを使用している。興味深いのは学歴欄で、一定の重要性を帯びている。アメリカでも政治と学歴は無関係ではない。大統領がアイビーリーグ出身であることは「毛並み」アピールとして強みだし、ロースクールやビジネススクール卒は珍しくない。しかし、法律にしてもビジネスにしても実務が好まれるアメリカでは、ウッドロー・ウィルソン大統領(政治学博士)という例外はあるものの、学術的な博士号は政治家としては重たく、負の記号になりやすい。エリザベス・ウォーレンも大学教授であることが足かせだった(ただ、学位は専門職学位の法務博士(JD)で弁護士であることも強調していた)。アメリカ流のポピュリズムの風土における政治家は、学部では「毛並み」、大学院修士や専門職学位で「実務性」までがアピールできれば十分で、それ以上の高学位や学究肌は敬遠される。
投票所に貼られている総統候補一覧。 ほかに立法委員一覧、投票の注意点などの掲示も(筆者撮影)
投票の条件と若年票の影響
さて、台湾の選挙の投票では、不都合な面も少なくない。期日前投票や不在者投票ができないので、当日台湾にいないといけない。筆者の知人教授もたまたま投票日に海外出張となり、今回は投票を諦めた。京都大学で開かれた研究会での来日で、本人の都合で変更できなかった。こういうことがあるので、どんなに政治的に熱心でも皆勤投票は難しい。運悪く投票できない選挙もあることに慣れるしかないのだ。しかも、台湾は住民票と戸籍が一体化した本籍地投票なので、本籍を世帯ごと大学や職場付近の居住地に移さない限り、投票のために本籍のある「実家」に帰らないといけない。日本でも住民票を実家に残している学生の不在者投票を自治体が認めるかどうかの問題があるが、台湾の投票問題は質が一段違う。
戸籍制度のないアメリカは、その点では完全な現住所主義で、IDである運転免許証を発行している居住州で自ら有権者登録をして投票する(ちなみに免許証は他州に引っ越すと再申請が必要で、州の道路交通法が微妙に違うので要再試験の場合もある)。そもそもアメリカでは、大統領選本選も平日の火曜日に行われる伝統だ。予備選も「スーパーチューズデー」というくらいで、選挙が平日に行われることは珍しくない。いずれも公休にならない。投票は通勤・通学前後にすればよく、西海岸から東海岸、本土からアラスカやハワイまで、投票のために「実家」に移動するなど想定されていない。
台湾が本籍地投票を継続できているのは、台湾の面積がある程度コンパクトで、週末を使えばほとんどの地域間で往復できることも関係している。この点が若年票の影響と絡む。アメリカでは大学町の若者は地元有権者でもある。大学での政治活動にも力が入るし、彼らが戸別訪問のボランティアを行なっても、地元民の当事者としての説得性がでる。台湾の若者は居住地への政治的な影響力や繋がりを持たない。ゆえに大学コミュニティでの選挙活動にも繋がらない。キャンパス内では選挙活動が禁じられていることもある。
アメリカでは大学内に共和党、民主党のクラブが事務所を構え、キャンパス内で選挙キャンペーンを行うことを政党も支援し、地域社会も自然なものとして受け止める。だが、それだけにアメリカでは、大学町は若年層が力を持ちどんどんリベラル化、急進化し(共和党派であればリバタリアン色が強まる)、若者が皆都市に出て行った地方は高齢化し、土着政治に若者の声は反映されない、という二極化を生む。
台湾が面白いのは、台北など都市部の若者が、選挙のときだけ全土の地方に戻る現象だ。これには、筆者が考えるにおよそ2つの効果がある。
1つは、投票への意欲である。人が投票する時、思い入れのある土地と、そうでないたまたま住んでいるだけの赴任先や学業先では、往々にして関心に差がでる。後者のような「たまたまの土地」で選挙に強い関心を持つのは、地方選挙になるほど難しい。幼少期・青年期までの20年近くを過ごし、幼なじみの友人が出馬しているとか、親兄弟もまだ住んでいるとか、そういう「地元」なら投票して関わりたくなる。ふるさと納税の心理と同じだ。投票で政治参加する「当事者」をどう定義するのか。納税か、居住実態か、共同体へのある種の忠誠心やコミットメントか。要は二重国籍や選挙権の問題にも関係してくる深いテーマでもある。ここでは細部には入らないが、いずれにせよ、台湾の若者はアメリカと違って、今住んでいるコミュニティではなく、短い人生のほとんどを過ごした故郷の候補者を吟味する。投票率の比較や政治関心の度合いは、この点を加味した検討を実は要する。
もう1つは、土着の古い地方政治が、都市部の息吹に触れた若者的な投票の還流で中和される効果だ。つまり一定の「都市マインドの票」が、若者を送り出したどの地方にも流れ込む。これが2020年1月の選挙で、地方の立法委員選挙、しかも「藍陣営」の国民党地盤で、「緑陣営」の民進党がかなり善戦した一因になった可能性がある。1月の選挙のように、選挙アジェンダ的に、香港デモのような外部要因が生じ、総統候補が個人として若者に人気のある候補者という要件が重なれば、土着の利益誘導のマシーン政治に左右されない若者有権者が、地元政治に大量に流れ込んでくる異変をなおさら増幅しやすい。しかし、本籍投票を廃止したら一瞬でこの効果は消えるだろう。
ところで、2020年1月の選挙では「木曜日までには試験を終えよ」という通達が教育部から出た。これが、若者に圧倒的な支持を得ていた蔡英文総統の民進党に有利な措置だ、というやっかみの声も国民党支持派側から聞かれた。台湾はアメリカ式の9月始業の学期を採用しているが、秋学期の試験は1月頭に行われる。試験が終わると2月にかけて冬休みに入る。台湾はコンパクトとはいえ、台北から真反対に位置する台東あたりまで、しかも東海岸周りで帰るには時間がかかる。学生の多くは飛行機や高速列車を使わず、安価な長距離バスに乗るからだ。今年の投票日は1月11日土曜日。金曜日の午後に試験が終わると、天候次第では投票に間に合わないかもしれない。金曜日の早い時間のうちに台北を出る必要がある。2020年選挙では、1か月ほど前から帰省チケットの確保に学生たちが動いていた。
投票日前日まで都市部の大学で試験を行うかどうかが、若年層の地方票に影響を与えるのは事実である。しかし、この措置で蔡英文が勝利したわけではないし、金曜日まで試験が継続しても、学生は夜行バスにしがみついてでも帰省したはずだ。教授陣は「民進党の策略だ」云々の論争は意に介さず、たとえ国民党支持派でも「木曜日で試験が終わり、早々に学期末休暇に入れるのは有り難い」と笑顔だった。
開票では名前を読み上げながら「正」の字を書いていく。 「台視」(台湾電視公司)の選挙特番より(放送画面を筆者撮影)
「開放性」重視の台湾の「プライマリー」
台湾の選挙に触れる以上、過度に専門的にならない範囲で「プライマリー」についても言及しておく必要がある。台湾には、政党の候補者選びの過程で、有権者の意思を取り入れて決める広義の「プライマリー」が存在している。しかし、これは予備選挙という日本語から想像される、アメリカの指名争いのような狭義の予備選挙とは異なる。政党が世論調査を行い、その結果に基づいて公認候補が決まる。世論調査方式の利点は、党員以外も参加できる徹底した開放性だ。しかし、弊害もある。
第1に、台湾はアメリカのように両党同日開催ではない。一定期間、世論調査の日が設けられるが、政党ごとに時期が違う。昨年、民進党は6月、国民党は7月に行った。アメリカは州ごとに共和、民主が同日開催するので、相手政党側の勝敗が、同州内では相互の結果に影響を与えにくい。開催時期をずらすと、先発実施の党の結果が、後続の党の争いに影響を与える可能性は排除できない。
第2に、世論調査なので、ごく一部の人にしか回答のチャンスが巡ってこない。政治に熱心で、意中の応援候補がいる有権者が意見を表明できず、政治に興味がなく誰でもいいと思っている人のもとに電話がかかってしまうこともある。投票所に出かける労力なしに、受動的にいい加減に意見を言うことも物理的に可能だ。アメリカの予備選挙は、開放型の州では党派を問わず無党派層も参加できるが、投票所に行く手間もあるので、基本的には熱心な政党支持者が参加する。投票率は低くても、投票意欲が強い者で決めることに大義有り、と考えられている(後続州では候補者の選択肢が減少する不平等問題は別途ある)。
第3に、非党員、非支持者の回答が、人気を正しく反映しない可能性があるという問題だ。人々には、支持政党と無関係にランダムに世論調査会社から電話がかかってくる。例えば、民進党支持者のもとに国民党の世論調査の電話がかかってくれば、誰が国民党の候補になるのが民進党に有利かを考えて回答する可能性がある。そういう手の込んだことをする人は割合としては少ないので副作用は認められない、というのが専門家の主流見解ではある。しかし理論的にはそういうインセンティブをもたらす。つまりこの世論調査は、純粋な党内人気の反映ではなく、相手側の政党を支持する有権者の妨害も入り乱れての(さながら本選第一段階のような)戦略的争いの性格を排除し得ない。アメリカで、共和党の候補を誰にするのがよいかを、骨の髄までリベラルという民主党支持者の意見を取り入れて決めているようなものなのだ。相手側の世論調査の電話が来た際の回答の仕方について、草の根の支持者に陣営が大規模な秘密訓練を施せば、相手政党の公認選びに一定の影響を与えることも理論的には可能だ。アメリカのアイオワ党員集会の15%足切りによる2回投票で、一時的に誰を支持したら最も潰したい候補を潰せるか、と考えて戦略的に行動するのと同じである。しかし、民進党関係者の情報によれば、支持者の回答を事前にいかに誘導したら有利かの計算で、アメリカ流の選挙コンサルタントは導入していないという。戦略的ゲームの性格をもちつつも、意外に放任的な直球勝負の世論調査になっている。制度の擁護論の土台には、こうした現状もあるように思われる。
台湾のこのプライマリー制度は、民主化の過程で様々な問題や紆余曲折を経た結果としての制度であり、「プライマリー」の優劣に関して単純な米台比較はできない。少なくとも、党の公認候補の選抜に有権者が参加できる開放性は、その機会がない日本から見れば大きな特質を認めることができる。政党の公認候補の選抜に、党幹部以外の一般の有権者が関与できる機会が開放されていることは、政治に対する関心の維持の面でも、ポジティブな効果が認められる可能性がある。しかし、台湾の制度は、参加資格の間口が広く開放度が高い一方、やる気のある投票したい人でも確実に「投票」できるわけではない上に、非党員の声が党員と等価に扱われるなど、「参加なき開放」を抱えるジレンマも生んでいる。予備選挙の国際比較で、先駆的な研究を牽引する学習院大学の庄司香教授が「世論調査方式は党員や支持者の意思決定への参加の機会を奪うこととなり、党組織の存在意義が問われる事態となっている」と鋭く指摘するように、この問題は政党の意義やプライマリーの目的と深く関係している。台湾では今後も制度の修正の模索が続く可能性があるだろう2。
(左)民進党「民調」選挙戦で頼清徳陣営が放送したCM台湾語版
(民進党頼陣営CM、YouTubeより)
(右)国民党立法委員「民調」の屋外広告 高雄市美麗島駅前(筆者撮影)
- 中央選舉委員會「公職人員選舉選舉票有效與無效之認定圖例」 <https://web.cec.gov.tw/old_upload/21/1021/attach/43/pta_19864_1916216_80355.pdf>
2020年3月31日参照 - 庄司香「世界の予備選挙:最新事例と比較分析の視角」『選挙研究』2012 年 27 巻 2 号 p. 95.